生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

久しぶりの実家

2008-03-30 17:25:09 | 日記

昨日実家から帰ってきました。先月は母と都合が合わなかったため実家に行かなかったので、久しぶりでした。
実家では、部屋のいたる所に父との思い出が詰まっていて、いまだにせつなくなります。たとえば、階段をのぼっていて、父は具合がかなり悪くなるまで2階で寝ていたことを思い出しました。癌が肺に転移していたので、階段はきつかったのではないかなと思います。わたしも喘息の発作が起きているときは、階段が恐怖でした。

2階で寝ていたとき、父は死が近いことを悟って「お母さんを頼む」とわたしに言ったのでした。
階下のリビングには、父のお気に入りの椅子があります。その椅子にすわって、『ヒックンを見たら、父はどれほど喜んだだろうか……』と思っていました。

実家に帰る前、目一杯忙しかったので疲れが出て、一日目は横になってばかりいました。また、目の血管が切れたように真っ赤になり、母に心配をかけてしまいました。(目はほとんどよくなりました)
母はわたしより元気で、体操教室に出かけたり、朝早く起きて草取りなどしていました。
わたしは28日は娘のところへ行き、お花見がてら近くの動物公園に行きました。写真はレッサーパンダです。


昨日は、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会に出席しました。JCPでは遺言の書き方の学びをしました。

イエスさまは「すべての造られた者に福音を宣べ伝えるように」「わたしの愛の中にとどまっていなさい」「聖餐式を守り行うように」という遺言をのこされました。

わたしは5年くらい前から家族ひとりひとり宛てに遺言を書いています。毎年正月に書き直していましたが、去年から書き直していませんでした。また、書こうと思います。いつ訪れるかわからない死への備えは必要ですね。


「練習のつもりで書いてみてください。祈りつつ書けたらそれで良い」
と言われた理事長の言葉に励まされました。

「耳をすませば」を観て

2008-03-27 08:52:27 | 日記

暖かな春の陽気に誘われて散歩に出ると、つくしが顔を出していました。


先日アニメーション映画「耳をすませば」(1995年公開)のDVDを観ました。ジブリの映画の中では、となりのトトロの次に好きな作品です。
バーコード化されてない時代、ケイタイもない時代のほのかな恋のロマンもあって素敵です。これを観るのは3回目で、ストーリーはわかっているのですが、また夢中で観てしまいました。

ご存知の方も多いと思いますが、簡単にストーリーを紹介します。

主人公は月島雫(つきしましずく)という本好きの中学3年生の女の子。雫は、親しくなった同級生の聖司がヴァイオリン職人になるためにイタリアに行くというのを聞いて、自分が将来について深く考えていなかったことに焦りを感じます。
雫が自分のやりたいこととして選んだのが小説を書くことでした。受験勉強もせず、何日もかけて小説を書きあげ、聖司のおじいさんのところへ持っていきます。おじいさんが読み終えると、雫はこらえていたものを押さえきれなくなって泣き出してしまいます。
おじいさんは、思うように書けなかったことで悲観している雫に「これはあなたにふさわしい」と言って、エメラルドの原石を手渡します。


このシーンでわたしはいつも泣きます。15歳の雫とまったく同じ気持ちになってしまうからです。雫がおじいさんに見せた小説は、おそらく生まれて初めて書いた長編小説ですので、拙い文章だったでしょう。けれどもおじいさんは、もっと文章の勉強しなければだめだとも、高校受験を目の前にして小説を書いていてはいけないとも言いません。けなす言葉を一切言わず、みがけば光るというエメラルドの原石を渡すのです。

人は誰でもきらりと光る原石を持っています。それは神さまから与えられた賜物です。ご主人から1タラントを預かって、土に埋めて隠しておいたしもべと、2タラント、5タラントを預かって、それをもとにお金を増やしたしもべのたとえ話が聖書(マタイ25:14-29)に書かれています。
2タラント、5タラント預けられて増やしたしもべは「よくやった良い忠実なしもべだ」とご主人からほめられますが、1タラントのしもべはしかられてしまいます。
神さまからの賜物をしまって隠しておくのか。痛いけれど、みがいてやすりをかけて光らせるか迫られているように感じました。
この映画には聖書的意味合いはないのでしょうけれど、才能をつぶさず、引き出すような老人の発言に教えられました。


今日はこれから都内の実家に泊まりがけで行きます。久しぶりに母とゆっくりおしゃべりをしてきます。土曜日夜に帰ってきますが、それまで、コメントを受け付けない設定にしています。


カボチャケーキ焼きました

2008-03-26 18:25:02 | 日記

今日は祈祷会の後、教会学校と「はこぶねクラブ」の話し合いと準備のために午後残りました。
子供たちの救いのために4人の教師が一生懸命考え、祈り合いました。祝された有益なときとなりました。


 昨日は息子一家が来ました。ヒックンがもうすぐ1歳の誕生日(3/31生まれ)なのでケーキを焼きました。ヒックンも食べられるようにとカボチャケーキにしました。 
 たくさん食べてくれたので嬉しかったです。


カボチャケーキの作り方を紹介します。簡単でとてもおいしいです。

材料 パウンド型一台分

カボチャ 種と皮を除いて150グラム
マーガリン 70グラム
卵   2個
薄力粉 150グラム
ベーキングパウダー 小さじ2
砂糖  70グラム
牛乳  大さじ2

作り方

1)カボチャの種を除き洗って、水分のついたままビニル袋に入れ、レンジで5分  加熱する。
 (レンジで加熱すると皮がむきやすくなる)
2)カボチャの皮をむき、ヘラでつぶす。
3)ボールにバターを入れ、クリーム状になるまで練り、砂糖を2.3回に分けて  入れ、よくまぜる。
4)溶き卵を2.3回に分けて入れ、よくまぜる。
5)2)を入れてまぜる。
6)薄力粉とベーキングパウダーをふるって入れ、ざっくりまぜる。
7)牛乳を入れ混ざったら、クッキングシートを敷いた型に入れて焼く。180℃  で40分。
 表面が焦げそうなら、途中でアルミホイルをかぶせる。
 
 甘みが足りないので、大人はホイップクリームを添えて食べました。

写真の文字はHAPPY BIRTH  DAY と書いたつもりですが、ケーキがふくらんで変形してしまいました。カボチャの皮をクッキングはさみで切って作りました。


大切ないのち

2008-03-24 18:38:39 | CS(子供伝道)

今日は、病院へ検査結果を聞きに行ってきました。雨だったのでバスを乗り継いで行きました。結果は、異常なし。とても良い状態ですねと言われてホッとしました。感謝!


土浦市で殺傷事件がありましたね。最初の殺人事件があった場所はわたしの家から4㎞ほど離れたところで、昨日の事件は最寄りの駅(土浦)の隣(荒川沖駅)で起こりました。
犯人は、人を殺したくなったと言って出かけ、無差別に刺したそうです。恨みによる殺人なら理解できますが、全く理由がわかりません。精神の病気だと思いますが、殺された人はたまりません。家族はどこへ怒りを持っていったらよいのでしょう。亡くなられた方のご遺族が慰められますように祈ります。

どうしてこのような悲しい事件が起こるのでしょう。
人間はナイフで刺されただけで死んでしまいます。車にぶつかっただけで死ぬこともあります。もろくて危うい命です。


教会学校小学科で先週と昨日の日曜日の2回にわたって、いのちについて子供たちにI牧師先生がお話しして下さいましたので紹介します。

Ⅰヨハネの手紙4:9には次のように書かれています。
「神はひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
この聖句には2つのことが示されています。

①神さまは、みんなのことが大好き。
②神さまは、みんなに大切ないのちを与えて下さった。


「あなたは、いのちをいくつ持っていますか?」と質問されると、ほとんどの子供がひとつと答えました。

先生はいのちを2つ持っています。それは目に見えるいのちと、目に見えないいのちです。目に見えるいのちは事故や病気で失われてしまいます。もろくて壊れやすいものです。
一方、目に見えないいのちはなくならず、誰も奪うことのできないいのちです。
聖書に「その方によって命を得させてくださいました。」と書かれていますが、その方とは、イエスさま。いのちとは永遠の命です。

「人間が死んだら、生き返りますか?」と先生が子供たちに質問すると、一人をのぞいて全員が生き返らないと答えました。
聖書には、死後、生き返った人のことが書かれています。ドルカスやラザロがそうです。

聖書に「しかし、人の子は三日目によみがえります。(マタイ20:19)」と書かれているようにイエスさまもよみがえりました。
それでは、ラザロとイエスさまのよみがえりは同じでしょうか?
答えはNOです。ラザロはイエスさまによって生き返りましたが、そののち死にました。
イエスさまは、永遠の命を持ってよみがえられたので、今も生きておられます。

イエスさまが十字架にかけられて死んだのは、わたしたちにこの永遠の命を与えるためでした。イエスさまは、このいのちをひとりひとりに差し出しておられます。
わたしたちの心の金庫には鍵がかかっています。イエスさまはむりやり鍵を開けたりはなさいません。あなたが鍵を開けて、イエスさまの差し出してくれた永遠の命を心の金庫にしまいましょう。


以下はわたしの感想です。
目に見えるいのちも神さまから与えられた大切ないのちです。地上で生かされている限られた時間を大切にしたいです。目に見えないいのちがあるから、不条理の世界に生きていても平安が与えられらています。
目に見えないいのちについては、ノンクリスチャンの人たちは考えてもないでしょう。でも、死に勝利されたイエスさまが下さるもうひとつのいのちがあることに世界中の人が気づき、心の金庫を開けて受け入れて欲しいと心から願います。

なぜ苦しみがあるのでしょう?(その5)

2008-03-22 09:22:50 | エッセイ

2回目の入院は乳癌の手術のためでした。このときわたしは辛さをほとんど感じませんでした。前回と違って、入院するときから教会で祈られていたこともありました。

手術できるということも感謝でした。手遅れなら手術はできませんから。娘は高校生、息子は大学生になっていましたから、子供を誰かに預かってもらわなければという心配はありませんでした。

術後、熱が出たり、傷が痛んだときでも“息が苦しくない、感謝!!”と思っていました。
喘息で入院の経験以来、高熱が出たり、さまざまな苦痛のあるときに“息が苦しくない、感謝!!”と思えるようになっていたのです。不必要な経験ではなかったことが証明されました。
(乳癌で入院のことはHPに詳しく書いていますので重複は避けます。)


喘息で入院したとき「どうしてわたしがこんな苦しい目にあうのですか?」と問いかけたのは、理不尽な苦しみに対して憤りの気持ち、恨みの気持ちがこめられていました。病を受け入れられず、神さまの善意が信じられなかったからなのですが、乳癌で入院したときは、神さまの善意を信じていましたから「どうして?」とは問いませんでした。
善意のお方が、いたずらに苦難を与えるはずがない。罰を与えるはずもないと思っていました。

なぜ、神さまは善意に満ちたお方なのでしょう? それには根拠があります。
神さまは愛するひとり息子を罪のため滅びるしかないわたしたちの身代わりに十字架にかけてその命を与えて下さったからです。一人息子の命を与えてまでわたしたちのことを愛して下さった神さまが、善意のお方でないはずがありません。
また、わたしたちに罰を与えないための十字架であるので、苦しみが何かの罰やたたりでは決してないのです。

乳癌で入院する前にわたしは牧師先生宛てに「試練の学校へ行ってきます」と手紙を書きました。心に余裕があったのでそんなふうに書けたのです。実際は退院してからの方が試練が大きかったのですが……。

人生そのものが試練の学校なのかもしれません。善意に満ちた先生から、ひとりひとりその人に合った課題を渡されて、それを背負って歩くのです。その行程で、課題がなければ見いだすことのできない幸せを見つけるのです。ときには涙を流しながら、ときには歌をうたいながら……。

どんなときでもイエス様という先生が一緒にいて下さり。一緒に苦しんで下さり、押しつぶされそうになったときは、その課題を背負ってくださるのですから、何の心配もありません。そして、卒業のときには、先生から「よくがんばったね」とお褒めの言葉をいただいて、目から涙をすっかり拭っていただくのです。
イエス様というすばらしい先生のいる試練の学校は、苦しみではなく幸せのつまった学校です。

苦難のある人生には素晴らしい宝物があちこちに隠されています。怒りや悲しみで心がいっぱいになっていると、心の目がかすんで宝物を見つけることができません。どうしてこんなことが起きたのか?と考えずに、神さまを信頼し、神さまの善意を信じきったとき、宝物が見えてきます。その宝物は苦しみがなければ見いだすことができないものなのです。
わたしはまだ試練の学校に在学していて、いま宝物を見つけているところです。
                
    
      おわり

受難週のうちにこのエッセイが書けてよかったです。明日は、イースターです。イースターの祝福と喜びがあなたのうえにもありますように。

なぜ苦しみがあるのでしょう?(その4)

2008-03-21 12:30:35 | エッセイ

「どうしてこんな苦しい目にあうのですか?」と問いかけるとき、“どうして”には2種類の気持ちが含まれていることが多いと思います。ひとつは何故(Why)?と理由を尋ねる気持ち。もうひとつは、こんな苦しい目にあわせて!と恨みの気持ちです。

聖書のヨブ記には、不条理の苦難について書かれています。ヨブは、次々に家畜と、しもべと子供たちを失います。そのときヨブは、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1:21)」と言って神さまをたたえています。

その後、ヨブは皮膚病にかかって苦しみます。奥さんは「神をのろって死になさい」と、きつい言葉を投げつけます。友人たちがヨブを慰めるためにやってきますが、議論になってしまいます。友人と議論するうちにヨブは生まれた日をのろうようになり、なぜ自分にこのような苦難が降りかかるのかと神に問いかけます。

ヨブ記の最初に天上での神とサタンとの会話が記されていて、富豪で信仰深いヨブがなぜ次々と苦難が降りかかるようになったのか書かれています。
しかし、そのことはヨブは知りません。ヨブはもだえ苦しみながら「なせ?」と問いつめていきます。

最後に神さまはあらしの中からヨブに答えて「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするものは誰か?」と言われます。神さまのことばは、ヨブの疑問に対する答えになっていません。神さまは天上でのサタンとのいきさつについては説明しません。でも、ヨブは説明を求めていたのではありませんでした。

ヨブは、神の栄光に接し、その偉大さに触れ、自分の罪を認め悔い改めます。
「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです(40:4)」
ヨブは自分の無知、弱さを認め、神の全知全能に触れて、神さまのなさることは人間の知識では、はかることができないと思ったのです。

ヨブ記を読んで、苦しみの理由を問うのは、いけないことではないかと思いました。
しかし、そう思えたのは5年くらい前のことで、喘息で入院したときは、「どうしてわたしがこんな苦しい目にあわなければならないのですか?」と何度も問いかけていました。そして心に平安はありませんでした。


わたしは大事なことを忘れていました。両親のもとで入院できたこと。生まれたばかりの娘を両親が世話してくれたこと。主人の両親のもとで息子が守られていたこと。主人が忙しい仕事の合間をぬって見舞いに来てくれたこと。病院で適切な処置をしてもらったおかげで命が守られたこと。
感謝なことはたくさんあったのに、苦しみだけに目を向けていました。

入院後、1週間ほどして少し呼吸が楽になり、そろりそろりと歩いて病室の外に出られるようになりました。(それまではトイレに行くこともできず、ベッドの横にポータブルトイレを置いていました)
その日は教会の祈祷会だったので、なんとか教会に電話して祈っていただきたいと思いました。エレベーターのない病院で、公衆電話は階下にあり、病室は3階でした。入院したときは2人の看護師さんに両腋を抱えられて病室に連れていってもらったのです。必死な思いで階段を降り、電話で伝えることができました。

翌日、病院からステロイド剤が処方されました。ステロイドは強い薬で、副作用がありますが、それを飲むとぴたっと発作がおさまるのです。ステロイドを処方してもらえたのは祈られたおかげだと思っています。

ステロイドを飲んで呼吸が楽になり、副作用も出ず、ようやくベッドに背中をつけて横になることができました。(呼吸が苦しいと、体を横たえることができないのです)実家に置いてあった聖書と三浦綾子さんの本を持ってきてもらい読んでいました。聖書を読んでもみ言葉が迫ってこなかったのですが、三浦綾子さんの本「道ありき」の中で「神は不必要なものを与えないはずである」という言葉にはっと心を打たれました。

今回の入院はとてもつらい経験だったけど、不必要なものではなかったんだ。いつかきっとこのような苦しい経験をしたことが役立つ日が来ると、そんな気がしたのでした。
重症だった割には回復が早く、入院して10日目に退院できました。


                   つづく

「なぜ苦しみがあるのでしょう?」はカテゴリーをエッセイに変更しました。

なぜ苦みがあるのでしょう?(その3)

2008-03-20 10:50:57 | エッセイ

一昨日夜からまた熱が出て、昨日まで熱がありました。37.8℃なので高熱ではありませんが、平熱が低いので、7度を超えると体がだるくてしかたありません。今朝はようやく下がりましたが、まだ用心していなければ……。
横になっている間に新しい小説のストーリーが考えられたので、大きな収穫だと思っています。赤毛のアンのようにわたしの心は空想の翼を広げて飛んでいました。

受難週なので苦難について書こうとしていたのでした。


わたしはお産のときを除くと、結婚してから27年の間に2回入院しています。体が弱い割には少ないでしょう。1回目と2回目では、随分心境が変化したので、そのときのことを書きます。

1回目の入院は21年前、里帰り出産で娘が生まれた10日後でした。出産後、産院から実家に戻ったとき喘息の発作が起こりました。
そのときすぐ内科を受診すればよかったのですが、治療の吸入薬を持っていたこと、両親に心配かけたくないので内緒にしていたこと、すぐ治ると思っていたこと、産後間もないので出歩いてはいけないと思っていたことの理由で病院に行きませんでした。

吸入薬は一時的に呼吸を楽にするものであって、喘息を治す薬ではないことを充分知っていたのにもかかわらず、吸入薬で治そうとしていました。
その吸入薬は、『1回2吸入まで。1日4回まで。それ以上使うと心臓に負担がかかり危険です』という注意書きがありました。でも、子供の頃も使っていた薬なので多少回数が多くなっても大丈夫という気持ちがありました。

ところが恐ろしいことに、吸入薬は使っているうちに効き目がなくなってくるのです。最初一回吸入すれば2.3時間発作がおさまっていたのに、1時間、30分、10分……効いている時間が短くなってきます。

最初のうちは両親と顔を会わせる前に吸入していたので、元気そうにふるまっていたのですが、とうとう効き目が一瞬だけになってしまって、食事もできず、両親に気づかれてしまいました。

気管支が狭くなっているので一呼吸するたびに全身の力をふりしぼらなければならず、それは言葉では説明のしようがない苦しさです。時計ばかり見ていました。1分がこんなに長いと思いませんでした。酸欠で正常な思考力もなくなっていたので、1分がまんすれば吸入していいと自分に言い聞かせ、たった一瞬呼吸が楽になることのために吸入をしていたのです。1日4回までという薬を1日に何百回も使っていたのですから、今考えると恐ろしくなります。よく死ななかったです。(実際、その薬で亡くなった方は大勢います)

話はそれますが、このまえの家庭集会の時、十字架刑でいちばんつらいのは呼吸困難になることだと聞きました。両手を釘付けされていると肺がつぶれたような状態になっています。息を吸うためには体を持ち上げなければいけない。支えが何もなくて持ち上げるので、全体重が釘付けされたところにかかるのです。そのうち衰弱して体を持ち上げる力がなくなって呼吸困難で死ぬのだと教えられたとき、ほんの少し(何百分の1くらい?)ではありますが十字架の苦しみを味わえたのかなあと思いました。

わたしが苦しそうにしていると、両親は驚いてすぐ病院に連れていきました。祝日でしたが、幸いなことに近くの病院で看てもらえました。
入院ですといわれたとき、生まれたばかりの赤ん坊と離れなければならないという悲しさはありましたが、これで呼吸が楽になるとほっとしたのです。

そのときのわたしの状態は、油汗をにじませ、爪は紫色で、何日も眠っていなかったので憔悴しきっていたそうです。酸素吸入をし、点滴を受けましたが少ししか改善せず、発作は続いていました。

ベッドに備え付けられたテーブルに点滴の針のささった左腕を伸ばし、右腕の上に頭を乗せてうずくまるような格好で一晩過ごしました。睡眠薬を求めてもいただけませんでした。睡眠薬を飲んだら呼吸が止まってしまう危険があったのです。

入院中泣いてばかりいました。娘を抱くことも母乳を飲ませることもできません。
主人の実家に預けた3歳の長男ともうすぐ会えるはずだったのに、この入院で延びてしまいました。
また、まわりにクリスチャンがひとりもいなかったことが辛かったのです。そのころ久喜の教会に通っていましたが、教会には娘が無事生まれたとき連絡を入れただけで、喘息で入院したことを伝えていません。なんとか祈ってもらいたいと思い、母に教会に電話を頼むと、「何が神さまよ。こんなひどい目にあわせて、あんたの神さまは何をやっているの!」とすごい剣幕で怒りだしたので、深く傷つきました。

そしてわたし自身も「神さま、どうしてこんなひどい目にあわせるのですか?」と祈っていました。神さまの存在は信じていましたが、神さまの善意が信じられなかったのです。

                  
つづく

千客万来

2008-03-18 12:41:19 | 日記

今月7日に熱を出して以来、風邪の症状が続いています。この土日は一時的に良くなっていましたが、昨日、病院の検査にひとつひとつ待たされて5時間近くかかってしまったので、また調子が悪くなってきました。疲れもあるのでしょう。受難週の早天祈祷会には出られそうもありません。
「なぜ苦しみがあるのでしょう」は後日書きます。

先週末(家庭集会の翌日)妹と姪が泊まりに来ました。小6の姪は、中学受験(姪の通う東京の小学校は、3分の2が受験したというので驚きです)の準備で忙しく、この一年我が家に来ることができませんでした。このたび、ようやく合格したのでヒックンに会うためにやってきたのです。

土曜日の夜は、息子一家と妹と姪が泊まりました。ヒックンは人見知りをせず、ニコニコ笑顔を見せてくれました。最近「糸まきまき」の歌をうたうと、両手を広げてやろうとするので(ぐるぐる回すのはできませんが)それが可愛くて、何度もさせてしまいました。

興奮したせいか、夜中にぱっちり目覚め、糸まきまきを何回もしていたそうです。(ママは眠れなかったでしょう。ごめんなさいね)

日曜日は、息子は仕事で出かけましたが、ヒックンママの運転で、ヒックン、姪、妹と教会に行きました。
ヒックンはママとワンツークラスに出席しました。(これで2回目です)

姪は小学科だと思っていたら、その日は6年生がティーンズ(中高科)に出る日だったのでティーンズ礼拝に母親(妹)と一緒に出席しました。わたしは小学科で奉仕です。

姪は5年生まで、年に数回教会学校に出席したり、夏期学校に参加していたので、友達が覚えていてくれて、すぐにうち解けていました。

姪は礼拝のあと、中高生で体育館へ行ってスポーツ大会をするというプログラムにも参加しました。とても楽しかったようです。
妹は仕事があって11時過ぎには帰らなければならなかったので、大人の礼拝には出られませんでしたが、「今まで、礼拝メッセージは難しくてよくわからなかったけど、ティーンズのメッセージはよくわかった。とてもよかった」と言っていました。

スポーツ大会から帰ってきた姪は、疲れているのに夕飯の手伝いをしてくれ、一緒に作りながら色々な話をしました。以前教会学校で聞いた話や歌をよく覚えていたのには驚きでした。わたしがプレゼントした「五つのパン」の卓上カレンダー使っている?と聞くと、
いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛ですって書いてあったよ」
と言ったので嬉しくなりました。

「それは、聖書の言葉よ」というと「そうなんだー」と新しい発見をしたように目をキラキラ輝かせていました。

なぜ苦しみがあるのでしょう?(その2)

2008-03-15 09:29:14 | エッセイ

なぜ人は苦しい目にあうのでしょうか。
イエスさまをメシアだと信じた犯罪人は、苦しみの中で平安が与えられました。イエスさまの愛を知ったので、苦しみを超越する平安があったのです。
もし、この犯罪人が十字架につけられなければ、イエスさまを信じるに至らなかったかもしれないと牧師先生が言われました。
苦しまなければ、神の本当のめぐみを見い出すことができないのだそうです。
旧約聖書申命記には次のように書かれています。


気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。
あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群がふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。(8:11-14)

あなたの先祖達の知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。―(8:16)


モーセが120歳のとき、遺言のように書いたのが申命記です。エジプトを出てから荒野で苦しみながら40年かかって約束の地にたどりついたイスラエルの民。最短距離で行けば、数ヶ月で着くはずなのに、神さまはなかなか約束の地に導き入れませんでした。
聖書には、神さまが40年間もイスラエルの民を苦しい目にあわせた理由が示されています。

立派な家、豊かな食べ物、家畜、財産が与えられると、心が高ぶって神を忘れてしまうというのです。何もない荒野で、神さまの降らせて下さるマナを食べることによって生かされた人々。神のめぐみなくして1日も生きることのできない存在であることを教えるために苦しめたというのです。

ついには、あなたをしあわせにするためであった。と記されています。しあわせが仮名で書かれているのは、人間が考える世俗的な幸せではなく、神さまの考えるしあわせを意味するからです。それは、状況や環境に左右されない、心の底から沸き上がってくるしあわせです。

イエスさまをメシアだと信じた犯罪人は、十字架につけられていながら、しあわせだと感じたのです。それは、主にあって感じるしあわせです。

肉体的には極限状態の苦痛の中にあっても、しあわせを感じられるのでしょうか?自分の場合はどうだったか、次回書きます。



                  つづく

なぜ苦しみがあるのでしょう?(その1)

2008-03-14 17:39:46 | エッセイ

今日は我が家での家庭集会でした。牧師先生と6人の方が来て下さいました。
「キリストの受難と私たちの苦しみ」という題で学びました。キリストの受難とは、十字架の苦しみのことです。イースター(復活祭)の前の一週間を受難週といいます。今年は3/23がイースターなので、明後日から受難週に入ります。


神であるキリストがなぜ十字架上で苦しまなければならなかったのか? それは、神さまに人類の罪を赦していただくため、キリストが私たちの身代わりとなって罰を受けて下さったからです。
それでは、わたしたちはなぜ苦しみにあうのでしょう?

レジメには、神戸ひよどり台教会の大嶋博道牧師が書かれた人生における苦難の意味が記されています。一部紹介します

私たちは一生の間、平穏無事で何の苦難もない幸いな、楽しいことばかりが続いたらいいなあと願いますが、現実はその反対で、私たちの人生には様々な苦しみが伴います。(中略)

苦しみは確かに、私たちがより豊かに生きることを困難にさせ、しばしば希望を奪い、迷路に入り込ませ、肉体的精神的苦痛やストレスを与え、結果、不利益をもたらします。一刻も早く除去したいと願うのは当然のことです。
しかしながら苦しみには必ず「意味」があります。神さまの私たちへのご計画には寸分の狂いも、無意味なこともないと信じるからです。

1)苦しみは私たちが人生の目的や意味を問う絶好の機会になります。
2)苦しみは私たちの生き方・あり方を見つめ直す機会になります。
3)苦しみは人間存在の本質を教えてくれる機会になります。
4)苦しみは本当の幸いや喜びが何であるかに気づく機会になります。
5)そして、苦しみは私たちが神に向かい、神に近づく機会になります。


ルカ23:32-43には十字架につけられたイエスさまと、同じく十字架につけられた2人の犯罪人の会話が書かれています。ひとりの犯罪人はイエスさまに罵声を浴びせ続けますが、もうひとりの犯罪人はそれをたしなめます。イエスさまが本当の救い主だと信じたからです。その犯罪人は「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出して下さい」と頼みます。
イエスさまは「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と答えます。
ふたりとも、十字架の苦しみで息も絶え絶えになりながら話しています。イエスさまはその犯罪人を助けることもできたのになぜ十字架から降ろさなかったのでしょう。

苦しみのなかでこの犯罪人は平安が与えられていたと聞いて、はっとしました。犯罪人は極度の肉体的苦痛があるのにもかかわらず、メシア(救い主)から一緒にパラダイスにいると言ってもらえたことで幸せを感じ、平安をいただいていたのです。

神さま(イエスさま)が望んでおられることは、苦しみの中で平安を見つけることである。苦しみの中で神さまに与えられた命を喜ぶことが大切である。と聞いて、目が開かれた気がしました。
     

         つづく 

空(むな)しさについて(その2)

2008-03-12 16:42:05 | 聖書から

わたしは14歳のころから空しさを感じていました。そのころはキリストをまだ知らず、聖書を読んだこともキリスト教のメッセージを聞いたこともありませんでした。

中2になったとき、友達が一人もいなくなって孤独に追いやられました。また、そのころ喘息で年に何度も発作を起こし、薬が効かないため、呼吸困難の壮絶な苦しみに何時間も耐えなければなりませんでした。そのため、物事をつきつめて考えるようになりました。

なぜ学校へ行って勉強しなければならないのか? 人はなぜ存在しているのか? 死んだらどこへいくのか? 人の一生は運命によってすべて決まっているのか……?等。それは、本を読んでも両親に尋ねてもわかりませんでした。
小学生の時描いた絵を長い間壁に貼っていました。その絵がすっかり色あせ、角がめくりあがり、画用紙が茶色く変色しているのを見て、母が捨ててしまいました。
珍しく先生に誉められた絵でした。描いた当時は価値ある物だったのですが、数年後にはゴミになってしまったのです。

絵だけではありません。どんな物でもどんどん古くなっていらない物になってしまいます、人間も年をとって、いずれはみんな死んでしまうのだ思うと「空しい」と感じ、生きる意欲をなくしました。

そういうわけで中学2年の間ずっと死にたいと思っていたのです。
楽しいことがあってもそのときだけです。美味しい物を食べて満腹してもすぐおなかがすくのです。人間は意味のないことを繰り返しています。行き着く先は死なのに、死について誰もまともに話してくれません。「死」や「老い」の話をしようとすると、両親は話をいつもはぐらかしていました。

「人間、死んだらどうなるの?」としつこく尋ねると、母は「死んだら何もなくなる」と言いました。がっかりしました。神なき世界は、まさに空の空です。
わたしは、このころから求道していたのでしょう。

伝道者の書の最後には

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(12:13)

と書かれています。

人間が神を恐れず、神の命令を守らず、神なき世界に生きているから「空の空。すべては空」なのだと思います。

けれども、この世の生活が人間にとってすべてではないのです。死は終わりではなく、魂が天国へ移される時です。キリストを信じる者は永遠の命が与えられているのです。地上での生活は、永遠への備えの時でもあります。だからこそ神の命令を守ることが人間にとってすべてだと伝道者(コヘレト)は熱く語っています。

神さまを知ったときわたしは空しさから解放されました。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。(伝道者の書12:1)


空(むな)しさについて(その1)

2008-03-10 18:06:45 | 聖書から

今日は友人のお父様の葬儀(仏式)に行ってきました。自分の父の葬儀と重ね合わさって、悲しみの波に襲われ、父の葬儀の時より泣いてしまいました。
友人が、「これでお互いの悲しみがわかり合えるようになったね」言った言葉に深くうなずきました。

お坊さんのお経は、ほとんど意味がわかりませんでしたが、「空しい」というようなことを言っていたようです。
どんなに慕われ、大きな功績を残した人でも、死んでしまえばちりに返ってしまうので、本当に空しいと思いました。


空しさについては、最近旧約聖書の「伝道者の書」を学んで色々考えさせられました。(伝道者の書はてっきりソロモンが書いたのだと思っていたのですが、色々な説があり、捕囚の時代に書かれたかもしれないのだそうです)

伝道者(コヘレト)の書1章1節には、空(くう)の空。伝道者は言う。空の空。すべては空と書かれています。
「空」「むなしい」と訳されているヘブル語「へベル(息)」は伝道者の書の中に34回も記されているのですから驚きです。

仏教や般若心経でも空しさ、世のはかなさが説かれ、平家物語の冒頭でも無常が記されています。でも伝道者の書のいう「空」「むなしさ」は、少し意味が違います。そして、伝道者の書は「空しい」というだけで終わっていません。

「むなしい」を何度も繰り返した後、
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(3:11)

と書かれているのには驚きです。

人生の中で起こる様々な悲しみ、試練の中にあって「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と言えたらすごいです。でも、実際にはなかなか言えないですね。

この言葉の前には、すべてのことに時があることが記されています。
「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」とあるように、生まれるとき、死ぬときは神さまによって定められています。しかも、人は自分の時を知らないのです。

人間のさまざまな営みにも時があることを記し、結論として「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と言うのです。
これはコヘレトの信仰告白だと思い、胸が熱くなりました。、すべてのことの背後に神さまがおられることを心に留めました。


クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。是非ご覧下さい。

悲しい知らせ

2008-03-09 17:08:26 | 日記

重篤状態にあった友人のお父様が一昨日の深夜召されました。先週の日曜の夜脳卒中で倒れ、病院に運ばれてから意識を取り戻すことなく召されたのです。
倒れる前まではお元気だったそうですから、なんと急なことでしょう。ご家族の方々の気持ちを思うと心が痛みます。

わたしの父の場合は、癌だったので召される8か月前に余命が短いということを知らされました。もちろんそのことを知らされたときはショックでしたが、医師に言われた時期より長く生きられたので、召される頃には家族の者は備えができていました。

友人の場合は、備える時間があまりにも短かったので、ショックが大きいと思います。ご遺族のためにお祈りします。

今日はお通夜です。わたしは風邪をひいてしまい、一昨日の夜熱を出してしまいました。今日は教会に行けたのですが、まだ調子が悪く、頭痛がするので夜は出かけるのを控えます。明日の葬儀には行けるようにと願っています。

人の死を目の当たりにすると、怖れを感じます。命は人間の力ではどうすることもできないのです。命は神さまのみ手に握られていることを思います。

「すばらしい悲しみ(good grief)」グレンジャー・Eウェストバーグ著(地引網出版)には、悲しみが癒されるための10段階のプロセスが書かれています。
その中に「涙腺は、使うためにあるのです」と書かれ、悲しみのために泣くことは必要だということが記されています。

聖書には愛するラザロが死んだとき「イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)」と書かれています。イエスさまも自分の中にある感情を表現したいと願われ、またそうする必要があったから涙を流されたのです。

good griefのgriefの意味は深い悲しみです。なぜgoodなのかというと、喪失は悲しい出来事ではあっても、単に私たちを傷つけるだけではなく、それぞれの人格を高めてくれるものであるからだそうです。
友が悲しみを乗り越えることができるように祈りつつ。

再起動して

2008-03-07 13:09:18 | 日記

パソコンの調子が悪くて、もうすぐ壊れるかもしれないと思っていました。前にも書きましたが、クリックして画面が変わるまで20秒近く待たなければなりません。PDFファイルを開いたり、写真画像を印刷しようとするとフリーズしてしまい、強制終了したこともありました。

娘がきたので「新しいパソコンを買わないといけないけれど、高いから困ったなあ」と言うと、「お母さんは調べもしないで新しい物を買って解決しようとするんだから!」と言って見てくれました。(最近、娘にしかられてばかりです)
「容量がいっぱいだからよ。パソコンが胃の中にたくさん食べ物を詰め込まれて消化不良を起こしているの」

娘がプログラムを開くと、ほとんど使ってない機能がたくさん入っていました。
「使わないものを消していったら軽くなるはず。もし変化がなければ、修理に出して見てもらう方がいい」と言って、ひとつずつ確かめながらアンインストールしていきました。

わたしがパソコンでやることは、ワードや一太郎で書くこと、ネットに繋いでブログやHPを更新すること。それくらいなのです。それなのに随分不要な機能が入っていました。家計簿も消しました。エクセルは消せませんが……。
たくさん削除して再起動してみると、なんとスムーズに動くようになったのです。
以前削除しすぎて失敗したことがあったので自分では怖くてできませんでした。ダイエットができてパソコンのお腹もすっきりしてよかったです。
娘がいればパソコンのことは何でも教えてもらえるので安心です。


娘は今春3年間の学校生活を終えて、来月こちらに帰ってくることになりました。先日、こちらの部屋を片づけるため、いったん戻ってきました。
卒業したら一人暮らしを続けながら東京で働くと言っていたのですが、色々あって(詳しくは書けませんが)自宅に戻ってくることになりました。一人暮らしをさせたこと(学校へは2時間半くらいかかりますが通うことも可能でした)を何度も後悔し、連絡が取れないと心配し、寂しさに耐えていました。

娘は一時期落ち込んで「再起動中」と言っていたことがありました。娘もこのパソコンのように色々な物が詰め込まれて悲鳴を上げていたのかもしれません。わたしができることは祈ることだけでした。今は娘も再起動できたようすで、元気はつらつです。

もう娘とは一緒に暮らすことがないのだろうと思ってあきらめていたのに……こんなに嬉しいことはありません。一緒に暮らしていたら、ぶつかって、喧嘩することもあるでしょう。けれども、それもまた楽しいのです。

祈り

2008-03-05 17:39:40 | 日記

昨日は義父母にヒックンをみせるため、息子一家と車で千葉県の主人の実家まで行ってきました。去年10月に初めて連れていったので、今回は2回目です。
10月に行ったときに撮った曾孫を抱いた義父母の写真をみると、最高に幸せそうな顔をしています。今までこんなに嬉しそうな顔をしている二人を見たことがなかったので、また連れていきたいなあと思っていました。

今月末からヒックンが保育園に入るので、「近いうちに千葉にもう一度行けるといいのだけれど……。」というと、息子も嫁も快く応じ、都合をつけてくれました。

2時間のドライブの後、到着して義母が迎えに出ると、ヒックンはびっくりしたように泣きだしました。人見知りするようになったのです。主人やわたしにはたびたび会っているので人見知りはしないのですが……。

でも、おもちゃで遊ぶうちに慣れて、ひいおばあちゃんに抱かれてニコニコ笑うようになりました。(ほっとしました)ひいおじいちゃんは抱くのは無理でしたが、一生懸命あやしてくれました。

前回連れていったときは、まだつかまり立ちもハイハイもできませんでした。廊下をパタパタとハイハイして歩くヒックンの姿を見て、「この廊下でYくん(息子)もMちゃん(娘)も、ハイハイしていたのよね。つい、この間のことのようだけど……」と、義母がなつかしそうに語っていました。
次はいつ行けるかわかりませんが、ヒックンをみて義父母が元気になるのなら、また行くことができますようにと祈りました。


今、友人のお父様が重篤状態で集中治療室におられます。昨日、「祈って下さい」とのメールを受け取ってから何度も祈っています。わたしだけでなく、教会の人たちが大勢祈っています。今日の祈祷会でも祈りました。

わたしも父が危篤状態のとき、自分の乳癌の手術のときや肺炎になったとき、大勢の方に祈っていただきました。祈られていることを感じてすごく心強かったことを思い起こします。

2年前肺炎で40度以上の熱が出て、どうなってしまうのだろうと不安に押しつぶされそうになったとき、もうろうとした意識の中で大勢の人の組んでいる手が見えました。それは、祈りの手でした。祈られているのだなあとはっきりわかって、感激しました。そして、イエスさまの祈る手も見えた気がしたのです。イエスさまも祈って下さっているとは、何と幸いなことでしょう。
すぐによくはなりませんでしたが、このうえもない平安が与えられたのです。

祈っています。どうか友人のお父様が快復しますように。友人やお母様のうえに平安がありますように。

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