生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ファインディング・ドリーを観て

2018-07-17 16:45:49 | その他
この暑さ、いつまで続くのでしょう・・・・・・。異常気象とか温暖化の影響とか言われていますが、世界的に異常なのですね。

被災地もかんかん照りだと聞いて、これ以上熱中症で命を落とす人がないように祈りました。
三連休孫たちが来ていて、ディズニーの『ファインディング・ドリー』のDVDを一緒に観ました。わたしは、はまってしまい、ディズニー映画の中で一番好きな作品となりました。

『ファインディング・ドリー』は『ファインディング・ニモ』の続編です。
ドリーは、今あったこと、聞いたことをすぐ忘れてしまいます。認知症ではなく健忘症です。

けれども、自分とは種が違う人間の言葉やクジラ語を理解出来るほど知能が高かったことがわかります。

ドリーは子どものころ、母親が好きだった紫色の貝殻を拾おうとしてパイプに吸い込まれ、両親とはぐれてしまいました。そのことを思い出し、両親を探す旅に出ます。

旅の途中で、両親と別れてから何年も経っているから見つけるのは無理だと言われたり、ドリーのことを両親は忘れてしまったかもしれないと言われ動揺しますが、あきらめません。

ほとんどのことを忘れてしまったドリーでしたが、両親から愛されていたことと愛していたことを覚えていたのです。愛するお母さんの好きな色の貝を覚えていたので、貝をたどっていって両親と出会えたのです。

ドリーには二つのメッセージがあると思います。ひとつは、病や障がいを持っていても、それがマイナスとして働くのではなく、プラスとして働くということ。病や障がいは欠点ではなく、神様から与えられた特別の才能だということです。

もう一つのメッセージは愛です。この映画を観た人は親子の愛を感じるでしょうが、製作者はもっと大きな愛について描いているのではないでしょうか。
愛されたという経験が非常に大きな力になります。愛されたので、ほかの人を愛することができるのです。両親に愛されずに育った子どもは悲しむかもしれません。でも大丈夫。あなたを造られた神様がまずあなたを愛してくださったので、両親に愛されなかった子どもも人を愛することができるのです。


聖書の言葉

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
                                            (Ⅰヨハネ4:10)



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彼の決断で6000人が救われる

2017-05-23 20:13:16 | その他
先日の礼拝で6千人のユダヤ人を救った杉原千畝のことが語られました。
ネットで調べたことを紹介します。

1939年、杉原氏はリトアニアの日本領事館代理として働いていました。
1940年7月27日、大勢の人が領事館の周りを埋め尽くしていました。事情を聴くと、それはナチスの迫害の手をのがれてリトアニアに着いた大勢のユダヤ人たちでした。

ユダヤ人達は、これから日本経由でアメリカやイスラエルに逃げようとしており、通過ビザを求めていました。
ナチスから逃れる道は、シベリア-日本経由の道しか残されていませんでした。

人々は日本を通過するビザが欲しいと訴えていました。
これほど多くの人々にビザを出すことは、領事の権限ではできませんでした。外務省に暗号電報で許可を求めましたが、回答は「否」です。日独伊三国同盟を目指す方針の下で、ドイツに敵対するような行為は認められなかったからです。

でも、もしビザを出さなければ、外のユダヤ人達は皆殺されてしまいます。杉原領事はあきらめずに二度、三度と電報を打ちましたが答えは同じでした。

ビザ交付の決断に迷い、眠れぬ夜を過ごした杉原はついに意を決して、夫人に言いました。
「幸子、私は外務省に背いて、領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」
「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけれど、そうしてください。」
幸子夫人も同じ考えでした。

杉原氏は、外務省を辞めさせられることも覚悟して決断しました。

以下は幸子夫人の書かれた文章です。

「夫が表に出て、鉄柵越しに「ビザを発行する」と告げた時、人々の表情には電気が走ったようでした。一瞬の沈黙と、その後のどよめき。抱き合ってキスし合う姿、天に向かって手を広げ感謝の祈りを捧げる人、子供を抱き上げて喜びを押さえきれない母親。窓から見ている私にも、その喜びが伝わってきました。」

それから約1か月間、退去期限ぎりぎりまで、杉原氏は朝から晩まで1日300枚を目標にビザを書き続けました。すべてを手書きで一人一人の名前を間違えないように書かなくてはなりません。

一日が終わると、ベッドに倒れ込み、夫人が腕をマッサージしていると数分で眠り込みました。

ソ連から退去命令が何度も来て、杉原氏はついに8月28日に領事館を閉鎖して、ホテルに移りました。ホテルにもユダヤ人がやってきました。杉原氏はありあわせの紙でビザを書き続けたそうです。

9月1日の早朝、退去期限が過ぎて、ベルリン行きの国際列車に乗り込むと、ここにもビザを求めて何人かの人が来ていました。窓から身を乗り出して杉原氏はビザを書き続けました。

   走り出づる列車の窓に縋りくる手に渡さるる命のビザは

杉原氏のおかげで6千人ものユダヤ人の命が救われました。

杉原氏は、ビザを発行してはいけないという日本政府と、ユダヤ人を助けたいという思いとの板挟みになりました。しかし、神を信じていた杉原氏は、「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」と言ってビザを発行する決断しました。

1947年に日本に帰国した杉原氏は、外務省を依願退職させられることになりましたが、1985年には、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受賞しました。
6千人のユダヤ人の子孫は、今や25万人にもなったそうです。。

杉原氏がもし自分の立場を守りたいと思ったら、日本政府の命令に従って発行しないという決断をしたでしょう。でも、彼はたとえ命を失っても神のみこころにかなったことをしたいと思い、発行する決断をしたのです。
ご夫妻の信仰に心打たれました。

上の写真は日曜日に礼拝後、TEENSの子どもたちと行った茨城県北部の阿字ヶ浦海岸


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苦難はなぜあるのでしょう

2017-02-02 20:56:24 | その他
肩こりがひどくて、寝ていても痛くて目が覚めるようになったので、整形外科に行ってきました。3か月前ぐらいまでは左肩が痛かったのです。肩回し体操をしていたらよくなってきました。ところが今度は右肩が痛くなって、肩を回すことすらできません。利き腕が右なので、日常生活も不自由するようになりました。

病院では、レントゲンを撮ってもらいましたが、予想通り「五十肩」と言われました。
原因はよくわかってないようです。

電気を当て、マッサージを受け、腕を延ばすような運動をしたら、ずいぶん楽になりました。しばらくリハビリに通わないといけません。年をとるということは、痛みや苦痛との戦いがだんだん増えてくるということなのかもしれません。

昨日教会で「天国からの奇跡」のDVDを観ました。
色々なことを考えさせられました。

テキサス州に両親と姉妹たちとともに暮らしている少女アナは、消火器疾患の持病がありました。病院を転々としますが、原因がわからず、苦しんでいます。食べたものが消化できないので、朝はサプリメントを飲み、そのほかは経管栄養で補っています。管を入れたり抜いたりが大変で、楽しいはずの食事が苦痛になっています。
痛みもだんだんひどくなり、腹がふくれてきました。遠く離れたボストンの大病院に子どもの病気専門の名医がいると聞いて、母親がアナを連れて行きます。

予約しても一か月以上待たされるので、母親は予約しないで行くのです。
普通だったら追い返されるところ、受付の人の配慮によって翌日看てもらうことになりました。レストランで知り合った黒人の女性に水族館に連れて行ってもらったりします。

暗くなりがちなドラマですが、周囲の人たちのやさしさ、ユーモアに思わず吹き出してしまう場面もありました。小児科医の明るさ、牧師のユーモアあふれる説教が暗闇の中の光のようでした。

ボストンの病院で診察を受けましたが、難病で治らないことを告げられ、母親は打ちのめされます。神様に一生懸命祈っているのにどうして治らないのか、神様はいつまで沈黙しておられるのか、母親は悩みます。

母親の気持ちはよくわかります。気の遠くなるほど長い間祈っているのに事態は悪化するばかり。そんなとき、信じて待つことができるでしょうか?
教会へ行くと、「お子さんがそんなひどい病気になったのは、あなたかご主人が罪人だからじゃないの?」と教会の人に言われ、母親は傷ついて教会へ行くのをやめてしまいます。この場面を観たとき驚きました。

聖書には生まれつきの盲人を見て弟子たちがイエス様に尋ねる場面があります。
「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。

イエス様は答えます。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」
病気になったり、悪いことが起きたりするのは、その人か家族の誰かが悪いことをしたせいだと思う人が今でもたくさんいますが、決してそうではないのです。

それでは、苦難はなぜあるのでしょう。

DVDの内容を最後まで書くと、ネタバレになるので、この辺にしておきますが、
結論としてアナは治ります。アナが病気になったことは、神のわざが現れるためだったと納得のいく、感動的な結末でした。ぜひDVDをご覧ください。

これは実話をもとに作られた映画で、2015年に公開されたそうです。最後の方で実在のアナたちがでてきます。
アナに起きた奇跡を信じるか信じないか。神様の存在、天国があるということを信じるか信じないか。見る人ひとりひとりに問いかけられているようです。



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普通の家族として生きられるように

2017-01-14 20:33:05 | その他
来月26日に教会で暗唱聖句大会があります。今日は暗唱聖句の冊子を印刷しに夕方から教会に行きました。
2時間半もかかって大変でしたが、若い人たちが積極的に動いてくれたので、スムーズにできました。

昨年から心痛めて祈っていることがあります。
知り合いのお子さん(ひろくん、2歳)が生まれつきの心臓の病気であること。心臓移植を受けるため渡米する決意をしたことを知ったからです。

心臓移植しかいのちが助かる方法がないのに、日本では移植を受けられる可能性がきわめて少ないのです。
今は補助人工心臓をつけて東大病院に入院していますが、補助人工心臓をつけたままでは感染症や脳梗塞のリスクがあるので、心臓移植を受ける必要があるとのことです。

4歳のお兄ちゃんにも会えず、病院のベッドの中で過ごす毎日。
若いご両親の苦労はどれだけ大きいことだろう……と思うと涙があふれてきます。

ひろくんのお父さんは「家族で散歩するのが夢。啓と共に普通の家族として生きていきたい」と言っています。
普通の家族として生きることの大切さを気づかせていただきました。

渡米して移植を受けるのに必要なお金は3億1千万円だそうです。今、ひろくんを救う会の人たちによってつくばや土浦、柏で募金活動が行われています。

昨年12月には、ひろくんのことが新聞に掲載されました。今日は地方紙(常陽リビング)に掲載されていました。
一日も早く渡米でき、心臓移植してもらうことができますように。ひろくんがお兄ちゃんと一緒に元気に走り回れる日が来ますようにと、ただただ祈るばかりです。

ひろくんのためにベアンテ・ボーマン(元東京交響楽団主席チェリスト)さんによるチャリティーコンサートが土浦めぐみ教会で行われます。
2月4日(土)18:00~19:30(開場17:30)
(曲目)
 バッハ作曲:アリア
 ボッケリーニ:ソナタ6番
 サン・サーンス作曲:白鳥 他
(入場料)
 大人3,000円、小・中・高生1,000円

 ※ボーマンさんのご厚意により入場料の全額が、ひろくんの心臓移植のための募金となります。

ここをクリックしてひろくんを救う会のHPをごらんください。


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感激旅行記(その2)

2016-12-05 21:02:55 | その他

名古屋からワイドビューひだに乗りかえます。名古屋で神戸からの4人と、姫路からの3人と合流することになっていたのですが……ハプニングが起こりました。

神戸からの4人とは出会えました。ところが姫路からの3人がいません。

「新幹線乗り間違えた」と姫路組からメールがあったと聞いて驚きました。
一台早い新幹線に乗ってしまったそうです。早い新幹線に乗ったのに、遅れて着くらしいです。3人もいるのにどうして間違えたのでしょう。

でも、「3人だから大丈夫やね」と笑いました。

わたしたちには昔からハプニングがつきものでした。
学生時代、東加古川の幼稚園に招かれて人形を持って11人で電車に乗り込みました。
電車の中で話に夢中になっているうちに、ふと気づくと加古川駅でした。ひとつ乗り越してしまったのです。あわてて加古川で降り、上り電車が来るまでの間真っ青になっていました。幼稚園ではわたしたちが現れないので、駅でずっと待っていてくださったようです。15分遅れぐらいで到着して、迷惑をかけてしまいました。

また、別の日、公演が終わったとき駅まで車で送ってもらったのですが、メンバーのひとりがトイレに入っていたのに気づかず、おいてきぼりにしてしまいました。途中で気がついて、戻ってもらったのです。

その後は、かならず人数点検をするようになりました。携帯電話のないころのことです。
皆、そのことを思い出していました。
とにかく、高山で無事合流できました。荷物を預けてから高山の町を歩きました。



可愛いサンタクロースが迎えてくれました。


町屋格子のお店が連なっていました。お団子とソフトクリームを食べながら歩きました。





鍛冶橋に手長足長の像がありました。足長像と手長像は夫婦だそうです。(足長が夫、手長が妻)


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                              つづく

今、生きている

2016-11-07 20:54:10 | その他
昨日は、召天者記念礼拝でした。
召天者記念礼拝では、亡くなられた方の写真をパワーポイントに映して故人を偲びます。
今年は教会で1月から毎週のように葬儀がありました。

わたしより若い友人も天に召されました。彼女の笑顔の写真が映し出されたとき、涙があふれました。彼女は今年自分の写真が召天者記念礼拝で映し出されるとは夢にも思っていなかったことでしょう。

父と母の写真が映されたときも、また泣いてしまいました。
わたしの心はまだ小さい子どもで、父や母が必要なのに、なぜいなくなってしまったのでしょう・・・・・・・とせつなくなったのです。母が召されて一年以上たちますが、毎日「おかあさん」と呼んでいるわたしです。

天国で再会できるとわかっていても、いま、会って話すことができないのは、寂しいです。

それでも、神様は「悲しみに沈むことがないように」と言われます。それは、希望があるからです。「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいるときから形造った方」が、恐れることはないと言ってくださいます。

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:1-2)」

神様は、わたしたちの天国での住まいを用意してくださっているのです。

『もっとも大切なことは、今、わたしたちは生きているということです。いつ召されてもいいように準備するように』と牧師先生が言われました。

臆病な戦士の続きはのちほど……。

写真はフランスのロワール地方の教会。

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ブログ11周年

2016-10-20 16:13:13 | その他


ブログ開設してからちょうど11年たちました。昨年が10周年でした。昨年の10月は母が召された月で、ブログを書くこともままならず、10年たったことに後から気づいたのでした。

ブログを始めたきっかけは、乳がんになってHPを立ち上げたのですが、そのHPを携帯で見たいので、ブログを立ち上げてほしいという友人の願いからでした。

こんなに続くとは思っていませんでした。実際、やめようと思ったことも何度かありました。
落ち込んで、何も書けない時期もありました。そんなときに限って、励まされるような出来事が起きました。ブログから2回テレビ出演させてもらいました。わたしのブログを読んだことがきっかけで洗礼を受けた方もおられます。

思わぬ人が読んでいてくださっていることがわかり、驚いたこともあります。
昨年「袋田の滝」に母と旅行に行ったことを書いたら、旧友から電話があり、「袋田の滝の展望台は主人が作ったのよ」と知らせてくださいました。

お会いしたことがない方から、コメントやメールをたくさんいただきました。
乳がんの告知を受け、ショックだったけど、このブログに行きついてよかったと嬉しいメールをいただいたこともありました。

先日は、同じ教会のSさんが遠方の教会に行ったとき、わたしのブログをいつも読んでいるといわれるひとりの方から土筆文香さんに渡してほしいとメールアドレスの書かれたカードを預かり、その方とコンタクトをとらせていただくことができました。ブログを書くのが少し億劫になっていた時期でしたが、力が与えられました。

わたしがブログを始めたときとほぼ同時期に始められた2人の友の存在も大きいです。
この友人たちとは、お互いに祈りあっています。祈りによる支えがあるからこそ続けられているのです。

近頃は以前に比べブログ更新の頻度が下がっていますが、それは創作の時間を多くとっているからです。
また、高脂血症になったことや、ひどい肩こりで日常生活に支障が出るようになったのでパソコンに向かう時間を減らしてウオーキングを再開しました。

ブログgooではリアルタイム解析という機能があって、そのページを開いた数時間前から開いたときまでのアクセス数を見ることができます。
更新した途端8~10人の方が見てくださるので、嬉しいような恐ろしいような気持ちです。

ネットの世界はどのようになっているのかわかりません。でも、大勢の方がブログを読んでくださっていることを知らされるとき、感謝とともに書いたことへの責任も感じます。

文章は、何度も推敲して仕上げるエッセーや小説、童話とは違って、そのとき思ったこと、感じたことを書いたものが多く、あまり推敲もせずに載せてしまうので、まとまりのない内容になっています。ただただ祈りながら書いています。

なぜ書くのか? それは、作曲家のバッハが、いつも楽譜にSoli  Deo  Gloriaとサインをしていたそうですが、その意味は『ただ神の栄光のために』です。
わたしも、その気持ちでこれからも可能な限り書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

写真は15日に孫たちと行った霞ヶ浦湖畔の水郷公園です。


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なぜ? と思う出来事

2016-07-22 16:29:27 | その他
いま、2016年。世界のあちこちで起きているテロ、日本で起きている理由のわからない殺人事件。地震、異常気象など……恐ろしくてブログにも書けません。
多くの人は疑問に思います。「何の悪いこともしていない人がなぜ死ななければならなかったのでしょう」
因果応報ともいわれるように、原因があって結果があると考えている人たちは、何故?と問いかけます。
しかし、答えは出てきません。この世界は因果応報ではないのです。

昨日は家庭集会でした。
「シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの18人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったと思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。(ルカ13:4-5)」約2000年前にイエス様が言われた言葉です。

シロアムの塔とは、どのような塔だったかわかりませんが、建設中か修繕中に倒れ、下敷きになった18人が死んでしまったという事故があったようです。
その18人が特別悪いことをしたわけではないとイエス様が言われました。

「悔い改めないなら、みな同じように滅びます」と書かれているのは、誰でも悔い改める必要があるという意味です。
では、悔い改めとはどういうことでしょう。自分には、悔い改めなければならないことなどないと胸を張って言う人もいるでしょう。
あるいは、自分は悔い改めができていないと胸を痛めている人もいるでしょう。

悔い改めについてひとりずつ考えていることを話しました。
反省するという内容が多かったです。

イエス様はシロアムの塔のことを話してから、たとえ話をされました。次のような内容です。
ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えました。その人は、毎年実のなるのを楽しみに待っていました。でも、3年たっても実がならないので「切り倒してしまいなさい」とぶどう園の番人に言いました。
番人は、木のまわりを掘って肥しをやるので、来年まで待ってくださいと頼みました。

このたとえは、イスラエル人が神様に特別扱いを受けてきたのですが、悔い改めの実を結ばなかったことを示しています。
と同時に、このたとえは、私たちのことも指しているそうです。

レジメには次のように書かれていました。

(あなたがいちじくの木で、神様がその持ち主、イエス様は木の世話をする番人を示しています。)

番人であるイエス様は、実をつけないいちじくの木が切られてしまわないようにとりなしているのです。

悔い改めるとは、反省すること、悔やむことではありません。
悔い改めるとは、神様と自分の関係を本来の正しい関係に戻すことを意味します。

人間は誰でも罪を持っていますから、そのままでは滅びてしまいます。実をみのらせないいちじくの木のように切り倒されてしまいます。

罪に気づいても、自分の力ではその罪を取り除くことができません。


マタイ21:18~19には
イエス様が空腹を覚えられたとき、いちじくの木を見て葉のほか何もないのに気づかれました。イエス様は実らないいちじくに向かって「お前の実は、もういつまでもならないように。」と言われました。すると、たちまちいちじくの木は枯れてしまいました。
ということが書かれています。

わたしは、初めてこの箇所を読んだとき、驚きました。実がなっていないからと、腹を立てて木を枯らしてしまうとは……。

でも、いちじくを枯らしたのはそういう意味ではなかったのです。イエス様は、腹を立てたわけでなく、大切なことを伝えようとしたのです。

イエス様はこんなふうに言っておられるのではないでしょうか。

「あなたが、悔い改めないでいると、このいちじくのように枯れて(滅びて)しまうのだよ。このことを覚えて、わたしのところに来なさい。
わたしは、あなたの代わりにのろわれた木になったのだよ。あなたが引き受けなければならない滅びの道をわたしが引き受けたから、あなたは滅びることがないのだよ。あなたの罪はとっくに赦されているのだから」


のろわれた木、実のならないいちじくの木は、イエス様の十字架を意味していたのですね。

シャワーのようにイエス様の愛が注がれていることに気づきました。

「悔い改めるとは、罪を持つわたしに代わって死んでくださったイエス様のことを思うことです」と牧師先生が言われました。



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わたしのトリセツ

2016-06-24 16:39:52 | その他
音楽番組を見ないわたしは、今どんな歌がはやっているのか、どんな歌手がいるのかさっぱりわかりません。
CS教師研修会で西野カナがうたう「トリセツ」のように、自分のトリセツを作って書いてきてくださいという宿題が出ました。
さっそくパソコンで調べると、ユーチューブでその歌を聞くことができました


この歌詞を読んだとき、ずいぶん身勝手なことを書いているなあと思いました。
でも、2回目に読んだときは、彼氏あるいは婚約者にあてて書いたラブレターだと気づき、可愛いなあと思いました。
3回目は、自分のことをよくわかっているなあ。どうすれば、機嫌がよくなるのかなど自分を客観的に分析しているなあと、感心しました。

どんなに愛し合っていても、言葉で伝えないと思いが相手に届かないことがあります。どんなことをしてもらえば嬉しいのか具体的に書かれていますね(だからトリセツなのですが)
欲をいえば、自分のトリセツだけでなく、相手側からのトリセツがあればいいと思いました。

研修会で、

「自分のトリセツを作成する目的は、自己理解です。自らの特徴、短所、弱さ等と向き合い、正直に書いてください。きれいごとにはならないように注意してください。」

と言われて、わたしの書いたトリセツを紹介します。
(ちょっと恥ずかしいのですが、本当のことです)
研修会で発表したものに少し書き加えています。
また、これは主人に向けて書きました。でもまだ見せていません。


             文香のトリセツ

もうとっくに気づいていると思うけど、わたしはまだ大人になりきれていない部分があります。こころの年齢は3歳~5歳ぐらいです。
だから、ときどき左右がわからなくなります。運転しながら右か左かと聞かれても、すぐには答えられません。

カタカナが正しく発音できません。ちゃんと発音できなくても笑わないでくださいね。
吠える犬と風船の割れるのがこわいです。
よく寝言を言います。叫ぶこともあるそうで、迷惑かけています。なかなか止まらなかったら、起こしていいからね。

よく独り言をいったり、急に笑い出したりします。認知症になったのではありません。
そのときはあっち(ファンタジー)の世界に行っているときなので、声をかけないでください。創作活動の延長なのです。

わたしは、教会へ行くことが嬉しくて、聖書のお話を聞くことが大きな喜びです。
教会学校で子どもたちと一緒にいると、元気になります。賛美すると機嫌がよくなります。
具合が悪くて教会へ行けないと、悲しくなります。日曜日の午前中に用事が入ってしまうとつらいです。

自由に毎週教会へ行かせてくれてありがとう。こんどは一緒に教会へ行ってくれると嬉しいな。行けばきっと、すばらしいところだとわかるよ。

忘れ物が多く、失敗ばかりしているわたしだけど、これからもよろしくね。

         


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自己認識

2016-02-16 20:48:30 | その他
14日の午後、ヒックンとナルクンがママと一緒にやってきました。
ナルクンが昼寝しているとき、ヒックンとウノで遊びました。

ヒックンは勝つためにカードの使い方を考えて、ここぞというときに切り札を出してきます。とてもかないません。わたしも真剣に考えるのですが、何回勝負しても負けてしまいます。
帰るとき、ヒックンが「今日は、たくさん遊んでくれてありがとう。本当に楽しかったよ」と言いました。胸がキュンとしました。

ヒックンとナルクンは大勢の人に愛されています。愛されていることを知っている子どもは、心と体が健全に成長していきます。神様にも愛されていることを知ってほしいなあと願っています。


学生時代、乳児院に実習にいったことがありました。「できるだけたくさん抱いてやってください」と乳児院の保育士さんに言われました。
人手が足りなくて、ひとりの子どもを抱いたり、かまったりする時間が少ないのだそうです。それで乳児院の子どもたちは身体的発達が遅れているというのを聞いて驚きました。

乳児院にいる子どもが皆、親に捨てられたわけではありませんが、親に捨てられた子どもは自己価値が低いのだそうです。(このことは一昨日礼拝で聞いたことです)


わたしは、両親と祖母に愛されて育ったのになぜか自己価値が低く、自分なんかいないほうがいいんだと思っていた時期がありました。
けれども聖書には「わたしたちは神の子どもです」と書かれています。
これは自己認識の根底なのだそうです。

聖書のエペソ2:10には、「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」と書かれています。
私たちというのは、一部の人ではなく、すべての人のことです。神様がひとりひとりに崇高な使命を与えてくださっているのです。
自分なんか何の才能もないし、何もできないと思っている人がいるかもしれませんが、そんなことは決してありません。どんな人でも使命が与えられており、生きる価値があるのです。

わたしたちは、『神の子ども』『神によって生かされている者』『生きる価値のある者』なのです。



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試練の多い人

2016-01-28 20:58:13 | その他
「試練が多い人はなぜだと思いますか?」
と友人に問いかけられました。

確かに試練が多い人と少ない人がいるように思えます。試練の内容も重く、耐えがたいものから、気分のいい時は忘れているくらい軽いものまであります。

他人の試練はたいしたことなく思え、自分ばかり重い試練を負わされていると感じる人は多いのではないでしょうか。

わたしもそうでした。3歳から何十年も喘息で苦しみ、喘息が治ったと思ったら、47歳のときに乳がんになりました。

喘息発作の苦しみは体験した人でないとわかりませんね。

予防薬もなかったころのことですから、発作が起きそうだとわかっていてもどうすることもできません。水槽から出された金魚のように苦しみます。
気道が細くなっていて、まともに呼吸することができないのですからたまりません。一呼吸に全身の力を振り絞り、それが何時間も続くと、エネルギーを使い果たしてしまうのです。

しかも発作は夜中の3時~4時ごろ起きることが多く、途方もなく長い時間格闘し、朝になってようやく病院へ行っていました。(子どものころは夜中に夜間診療へ連れて行ってもらっていました)

注射で一時的に発作が治まると、ひどく肩が凝っているのに気づきます。呼吸して肩凝りするとは……。

中学生のころは、ステロイドを飲まなくては治らないほどひどい発作を起こすようになっていました。ステロイド剤によってさらに発作が起きやすくなってしまい、発作が起きるとまたステロイドを飲んで……と悪循環でした。
こんなに辛い病気を経験したのだから、自分はもう大きな病気はしないだろうと思っていました。

ところが乳がんになって、これはどういうことだろうと考えずにはいられませんでした。

試練は、病気だけではありませんでした。中学生のとき関東から関西に引っ越して、学校でいじめられ、友だちが一人もいなくなってしまったことがありました。

そのころ、「世の中ではもっと辛い思いをしている人がいるよ。あなたは両親がいて、おばあちゃんがいて、経済的心配もなく、幸せじゃないの」
と言われました。

「もっと辛い目に会っている人がいるから、自分はましだと思いなさい。」とも言われましたが、それは慰めにはなりません。
人と比較しての試練ではないからです。

わたしは、この試練の中で神様に出会いました。あまりにも辛くて「イエス様!」と叫ぶしかなかったのです。

わたしには辛すぎると、そのときは思いましたが、あとで思い返すと、神様はわたしのためにわたしに耐えられるような試練、わたしに必要な試練を与えてくださったのだなと思いました。

喘息は癒されたのですが、その後、聖書を読んでいても、祈っていても思いが千々に乱れ、神様に焦点があっていないような生き方をしていました。そのようなとき乳がんになって、イエス様にしっかり焦点を合わせるようになりました。

イエス様に焦点を合わせると、神様がどれだけ素晴らしいお方かわかってきます。また、どれだけ愛のお方かわかってきます。
神様は、わたしに試練を与えるけれど、それには目的があってのことです。

神様は、いたずらに人を苦しめたりするお方ではありません。
辛くて泣いているときは、一緒に涙してくださいます。
神様は、わたしのことを特別愛しておられるのではないでしょうか……。

「試練の多い人は、神様に特別愛されている人」
というのが、わたしの答えです。

You're loved especially.


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仙台から秋田へ(その5)

2015-12-19 19:05:05 | その他
阿仁から田沢湖高原へ向かいました。田沢湖は美しく、車内から見ると湖の色が変化していくのがわかりました。


秋田駒ヶ岳が見えました。


田沢湖の辰子像は角度によって表情が違って見えました。どの角度から見ても悲しみをたたえているようです。

田沢湖の辰子には次のような伝説があります。たいそう美しい娘辰子は、美しさと若さを保ちたいと願い、大蔵観音に百日百夜の願いをかけました。北に湧く泉の水を飲めば若さと美しさが保たれるとお告げがあり、泉に出かけて行きます。泉の水を飲んだ辰子は、喉の渇きが治まらなくなり、水を飲み続けているうちに龍になってしまったそうです。

辰子はたぐいまれなる美貌の持ち主だったそうですが、幸せではなかったのですね。美貌ゆえ、衰えていくことを恐れたのでしょう。
辰子の話は事実ではありませんが、人はみな、心の中に悲しみをたたえており、闇を持っています。はたから幸せそうに見える人でも、空しさを感じていたり、闇を抱えていたりします。

暗闇をポンプで追い出すことはできません。暗闇を明るくするためには灯りで照らせばいいのです。
暗いところに光が照らされました。イエス・キリストの光です。ヨハネの福音書1:5には、「光はやみの中に輝いている。やみはそれに打ち勝たなかった。」と書かれています。イエス・キリストが暗い世に来てくださり、やみを照らしてくださったのです。




田沢湖高原のホテルに泊まりました。なまはげが出てきてパフォーマンスをしてくれました。


翌日は角館に向かいました。角館ではジブリの映画に出てきそうなすてきなお店を発見しました。武家屋敷を見学して田沢湖高原駅から上野に向かう新幹線に乗りました。
今回の旅も多くの恵みをいただいたことを心から感謝しています。              おわり



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仙台から秋田へ(その4)

2015-12-16 17:26:00 | その他

阿仁合(あにあい)駅に着いてから、阿仁合というのは町名ではないことがわかりました。
町の名は阿仁です。

妹は、祖母から聞いて父の生まれた場所は阿仁合だと記憶していました。わたしは荒瀬という地名を記憶していました。


ここが父の故郷なのだろうかと心配していると、荒瀬という文字が看板に書かれていて、ここに違いないと確信しました。

阿仁は鉱山で栄えた町だそうです。阿仁鉱山の歴史は古く、鎌倉時代に金山が発見されそうで、そのあと銀や、銅が掘り出され、町は活気に満ちていたそうです。



二階の窓あたりまで雪が積もると聞いて驚きました。そのようなところで父は生まれたのです。
小さな商店に入って祖母(生きていれば120歳ぐらい)の名前を言ったら、知っている方がおられ、「親戚だ! 親戚だ!」と喜んでくれました。蔵まで見せていただき、出会いの不思
議さを想いました。



阿仁はマタギの里と言われています。マタギとは秋田地方の山間に住む猟師の一団です。
                                    つづく


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仙台から秋田へ(その3)

2015-12-14 17:04:57 | その他
昼過ぎに男性陣と合流して、お寺に向かいました。親戚の方数人と、母の友人が3人も東京から来てくださいました。

3人の友人たちは、母と20年来の麻雀仲間で、年に5、6回一緒に旅行をしていました。手術後母は、友人たちに「あと3年は生きるからよろしく」と言っていたそうです。末期癌ということは知っていたのですが、高齢者は癌の進行が遅いので、自分はあと3年は大丈夫だと思っていたようです。それを聞いていた友人たちもそのように思っており、筑波山温泉に一緒に行こうと約束していたのです。
母は土浦のホームに入所してから、「もう少し具合がよくなってから皆さんをお招きして温泉に行く」と言い続けていましたが、その日は来ませんでした。

母の死を告げると、母の友人たちはとても驚いたようすでした。それで、お葬儀に行けなかったのでと、納骨の折に秋田まで出向いてくださったのです。
それだけ、母は愛されていたのだなあと思いました。

納骨後の会食の席で、わたしは母のことを語らせていただきました。
義弟が母の友人たちに「お義母さんは洗礼を受けたんですよ。それで教会でお葬儀をしたんです」と言っていたことを知って、嬉しくなりました。

翌日は主人と娘は帰って行きました。
わたしは妹一家と一緒に旅を続けました。妹が、お父さんの出生地に行きたいというので秋田県の北部にある阿仁合(あにあい)へレンタカーで向かいました。


阿仁合駅


かわいい熊の車掌さん


電車が入ってきました。


駅構内のレストランで食べた馬肉入りオムライス。とてもおいしかったです。

前の記事に秋田新幹線写真を追加しました。いちばん上の写真変更しました。
                                      つづく


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仙台から秋田へ(その2)

2015-12-13 16:31:51 | その他
翌日は秋田です。納骨は14時半からなので、午前中に教会へ行けると思っていました。最初は仙台福音自由教会のいちばん早い時間の礼拝に出るつもりでした。ところが、仙台から秋田に向かう新幹線が1時間半に1本ぐらいしかなく、しかも仙台の教会は、駅からかなり遠い場所にあるので間に合わないことがわかりました。


それで、8時6分の新幹線に乗って、秋田中央キリスト教会へ行くことにしました。中央教会は駅から車で5分ほどだと聞いていました。駅に着くと時計は礼拝が始まる10時半になろうとしていたので、急いで階段を降りました。秋田はうっすらと雪が積もっていて、階段の一部は凍っていました。
駅の階段で2回ほどすべり落ちそうになり、ドキッとしました。「あわてないで、あせらないで」と自分に言い聞かせながら手すりをしっかりつかんで階段を降り、タクシー乗り場へ行きました。

タクシーに乗ったら、秋田中央教会は知らないと言われ、驚きました。電話番号と住所を書いた紙が見当たらなくなってしまい、わたしはあせりながらバッグを書き回し、運転手さんは無線で尋ねながら市内をぐるぐる回って……永久に行きつかないのではないかと思ったとき、レンガ色の建物と十字架がみえました。思わず「そこです!」と叫んで、主に感謝しました。運転手さんは「時間がかかって申し訳なかった。場所を知らなかったのはわたしだけだったかもしれない」と言って、おつりを多めにくださいました。
何と誠実な運転手さんでしょう。秋田のタクシーはみんなそうなのでしょうか……。感動しました。

礼拝堂に入ると、聖書を朗読する声が聞こえてきました。
マタイの福音書1章に書かれている系図が読み上げられているのを聞いて、ほっとしました。

この教会は、9年前、父の納骨の翌日に訪れたことがあります。かつてクリスチャンの大叔母が通っていた教会と聞いて、礼拝に出させていただこうと大叔母の娘さんに案内していただいたのですが、それが別の教会だったのでした。礼拝が始まる直前にわかったので、その教会で礼拝を守り、礼拝後に大叔母の秋田中央キリスト教会へ向かいました。礼拝は終わっていたので、礼拝堂や部屋などを見学させていただきました。それなので、タクシーで外観を見たとき、すぐわかったのです。
そのとき、母も一緒だったな……と思い出しました。

マタイの福音書には、イエス・キリストの系図が書かれています。新約聖書の冒頭にわけのわからない名が羅列されていて、それを最初に読んでつまずいてしまう人がいると聞きました。

でも、マタイの福音書は系図を大切にするユダヤ人向けに書かれているのです。系図の中に次の女性の名が書かれています。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻です。この人たちは異邦人であったり、罪を犯した者であったりです。聖書記者はこの人たちの名をなぜ省かなかったのでしょうか。
神に見捨てられたような人たちが系図の中に入っています。

それにもかかわらず、神様の約束が着々となされました。見捨てられたようなところに救い主が誕生したのは、血筋や一族が評価されるのではないことが示されているのですね。

先祖に犯罪者がいたり、また自分自身が罪を犯した者であっても、キリストの血によって罪赦されるということのあかしなのだなあと思いました。
聖餐式にも与ることが出来て感謝しました。
大叔母が召されてから10年以上がたっているのに、大叔母の名を言うと知っている方が何人かおられ、お話できてうれしかったです。
帰りは、車で駅まで送っていただきました。

あわてていて写真を撮れませんでした。この写真は9年前、ブログにアップした秋田中央キリスト教会の写真です。

                    つづく



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