生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ザクロのほっぺ(2)

2018-11-25 16:23:24 | 童話
                     ザクロのほっぺ(2)          土筆文香


ホッサイのむねはちくりといたみました。丘を二つこえた町に人買いがいるのです。ホッサイはそこに向かっていました。
坂道を半分ほどのぼったところで、あたりはまっ暗になりました。みあげると満天の星がまたたいています。すんだ空気がヒヤリとして思わず首をすくめました。
いつも首に巻いていた布をつかもうとして、さっきはずしていたことに気づきました。

(今まで、このいやなほっぺたをかくさずにエリサと話をしていたのか……)
ホッサイは子どものころを思い出しました。

(母さんは、オレが生まれてからずっと『人前ではほおをかくしていなさい』といった。父さんから『こんな顔に生まれて、一族のはじだ』といわれ、家をとび出した。それでどろぼうになった。
生きていくためには、しかたなかったんだ。だけど、もっと別な生き方があったんじゃないかな)

そのとき赤い大きな星が現われ、あたりが昼間のように明るくなりました。

「な、何だ、これは」
ホッサイはブルブルふるえました。エリサは荷車からとびおりると、ホッサイのふるえる手をそっとつかみました。
空をみていると、何人もの天使がとんできて、すんだ声でいいました。

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、すくいぬしがお生まれになりました。この方こそ主(しゅ)キリストです」
そういうと天使たちは鈴の音のような声で歌をうたいました。

ふたりはうっとりと、その声に耳をかたむけました。やがて天使のすがたがみえなくなると、エリサがいいました。
「とうとうお生まれになったのね!」
「生まれたって、だれが?」
「神様の子どもよ。そのお方は人間をほろびからすくってくださるって、父さんがいってた」
エリサは大きく息をすいました。

「おじさん、ダビデの町、ベツレヘムに連れていって」
「オレには関係ないよ」
「おじさんのためにも生まれてくださったのよ」
「えっ、オレのためにも……」
 
ホッサイとエリサは赤い星をめざして進みます。少しでも早く着くようにエリサは荷車を後ろから押しました。赤い星はかちく小屋の上にかがやいていました。

ふたりがかちく小屋をそっとのぞくと、赤ちゃんが飼い葉おけの中で横になっていました。赤ちゃんはじっとホッサイをみています。ホッサイの目から大粒の涙がこぼれました。
「オレは、これまで悪いことばかりしてきました。今日はひつじをぬすみ、この子をだまして売るつもりでした。ごめんなさい」
そういいはじめたとき、エリサの家族がかちく小屋に入ってきました。みなが再会の喜びで大声をあげたり、だき合ったりしたので、ホッサイの

言葉を聞いたのは赤ちゃんだけでした。
「この人、ホッサイさん。親切でやさしくてとってもいいおじさん」
エリサが家族に紹介しました。

おばあさんがホッサイに近づいてきました。
「孫のエリサがお世話になって、ありがとよ」
と頭を下げました。
 顔を上げたとき、おばあさんの首にホッサイと同じようなザクロのあざがみえました。おばあさんは首のあざをかくそうともせず、むしろよくみえるように背中をぴんと伸ばし、あごを前につきだしました。

その後、ホッサイはエリサの家族の一員になりました。首にまいていた布は、もういらなくなりました。
                    
                        おわり

あと書き
童話に出てくるホッサイは、生まれつき頬にあざがありました。
それは恥だから隠すように親から言われていました。ホッサイは布でいつもあざを隠していました。布を取ると、出会う人ほとんどが気持悪がってしまいます。それで泥棒になったのですが、エリサに会う前までは孤独でした。
エリサはホッサイの頬を見ても驚きもせず、かわいいと言います。それは何故でしょうか?

エリサのおばあさんの首にも同じようなあざがあったからです。おばあさんは隠しませんでした。
「人と違う部分があっても、日常生活で見慣れていれば、当たり前の情景として受け入れることができます」
隠さなければいじめられるような社会だったら、とても悲しいですね。

天使たちの言葉、「きょうダビデの町で……」は新約聖書ルカ2:11に書かれています。
「ザクロのほっぺ」は創作ですが、聖書に書かれていることは、本当にあったことです。神のひとり子、イエスさまがお生まれになったことのすばらしさを思いながら書きました。





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ザクロのほっぺ(1)

2018-11-22 15:44:52 | 童話
クリスマス童話を書きました。この童話は、日本クリスチャン・ペンクラブで発行しているニュースレター38号(11/15発行)に掲載された作品を書き直したものです。
ニュースレターでは枚数が限られているので書ききれなかった部分を入れました。2回に分けてアップします。



                    ザクロのほっぺ       
                                            土筆文香

むかしイスラエルにホッサイという名のどろぼうがいました。両ほおに半分に割ったザクロのようなあざがあるので、首にまいた布でかくしていました。 
ぬすみがばれてつかまりそうになると、布を取ってニヤリと笑います。あざは真っ赤で、血がはりついているようにみえました。

「わー、化け物だ!」
みた人は、おどろいて腰をぬかします

「わっはっはっはー。オレはいま、人を食って来たたんだぞう」
ホッサイが大声で言うと、たいていの人は逃げ出してしまいます。 
 
夕暮れ時、ホッサイは荷車を引いて荒野を歩いていました。ぬすんだものを売って帰るところです。  
やぶの中からひつじの鳴き声がしました。みると一匹のひつじがやぶにひっかかっていました。ホッサイは荷車の中にひつじを投げこみました。

「オレはなんてついているんだ。今夜はひつじなべだ」
ニンマリしながら歩いていると、向こうから女の子がかけてきました。
(また、えものがやってきた。あの子をだまして、人買いに売ろう)

「ひつじのペペ見かけなかった? わたしの大切なひつじなの」
 女の子がたずねました。
「さあ、知らないね」

 ホッサイはとっさにほおをおおっていた布を取り、車の中のひつじにかぶせましたが、すぐに『しまった』と思いました。あわてて手でほおをかくすと、女の子がいいました。
「かわいいほっぺ!」

「これをみて、こわいとか気持ち悪いとか思わないのか?」
ホッサイがたずねると、女の子は首を横にふってにっこりと笑いました。女の子は8歳でエリサという名前です。

荷車の中からひつじの鳴き声が聞こえました。エリサが荷車をのぞくと、布の下からひつじが顔を出しました。
「あっ、ペペ! おじさんがペペをみつけてくれたのね」
エリサの顔がぱっとかがやきました。

「ま、まあな。この車に乗るといい。家まで送ろう」
 ホッサイはできるだけやさしい声を出しました。
「わーい。ありがとう。こんな車に乗ってみたいって前から思ってたの」
 エリサは何のうたがいもなく荷車に乗りこむと、ペペをだきしめました。

「お家はどのへんにあるのかい」
「ずっと遠いところ」
「遠いところって?」
「わたしたちはひつじかいなの。ひつじさんの食べる草がいっぱい生えているところをさがしながら旅をしてるの。夜はテントで寝るのよ」
「そうか……」
「ペペがいなくなってさがしているうちに、わたし、まいごになっちゃったんだ。でも、おじさんに会えてよかった」

「丘にのぼれば、家族のいるところがわかるだろう」
夕焼け色の空がだんだん深いあい色に変わってきました。

「暗くなってもわかるの?」
 エリサはちょっと不安そうです。
「わかるさ。ひつじかいたちは、夜は火をたくんだろう。目印になる」
 
ホッサイは荷車を引いて坂道をのぼります。

カタコト カタコト 

木でできた車輪が回ります。でこぼこな場所に来ると、とび出してしまいそうにゆれますが、それが楽しくて、エリサはゆれるたびにキャッキャッと声を上げました。

「おじさんって、親切でいい人ね」
(いい人だって! そんなこといわれたの、はじめてだ。オレみたいな者がいい人になれるんだろうか……)
エリサはペペといっしょにねむってしまいました。

                        つづく



日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてご覧ください。ニュースレターもHPより閲覧できます。


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願い

2018-11-14 16:49:22 | 
    

願い

素直になりたい
いつも素直に神様のことを喜んでいたい

まっすぐでいたい
いつもまっすぐにイエス様を見つめていたい

自分を捨てたい
いつも神様の栄光のためにと思っていたい

それがわたしの願いです

わたしは昔からどこかひねくれていて、なかなか素直になれませんでした。
まっすぐの道をわざと曲がって歩いていました
自分を捨てられず、いつも「自分が、自分が」と言っていました。

素直になりたいのですが、どうしたら素直になれるのかわかりませんでした。
でも、神様に願ったら少し素直になった気がします。願い続ければもっと素直になれるかもしれません。


聖書の言葉
「主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
(詩篇37:3-4)」



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成功の秘訣

2018-11-08 16:42:35 | 教会
昨日の水曜礼拝は、宣教師のP先生がメッセージをしてくださいました。
力強いメッセージを聞いて神様から背中をぽんとたたかれた気持になりました。

メモも十分取れず、ただ圧倒されて聞いていたので、うまくまとめられませんが、心に残ったことを書いていきます。

P先生の家族はクリスチャンホームではありませんでした。唯一おばあさんがクリスチャンで、祈り深い人でした。
P先生はおばあさんの祈りで教会に行くようになって、イエス様を信じました。洗礼を受けてから家族に福音(イエス様のしてくださったこと)を伝えると、一週間で家族の者が次々と救われたそうです。

聖書には、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒の働き16:31)」と書かれていますが、その通りになったのです。

「神様は宇宙を造られました。そして、私を造ってくださいました。神様はお父さんです。

神様は永遠です。世の中は変わっていきますが、神様の言葉は永遠に変わりません。

地上に生きているわたしたちの時間は限られています。年を取るほどに時間が加速していきます。地上で残されているいのちは短いのです。
たったひとつしかないのちです。何が永遠で、何が永遠でないのでしょう……。」
と、P先生が言われました。

そうです。時間は限られているのです。永遠でないことに時間を費やす暇はありません。

「あなたは、そこで何をやっているのか? 子どもたちに神の愛を伝えるために立ち上がったのではないのか?」と神様に言われた気がしました。


成功の秘訣は、「聖書の言葉に従順に従うこと。神と親密になること」だそうです。


ダビデは「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。(詩篇84:10)」と書くほどに、神様との交わりを喜んでいました。

思いがけない災難がやってきたとき、「神様、どうしてですか? わたしを愛しておられないのですか!!」と叫ぶほど神様と親密な関係になっていたいです。


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扉を開けたら

2018-11-05 16:18:46 | 家族
3日は娘一家と義母の入所しているホームへ行ってきました。

娘たちは神奈川県から車で、夫と私は土浦から電車で向かい、ホームのある千葉で待ち合わせしました。どちらからも3時間近くかかります。電車が遅れないように、車が渋滞に巻き込まれないようにと祈りながら出発しました。

「大渋滞に巻き込まれた」と途中で娘からメールがありました。お昼までには着けないかもしれないと思っていると、「浦安過ぎたら、すいてきた。もうすぐ着く」とメール。「ああ、よかった」

ソークンと久しぶりに会いました。パパに抱かれてちょっと恥ずかしそうです。笑いかけるとぎこちない笑顔をみせました。「誰だろう?と」思っているのでしょうね。1歳3か月になりますが、大きくて2歳ぐらいに見えます。
歩き始めたばかりで、何か見つけると突進していくので、転んでばかりです。目が離せません。

義母の部屋を訪れると、義母は大喜びです。みかんをいただいて、ソークンはにっこりしました。ひいおばあちゃんに抱かれてしばらくの間じっとしていました。

同じホームの方が何人もソークンを見に来ました。こんな小さな赤ちゃんを連れて訪れる人は少ないようです。ソークンは一躍人気者になりました。
ファミレスでお昼を食べてから、義母が住んでいた家に寄りました。引っ越してからちょうど1年です。主人が時々行って片づけをしていたので、きれいなままです。

ソークンは、扉を開け閉めすることに興味を持ち、取っ手をつかんで扉が開くとニッコリ笑って入り、扉を閉め、ひとまわりしてまた扉を開けてニッコリ。飽きずに何回も繰り返しています。

「写真撮るからおばあちゃんにだっこしてもらって」と言っても聞き入れません。
「扉開けたとき、大人がひとりずつ顔を出せば、いい写真が撮れるかも」と娘が言って、皆で交代でソークンと一緒に扉を開けて顔を出しました。大人がソークンに遊びを教えてもらったのです。

扉を開けるときのソークンの嬉しそうな顔。扉の向こうに何があるのか期待して、開けたときの喜び。それは、希望に満ちた顔でした。大きくなっても希望を持ち続けてね。ソークン!!

電気もガスも水道もそのままにしているので、「来年のお正月は家じゃなくて、ここに皆が集まってお祝いしたい」と義母が言いました。義母はホームのことを「家」と言ったので、「あれっ?」と思いました。

入所するとき、いやがっていたのです。でも、一年たってホームを我が家と思えるようになったのだなあと、嬉しくなりました。一年で2回ころびましたが、骨は異常なしでした。これからも守られますように。



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