生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ティーンズクリスマス

2019-12-15 16:43:17 | ティーンズ
昨日はTEENS(教会学校中高生科)のクリスマス
会でした。子どもたちは何週間もかけて準備してきました。

礼拝チーム、レクリエーションチーム、食事チームに分かれてそれぞれに準備しました。
礼拝チームでは、わたしの提案が通って劇をすることになりました。

高三の女子が今を生きる高校生を主人公として、脚本を書いてくれました。
聖書の言葉「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43-4)」をテーマに作られた劇です。

劇中劇という感じで、賛美もメッセージも劇の中に含まれるというかたちですすみました。監督にわたしの名が入っていたので、緊張しました。

演じる子どもたちは、最初声が小さくて自信なさげです。励ましたり、褒めたり、助言したりしながら、何度か繰り返し、あっという間に本番になってしまいました。
たくさんの新しい中高生がクリスマス会に来てくれました。劇の時は,水を打ったような静けさでした。
練習やリハーサルのときより、本番がいちばんよかったです。

レクリエーションはゲームで盛り上がり、食事チームは飾りつけをしてクリスマスの雰囲気を出しました。(食事を作ったのは子どもたちのお母さんたち)

今日のTEENS礼拝では、インマヌエルのキリストについて語られました。インマヌエルとは共におられるという意味です。イエス様はつらいときも苦しい時も共にいてくださるので、何も心配することはないのです。
イエス様、生まれてくださってありがとう。


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釜めし

2019-11-18 16:13:09 | ティーンズ
ごぶさたしています。なかなか更新できないでいました。

16日はテイーンズ(教会学校の中高科)の釜めしでした。釜めしというのは、同じ釜の飯を食べて、交流を深めるという意味で、釜めしを作って食べるわけではありません。
20人近く参加しました。今回は盛りだくさんのプログラムでした。

教会から車で5分のところに貝塚公園があります。車に乗り合わせて出発しました。
お天気は最高。風もなく穏やかな時間でした。もとラグビー部で活躍されていたMさんの指導を受けて、1時間たっぷり体を動かしていました。
わたしは、荷物番でしたが……。

スクラムの組み方やボールの渡し方など初めて知ることばかりで、やらなくても興味津々で見ていました。

最初はボールを蹴ることさえうまくできなかった子どもたちがどんどん上達していくのを見ると、わくわくしました。この中から将来のオリンピック選手が現れるような気がしました。

ラグビーの後、礼拝をして、アートのプロによるワークショップ。バーベキューとさつまいもご飯をいただき、各部屋で休みました。
わたしはバーベキューの用意だけして自宅に戻り、翌日朝教会へ行きました。
さつまいもご飯は失敗でした。8合炊きの炊飯器に10合入れてしまったので、お米も芋も芯があって食べられなかったそうです。

でも、レンジでチンしたら美味しく食べられたそうで、感謝しました。
昨日はティーンズのクリスマス会の準備があって、昼頃まで奉仕し、歩けないほど疲れてしまいました。今日も一日ぼおっとしています。


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詩の授業

2019-08-31 17:06:06 | ティーンズ
ここ数日、涼しい風が吹いて生き返るようでしたが、また蒸し暑くなりました。
8月も今日で終わりになりますが、振り返って書かせていただきます。

わたしは、教会で教会学校の奉仕をしています。ずっと小学科の教師をさせてもらっていましたが、2年半前からTEENS(中高生)の奉仕をすることになりました。

TEENSは、大人の礼拝とは別に礼拝をし、そのあとグループに分かれて、礼拝メッセージから受けたものを話し合う時間を持っています

TEENS教師は青年が多く、既婚者は数名です。
今年は青年がコイノニアで韓国に行くことになり、11日は韓国の大方教会で礼拝に与かるので、TEENS教師の10名は日本にいませんでした。残っている教師はわたしを含め、3人でした。
子どもたちは30名近くいます。いつも分かち合いをしている1時間半をどうやって使おうか……と祈って考えた末、詩を書かせてみるのはどうかと提案しました。

それでわたしが指導することになったのです。
八木重吉、水野源三、星野富弘の詩を印刷して配り、これらの詩が書かれた背景を話しました。

そのあと、わたしが書いた詩「「死なないでください」が用いられてトラクトに掲載されたこと。(もう10年以上前になります)それを読んだ方が自殺を思いとどめたこと。その方から「命が助かりました」と電話がかかってきて、文通が始まったこと。数年後、その方が洗礼を受けたことを話しました。

神さまが働いてくださったことを目の当たりにして震えるようだったと言うと、うなずいてくれた子どももいました。

その後、詩を書くように導きました。テーマは自由です。子どもたちがどんな詩を書くのか期待して待ちました。期待以上でした。
急に詩を書けと言われても……と戸惑っている子どももいましたが、ほぼ全員書いて発表してくれました。

男子は型にはまらず、ユニークな作品が多かったです。ひとりがラップ調でうたいだすと、皆もあとに続いて踊りながらうたいながら楽しい発表会となりました。

女子は信仰の詩がほとんどで、『辛くてもイエス様が一緒にいてくださるから大丈夫』という内容が多かったです。 
『嫌いなあの子の隣にもイエス様がいる』という内容の詩には、はっとさせられました。


8月の終わりに「死なないでください」の詩を再び掲載します。自死を考えている人たち、死なないでください。     

死なないでください

死なないで下さい
あなたが生まれた時
小さくてたよりない
その体を
そっと包むように抱いてくれた人がいるから

死なないで下さい
あなたがお母さんの
おなかにいる時から
あなたを知り
かたち造ってくれた
お方がいるから

死なないで下さい
すべての道が閉ざされて
何の希望も持てなくても
じっと見ている
お方がいるから

死なないで下さい
心の傷をすべて
涙の数をすべて、
知っていて下さる
お方がいるから

死なないで下さい
いとしいひとり子の命を
あなたのために
ささげてくれた
お方がいるから



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すばらしい存在

2019-07-17 16:27:36 | ティーンズ
読売編集手帳に谷川俊太郎さんが、バカボンのパパ(赤塚不二夫の天才バカボン)に詩を送ったことが書かれていました。

未成年の自殺死亡率が、統計をとりはじめてから最悪となったそうです。原因は、親子の不和、学業不振、進路の悩みなどが多いようです。
詩には『自分はすばらしい』と書かれています。

自分がすばらしい存在であることを知っている人は、なんと幸いなのでしょう。どんな人でも、すばらしい存在なのです。

たとえ学校の先生に「お前の存在は価値がない」と言われても、親から「お前なんか生まれてこなければよかったのに」と言われ、友達からは「お前なんかいなくても誰も困らない」と言われても、それを受け入れてはいけません。

人間の価値は、何が出来るか出来ないかで決まるわけではありません。勉強が出来なくても、運動が出来なくても、いっこうにかまいません。存在そのものに価値があるからです。
でも、悲しいことに自分はダメな人間だと思い込んでしまう人が多いのです。ダメな人間なんていないのですが……。もし、ダメな人間だとしても、価値があるのです。

聖書には「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4)」と書かれています。

「愛している」というのは男女の愛ではなく、いのちをかけて大切にするという意味です。
自分のことを嫌いにならず、好きになってください。バカボンのパパのように『自分はすばらしいのだ』と堂々と言ってください。



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お花見日和

2019-04-08 15:31:57 | ティーンズ
桜川の土手の桜が満開になりました。

今年ほど桜が咲くのを待ち遠しいと思ったことはありませんでした。

金曜日は孫を連れてお花見にいきました。このときは五分咲きでした。日曜日は礼拝の後、TEENSの子どもたちと花見に出かけ、みんなでくし団子を食べました。このときはほぼ満開。天気も良く、暑いぐらいでした。

TEENSでは、毎年四月の初めの日曜日にお花見をすることになっていますが、桜の開花がまだだったり、咲いても雨が降っていたり、風が冷たかったりで、花見日和だったことがこの10年ぐらいなかったそうです。

それで担当の先生が最初から花見をあきらめて、室内でのゲームを考えておられました。
ところが、前日に絶好の花火日和になりそうだとわかったので、『ぜひ、お花見しましょう』というメールが飛び交って、花見が実現しました。



人の心を和ませる桜を造ってくださった神様に感謝します。
桜は神様からのプレゼントです。


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相手を変えようと思うのは……

2018-09-11 16:13:20 | ティーンズ
学生時代の友人のひとりが書いて送ってくれたハガキです。グリムというのは、わたしのニックネームです。
先月長野へ学生時代の友人9人で長野県へ旅行に出かけました。
旅行の後、ブログに旅行記を書きましたが、それを少し書き換えて、行けなかったひとりも含めて9人に便りを送りました。このハガキはそのお返事としてS子から送られてきたものです。おもて面には「グリムの生き方は素敵です」と書かれていました。うれしくて、S子の許可を得てからアップしました。

一昨日のTEENS礼拝は結婚についてのメッセージの第2弾。前の週に語ってくれたYさんの奥さんがメッセージしてくださいました。
その中で印象に残ったことを紹介します。

夫婦はお互い価値観が違うので、宇宙人のように全然理解できない者です。相手を変えようとしてはいけません。誰かを変えようとするのは、愛のない行為です。相手を受け入れて、自分を変える努力をしてくださいというメッセージでした。夫婦円満の秘訣ですね。

ニーバーの詩が紹介されました。

祈り

変えることのできないものに対しては、

それを受け入れるだけの冷静さを、

変えることのできるものに対しては、

それを変えるだけの勇気を、

そして、変えることのできないものと、

変えることのできるものとを見分ける知恵をわたしに与えて下さい


(この詩は、以前このブログで紹介しました)

日曜日の午後は、教会でH先生の歓迎会がありました。また、以前伝道師として教会におられたM先生と5年ぶりぐらいにお会いできて楽しい時間を過ごしました。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。わたしのエッセイが掲載されています。



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誓うとは?

2018-09-03 16:42:17 | ティーンズ
9月に入った途端涼しくなって、ほっとしています。

男性が結婚の申し込みに相手の家に行くとき、「娘さんを幸せにすると誓います」と言う人が多いと思います。

でも、人が人を幸せにできるでしょうか。もちろん、その言葉は嘘偽りがなく、誠実な気持ちで言うのですが……。

結婚してから思わぬ出来事、たとえばどちらかが病気になる。会社が倒産して収入がなくなる。災害にあって財産、家を失うなど……その人の責任ではありませんが、妻を幸せにするという誓いが果たせないことがあります。

結婚式のとき、キリスト教では司式をされる牧師先生が『……その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの妻(夫)に対して、堅く節操を守ることを約束しますか』
と、夫になる人と妻になる人、それぞれに尋ねます。牧師先生の言葉に続いて『はい。約束します』と答え、誓約が成立します。

ところが教会で結婚式を行う予定のふたりが、結婚カウンセリングを受けたとき、男性の方が「結婚の誓約はできない」と言ったそうです。
牧師先生は頭を抱え、女性は泣き出してしまったそうです。

この話を聞いて、彼がいかに誠実であるかわかりました。男性は、100%確信できないと誓えないと言いました。誓約を単なる儀式として考えるのではなく、神に対しての誓いなので、簡単に誓えないと思ったのでしょう。
誓うということに対して真剣に考えれば考える程、簡単には誓えなくなってしまいます。

先輩に「確かな思いじゃなくても、そう信じる心が大切」と言われたこと。また、彼女は確信できると言っているので、それにかけてみようと思って誓約する気持ちに変えられたそうです。

結婚しても最初は相手のことがよくわかっていません。生まれ育った家庭環境、考え方、感性などことごとく違っています。違って当たり前なのです。
結婚と洗礼は似ています。100%相手のことがわかって結婚するわけではありません。洗礼も神様のこと、聖書のことがよくわかってから受けるのではありません。
その人と共に生きることを決意したとき、結婚します。
神と共に生きる決意をしたとき洗礼を受けます。

TEENS礼拝で結婚についてのメッセージを聞いて考えたことを書きました。



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なぜ病気はなくならないのでしょう(その2)

2018-07-24 17:10:35 | ティーンズ
昨日の続きです。

それから十年ほどして、47歳のとき乳がんになりました。乳がんになったときは、不思議に平安でした。神様はわたしに必要だと思ってがんを与えてくださったのだと思いました。また、初期だったので手術して取ってしまえば治ると、楽観的に考えていました。
でも手術後、医師からリンパに転移していると言われたとき、動揺しました。ネットで調べるとリンパ転移している人は10年生存確率4ーセントだと書かれていました。(ネットの記事は当てになりませんが……)

10年以内に死んでしまうのだと思うと胸が張り裂けそうになりました。死ぬことはちっとも怖くありません。イエス様と一緒だからです。でも、まだ地上でやり残したことがあります。子どもたちがせめて成人するまでは生かしてくださいと泣きながら訴えました。

それから14年たちましたが、元気で生きています。
乳がんの手術後の治療はつらくありませんでした。喘息よりずっと楽だと思えました。楽に呼吸ができるのですから。

喘息と乳がんになって学んだことは、生きていることは当たり前ではないということです。自分の力で生きていると思っていたのですが、神様によって生かされていたのでした。

人はどんなに生きたいと望んでもそのために全財産をささげても、神様が生かしてくださらなければ一日も生きられません。生かされている一日は、この上もなく尊いのです。無駄に時間を使ってはもったいないです。
わたしが病気になったのは、このことをわからせるためだったのかもしれません。

わたしは、イエス様を知らなかったとき、どうして喘息になったのだろうか、何か悪いことをした罰なのだろうかと思い悩みました。
また、喘息を恥ずかしい病気だと思い、病気のことを誰にも話せませんでした。でも、恥ずかしい病気などありません。

イエス様がおられた2千年前も病気の人がたくさんいました。医学が発達した今も病気はなくならないし、かえって増えているぐらいです。なぜ病気はなくならないのでしょう。神様は病気についてどのように考えておられるのでしょう。

質問をします

⓵病気は罪を犯したことの罰である。

⓶神様が意地悪をして人を病気にする。

③神様はすべての病気を治したいと思っておられるが、できない。

⓸神様は必要と思われる人に病を与えられる。


どれが正しいでしょうか?
⓵罪に対しては、イエス様の十字架で赦されてされているので罰が与えられることはありません。

⓶神様は善意のお方。わたしたちを愛しておられるので、意地悪するわけがない。

③神様は全知全能(すべてをご存じで、できないことはない)のお方。神様は一瞬ですべての人の病を癒すこともできる。でも、そうなさらないのは、病がその人にとって必要だから。(神様は、不必要なものを与えない)

④が正解です。(TEENS子どもたちは全員が④に手を上げました。)

パウロにも持病がありました。どんな病気か聖書には書かれていないのでわかりませんが、相当つらかったのだと思います。病を取り除いてくださいと3度主に願っています。
神様の答えは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである、と言われたのです(Ⅱコリント12:7-8)」

わたしも喘息がつらくて3度どころか30回以上祈りました。でも、完全には治っていません。健康を求めてスイミング教室に通い、身体にいいと聞けばなんでも実行し、丈夫になるために最大限の努力をしましたが健康にはなりませんでした。健康第一で神様第一ではありませんでした。

「まず健康にしてください。元気になったら、教会でたくさん奉仕します。」
と祈りましたが、その祈りは間違っていました。むしろ神様はわたしを愛してくださっているので、病気という試練を与えて下さったのです。

病気だけではなく、怪我や事故、災難、辛いできごと、うまくいかない人間関係などすべての苦しみは神様の愛のあらわれです。

ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に書かれた作者不明の詩を紹介します。

「病者の祈り」

大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
      
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でも、最も豊かに祝福されたのだ

            
この詩を書いた人は、神様にたくさんのものを求めていましたが、それらは与えられず、逆に弱さ、病気、貧しさが与えられました。けれども、そのことを嘆いているのではなく、むしろ喜んでいます。自分のことを「あらゆる人の中でも最も祝福されたのだ」と言っています。わたしも、
病弱を与えられたことを以前は感謝できなかったのですが、今感謝しています。

聖書にイエスの弟子が盲人をみて、イエス様に質問したという箇所があります。
「先生、彼が盲目に生まれついたのはだれが罪を犯したからですか。この人ですか。この両親ですか?」イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。 神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:2-3)


神さまのわざが現れるためとはどういうことなのでしょう……。
この聖書の箇所では、イエスさまが生まれつき盲人の目を治し、そのことが神さまのわざの現れとなりました。それは神様の栄光の現われです。

病気が治ることだけが栄光の現われではありません。神様はそれぞれの人に最もよいことをなさってくださいます。
病気が治らなくても、体や心の弱さがあっても、それを受け入れて神様を喜びながら歩むことが神様の栄光を現すことになるのです。
                          おわり  

なぜ病気はなくならないのでしょう(その1)

2018-07-23 17:12:34 | ティーンズ
昨日はTEENS礼拝でお話をさせていただきました。
前半を紹介します。

おはようございます。ちょうど一年前に「私の人生劇場」というテーマお話ししましたが、今日のお話はそのとき話したことも一部含まれていますが、視点を変えて話しますので最後まで聞いてください。

身体が丈夫な人と弱い人がいます。病気になりやすい人とほとんど病気をしたことがない人がいます。疲れると病気になる人と、どんなに疲れても一晩寝れば元気になる人がいます。人それぞれ与えられた体力が違います。

わたしは疲れやすく、ちょっと無理をすると病気になります。
2歳のとき肺炎になって、熱が出なかったので病院へ行くのが遅れ、生死をさまよったそうです。命は助かりましたが、肺炎がきっかけで小児喘息になってしまいました。

わたしが子どものころは、予防薬がなく、発作が起きたら薬を飲み、その薬の副作用で喘息になりやすくなり、また発作が起きる……という、悪循環を繰り返していました。大きな発作が起きると薬が効かず、呼吸がしにくくなり、死ぬほどの苦しみをがまんしなければなりませんでした。水槽から出た金魚が苦しがっているのと同じようです。

今は予防薬があるので、喘息になっても病院に通って治療していれば、それほど苦しむことはありません。
わたしの喘息は、毎年秋になるとひどくなり、よく学校を休みました。

中学生の時、ちょうどテスト前に喘息で休んだら、「ずる休みしてテスト勉強やっていたんでしょう」と言われました。
傷つきましたが、気も弱いので何も答えられませんでした。

高校生になって初めての定期テストの時、頑張って試験勉強を夜中の12時までやりました。それは、わたしにとって体力の限界を超えていたことでした。
明け方から喘息が出て、学校を欠席するしかありませんでした。学校からは病院へ行って診断書を提出するように言われました。たいていの先生は期末テストの点だけで成績をつけてくれましたが、生物だけは、休んだ中間を0点とされたので、期末が半分の40点(赤点)になってしまい、補習を受けたのを覚えています。
頑張りたくても頑張れないこと。誰にも理解してもらえないことで心には怒りと悲しみでいっぱいでした。
また、ほかの人と比べて、自分だけ病気ばかりしていると思い、丈夫な人がうらやましく、悔しくてなりませんでした。

そのころ天地を造られた神様のこともイエス様のことも知りませんでした。
それでも漢方薬を飲んだらそれが効いて、高校を卒業するころには喘息の発作がほとんど起きなくなりました。

その後、幼稚園の先生の資格がとれる神戸の短大に入りました。その短大はキリスト教の学校で、教科書と一緒に聖書を買うように言われました。そのとき生まれて初めて聖書を手にしました。
学校の夏休みの宿題で教会の礼拝に出て週報をもらってくるというのがあり、しぶしぶ礼拝に出たのを覚えています。

幼稚園で働き始めると、『こんなはずじゃなかった』と思うようなことが続きました。行事の前は幼稚園に遅くまで残って準備をしたので、家に帰るとふらふらになっていました。
喘息は出ませんでしたが、倒れる一歩手前でした。

悩み傷ついて心も体もボロボロになっていたとき一冊の本「あさっての風」に出合いました。それはクリスチャン作家三浦綾子の書いたエッセーです。
その本を読んで、自分の罪が示され、教会に行かなければ……という気持ちになりました。短大の宿題で教会に行ったときのことを思い出して、神戸の教会に通い始めました。

教会を訪れて半年後に洗礼を受けました。何の学びもなく、あかしをすることもなかったのですが、知っていたことはイエス様の十字架で罪が赦されるということだけでした。
聖書をろくに読まなかったので、洗礼を受けたらもう罪を犯さなくなるのだと勘違いしていました。
ところが、洗礼を受けても人の悪口を言ったり、意地悪な気持ちになったりするので、苦しくなって2年で教会を離れてしまいました。
教会から離れて2年後、結婚して埼玉県に住みました。男の赤ちゃんが与えられ、喜んだのも束の間、出産後、治ったと思っていた喘息が再び出てきました。そのときはすぐ治ったのですが、毎年秋になると喘息の発作が起きるようになりまた。

長男が9か月のとき、住んでいた団地から歩いて15分のところに新しく教会が建ちました。 
新しい教会を見たとき、どうしても行かなくては……と思いました。自分が喘息で苦しむ意味がわかるかもしれないと思ったのです。
なかなか教会に入れなくて、自転車で教会の周りを三周もしてしまいました。
牧師先生が気づいて、中に入るように言われ、一番端の席にすわってうなだれていました。
こんなに罪だらけのわたしは、礼拝堂に入る資格がないんじゃないかなと思いました。
すると、「よくもどってきたね。ここにいていいんだよ」というイエス様の声が聞こえたように感じました。

教会に通うようになって、いままで誤解していたことが正されました。
聖書には「こういうわけで、今は、キリストイエスにあるものは、罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)」と書かれています。
洗礼を受けた後に犯した罪も、イエス様の十字架によってすでに赦されていたのです。聖書の学びを通して、神様がわたしをどれだけ愛しているかに気づき、感謝と感動の毎日でした。

その後、ふたり目の子どもが与えられました。無事生まれましたが、出産後また喘息の発作が起きました。それは初めての子の時よりひどく、赤ちゃんが生まれて10日目で入院してしまいました。
幸い父と母のいる実家に帰っていたので、赤ん坊は両親が世話をしてくれました。

子どもたちが小学生になっても喘息は治りませんでした。ある夜、大きな発作が起きました。どんな薬を飲んでも効かなくなっていました。
夫は仕事でまだ帰ってきていません。子どもたちに留守番させて、夜間診療所に這うようにして行き、注射を打ってもらいました。注射で発作がおさまったので、ゆっくり歩いて家に戻ると、しばらくしてまた発作が起きました。
もう診療所に行く力がありません。このまま一晩中呼吸困難と闘うなんて、もう耐えられないと思いました。
「神様、わたしの命を取ってください」と祈りました。夫とふたりの子どもたちがいるのにそんなふうに思ったのです。

そのとき十字架につけられたイエス様の姿が瞼の裏に映し出されました。イエス様は十字架にはりつけにされて苦しそうでした。
そのとき、思ったのです。(イエス様も一緒に苦しんでくださっている!) 手も足も釘で刺されてイエス様の方がずっと苦しいでしょうに……。

聖書の言葉が頭に浮かびました。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

                           
(神様は、耐えられない試練にはあわあせないんだ)と思うと、ふっと肩の力が抜けてふとんにもたれると、いつの間にか眠っていました。
それ以来ひどい発作は一度も起きていません。
                          つづく



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貪欲に気をつけて

2018-07-11 20:28:12 | ティーンズ
暑さで体調を崩してしまいました。暑さにもエアコンの冷気にも弱いので、どうしようもありません。
出かけるときは、長袖を持って行ってこまめに脱いだり着たりしていますが、温度差に体が追いつきません。慣れれば元気になるでしょう。

8日の日曜日TEENS礼拝のメッセージを受けて考えたことを書かせていただきます。

神様はモーセを通して人々に十戒を与えました。十戒とは「あなたの父と母を敬え」「殺してはならない」「盗んではならない」など10の戒めです。

10番目の戒めは、「あなたの隣人の家を欲しがってはならない」です。これは貪欲を戒めているものですが、ほかの戒めのように目に見えるものではなく、隣人のものを欲しがるという心の中の問題を扱っています。
貪欲(どんよく)とはとても欲が深いことを意味します。

貪欲はどんどん大きくなっていきます。貪欲が大きくなる4つの段階を教えていただきました。

まず最初は、あの人のものが欲しいなあと考えます。
次にもしあの人のものが自分のものになったら楽しいだろうなぁと想像します。
次の段階では、あの人が持っているより、自分が持っている方がいいんじゃないかと自分勝手に思います。
そして最後の段階では盗んで自分のものにしてしまいます。

恐ろしいですね。貪欲は小さな欲から始まるといわれています。確かに殺人という大きな罪も、ふと、「あの人がいなくなればいいのに・・・・・・」という小さな思いがふくらんで人を殺すに至ってしまうことがあるそうです。

刑務所に入っている人たちと自分との違いは、薄い塀一枚だと言った人がいますが、わたしもそうです。小さな貪欲に気をつけたいと思いました。



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33人分の食事

2018-06-19 20:41:41 | ティーンズ
16日、17日は教会で中高生(TEENS)のお泊り会をしました。中高生21人、教師12名、33人の参加です。
午後1時に集合して、ボーリング場へ。わたしは腰痛のためお留守番です。ボーリングに出かける人たちを見送ると、教会ではちょうど婦人伝道集会(ティータイム)が始まるところでした。わたしはティータイムに参加。

新潟のN先生がパントマイムをしながらお話をしてくださいました。プロのパントマイムを見るのは初めてです。表情が面白く、おなかを抱えて笑いました。
N先生は牧師の子どもとして生まれ育ったのに自分の価値がわからなくて死を願っていたと聞いて驚きました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ書43:4の聖書の言葉で救われたそうです。

ティータイムが終わるころ子どもたちが帰ってきました。まず、皆で食材を買いに行き、3グループに分かれて調理開始しました。子どもたちにレシピを渡したら、ジャガイモをむいたり、豆腐の水切りをしたり、どんどんすすめてくれたのでわたしのやることはほとんどありませんでした。

わたしは、今回初めて食事係を引き受けたのですが、予想以上に大変でした。こんなに大勢の食事を作ったことがなかったからです。単にレシピに書かれている一人分の分量に33をかければいいというわけではないからです。

また、参加人数が定まらず、はっきり決まったのが前日でした。当日も変動がありました。

メニューは鶏手羽元のコーラ煮、ガーリックベーコンドレッシングの豆腐サラダ、マシュマロヨーグルトです。

鶏肉は40分以上煮るので、早めに準備しなくてはなりません。冷凍室に入ってカチカチに凍っていたので、2時間前にわたしが出しておく係でした。それなのにティータイムのお菓子に気を取られて、鶏肉のことをすっかり忘れていました。でも、すぐ気づいたので大丈夫でした。

ドレッシングのワインビネガーが足りなくて買い足したり、家から持ってきたはずの醤油が見当たらなくて走り回っていました。
何とか時間通りに出来上がって、皆でお祈りしていただきました。みんなおいしいと言って全部たいらげてくれました。

このあと集会で牧師先生からのお話を聞き、蛍を見に行って、シャワーを浴び、就寝。日曜日はいつもの通りの礼拝でした。わたしは泊らないで帰りました。


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失敗の多い人生

2018-02-20 17:05:33 | ティーンズ
失敗や挫折は誰でも経験することですが、失敗や挫折が少ない人生と、多い人生とどちらが良いかと問われたら、「少ない方がいい」と答える人がほとんどではないでしょうか。

TEENSでエイブラハム・リンカーンの話を聞きました。リンカーンは、アメリカの最も偉大な大統領の一人にあげられています。
彼は失敗や挫折の多い人間でした。
9歳で母を失い、その後、姉、恋人、長男を失っています。

また、22歳でビジネスに失敗。23歳で地方議員選挙落選。24歳で再度ビジネスに失敗し、27歳で精神の病にかかりました。34歳、39歳、46歳で選挙に落選。47歳の時、副大統領選挙に敗れ、49歳で再び上院議員選挙に落選しました。

リンカーンは、失敗するたび、それにこめられている神の思いを心に留めました。失敗や挫折をするたびに、謙遜、忍耐、愛を培ってきました。

普通なら自暴自棄になってしまうかもしれません。こんなに落選が続いたら、もう選挙に出るのは辞めようと思うでしょう。
「お前はもうだめだ」というサタンの言葉に耳を傾けてしまったら、次への挑戦はなかったかもしれません。

また、「あの人はこんな失敗しないだろう」と人と比べてしまうと、自分がみじめになるだけです。


どうして挑戦する気持ちを失わなかったか……それはお母さんの言葉に忠実に従ったからだと思います。

母は亡くなる前にリンカーンにこう話したそうです。
「聖書をよく読み、聖書の言葉通りに、神を愛し、隣人を愛する人になりなさい。」

聖書には多くの人たちの失敗が書かれています。伝記には失敗や挫折がほとんど書かれていませんが、聖書には包み隠さず記されています。

ダビデもたくさん失敗をしました。恐れのあまり、アビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき書いた詩が、詩編34篇に記されています。
「この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして主はすべての苦しみから彼を救われた。(詩編34:6)」
ダビデを力づけた神の言葉は、エイブラハム・リンカーンを力づけ、今わたしを力づけてくださっています。


祈り
失敗が多いほど愛が深くなれるなら、挫折が多いほど謙遜になれるなら、どうか失敗や挫折の多い人生にしてください。

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ひどい悪口を言われて落ち込んでいるあなたへ

2018-02-12 16:51:16 | ティーンズ
君の存在

言葉は人を殺すんだね
いじめられ、ひどい言葉を投げつけられ、
傷を負って心はボロボロ
平気な顔をしてバカみたいに笑っているけど、
心は悲鳴を上げている
もうがまんできない
辛抱の糸が切れてしまった

ちょっと待て。君を傷つける言葉を放ったのは人間ではないか
人間の言葉は、魂を殺すことはできないんだ
どんな言葉を浴びても、君の存在そのものは否定されない
君は欠点があるかもしれない、
弱さがあるかもしれない、
罪を持っているかもしれない
でも、そのままでいいんだ
そのままの君の存在をよろこんでくれるお方がいる


昨日TAKEOさんのコンサートが教会でありました。心臓移植を受けたひろくんの感謝コンサートとしてTAKEOさんが来てくださったのです。
礼拝や教会学校、TEENSにも来て賛美してくださいました。

TEENSでは千円札を出して、何度も折り曲げました。「折っても千円です。価値は変わりません。」くしゃくしゃにして、「これも千円です。価値は変わりません。」と言われました。印象に残るメッセージと賛美でした。


聖書の言葉 イザヤ43-4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

上記はTAKEOさんのメッセージと賛美を聞いて書いた詩です。




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今年の一字

2018-01-11 12:37:36 | ティーンズ
ネットのつながりが悪いので、原因を調べています。
今やっとつながったので、何とか更新したいと思います。

この前の日曜日、ティーンズでは書初めをしました。筆と墨で今年の抱負を漢字一字で書くのです。筆を持つのは何年ぶりでしょう。習字道具もどこへしまっているか見当たらないので、持っていけませんでしたが、借りて書きました。

「学」「新」「変」「挑」など色々な字が並びました。書いた人にひとことずつ書いた理由を話してもらいました。

わたしは「仕」。仕(つかえ)るの仕です。

なぜこの字にしたかというと、昨年の9月に横浜から来られたK牧師のメッセージが強く残っていたからです。

イエス様がもうすぐ十字架につけられるときのことです。イエス様は弟子たちひとりひとりの足を洗いました。当時足を洗うのは奴隷の仕事でした。それなのにイエス様は黙々と弟子たちの足を洗いました。

イエス様は人に仕えることが大切だと、行動を持って弟子たちに教えたのです。
イエス様はしもべとしての生涯、謙遜の生涯を歩まれました。

『イエス様のようになる』というのがわたしの人生の目標です。もちろんあまりにもかけ離れているので、口に出すのもはばかられますが……。

わたしに与えられている友、家族、孫たち、仲間たちに愛をもって仕えていけたらなあと思い、この字が浮かび上がりました。

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。(マルコ10:43)」


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クリスマスの意味

2017-12-19 17:38:07 | ティーンズ
2週間前にひいた風邪がきっかけで、咳喘息になってしまいました。咳は治ってきたと思うとぶり返し、なかなか良くなりません。熱は出ていないので普段通りに過ごしていますが、十分な睡眠がとれていないせいか体がきついです。
今度の土曜からまた2人の孫を預かるので、それまでに治らないと困ります。今日、ようやく病院へ行ってきました。

16日はティーンズのクリスマス会でした。友達やしばらく教会に来ていない人を誘って、何週間も前から準備しました。プログラムは、まず礼拝をして、そのあと室内ゲームをし、お母さん方が用意してくださった夕食をいただきます。

プログラムはすべてティーンズの子どもたちが考えます。
礼拝、祝会(ゲーム)、食事の3グループに分かれていろいろアイデアを出して工夫を凝らしていました。

わたしはデスチャーゲームの担当でした。といっても助言するぐらいで見守っていただけですが……。パワーポイントを使って時間内に答えないと次の人と交代するというやり方で、次々進められました。

そのほか、一画ゲーム、宝探しゲームなどをしました。
かつて小学科の夏期学校などで、受け身でやっていたゲームを、中高生になった子どもたちが、こんどは友人を楽しませるために準備しています。そんな姿を見ると、成長したなあ……と感慨深く、成長させてくださる神様に感謝します。

テーインズ礼拝はバンド演奏で行っています。

クリスマス会の礼拝メッセージは、初めて教会に来た子にもわかるような内容でした。
かいつまんで紹介させていただきます。

クリスマスは、この世界を造られた神が、そのひとり子をこの世界に贈られたことを祝う日です。
2000年間祝い続けられているのは何故でしょう。この世界にイエスが誕生した意味は何でしょう。
聖書には次のように書かれています。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)」

イエス様は後に十字架にかけられて死にますが、それは私たちにいのちを与えるためでした。
イエス様は私を愛していることを示すためにお生まれになったのです。クリスマスは、あなたを大切に思っていることを2000年間伝え続けています。

この愛のメッセージを知らずに、自分のことを大切にできない人がたくさんいます。どうせ生きる価値がないんだ。誰からも必要とされていないんだと思い込んで自死に至る人も居ます。

「教室内カースト」という本には、教室の中に見えない地位があることが書かれています。生徒たちは、自分がどこに属しているか。人からどのように見られているか。と、常に心配しています。トップの子たちは、やたらに声が大きくいつも笑顔でいますが、心の中では泣きたいのです。悩みがあっても誰にも言えず、「本当のわたしはどこにいるの?」「何のために生きているの?」と苦しんでいるのです。

イエス様は、苦しんでいる人たちに「ありのままでいいんだよ。わたしは、そのままのあなたを愛しているよ」と言っておられます。

神様は、ひとり子のイエス様を私たちの身代わりに十字架にかけてくださるほど、私たちを愛してくださっています。
イエス様は十字架にかかって死ぬために生まれたのです。十字架刑という壮絶な苦しみを経て死ぬことがわかっていて生まれてくださったのです。何故でしょう……。それは、わたしたちの罪を赦すため、そしてわたしたちを愛するためです。




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