生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

北海道旅行 前書き

2019-06-29 17:58:40 | 家族
6月24日~27日に夫と北海道旅行しました。行先は日本北端の宗谷岬と稚内、札幌と函館です。

夫が旅行社に行ってスケジュールをたててきたのは、一か月前でした。

ちょうど孫のソウクンが来ていて、一緒に旅行社に連れていきました。すぐあきてしまったので、旅行のことは夫に任せて、子供の遊び場のあるイオンの3階に連れて行きました。わたしはソウクンのベビーカーを押しながら、行けるのかなあ……と不安な気持ちでいっぱいでした。体調が悪かったからです。

宗谷岬と聞いても何の興味もわきませんでした。キャンセルするなら料金がかからないうちにねと消極的でした。
函館の夜景を見ようと言われると、夜はホテルでゆっくりしたいのに……と思いました。

ところが日にちが近づくにつれ、行きたいという思いが募り、体調が回復するように祈りました。
神様は祈りに応えてくださいました。

                つづく

写真取り替えました。(7月1日14時16分)

三浦綾子の生き方

2019-06-17 16:22:20 | 教会
15日土曜日は教会でのティータイムでした。

講師は三浦綾子の初代秘書、宮嶋裕子さんです。宮嶋裕子さんは土浦めぐみ教会に転入されて毎週礼拝に出ておられます。

わたしは三浦綾子さんの本を読んだことがきっかけでキリストを信じるようになったので、三浦綾子さんの近くにいて生活を共にされた宮嶋さんの話をどうしても聞きたいと思いました。

ところが15日~16日はTEENSのお泊り会になっていました。場所は同じ教会内です。担当の牧師先生に相談すると、ティータイムの間、抜けてもいいと言われたので、そうさせていただきました。その代わり、16日は朝6時に教会に行って朝ごはんの準備をすることにしました。

15日は横殴りの雨が降っていました。家の中から見ると、たいしたことないような気がして、昼過ぎに出かけました。お泊り会朝食の荷物が重かったので、キャリーカートに積んで右手で引き、左手には傘をさして出かけました。風に何度も傘を持っていかれそうになって必死につかんで橋を渡りました。ウインドブレーカーは着ていましたが、スカートと靴下はびしょ濡れです。

ちょっとみじめな気持ちになってティータイム会場に行くと、土砂降りの雨などなんのその……大勢の方が宮嶋氏のお話を期待して待っていました。


宮嶋さんのお話の一部を紹介させていただきます。

三浦綾子さんは、西村久蔵さんに「出会った人は皆あなたの責任範囲なのですよ」と言われ、ひとりひとりを大切にして生きる決心をされたそうです。

脊椎カリエスで寝たきりの状態になっていても、出会った人にハガキを書き、神の愛を伝えました。ハガキを書くと疲れて3日間は何もできなくなってしまうのに……。いのちがけで神の愛を伝えていました。

突然、自殺願望のある人が家を訪ねてきたとき、綾子さんは、足袋履きで玄関から出てきて抱きしめたそうです。ひとりひとりを愛することを実行されていました。

綾子さんも夫の光世さんも身体が弱かったのですが、綾子さんは「病気になって治るだけなら意味がない。神様から与えられた病を喜べるようにしてください」と言い、光世さんは「弱い体にしてくれてありがとう」と神様に感謝しています。

それを聞いてわたしは衝撃を受けました。以前三浦綾子の本で読んでいたのですが忘れていました。

体調が悪かったとき、そのことを感謝していませんでした。喜ぶどころか早く治してくださいと祈っていました。具合が悪くなったのも意味があることだったのですね。

健康であることがプラスで病気がマイナスだと考えがちですが、マイナスとマイナスをかけるとプラスになることを思えば、明るい気持ちになれますね。

綾子さんはたくさんの病を得ましたが、癌になったときは次のように言ったのです。
「神様にとって、風邪を治すことと癌を治すことは同じです」

綾子さんは「氷点」入選で一躍有名な作家になりましたが、最後までブレませんでした。それは、毎朝欠かさずに光世氏と共にデボーション(聖書を読み、祈る)をしていたからです。
大切なことを教えていただいて心から感謝しました


そして、16日は早朝に起きて教会へ行き、25人分の朝食のしたくができたのでした。


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例外はない

2019-06-05 16:48:13 | 日記
孫たちが帰って、ほっと一息つきました。
娘から「ソウクンは新しいおもちゃに囲まれて機嫌がいいです」とメールが届いたので、またおもちゃを買ったの? とあきれていると、「家にあったおもちゃを出したら、覚えていなかったようです」と追伸が届きました。

3か月もじいちゃん、ばあちゃんの家で暮らしていたのだから、それ以前のこと(もの)は、忘れて当然ですね。まだ2歳にもなっていないのですから。
ということは、おじいちゃんやわたしのことを忘れてしまうかも……。
わたしのことを「こちゃーん」(ゆこちゃんの「ゆ」はまだ言えない)と呼んでくれるようになったのに……。そして、帰る1週間ぐらい前から「おとうしゃん」「おかあしゃん」と言えるようになっていました。
あ、また孫のことを書いてしまいました。

わたしは、新聞を読むとき、いちばんに読むのは「こどもの詩」です。(読売新聞)
幼児から中学生までの投稿作品が掲載されています。
はっと胸を突く詩もあれば、ケラケラ笑い出してしまう作品もあり、とてもおもしろいです。

2、3週間前だったか自分のホクロについて書かれている詩があって、強く心に残っています。
インターネットで探してみましたが見つかりません。もっとも「こどもの詩」をブログに書くのは著作権違法になってしまうそうです。

自分にはホクロがあっていやだったけど、お父さんとお母さんが神様にたのんでつけてもらった。ホクロはわたしという印。という内容です。
すばらしいという評があり、自分の子が褒められたようにうれしくなりました。

わたしは5年生のとき、自分の顔に無数にあるそばかすが、いやでいやでたまりませんでした。「そばかすがあるのは美人の証拠」「そばかすは色白の人に多いんだ」と両親に言われても納得できませんでした。

中学一年のとき「赤毛のアン」を読んで、そばかすがあってもこんなに生き生きと明るく過ごすことができるのだと知り、そばかすがいやではなくなりました。でも、ホクロの詩を書いた子どもは、ホクロを受け入れているだけでなく、喜んでいます。ホクロのある自分の存在を喜んでいます。

自己価値が低い子どもが多い中ですばらしいことです。ご両親の価値観が反映しているように思います。

聖書には「あなたの存在は高価で尊い」と書かれています。すべての人の存在が尊いのです。例外はありません。



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