生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心の傷 回復への道(その3)

2012-05-29 16:33:25 | エッセイ
わたしの反抗期は長く、11歳から10年近く続きました。最初は父に反抗し、その後母に反抗しました。でも、この反抗期は自己を形成するために必要な時期でした。
母に反抗してもその支配からなかなか抜け出すことができず、抜け出したのは40代に入ってからでした。

自己評価が極端に低いというわたしの抱えていた問題は、家庭環境にあったのかもしれません。でも、同じような環境で育ち、親から同じように否定的な言葉を言われてきた人がいたとします。その人は否定的な言葉をバネにして積極的で頑張り屋になったかもしれません。

わたしの生まれつきの性格にもよるので、誰かのせいにして怨むようなことはしたくありません。怨みを晴らすことができたとしても、それは何の解決にもなりません。

わたし自身、親になったとき、ひどい言葉で子どもたちの心を傷つけてしまったことがありました。

間違った育てられ方をしたり、家庭内で虐待を受けたり、「生まれてこなければよかった」と言われたり、愛されなかったり、愛されているのにそのことが伝わらなかったり……。

問題の多い家庭であっても、理想の親子関係でなくても、子どものころに深い心の傷を受けたとしても、どんな状態でも回復可能だということをお伝えしたくて書いています。

過去に戻ってやり直すことができなくても、傷は癒されます。新しく歩み始めることができます。

それでは、わたしはどのようにして癒されていったのでしょう。

5/19のブログ「あなたは高価で尊い」に【そんなわたしが自分の意見をはっきり言えるようになり、人前で感情を表せるようになったのは、聖書の言葉に出会って、自分の存在価値が認められていることがわかったからです。『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)』このみ言葉がわたしを根底から変えてくれました。】と書きました。
この一文をもう少し詳しく説明します。

聖書の言葉に出会うとは、初めて読んだということではありません。イザヤ書43章4節は有名な箇所ですから、22歳で洗礼を受けた後、何度も読んでいます。最初のうちは読んでも特別な思いを抱きませんでした。

「わたし」というのは神様のことだとわかりましたが、「あなたは」というのが誰をさしているのかわからず、たくさんの人がこの箇所を読むのだから、不特定な人に対して「あなた」と書かれているのだなあと思っていました。

ところが何度目か読んだとき「あなた」という言葉を見て、ドキッとしました。自分のことだと思えたのです。なぜそう思えたのか……(神様が働きかけて下さったとしか思えません)とにかくそう思えたとき嬉しくて涙が出ました。
そのときから癒しが始まったのです。神様によって薬をつけられ、包帯が巻かれたので、心の傷やひねくれた思いも少しずつ癒されてきました。

金環日食で神様からたくさんの○をもらったように思えたとき、自分でもびっくりしました。(5/21のブログをごらんください)○をもらうというのは、わたしの言動が、生き方が正しいという意味ではありません。わたしの存在が○だということです。
かつてのわたしは自分に×ばかりつけていました。そのことを思うと、いまのわたしは(完全ではありませんが)神さまによってかなり癒されていると思えるのです。

完全に癒されても傷跡は残りますが、その傷跡は同じように傷ついた人を慰めることができるでしょう。

聖書の言葉

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。(マタイ5:4)」

「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。(Ⅰペテロ2:24)」

「主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。(イザヤ61:1)」

                           おわり

最後まで読んでくださってありがとうございます。


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心の傷 回復への道(その2)

2012-05-27 17:21:10 | エッセイ
ああ、体が2つあったら……。と思ったことはありませんか。

昨日、JCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の例会と日本児童文学者協会(児文協)の総会がありました。どちらにも行きたかったのですが、体はひとつです。

役目と責任を果たすために神楽坂で行われた児童文学者協会総会へ行きましたが、そこで思いもかけぬ方にお会いしました。関西JCPのI先生です。I先生が児文協の理事をされていることは知っていましたが、その日にお会いできると思っていなかったのです。
京都で行われたJCPの夏期学校でお目にかかって以来2年ぶりでした。短い時間でしたが、お話しできて嬉しかったです。

それでは、この前の続きをお読みください。


父は幼少のころ実家に預けられ、母親と離れて暮らしていたので、大人になっても母を慕う気持ちが強くあったようです。

父はちょっとしたことで怒りました。怒るというより、子どものように癇癪を起し、ドアをドタンバタンと閉めたり、足をふみならして癇癪を起します。原因は些細なことで、たとえば日曜の朝早く隣の家の犬が鳴いたので目が覚めてしまったとか、床にゴミがひとつ落ちていたとか、洗面台が汚れていたということで怒るのです。

父は怒ると食事もしないでふてくされたようにふとんをかぶって寝てしまいます。そういうときは祖母がなだめに行きます。父はしかたなく起きてきて食事をするのですが、一言もしゃべりません。わたしたちは、父の機嫌がなおるまでビクビクしながら黙って食事をしました。しーんとした食卓の雰囲気は今でも忘れられません。

気の強いはずの母は、父に対して決して口答えをせず、逆らいませんでした。もし、逆らったら家庭は崩壊していたでしょう。父は決して母にあやまりませんでした。
わたしはそんな父のことが大嫌いで、心底恐ろしく思っていました。

ところが、わたしは父の癇癪持ちを受け継いでしまいました。
小学4年生ぐらいまではいい子でなければ愛してもらえないと思い、いい子にふるまっていたのですが、5年生になるころ、いい子を演じ続けることができなくなって反抗しました。

そのときは気づかなかったのですが、怒りのぶつけかたが父とそっくりだったのです。
父とぶつかって大げんかをしたことは、数え切れないほどありました。

それでもわたしは、反抗しながらも父と母の愛を求めていました。無条件の愛を求めていたのだと思います。でも、いうことをきかなくなったわたしは、もう愛されていないのだと思い、孤独と悲しみの中で死を願ってもがいていました。
                       
                    つづく



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心の傷、回復への道(その1)

2012-05-25 16:51:38 | エッセイ
19日のブログにエッセイを紹介しましたが、もう少し掘り下げて書いてみました。HPに掲載しているエッセイ「アダルトチルドレンだったわたし」とも重複している部分があります。


かつてのわたしが、『なぜ存在していてもいいのか』などと考えたのでしょうか……

わたしは両親と祖母に愛されて育ちましたが、子どものころは、愛されてないと思っていたのです。

母はわたしを産む1年ほど前、第一子を生後5日で亡くしています。それが母にとってどれだけ哀しい出来事だったのか……結婚して子どもができるまでわたしには理解できませんでした。

明治28年生まれの祖母は、尋常小学校の教師でした。結婚して妊娠しても教師を続け、出産前日まで教壇に立っていたと聞きました。

共働きは、当時珍しかったと思います。3人の子どもを産んでも教師を続け、いちばん後に生まれた父が5歳のとき、夫(わたしにとっては祖父)が亡くなったそうです。祖父も教師で漢文の先生だったそうです。

それから、祖母は子どもたちを実家に預け、秋田で小学校教師を続けていました。転勤もあって、子どもたちと離れたところに住んで通勤していた時期もあったようです。

そんな頑張り屋でしっかり者の祖母でしたから、母に対してつらく当たったこともあったらしいです。

また、父は親戚の人が決めた人と婚約していて、婚約中に母と出会ったそうです。祖母の反対を押し切り、婚約を破棄して母と結婚したのですから、祖母にとって母は最初から好ましくない存在でした。

結婚してから30年間、姑が召されるまでずっと一緒に暮らしていた母です。当時は珍しい事ではありませんでしたが、父は無口で毎日帰りが遅かったので、かなりストレスがあったことでしょう。
また、祖母と母の間で争いがあっても、父はいつも母親(祖母)の味方で、母をフォローすることはなかったようです。

母の苦労を思うと、よく耐えてくれたと感謝の気持ちでいっぱいです。

わたしは生まれつき病弱であまり外に出なかったので幼稚園に入るまでは、同じ年ごろの子どもと遊んだことがありませんでした。

幼稚園に入ると、人見知りをして貝のように口を閉ざしてしまいました。家ではわがままで大声でさわいでいるのに外に一歩出ると何もしゃべれなくなってしまいます。

母はわたしが積極的になれるように幼稚園の友達を家に呼んでくれました。それでもわたしはほとんどしゃべらず、母が中に入ってわたしの代わりにしゃべっていました。わたしは母がしゃべってくれるからと安心してますます無口になっていきました。

小学生になると、授業参観のとき手を挙げるように母に言われました。手を挙げたらお小遣いあげると言われても、手を挙げられませんでした。家に帰ると母は怒りました。

先生や友達に必要なことも言えないでぐずぐずしているわたしを母はもどかしく思っていらいらしていました。そんな母をだんだん負担に感じるようになりました。でも、一方では母がいないと何もできません。わたしは自分で考えて行動したり、決断することのできない子どもになっていました。

母は「あんたは、何の取り柄もない。せめて器量がよければよかったのに」と言いました。わたしは、そんな母の言葉に深く傷つきながらも肯定し、劣等感が増していったのです。

母に逆らうと「わかったからもういい!」と言ってそれきり口をつぐんでしまうとき、見放された気がして不安でなりませんでした。「わかったって、なにがわかったの?」と聞くと「あんたがどんな子かわかったから、もう知らない」と言うのです。
そう言われると不安で、悪かったと思わなくても「ごめんなさい」と泣きながらくり返し言っていました。

「いうこときけば、かわいがってあげる」
条件付の愛を提示され、従わずにいられませんでした。

いまだに母にしかられる夢をみます。

母が過干渉でわたしのことを支配しようとしたのは、母にも鬱積した思いがあったからなのだと、今になって思います。
                           つづく



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金環日食見ました!

2012-05-21 20:41:56 | 日記
金環日食見ました! 朝早く起きて主人と娘と三人で桜川の土手まで行きました。もちろん日食グラスをひとつずつ携えて……。

近くのホームセンターの駐車場からでもじゅうぶん見えるのですが、木漏れ日を見たくて桜並木のところまで行ったのです。

グラスを通して太陽が三日月のように見えました。しばらくすると金の輪に……。

ピンホールカメラも作って持って行ったのですが、これはうまく写りませんでした。
道に写っている木漏れ日は……輪になっていました! 太陽は写真に撮れませんでしたが、輪になった木漏れ日を写すことができて感激です。

神様からたくさんの丸をいただいたようで嬉しくなりました。

日食のときは少し暗くなり、気温も下がったようでした。日食はほんの少しの時間で、またもとのようになるとわかっているので誰も不安にはならなかったと思います。

でも、考えたら不思議です。なぜ太陽と月が地球からほどよい距離にあるのでしょう……。太陽がもう少し地球に近かったら気温が上がってわたしたちは生きられません。逆に遠かったら寒過ぎでやはり生きられません。

また、地球をおおっているオゾン層がなければ、有害な紫外線を浴びて大変なことになってしまいます。
太陽と月と地球のバランスの良さ。生命が存在するのに適した地球の環境。これは偶然といえるでしょうか……。

この宇宙。地球、月、星、太陽を造られた神様は、わたしたちが地球で暮らすのに必要な条件をすべて備えてくださいました。大いなるものの意志で作られたこの世界。何て素晴らしい世界に生かされているのでしょう。

昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
あなたは月と太陽とを備えられました。(詩篇74:16)



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あなたは高価で尊い

2012-05-19 20:37:40 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
しなければならないことが山積みです。今月中にしなければならないことを書き出したら10項目以上にもなったので、優先順位をつけてやっています。

こんなにたくさんあって間に合うのだろうか……という不安も起きてきます。でも、今日のことだけできたら、その後のことはまだ心配しないようにとOBIで教えていただいたので気が楽になりました。
今日は気分転換に長めの散歩に出かけました。

5月5日のブログにJCPの課題文、「私と聖書の言葉」(800字エッセイ)を「存在価値が認められて」と題して紹介しました。あれから何度も推敲したら、ずいぶん違った文章になりましたので改めて紹介させていただきます。(題名も変えました)



あなたは高価で尊い
     
中学生のころ、わたしは自分が人間として劣っていると思っていました。クラスメイトにバカにされたり、嫌われることを極端に恐れて、自分の意見を言ったり感情を表したりすることがありませんでした。ですから非常に無口で、最も目立たない生徒でした。
 
なぜそれほどまでに劣等感が強く、すべてのことについて自信がなかったのかわかりません。人間失格のように思っていたわたしは、こんな自分が存在していていいのだろうか……と思い悩んでいました。

高校生になってから、自分を変えようと努力して積極的にふるまいました。でも、努力ではどうにもなないことが多く、自分の存在価値について疑問を抱いたままでした。

大人になっても、人からほんの少し批難されただけで人格のすべてを否定されたように思い、何日も食事がのどに通らないほど落ち込んでいました。

そんなわたしが自分の意見をはっきり言えるようになり、人前で感情を表せるようになったのは、聖書の言葉に出会って、自分の存在価値が認められていることがわかったからです。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ四十三:4)』このみ言葉がわたしを根底から変えてくれました。

「神様、わたしを高価で尊いと言って下さるのですか。愛していると言ってくださるのですか。こんなに欠点だらけなのに……」
わたしは泣きながら神様に尋ねました。

「そのままでいいんだよ。わたしの目には、あなたはどんな宝石より高価でかけがえのない存在なのだ」と神様は言って下さいました。

 存在価値が認められて、自分が生きていていいことがわかり、心から安堵しました。人にどう思われようと気にならなくなりました。

天地万物を造られた方が、このわたしを無条件で愛して下さっているのですから。


かつてのわたしが、なぜ存在していてもいいのかなどと考えたのか……については色々思い当たる節があります。それについては別の機会に書かせていただきます。



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眠れなくても心配しないで

2012-05-16 21:06:10 | 日記
日曜夕方から実家に行っていました。月曜日に埼玉の知人のお見舞いに行くため、前日から出かけたのですが、ちょうど母の日だったのでプレゼントを携えて行きました。
いつも実家に行くと1泊で帰るのですが、今回は2泊しました。

火曜日の朝、母は何だか元気がありません。わけを聞くと「夕べは一睡もできなかった」と言います。
特に理由はないけれど、最近こういうことがときどきあると言うのです。早朝覚醒して困るということは聞いていましたが、一睡もできないことが頻繁にあるとは……。

82歳になる母は、週に5回フィットネスクラブに通い、3か月に一度友人たちと旅行を楽しみ、風邪もひかず、わたしよりよほど元気なのですが、睡眠障害という悩みを抱えていたのでした。
母の性格からして、悩み事があったとしても言わないので、聞き出すことはしませんでした。

かつてわたしも夜眠れずにつらい思いをしたことがありました。
「平安の内に私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。(詩篇4:8)」という聖書の言葉を思い出したので、母に詩篇を読んで聞かせました。母は今までになく真剣に聞いてくれました。

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。(詩篇139:13)」

「人間はみんな母親のお腹から生まれるのだけど、神様によって形造られたの。神様はわたしたちのことを胎児のときから見て下さり、いつくしみ、いつも一緒にいて守って下さるの。必要なことが何かご存じで、それを与えて下さるの。眠れなくても必要な睡眠はあとで必ず与えていただけるから、心配することないよ」と言って最後にイザヤ書を読みました。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ 46:4)」

母は毎週図書館で何冊も時代小説を借りてきて熱心に読んでいます。
「図書館の本を読むのもいいけど、聖書も読んでみて」と言うと、「図書館に聖書あるかしら?」と尋ねます。

実家用に一冊聖書を置いていたので、「図書館で借りなくても、この聖書を読むといいよ。」と言うと、「心配な時に読むといいページがあったら、付箋はさんでおいて」と言うではありませんか。

今まで、母は聖書に興味を示したことがいちどもなかったのに……。わたしは数箇所に付箋をはさみ、母のために祈りました。

写真は息子のお嫁さんからもらったカーネーションです。


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「悪魔の手紙」から

2012-05-11 21:16:28 | 聖書から
昨日は我が家での家庭集会でしたが、午後から雲行きがあやしくなってきたので皆さん早く帰りました。

そのあとしばらくしてひどい雷雨。「雨が降る前に家に着いたよ」とメンバーのひとりから電話がかかってきてほっとしました。

家庭集会の学びは、ナルニアの作者、CSルイスの「悪魔の手紙」からでした。以前読んだことがあったのですが、すっかり内容を忘れていました。

年老いた悪魔のスクルーテイプが、甥の新人悪魔ワームウッドへ送った手紙の形式をとっている小説です。第一信の内容は、人間をクリスチャンにさせないようにするための助言です。つまり、クリスチャンとは逆の立場からみているわけです。

最初は意味がわからなくて混乱しましたが、小説として読むとおもしろく、的を得ていることがたくさん書かれています。

小説の中では、悪魔の担当する人間を『患者』呼び、イエスキリストのことを『敵』と呼んでいます。

悪魔は「論証は困る」と書いています。論じることによって、理性が目を覚ますからで、理性が目を覚ますと、神を知ることになるからです。

ベンハーの作者ルー・ウォーレスは、神はいないと論証しようとしているうちにクリスチャンになったそうです。

また、「「真の」とはどういう意味か問わせないようにしなさい。」と書かれています。
真理がどうか問わせると、神に行きついてしまうからだそうです。

悪魔というと、見るからに恐ろしい姿をし、ものすごい力を持っていると考えがちです。わたしも、以前は悪魔が恐ろしくてなりませんでした。

でも、実際悪魔は、恐ろしい顔をして出てくるのではなく、親しみをこめて何でも共感してくれる親しい友のような顔をして現れます。そして、「祈ったってしょうがないよ」「あきらめることだね」「聖書読むよりほかのことしたほうが楽しいよ」などと心の中にささやいて誘惑をしかけてくるのです。

わたしは創作活動をしていると「こんな小説書いたって誰も読んでくれないよ。時間の無駄だ」という声がよく聞こえてきます。

でも、悪魔の力が強いといっても、神様の力には勝てません。悪魔は神様の許される範囲でしか行動できないからです。

悪魔の手紙の中で『祈りの言葉や神さまの応答については、悪魔は知ることができない。』と書かれていたのは興味深いことです。

神様に祈り、神様が応答して下さるとき、その中に悪魔は入って来ることができないのです。

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。(エペソ6:11)」

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ6:18)」


18節の中で「祈り」という言葉3回も書かれているところに注目させられました。祈りこそ悪魔の入るすきを与えない強力な武器なのですね。


追記:日本クリスチャンペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。




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大荒れだった日曜日

2012-05-08 20:37:56 | 教会
いたましい交通事故や自然災害が続いています。
一昨日の日曜日は、土浦市でものすごい風が吹きました。ちょうど第3礼拝の半ば過ぎごろ(12時過ぎ)からブラインドがカタカタ鳴り始め、窓から外を見ると木々がなぎ倒されそうに揺れていました。

午後からは突風落雷の恐れありと聞いていたので、礼拝後急いで帰るしたくをしました。自転車に乗るのは怖いので、押して歩いていましたが、風が強くてあおられそうになりました。特に桜川に架かる橋は突風が吹き荒れ、道路側に倒れれば車にひかれてしまいます。

引き返そうかとも思いましたが、とにかく川を渡らなければ家に着かないので、足をふんばりながら一歩ずつそろそろ橋を渡りました。橋を渡るのにこんなに恐ろしかったことはありません。
「イエス様、助けてください」と心の中で何度も叫びました。

隣のつくば市で竜巻が発生したのは、ちょうどそのころの時間だったようです。もしこちらに竜巻がやってきたら、自転車ごと巻き上げられていたかもしれません。

無事家に着いて、主人に外の様子を伝えると、「教会に自転車を置いてくればよかったのに」と言われました。そうですね。全く思いつきませんでした。夕方にはパラパラと雹が降りました。

竜巻は主人の会社もかすめたようで、一部の建物の窓が割れていたそうです。

礼拝ではルカ13:1-9の箇所からメッセージを聞きました。一部紹介させていただきます。(青字は牧師先生の言葉。緑字は聖書の言葉、茶色字はわたしの感想です)


ルカ13:6-9にはいちじくのたとえ話が書かれています。
ぶどう園の主人がいちじくを植えました。しかし3年経っても実がみのりません。実らないなら切り倒してしまおうと言うと、ぶどう園の番人が「ご主人、どうか、ことし一年そのままにしてやってください。」といって切り倒すのを待ってほしいと願いました。

『実をみのらせない木は切り倒してしまう』というのは、結果を出さない者は切り捨ててしまえという意味として受け取らないようにしてほしいです。
現実の社会においては、仕事で実績のない者は切り捨てられることが多いです。でも、このたとえ話は、実績がないからと言って切り捨ててしまうような冷たいことではいけませんと道徳的に教えているわけではないのです。

いちじくのたとえ話が書かれている前(ルカ13章1-6)には、当時起こった痛ましい事件のことが書かれています。神殿で礼拝を捧げているガリラヤ人をピラトが虐殺し、その血を彼らがささげていたいけにえの血と混ぜた(このことは、神への冒涜になります)という残虐な事件です。

もうひとつは、エルサレム神殿近くに立っていたシロアムの塔が倒れて通りかかった18人が死んだという事件です。


当時は、殺されたガリラヤ人やシロアムの塔の下敷きになって死んだ人は、よほど罪深かったからあんな目にあったのだと思う人がいたようです。

(現代でもそのように考える人はいますね)しかし、決してそうではないのです。

よく「バチが当たった」と言うことがありますね。でも、災害でや不慮の事故で亡くなられた方は、その人の罪のせいでは決してないということ。神様はバチを当てるお方ではないことを銘記しておきます。


イエス様は、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と言われました。

いちじくのたとえ話で、〈実を結ばないから切り倒される〉というのは、〈悔い改めないから滅ぼされる〉〈とりなされなければ滅ぼされる〉ということです。

悔い改めるとは、心を入れ替えてまっとうな生活をするという意味ではなく、イエス様にとりなしていただかなければ生きられない者だというところに帰っていくことです。
このたとえ話は、番人のとりなしで終わっています。番人が一生懸命とりなしていることに注目してください。

わたしは、自分が実をみのらせていないいちじくの木のように思います。何の役にもたたず、切り倒されても仕方ない者です。でもイエス様がもう少し待ってくださいととりなしてくださっています。だからこうしていられるのです。とりなされなければ生きられないわたしです。
そのことを改めて気づかされ、とりなしてくださっているイエス様に感謝しました。




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存在価値が認められて

2012-05-05 20:32:06 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
3日は大雨でしたが、息子一家と車で大洗水族館に行ってきました。GW中の息子の休みが3日と6日だけだというので、3日に出かけることにしました。

水族館はとても混んでいてゆっくり見学できませんでした。イルカショーも一時間以上並ばないと見ることができないと言われて、並ぶのをあきらめました。(下の水槽で水中でのようすを見ることができてよかったです)

キッズコーナーに行くと、ヒックンは喜んで遊具に登って遊び始めました。このようなキッズランドにひとりで入れるようになったのはつい最近のことです。

帰りに「何が楽しかった?」と聞くと、「キッズランド!」水族館よりイオンに行った方がよかったのかな?……。


日本クリスチャン・ペンクラブで「私と聖書の言葉」の800字エッセイを書く課題が出ています。今日になってやっと書き始めました。
下書きを紹介します。このあと20回ぐらい推敲するので、出来上がりの文章はだいぶ違ったものになりますが、テーマは同じです。


存在価値が認められて


○常に何かを心配し緊張している。
○社会人としての資格が不十分で劣っていると思っている。
○バカにされたり拒否されたりするのが恐ろしくて友人にも遠慮する。
○傷つくことを恐れて生活の場を狭めたりして異常なほどに引っ込み思案になる。

これらは回避性人格障害の特徴なのだそうです。これを読んで、すべてが中学生のころのわたしに当てはまっていると思いました。2番目は、社会人ではなく人間としての資格ですが……。

わたしは非常に劣等感が強く、人間失格のように思っていました。存在理由がわからず、生きる価値がないと思っていました。

なぜ自分が劣っていると思ったのかわかりません。すべてに自信がなく、何をやってもだめだと思い込んでいました。

友達にバカにされたり、嫌われることを恐れて、自分の意見や考えを言うことができませんでした。授業中の手を挙げての発言など、もってのほかです。そんなことするくらいなら死んだ方がましと思っていたほどですから、相当の引っ込み思案です。

高校生になってからは、自分を変えようと努力して積極的にふるまっていました。でも、自分の存在について疑問を抱いたままでした。

大人になっても、誰かからほんの少し批難されただけで人格のすべてを否定されたように思い、何日も食事がのどに通らないほど落ち込んでいました。

そんなわたしが根底から変えられたのは、『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)』という聖書の言葉でした。

天地万物を造られた神様は、わたしたち人間のことも造って下さいました。造っただけではなく、母親の胎の中にいるときから愛を注いで下さいました。神様は片時も目を離すことなくご覧になり、育み、導いてくださいました。その神様がわたしのことを高価で尊いと言い、大切に思って下さるのです。

立派に生きられなくても、欠点があっても、存在そのものが尊いと言って下さる神様。
そのままでいいと言って下さる神様。

存在価値が認められて、自分が生きていていいのだとわかって、心から安堵しました。
人を恐れず、自分の意見が言えるようになったのは、この聖書の言葉に出会ったからです。



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鎌倉古道を歩く

2012-05-02 09:29:57 | 日記
一昨日、以前から行きたいと思っていた鎌倉へ主人と行ってきました

鎌倉といっても名所旧跡を訪ねるのではなく、古道を歩くために出かけました。一年ほど前から書いている長編児童小説に鎌倉への道を歩くシーンがあって、想像だけでは書けないので実際に行って歩いてみたいと思っていたのです。

わたしはものすごく方向音痴なので、主人につきあってもらいました。主人はウオーキングナビを持って行ったのですが、肝心なときに作動しなくて活躍の場なしでした。携帯のナビ機能はあるのですが、2人とも使い方がわかりません……。

土浦駅を朝8時43分に出発して鎌倉に着いたのは11時半でした。やはり連休中とあって、ものすごい人でした。バスに乗ると、バスの横を人がぞろぞろ歩いているのが見えます。道路も混んでおり、バスの早さは歩く人並みです。車窓から見えるツツジが満開できれいでした。

十二所入口でバスを降り、朝比奈切通しに入りました。駅付近ではあれだけの人がいたのに、人影もまばらになってきました。



最初は緩やかな上り坂で、楽勝! と思って歩いていましたが、だんだん坂がきつくなって息があがってきます。


地下水が地面の浅いところを流れているそうで、地下水がしみだして道はぬかるんでいました。

すべらないように気を使いながら歩くのはけっこう疲れます。展望台があるという十二所果樹園に行くつもりでしたが、回り道をしたら歩けなくなるかもしれないと思い、道なりに進みました。

新緑がまぶしいぐらいでした。鶯の声のほかは自分の足音しか聞こえません。しばらくは誰とも出会わず、ここで日が暮れたら怖いなあと思いました。

朝比奈切通しは、伝説では和田義盛の三男で強力無双といわれた朝比奈三郎が一夜で切り開いたことになっています。でも、実際は、北条泰時が自ら陣頭指揮に当たり工事を行ったそうです。鎌倉幕府は、軍事的・経済的にこの道を重要視したそうです。よくその時代に作ったものだと感心します。




道の両側は岩壁になっていて、岩壁に開けられた四角い穴に「道造供養塔」と刻まれた石碑が納められていました。道の脇にも石碑が並び、この朝比奈切通を作るのに多くの犠牲者があったのだなあと思いました。


源頼朝に命ぜられた梶原景時が千葉上総介広常を討った際、刀を洗ったという川だそうです。


写真は岩壁に刻まれたレリーフのような磨崖仏。

800年ほど前にタイムスリップしたような気になっていると突然上の方から車の音が聞こえてきて現実に引き戻されました。見ると前方に高速道路が走っていました。

一時間半ぐらい歩いて、次は海を臨む景色を見るために衣笠山に行こうとしました。ところが、バスを乗り間違えて金沢八景まで行ってしまい、再び鎌倉に戻ってバスに乗ると、今度は降り間違えてしまいました。

4時半をまわってしまったので、あきらめて帰途につきました。やはり一日では無理があったようです。また、近いうちに行きたいなあと思っています。主人は「つまらなかった。もう行きたくない」ですって。でも、文句一つ言わずつきあってくれて感謝!




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