生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

子ども家庭集会

2008-04-28 11:30:20 | CS(子供伝道)

昨日教会で洗礼式が行われ、8人の方が洗礼を受けました。8人中3人は、教会学校で受け持ったことのある子どもです。(今は子どもではなく、2人は高校生、ひとりは大学院生です)なんと嬉しいことでしょう。
彼らの小学生の時の顔が思い浮かびます。大学院生のYくんは、しばらく教会を離れていた時期があったのですが、イエス様のところに帰ってきました。背後には家族や教会の人たちの熱い祈りがありました。


午後は、子ども家庭集会の説明会をおこないました。この2年間、月に一度、土曜の午後教会で子ども集会「はこねくらぶ」を開いてきました。この集会はもともと信徒の家で子ども家庭集会として行われていました。

11年前、我が家で当時小5だった娘の友達や近所の子どもたちを集めて、子ども家庭集会を行っていました。多い時は10人も集まってきました。
伝道師の先生が来て聖書のお話や賛美、ゲームをしてくださり、今までいちども聖書の話を聞いたことのない子どもに福音を伝えることができました。娘が中学生になってからは、わたしは奉仕者になり、先生と一緒にあちこちの家庭をまわりました。

ところが2年前から、家庭を提供してくださる方がいなくなり、家庭で行う子ども集会がなくなってしまいました。
めぐみ教会は住宅地ではなく郊外にあり、バス停からも遠いので、子どもがひとりで来ることができません。教会で行うと、車での送迎が必要です。
教会で集会を行っても、数名の教会員の子どもが来るだけにとどまっていました。本来の子ども家庭集会を行おうということで、家庭提供者を募るために説明会を行ったのでした。

わたしは家庭提供経験者として以下のようなことを話しました。


集会を開く前に親向けに教会の先生が来て聖書のお話をするという趣旨を手紙に書いて配り、親に納得していただいてから子どもを誘ったため、問題が起きることはなかったこと。お母さんたちに感謝されたこと。クリスマス会のあとには、クリスマスの本当の意味がわかってよかったといわれたこと。

子ども家庭集会に来ているTちゃんが、トランプをしているとき突然吐いてしまったことがありました。風邪かもしれないと思って、Tちゃんのお母さんに話すと「風邪ではない。ストレスだ」と言いました。「ストレス?」と聞き返すと、Tちゃんのお父さんがアルコール依存症で、ときどきお母さんに暴力をふるうそうで、その前の日にTちゃんの目の前で首をしめられたからだといって、襟をめくって見せてくれました。わたしは、彼女の首にあざができているのをみて、ひどくショックを受けました。

教会内ではあまり聞くことがありませんが、家庭崩壊の現実を目の当たりにしました。Tちゃんはどれほど心傷ついていたのでしょう。
Tちゃんのような子どもが近所にいるかもしれません。また、身近なところにいる子どもが、いじめや家庭内の問題で苦しみ、死を考えているかもしれません。

ひとりひとりが、神様に造られた存在であること。神様に愛されている存在であること。神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」と言ってくださっていることを伝えることが、自殺や自傷行為に走ることを抑えるワクチンになるのです。


語り終えたとき、その場で「我が家で家庭集会を開かせていただきたい」と言ってくださった方がおられて大変うれしく思いました。わたしの思いが伝わったのでしょうか? 神様が働いてくださったのですね。心から感謝します!


これから旅行にでかけます。数日間コメント停止しますので、またよろしくお願いします。

神様の栄光をあらわす生き方とは

2008-04-25 21:53:49 | 聖書から

20年以上前、当時通っていた教会で信仰入門の学びをしていました。「人はなんのために生きるのでしょうか?」という質問が出されたとき、わたしは答えることができませんでした。

夫のため? 子供のため? 自分のため?……どれも違うような気がします。いったい自分はなんのために生きているのだろうか……と思いめぐらしました。
答えは「神様の栄光をあらわすため」でした。
そのことを知ったとき、わたしは大きな衝撃を受けたのを覚えています。これからは、神様の栄光をあらわすために生きようと決心したのですが……わたしはその後、果して神様の栄光をあらわす生き方をしてきたでしょうか? 


一昨日の祈祷会で、神様の栄光をあらわす生き方について学んだので、改めて考えさせられました。
人はみな神様によって目的をもって造られました。神様は、各々がふさわしい方法で神様の栄光をあらわして生きることを望んでおられます。
聖書には次のように書かれています。


「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)」

「あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに万物は存在し、また創造されたのですから。(黙示録4:11)」


そもそも神様の栄光をあらわすとはどういうことなのでしょう。
レジメには
「地上において、託された被造物を神に喜ばれるように管理していくことが人間の大切な仕事です。それが神の栄光をあらわすことになります。」
と書かれています。

神様は、造られた動植物を管理するように人間に託されました。人間も神様によって造られたもの(被造物)ですが、他の被造物と違って、聖、義、愛などの神様の性質が与えられています。
わたしたち人間は、神様に似せて特別に造っていただいたのですから、神様の栄光をあらわす生き方をするべきなのですね。


「花が太陽の方を向いて生き生きと咲いているように、神様を見上げて生き生きと生きることが神様の栄光をあらわす生き方になる」
とおっしゃった方がいました。その通りだと思いました。わたしもそのような生き方がしたいです。

素晴らしい花々

2008-04-23 22:09:47 | 日記

子守りをしたり、娘の引っ越しの片づけを手伝ったりで、落ち着かない毎日です。今度の日曜日は教会学校でお話をするのですが、その準備もまだできていません。あせる気持ちを抱きながらも、今日は祈祷会に出かけました。

今日は、敬愛するIさんが祈ってくださいました。Iさんは82歳になられますが、お元気で、力強い祈りをされます。「教会学校のお話をするとき、神様が介入してくださるように」と祈っていただいて大変心強く思いました。

昨日は、親しい友人3人で「花ぞの」というフラワーガーデンに行きました。友人の一人が車を出してくださって、岩間へ向かいました。

イギリスの庭園ふうのところに何十種類もの花が咲き乱れていました。素晴らしい花々に魅せられました。ひとつひとつ違っている花々を見て、神様はなんてすてきなものを造って、わたしたちの目を楽しませてくださるのだろうと感激しました。

愛宕(あたご)山にも上りました。山桜は終わっていましたが、ぼたん桜が咲いていていました。山がパッチワークのようにピンクと緑と黄緑に彩られていて、景色も最高でした。

ほどよい緊張感

2008-04-21 16:16:00 | 乳癌

「たとえば癌を宣告されたなら、あなたはどう反応しますか?」
テレビからこんな言葉が聞こえてきました。多くの人が「目の前が真っ暗になる」「絶望してしまう」などと答えていました。
わたしは、「癌と言われて、どうしてそんなに深刻になるのかなあ?」と首を傾げています。

もちろん、癌は病気の中では死亡原因第一位です。でも、すべての癌患者が癌で死ぬとは限りません。決定的な治療法は確立されていませんが、医学は日進月歩です。

わたしは乳癌を宣告されたとき、驚きもせず、落ち込みもしませんでした。呑気な性格だということと、癌に対する知識が浅かったことからです。

しかし、実際後になって、手術を受ければそれで完治ということではないと知り、退院後は不安と苦悩の日々でした。

現在、4年たって薬は1種類になり、検査も年に一度でよくなり大分楽になりましたが、緊張感は続いています。いつか「余命あと半年です」などと言われる日がくるかもしれないという緊張感です。

わたしは、癌になる前は、緊張感に欠けていたような気がします。
もちろん極度に恐れたり、再発転移におびえたりしているわけではなく、忘れていることも多いのですが、癌患者であるという自覚がほどよい緊張感を醸し出してくれています。


昨日の礼拝メッセージでは緊張について語られました。
人間は日常性究極性の中に生きているのだそうです。

日常性というのは、何も考えずに毎日行っていることです。(たとえば、朝起きて歯を磨く、食事をするなど。)これは効率的ですが、緊張感はありません。

究極性の中で生きるとは、万が一のことを(たとえば友人の訃報を聞いて、自分の身にも起こるかもしれないなどと)考えたり、物事の意味を問いかけたりして生きることです。

究極性の中だけでは、人は疲れ果ててしまい、生きていけませんが、ある程度の緊張感は必要なのですね。

パウロはⅠコリント人への手紙9:27に「私は自分のからだを打ちたたいても従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」と書いています。

当時コリントの教会のクリスチャンは、緊張感を持たず、自信過剰で高慢になっていました。それをいさめて書かれたのだそうです。
キリストによる救いを受け入れたからといって高慢になったり、自堕落な生活をしていたら、失格者になってしまうという警告です。

緊張感を持たなければならないといわれても、それがストレスになってしまってはいけませんね。新しい恵みを受けているという心地よい緊張感を持つことのすすめがありました。


「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(へブル人への手紙10:23)」


今日もヒックンが風邪ひいたので預かっています。娘がいるのでだいぶ助かります。昼寝しているときだけが、自分の時間です。そろそろ起きてきそうです。


引っ越しを無事終えて

2008-04-19 22:07:58 | 日記

今日、娘の引っ越しが無事終わりました。デザインの学校に通いながら3年間一人暮らしをしていましたが、卒業したのでアパートを引き払って我が家に戻ってきたのです。最初は東京で就職すると張り切っていた娘ですが、なかなかデザイン関係の求人がなく、就職が決まりませんでした。
ようやくこちらに戻ってくる決心をしてくれたので、主人もわたしも大喜びです。

昨日はすごい雨風でした。17日から三鷹の実家に泊まって18日の朝、娘のところへ向かいました。実家から娘のアパートまでは電車で40分ぐらいなのですが、中央線が新宿駅の手前で止まってしまいました。強風で信号機が故障したとかで15分もぎゅうぎゅう詰めの車内に閉じ込められていました。
ようやく電車は駅まで動きましたが、そのあと不通になり、東京メトロも遅れ、2時間もかかってようやく娘のアパートにたどり着きました。昨日が引っ越しの日でなくてよかったです。

荷物の箱詰めと掃除を手伝って、夕方は実家に戻って泊まりました。今日は雨が上がってほっとしました。引っ越し屋さんは予定通りに来てくれ、親切にゴミまで運んでくれました。今日は妹も手伝いに来てくれたので、荷物が出た後の掃除も早く済み、大いに助かりました。
娘とわたしが電車で土浦に戻るより早く引っ越し屋さんは家に着いていましたが、主人が荷物を受け取ってくれすべてが順調にすすみました。

がらんとした部屋を出る時、この3年間の娘の生活が守られたこの感謝の祈りを捧げました。

写真は娘のアパートの近くの遊歩道です。

朗読番組の紹介

2008-04-17 10:59:49 | 日記


昨日聖書輪読会と祈祷会に出るため教会へ行くしたくをしていると、急に体が重くなってきました。休もうかどうしようかと迷いました。休まないと具合が悪くなるのか、それとも怠け心なのかしばらく考え、祈っていました。
すると、肩がパンパンに張っていて、左腕と首もいたんでいることに気付きました。昨日までの子守の疲れがたまっていたのです。
翌日から上京し、18日、19日は娘の引っ越しの手伝いをする予定なので、それに備えて休まなければならないことに気付かされ、半日寝ていました。
おかげで今朝はすっかり回復しました。2日間子守をしただけでこんなに疲れるとは・・・自分の子供が小さかった時は、それほど疲れなかったのに・・・あ、でもそれは20年以上も前のことでした。年をとったということを忘れていました。


新しいパソコンは無口で、全く音が出ませんでした。音量を最大にしても音が出ません。
これでは、CDやインターネット放送も聴けないと嘆いていたら、息子が「線がつながってないよ」と言ってつないでくれました。
「僕が一瞬でできることを、お母さんは1週間も悩んでたのか!」と言われてしまいました。「一瞬でできるなら最初からやってよ」と言いたいのをこらえて、音が出るようになったことを感謝しました。


ようやくキリスト教放送FEBCが聴けました。敬愛する三浦喜代子さんの著書「天の星のように」の朗読が4月から始まっているのです。
「いのちの母エバ」と「ノアの老妻」を続けて聞きました。本は読んでいたのですが、朗読を聞くと、また違った感動が与えられます。

聖書には人物の深い心情まで書かれていません。ましてや女性にスポットが当てられているのは数少ないのです。「天の星のように」は、聖書に出てくる女性が主人公です。

今まで遠い存在だったエバやノアの奥さんが、なんだかとても身近な存在に感じられてきました。番組は毎週更新されるので、これからも楽しみです。
ぜひお聴き下さい。放送は、
FEBCホームページhttp://www.febcjp.comから聴くことができます。
2008年4月スタート番組の中から「小説・聖書の女性」をクリックしてください。


これから上京します。19日夜に帰宅するまでコメント受付停止にしています。

勝利をもたらしてくださる神様

2008-04-14 14:36:01 | 教会

今、孫のヒックン(1歳0か月)を預かっています。歩くのはまだですが、ハイハイと伝い歩きをしてどこにでもついてきます。トイレに行くと出てくるまで大泣きです。台所にも入ってくるので、椅子をならべて入れないようにしました。すると、すごい力で椅子を動かしてしまいます。

動かないようにガムテープで止めると、ガムテープをベリベリはがします。台を置くと、それにのぼるので危ないからどけると、今度はいすの下をくぐって入ってきました。知恵比べをしているようで、おかしくなってしまいました。根負けして台所に入れると、置いていたネギをかじって食べてしまいました。

まったく目が離せません。ようやくお昼寝してくれたので、寝ている間に書いています。


昨日は創立記念礼拝で、宣教師の先生がメッセージをしてくださいました。
聖書箇所はⅠサムエル記17章の少年ダビデが巨人ゴリヤテを倒す有名なところです。


みなさんは、椅子に座っていますが、椅子が壊れるかもしれないとびくびくしている人はいませんね。椅子に座っても大丈夫と、椅子の頑丈さを体験しているから今日も安心して座ります。同じように神様の力を体験しているのなら、今日も安心して生きられます。
というようなことを言われました。

Ⅰサムエル記17章には、イスラエルにペリシテ人が侵入してきて戦いになったことが書かれています。ペリシテ人の中に背の高さが3メートルもあるゴリヤテが、「イスラエル軍の中からひとりを選んでおれのところへよこせ」と叫んだとき、イスラエルの人々は非常に恐れました。

かつてイスラエルの民が出エジプトをしたとき、エジプト軍と海にはさまれて絶体絶命に陥りました。そのとき神様は海を二つに分けて救ってくださいました。それなのに民はそのことを忘れ、恐れて逃げたのです。
でもダビデは恐れませんでした。羊を飼っていたとき、獅子や熊に襲われても神様によって助けられたことを覚えていたからです。

ダビデは石と石投げしか持っていませんでしたが、神様に信頼してゴリヤテに立ち向かい、石でゴリヤテを倒しました。


「私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)」


ゴリヤテは背の高さが3メートルもありましたが、神様はゴリヤテより大きいのです。

わたしたちの人生にこのような問題は必ずやってきますが、どんな問題が起きても神に信頼し、聖書を読んで祈るとき勝利できると聞いて力が沸いてきました。


「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。(Ⅰヨハネ5:4)」


メッセージを聞いて、わたしは神様のしてくださった素晴らしい業(わざ)を思い出しました。病で絶望的状況に陥ったとき、人間関係で傷つき、深く落ち込んだとき、神様は泥沼から引き揚げてくださいました。
数えきれないほどの問題も、いつの間にか解決されています。神様に信頼して、すべてを神様のところへ持って行けばいいのですね。勝利をもたらしてくださる力強い神様を心からほめたたえます!!

ハプニング続き

2008-04-13 08:03:24 | 日記

パソコンが壊れてからハプニング続きです。
昨日ヒックンがまた熱を出したとの連絡がありました。38.8℃もあるそうです。今日も熱が下がらなければ、夕方からきて泊まり、月曜日は一日預かることになりました。

先週の月曜日にも預かって病院に連れいきました。小児科の先生から「これから保育園で次々風邪をもらってくるよ。預かる方の体制は整っていますか?」と聞かれました。もちろん、都合のつくときは、預かるつもりでいましたが、毎週のように熱を出すとは思わなかったので「まさか・・・・?」と思っていました。

小児科の先生のおっしゃった通り、また発熱。一週間前にはしかと風疹の予防注射をしていたので、その影響かもしれないそうです。

朝7時半から夕方6時まで預かるのは大変なのですが、ヒックンと一日中一緒にいられるという喜びがあります。体力勝負なので、サプリメントを飲んで、礼拝が終わったら早めに家に帰って休むことにします。


人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけが成る。(箴言19:21)
聖書の言葉をかみしめつつ。


アウトルックの調子が整いません。9日から13日の間にわたしのbiglobeのアドレス宛てにメールをくださった方、届いてない可能性があります。再度頂けるとうれしいです。よろしくお願いいたします。

写真はワラビーです。

チューリップ咲きました

2008-04-11 17:33:13 | 日記

パソコンが新しくなったのはいいのですが、使い勝手が全く違うので、一つの作業をするのにとてつもなく時間がかかっています。ワード2007になって、初めはファイルを開くことすらできませんでした。使いこなせば便利なのでしょうが・・・

バックアップが完全でなかったので、色々困ったことが出てきました。メールアドレスやお気に入りに登録していたサイトのアドレスがわからなくなってしまいました。

昨日一日がかりでクリスチャンペンクラブホームページを更新しました。背景の画像を使わせていただいていた素材屋さんも一部しか思い出せずじまいです。


プランターに植えていたチューリップが咲きました。毎年球根を植える時期が遅くて、生育がよくなかったのですが、今年のは去年の10月に植えたので大丈夫そうです。寒い冬を越したからこそ、きれいな花が咲きました。
詩を書きました。



ようやく咲いたチューリップ

くらい くらい 土の中
ひとすじの光も みえなくて
苦しい 苦しい 毎日です

つめたい つめたい 北の風
せっかく頭を出したのに
体がこおってしまいそう

ようやく つぼみ つけたけど
あおくて かたくて 開かない 
このまま 枯れてしまうのかしら

あかるい あかるい 日が差して
息吹きかけられ 咲きました
神さま 神さま ありがとう


ネットつながりました

2008-04-09 18:19:54 | 日記

お久しぶりです。一週間ぶりにネットがつながりました。
先週の水曜にパソコンが起動しなくなりました。サポートセンターに電話で問い合わせると、再セットアップするしかないと言われ、初期化しました。

マニュアル本を見て必死に設定をし、ユーザー名がわからなくてブロバイダーのサポートセンターに問い合わせ、ようやくネットがつながりました。

ところが、自分のサイトを見て、2.3のメールを見た後、シャットダウンを繰り返すようになってしまいました。また問い合わせると、ウイルスが侵入した可能性が大きいので、ウイルスを駆除するか、再セットアップするかしてくださいとのこと。

ウイルス対策にマカフィーを利用していたのですが、その設定をする前にメールを開いたためウイルスに感染したようです。

ウイルス駆除ソフトがないので、もう一度再セットアップをするはめになりました。一日のうちに2回も再セットアップをして、3時間ぐらいかかって設定し、
ネットにつないだらすぐにマカフィーのホームページからウイルス対策ソフトをダウンロードしようとしたのですがうまくいきません。

ダウンロードのボタンを押すと「ページが表示されません」と出てしまうのです。何回繰り返しても同じなので、今度はマカフィーに電話をしました。すると、メールでお知らせします。と言われ、メールが送られてきました。

恐る恐るマカフィーからのメールだけを開きました。メールにはいろいろな設定を変える方法がびっしり書かれていました。印刷するとA4で4枚にもなりました。
書かれている通りにしようとしたのですが、最初の4項目までしかできませんでした。あとはさっぱり意味がわかりません。

結局ダウンロードできないのでネットにつなぐことはあきらめて、ワードでの作業をしていたら、「問題が発生しました。プログラムを終了します。」という見出しが現れ、作業を続けられなくなってしまいました。再起動させて再びワードを開くと、また同じことの繰り返しで最後には、パソコンを開いただけで「問題が発生しました。プログラムを終了します。」と出るようになりました。
スタートメニューのプログラムが「なし」になっているのを見て、これはもう新しいパソコンを買わなければだめなのかなあと思いました。

そのパソコンには、愛着があったので、なんとかもうしばらく使っていたいと思ったのです。
4年前、乳がんで入院したときHPを開設しようという思いが与えられました。それで主人に買ってもらったのでした。
中古で(2002年度製)買ったので、「もうすぐ寿命だから壊れるよ」と息子が言っていたのですが、新しいものを買う気は全くありませんでした。

金曜、土曜と2日間、サポートセンターに電話をかけまくり(土曜日はなかなかつながらず、15分近く受話器を持って待っていました)、一生懸命回復を試みてもだめでした。
日曜日に息子に調べてもらうと、やはり修復は無理だと言われ、やっとあきらめがつきました。

そして、昨日息子が休みだったので電器店に連れて行ってもらい、新しいのを買い求めました。息子の交渉で、新品(ウインドウズビスタ)を4割近くもまけてもらって買えたので感謝しました。

パソコンが直るように電話や再起動の待ち時間、何度も何度も祈りましたがその祈りはかなえられませんでした。また、わたしがした努力は結局実りませんでしたが、主にあって無駄なことはひとつもないのだと思っていますから、心はずうっと平安でした。消えてしまったデーターもありましたが、たいしたものではありません。

パソコンの寿命は、早ければ3年だと聞きました。それを考えると、いままでよく頑張ってくれたと思います。
今回四苦八苦したことも、いつか役に立つことでしょう。

4月から保育園に行き始めたヒックンが風邪をひいて一昨日、昨日と預かりました。昨日は熱も下がり元気になったので、車で電器店に連れていきました。
この1週間は、パソコントラブルと子守で大忙しでしたが、たくさんの恵みをいただきました。

写真は、先週の木曜日にネットカフェの帰りに寄った真鍋小学校の桜です。校庭の真ん中にある樹齢100年の桜が満開でした。


わたしはgooメールと biglobeメールの2種類使っています。gooメールは保存されていますが、biglobeメールを使用しているアウトルックのメールアドレスが消えてしまいました。このブログを読んでくださった方で、わたしのbiglobeメールをお知らせしている方は、メールをください。よろしくお願いします。

アクシデント

2008-04-03 10:43:02 | 日記
昨日の夕方、パソコンのスイッチを入れると、NECのロゴが出た後、画面が真っ暗になってしまいました。セーフモードにもなりません。
マニュアルで調べましたが、まったくわかりません。

パソコンに詳しい息子と娘は、どちらも忙しく、来週にならないと来てくれません。起動できないのですからどうしようもありません。
最後の手段は初期化ですが、バックアップは3/7以来とっていません。できれば初期化しないで回復してほしいのです。

今、ネットカフェに来て更新しています。初めてのネットカフェで、慣れないパソコンでオロオロしています。携帯から更新できるはずですが、やりかたがわかりません。パソコンが直るまでしばらく更新できないと思います。

メールも受信できませんので、ご了承ください。
気がかりなのは、JCPホームページの更新ができないことです。ご迷惑かけると思います。申し訳ありません。

今日これからサポートセンターに電話してみます。どうか一日も早く直るようにお祈りください。

パソコンが直るまでコメント受け付けない設定にします。

ほんとうの自由

2008-04-01 12:24:02 | 教会

新しい月に入りました。教会学校も新年度に入り、色々と準備に追われています。
4月末までに書かなければならない作品(童話)が2つもあるのに、まだ手つかずです。


乳癌で入院していたとき同室だった人が、よくベッドの上で手紙を書いていました。
あるとき「今日は、手紙書けない日だから残念」と言ってため息をついていました。
「どうして書けないの?」と尋ねると、日が悪いというのです。仏滅だから手紙書けないし、新しいことも始められないと言いました。
結婚式や結納などは、仏滅にしない人が多いことは知っていましたが、手紙も書けないと思っている人がいることを知って驚きました。
その方は引っ越したばかりで、その疲れで具合が悪くなり入院されていたのですが、引っ越しするとき方角や色々なことを占っていて疲れてしまったと言いました。

今、占いがブームですね。それが社会問題にもなっています。
クリスチャンは、占いはしません。六曜の吉兆にもとらわれません。この世界を支配しているお方は、天地を造られたまことの神だと知っているからです。
とらわれる人は、潜在的に恐れを感じているのでしょう。彼女は仏滅に新しいことを始めたら、何か悪いことが起こるかもしれないと恐れていたのかもしれません。
この世界で起こることは、すべて神さまのみ手の中にあるということ。だから日にちにこだわる必要はないということを話しましたが、理解してもらえませんでした。


この前の日曜に教会で「キリスト者の自由」というメッセージを聞きました。クリスチャンは日曜日に教会に行かなければならないし、お酒やタバもダメだから不自由だと思っている人が多いのですが、それは誤解です。不自由ではなくて、色々な物から自由なのです。
クリスチャンには、~しなければならない。ということは何もないのです。日曜礼拝は喜んで自発的に行っているのであって、義務感からではありません。お酒を飲んだり、タバコを吸う人が少ないのは、それよりも素晴らしいもの(主にある喜び)を持っているからです。


クリスチャンは、いままで犯してきたいっさいの罪が赦され、これから犯す罪も赦されています。ですから、罪に対する良心の呵責から自由になっています。この自由のゆえに召されたのですから、喜びなさいと牧師先生が言われました。
でも、それだからといって、悪いことをする口実に自由を使ってはいけません。

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)」

と聖書に書かれています。


「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。(Ⅰコリント9:19)」

とも書かれています。奴隷となるというのは、与えられている自由を他者に仕えるために使うということだそうです。
自分を大切にするように他者を大切にしなさいということです。


かつてわたしは、ものすごく自己中心でした。自分が不利益になることを避け、打算で行動していました。人によく思われるために計算して、嘘までついたことがありました。
そんなわたしが、キリストの愛を知って、少しずつ変えられていきました。昨日は、貴重な自由な時間があったのですが、祈っているうちに深い苦しみの中にいる方へ手紙を書くように示されました。書くのに2時間ぐらいかかりましたが、その時間は仕えていた時間だったのだなあと思うと喜びが沸き上がってきました。


写真は都内の桜です。今日は風が強いので桜が散ってしまうのかもしれませんね。

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