生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

嫌いな人を愛する

2015-05-27 17:54:07 | 教会
今日は24日の礼拝メッセージを聞いて思ったことを書かせていただきます。

愛という言葉を聞くと、ほとんどの人が男女の愛を思い描くようです。男女の愛には、「好き」という感情が伴います。
けれども、神様の愛は「大切にする」「大事にする」ことで、感情とは無関係の意志的行為だと聞きました。

感情とは無関係で愛するとはどういうことでしょう。嫌いな人を愛することができるのでしょうか。
山浦玄嗣氏が気仙語(気仙地方の言葉)に訳したケセン語聖書には、愛することを「大事にする」と書かれています。(でえじにすると読みます。)

嫌いな人や、かつてひどいことをされて恨んでいる人を大事にするのは難しいですね。
わたしは、かつて自分の悪口を言ったクラスメートやいじめた人たちをずっと恨んでいました。そんな人たちを見返してやろうと思って努力してきました。
そのような動機でがんばっても何の益ももたらしませんでした。

イエス様のしてくださったことを知ったとき、自分は間違っていたと気づきました。

イエス様はわたしの罪のために十字架にかかって死んでくださったのですが、わたしの嫌いな人、わたしが恨みを抱いていた人のためにも命を捨ててくださったのです。

イエス様はわたしだけでなく、わたしが嫌いな人も大切にしてくださっています。神様が大切にしている人を嫌ったら、イエス様は悲しまれますね。
もし、その人が周囲の人を攻撃したり、意地悪をしていたら、その人のために祈らなくてはと思います。人を攻撃する人は、棘のついた棒を振り回しているようなもので、その棘で自分自身も傷ついているからです。

聖書には、
「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。(Ⅰヨハネの手紙3:23)」
と書かれています。

『わたしの創造した愛する人たちよ。どうかお互いを大切にしておくれ。大事にしておくれ。憎しみ合うのではなく愛し合ってほしいのだ』と、神様が切望しているように思います。

母は10歩下がってまた絶飲、絶食になってしまいました。
「今朝は温かいレモンテーィとラスク、いちごとアイスクリームを食べたつもりになったの」と言いました。赤毛のアンのようです。
靴下だけがおしゃれできる唯一のもので、履き替えさせるとき、「パイナップルの模様の靴下じゃないといやだ」と、子どものように駄々をこねました。



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3歩進んで2歩下がる

2015-05-21 12:45:43 | 日記
自分の時間がほとんど持てなくなったため、ブログ更新もなかなかできません。

母の容態は、一進一退だと思っていましたが、少しずつよくなっているような気がします。

母が、妹からのメールに「具合は3歩進んで2歩下がるです」と返信していました。メールを出す元気が出てきたことが嬉しいです。3歩進んで2歩下がるなら1歩ずつよくなっていることですね。
ときどき熱が出ますし管に繋がれているので、退院までの道のりは遠いでしょう。
 
母が入院している病院は、11年前わたしが乳がんで入院していた病院で、家から自転車で20分ほどの場所にあります。天気が続いているので助かります。

毎日午前中は娘が見舞い、午後3時ごろからわたしが見舞っています。毎回、聖書の言葉を携えて行きます。
今日の聖書のことばは「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(詩編30:5)です。
どんなにつらくて涙を流す夜があっても、必ず朝が来ます。その朝は喜びの朝なのです。

写真は実家から持ってきた植木鉢です。水やりするためにホームから我が家のバルコニーに移しました。生き生きしています。またホームに持って行って、母が育てることができますように。


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苦しみの中で与えられた奇跡

2015-05-11 20:13:05 | 日記
長い間、ご無沙汰してしまいました。
5月4日に母が東京から土浦へ引っ越してきました。
家を処分してしまうので、1か月足らずの間に妹とわたしが交代で実家に泊まりこんで片付けました。
片づけるとき、最初はひとつひとつ感慨にふけっていましたが、間に合わなくなってきたので、機械的に仕分けしてごみ袋と段ボール箱に入れていきました。もちろん、いる物といらない物を母に聞きながらしていたのですが、そのうち母の体調が悪くなってきて、最後の方はこちらで判断するしかありませんでした。

引っ越しの1週間前、母が熱を出しました。そのときは1日で快復し、以前から約束していた友人たちとの2泊3日の旅行に出かけました。
元気に帰ってきてほっとした矢先、また熱を出してしまいました。38℃台の熱が数日続きました。病院へ連れて行こうとしましたが、引っ越してからでいいと言ってききません。

引っ越しの前々日は、微熱のある中、近所にあいさつまわりをしました。わたしも同行しました。母がこの半年で17キロもやせてしまったので、母の姿を見てもわからなかった方が多かったです。涙ながらのあいさつにもらい泣きしてしまいました。
引っ越しの日は、主人と娘とわたしの3人が土浦のホームで掃除などして待機していました。予定より少し遅れましたが、荷物が届き、そのあとで妹夫婦が母を連れて車できました。

そのときも母は微熱があったので、ホームのゲストルームで片付けが済むまで休ませていただきました。
夜は、老人ホームの新居でお祝いの食事をし、その夜は妹が泊まり、翌日は私が泊まりました。
私が泊まった夜に母が高熱を出しました。お腹も痛いと言うので、翌日ホームの車で救急外来へ連れて行ってもらいました。肺炎かどうかはっきりしないけれど、その可能性があると言われ、抗生剤と解熱鎮痛剤をいただいて帰りました。

翌日、また高熱が出て、薬を飲んでも熱が下がらないため再び救急外来へ。連休最後の日で、外来はとても混んでいました。待つ間、ベッドで寝かせてもらえたことは幸いでした。
4時間待たされて、熱の原因がわからないので入院してくださいと言われました。
3時過ぎに病院へ行って、入院手続きをしたのが夜10時半。家に帰ったら11時過ぎていました。

 入院初日は、肝膿瘍ができているので、ドレナージの施術をしていただき(このときも4時間待ち)ました。母は待たされすぎたので我慢の限界にきて、起き上がって点滴をはずそうとしたので、なだめるのが大変でした。
 ドレナージがリスクのある施術だと聞いて、教会へ伝えてお祈りをお願いして待ちました。施術は成功したようです。膿がたくさん出ました。
昨日から膿の色が薄くなってきて、熱も下がり、呼吸も落ち着いてきました。

このような中で素晴らしいことが起こりました。母が「洗礼を受けたい」と言い出したのです。
7日に牧師先生がお見舞いに来てくださったとき、「今日洗礼を受けるのですか?」と母が聞きました。
10日の午後、入院している教会員のために出張聖餐式を行いに病院を訪れるというので、そのときに洗礼を授けていただくことになりました。
                    
神様は苦しみの中で、あふれるほどの恵みを与えてくださいました。先週の日曜は、わたしのブログを読んでくださり、ブログを通して友となった方が洗礼を受けました。
その1週間後に母が洗礼を受けることになるとは……。

2人の牧師先生と教会の長老さんが病室に来てくださり、母のベッドを取り囲んで祈ってくださいました。信仰告白のあと、洗礼が授けられました。母は牧師先生の質問にはっきり「はい」と返事をしました。素直に心を開いて、イエス様を心に迎え入れたのです。

神様は、立ち会った妹と姪の心にも働きかけてくださいました。
神様のなさることはなんと素晴らしいのでしょう! 心から主をほめたたえます!


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