生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

母の容態

2015-09-24 20:21:45 | 日記
母はずっと調子が悪くて、足、腹、胸、そして手までむくんでしまいました。足は倍以上の太さになって、動かすのに一苦労です。動悸、息切れもして、ちょっと動いただけでうずくまってしまいます。ベッドからトイレに行くのに15分もかかっています。

とてもひとりでは部屋で暮らせないのですが、介護士さんたちが手伝ってくださり、できるだけホームの部屋で過ごせるように考えてくださっています。
食欲がなく、ひとりだとほとんど食べていないので、食事のころ、ホームに行くようにしています。今日はスイートポテトを作って持って行ったらおいしいと食べてくれました。

母が胃癌の手術を受けたのは1年前でした。そのとき、末期がんであること、手術は癌を切除するものではなく、食べられるようにするためのものであることを主治医から告げられました。手術は、癌のため胃の出口がふさがってしまったので、胃の上部と腸をつなぐバイパス手術でした。
その時点で、余命半年から1年と言われました。そして、1年経ってしまいました。

半年ほどはとても元気で、一人暮らしもできていました。土浦のホームに引っ越したときは、肝膿瘍になり緊急入院しました。
それから、奇跡的に元気になり、退院2日後からキッチンに立って料理をしていました。
温泉旅行に2回も行けました。

今日ホームの担当医に往診していただきました。
今回の具合の悪さは、やはり癌によるものだと医師に言われました。
覚悟していたはずですが、まだ受け入れられません。
もういちど元気になって欲しいという願いをこめてオイルで足マッサージをしてきました。

足マッサージするとき、歌をうたうことにしています。「いつくしみふかき」と聖書の詩編23篇の歌です。母が、苦しいとき、助けてくださるお方の存在を身近に感じることができますように。

詩編23編を紹介します

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。



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ホサナ!

2015-09-16 15:43:17 | 教会
母は旅行の後疲れが出たのか、調子がよくありません。といっても、日によって元気な時もあり、体がだるくて何をするのもおっくうだという日もあります。

少し前にはできていたことができなくなり、それを受け入れられなくて落ち込んでいます。何とか気持ちをひきたてようとするのですが、こちらも落ち込んでしまうことがあります。

日曜日の礼拝で東京基督教大学のK先生がお話をしてくださいました。メッセージを聞いて励まされました。(緑字は聖書の言葉、青字は牧師先生の言葉、茶色はわたしの感想です)

イエス様は、ろばの背に乗ってエルサレムに入城されました。乗ったのが馬ではなく、ろばであるところに、柔和、謙遜が表されています。
イエス様が行かれたのは、オリーブ山へ向かう坂道です。その道はダビデが息子アブシャロムに追われて、泣きながら登った道です。その道を行くということは、オリーブ山を越えて、山の裏側にある荒野に逃げることを意味します。

の道は3000年、2000年前から現在に至っても変わっていないそうです。現在の映像がスクリーンに映し出されました。

ダビデが書いた詩編3篇7節には「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救い下さい」と書かれています。

ホサナの意味は『私をお救い下さい』という意味だと聞いて、あれ?と思いました。

人々は、ろばの背に乗ったイエス様にシュロの葉の枝を持って、ホサナ、ホサナと祝福の声を上げています。
「ホサナの意味は、願いであり、喜びであり、賛美であります。『どうぞお救い下さい』という意味が変化して、そのようになったのです。

ダビデが泣きながら登ったこの道をイエス様はたどってくださいました。失意の人に寄り添ってくださいました。イエス様によって、最大の苦しみが恵みに変化したのです。


心の痛み、死の恐れ、病の恐れ、失意……この世界は何と苦しみと恐れに満ちているのでしょう。でも、「イエス様の行く先には、私たちひとりひとりがいる」と聞いて嬉しくなりました。イエス様は、ひとりひとりのところを訪れて、いやし、慰め、恵みを与えてくださいます。

お母さん、大丈夫よ。イエス様がおられるから、どんな状態になっても大丈夫。
ホサナ、ホサナ、主をほめたたえます!



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果たすことができた約束

2015-09-09 20:25:19 | 日記
*文末に追記あります

6日午後から母を連れて袋田温泉に一泊してきました。

先月は五浦温泉に行きました。毎月行っているようですが……。今回は母が、約束を果たすため、どうしても行きたいと言ったので計画したのでした。

母が三鷹から引っ越す数日前、親戚のKさんと食事に行きました。そのとき、少し体調を崩していたのでやめるように言いましたが、大丈夫だからと言って出かけました。

食事が済んだとき、寒気がすると言って震え出したそうです。Kさんは驚いてタクシーを呼び、家まで送り届けてくださいました。その夜、母は熱を出し、引っ越しの日まで熱が上がったり下がったりしていました。

引っ越して間もなく入院したことを知ったKさんは、自分のせいで母の具合が悪くなったと思い、心配して何度も電話をくださいました。
そのとき母は、退院して元気になったら、一緒に茨城の温泉に行きましょうと約束したのです。

母は、もっとよくなってからと思ったようですが、これ以上よくはならないかもしれないと考え、この時期にKさんと旅行に出かけることにしました。
母は最近食欲がなく、前回の旅行時より弱っているので心配でしたが、神様に守られてよい旅ができました。

旅のメンバーは、Kさん、母、妹、姪、わたしの5人です。袋田温泉は県内では有名ですが、わたしは初めてでした。


天気が悪いので案じていましたが、降ったりやんだりで、ほとんど傘をささずにすみました。今日になって思うと、もう2、3日遅れて出かけたら、大雨で大変だったことでしょう。


車椅子で移動できるバリアフリーのホテルは、快適でした。
母は、こちらが心配になるほどよく食べました。お風呂は手すりがついていました。ゆっくりつかって大喜びです。


2日目は袋田の滝を見に行きました。
姪が車椅子を押しています。



坂道をのぼってトンネルの中を通りました。トンネルの上部にあるイルミネーションがきれいでした。第一展望台に出ると、目の前に荘厳な滝が……。水しぶきがとんできます。2階まで登れるエレベーターがあって、車いすで滝の上部まで行けました。





竜神橋は見ただけで、渡りませんでした。バンジージャンプしている人がいました。びっくりです。


一時間半ぐらいかかって夕方無事ホームに帰りつきました。

今回は約束を果たせてよかったのですが、果たすことができない約束のほうが多いような気がします。

予期せぬ出来事が起きたり、病気になったり、約束そのものを忘れてしまったり……人間には限界があります。

でも、神様がしてくださった約束は、必ず果たされます。

追記:10日20時43分。
今日、茨城県に大雨特別警報が出ましたが、わたしの住む土浦市は大丈夫です。
小学校も休校になっていません。
多くの方が心配してくださいました。ありがとうございました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしの作品も掲載しています。ご覧ください。



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赦されて・・・・・・

2015-09-03 20:03:55 | 聖書から
これまで、このブログに「赦す」ということについて何度も書いてきました。
今日は、子どもたちへのメッセージから考えさせられたことを書きますね。

イエス様はたくさんのたとえ話をされました。その中のひとつに赦されたしもべの話があります。
王様から6千億円もの借金をしていたしもべ(召使)がいました。返済を迫られて途方に暮れていました。家や家族を売っても、とうてい返すことのできないお金額です。しもべは、もう少し待ってくださいとひたすら頭を下げました。その姿を見てかわいそうに思った王様は、すべての借金を帳消しにしてくれます。

喜んだしもべは、帰り道で100万円貸していた友人と出会います。友人は返すのをもう少し待ってほしいと頼みます。それなのに、しもべは彼を赦さず牢屋に入れてしまいました。
この出来事を知った王は、そのしもべを呼びつけて言いました。「お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」
そして王は怒って、そのしもべを牢屋に入れてしまいました。

たとえ話が終わると、イエスさまは続けておっしゃいました。「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。(マタイ18:35) 」

 このたとえ話の「王様」とは神様のことです。6千億円という途方もないお金、それほどの大きなわたしたちの罪を神様が帳消しにしてくださったのに……。わたしたちは、自分に対して他人がしたあやまち、罪を赦すことがなかなかできないのです。

前回も書きましたが、わたしは、小学生のとき、ガニウマというあだ名が付けられました。
当時は、そのあだ名をつけた男子とガニウマと呼んだ人たち全員を憎み、赦さないと思いました。

ところがです。中学生になったとき、わたし自身も人の心を傷つけるようなことをしてしまったのです。悪かったなあーと思っても、なかなかあやまれませんでした。ようやくあやまると、その人は 笑って「ぜんぜん気にしてないよ」と言ってくれました。
赦されるってなんて嬉しいことなのだろうと思いました。

イエス様は、6千億円の借金に相当するわたしたちの罪を赦して下さいました。十字架に架かってくださったのは、わたしたちの罪を赦すためだったのです。そのことを思うと、赦せないと言っている自分が恥ずかしくなります。

母は元気です。週に一度妹が来て母を買い物に連れて行ってくれます。車椅子での買い物も慣れてきたようです。
出かけると翌日、翌々日ぐらいまで疲れて調子が悪いのですが、元気回復して、また買い物に行きたいと言います。

これまでできていたことができなくなることで、落ち込んだりもします。でも、イエス様が共にいることを実感しているようです。




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