生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

池田先生を偲んで

2013-03-30 15:59:24 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
28日は、日本クリスチャン・ペンクラブの理事長であり、霞が関キリスト教会の牧師、池田勇人先生の葬儀でした。

葬儀の行われた霞が関キリスト教会は、埼玉県川越市で、最寄りの駅まで池袋から50分ほどかかります。
わたしは前日に三鷹の実家に泊まって出かけました。
会堂に入りきれないほどの大勢の方々が葬儀に参列していました。スクリーンには池田先生のあらゆる場面の写真が映し出されていました。

いつも優しかった先生を思い出して胸がいっぱいになりました。
葬儀で池田先生が46歳の時に遺言を書いておられたことを聞きました.
かつて池田先生が「人は、いつ召されるかわからないので、死の備えをしているのです」と言われたのを思い出しました。
葬儀で賛美した聖歌「救い主イエスと」、「重くとも汝が十字架」は、そのとき葬儀に歌うように希望されていたものでした。

池田先生に初めてお目にかかったのは14年ぐらい前でしょうか、土浦めぐみ教会でメッセージをして下さったときでした。童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風がクリスチャンであること、竿の先にとまったトンボは十字架を意味しているというお話が深く印象に残っています。
でも、そのときは個人的に言葉を交わすことがありませんでした。

それから数年後、クリスチャン新聞社のあかし文学賞にわたしの書いた小説が入選しました。入選の知らせを受ける一日前、池田先生からお手紙が届きました。日本クリスチャン・ペンクラブの例会へのお誘いでした。
池田先生がなぜわたしの住所をご存じで、なぜペンクラブに誘って下さっているのかわからずにいました。
翌日クリスチャン新聞社から入選の知らせの電話をいただき、池田先生があかし文学賞の選者のおひとりだと知って、ようやく理由がわかったのでした。

それでもすぐには例会に行かず、出向いたのは半年たった秋のことでした。その年はちょうどクリスチャン・ペンクラブ50周年の年でした。池田先生はわたしのことを待っていて下さったように歓迎して下さいました。その日に入会を決め、それから10年、ペンクラブに連なっています。

わたしの書いた小説「リピート・シンドローム」が出版されたのは、池田先生のおかげです。池田先生に原稿を見せると、すぐにキリスト新聞社の社長さんに送って下さいました。池田先生と社長さんとはお知り合いだったのです。すぐに出版の話になりました。
本名で出さないほうがいいということで、ペンネームを考えなければなりませんでした。
それで、ペンネームをつけてくださいと池田先生に頼みました。今から考えると、大変なお願いをしてしまったようで、先生からは「ペンネーム、考えています。しばらく待ってください」とメールが届いた後、1か月ぐらいしていくつか候補を挙げて下さいました。
谷野百合というのもあって、それは池田先生のペンネームでもあったのですが、それがよければ差し上げますといわれました。わたしは恐れ多くて、また、自分自身が華やかな百合より、地味な土筆に似ている気がして土筆文香を選ばせていただきました。

本が出版されてからは、何十冊も持って松原湖や神学校に出向いて下さり、本を紹介して売って下さいました。

思い出を書きはじめたら原稿用紙何十枚にもなってしまうので、やめますが、わたしだけではなく、多くの方々がそれぞれ池田先生のしてくださったことに感謝の思いを抱いていることがわかって驚いています。

池田先生は、教会員やペンクラブ会員だけでなく、出会った者ひとりひとりに実に細やかな愛の配慮をしてくださっていたのです。

「まことに、あなたがたに告げます、あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)」の聖書の言葉をまさに実践されたのです。

63歳で召されるとは早すぎる気がしてなりませんが、神様の時だったのですね。

「兄弟たちよ。私は自分はすでに捕えられたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っているのです。」葬儀で読まれた聖書箇所ピリピ3:10~14 より



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悲しき桜

2013-03-25 20:13:17 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
23日がお茶の水で行われる日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会だったので、22日から実家に帰っていました。

桜がきれいなので、母と吉祥寺駅で待ち合わせし、井の頭公園にお花見に行ってきました。ほぼ満開で、平日なのにたくさんの人で賑わっていました。

桜の花の下を自分の足で歩きたいと言われたJCP理事長の池田先生の言葉を思い出していたら、母と一緒にあと何回桜が見られるのだろう……と少し悲しくなりました。

その日の夜、池田先生が12時17分に天国へ召されたという知らせを受けました。母と昼食をとっている時間でした。9日ほど前、JCPのメンバーとホスピスへお見舞いに行ったばかりでした。先生は想像していたよりもお元気で、お話もでき、賛美して帰ってきたのですが、痩せて小さくなってしまった先生にお目にかかってから、悲しみが固まって胸の中に凍りついてしまったので、ブログに書くこともできないでいました。
書いたら、凍ったものが一気に噴き出して涙が止まらなくなりそうだったからです。

先生の癌がみつかったときはすでに転移しており、医師から数か月の命と言われていたのです。ところが、それから2年もいのちが保たれました。昨年の10月にはJCP60周年記念会で力強いメッセージをしてくださいました。

ホスピスに入られてからは、もうすぐ命が尽きようとしていることは誰の目にもあきらかで、それでも奇跡の快復を祈っていました。
覚悟はしていたとはいえ、こんなに早くその日がくると思っていなかったのでショックでした。

わたしの中の悲しみの塊が爆発するのではないかと思いましたが、不思議なほどに涙は少ししか出ませんでした。JCPの仲間が、「先生が痛みや苦しみから解放され、天国で安らいでいることは確か」と言った言葉に慰めを受けたのです。
同じように先生の死を悲しんでいる仲間がいる。その共有した思いがあることに救われています。告別式では泣いてしまうかもしれませんが……。

【「あなたの身辺整理をせよ」との声を聞く時が、誰にでもやってきます。その時が大いなる絶望の時となる時でなく、整理をする時間的余裕を神様が与えてくださったと、前向きにとらえ直させてください。】
                   池田先生の最後のメッセージの祈りより


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何の応答がなくても(奇跡について6)

2013-03-21 20:32:02 | お茶の水聖書学院
風がふけば嵐になり、寒い日と暖かい日が交代でやってきて、体調がおかしくなりそうです。桜川の桜が咲きはじめました。

お茶の水聖書学院の卒業論文にヨハネの福音書からイエス様が行った奇跡の意味と意義について書きました。
論文を書いて教えられたことを記しています。(論文そのままではありません)
イエス様の行った最後の奇跡はラザロのよみがえりです。(ヨハネ11:1-45)

イエス様はマルタ、マリヤ姉妹と親しくされており、しばしばその家に立ち寄っています。
そのマルタ、マリヤ姉妹の兄弟のラザロが重い病気にかかりました。マルタとマリヤはイエス様のところに使いを送って、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」と伝えました。
イエス様は愛するラザロが病気だと聞いてもすぐには駆けつけず、その場所に2日もとどまりました。イエス様がユダヤに行ったとき、ラザロは4日も前に亡くなっていて、墓に入れられていたのです。

マルタもマリヤも、イエス様がもっと早く来てくだされば、ラザロは死なずにすんだのに……と訴えます。イエス様が来てくださったことで問題は解決するのですが、姉妹は死んだ人がまさかよみがえるとは思っていなかったので、希望を失っています。
イエス様に不思議な力があることを知っていても、死んでしまったらどうしようもないと思っていたのです。

そのようなとき、イエス様はラザロの墓の前で言いました。「その石(洞穴の墓の前にある石)を取りのけなさい」人々は、いぶかりながらも石を取りのけました。

イエス様が「ラザロよ。出て来なさい」と大声で言われると、ラザロは体に長い布を巻きつけられたままで出てきました。よみがえったのです。そこに居合わせた人々はどれほど驚いたことでしょう。

イエスがこの奇跡を起こされた理由として考えられるのは、次の4つです。
①ヨハネ11:25「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」によって明らかにされているように、キリストが生と死を支配するお方であること、キリストがよみがえりであり、いのちであることを示すため。
②イエスが十字架の死の3日目によみがえることの前兆としての意味を込めて。
③キリストの愛とあわれみによって。「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」(ヨハネ11:5)
④神の栄光をあらわすため。


イエスは、マルタ・マリヤ姉妹の望みをすぐにかなえず、意図的に遅らせました。ラザロの死から4日もたってそこへ行くことが、神の栄光をあらわすことにつながるからでした。
イエスがラザロの死の直後によみがえらせたとしたら、ラザロは仮死状態だったと疑う人も出てくるかもしれません。でも、死んで4日もたち、すでに腐敗がはじまっているような時期によみがえらせたので、奇跡を疑う余地がなくなりました。そしてこのことは何より神の栄光をあらわすことになりました。


祈ってもかなえられないことがあります。むしろすぐかなえられるときの方が少ないような気がします。
かなえられないと、祈りを神様は聞いていないのではないか、聞いておられたとしてもこのような祈りは受け入れてもらえないのだろう……などと詮索します。
それが早急な願いだとして、何の応答もないとあせります。

マルタとマリヤもあせったことでしょう。愛するラザロが死にかけているのですから。ところが、イエス様が来られたのはラザロの死から4日もたってからでした。
このことにどういう意味があるか、姉妹にはわかりません。そこに居合わせた人も同じでしょう。

神様には神様の都合があって、わざと遅らせることがあるのです。何も応答がないと、不安になりますが、水面下で神様の御手が動いているのですね。
神様は最善な時に最善なことをなしてくださる。そのことを信じて歩んでいきたいです。


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病院で「冥土めぐり」

2013-03-19 20:22:40 | 読書
今日は病院の日で、内科と婦人科を受診してきました。
実は、先月の12日に予約を入れていたのですが、22日と勘違いしていて、20日になってから間違っていたことに気づいたのでした。
いつも受診日をカレンダーに書いておくのに、手帳に書いただけでその手帳を見ていなかったために起きたことでした。このようなことは初めてなので、自分自身ショックでした。

内科の方は、電話で再予約できたのですが、婦人科は予約ができませんと言われました。
以前、婦人科に予約なしで行ったら、6時間待たされたことを思い出しました。あまりにも長い間待たされたので疲れ果て、かえって具合が悪くなってしまいました。

今日は、3冊の本とペットボトルのお茶を持って出かけました。覚悟をしていたとはいえ、憂鬱でした。
ところが今日は内科が終わって婦人科に行くと、30分ほどで呼ばれました。血液検査をすることになり、検査室は患者が入りきれないほどたくさんいたので、そこで40分ほど待たされましたが、あとはスムーズで、終わったらまだお昼前だったのでびっくりしました。


待合室では図書館で予約していた本、「冥土めぐり」(鹿島田真希著、河出書房新社)をようやく借りられたので、それを読んでいました。
「冥土めぐりは」昨年の芥川賞受賞作です。作者の鹿島田真希さんがクリスチャンだと知って、読んでみたいと思ったのです。
この小説は、劇的なことが起こるというのではなく、主人公が理不尽を受容していく心の旅のような内面的小説です。

主人公の奈津子は、裕福だった過去に執着し、借金を重ねる母と弟から資産家と結婚することを望まれていました。
ところが、彼女が結婚したのは市役所の職員でした。結婚後、夫の太一は脳の病にかかり、体の自由を失ってしまいます。太一は困難を受容して今を素直に生きています。
生きる気力を失っていた奈津子は、太一と共に子どもの頃泊まったホテルに宿泊して、旅をするうちに変化していきます。

奈津子が母親や弟に縛られているのは、過去のトラウマからきているのだろうと思い、共感できました。夫の太一が突然脳の病にかかってしまうことは不幸なことなのかもしれませんが、そのことが救いとなったと気づくところが印象に残りました。

心に残った箇所を紹介します
「太一は自分の家族から受けた仕打ちについて、突然見舞われた、脳の病について、どうしてなにも語らないのだろう、と。この一連の理不尽と矛盾について、彼はどう思っているのだろう。だが、今旅の終わりに奈津子はなんとなくわかる気がする。彼はきっとなににも考えていないのだ。晴れの日は服を脱ぎ、雨の日は傘を差す。きっとその程度にしか感じていないのだ。(中略)普通の人なら考える。もうたくさん、うんざりだ。この不公平は、と。だけど太一は考えない。太一の世界の中に不公平があるのは当たり前で、太一の世界は、不公平を呑み込んでしまう。たとえそれがまずかろうが毒であろうが。」(p71~72)

『不公平呑み込んでしまう。』という一文にはっとさせられました。
どうして自分だけがこんな苦しみを背負わなくてはならないのか、不公平だとつぶやくのではなく、不公平は当たり前のこととして受け入れる太一の姿に奈津子は救われたのだと思いました。

それにしても「冥土めぐり」というタイトルはどういう意味なのでしょう……。
わたしは、タイトルを聞いて、冥土という場所を旅する人たちのファンタジー的な小説だと思っていましたが、全く違っていました。

タイトルの意味について、作者が語っていたものがネットに掲載されていました。

冥土の概念が、天国でも地獄でもない不思議なところ。
「主人公が、心が死んでしまったような状態から、生きる生命力をもらって帰ってくる、そこが冥土を巡って帰ってきたという意味です。」


文芸春秋の選評では川上弘美氏が次のように書いておられます。

なんだかよくわからないのに、この小説はとても切実だった。その切実さは、作者が小説にこめた思いの強さ、などというものからきているのではないと思います。そうではなく、作者の書き方、技術の手柄なのです。技術という言葉は、「小手先」などという言葉と結びついて浅薄な印象をまま与えますが、書いている時の切実さを小説にこめるには、どうしても技術が必要になると思うのです。技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたものであり、決してマニュアル化のできないものです。

『技術は、それぞれの作者が年月を積み重ねて独自に手に入れたもの』
わたしの場合は、『年月だけは積み重ねて来たけれど、技術が伴わない』のです。


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行先がわからなくても

2013-03-16 17:05:27 | 聖書から

都内で開花宣言があったそうです。
例年は土浦は都内より1週間近く桜の開花が遅れるのですが、今日図書館へ行く道で桜が咲いているのをみつけました。
突然やってきた春にとまどいを感じながら、春を造られた神様をほめたたえています。



昨日はOさん宅での家庭集会で、アブラム(後にアブラハムと改名)の旅立ちの箇所を学びました。アブラムが神様から「わたしの示す地にいきなさい」と言われ、その通りに出発しました。

アブラムひとりではなく、妻のサライ(のちにサラと改名)と父のテラ、甥のロト、しもべたち、家畜などと一緒です。
住み慣れた町を離れるのは大変だったでしょうし、家族の反対もあったかもしれません。サライは反対しなかったのでしょうか? サライの性格を考えると、黙って従ったとは思えないのですが……。

また、そのときのアブラムの年齢は75歳だったそうです。でも、アブラムは175歳で死を迎えるので、現在の男性の平均寿命(80歳)に換算すると、34-35歳ということになると聞いて、案外若いんだと思いました。

アブラムが町を出ていくことを告げたときの、周囲の長老たちとアブラムの会話を想像してイギリスのF・Bマイヤーが書いた文章を紹介します。

「アブラム、ここには何でもあるのに、これ以上いったい何を望むというのかね」
「私は神様のみこころを行う以外、何も望みません」
「大人げないことを言うんじゃないよ。様々な危険に目を留めてごらん。あんたはまず砂漠を横切るんだよ(中略)それに強盗の群れに襲われたら、どううるつもりかね」
「しかし、私に行けとお命じになるお方は、いっさいの責任をおとりになるに違いありません。この方は必ず私たちの面倒を見てくださいます」


その後長老に行先だけでも知らせるように言われますが。行先はわからないけれども、一日に一日分の旅行をすればその分だけ行先がはっきりしてくる。と言って、アブラムは旅立ちます。


アブラムの神様に対する信頼はすごいですね。行先さえはっきりしていないのに旅立つように言われて、道中の危険、年老いた父のことなどたくさんの心配事があっても、神さまが一切の責任を取ってくださる、必ず面倒を見てくださると信じて疑わずに出発したのですから。

アブラムは行く先々で祭壇を築いて礼拝しました。アブラムは素朴に神様に感謝し、主のために礼拝をささげたのです。

そのアブラムの姿から「礼拝は人の生活とともにある」ことを示されました。この世の旅路と共にいつもささげていくのが礼拝なのだと教えられました。

人生を旅するときも、どこへ向かっているのか行先がわからないことがあります。予期せぬ出来事が起こって、これからどうなっていくんだろう……と不安な気持ちでいっぱいになることがあります。でも、日々ここまで守られたことを主に感謝し、一日に一日分の歩みをしていけばいいのだな。行先も心配事もすべて神様にお任せして歩いていけばいいのだなと思いました。


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なぜこんなことが起きるのですか?

2013-03-12 16:51:06 | 教会
一昨日は3・11災害記念礼拝でした。
3・11で被害に遭われた方、家族や大切な人を亡くされた方々のことを思って、その方たちのために祈りました。


聖書を気仙地方の方言に訳した『ケセン語訳聖書』の作者、山浦玄嗣さんが災害に遭われた後、東京のジャーナリストから次のような質問を受けたそうです。
「実直で勤勉な東北の人が、なぜこんな目に遭わなければならないのですか?」
この質問を受けて、山浦さんの心は深く傷ついたそうです。
この質問は、「神は、実直に生きている人に対してなんとひどいことをされるのだろう……」という意味だからです。

『なぜと問うことは、意味がありません。なぜと問う必要はないのです。過去にも地震や津波はやってきました。地震や津波が起こるのは当たり前のことで、地球はそのように造られているのです。
なぜと問うのは、神様に愚痴を言っていることです。神に責任転嫁しても、自分がみじめになるだけです。』というようなことが山浦さんの著書に記されているそうです。

「この意地悪な質問をしたジャーナリストは、神を自分の都合の良い道具にしようとしています。創造主である神は、都合の良い道具ではありません。
本当の信仰とは、『神さま、わたしはあなたの道具です。どう生きたらいいのでしょう。 何をすればいいのでしょう。教えてください。』と祈ることです。」

と牧師先生が言われました。

神様を都合の良い道具としようとしていると聞いて、ドキッとしました。
かつてわたしは、長女を出産して間もなく喘息で入院したとき、『なぜこんなことが起きるのですか?』と神様に訴えていました。それは神様に文句を言っていたのです。元気で順調に事が運んでいるときはいいのですが、辛いことが起きるすぐ愚痴や文句を言っていたわたしです。
まず、自分の願いが先にあって、神様はその願いを叶えてくれるものとして祈り、叶えられないと「どうしてですか?」と恨みごとを言っていました。
それは、神様を自分の都合の良い道具にしていることです。
わたしが神の道具となるべきなのでした。


命あるものの地にある限り
わたしは主の御前に歩み続けよう。
わたしは信じる。
「激しい苦しみに襲われている」と言うときも
不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。
詩編 116: 10 新共同訳聖書



正直で正しい人は災害に遭わず幸せになり、悪い事をした人は災害に遭うという考え方がありますが、そんなことは決してないのです。
2000年前、シロアムの塔が倒れて18人が亡くなるという事故がありました。そのとき、イエス様はシロアムの塔が倒れて死んだ人は、特別罪深かったわけではないと言われました。
どうしてあの人は助かって、この人は助からなかったのか……。その理由はわからないのです。

3/11の朝日新聞天声人語に紹介されていた谷川俊太郎の「そのあと」という詩に心打たれました。
この詩は、希望を見失った人に一筋の光を与えてくれたことでしょう。



 そのあと

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に



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たとえ追い出されても(奇跡について5)

2013-03-09 11:33:15 | お茶の水聖書学院
急に暖かくなりました。昨日は日中の気温が23度もあったそうです。つい数日前までは真冬のコートを着て、マフラーと手袋、耳宛をして出かけていました。散歩コースの桜川の土手を歩くと、人影はまばらで、枯れたヨシがざわざわと風になびいていました。

昨日の桜川の土手は、保育園の子どもたちが散歩をしていました。2歳児ぐらいでしょうか、みんなより先に行って、また戻ってこようとしています。「走るところぶから、ゆっくりね」と先生に言われているのに、にこにこしながらタッタッターと走っていました。
子どもたちの黄色い帽子がタンポポのように見えました。

今日は午後から子ども家庭集会です。パネルシアターを持って出かけます。


OBI(お茶の水聖書学院)卒業式から一週間たちました。時間がたつにつれ、わたしの人生において学んだこと、卒業したことが大きな意味をもたらすのではないかと思えてきました。

OBIでヨハネの福音書における「奇跡の意義と意味について」という卒業論文を書きました。ヨハネの福音書に書かれている主の奇跡をカルヴァンやBFバックストン、メリルテニイ、CLアレン、CSルイスなど8人の聖書学者たちが、その著書でどのように書いているかを調べて論文を書きました。その論文からブログで紹介させていただいていましたが、それが途切れていました。

今日は、久しぶりに続きを書きます。(前回は1/15 に書きました。右のカテゴリー欄の一番下にお茶の水聖書学院がありますが、2010年5月以前はカテゴリーの中に入っていませんでした。入学した2006年2月からの記事も加えましたので、まとめてご覧になりたい方は、カテゴリーのお茶の水聖書学院をクリックしてください)


イエス様が行った奇跡はヨハネの福音書には7つ書かれています。6番目は、生まれつき盲人の奇跡です。(ヨハネ9:1-41)

イエス様はなぜ中途失明の人ではなく、生まれつきの盲人の目を開かれたのでしょうか。
生まれつきの盲人が見えるようになることは、当時あり得ないことでした。 生まれつきの盲人を癒したのは、神にはできないことがないということ、つまり神は全能であるということを人々に示すため、また神の栄光をあらわすためだったという結論になりました。

この盲人の言動をみていると、彼の信仰が成長していることに驚かされます。盲人は最初イエスが誰であるか知りませんでした。目に泥を塗られ、シロアムの池に行って洗うようにイエス様から言われ、彼はその言葉に従いました。すると見えるようになったのです。

ユダヤ人たちは、どうして目が開かれたのか彼に質問しました。この男はイエスが行ったことをそのまま答えました。
彼は、両親に見捨てられ、ユダヤ人から反感を買われても、何度問いかけられても、起こった出来事をありのままに語りました。
彼が自分の身に起こったことをそのまま話すことは、イエスを快く思っていないユダヤ人たちにとって腹立だしいことでした。ユダヤ人のコミュニティーの中から追い出される危険がありました。それでも彼は恐れませんでした。

ヨハネ9:33では、「もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです」と言い、イエスが神から出ているお方だと告白しています。

彼はユダヤ人から追い出されてしまいます、イエスは彼を見つけ出してご自分が人の子であると語りかけ、彼は信仰告白をしました。

彼は他の人が何と言おうと、またユダヤ人から反感を買われようと、事実を曲げずに語りました。それは、イエスによって目が開かれた喜びに満たされていたことと、イエスを救い主と信じていたからでしょう。彼の信仰を見習いたいです。

また、R.V.G.タスカーは「この奇跡を行ったのは、人々が霊的に盲目であることに気付かせるため」と書いています。『わたしは見える』と思っていることが高慢なのだと思います。このことも心に留めたいです。



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決して見捨てられない訳

2013-03-05 16:44:37 | 聖書から
前回の記事にたくさんの方々からお祝いのコメントをいただいて、心から感謝いたします。
コメントを読ませていただいて、改めて卒業の喜びを味わっています。


2月28日に書いた「暗やみで叫ぶ」の記事を読まれた方が「イエス様が見捨てられたおかげで私達が見捨てられなくなった……」とは、どういう意味ですか? と質問をくださいました。

神様がイエス様を見捨てられたとはどういうことでしょうか。

以前、聖書学の学びの場で、「愛のお方と言われている神様が、自分の子どもを見捨てるはずがない。」と言われたクリスチャンの方がいました。

そう思える気持ちはわかります。けれども、神様は確かにひとり子のイエスをお見捨てになったのです。

それではなぜ、見捨てられたのでしょう……。
十字架の肉体的苦痛は想像を絶するものですが、イエス様にとっていちばん辛いことは、父なる神様との断絶でしょう。

どんなに苦しくても神様が共にいてくださるなら安心していられますよね。うめいたり叫んだりしたとき、すぐに答えがなくてもその声を聞いて下さっている方がおられると思うと慰められますね。

でも、人間は、アダムとエバが罪を犯して以来、神様とは断絶状態になっていたのです。神様は正しいお方なので、罪に対して何の罰も与えずに「まあいいよ」と言って受け入れることができません。

「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、(ローマ3:23)」と聖書に書かれている通り、罪のない人はいないので、神様との間に隔たりができてしまったのです。
罪の結果、人々はその魂が滅んでしまうことになりました。

でも、神様はご自分が作られた人間をとても愛しておられるので、人の魂が滅びることに対して非常に心を痛められました。それで人に罰を与えるのではなく、人の代わりにご自分のひとり子に罰を与えることにしました。

身代わりになる者は、罪のない者でなくてはなりません。イエス様は神様の子どもなので、罪がありませんでした。
神様は愛する我が子を十字架につけ、見捨てるために地上におくってくださったのです。
イエス様は、十字架の苦しみ、見捨てられた苦しみ、すべての苦しみを背負って死んでくださいました。わたしたちのために……。

愛する我が子を見捨てなければならなかった神様のお気持ちはどうだったのでしょう。心が引き裂かれる思いだったのでは……と思うと涙がこぼれます。映画パッションでは、最後に天から水滴が落ちてくる場面がありました。神様の涙を表しているようで、印象的でした。

イエス様が見捨てられてくださったので、人類の代わりにイエス様に罰を与えるという神様のわざが完了したのです。

イエス様が見捨てられたおかげで見捨てられないですむというのは、イエス様を信じる者が、たとえどんな状態になっても神様に見捨てられることは決してないということです。

イエス様がしてくださったことによって、わたしたちは罪を犯しても神様から罰を受けなくてすむようになったのです。神様と断絶してしまうことがなくなったのです。イエス様の十字架は、過去、現在、未来の人々、全人類に有効なのです。


乳がんになってから常に頭のどこかにあるものは、いつか再発転移して末期癌状態になるのではないかという恐れです。でも、体がどんな状態になっても神様から見捨てられることはないのだから大丈夫。常にわたしに目を注いで下さる神様がおられるから大丈夫と思えるのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(ヘブル13:5)」
と、神様は約束して下さっています。



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卒業しました

2013-03-03 17:37:43 | お茶の水聖書学院
昨日は、お茶の水聖書学院の卒業式でした。記念品目録を読むという大役を与えられ、感謝会では大勢の方々の前で食前の祈りさせていただくことになって、とても緊張しました。

通信で2006年から学びはじめたので、卒業まで7年もかかりました。
どうして始めたかは、2010年10月29日のブログ心の宝としてに書いています。

本格的に聖書を学びたいという気持ちの根底には、乳癌になって、いつ召されるかわからない者だと自覚したことにあります。今、元気で自由な時間が与えられているのなら、その時間を神様のことをもっと知るために使わせてもらおうと思ったのです。

最初は聴講生でした。卒業することなどまったく考えておらず、単位も気にしないでゆっくりと学んでいました。

1週間で90分のDVDを2回に分けて視聴していました。1課目で12枚のDVDと3~4のレポート課題があります。ひとつのレポートを書くのに1か月かかっていましたから、1課目に約半年かけていたわけです。1課目で2単位いただけるので、5年たったときには20単位になっていました。

2010年10月に、学院の20周年記念会に出席しました。そのとき『なんて素晴らしいところで学ばせて頂いているんだろう。ぜひ卒業したい』という思いが与えられました。そして2011年4月に聖書科の本科(通信)に編入しました。

編入したとたん、卒業研究の説明があって、卒業するためには論文を書かなければならないことを初めて知りました。単位が満たされればいいというわけではなかったのです。また、通信生はサマースクーリングに2回以上参加しなければなりません。

それから2年。DVD授業をこれまでよりピッチを上げて受け、サマースクーリングに参加し、同時に卒論に取り組みました。
大変というより、楽しくて夢中になりました。卒業時には必要単位30単位を越え、34単位を取得していました。

よく通信で卒業できたねと感心されますが、一生懸命頑張ったという気はしませんでした。
難しすぎることやつまらないことを通信で勉強したら、きっと途中で挫折していたでしょう。でも、学ぶたびに神様の愛がますます感じられ、もっと学びたいと思うのです。

今まで、高慢にも聖書のことは少しは知っていると思っていたわたしでしたが、いかに知らない者だったか気づかされました。学びを一応終了した今でも知らないことがまだまだたくさんあります。

聖書は汲んでも汲んでも尽きない泉のように、求める者には恵みを溢れさせてくださいます。聖書学院の学びは、神様の愛と恵みをあふれさせる場となりました。

7年の間に通信で指導してくださったお2人の先生が天国へ召されました。とても悲しいことでしたが、M先生とN先生のスピリットがDVDを通してしっかりと伝わり、わたしの中で生きています。

ここまで続けられたのは、素晴らしい先生方と背後で祈ってくださった方々、そして神様です。3K(感謝・感激・感動)を味わっています。


卒業式直後の角帽をかぶったわたしの写真、恥ずかしいのですが、期間限定で公開します。


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