生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

限りある命をおぼえて

2008-08-30 22:01:17 | 教会

姪と過ごす日々はあっという間に過ぎ、今日は帰る日になりました。「もっと泊まっていたかったのに……」と寂しそうに姪が言ったので胸がキュンとなりました。

妹夫婦(姪の両親)が迎えがてらお昼ごろ来て、夜帰るというので、昨日はその準備で大忙しでした。

今日の午前中に教会で「限りある命をおぼえて」というテーマでの婦人修養会があるので、それに出席するため、昨日のうちに料理の下ごしらえをしました。もちろん、姪も手伝ってくれました。今朝は6時に起きて炊き込みご飯をたいて、大急ぎで掃除洗濯をして出かけました。


今年の2月に教会の63歳の婦人Tさんがくも膜下出血で突然召されました。お元気な方で、婦人会のリーダー的存在でした。さまざまな奉仕をしておられました。優しくて誰からも愛されていた方でした。Tさんの突然の死で、ショックを受けた方は多かったでしょう。

今年の修養会のテーマが「限りある命をおぼえて」になったのは、Tさんの死を通して生と死を皆で考えようということになったからです。


Tさんの突然の召天から学ぶこととして3つのことが挙げられました。

1)死は誰も予想できない。自分の死すら予想できない。自分が期待しているように死を迎えられない。

2)防災に備えるように、準備しておかなければならない。遺言状を書くのは、死ぬのが今でないから書ける。書いてから更新していく。

3)自分の考えを書いて残しておく。

2)と3)はクリスチャン・ペンクラブで行っていることです。わたしは、今月迎えた誕生日に遺言状を更新しました。


S牧師の言われたことで印象に残ったことを記します。


・生に対するものとして死を考えるのではなく、生の延長線として死を考えるように。

・死に方、死の様子がその人の人生を決定するものではないので、最期の様子を恐れないように。(アフガンで殺された伊藤さんのように、どんな悲惨な死に方をしたとしても……。)死に方は自分で選ぶことができない。どういう生き方をするのかが大切。

・聖書へブル人への手紙11:13-16を読んで
わたしたちは、地上では旅人であり寄留者。人生は幕屋のようにやがて朽ちるものである。でも、そのことを嘆かないように。神様の約束を信じて、朽ちない体永遠の命に向かって歩んでいるのだから、はかない人生であることを嘆くことはない。

・わたしたちは寄留者で幕屋の生活をしているけれど、神と共に生きている。神様から慰めを受けている。

・自死について「あなたをひとりで逝かせたくなかった」 アルバート・Y. ヒュー著の本より
愛する者が自死をしたとき、なぜ?とその理由を問う。死の理由がわからなくても、理由を知る必要はない。説明を求めているのではなく、実は慰めを求めている。ヒュー氏は、自死遺族の会に行って、そのコミュニティーの中で癒された。


「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(Ⅱコリント1:4)」


実りある修養会でした。忙しい中でしたが、出席できてよかったです。
大いそぎで帰ると、ちょうど妹夫婦が着いたところでした。楽しくおしゃべりしながら食事をし、今、この生かされている貴重なときを大切にしたいと思いました。
姪が帰ってしまったのでとても寂しいです。

姪がやって来て

2008-08-28 17:33:03 | 日記

25日から中1の姪が泊まりに来ています。姪は毎年夏休みに1週間ほど我が家に滞在しています。去年は受験で塾のスケジュールが詰まっていて来れなかったので、久しぶりの長期滞在です。

我が家の末っ子のように可愛いです。何よりおしゃべりが楽しいです。姪が来てから我が家に笑い声が満ちています。
一昨年と比べてずいぶん成長したなあと思いました。以前は、暇をもてあますとわたしにまとわりついていました。勉強もみてあげないといけませんでした。
でも、今はひとりで本を読み、さっさと勉強をし、掃除や食事の支度などいろいろ手伝ってくれて助かります。

一昨日は昼前からヒックンが来たので、ずうっとヒックンの面倒を見てくれました。
わたしの携帯が壊れてしまったので機種変更をしに携帯ショップへ息子に車で連れて行ってもらいました。姪とヒックンも一緒にです。ヒックンは最初天井で回っている扇風機がめずらしくて、しばらく上を見ておとなしかったのですが、そのあと陳列しているものに興味を示し歩きまわるので、さわらせないようにするのが大変でした。混んでいて一時間も待たされ、順番がまわってきたときは、ヒックンが退屈して限界近くになっていました。

ゆっくり選べず、息子のすすめるまま新しい機種を購入したので、使い方を覚えるまでしばらく時間がかかりそうです。姪の方が早く覚えて、教えてもらっています。


昨日は教会で葬儀がありました。I牧師先生のおばあさん(Fさん)で、95歳で召されました。

苦労の多い人生だったようですが、晩年は4世代で同居され、信仰を持ち、ひ孫たちに囲まれて幸せな生活をおくっておられました。 死を全く恐れない素直な信仰を持っておられた方だったと聞きました.

教会のデイサービスに通っておられたのですが、同じデイサービス利用者の方がFさんをみて、「わたしなんか生きていてもしょうがないと思っていたけど、Fさんのような生き方ができるのなら、もう少し生きてみようかな」と言ったそうです。
Fさんは、その生き方を通してまわりの方に励ましと希望を与えていたのです。95歳には95歳の使命があるのだと思い、胸があつくなりました。

『愛と信頼と信仰があれば、どんな人生の問題でも克服できる』と言われた牧師先生の言葉が印象に残りました。


家に帰ると、姪と娘が仲良クッキーを焼いていたので、おやつにいただきました。写真はふたりが焼いたクッキーです。

つばさをなくした天使(その10:最終回)

2008-08-27 13:49:42 | 童話

イエスさまは、頭にいばらの冠をかぶせられ、その両手と足に太いくぎが打ち付けられています。
体の重みで、両手が引き裂かれるように痛み、わずかに足をのばして体をつっぱると、足から血がどくどくと流れ落ちます。
イエスさまは、その痛みにじっと耐えておられました。

 エルは、自分の心臓にくぎがささったようにずきんと痛みました。
(ぼくのためだ。ぼくのためにイエスさまは十字架にかかってくれたんだ……)
エルはいてもたってもいられなくなって、走っていき十字架にしがみつきました。
エルのちょうど頭の上にイエスさまの足先がありました。

 エルは、手を伸ばして足の指をさすると、
「ごめんなさい。ぼくは、ぼくは……」
と、いったまま胸がいっぱいになって、涙があふれました。イエスさまの血が、エルの金色の髪の毛にぽたぽたと落ちていきます。

「エル、こっちにもどっておいで!」
 エルより遅れて丘の上に着いたシャミルが、叫びました。
シャミルは、エルの姿が人間の目にも少しずつ見えはじめているのに気づきました。十字架のまわりには、やりを持った兵士たちが見張っているのです。もし、兵士にエルが見つかったら、殺されてしまうかもしれません。

「エル、早くこっちに来い。君はもうすぐ、人間になってしまうから」
シャミルが声のかぎり叫んでも、エルはぴくりとも動きません。
「何だ? 十字架の下に白い物があるぞ!」
誰かがいいました。幸い兵士たちはだれも気づいていません。
エルは、イエスさまの血で真っ赤に染まっていきました。
 イエスさまは、エルを見つめるシャミルにあたたかい眼差しを注ぎました。『何も心配することはないんだよ』といっておられるようでした。

イエスさまが息をひきとると、太陽が突然黒くなり、あたりは暗闇につつまれました。 人々のざわめきと、女達のすすり泣く声が聞こえます。
しばらくして、だんだん明るさがもどってくると、シャミルはエルがいなくなっているのに気づきました。
シャミルは、あちこちエルをさがして歩きました。でも、とうとうエルを見つけることができませんでした。

12復活の朝に

3日目の朝早く、マリヤは女たちとイエスの墓へ向かっていました。なきがらに香油をぬろうと思っていたのです。
 墓の前に、大きな石が置かれているのを知っていたので、どうしたら取り除くことができるか思いめぐらしていると、石はすでに墓の横にころがっていました。そして、その石の上に天使がすわっていました。

「イエスさまはここにはいないよ」
その声を聞いて、マリヤははっとして天使の顔を見つめました。
「お前は、エル!」
「マリヤさん。この間はありがとう。イエスさまは、よみがえったんだよ。このことを他のお弟子さんにも伝えてね」
エルは、そういうと姿を消しました。

シャミルは、アリサとオリーブ山に登っていました。足はもう引きずっていません。十字架のイエスさまがシャミルを見つめたとき、癒して下さったのです。
シャミルはアリサと二人で心を合わせて、山の上で祈ろうとしていました。
シャミルは、ふと空を見上げてあっと声を上げました。ひとりの天使が、空を飛びながら手をふっていたのです。

 それは、エルでした。エルの背中には、まぶしいほど白い新しいつばさが生えていました。
             
 おわり

つばさをなくした天使(その9)

2008-08-25 11:00:25 | 童話

エルが、イエスさまの横顔をじっと見つめていると、イエスさまの目から一粒の涙がぽとりと落ちました。
(ぼくのせいだ。ぼくのことを悲しんで泣いているんだ)

エルは、今まで自分のしてきたことを思い出しました。人間をばかにして、からかったこと。数え切れないほどのいたずらをしたこと。そしてシャミルのことを思うと……胸がはりさけそうになりました。

(スティックをかくされて、ぼくはシャミルのことをずっとうらんでいた。でも、あれは本当にシャミルが悪かったんだろうか……。
シャミルは、自分の足よりナタブさんの病気を治したかった。ナタブブさんを助けるためにしたことだったんだ。ぼくは、自分のことしか考えていなかった。つばさを下さいなんていえないよ。天に帰る資格なんてぼくにはない……)

エルの目からも涙がこぼれ落ちました。エルは坂を降りてふもとの草の上に倒れこみ、そのまま眠ってしまいました。

11ゴルゴダの丘

次の日、さわがしい人々の声でエルは目をさましました。
「十字架につけろ!」
「十字架だ!」
声は、エルサレムの町から聞こえてきます。エルは、胸さわぎがして町へ急ぎました。

「とうとうイエスは、十字架刑か。」
「当たり前よ。自分のことを、神の子なんていうからさ」
「もし、本当に神の子なら、おもしろいことが起こるかもしれないぜ」
「そうだな、見にいくか」
街角で、男達が話しています。

(イエスさまが、十字架につけられるって? うそだ、そんなことがあるはずない)

エルは、男たちの後についていきました。ゴルゴダの丘を息をきらしながら上っていくと、突然後ろから声をかけられました。

「エルじゃないか! 元気だったかい?」
ふり帰ると、シャミルが足を引きずって上ってきています。
「シャミル、あの時はごめん。絶交だなんていったけど、ぼく……」
エルは、言葉につまってうつむきました。

「ぼくの方こそごめんよ。ぼくのせいで君は、つばさをなくしてしまったんだもの」
「シャミル、どうして足を引きずっているの? スティックは?」
「スティックは、ベテスダにいる足の悪いおばあさんにあげてきた。あんなに悪いことをしてしまったぼくに、使うことはできないよ。ぼくは、一生足を引きずって生きる。ぼくが、君にしたことを忘れないために……」
シャミルは、つらそうに言いました。エルはたまらなくなって、シャミルの手をしっかりにぎりました。

「ところで、シャミル。イエスさまが十字架につけられたっていう人がいるけれど、うそだろう?」
「悲しいけれど本当のことだよ、エル。」
「本当のこと? イエスさまが十字架に!」

エルは、丘を一気にかけ上がりました。見上げると、丘の上に三本の十字架が立っていて、その真ん中にイエスさまがつけられていました。

つづく

つばさをなくした天使(その8)

2008-08-23 09:26:50 | 童話

気がつくと、エルはベッドの上に横になっていました。小さな窓から朝日がさしこんでいます。頭が割れるように痛く、のどがカラカラにかわいています。

「まあ、良かった。気づいたのね。夕べから目をあけないから心配していたのよ」
さっきの女の人が来て、エルに何か飲ませました。
「薬草をせんじたお茶よ。これできっと熱が下がるわ」
女の人は、やさしくほほえみました。

「ぼく、病気になったの?」
「そうよ。でも、しばらく休めば良くなるわ。君の名前は?」
「エル」
「わたしは、マリヤ。よろしくね」
マリヤは、エルのひたいにのせている手ぬぐいを水で冷やそうと、台所へ行きました。

「あら、水がもうないわ。今、くみに行くから待っていてね。水がめが割れちゃったから小さなつぼにしかためておけないのよ」  
エルは、マリヤの言葉にはっとしました。以前、ころばせて水がめを割ってしまった女の人でした。エルの心はずきっと痛みました。

マリヤが水くみにでかけようとした時、青年が入ってきました。
「姉さん、イエスさまはエルサレムのシモンの家におられるよ」
「ありがとう。急いで行かなくちゃ。ラザロ、水をくんでこの子のひたいに冷たい手ぬぐいを当てておいてね」
マリヤは立ち上がると、エルに向かって、
「大事な用があって出かけるから、おとなしく寝ているのよ」
と、紫色のつぼを大事そうにかかえて出ていきました。
「マリヤ姉さん、何いっているんだ? この子って、だれもいないのに……」
ラザロは、首をかしげてじっとベッドを見つめました。

(よかった。この人には、ぼくのことが見えないんだ。じゃあ、まだ間に合うぞ。イエスさまは、シモンの家だって? 行かなくちゃ)
エルは起きあがろうとして、頭をかかえて倒れ込みました。頭が割れるように痛みます。

(病気って、こんなにつらいものなのか……。あのベテスダの池の周りにいた人達もこんなにつらかったのかなあ)
エルは、しばらくうとうと眠りました。昼過ぎに目ざめると、熱は下がったようで頭の痛みはすっかりなくなっていました。

エルは、イエスさまをさがしにエルサレムへ出かけました。ようやくイエスさまのいる場所がわかったときは、すっかり暗くなっていました。
イエスさまはエルサレムの町はずれ、ゲッセマネの園におられるというのです。 エルは、まだふらふらする体で坂道をのぼっていきました。
満月が銀色の光を投げかけています。木陰で三人の男の人が眠っていました。そこから少し離れた所に、イエスさまはおられました。

イエスさまは、ひざまずいて岩に両手をのせて祈っています。
エルは近づいて、「イエスさま」と声をかけようとして、はっと口を閉じました。
イエスさまは、つらそうに顔をしかめて一心に祈っているのです。こんなにつらそうなイエスさまの顔を見たのは初めてです。
イエスさまが地上に来られる前、エルはよく天の国でイエスさまと話しました。イエスさまは、いつもにこにことやさしい顔をしていたのに……。
組んでいる手は、小きざみに震え、ひたいからは汗が流れ落ちています。

つづく

フェルメール展

2008-08-21 13:34:16 | 日記

夏の疲れと風邪でダウンしていましたが、病院でもらった薬が効いて、元気になってきました。まだ咳が出ていますが……。

今日は16日にいったフェルメール展の感想を書きます。
その日は土曜日だったので美術館は混雑していました。友人と待ち合わせて午後1時ごろ行くと、15分待ちで、入場前に並んでいなければなりませんでした。それでも、中はそれほど混雑していなかったので、ゆっくり鑑賞できました。
なんといっても印象に残ったのは 「マルタとマリアの家のキリスト」でした。この絵は160㎝×147㎝という大きな作品です。フェルメールが20歳のころ書いた初期の作品だそうです。

聖書の一場面を描いているのですが、イエス様の足元でじっと耳を傾けるマリヤ。パンの入った籠を手にして少し不満げな顔でイエスさまに話しかけるマルタ。マルタの目を見ながら答えるイエスさま。絵のなかの人物がいまにも言葉を発しそうです。イエスさまの澄んだ目が素敵でした。

イエスさまがマルタ、マリヤ姉妹の家を訪れたとき、姉のマルタは、イエスさまをもてなすことで心がいっぱいで、忙しく立ち働いていました。一方妹のマリヤはイエスさまの足元に座ってイエスさまの語られることばを一語一句を聞き逃さないようにじっと耳を傾けていました。

それをみたマルタは妹に腹を立ててイエスさまに訴えます。「主よ、妹が私だけにおもてなしをさせているのを、なんともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように妹におっしゃってください」(ルカ10:40)
イエスさまは答えて言われます。

「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(10:42)


この聖書箇所を読むと、自分はマルタだなあと思います。自分の家で家庭集会を開くとき、昼ごはんやお茶の用意ばかりに心を奪われて、聖書の学びに集中できないことがあるからです。

それにしても、マルタは一生懸命イエスさまをもてなそうとしていたのにちょっとかわいそう……と以前は思っていました。マルタの何がいけなかったのか、マリヤのどこがよかったのかわからなかったのです。

でも、マリヤは何もしなかったのではなく、イエスさまの足元に座り、イエス様の言葉を熱心に聞いたのです。そのことはイエスさまの望んでおられたことでした。

十字架の死を前にしたイエスさまにとって、話をきいてくれることがごちそうよりまさるもてなしだったのです。イエスさまはマルタにも気を遣わずにじっと話を聞いてほしいと思われたのでしょう。

マルタは、気を遣いすぎて心を乱し、妹を心の中で非難していたのです。わたしがよく陥る過ちです。

「どうしても必要なことはわずかです。いやひとつだけです」
と言われたイエスさまの声が絵画から聞こえてくるようでした。

ひとつひとつの絵に物語があり、想像がかきたてられました。「手紙を書く婦人と召使」をみて、(ラブレターを書いているのかなあ? そばに立っている女の人は、手紙が書き終わるのをじっと待っているのかな? 窓の外をみているけれど何が見えているんだろう?)と想像して楽しくなりました。


つばさをなくした天使(その7)

2008-08-19 11:59:17 | 童話

「小さい子どもたちが、イエスさまのところに近づいていったんだ。お弟子さんは、子どもたちを追い返そうとしたんだよ。その時、イエスさまはいわれたんだ。『子どもたちをわたしのもとに来させなさい。止めてはいけません。天国はこのような者たちのものです。』って」
「イエスさまは、小さな子どもたちも大事にされるのね。すばらしい方だわ」

「そうさ。イエスさまはすばらしい。まことの救い主だ」
ナタブさんが、立ち上がってイエスさまをほめたたえました。
「わしは、三十八年間も病気で立ち上がることもできなかった。ベテスダの池のほとりにいても、どうせいちばんには入れやしないんだと、少しやけになっていた。でも、あわれみ深いイエスさまがわしの病気を治して下さったんだ」

「イエスさまは、本当の救い主だわ」
「ハレルヤ、イエスさま!」
 シャミルが両手を上げて叫びました。

 シャミルとアリサは手をつないで、踊りながらナタブさんのまわりを回りました。

楽しそうなようすを見て、エルはちょっぴりうらやましくなりました。
(そうだ。イエスさまにお願いしよう。イエスさまなら、ぼくに羽をつけて、天に帰れるようにして下さる。イエスさまは、ヨルダン川の近くにおられるんだな。よし、会いに行こう)

10イエスさまをさがしに

 エルは、急に元気になってベタニアの町を出て、東へ向かいました。 空を飛べたら、ひとっ飛びでいけるのに、歩くと何と時間がかかるのでしょう。まる一日かかって、やっとヨルダン川の岸辺に着きました。川沿いを歩いてイエスさまを探しましたが、どこにもおられません。

そのとき、イエスさまが町を出てエルサレムへ向かったといううわさが聞こえてきました。 エルは、がっかりしましたが、気を取り直して出かけました。
昨日から、歩き続けているので、エルのはだしの足はまめだらけで血がにじんでいます。こんなことも、前にはなかったことです。

何時間も歩いて、やっとエルサレムの町が見えてきました。
(この町では、よくいたずらしたっけ……)
でも、今はそんな気にもなりません。
(ぼくは、まだだれにも見えないようだ。もし、人間になっちゃったら、いくらイエスさまでもぼくを天使にもどせないだろうな。今のうちにイエスさまにお願いしなくちゃ)

エルは、疲れてふらふらになりながらも、歩き続けました。
イエスさまがエルサレムからベタニアに向かったと人々が話しているのが聞こえてきたときエルは体の力がぬけて、道ばたにすわりこんでしまいました。

 (何だ、シャミルのところで待っていればよかったんだ)
エルは立ち上がると足をひきずってベタニアに向かいました。体が重く、顔がほてっています。足は痛いのを通りこして、じんじんとしびれています。
夕暮れになって、エルはやっとベタニアに着きました。倒れそうになりながら歩いていると、女の人に声をかけられました。前に見かけたことのある人です。

「ぼうや、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「ああ、とうとう人間になっちゃったんだ。」
エルはふらふらと倒れ、気を失ってしまいました。


つづく

ヒックンと旅行

2008-08-17 20:36:18 | 日記

13日、14日は息子一家と栃木県那須塩原に行ってきました。朝5時半に出発したのですが、道路はすでに渋滞が始まっていました。4時間ぐらいかかってりんどう湖ファミリー牧場に着きました。

1歳4か月のヒックンはママと生まれて初めて馬に乗りました。
その直前にベビーカーで寝てしまい、無理やり起こしたのでぼおっとしていて馬に乗っていることがわかっていなかったようです。

ホテルでは、温泉やプールにも入りました。わたしも張り切って一緒にプールに入り、久し振りに泳ぎました。

翌日行ったサファリーパークでは、窓から鹿や象に餌をあげられるというので、餌を差し出すと、象が窓の中に鼻を入れてきたのでびっくりしました。
大人でもびっくりするのですから、ヒックンはどれだけ驚いたでしょう。

帰りの車中では、眠いのに興奮して眠れなくて1時間も大泣きしました。
「ヒックンのおかげで居眠り運転しないですむよ」とパパは言ってましたが……
ヒックンの鳴き声に合わせるように大雨が降り、ひどい雷鳴が聞こえてきました。
混んでいたので、帰りは6時間もかかってしまいましたが、無事帰ってこれました。

翌日15日は千葉県の主人の実家へ行き、その夜引き続きわたしの実家に向かいました。実家で1泊して16日は上野で岡山の友人と待ち合わせてフェルメール展に行ってきました。
忙しい4日間でしたが、楽しく充実したときが与えられて感謝しました。

帰ってきたらほっとして風邪をひいてしまいました。

つばさをなくした天使(その6)

2008-08-12 17:27:48 | 童話


明日からしばらく更新ができませんで、今日2回目の更新をします。


エルはとなりの町のベタニアにもいってみまた女の人が水がめを頭の上にのせて歩いてきました。
エルは女の人の足元に、木の枝をさっと伸ばしました。女の人はつまずいてころび、水がめは落ちてふたつに割れてしまいました。
「ああ、どうしよう……。たったひとつの水がめだったのに……困ったわ」
女の人は、泣きそうな顔をしてかけらをひろいました。
エルの心はちくりと痛みました。でも、次の日にはすっかり忘れて、もっとおもしろいいたずらはないかと、目をキラキラ光らせてあちこちで悪さをしました。
でも、夜になると、エルは星空を見上げてため息をつきました。

「あーあ、天に帰りたい。カミルたちは今ごろ何してるのかな……。もう、天の庭で遊べないのかな……」
エルの目から涙がこぼれ落ちました。
「ああ、こんなことになったのは、みんなシャミルが悪いんだ。あの時、シャミルがスティックをかくさなければ、ぼくはとっくに天にもどっていたのに……」
エルは地面にシャミルの似顔絵を描いて、それをかかとで思い切り踏みつけました。

「うわっ!」
エルは、かかとがジーンとしびれてとび上がりました。
「痛い。なぜ?」
今まで痛みを感じたことなどなかったのです。エルは自分の腕をつねってみました。
「やっぱり痛い。天使は痛みなんか感じないはずなのに……。ぼくは人間になっっちゃたのかも……いやだよう」
エルは真っ青になりました。シャミルは地上で半年間暮らしているうちに人間になったのです。エルがスティックをなくしてから五か月もたっていました。
前は、疲れたこともなく、夜寝なくても平気だったのに、このごろ疲れてよく眠るようになっていました。
エルは悲しみのあまり胸がはりさけそうでした。

7イエスさまのうわさ

ちょうどその時、エルのすぐそばをひとりの男と少年が仲良く話しながら通りかかりました。少年は足を引きずっています。
「今日はすっかり遅くなったなあ。疲れたろう」
父親らしい男が言いました。
「ぼくは平気さ。お父さんこそ大丈夫?」
少年の声に聞き覚えがあります。エルは耳をすましました。
「ああ。あれからずっと調子がいい。」
「イエスさまの話、すばらしかったね。アリサにも話してきかせなくちゃ」
少年は、シャミルでした。

(シャミルのやつ、何で足を引きずっているんだ? スティックは使ってないのかなあ。シャミルがお父さんと呼んでいるのは、ナタブさんのようだ……。きっと池に入って、良くなったんだな)

「シャミル、明日アリサを家に呼びなさい」
「わーい! ありがとう、お父さん」
シャミルは、夢中になって話しているので、エルのことには気づいていません。
ふたりは本当の親子のように肩をたたき合いながら、家に入っていきました。エルは、その家のかべによりかかって眠りました。

翌日、アリサがシャミルの家にやってきました。エルは、窓をのぞいて耳をすましました。
「昨日、お父さんとヨルダン川の近くまでいって、イエスさまの話を聞いてきたんだよ」
「イエスさまのおっしゃったこと、みんな聞かせて」
アリサが、目をキラキラさせています。


つづく


つばさをなくした天使(その5)

2008-08-12 10:51:39 | 童話

*コメント投稿時にそのとき示された数字を入力しなければならない設定に変わっています。(わたしが設定したのではなく、迷惑コメント防止のためgooの方でそのようにしたのだと思います)「数字を入力したのにコメントが送れなくてショックです」というお便りを頂きました。ご面倒をかけてごめんなさい。

数字は半角で入力してください。全角だと受け付けられないのではないかと思います。よろしくお願いします。何かありましたらJCP(日本クリスチャンペンクラブ)のメールフォームから連絡ください。(土筆文香HPのメールフォームはまだ使えませんが、こちらは使えます。)




6 町へ行ったエル

「エル、エル」
エルは、シャミルの呼び声で、はっとわれに返りました。
「ぼくのつばさ、なくなっちゃった。もう、天に帰れない……」
よろよろと岸から上がると、シャミルがエルの前にひざまずいて深く頭を下げています。

「すまない、エル。」
シャミルの手には、エルの銀色のスティックがにぎられていました。
「あ、ぼくのスティック!」
「ごめん。おととい、これがぼくの目の前に落ちてきたんだ。何気なくつえのようにして歩いたら、スタスタ歩けたんだ。足に当ててみたら、痛みも消えたんだ。だから、スティックを悪い方の足にしばりつけて服の下に隠していた」
「何だって! ぼくが困っているのを知ってたくせに」
エルは大声でいいました。

「ごめんよ。ぼくがちゃんと歩ければ、ナタブさんを池の中に入れてあげられると思ったんだ。池に入れたらすぐに返すつもりだったんだよ。さっき、君が手伝いにきてくれたら間に合ったのに……」
「どうしてスティックを持っていることいわなかったんだよ。いえば手伝ったのに」

「ごめん、本当に悪かった。もし、いったら君がすぐスティックを持って天に帰ってしまうと思ったから……」
シャミルは足を引きずりながらエルに近づくと、スティックを差し出しました。
「いらないよ。今ごろ返してもらって、遅いよ。シャミルとはもう絶交だ」
エルは、真っ赤になって怒ると、走り出しました。池の向こうはエルサレムの町です。

「町へいってみよう。ぼくの姿は人間には見えないんだ。思いっきりいたずらしてやろう」
町のにぎやかなところにいくと、商人たちが色々な物を売っていました。パンや果物や魚、かごに入った鳩も売っています。
エルは、はとのかごのふたを次々と開けていきました。鳩がいっせいに飛び出しました。
「うわーっ! なんてこった。鳩がみんな逃げちまった」
商人たちは大あわてです。
「だれか、つかまえてくれ」
「つかまらないと、大損害だ!」
商人たちはやっきなって鳩をつかまえようとしましたが、一羽もつかまらないまま鳩は大空高く飛んでいってしまいました。

「あはは、ゆかい、ゆかい」
エルは、今度は大きな家の庭に入っていきました。庭ではガーデンパーティーが開かれていました。テーブルの上にはごちそうが並べられ、人々が楽しそうに飲んだり食べたりしています。

エルは、色々な食べ物を一口ずつつまみ食いしていきました。
男の人が、持っていた魚をかぶりつこうとした時、エルはさっと取り上げて、パクッと食べてしまいました。男の人は、指をかんで大声を上げました。

あはははは、ゆかい、ゆかい。
だれにも見えないって楽しいな
何でもできるよ、ルルルルル
何をしてもしかられない
ぼくは いたずら天使エルだよ。

エルはでたらめな歌をうたって、庭中スキップしてまわりました。
小さな雨蛙が一匹、エルの足元にとびはねてきました。エルは、その雨蛙の足をつかむと、女の人の飲もうとしているスープの中に入れました。
「キャーッ!」
女の人は、悲鳴を上げてスープ皿を落としてしまいました。

最後にエルは、テーブルクロスを引っ張って、ごちそうを全部ひっくり返しました。パーティーはめちゃめちゃです。

「あはははは、ゆかい、ゆかい」
エルは、毎日町のあちこちでいたずらして歩きました。


                               つづく

つばさをなくした天使(その4)

2008-08-11 11:55:35 | 童話

「まあシャミル! よかったわね。」
「うん。これでナタブさんをおぶって池の中に入れてあげられるよ。ナタブさんの病気が治ったら、ぼくもベタニアにいくよ」
「ナタブさんが、早く治るように祈っているわ」

 アリサは、シャミルのほおに軽くキスをすると去っていきました。
シャミルは、ほおを押さえてうっとりした目でアリサの後ろ姿をいつまでも追っていました。

「やーい、シャミル。あの女の子が好きなんだろう」
 エルはシャミルの肩をつついてからかいました。
「そうさ。だからぼくは人間になってよかったと思ってるんだ」
「変なシャミル。人間になって喜んでいるなんて……。ぼくは、絶対に人間になんかなりたくないな」

その日もエルは一日中スティックを探しました。池の向こうや茂みの中ものぞいていましたが、スティックは見つかりません。とうとう、日が暮れてしまいました。

「もし、明日も見つからなかったら……ずうっと見つからなかったらどうしよう」
エルは心配でたまらなくなってきました。

翌朝早く、鳥の声でエルは目をさましました。ミルク色の霧が池の上にたちこめています。

 5消えたつばさ

冷たい風がふいて霧が流れてくると、晴れ間からキラッと銀色に光る物が見えました。
天使のスティックです。カミルたちが池をかきまぜに降りてきたのです。
5人の天使は、いつもかきまぜる前にするように輪になって池の上で踊っています。

「大変だ、水かかき回されてしまう!」
思わずエルが叫ぶと、となりで寝ていたシャミルが飛び起きました。
「何だって! 天使たちがきているのかい?」
「そうだよ。どうしよう。」
「エル、お願いがあるんだ。ナタブさんをぼくの背中に背負わせてくれ。天使が池をかきまぜる前に池に入れるんだ。ナタブさんを池に入れたら、エルに渡したい物がある」

 シャミルは、エルの服を引っ張りました。エルはその手をふりはらって、
「そんなことより、『かきまぜないで!』ってカミルにいわなくちゃ」
と、飛び上がりました。
「エル、待ってくれ。ぼくの話を聞いて!」 
シャミルが叫びましたが、エルの耳には入りません。エルは天使たちのところへ飛んでいきました。

「お願い、今日はかきまぜないで。ぼくのスティックがまだみつからないんだ。明日までにはきっとみつけるから……」
「今は、水の動く時、この時は一秒も遅らせることができない」
カミルがいうと、天使たちは輪になったまま、ゆっくりと下に降りてきました。
「ああっ、水がかき回されてしまう!」

エルはあせって池の上をあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりしました。ふと、下を見るとシャミルがひとりでナタブさんを必死に池の方へ引きずっています。池まであと数センチのところにきたとき、天使たちが水をかきまぜ始めました。

「エル、こっちにきて手伝って、早く!」
シャミルが叫びましたが、エルは、自分のことで頭がいっぱいでそれどころではありません。

シャミルの声に池のそばで寝ていた病人達が気づき、ひとりの男が池に飛び込んでしまいました。
「あーあ……。」
ナタブさんが、深いため息をつきました。

そのとき、エルはまっ逆さまに池に落ちてしまいました。つばさが消えてしまったのです。 
幸い水はエルの肩のあたりまでしかありません。ずぶぬれになったエルは、ぼんやりと池の中に立ちつくしていました。 天使たちは、天に帰ってしまいました。

              
つづく

喜びなさい

2008-08-10 17:26:48 | 教会

今日は朝8時半からの第Ⅰ礼拝に出て、教会学校礼拝の後、お弁当を持って子どもたちと歩崎公園へ行ってきました。曇っていていつもより少し涼しかったので助かりました。
教会学校の後、ジョイクラブといって、子どもたちの遊びのプログラムが毎週用意されていますが、夏休みは分級の時間も利用して公園やプールに出かけます。

歩崎公園は、霞ヶ浦に面する見晴らしのよい公園で、帆引き船発祥の地と呼ばれ
ています。写真はその記念碑です。このそばに淡水魚の小さな水族館があって、見学しました。

歩崎公園は、かつてわたしの子どもたちが小さかった頃、何度か訪れた場所です。何年ぶりになるのでしょう……。懐かしく思いました。

行き帰りのバスの中では、子どもたちが松原湖キャンプで覚えた歌やポニョの大合唱でにぎやかでした。子どもたちの歌声に包まれて幸せを感じました。


礼拝では、喜びについてのメッセージが語られました。神様の喜びの対象としてわたしたちが存在していると聞いてはっとしました。
ひとりの人がイエス様を信じて救われるとき、神様は言葉にならないほど喜んで下さるのです。神様は、ご自分のひとり子の命を与えてまで救いたいと思っておられるのですから。

喜びは自然に湧いてくるのではなく、意志的に日々選び取っていかなければならないものだと聞きました。同じ災難にあった人がひとりは恨みを抱き、ひとりは感謝を抱くことがあります。それは心の選択が違うからだそうです。

恨みからは何の良いものも生まれません。感謝と喜びをもって日々歩んでいきたいと思いました。


いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)

つばさをなくした天使(その3)

2008-08-08 11:37:23 | 童話

 ナタブさんが眠ってしまうと、少年はエルの方を向いて話しました。
「ぼくは、天使のシャミルだよ。でも、今は人間さ」
「どうして人間になっちゃったの?」
「池の中にスティックを落として、みつけられなかったから、羽が消えちゃったんだ。町で暮らしているうち、だんだんと人間の体になってしまったのさ」
「人間の体になった?」
「半年も地上で暮らしていると、天使だって人間になってしまうのさ」
「へえっ!」
エルは自分も人間になったらどうしようと思いました。

「人間って弱いんだよ。ぼくは、ちょっところんで足にけがをしたんだ」
シャミルは長服の上からひざのあたりを指さしました。
「ほおっておいたら、ばい菌が入って、ちゃんと歩けなくなってしまったんだ。それで、治したいと思って、またこの池にきたのさ。そこで、このナタブさんと出会ったんだ」
シャミルはぐっすり眠っているナタブさにやさしい視線を送りました。

「ナタブさんは気の毒なんだよ。38年も病気が治らず、歩けないんだ。池がかきまぜられたとき、ナタブさんが池に入ろうとすると、先に誰かが入ってしまうんだ」
シャミルはため息をつくと、エルにもパンを食べるようにすすめました。
エルはスティックのことが気になって食べる気にもなりません。
「ぼくはどうしてもナタブさんを池の中に入れてあげたい……」
シャミルは、横になると毛布にくるまって眠ってしまいました。

ほんのりと夕焼け色を残していた空が、だんだんとコバルト色に変わり、星がひとつ、またひとつと輝きはじめました。
「うーっ……」
すぐそばでうめき声がして、エルはびっくりしてふり返りました。ナタブさんが、額に汗をたくさんかいて、うめいています。
 シャミルがさっと起きあがって、ナタブさんの汗をふいて水を飲ませました。
すぐ向こうでも、うめき声を上げている人がいます。
「ああいやだ。天の国では苦しんでいる人なんかだれもいなかったのに……ああ、早く天に帰りたい」
エルは空を見上げながら、夜が明けるのを待ちました。

4アリサ

 翌朝早く、エルがスティックを探しに出かけようとしたとき、ひとりの少女がかごをかかえてやってきました。かごの中には干した魚がたくさん入っています。
「シャミル、魚が手に入ったのよ。ナタブさんにも食べさせてあげて」
少女は、エルが見えないので、エルを通りこしてシャミルのところにかごを持ってきました。

 シャミルはほおをりんごのように赤くして、
「いつもありがとう、アリサ。お母さんの具合はどう?」
「昨日、池の水が動いた時、いちばんに入ってすっかり元気になったのよ」
「そうか、それはよかったね。じゃあ、もうここにいる必要はないんだね。」
シャミルはさびしそうな目をして、じっと少女を見つめました。
「そうなの。これからベタニアの町へ行くの。でもわたし、シャミルとナタブさんが治るまでときどきここにくるわ」
「ありがとう、アリサ。ぼくの足はもうよくなったんだよ」
シャミルは、アリサのまわりをぐるっとひとまわりしてみせました。

                 つづく

関係の回復

2008-08-06 16:26:42 | 聖書から

わたしは、昨日のお昼ごろJCPの準備委員会で御茶ノ水のOCCビルにいました。昼過ぎからしばらくの間すごい雷雨でしたが、話し合いが終わるころ雨は上がっていました。まだ時間が早かったので、喫茶店に寄りコーヒーを飲んでいるとまたまた雷雨。駅のすぐ近くなのですが、外へ出たらびしょ濡れになりそうです。雷も怖いのでしばらくおさまるのを待っていました。

ところが、なかなかおさまりません。帰りの時間が気になるので、少し雨脚が弱くなったのをみはからって店を出ました。出たとたん、稲光と雷鳴。心底恐ろしくなって、肩をすくめてびくびくしながら歩きました。

そのとき、聖書の言葉を思い出しました。
二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(マタイ10:29)

雷も神様の支配下にある。だから、大丈夫。神様のゆるしがなければ命を奪われることはないと思うと、恐怖が消えていきました。もし、雷が自分に落ちたななら、そのときは神様が天国に招いて下さったときなのだと思えたので堂々と歩けました。

幸い、無事駅にたどり着きました。電車は遅れていましたが、わたしの乗る電車は大丈夫で、予定通りの時間に土浦に着きました。


今日の祈祷会では、聖書の読み方について学びました。新しい発見がありましたので一部を紹介します。

神様は、いいつけにそむいて木の実を食べてしまったアダムとエバをエデンの園から追い出されました。そのとき、人が「いのちの木への道」へ近づくことができないようにケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれました。(創世記3:24)
神様はアダムとエバを裁いてエデンの園から追放したのですが、エデンの園もいのちの木もそのままにしておいてくださいました。それは、いつか人が再び戻ってくるようにとの配慮からだったと聞いて感動しました。

黙示録には「自分の着物を洗って、命の木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。(22:14)」と書かれています。

着物を洗うというのはキリストにより、罪が清められるという意味だそうです。キリストを信じ、罪赦された者には、いのちの木に至る道が開かれます。そして、エデンの園(天国)に入り、命の木の実を食べて、永遠に生きられるようになるのです。

神と人とは、最初の人間アダムとエバによってその関係が断たれてしまいました。でも、神様はそのときから、関係の回復を待ち望んでおられたのですね。神様の人に対する深い愛を改めて知りました。

コイノニア

2008-08-04 08:13:39 | 教会

わたしの通っている土浦めぐみ教会は、コイノニアと称して、韓国の大方(デバン)教会と友好関係をもっています。
コイノニアでは、教会員どうしの幅広い年齢層の方々との交わりがあります。毎年8月に青年や中高生、婦人、壮年が行き来しています。これまでにのべ456名が相互訪問していると聞いて驚きました。わたしはまだ韓国へ行ったことがありませんが、娘は中学生の時行きました。

去年は韓国の中高生が来日しましたが、今年はこちらの中高生と引率者合わせて60名が5泊6日で韓国へ行きます。昨日は教会でその派遣式が行われました。

コイノニアの交わりは12年前から始まりましたが、最初のころはその関係がぎくしゃくしていたそうです。
日韓における過去の悲しい歴史を考えると当然のことですが、とくに韓国の戦争体験者は、日本人と親しくなりたいとは思わなかったそうです。
めぐみ教会のT長老が大方教会を訪れたとき、戦争の謝罪をしたそうです。そのときから相互理解が始まったと聞きました。

両国の不幸な歴史を心にとめつつ……豊かな交わりを…とコイノニア宣言文に書かれています。不幸な歴史を「乗り越えつつ」ではなく、「心にとめつつ」とあえて書かれているのは、乗り越えて忘れてしまうことのないようにという意味なのだそうです。

両国の不幸な歴史を思うとき、和解できること自体奇跡のような気がします。

どんな傷でもキリストによって癒されるがゆえに、悲しい歴史的事実があっても愛し合うことができるのだ
と聞いてそのとおりだと思いました。

竹島問題で日韓の関係が悪化しているこのときに、60人もの日本人を受け入れてくださる大方教会の人たちに感謝します。
コイノニアで出かけるひとりひとりが、キリストにあってひとつとされることを体験し、信仰が深められて帰ってきますように祈ります。


キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一にし、隔ての壁を打ちこわし…(エペソ2:14)




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