生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「きみはいい子」を読んで

2015-04-28 16:13:37 | 読書
一昨日はブログをアップしなかったのに、アクセス数が3倍にも跳ね上がって、アップした昨日は4倍、閲覧数は10倍でした。アクセス解析をつけていないので、どうしてなのかわかりませんが、多くの人に読まれていることは、嬉しくもあり、恐ろしくもありです。最近訪れた方、コメントいただけると嬉しいです。

以前書いていた記事でアップしていないものがありましたので、更新します。


隔月に行っている児童文学者協会茨城支部の例会で課題図書となった「きみはいい子」中脇初枝 ポプラ社 を読みました。
5つの短編がおさめられています。

児童虐待の問題が扱われています。わたしが書こうとしているテーマでもあるので、図書館で借りるのではなく、買い求めました。
読んでいて切なく心が痛むのですが、いつも最後に熱いものがこみあげてきて、こころが温かくなります。
日本児童文学者協会で出している「日本児童文学」に紹介されていたので、このような本があると知ってわたしが推薦しました。

子どもが登場しますが、主人公は大人です。子ども向けの本ではありません。
わたしは子ども向けに書こうとして何度も試みては失敗しています。

「大人向けにとか何年生向けにとか考えないで書くとよい」という助言をいただきました。
確かに名作と言われている文学作品は、子どもが読んでおもしろく、大人が読んでも読みごたえがありますね。

5つの作品の中でいちばん心に残ったのは、「姥捨て山」でした。
高齢で認知症のお母さんを3日間預かる娘が主人公。娘はかつて母親から言葉による虐待を受けていたことを思い出して、母を置き去りにしてしまいたい衝動に駆られます。

主人公は、お母さんに傷つけられ、嫌いになり、そんな自分のことも嫌いになって悩んでいたときに言われた先生の言葉に救われます。

先生のセリフ「そんなにひどいお母さんなら、きらいでいいんだよ。無理にすきになる必要はないんだよ。ひどいことされたら、それがたといお母さんでも、仲田にとってはひどい人なんだから。ひどいひとをすきになる必要はないんだよ」

娘は、お母さんを嫌いな自分を嫌いになる必要はないことを知って、ほっとします。
母に対する記憶は嫌なものばかりだったのですが、母とのいい記憶もあったことを思い出します。
「赦し」というところまでには至っていませんが、それにつながるような終わり方で、ほのかな希望が感じられました。



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あらかじめ備えられて・・・・・・

2015-04-27 17:00:36 | 日記

母の引っ越しまで一週間となりました。
実家の片付けも毎日ゴミと格闘して、8割ぐらいできました。今週半ばにまた実家に行きますが、そのときが最終になります。実家は間もなく取り壊されます。実家がなくなるのは寂しいです。

実家のリビングに皮細工で作った「最後の晩餐」の額があります。(上の写真)
40年ぐらい前、神戸に住んでいたころ、母が作ったものです。わたしがまだ教会へ行く前で、母も教会へ行ったことがありませんでした。なぜ母が「最後の晩餐」の絵を描こうと思ったのかわかりませんが、とても不思議です。
この額は、神戸の家でも、神戸から戻ってきたときもずっとリビングにかけられていました。
後にわたしが信じ、きっと母もイエス様を信じるようになるというしるしのような気がします。

先日は、母が入所する老人ホームの重要事項説明を受けに行きました。4年前に介護棟ができたので、寝たきりになっても介護してもらえる態勢が整えられていること。介護士が夜も常駐し、何かあれば医師や看護師が夜中でも来てくださることなどを確認させていただきました。
わたしは車の運転ができないので、何かと不便なことがあるのですが、その老人ホームは我が家から歩いて5分のところにあります。母の部屋からうちのマンションが見えます。
マンションを購入するとき、老人ホームのことなどまったく考えずに決めましたが、あらかじめ神様が備えてくださっていたのだと思いました。

母は引っ越し準備で疲れが出たのか、先週38℃の熱を出してしまいました。今まで、ほとんど熱を出したことがなかったので、すごく心配しました。でも、翌朝は7℃台に下がり、夜には平熱になったのでほっとしました。
引っ越しが順調にいき、母の体調が整えられるようにと祈りつつ。



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いのちの水

2015-04-20 21:00:17 | CS(子供伝道)
昨日は小学科でメッセージをさせていただきました。ヨハネ4:1-29からイエス様に出会ったサマリヤの女の人のお話です。

実家との往復で忙しく、準備する時間が少ししかありませんでした。でも、以前描いたパネルシアターの絵があったので、それを使うことにしました。
お話は、テキスト「成長」(いのちのことば社)を参考に書いて電車の中で覚えました。

小学科低学年向けにしては、難しい聖書箇所でした。イエス様とサマリヤの女の会話は、礼拝する場所についてまで及んでいましたが、その部分は省略しました。

お話を紹介します。

サマリヤのスカルという町にひとりの女の人が住んでいました。その人は昼の12時ごろ、井戸の水をくむために水瓶を持って歩いていました。
サマリヤ地方は、昼間は日が照りつけてとても暑く、そんな時間に水を汲みに行く人はほとんどいませんでした。みんな朝早くか夕方の涼しい時間にくみに行っていました。

なぜ女の人は暑い時間に水をくみにでかけたのでしょう……。女の人は正しい生活をしていなかったので、町の人からのけものにされていました。陰口を言われていることも知っていました。それで、町の人に会わないようにわざと人の来ない時間に水汲みに行ったのです。

さて、井戸のほとりにはイエス様がすわっておられました。
イエス様はサマリヤを通ってユダヤからガリラヤへ行く旅をしておられました。
そのころ、ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪く、ユダヤ人はサマリヤ人を馬鹿にしていました。ユダヤ人はサマリヤの土地を通ることさえきらって、サマリヤを通らずにわざわざ遠回りしてでかけていました。

でも、イエス様は違いました。
女の人は、井戸のそばにユダヤ人の男の人がすわっているのをみて、どうしてユダヤ人がサマリヤにいるのかしらと思いました。
イエス様は、女の人に言いました。
「わたしに水を飲ませてください」
女の人はびっくりしました。ユダヤ人がサマリヤ人に話しかけることがなかったからです。
「あなたはユダヤ人でしょう。どうしてサマリヤ人のわたしに水を飲ませてくださいなんて言うのですか?」
女の人が尋ねると、イエス様は不思議なことを言われました。
「わたしはあなたに『生ける水』を与えることが出来る。その『生ける水』を飲んだ人は決して渇くことがない」
「えっ、そんな不思議な水があるなら、わたしに下さい。それを飲めば、もう水汲みにこなくていいのですね」
女の人はイエス様の言われる『生ける水』を飲めば喉が渇かなくなるのだと思ってそう言いました。
でも、それは喉が渇かなくなるのではなく、心が渇かなくなるという意味でした。女の人は、心に悲しみがあって、寂しくて心が渇いていたのです。

それでは『生ける水』とは何でしょう? 『生ける水』とは、イエス様の下さる水のことです。それを飲むというのは、イエス様を救い主と信じることです。
信じたら、その人の心の中で永遠のいのちへの水が湧き出るとイエス様が言われました。

聖書の言葉を読んでみましょう。
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ4:14)」

イエス様を信じることによって新しいいのちが与えられ、なくなることのない喜びが心にあふれるのです。

イエス様がこのように言われたのは、この女の人の生活をご存じだったからです。この人は幸せになりたくて5回も結婚しましたが、どれもうまくいきませんでした。いつも満たされない寂しい気持ちでした。町の人からはのけ者にされ、ひとりぼっちでした。イエス様はそんな女の人の悲しみをすべてご存知でした。

イエス様は「あなたは5回結婚しましたが、今一緒に住んでいる男の人はあなたの夫ではありませんね」と言いました。イエス様が女の人がしたことを言い当てたので、女の人は驚きました。
(わたしはこの人に今日初めて会った。自分のことは何も話してないのにこの人は知っていた。この人はいったい誰なの? 神様のことを伝える預言者なのかしら)
女の人は思いめぐらしているうちに、聖書(旧約聖書)の言葉を思い出しました。

「聖書には救い主がいつか来てくださると書いてありますが、救い主がもし来てくださったら、正しいことを教えてくださるのでしょうね」
「あなたと今話しているこのわたしが救い主です」
「えっ! あなたが、救い主なのですか。ああ、わたしは救い主と出会って、話したのですね。」
女の人の心に喜びが湧きあがりました。イエス様を救い主と信じたので、今まであった悲しみや空しさがなくなってしまいました。

そして、急いで町へかけて行き、人々に向かって叫びました。「みなさん、聞いて下さい。わたしは救い主に会いました。井戸のそばおられる方がそうです。みなさん、来て、見てください」
女の人はそれまで町の人と顔を合わせないようにしていたのですが、イエス様に出会ってすっかり心が変えられて、町の人にイエス様を伝えました。伝えずにはいられなかったのです。
女の人のおかげで多くのサマリヤ人がイエス様を信じるようになりました。

サマリヤの女の人は、最初、人に会いたくなくて人の来ない時間に水汲みに出かけていましたね。でも、このとき女の人は町の人のところへ出かけて行っています。どうしてでしょう……。

それは、女の人がイエス様の下さった『生ける水』を飲んだからですね。『生ける水』が泉のようにあふれ出て、喜びでいっぱいになったのです。心の渇きがなくなったのですね。それで救い主を町の人たちに伝えたいと思ったのでした。


わたしも『生ける水』をいただいています。だからどんなに苦しい時でも、喜びが泉のように湧き上がってくるのです。



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目には見えないもの

2015-04-13 16:49:46 | 日記
実家を処分することになったので、来月の母の引っ越しまでに全部整理することになりました。そのため、今月は自宅より実家にいる時間のほうが多くなるかもしれません。

今年に入ってから、わたしが実家に行くたびに母と少しずつ整理していましたが、物が多くてなかなか片付きません。いる物といらない物を分けるのも大変な作業です。大正時代の食器セットまで出てきて、リサイクルショップに売りに出そうとしたら、断られてしまいました。
かつて母が作った皮細工のバッグ、更紗の作品の数々、つぼや花瓶、いただいた引き出物、亡き父と祖母の着物まで出てきました。最初のうちは、思い出に浸りながらゆっくりやっていましたが、このペースではとうてい間に合わないことがわかって、少し焦っています。
わたしより決断力のある母は、どんどん捨てる物のところに分けて行きます。アルバムまで捨てようとしたので、わたしは写真をはがして持って帰ることにしました。あとでスキャンしてデータ化しようと思います。

そのときはとても大切な品だったものがいらなくなり、価値ある物だったものがゴミになる……。なんだか悲しいです。写真だって、写っている人を知っている人がみんないなくなってしまったら、だれが見るのでしょう……。

こんなに多くの物に囲まれて暮らしていても、ほとんどがいらない物だったと気づくのです。でも、それは仕方のないことでしょう。死ぬときは何一つ持っていけないのですからね。

目に見える物だけが価値ある物だと思っていると、むなしいです。
でも、目には見えない物があり、朽ちない物があるのですから、そこに希望があるのです。
このようにして、母と一緒に片付けをしている時間も、神様から与えられた価値ある物だと思いました。

土曜日に引っ越しの見積もりをしていただきました。何社か頼んだ方がよかったのかもしれませんが、時間がなくて一社で決めました。翌日は日曜なので、見積もりが終わったら土浦の自宅に帰る予定でした。見積もりの時間が予定より遅くなってしまったのであせりましたが、夜8時過ぎには家にたどり着けてほっとしました。
疲れましたが、一晩でかなり回復し、日曜には教会へ行き、CS奉仕も休まずできました。

今日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のホームページを更新しました。だいたいはページを作っていたのですが、
リンクがうまくいかなくて、1時間ほど格闘してから、娘にSOSを出して教えてもらいました。娘にいつまでも頼っていてはいけないと思っても、毎回のようにうまくいかない箇所があるので困ってしまいます。とにかく、今月の更新ができたことを感謝します。

JCPのHPは、ここクリックしてぜひごらんください。


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悲しい。でも、嬉しい。

2015-04-06 20:37:31 | 教会
4日に母と妹が我が家に来ました。母の老人ホーム入居手続きをするためです。タイプの違う3部屋が空いていたので3部屋とも見学しました。迷った末、2番目に広い部屋に決めました。その部屋の窓からうちのマンションが見えたので、母は喜んでいました。

翌日は日曜日です。一緒に教会へ行こうと誘いました。母と妹はためらっていたので、「礼拝の後、お父さんの遺骨が納められている納骨堂に行きましょう。(秋田にある)お墓参りには行けなかったから」と言うと、母と妹は「それなら行く」と言いました。


その日は、イースター礼拝でした。イースターとはイエス様が復活されたことを記念してお祝いする日です。

水野源三さんの詩「こんな美しい朝に」の賛美が流れると、涙があふれてなりませんでした。
ついに母を連れて教会に行けたのです。妹や娘も一緒に礼拝を捧げられるとは、なんと素晴らしいことでしょう。

「こんな美しい朝に」の詩を紹介します。作者の水野源蔵さんは病で手足を動かすことができません。まばたきで合図を送って書いた詩です。


     こんな美しい朝に     水野源三

   空には 
   夜明けとともに 
   ひばりが鳴き出し
   野辺には 
   つゆに濡れて 
   すみれが咲き匂う

   こんな美しい朝に 
   こんな美しい朝に
   主イエスさまは 
   よみがえられたのだろう



イエス様の復活が信じられないという人が多いです。それさえなければ、キリスト教を信じるのにと言う人さえいます。

確かな証拠はなく、目で見ることができません。
でも、聖書は「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15-20)」と、キリストの復活をはっきり断言しています。

初穂と書かれているのは、2番穂、3番穂があるということで、私たちもやがて復活させられるという保障です』と牧師先生が言われました。

わたしは悲しいのです。今あるものがいつまでも同じ状態でなく、時間とともに衰えていくことが。きれいに咲いている花もやがて枯れます。新築の家も、何十年か経てばぼろぼろになります。人間も動物もどんどん老化し、行きつくところは死です。
なぜ同じ状態で留まってくれないのでしょう……。

でも、わたしは嬉しいのです。
イエス様がよみがえられたということは、死から勝利したということだからです。
「死は勝利にのまれた」と聖書に書かれています。
私たちもやがてよみがえって、新しい、朽ちない体になるのです。

よみがえられたイエス様が信じる者と共にいてくださるのですから、こんなに嬉しいことはありません。

母よ、妹よ。地上での別れがあっても、天国で復活の体で再会できるのよ。お父さんとも再会できるのだからね。目の涙がすっかり拭い取られる日がくるのだから、嘆かないで。



礼拝の後、S牧師が納骨堂に伴ってくださり、祈ってくださったことがありがたく、忘れられないイースターになりました。



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新しい月に

2015-04-02 16:18:41 | 日記
ブログ更新しなくちゃ……と思いながらどんどん日が過ぎていき、4月になってしまいました。
桜川の土手の桜は満開です。
わたしは相変わらず都内の実家と土浦の往復の日々です。

以前、母の老人ホームへの引っ越しは4月と書きましたが、5月の連休中になりました。
家の処分にあたって土地の問題が起こり、なかなか進展がありませんでした。
母は決着がつくまで引っ越さないと言い張るので、入所はいつになるのだろうか……。入所できないのではないか……と気をもんでいました。

ところが、問題が解決する前に母が入所を決意し、その後で問題が解決したのです。
順番が違うことが不思議でなりません。神様が介入してくださったのです。いえ、これまでも主の導きによっていたのですが、そのことがはっきりわかるために順番が逆になったような気がします。
母の心にも地主さんの心にも神様が働いてくださったのだと思います。

先週は28日まで実家にいて、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブの例会に出席しました。夕方土浦の家に帰ると、ヒックンが来ていました。

ヒックンは、まだ自転車の補助輪がはずれません。家の近くは危なくて練習が十分できなかったからです。それで、この春休み中に土浦で練習しようということになって、主人が自転車を車に積んで持ってきました。

我が家の近くには桜川があるので、土手で思い切り練習できます。
ペダルをはずして、バランスをとる練習を少ししたら、その日のうちに乗れるようになりました。
わたしが家に戻ると、ヒックンは「重大ニュースがあるよ。ぼく、自転車に乗れるようになったんだ!」と嬉しそうに言いました。

月曜日にはパパも来て、みてもらって合格と言われました。8歳の誕生日の前に自転車に乗れてよかったね、ヒックン。

30日はヒックンとナルクンの誕生会をしました。ヒックンは3月31日生まれ。ナルクンは3月28日生まれなので、一緒にしました。ナルクンはもうすぐ歩きそうです。
4月からママが働き始めたので、ナルクンは保育園デビュー。ヒックンは1年ぶりに児童クラブへ通います。



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