生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

悲しみの彼方にあるもの

2007-09-29 21:35:41 | 日記

今日は母と救世軍ブース記念病院の召天者記念会に行ってきました。救世軍ブース記念病院は、去年父が3週間ほど入院して召されたところです。

招待状が送られてきたとき、母は迷って電話してきました。わたしは、「ぜひ行きましょう。わたしも一緒に行くから」と薦め、母をせきたてて出かけました。

病院へ行くのは約1年ぶりです。JR中野駅からバスに乗ると、父を見舞うために何度も通ったことを思い出してだんだんつらくなってきました。母も同じ思いだったようで、病院が近づくとふたりとも黙り込んでしまいました。


記念会は病棟とは別の建物で行われていたので、ほっとしました。とても病棟には行けません。

大勢の人が来ていました。去年10月から半年間に召された人の記念会ですが、99名もの方が召されているのを知り、驚きました。持っていった写真を飾ってもらい、席につくと「いつくしみふかき」の讃美歌が流れてきました。父が召されたときに病院でしてくださった送る会を思い出して涙があふれました。
メッセージは悲しみの中にいる遺族を慰めるものでした。以下はメッセージの概要です。


親しい人の死は、生きることの深み、重みを気づかせてくれます。また、心のひだの動きを気づかせてくれます。

悲しみの中からエネルギーをもらい、生きるエネルギーに昇華する人もいます。死の意味を探り、同じ苦しみにあっている人の助けとなり、そのことによって悲しみを乗り越える人もいます。

しかし、愛する人が地上から去ったという事実から抜け出ることはできません。
そのとき、人の限界を超えた方の存在に気づかされるのです。

親しい人を亡くした方は、祈りが深められます。祈りの中で悲しみを打ち明けることによって、悲しみの彼方が見えてきます。悲しみの先に幸いがあり、慰めがあるのです。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5:4)



この慰めのメッセージが、母の心にも届いたでしょうか……。
 


帰りの電車で嬉しいサプライズがありました。常磐線で教会のS先生と若い人たちの一行にばったり出会ったのです。東京で結婚式があって、その帰りだそうです。

S先生に今日の記念会のことをお話しすると、なんとS先生は、司式(メッセージ)をして下さった病院の先生と神学校のとき一緒だったと言われ、びっくりしました。
とても感動的な一日でした。

弱いから

2007-09-28 12:00:50 | 

10年ほど前に書いた詩2篇紹介します。推敲もしてないので詩というより、独り言を書き記したという感じですが……。
日記は捨ててしまいましたが、このように書いた物が残っていると、心の記録になります。


弱いから  


弱いから
体が弱くて色々なことができないもどかしさは
誰もわかってくれない
いや、ひとりだけ
わかってくださる お方がいる

弱いから 何もできないのではない
できることが わずかだから
祈って
いちばん大切なことを
選んで やっていっている

最近 そのことが
わたしにとって 恵みなんだと 思えてきた
もし
体が丈夫で たくさんのことができたなら、
大事なことを忘れて
「忙しい」を連発しながら
走り回っているでしょう
祈ることさえ忘れて



わたしの心  

きれいな物をいっぱい見て
美しい音楽をたくさん聞いて
ピュアなドラマを見ていれば
きれいな心になれますか?

きれいな心になったと思ったのに
自分中心の思い、
みにくい思い、
人をうらやみ、にくむ気持ちが
むくっむくっと顔を出す

どんなに努力してもなれません。
どうしたらきれいな心になれるのですか?
どうしたらいいのですか?
  
「純粋だね」と言われたことがあります
でも、そう言った人はわたしの心を全然知りません
もし、心を映す鏡があったなら
わたしはそれを見て気絶するでしょう
今、自分で思っている以上にその心はみにくいのです

神様、お願いです
きよめてください
もう、心の片隅にも悪しき思いが浮かんでこないように
わたしの心を
きよらかにして下さい


児童文学の会

2007-09-27 12:23:01 | 日記

JCP55周年記念会のことや父のことで、このところ上京する機会が増えています。今日は1日家にいられる貴重な日です。しなければならないことがたくさんあるので、おかげで退屈することは全くありませんが、1日30時間ぐらい欲しいところです。
優先順位を決めて1日のスケジュールをたててやっていきますが、予定外の用事が入ったり、意外と時間がかかることがあって、なかなか計画通りにはいきません。今日は家事を終えるといちばんにOBI(お茶の水聖書学院)のDVDでの学びをし、リポートの準備をしてから、ようやくパソコンに向かっています。


昨日は茨城児童文学の例会に行ってきました。児童文学の会は現在会員11名、年に3回ほど集まって主に童話や小説の合評をしています。昨日は提出された作品が2作品だったので、1作品1時間もかけてじっくりと合評の時間を持ちました。
わたしは、今年の初めに提出した長編を大幅に書き直してメンバーにあらかじめ郵送していました。(児童虐待を扱った小説です)3年以上かけ、何十回も書き直している作品です。あとは細かいところを直すくらいで完成できるかなあと思っていたら……まだまだでした。



ひとりひとりが感じたままに批評するので、それをすべて受け入れるわけではありませんが、自分の気づかなかったことを指摘されてはっとすることがあります。
合評が終わったとき、はじめから構成を練り直した方がいいという結論に達しました。そのためにかかる時間と労力を考えて、思わず「あーあ」と深いため息をついてしまいました。


でも、悪い点ばかり指摘されたのではなく、「ここまで書く情熱とエネルギーはすごいと思った」と何人かに言われました。それに、前よりはよくなったと言われたことも感謝でした。

「あなたの書く作品は、どれもキリスト教のテーマで、西欧ならともかく日本では受け入れられない。そこから脱皮しなければ、すぐれた文学作品は書けないよ」と10年来言っていた方が、

「あなたは、どんなストーリーで書いても、キリスト教の信仰をぬきにした作品は書けないのでしょうね。それでいいわよ。信仰を持つ人って強いと思った」

と言ったのです。


わたしは神さまの愛を伝えるために書いているので、信仰を抜きにした作品を書くつもりはないのです。そのことが10年たってやっとわかってもらえたのだなと嬉しくなりました。

さて、これから書き直し、どうしよう……。書いても仕方ないのでは?……という思いが沸き上がってきます。かといって別の作品を書く気にもなりません。エネルギーを使い果たしてしまいました。
書くべきかどうか……祈り求めるしかないですね。

信じるだけで……

2007-09-25 13:02:47 | 日記

父が召されてからもうすぐ1年になろうとしています。(昨年10月18日に召天)
実家の床の間に仏壇があり、母は毎日手を合わせています。わたしは手は合わせませんが、実家に帰ると父の写真を見に床の間に何回も行きます。

「人間の魂って、死んだらなくなってしまうと思う?」
仏壇の前で母に尋ねました。
「それはそうでしょうね」と母。
母は「人間は死んだら終わりだと思う」といつも言っていました。
「でも、人間が生まれてから何十年もの間、泣いたり笑ったり、感動したりしていた魂がなくなってしまうって寂しいことだと思わない?」
「そうね。でも仕方ないでしょ」

以前の母なら決して肯定しないのですが、父が召されてから少し変わりました。
「イエスさまを信じたら、永遠の命をいただけるのよ。お父さんも信じたのよ」
「わたしは、いらないね。天国で苦しみや争いが起きたら疲れちゃうよ」
「そうじゃなくて、天国は、苦しみも争いもないところなの」
と天国の説明をしようとしたら、話をそらされてしまいました。母が信じるのはもう少し先のようです。



「なんの条件もいりません。誰でもイエスさまを信じるだけで救われるのです」

教会学校のお話の中で語られた言葉に「何と嬉しいことでしょう!」とあらためて思いました。
よい行いをしなければならないとか、罪のある人はダメ、努力しない人もダメというのであれば、わたしは永久に救われないでしょう。
修業してさとりをひらくという宗教が多いですね。自分の身を打ちたたいて精進すれば救われるという教えがありますが、キリスト教は修業も精進も必要がありません。

「何だって! イエス様を信じるだけで救われる? こんなむしのいい話があるものか」と思う人が多いでしょう。でも、本当のことなのです。
人間の心の中には人のことを憎んだり、ねたんだりする醜い思いがあります。そのような罪があるのに救われるわけは、イエスさまがわたしたちの身代わりになって十字架にかかり、罪の贖いをして下さったからです。

ですから、イエスさまを信じるだけで、すべての罪が赦されます。そして、永遠の命をいただけます。滅んでしまうしかなかったこの魂が救われたのです。救われたのは、自分自身から出たのではなく、神さまからの贈り物によります。ただただ、神さまに感謝。


「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」(エペソ2:8)

この空の下で

2007-09-23 18:09:32 | 日記

写真は、20日、東京美術館を出たところで写しました。空は雲一つない青空でした。

この空の下で、青春の真っただ中にある娘と久しぶりにゆっくり話しました。これまで、黙って見守っていなければならないときに余計な口出しをしてきたことが娘を傷つけていたことを知り、反省……。


「どろんここぶた」(アーノルド・ロベール著)の絵本を思い出しました。
ちょうどA新聞に絵本「どろんここぶた」のことが載っていました。絵本の内容を紹介します。
 
お百姓さん夫婦が、泥んこの好きなこぶたを飼っていました。 ある朝、お百姓のおばさんは、ぶた小屋を掃除し、小屋の前にあった泥を掃除機で吸い取り、ついでにこぶたをお風呂に入れました。これでおばさんは大満足。でも当のこぶたは、大好きなどろんこがなくなってしまい不満爆発。うちを逃げ出して、どろんこ探しの旅に出ます……。

 
よかれと思ってやったことが、こぶたの一番好きな物を取り上げてしまったという話しです。わたしも娘に対してこのお百姓のおばさんのようになっていたのでは……?と思いました。


昨日のクリスチャン・ペンクラブでは、I先生がメッセージをして下さいました。
はじめに植村正久の娘、植村環の言葉が紹介されました。

「病苦も老醜も、主に従って受ける時、それは聖なる事業です」


病苦と老醜が聖なる事業ということに驚きを感じました。誰もが病気になりたくない、老いたくないと思うのですが、避けることができません。神さまが与えて下さるのだからと素直に受け取ったとき、聖なる事業となるのですね。

人生の夕暮れ時が祝される2つのことについて語られました。

第1にわたしの命を最後まで運んで下さる方がいることを知ること。知るというのは、単なる知識として知っているというのではありません。神の声を聞くことから神を知り始めます。

第2に神のみわざを思い出すことです。
昨日のことを思い出すのではなく、遠い大昔のことを思い出すように言われほっとしました。ついさきほどのことも忘れてしまうからです。でも、子供のころのことはよく覚えています。

これまでの人生の中で神さまがどのように働いて下さったか、神さまからどれだけの恵みをいただいたかをあかし文章として書く必要のあることを再確認しました。

その後は、あかし文章の書き方の有益な学びをしました。

トプカプ宮殿の至宝展

2007-09-22 20:45:47 | 日記

20日は、娘の21歳の誕生日でした。娘と上野で待ち合わせしてトプカプ宮殿の至宝展へ行ってきました。平日なのに混雑していました。

オスマン帝国の色鮮やかな秘宝に圧倒されました。『金のゆりかご』も見てきました。実際にそのゆりかごに赤ん坊を寝かせたのでしょうか? もし寝かせたとしたも生後3か月くらいまでしか寝かせられないほどの大きさでした。

実家に2泊して、今日はクリスチャンペンクラブの例会に出席し、夕方帰宅しました。

コメント受付再開しましたので、またよろしくお願いします。

乳癌になって気づかされたこと(その2)

2007-09-20 10:16:08 | 乳癌

乳癌になる以前のわたしは、色々なことに心を奪われていました。神さまを信じてはいましたが、いちばんの関心が神さまではなく、子供の教育のことや、趣味のこと、健康のことにあったのです。そのようなことに多くの時間とエネルギーを使っていました。

癌になる以前も非常に疲れやすい体質で、喘息という持病もあったので、とりわけ健康には気を使っていました。どんな食べ物やサプリメントが体にいいのか、どのような運動をすればいいのかと思いめぐらし、健康になることを第一に考えていました。教会の奉仕も、まず健康でなければ充分できないのだと思っていました。

週に2回スイミング教室に通っていたのも健康になりたかったからです。水や食べ物にも細心の注意を払って丈夫な体を目指したのですが、癌になりました。
癌になって、はっとしました。大切なものをはき違えていたことに気づいたのです。


『最も大切なことは、神の永遠の目的に生きることです』
と「人生を導く5つの目的」(リック・ウォレン著)に書かれていますが、神の永遠の目的とは、神を愛することと人を愛することです。

わたしは、神さまの愛がどれだけ大きくて深いものか知っているのに、神さま中心の生活をしていませんでした。人を愛することに真剣になっていませんでした。
丈夫になって何かをなしたいと望んでいましたが、たとえ丈夫になったとしても、老いと死から免がれるわけではありません。

神さまのみ心にかなった生き方をするのに必ずしも健康である必要はないのです。病んだままでいいことを知り、とても楽になりました。
体が弱くても、病気を抱えていても、愛するということに何の支障もありません。たとえ何も奉仕ができなくても、祈るという大きな仕事ができるのです。

聖書を読むと、神さまがどれだけ自分を愛して下さっているかが伝わってきます。そして、イエスさまは、わたしに神さまと人とを愛して欲しいと切望しておられるのです。愛に欠ける自分の姿に悲しくなることもありますが、愛の心を下さいと祈りはじめました。


「死ぬときに持っていくことが出来ないものに真剣になるな」
と聞きました。死ぬときには、何をしたかではなく、どれだけ愛したかが問われるのです。愛は永遠に残るものだからです。

癌になって、ようやく人生の焦点が定まったといえます。健康であるかないか、長生きするかしないかなどあまり重要なことではありません。すでに永遠の命に生かされているからです。
地上での命がたとえあとわずかだったとしても、一瞬、一瞬を精一杯生きたいです。与えられている時間を神さまの目的のために捧げようと思いました。

                     おわり


*お知らせ
今日から実家に行きます。留守の間コメントの管理ができませんので、申し訳ありませんが3日間コメント受付を停止にさせていただきます。予定通り戻ってきましたら、22の夜、受付を開始しますのでよろしくお願いいたします。

乳癌になって気づかされたこと(その1)

2007-09-19 17:33:33 | 乳癌

主人の会社の健保組合から健康診断の申込書が送られてきました。いま、わたしは定期的に病院で検査を受けているので、血液検査も、癌検診も、婦人科検診も、申し込む必要がありません。

申込書を見ていて、4年前の9月に乳癌の検査を受けたことを思い出しました。マンモグラフィーの時は特に気にかかることはありませんでしたが、超音波検査のとき、他の人の3倍くらい時間をかけて念入りに調べられるので、いやな予感がしました。不安になって、「何か異常があるのですか?」と尋ねたのでした。

検査してくれた方は、「まだわかりません」としか言いませんでしたが、その後で触診を受けると、医師に「しこりがあります。マンモグラフィーの結果が送られてきたら、必ず病院で検査を受けて下さい」と真剣な顔をして言われたので、びっくり仰天しました。自分ではしこりに気づいてなかったのです。『癌?まさか。わたしが癌になるはずがない』と思いました。


祖母は大腸癌、叔母は喉頭癌、従妹は乳癌で亡くなっているのに、自分は癌にならないと思っていたのです。癌にならない妙な自信(?)があったのに、それは見事に崩されてしまいました。

術後、リンパ転移があることがわかり、再発転移のリスクが大きいことを知りました。たいていの癌は5年再発しなければ完治と考えて良いそうですが、乳癌だけは、かなり年数が経ってから再発転移することがあるらしいのです。(早期発見され、リンパ転移もない場合は99%完治)

これから一生、再発転移を意識しなければならないなんて……と最初は絶望的になりましたが、神さまにすべてを委ねてからは、大きな平安に包まれています。

どうして平安が与えられたかについては、2007年2月13日のブログ「死と隣り合わせになって」をお読み下さい。

乳癌になって、ものの見方が変わりました。地上での残された時間について意識するようになったのです。たとい再発転移せずに年を重ねても、今度は老いと死の問題に直面することになります。


地上で生かされている命は限られている。
――この当たり前の事実を強く意識するようになって、生き方が大きく変化したのです。

どのように変化したかは、後日書きます。

献堂21周年

2007-09-17 19:43:27 | 教会

今日は部屋の模様替えで一日バタバタしていました。
先週テレビが突然壊れてしまいました。3年ほど前にも壊れ、修理してもらいましたが、今回はいよいよダメなようです。2011年まで待つつもりでいたのに、仕方なく購入しました。
先日、ちょうど息子一家が来る日だったので、車で電器店に連れていってもらいました。息子は交渉上手で、ずいぶん負けてもらいました。

一昨日届いたのですが、新しいテレビは横幅が広くて、今まで置いていた場所に収まりません。今日は主人とテレビ台を買いに行き、午後からキャビネットや本箱を移動したのです。暮れの大掃除でもやらないことをして、汗だくに……。こんな暑い日(土浦の今日の最高気温32℃)にやることではありませんね。部屋は綺麗になりましたが……。


昨日、わたしの通う土浦めぐみ教会は献堂21周年記念礼拝でした。土浦市上高津の地に教会堂が建てられたのが21年前の9月と聞いて、娘の年と同じだと気づきました。娘も9月生れで、今週誕生日を迎えます。

21年前のわたしは、大きなお腹をかかえてフーフー言っていたでしょう。三鷹の実家にいましたが、そのころは埼玉県久喜市に住んでおり、その数年後に土浦に引っ越すことなど予想もしていませんでした。
いま、教会の近くに住まいを構えていることが不思議な気がします。

当たり前のようにこの暑い時期も冷房の効いた会堂で快適に礼拝をささげていますが、現在の会堂が建てられるのに多くの方々の犠牲があったことを知り、深く感謝しました。

多額の借り入れをして800坪の土地を購入して会堂を建てたそうですが、15年で返済できたのは、教会員が献金を捧げたからです。
有り余っている中からではなく、貧しい生活の中から犠牲的に捧げたのです。自発的に喜んで捧げたというので驚きました。


パウロによって書かれたⅡコリント人への手紙8章には、パレスチナ地方に飢饉があったとき、マケドニアの教会の人たちが惜しみなく献金をしたことが書かれています。


苦しみのゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。(Ⅱコリント8:2)

施す富のことを尾山令仁師は献金と訳しています)


*極度の貧しさにもかかわらず *喜びに満ちあふれたゆえに *全く自発的に

捧げたとき、マケドニアの教会の人は神の恵みを受けたとパウロは書いています。


「神に信頼して捧げるとき、それが喜びとなります。神を信頼して歩んでいくとき、神の不思議な導きを体験します。神の恵みが与えられるからです。」
と牧師先生が言われました。

わたしには収入がなく、主人がクリスチャンではないので、多くの献金を捧げることはできません。でも、奉仕をすることで力一杯捧げています。捧げることは、犠牲を払うことであり、疲れることでもあります。でも、精一杯捧げた後は、さわやかさを味わいます。
神さまから、奉仕のために犠牲を払った以上の恵みをいつもいただいています。

家庭集会の学び

2007-09-15 17:05:00 | 聖書から

夕べは頭が痛くて、風邪薬を飲んで早く寝ました。いつも同じところが痛むので、脳腫瘍かと恐れつつも、疲れていたのでよく眠れました。朝になって、肩凝りからくる頭痛だと気づきました。

最近は、肩が凝っても相当ひどくなるまで気づかないので、困ってしまいます。スイミング教室に通っていたころは、肩凝りなどしたことがなかったのに……。パソコンのやりすぎと運動不足が原因でしょう。



昨日の家庭集会は牧師先生と6人の方が来てくださいました。学びは、ルカ8:22-26の「嵐を静めるイエス」のところでした。ちょうど1週間前(9/7)に書いたブログ記事と同じところだったのでびっくりしました。9/7の時の聖書はマルコの福音書ですが、内容はほとんど同じです。


新約聖書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があります。4つとも違いはあるものの、どの福音書もイエス・キリストについて書かれています。最初の3つの福音書は内容的にかなり共通する部分が多いので、共観(きょうかん)福音書と呼ばれています。


今回教えられたことについて書きます。


ガリラヤ湖でイエスさまが弟子たちと船に乗りましたが、弟子の中で4人が元漁師でした。一方イエスさまは元大工でした。
ガリラヤ湖は普段は静かで美しい湖なのだそうですが、激しい突風が吹き、急に嵐になることも多いそうです。漁師だった弟子たちは、そのことを熟知していましたし、嵐の経験は何度もしていたでしょう。

ところが、強い嵐がきて船に水が入ってくると、弟子たちはイエスさまを起こしました。イエスさまは、嵐の中ぐっすりと眠っておられたのです。


元漁師の弟子もいたのに、元大工のイエスさまのところに行ったのはなぜですか?
という質問がありました。

それまでにイエスさまは、数々の奇跡を行っていました。それを見ていた弟子たちは、イエスさまなら何とかしてくれるのではないかと期待したからです。

イエスさまが風と荒波をしかりつけると、風も波も治まりました。弟子たちは驚いて顔を見合わせ、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」と言いました。

なぜ弟子たちはこんなに驚いたのでしょう? 弟子たちは、イエスさまのことを神さまだとは思っていなかったようです。奇跡を行われるのを見ても、旧約聖書に出てくる預言者も奇跡を行っているので、イエスさまのことを預言者のひとりと考えていたのかもしれません。嵐の中、イエスさまがなんとか船を向こう岸につけてくださると弟子たちは思っていたのでしょう。まさか、言葉で風や波を静めるとは思わなかったでしょう。

風や波をしかりつけたというのは、イエスさまが自然よりさらに力がある方だということです。イエスさまは、天地万物を造られた神さまなので、そのようなことができるのです。イエスさまは、全能の神さまです。

弟子たちは最初、自分たちで何とかしようとしました。イエスさまが同じ船に乗っておられるのに、船が沈んで死んでしまうのではないかという恐怖にとりつかれました。嵐に目を奪われ、本当の意味でイエスさまを見ていませんでした。イエスさまを信頼していなかったのですね。
イエスさまは弟子たちに言われました。「あなたの信仰はどこにあるのです」


わたしも困難に直面したとき、イエスさまがそばにおられるのに自分の力で何とかしようとしたり、不安のため眠れなくなったりします。そしてはっと気がついて、イエスさまに助けを求めて祈るのです。
信仰がためされるようなことがあります。そのたびに不信仰な自分に気づいて悲しくなります。

でも、家庭集会学びの最後に牧師先生が言われた「わたしたちは完全ではありません。天国に行ったとき100%キリストに似た者とされますが、それまでは弱さをかかえているのです」という言葉に慰められました。


すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:11)
 

福祉講演会

2007-09-13 13:23:53 | 教会

台風のような大雨が上がり、久しぶりに明るい朝を迎えました。今朝は洗濯や大掃除(明日は我が家で家庭集会です)で大忙しです。

写真は桜川河川敷。10月に行われる土浦全国花火競技大会の桟敷席が着々と作られています。対岸に見える建物(左側)が土浦めぐみ教会です。



9日の午後は教会でH.S先生による福祉講演会がありました。老いや障がいを抱えると、どんな心境になるかを体験するために何人かの方がオムツを実際につけてみる(ズボンの上からです)という体験をしました。オムツをつけた人、つけられた人の心境を語り合いましたが、つけられた人は皆、「いやだった」「情けないと思った」などと言っていました。

オムツをつけられたことでプライドを失い、生きる気力がなくなり、死を望む人がいると聞きました。
 
年をとってもオムツをつけられる身にはなりたくないと誰もが思うことでしょう。わたしは、漠然といつかそういう日がくるかもしれないという思いを抱いています。

人間は、生後1年と少しの間はオムツをあてられます。オムツをされて恥ずかしがったり、悲しんでいる赤ん坊はいません。年をとってオムツをあてられることになったら、自然にそのことを受け入れて、赤ん坊のように介護者に身をまかせるようになりたいと願っています。オムツをあてることは恥ではないと考えます。
とはいえ、オムツをされると、人間の尊厳が失われたように思う人が多いことは事実です。


講演会で見たDVDで脳梗塞により左半身が麻痺してしまった方と、その方を支える奥さんのことが紹介されていました。
ご主人は、オムツをせずに自分でトイレに行くことを望んでいました。誰かに助けてもらえれば、トイレに行けるので、ヘルパーさんが毎回トイレに行く手助けをすることになりました。最初ご主人は、ヘルパーさんに対して心を閉ざしていました。けれども、ヘルパーさんが丁寧に話しかけ、常に何をして欲しいのかを尋ね、行おうとしている介助の内容をひとつひとつ言葉で説明し、自尊心を大切にするケアーをしていったので、ご主人は心を開き、意欲的なりました。
ご主人の意志を尊重し、願いをかなえ、信頼関係を作ることによって、生きる意欲が沸き上がったのです。介護の理想的なあり方だと思いました。



「信仰とは信頼を意味する」
とカール・バルトの言葉にありますが、
介護を通して利用者が信頼関係を学習し、キリストをいつか見いだすことができるように望んでいる
と言われたのを聞いて、聖書の言葉を語ることだけが伝道ではないことを教えられました。

人間は尊厳を失ったとき、死を願うようになるそうです。人間の尊厳とは下記の3つの価値を認めることです。


*神の似姿としての存在価値
(創世記1章には神が人をご自身のかたちに創造されたこと。創造したものは非常によかったと書かれています)


*神の愛の対象としての価値
(イザヤ書43:4にはわたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛していると書かれています)

*神の憐れみの対象としての価値
(神は、そのひとり子イエス・キリストの命を捧げるほど愛して下さっています)


私たちが介護を必要になり、どんな状態になっても、自分らしい暮らしができ、自分の意志と価値観で全うできるように支えることが福祉であると聞き、このような福祉の実践が世界中で行われるようにと祈りました。

弱さもタラント(その2)

2007-09-11 13:18:52 | 教会

H.S先生は、子供のころ貧しかったため、学校で野蛮人と言われ、ずうっと見返すこと考えていたそうです。思春期のころ暴走族に入り、アイドル歌手柏原芳恵の親衛隊長をしていたと聞いて驚きました。

その後、教会に導かれ、牧師先生にあたたかく迎えられたとき、すごく嬉しかったそうです。暴走族に入っていても、心の中に寂しさがあり、愛に飢えていたのだと思います。

やがて主を信じ、洗礼を受け、神学校に入りました。神学生のとき、キリスト教の新聞社にあかしを書いて送ったら、もっと書いて下さいと原稿依頼があったそうです。
そのとき、とても書けないと思ったのですが、聖書のタラントのたとえのところを読んでタラントを用いるべきだと考え、書き始め、一年間新聞に連載されたそうです。

H.S先生は次のように語りました。


捨てたいと思っていた過去ですが、同じような境遇の人に、ひとりひとりが神の子なのだと伝え、社会から見捨てられた人の牧者として仕えていきたいです。

タラントには弱さも含まれています。自分は弱いけれど、神さまが弱さを用いて下さいます。弱さを人のため、家族のため、教会のために捧げるとき、素晴らしいものになるのです。わたしたちは弱さを存分に発揮し、活用するとき豊かな恵みを味わうのです。

弱さと向き合うのはつらいことですが、第3のタラント、主イエスが与えられていることを覚えましょう。イエスさまは弱さを祝福して下さいます。イエスさまは良くやった。良い忠実なしもべだ。と言ってくださいます。
弱さや欠点があっても、逃げないでこれを隣人のために用いて下さい。



わたしは自分の中学時代のことを思い返すと、それは捨ててしまいたいような過去です。H.S先生のようではなく、見た目には、ごく普通の目立たない生徒でした。でも、心の中は恨みと憎しみに満ち、空しさで死を願う日々でした。

そのときの気持ちをあえて思い出すことによって、空しさや自殺願望を抱いている人たちにキリストを伝えるため小説を書くという使命がはっきりしてきます。
でも、わたしはとても弱く、自分の力では書き続けることができません。

このメッセージを聞いて、弱さもタラントだと知ったとき、喜びにあふれました。
わたしには、この弱さしかないのですから。

そして、弱さを祝福してくださるイエスさまがタラントとして与えられていることを教えていただき、心から主に感謝しました。


今週は自殺予防週間です。神さまが造って下さった尊い命。どのような理由があったとしても、その命を自ら絶つことがありませんように。


                     おわり


弱さもタラント(その1)

2007-09-10 13:37:05 | 教会

今朝は病院へ行って来ました。天気が怪しいので、自転車で行こうか、バスで行こうか迷い、ネットで土浦の天気を調べると、一日中曇りで降水確率0%です。
出かけるとき、今にも降り出しそうな雲行きでしたが、バスで行くと乗り継ぎが大変なので自転車で行くことにしました。(自宅から病院まで自転車で25分かかります)8時半からの予約でしたが、今日は珍しくあまり待たされないですんだので、9時15分には終わっていました。
外へ出ると、雨が降っていました。合羽を着ると汗が滝のように背中を流れます。
ようやくの思いで家に着いたとたん、雨は本降りになり、雷まで鳴り出しました。雷の苦手なわたしは、ほっと胸をなでおろしました。
それから30分も経つといい天気に。台風の時の気まぐれ天気がまだ続いているという感じです。


昨日は礼拝で、N教会のH.S先生がマタイ25章からメッセージをして下さいました。
マタイ25:14-30には、イエスさまがして下さったタラントのたとえ話が書かれています。

タラントのたとえ話を紹介します。

ある人が3人のしもべにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントの財産を預けて旅に出かけました。5タラント預かった者はそれで商売をし、さらに5タラントもうけ、2タラント預かった者は同様に2タラントもうけました。ところが1タラント預かった者は地面に穴を掘って埋めてしまいました。
主人が帰ってきて精算をしたとき、5タラントと2タラントもうけたしもべに対して、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかなものに忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ」と言います。
ところが1タラントを土の中に埋めていたしもべに対して主人は怒り、それを取り上げて10タラント持っている者にあげよと言いました。


タラントというのはお金の単位で、1タラントは6千デナリです。1デナリが1日の労働の最低賃金ですので、1タラントは20年分の労働賃金に当たります。


そう考えると、このご主人はずいぶんの額をしもべに預けたものだと感心します。また、どうして人によって預けた額が違ったのか? 1タラントの者でも、そのお金をなくしたわけではなく、大事にしまっておいたのになぜ主人は怒って取り上げてしまったのか?という疑問が沸いてきますが、ここではタラントは、お金のことを言っているのではなく、わたしたちが神さまから預かっている賜物のことです。

H.S先生は、タラントは3つ考えられると言われました。


1)個性(得意なもの、才能、能力、良い部分、欠点、弱点)
2)使命(個別の任務)、課題(直面する色々な問題や困難、試練)
3)主イエス



欠点、弱点がタラントに含まれていることが驚きでした。主イエスがタラントなのだということも初めて聞きました。
この後語られたH.S先生のあかしに感動しました。後日紹介します。



*日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP本日更新しました。ブックマークにあります。ぜひご覧ください。

祈りについて

2007-09-08 17:46:35 | 過去の記事より

教会で子供集会「はこぶねクラブ」があり、紙芝居を持って出かけ、子供たちと楽しい時間を過ごしてきました。

写真は昨日の夕焼けです。あまりきれいなのでベランダから写しました。

今日は3年前にHPで祈りについて書いたものを掲載します。


友人になぜ祈るのかと聞かれました。それは確かに聴いて下さるお方がいると信じているからです。
もちろん、熱心に祈ったからといって天から声が聞こえてきたりするわけではありません。でも、祈りは神さまとの会話ともいいますから、祈りは聴かれていると信じています。

それなら、神さまがいるという証拠は?と尋ねられると困ってしまいます。神さまの存在を証明することはてできません。でも、神さまがいないという証明もできません。
存在するかしないかどちらかです。

洗礼を受けるとき、わたしは神さまが存在するという方に賭けるような気持ちでした。
それから26年たちますが、洗礼を受けたことをいちども後悔したことがありません。目にはみえないけれど、神さまは生きておられると毎日感じています。


わたしはミッションスクールの保育科の短大に通っていました。
学生時代、「保育園でどうしようもないような問題が起きたときは、……」と先生が言うのを聞いて、どんな解決策を教えて下さるのだろうと次の言葉を心待ちにしていました。
すると先生は言われました。
「祈るしかなかった」
まだ信仰を持っていなかったわたしは、それを聞いてがっかりしました。「なんと非科学的な!」と、思ってしまったのです。
卒業するときその先生から
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい(Ⅰテサロニケ人への手紙5-16.17)」
という聖書の言葉を色紙に書いていただきました。
それから2年後クリスチャンになって、それから後26年の間に祈りは確かにきかれるということを何度も体験しました。祈ることを教えて下さった先生に感謝しています。


*今、29年たっていますが、同じ思いです。

心の嵐も静められて

2007-09-07 12:00:48 | 日記

台風9号の北上に伴って、昨夜から大風、大雨。主人は今日、東京出勤の日です。常磐線快速がストップしているとニュースを聞き、つくばエクスプレスに乗ると言って、朝早く出かけていきました。何があっても出勤しなくてはならないサラリーマンは大変です。
お昼近くになって、ようやく風がおさまってきたのでほっとしています。

わたしは、この台風よりも、昨日から連絡のつかない娘のことが心配でたまりませんでした。毎週水曜の夜に電話することにしているのですが、一昨日夜は孫のヒックンを預かっていて、電話どころではありませんでした。

それで昨日、「電話する」という予告メールを出してからかけたのに何回かけてもつながらず、だんだん心配になってきました。それでも、朝になればきっと連絡がつくと信じて、夜はぐっすり休みました。

ところが朝になっても連絡がつきません。江戸川が近いので台風でアパートごと流されてしまったのでは……などと誇大妄想にとりつかれ、何も手につきません。

ケセン語聖書のマルコの福音書のCDを聴きながら掃除をしていると、
「何故(なて)そんたに恐慌(びく)げ? まァだ心(こごろ)動揺(ぐらめ)ってんのが?」
(*の間、の間です)
と怒鳴り声が聞こえて、ドキッとしました。イエスさまが、わたしをしかってくださったのです。

イエスさまが弟子たちと船に乗っていたとき、嵐になりました。水をかぶって船が沈みそうになったのにイエスさまは寝ておられます。弟子たちは恐怖にとりつかれ、イエスさまを起こしました。イエスさまは湖に「黙れ、静まれ」と言って、風や波を静められました。その後で弟子たちに言われた言葉です。

新改訳聖書には「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」(マルコ4:40)と書かれています。

はっとして「神さま、不信仰な私を赦して下さい。委ねます。娘のこともいっさいを委ねます」
と祈って30分後、娘から電話がありました。娘は、昨日は携帯をサイレントにして、見もせず、今まで寝ていたというではありませんか……。怒りを沈めて……感謝。

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