生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ヒックンの誕生日

2009-03-31 15:17:32 | 日記
 
今日はヒックンの2歳の誕生日です。ヒックンは息子の子ども、つまり孫です。ついこの間生まれたと思ったら、あっという間に大きくなりました。家の中を走りまわり、覚えたての単語を使っておしゃべりしています。2語文、3語文が言えるようになっているので会うたびにびっくりします。「こわい」とか「冷たい」など感情、感覚を表す言葉も適切に使っています。「ゆこちゃん」(わたしのこと)とようやくスムーズに言えるようになりました。

 
子どもの言語能力はすごいと思いました。意味はわからなくても大人の口まねをしています。最初はちゃんと発音できなくても、だんだん言えるようになります。

「ごちそうさまでした」は最初「ター」でした。ママが「ヒックン、省略しすぎだよ」と笑っていました。
次は「ごちそう、アイ」になりました。アイというのは何のことなのかわかりませんが……。そして、ついに「ごちそうさまでした」が言えるようになりました。

「ママ」は一番初めに覚えた言葉です。「ママ」って、いい言葉ですね。赤ちゃんはママが世界のすべてです。半年くらいまでの赤ちゃんは、自分と母親が別の人間だということに気づいていないということを聞いたことがあります。

ちょうど一年前、1歳でヒックンは保育園に預けられましたが、最初はママと離れて子どもなりにつらかったのでは?と思います。今はすっかり慣れて、保育園の人気者らしいですが……。

同じ音を繰り返す言葉に赤ちゃんは特別な反応をするそうです。
そういえば、ヒックンは擬音語の入っている歌が好きで、1歳過ぎからCDを聴いて「アイアイ」「ピピピピチチチチ」と歌っていました。今はさかんに「ピーポーピーポー(救急車の音)」「ポッポー(機関車トーマス)」「ブッブー(自動車)」と言いながらミニカーで遊んでいます。

言葉を与えて下さった神様に感謝です。言葉を覚えるのが楽しくて、生き生きしている乳幼児時代の喜びを忘れないでほしいです。

誕生ケーキを焼きました。低脂肪生クリームをホイップしたら、泡立ったもののやわらかすぎてうまくデコレーションできませんでした。おいしければ、いいかしら……もうすぐ、ヒックンが来ます。

イエス様の涙

2009-03-28 16:37:52 | 聖書から
 
寒のもどりで今日も寒いです。土浦、桜川土手の桜は今にも咲きそうです。あともう一息春風が吹いてくれたら・・・待ち遠しいです。

今日はマンションの理事会でした。いつもは主人が出席するのですが、主人が出勤日なのでわたしが代理で参加しました。暖房のないエントランスホールで一時間半椅子に座っていたら、足が凍りつきそうになりました。

 
先日、祈祷会の学びでイエス様が涙を流された理由を考える機会が与えられました。

カペナウムの町にイエス様が親しくしておられたマルタ、マリヤ、ラザロの姉弟(ラザロは弟ではなく兄かもしれませんが……)がいました。ラザロが病気になって死にかけたとき、マルタとマリヤはイエス様を呼びに使いを送ったのですが、イエス様が来られる前にラザロは死んでしまいます。

ラザロが死んで4日後、イエス様がカペナウムに来られます。マルタはイエス様を迎え出て 「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:21)と言い、マリヤは迎え出ることもせずに悲しんでいます。

マルタとマリヤ、ともにいたユダヤ人たちがラザロの死を悼んで泣いていたときのこと、 
「イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)」
と聖書に書かれています。それは、聖書の中で最も短い節です。また、イエス様が涙を流されたと書かれているのはその箇所だけです。

イエス様は、その後ラザロを墓からよみがえらせてくださいます。

「なぜイエスは涙を流されたのでしょう?」という質問がありました。

この質問は、何年か前の家庭集会でもありました。わたしは、最初、イエス様は死んでしまったラザロと、それを悲しむマルタとマリヤがかわいそうで涙を流されたのだと直感的に思いました。
でも、「そのあとすぐイエス様はラザロをよみがえらせるのだから、かわいそうと思うはずがない」という意見を聞いて、それもそうだけど……と納得のいかないままになっていました。

祈祷会でもいろいろな意見が出ました。「霊の憤りを覚え(33節)」と書かれているから、その場にいる人々の不信仰に怒ったのだ。これは怒りの涙だと言った人もいました。死が終わりだと思っている人々を哀れんでという意見もありました。

「聖書にはイエス様が涙を流されたことが書かれているのはこの箇所しかありませんが、実際は何度も泣いておられたのでは? このときは特別激しく泣かれたので、弟子たちの印象に残ったから筆記されたのではないでしょうか」と牧師先生が言われました。

 「イエス様は、人の悲しみや痛みに同情されないお方ではありません。ラザロのこと、マルタ、マリヤの悲しみに同調されて涙を流されたとも考えられます」
と聞いて、慰められました。
本当のところはイエス様に聞いてみないとわからないのでしょうけれど、わたしはやっぱりこのときイエス様は、悲しくて泣いたのだと思います。

最近、イエス様がすごく近くに感じられます。なぜだろうと思ったら、腕の関節に痛みがあるからでした。痛みのところにイエス様がいてくださる。共に痛み、涙を流してくださるからだと思えました。

10年ぐらい前、聖書を舞台に童話を書いているとき、「イエス様の目は何色ですか?」とS牧師に尋ねたことがありました。民族学的に考えて何色ですか?という意味で聞いたのですが、S牧師は少し考えてから、 「イエス様の目は涙色」と答えてくださいました。

いっさいの苦しみ、痛みを引き受けてくださったイエス様の目は、きっと涙色なのでしょうね。



いじめにあって悩んでいる人へ

2009-03-26 11:20:06 | エッセイ
 
一昨日はクリスチャン・ペンクラブの例会に行ってきました。帰りに三鷹の実家に寄り、母と久し振りにゆっくりおしゃべりしてきました。


先日連載した童話 「チャメとグレイ」はいじめの問題を扱ったものです。それに関連して書かせていただきました。

 
最近のいじめは、何の理由もなくいじめのターゲットにされる場合が多いそうです。つまり、だれにでもいじめの標的にされる可能性があり、今日いじめていた人が明日にはいじめられる側になることがあるのです。

個性的な人や少数派は、いじめのターゲットにされやすいということで、意識的に目立たないようにしたり、本当は違うと思っていても大勢の人が唱える意見に合わせてしまったりすることがあります。

学校などでは何かを決定するとき、よく多数決で決めます。そのこと自体は問題ないのでしょうが、大勢の人が正しいと思っている方が真理とは限らないこと。少数の意見が真理ということもあると知ってほしいです。

集団でいじめると、罪悪感をおぼえなくなります。ひとりだったらとてもできないことを集団だとしてしまいます。そして、いじめはどんどんエスカレートしていきます。いじめている人の中には、次は自分がターゲットになるのではないかと恐れている人もいるでしょう。
とくに思春期にさしかかる小学校高学年から中学生にかけてのいじめは、深刻な問題になっています。

ずっといじめにあってきたA子さんは、「この世界からいじめを一掃したい」と言っていました。わたしもそれを願いますが、いじめをなくすことはとても難しいです。人間の心の奥底には醜い思いが潜んでいるからです。

人のことを妬む思い、他者と比較して自分を優位なところに置いて安心したいという思い、憎しみなどがいじめをする者の心にあります。それは、潜在的には誰もが持っている思いかもしれません。

自分は何者であるか…… 『神様に愛される者、生きる価値ある尊い者である』(このことは、例外なく、すべての人にあてはまります)という自己認識を持つことが、いじめられてもつぶれてしまわない方法です。


以下は今、いじめにあって苦しみ、死を願っている人へのメッセージです。
 
たとい誰かから「人間じゃない」、「死ね」とか「消えろ」と言われても、その言葉であなたの価値がなくなるわけではありません。あなたがお母さんのおなかの中にいるときからあなたのことを知り、愛し、尊いと言って下さるお方がおられるのですから、誰が何と言おうともあなたは価値のある人間です。だから、死んではいけないのです。

神様はひとりひとりを個性ある者として造られました。そしてひとりひとり異なる才能を与えてくださいました。何の才能もない人はいません。隠れた才能に気づいてないだけです。ダメ人間などいません。人と比較してはいけません。神様はそのままのあなたを価値ある者としてくださっています。

いじめが続いてどうしてもつらいとき、大人の誰かにいじめられていることを話して下さい。
心配かけるから親にだけは話したくないと思っている人がいたとしても、ご両親は子どもが困り、苦しんでいるのならそれを知りたいと思っているのです。
どうしてもご両親に話せなければ、信頼できる大人に話して下さい。「いじめられるのは、いじめられる君にも原因があるんだ」なんていう人はダメです。ちゃんと親身になって聞いてくれる人に話して下さい。

どんなに絶望的に思えても、必ず解決の糸口がみつかります。誰かに話すことによってさらにいじめられることを恐れないでください。ひとりで悩まないでください。

苦しんでいるのは、あなたひとりではないことを覚えて下さい。あなたと一緒に涙を流して下さる方がおられることを知って下さい。あなたは、かけがえのない人です。あなたは愛されています。
空一面が雲におおわれていても、雲の上には太陽があるように、神様のあなたへの愛は変わりません。必ずこの辛い日々が終わり、トンネルから出られる日が来ますから、どうか生きぬいてください。


2008年11月18日の記事いじめにあわない方法もあわせてお読みください

チャメとグレイ(あと書き)

2009-03-22 17:26:38 | 童話
 
いつも童話を連載すると、アクセス数が減るのですが、今回は“いじめをテーマにしている童話です”と書いたせいでしょうか、驚くほどたくさんの方がアクセスしてくださいました。読んでんで下さった方、ありがとうございます。

童話「チャメとグレイ」では、チャメは足が短いことで、グレイは耳が短いことで、いじめられます。チャメは深く傷つき、自分はダメウサギだと思い込んでしまいます。

グレイも傷つき、落ち込んでウサギ丘を出ていくのですが、再びウサギ丘に戻ってきた時は、いじめられても毅然とした態度をとることができるようになっています。

グレイは「ウサギじゃないんだろう」と言われたとき、たとい耳が短くても「れっきとしたウサギだ」と言いきることができました。
なぜグレイが堂々としていられたのでしょう? それは、人間のおじいさん(ノア)と出会ったからです。尊いウサギだと言われたからです。

聖書には 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)」と書かれています。

創造者である神様が、あなたのことを 「高価で尊い。愛していると」言っておられるのです。

もうひとつ、グレイのセリフに注目して下さい。「チャメとグレイ(その3)」の最後から8行目、
 「弱くたっていいんだよ。弱いものこそ大切だっておじいさんがいってたよ」というセリフです。

これはわたしの好きな聖句のひとつ
 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリントⅡ 12:9)」
の言葉からきています。これは使徒パウロが書いたものです。

以前わたしは、弱いことは恥だとか、それが悪いことのように思っていました。実際、体が弱く、気も弱かったので、自分は人間としての価値がないように感じていました。弱いことを人に悟られたくなくて、虚勢を張って生きていました。病気(喘息)持ちだということは、ひた隠しにしていました。

パウロも持病を持っていたようです。そのトゲを去らせて下さいと神様に願いました。でも、神様はその願いをかなえることはせず、 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。

 『弱さを誇りましょう』などという人がいるとは夢にも思いませんでした。でも、パウロは大いに喜んで自分の弱さを誇っているのです。そのようなことができる理由は、神様の恵みが弱さのうちに完全に現れるからなのです。

わたしは、このことを知ってから弱さを隠さなくなりました。虚勢を張って生きるのは疲れますが、弱さを隠さず、ありのままの姿で生きることで平安が与えられました。

チャメもこのグレイの言葉を聞いて、劣等感から解放され、弱さを隠さなくなったことでしょう。

童話に興味のある方は、チーターパシュルと虹もお読みください。背景付きでHP生かされて・・・土筆文香にアップしています。



チャメとグレイ(その3)最終回

2009-03-20 09:30:13 | 童話

ところが、次の日もその次の日もグレイは川向こうに出かけていって、草をくわえてもどってきました。1日に何度も往復して、グレイは疲れているようすです。どんどんやせていくグレイをみてチャメはだんだん不安になってきました。

「グレイ、草食べてるの? わたしはもういいから、あなたが食べてよ」
「だいじょうぶ、ぼくはちゃんと食べてるから」
グレイはひげをプルルとふるわせました。

ある日、朝早く草を取りに出かけたグレイがなかなかもどってきません。
チャメは心配で丘をのぼったり、おりたりしていました。夕方になってグレイはやっともどってきました。ふらふらとした足取りでチャメのところまでくると、草を置いてばったりと倒れてしまいました。

「遅くなってごめん。川向こうの草は羊に食べられちゃって、ずっと遠くまでいかないと草がなかったんだ」
チャメはぺしゃんこなグレイのおなかをみてびっくりしました。
「グレイ、あなた、ずっと何も食べてないんでしょ。わたしにばかり草を運んで……」
チャメの目からポトリと涙が落ちました。

「草を食べると眠くなって、チャメのところへ草を運べなくなっちゃうから……食べなかったんだ」
「バカね。このままじゃグレイが飢えて死んじゃうじゃない」
「チャメ、ごめん。これじゃ明日草を取りにいけないかもしれない……」
チャメはグレイの持ってきた草を口に入れると、かみくだいてグレイの口に移し入れました。それを最後に食べるものが何もなくなってしまいました。

それから3日間2羽は体を寄せ合って丘の上に寝ころんでいました。しゃべる元気もなく、1日中うつらうつら眠って、おいしい草をほおばる夢ばかりみていました。

(六)思わぬ出来事

「このまま死んでしまうのね」
ふと目覚めて、チャメがつぶやきました。
「ぼくらは死なない。きっと助かる」
グレイは前足をチャメの前足の上に重ねました。

そのとき、チャメの耳に地響きが聞こえてきました。ズーンと腹の底に響くような不気味な音です。
「グレイ、地面から何か音がする」
「えっ、何の音? ぼくには聞こえないけど……。とにかく、丘をおりよう」

2羽は力をふりしぼってよろよろ丘をおりていくと、グラグラと大地がゆれました。2羽はころがるようにふもとに着いてふりかえると、地面がぱっくりと割れるのがみえました。

「あの木の下まで逃げよう」
グレイはふもとに生えている樫の木にチャメを導きました。木の根元近くに、2羽のウサギが入れるような穴があいていました。チャメとグレイは木のうろに入って身を寄せました。

ゴゴーと地鳴りがしてものすごいゆれがおそってきました。2羽がかくれた木はユサユサと大きく幹がしなりましたが、倒れることはありませんでした。
しばらくしてあたりが静まり返ると、おしそうなにおいがしているのに気づきました。みると、穴の中に緑のこけがびっしりと生えていました。チャメとグレイはやわらかいこけを夢中で食べました。こけは弱っていた2羽の体を元気にしてくれました。

おなかがいっぱいになって、2羽が外に出てみると、パーッと日の光が目にとびこんできました。チャメとグレイはまぶしくて目をシパシパさせました。目が慣れてくると、青空が大きく広がり、いつもと違う広々とした大地がみえました。みなれた丘がありません。丘がくずれてなくなっていたのです。丘の向こうにあったはずの川は土砂でせき止められています。

「やったー! チャメ、これで川向こうにいけるよ!」
グレイがさけびました。

(七)川をこえて

チャメとグレイは、川だったところを楽々渡ることができました。
「ぼくがいったとおりになっただろう。ぼくらは必ず助かるって」
 グレイはふりかえっていいました。

「でも、どうしてそう思えたの?」
「おじいさんと約束してたからだよ」
「おじいさん?」
「ぼくは、ウサギ丘で生まれたっていっただろ。でも、耳が短いことで仲間にいじめられていたんだ」
「えっ、グレイもいじめられていたの?」
チャメは耳をピクッとふるわせました。

「うん。それでたったひとりで川をこえてさまよっていたんだ。そんなとき、とってもやさしい人間に出会ったんだ」
「それがおじいさんね」
「そうだよ。おじいさんはいったんだ。お前は大切なウサギだって。お前のことを選んだから、ウサギ丘にいってお嫁さんを連れてもどってきなさいって」
「お嫁さん?」
 チャメはきょろきょろあたりを見回して、だれもいないことがわかると、はっとしました。

「お嫁さんって、もしかしてわたしのこと?」
「そうだよ、チャメ」
「足が短くてダメウサギのわたしをどうして選んだの?」
「きみはダメウサギなんかじゃない。よく聞こえる耳を持っているじゃないか」
「でも、わたし弱虫だし……」
「弱くたっていいんだよ。弱いものこそ大切だっておじいさんがいってたよ……それに……それにぼくは、チャメのことが好きだから……」
グレイは照れくさそうに前足で顔をなでました。
「グレイ……」
チャメはグレイのわき腹に鼻をすりよせました。

ザック、ザックと足音がして、向こうから白いひげのおじいさんがやってきました。
「待っていたよ。さあ箱舟に乗ろう」
おじいさんは両手を伸ばして2羽のウサギを抱き上げ、いとおしそうにほおずりしました。 
おわり

チャメとグレイ(その2)

2009-03-19 09:17:05 | 童話

(四)川をこえる仲間

ウサギたちは食欲旺盛です。草が生えるよりも食べる量が多かったので、ウサギ丘はあっという間にすっかり茶色になってしまいました。丘の向こうは湖です。岸辺には草が生えていましたが、そこはヤギのなわばりでした。反対側には丘を囲むように川が流れています。川向こうは緑豊かな草原が広がっています。

「明日、みんなであの川をこえよう」
チャメの父さんがいいました。
「こえるって、どうやって?」
チャメは不安です。川幅はいちばん狭いところでも自分の体長の三倍もあるからです。

「とびこえていくに決まってるだろ」
父さんの代わりにブチが答えました。
「まさか、とべないはずないわよね」
姉さんのミミが横目でチャメをにらみました。
「……」
その晩、チャメはなかなか眠れませんでした。みんなが川をとびこえていき、チャメは川に落ちて流されてしまう夢をみました。

明け方、父さんウサギがみんなを起こしました。
「さあ、出発だ」
父さんウサギを先頭に、ウサギたちは一列に並んで丘を下っていきました。ザアザアと水音が聞こえてくると、チャメの足はすくみました。前みたときより、水が多くなっている気がします。

「さあ、あとに続いて」
母さんウサギには6羽の生まれたばかりの赤ん坊がいたので、父さんと1羽ずつ赤ちゃんを口にくわえて川をとびこえ、岸辺に赤ん坊を置いてからまたもどって運びます。
父さんと母さんウサギは3往復して、ようやく赤ん坊を運び終えました。
その間にほかのウサギたちは次々に川をとびこえていきます。

チャメの番がきました。チャメはおそろしくてじっと流れを見つめるばかりです。
「早くとんでよ」
ミミがおしりをつつきます。
「先とんで。わたしいちばん最後でいい」
チャメは岸辺にうずくまりました。

仲間たちはみんな川をとびこえていってしまいました。チャメは自分もとびこえようとしました。けれども、恐ろしくて足がすくんでしまいます。

父さん、母さんは、赤ちゃんウサギを岸辺から連れていくのに何度もいったりきたりして大忙しで、チャメがまだ渡らずにいるのに気づきません。
そのうちみんなの姿が小さくなり、やがてみえなくなってしまいました。

(5)もどってきたグレイ

チャメはとぼとぼとパサパサに乾いた茶色の丘をのぼっていきました。どこかに草が残っていないかさがしましたが見当たりません。チャメのおなかがキューッと鳴りました。

そのときチャメの耳にタタタッ、タタタッとウサギのはねる足音が聞こえてきました。足音はどんどん近づいてきます。丘のてっぺんからみると、川をこえて丘をかけのぼってくる1羽のウサギがみえました。グレイです。

グレイは口いっぱいにくわえていた草をチャメのあしもとにパサリと落としました。
「グレイ、どうしてここに?」
「きみがひとりで丘をのぼっていくのが川向こうからみえたんだ。それで、草をくわえてもどってきたんだ」
「えっ、わたしのために?」
グレイはこくりとうなずきました。

「食べろよ」
「ありがとう」
チャメは一気に口に入れ、むちゅうで食べました。
「元気が出たろ。これで川がこえられるな」
「無理よ。わたしにはこえられないの。みてよ」

チャメは思い切り走ってジャンプしました、数センチしかとび上がれません。
「これじゃ川に落ちちゃうでしょ。……もういいの」
チャメはすねたようにグレイにおしりを向けました。

「あたしのことなんかほおっておいて、さっさと川向こうで暮らしたらいいのに」
「そんなことできない。きみが川をこえられないんだったら、ぼくもここにいる」
「そんなことしたら、飢えて2羽とも死んでしまうじゃない」
「だいじょうぶ。きっときみは川をこえられるようになるから。それまで、ぼくは毎日何度でも草を運ぶよ」
グレイは、丘をかけおりていきました。

(そんな大変なことできるわけない。グレイは、きっとそのうちいやになって川向こうで暮らすようになるにちがいないわ)
チャメはグレイのことが信用できませんでした。



             つづく

チャメとグレイ(その1)

2009-03-17 12:18:19 | 童話

先月JCPの童話とエッセイの集いで提出した作品です。(合評のあと、一部書きなおしました)
去年12月に掲載した「チーターパシュルと虹」同様箱舟に乗る動物シリーズです。3回に分けて連載します。

この童話は障がいをもって生れたウサギが主人公です。いじめの問題も扱っていますから、童話は苦手という方も読んでくださるとうれしいです。

 チャメとグレイ

(一)短い足のチャメ

湖を吹きわたる風が丘をなでるようにかけ上がりました。サワサワと緑の草がささやくように音をたてます。草の中から白い毛糸のかたまりのようなものが七つ出てきました。生まれたばかりのウサギです。赤ん坊ウサギは、まだ目がみえませんが、母さんのお乳をさがして鼻をしきりに動かしています。

ここは、ウサギ一族の暮らすウサギ丘です。7番目に生まれたウサギのチャメは、母さんと同じ真っ白な毛、茶色の目をしています。耳は長いのですが、うしろあしの長さが兄さん、姉さんウサギの半分ぐらいしかありませんでした。
母さんウサギが乳を飲ませにやってくると、チャメは足がおそいので、いつも最後になってしまいます。

6つのオッパイがふさがってしまうので、チャメはだれかが飲み終わるまで待っていなければなりません。チャメはみんながじゅうぶん飲んで眠りにつくと、そっと母さんの乳にしゃぶりつくのでした。
ウサギたちは日に日に大きくなっていきました。

ウサギは生まれてから3週間で乳離れして草を食べはじめます。半年もするともう立派なおとなです。
チャメはまだひとりでしたが、兄さん、姉さんたちはそれぞれ相手をみつけて結婚し、こどもが次々生まれていました。母さんも、こんどは六羽の赤ん坊を産みました。

ウサギは増える一方なので、緑豊かだった丘は茶色の土がみえはじめ、まだらになってきました。
ウサギたちはあらそって草を食べるようになりました。チャメが丘のふもとに生えている草を目指して進んでいくと、後ろから兄さんたちがやってきました。兄さんたちは大きくジャンプするとチャメをとびこえて草の中にもぐりこみました。
チャメが草に近づくと、

「こっちくるなよ。これは、ぼくらのみつけた草だよ」
といって、むしゃむしゃ草をほおばりました。
仕方なくチャメが別の場所に移ると、姉さんたちがやってきていいます。
「わたしたちの草を食べないでよ」

(二)雄ウサギのグレイ

チャメがだまって別の場所に移動しようとすると、岩陰から一羽の雄ウサギが顔を出しました。今までみたことのないウサギです。灰色の毛で、耳の長さがほかのウサギの半分ぐらいしかありません。
「こっちに草があるよ」
「あなたはだれ?」
チャメはとまどっています。 

「グレイっていうんだ。よろしく」
雄ウサギはていねいに頭を下げました。
「ぼくは、きみのおじいさんのいとこの孫なんだよ」
「じゃあ、親戚ってこと?」
「そうだよ。ぼくはこの丘で生まれたんだ」
「へえっ、今までみかけなかったけど……」
「ちょっと川向こうへ旅に出てたんだ。昨日もどってきたのさ。こっちへおいでよ」
 グレイは親しげに耳をピクッと動かしました。

チャメはほっと安心して、グレイのいる岩陰にいきました。そこにはひょろひょろした草が生えていました。
「日当たりが悪いから、おいしい草じゃないけど、ここなら誰にもじゃまされずに食べられるだろ」
グレイは、口をモグモグさせています。
おなかがすいていたチャメはお礼をいうのも忘れて、ムシャムシャ草をほおばりました。

「それにしても、きみの兄さんと姉さんたちは何で意地悪するんだい? ひどいじゃないか」
「しかたないのよ……」
「何で怒らないんだい? 自分がみつけた草だっていわないんだい?」
「だって、わたしダメウサギだもの。みてよ、この足」
チャメはグレイの鼻先に後ろ足を突き出しました。
「短いでしょ。生まれつきなの。少ししかジャンプできないから、ダメウサギなのよ」

「ダメウサギなんていっちゃいけないよ。足が短くったって、少ししかジャンプできなくったって、きみはきみだもの」
グレイの言葉を聞いて、チャメは鼻の奥がツーンとしました。
 
(三)耳が短くても
 
チャメとグレイが並んで草をほおばっていると、いちばん上の兄さん、ブチがやってきました。
「その草食べるなよ。ぼくたちの明日の分なんだよ」
「どうしてチャメに意地悪するんだい? 仲間なんだろう?」
グレイがブチの前に進み出ました。
「うわー、お前がそんなこという資格ないぜ」
「そうだ、そうだ!」

ほかのウサギたちもやってきてグレイを取り囲んで叫びました。
「お前のその短い耳は何だ? ウサギじゃないんだろう。ここから出ていけよ」
ブチがいうと、グレイは背中をぴしっと伸ばし、ほこらしげに鼻を空に向けました。
「この耳は生まれつき短いけれど、ぼくはれっきとしたウサギだよ」
グレイが胸を張っていうと、ほかのウサギたちは何もいえなくなってしまいました。

そんなグレイをみて、チャメは驚きました。(グレイは耳が短いのにどうして堂々としていられるんだろう。わたしもグレイのようになれたらいいのに…)
 
つづく

結果良好

2009-03-13 17:40:34 | 乳癌

今日はOさん宅での家庭集会でした。
午後1時半に先週の病院での検査結果を電話で問い合わせることになっていました。学びは午前中で終りますが、1時半というのは昼食後、話が盛り上がっているころです。

忘れないように、携帯のアラームセットをしておきました。エコー検査ではないので、それほど緊張していませんでしたが、結果が悪くてまた病院に通うことになったらいやだなあと思っていました。

きっちり1時半にかけると先生が忙しくてつながらず、2時ごろ電話をいただきました。
血液検査の結果も、骨塩量も良好でした。「骨塩量は若い人と同じくらいで、骨が固いですね」と言われて嬉しくなってしまいました。

積極的にカルシュウムをとり、運動し、自電車であちこち出歩いていたことが幸いしたのでしょう。今後、薬を飲み続けることによって減っていくことがあるかどうか……一抹の不安はありますが……。


実は、先週の土曜日、教会へ向かうとき、強風にあおられて自転車が転倒してしまいました。歩道を走っていたのですが、自転車は車道側に倒れ、わたしは車道にひざをついてしまいました。籠に入れていたカバンが道路の真ん中に投げ出され「大変、カバンが、カバンが…」とあわてて拾いに行ってから、車のクラクションが鳴ってはっとしました。カバンより自分がひかれるところだったのです。

ひざを打っていたはずなのにあざができただけで痛みもなく、骨も異常ないようだったのでほっとしました。もし、骨塩量が少なかったら骨折していたでしょう。

 
家庭集会の学びは、ルカ7:11-17でナインの町のやもめの一人息子をイエスさまがよみがえらせる箇所でした。
イエスさまはナインの町の門で葬式の列にでくわし、亡くなった青年の母親をあわれんで、青年を生き返らせてくれます。

そのことは、偶然ではなくて神様のご計画だったこと。この出来事は、「イエス・キリストは誰なのか?」と問いかけるできごとであると教えていただきました。

この奇跡を目撃した当時の人々は、イエスさまを大預言者であると思ったのですが、わたしはイエスさまが大預言者ではなく、神さまであること、救い主であることを知っています。失われていた命をもどすことができるお方は神さまだけですから。

すばらしいイエスさまを心からほめたたえます!

かすかな光がさしこんで

2009-03-10 16:03:56 | 日記

昨日はヒックンが下痢の風邪をひいたので、一日預かりました。先週は高熱が出たのですが、週明けには熱は下がり、昨日は元気をもてあましていました。

ひとり遊びができなくて「あそぼ・あそぼ」と言いながらわたしのあとを追ってきます。娘は友人と出かけてしまい、頼りになりません。
畳のへりを道路にみたててミニカーを走らせる遊びやお絵かき、工作などして過ごしました。2時間も昼寝をしてくれたので助かりました。

左腕と右肩の痛みがあるので抱き上げることはできません。でも、感謝なことにヒックンは今月末で2歳になるので、ほとんど抱き上げる必要もなくなっています。(無意識に3回ぐらい抱き上げてしまいましたが……)ヒックンがいる間は全く痛みを感じませんでした。

主人が仕事を調節して遅く出勤し、早く帰って来てくれたので助かりました。主人はヒックンをお風呂に入れるのが生き甲斐になっているようです。今日もまたこれからきます。


わたしは今、昨年の9月に行われた茨城児童文学の会の合宿で提出した長編小説を書き直しています。直すところがありすぎて、どこから手をつけたらよいのか見当がつかず、しばらく放置していました。合宿で原稿を提出したのは4人でしたが、今年1月の例会でその中のひとりが書き直して持って来られたのです。わたしと同じぐらい、原稿用紙200枚近くの小説です。

バイタリティーある彼女から刺激を受けて、わたしもようやく重い腰をあげたのですが……途中で童話を書いたりしていたので遅々としてすすみません。

そして、壁にぶつかり、また立ち止まってしまいました。とにかく頭はザルのようで、自分の書いたことすら忘れる。語彙、表現力が乏しい。想像力に欠けている……で、わたしには無理なような気がしてきました。

そんなとき、クリスチャン・ペンクラブの方で、このブログともリンクさせていただいている希望の風さんが発行されているマガジン「ひまわり」が届きました。

「ひまわり」には大江健三郎氏の著書の中にある言葉のエラボレーション、すなわち≪言葉をみがく≫ことについて書かれた文章から、あかし文章を書くためのメッセージが述べられていました。以下希望の風さんが書かれた文章です。


【一つのことを相手に伝わるように、相手の心を捕らえるように表現することは容易ではありません。的確な言葉が必要です。言葉をみがくとは言葉を選ぶことも含まれているでしょう。たくさんの類語の中から、この事実を、この真理を、この恵みを、明確に伝えるために、一番フィットする言葉を選び出すのです。
つまり言葉をみがくのです。これは知識やテクニックやその人の語彙の問題だけではありません。言葉を選ぶのはほかならぬ自分です。信仰に生きる自分です。オーバーかもしれませんが、選ぶ言葉の一つ一つに生き方がにじみ出てくるはずです。信仰姿勢が見えてくるのです。言いかえれば≪文は信なり≫なのです。】


合宿の折、「展開が安易です。言葉にあまり気を使わずに書きましたね」と言われました。それ以来、意識して『言葉』に気を使いながら書くようにしていますが、これまでの読書量の少なさや知識のなさがわざわいして限界を感じるようになりました。言葉集めをするような気持ちで必死に本を読んでいますが、今更勉強しても追いつかないという気がしてきました。言葉を選ぶといっても、選択肢が少なければフィットする言葉をあてはめることができません。

ところが、「ひまわり」にはテクニックやその人の語彙の問題だけではないと書かれています。もちろん、語彙は多い方がいいでしょう。テクニックも必要でしょう。そのための勉強は必要です。
でも、わたしが書く小説は、あかし文章としての作品なので、信仰に生きる自分が織り込まれていなければ、書く意味がないのです。そのことに気づかされてはっとしたのです。

また、「ひまわり」には、最初に書いた時間の2~3倍の時間をかけて書き直すといった大江氏のことばを紹介して、推敲することの大切さが書かれています。
わたしは、小説を書いた時間と同じくらいの時間、推敲してきました。それだけで息切れしていましたが、その2,3倍の時間をかければ、もしかして完成できるのでは?という希望の光がかすかにみえてきました。
さて、今年の合宿に間に合うでしょうか?

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ぜひご覧ください。


病院へ行ってきました

2009-03-06 22:07:14 | 乳癌

今日は乳腺外来の診察日でした。雨が降っているので自転車では行けません。
家から病院まで車なら15分、自転車なら25分で行けますが、歩くと一時間近くかかります。バスは駅経由で乗り継いで行くか、亀城公園のバス停まで20分ほど歩いてから乗るかのどちらかです。

亀城公園のバス停から乗ることにして出かけました。ところがバスが行ったばかりで、あと一時間も待たなければなりません。以前はもっとバスの本数が多かったはずなのに……。バスに乗る人が少なくなったのでしょうか。本当に困ります。
しかたなく、雨の中を歩いて病院までいきました。雨脚が強くなってきたので、着いたときはズボンもコートもびしょぬれでした。


でも、幸いなことに今日は足が痛くなかったのです。痛みがないときは、どんどん動かした方がいいのですから、たくさん歩いて体にいいことをしたのです。それから、歩きながら創作のストーリーを練ることができました。いいアイデアが浮かびました。ぼおっとして道を間違えそうになりましたが……。

着いてすぐ中央検査室で血液検査を受けました。午後だったので、すいていてすぐ呼ばれました。患者さんがたくさんいるときは、採血する看護師さんは、必要なこと以外しゃべりません。でも、そのときは数人だったので看護師さんが話しかけてくれました。

わたしの手をとって「手が冷たいね」「50分かけて雨の中歩いて来たんです」「へえっ!」それだけの会話で心が温かくなりました。

また、看護師さんはわたしの腕を見て「いままでずいぶんたくさん注射打たれているでしょう。血管が固くなっているから痛いですよ」と言いました。確かに子どものころからよく注射を打たれました。喘息の発作が起きると注射を打ってもらいに病院に通ったものです。
覚悟していたのですが、ちっとも痛くなく、ちくっとしただけでした。


その後、骨塩量を測りに行きました。
フェマーラという薬を飲むと、その副作用で骨塩量が減るかもしれないからということで検査したのです。でも、今回わたしは骨塩量の検査は初めてでした。薬を飲んで1か月以上たっているので、悪い結果が出ても薬のせいなのか、もともとなのかわかりません。
毎日ヨーグルトと小魚や干しエビを欠かさず食べているのですが、どうなのでしょう……。結果は来週わかります。

診察室は混んでいたので、呼ばれるまで2時間待たされました。先生に色々質問しようと思っていたのですが、呼ばれたときは何を質問するのだったか忘れていました。
「左腕と右肩はいつも傷むようになり、手足の関節は日によって痛かったり痛くなかったりです」と言うと、「あまりひどい痛みなら薬中断してもいいけれど……」と言われたので
「大丈夫です。これくらいの痛み、たいしたことないので」と答えました。

注射も痛いと感じなかったほどなので、わたしはもしかして痛みに鈍感なほうなのかな?
それとも、子どものころから苦痛に耐えることが多かったので打たれ強くなっているのかな?と思いました。そうだとしたら、子どものころ病弱だったことが今役立っているのですね。


痛みの度合いは、本人でないとわかりません。痛みを意識しはじめると、どんどん痛くなってくるような気がします。腕の痛みは、PCに向かっていると、ほとんど感じられないほどですが、リラックスしているとジンジンと痛んできます。

病院で2つの失敗をしてしまいました。
骨塩量測定のときに腕時計をはずして(はずす必要はなかったのです)かごに入れ、そのまま忘れてしまいました。トイレでそのことに気づいて取りに戻り、トイレに傘を忘れました。どちらも戻ってきたからよかったのですが、まったく大ボケぶりに自分であきれています。


*追記
PCを起動したときにWindous Dfennderから「アプリケーションの初期化に失敗しました。0x80016baに問題が発生し、このプログラムのサービスが停止しました。再起動するかサービスを手動で開始してください」というメッセージが出るようになりました。

何度再起動してもメッセージが現れます。システムの復元をやってもダメでした。どなたか解決法ご存知でしたら教えていただけますか?


*ネット検索で調べ、いろいろ試した結果、エラーメッセージが出なくなりました。『サービスを手動で開始する』という意味が理解できるまで2時間かかりました。(3/7 16:49記)



「もう聞いたよ」って言わないで

2009-03-03 15:01:03 | 日記

肩こりがひどいので、動かさなければ手も上がらなくなってしまうと思い、痛いのをこらえてがむしゃらにブートキャンプをしていました。
それを見た娘が「痛いときは、もっと静かな運動がいいんじゃないの」と言いました。

肩こり解消法をネットで調べると、『痛みのひどいときは無理に動かしてはいけません』と書かれていました。
真っ青です。激しく動かしたため痛みがさらにひどくなったのかもしれません。50肩なのか薬の副作用なのかわかりませんが、今までこんなひどい肩こりを経験したことがなかったので、まいっています。

足首や手首も痛み、フライパンや鍋が重く感じられますが、指の関節痛がないことが嬉しいです。(ピアノとPCは大丈夫!)


薬の影響もあって体の老化がますます進んでいるような気がします。
体だけではなく、記憶力の方も衰えてきています。最近捜し物ばかりしています。自分の話したことを忘れて、同じことを何度も言うようになりました。
昔、祖母が同じ話しばかりするので、「その話、聞いた」と言っていました。そのとき、祖母は悲しそうな顔をしていました。その気持ちが今ようやくわかるようになりました。

若いころは、何度も同じ話をするのは無駄だし、同じことを聞かされるのはうんざりという気持ちがありました。
でも、そっけなく「その話、聞いた」と言われると、ひどく傷つきます。祖母も傷ついていたのでしょうね。
最近わたしは「前に話したかもしれないけど」と一言前置きしてから話していますが・・・・・・。

考えてみると、忘れるということはありがたいことですね。過去のつらい記憶をいつまでも鮮明に覚えていたらやりきれません。
年を重ねるに従って、ひとつひとつ忘れていって、人の顔、自分の名前すらわからなくなっても、イエス様のことだけは忘れないでいたいです。

金子みすずの詩にこのようなものがあります。

ばあやのお話 

ばあやはあれきり話さない
あのおはなしは、すきだのに。

「もう聞いたよ」といったとき
ずいぶんさびしい顔してた。

ばあやのめには、草山の、
のばらのはながうつってた。

あのおはなしがなつかしい、
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまって聞いていようもの。



わたしも、かなうものなら亡き祖母の同じ話を何度でも聞きたいな。


写真は、くるめアザレアです。薬局さんからのプレゼントです。


愛がなければ

2009-03-01 17:01:41 | 聖書から

昨日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の童話とエッセイの会で御茶ノ水まで行ってきました。「川」をテーマに書いた作品を持ち寄って合評をしました。わたしは童話を提出しました。とてもよいアドバイスをいただいたので、さっそく書き直しています。
今回は母の旅行とちょうど重なってしまったため、三鷹の実家には寄りませんでした。



今日の礼拝メッセージは有名な愛の章、Ⅰコリント13からでした。

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13:1-3)


偉大な行為も雄弁も愛がなければ無益です。全財産を捧げても、命を捧げても、愛がないなら無意味で、何の値打ちもないといっています。人からは賞賛されるかもしれませんが、神の目から見たら無益だというのです。


厳しいですね。全財産を他者のために捧げる人がいたら、その人は愛の深い人だなあと単純に思ってしまいますが……。でも、もしその人が人から褒められることを期待して、全財産を捧げたとしたら、神様はそれを喜ばれないのです。

愛がなくて命を捧げる場合もあるのでしょうか?

以下はわたしの想像です。

たとえば、死を願っている人がいたとします。自殺をしたら、「あいつは、なんて弱い人間なんだ」と言われるかもしれません。いつまでも自分の名が褒め称えられるような死に方はないかと考えていた時、目の前で子どもがトラックにひかれそうになりました。これは、チャンスとトラックの前に飛び出していって、その子を助けるために命を落としたとします。その子どもに対する愛はなかったのですが、その人は多くの人に賞賛されるでしょう。
子どもの命を救ったということにおいては意味ある尊い行為でしたが、このことは神様の目には無益なのです。



義務や見栄、人からの称賛を求める思いが動機なら、たとえその行為がどんなに素晴らしくても、神様は喜ばれません。


「神様は心の奥底の純粋さを問いかけておられます」
「愛だけが神から受け入れられる唯一の動機です」

と牧師先生が言われました。

人にはわかりませんが、神様は心の奥底までご存知なのですね。
愛が動機であれば、無益ではないのです。
その愛は、どこから来るのでしょう。

それは神様の愛、つまり『イエス様がわたしの罪を赦すため、わたしの身代りに十字架につけられて血を流され、死んでくださったこと』に対する感謝、喜びから来るのです。


数日前わたしは、自分が愛に欠けたものであることをつくづく自覚して、涙を流しました。
他者への愛が沸き上がるようにするにはどうしたらよいのでしょう? 



「心の底から感謝と愛が沸き上がるまで、キリストを心に留めましょう」

メッセージの最後に牧師先生が言われた言葉です。

拍手ボタンです

web拍手