生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「本の旅」がインターネット放送されました

2010-12-31 22:08:48 | 日記

2010年の最後の日になりました。この一年間祈り支えて下さった方々、ありがとうございました。

今日の午後、わたしが出演したCGNテレビのインターネット放送が公開されました。
我が家にアンテナがないので、インターネットで初めて見ましたが、自分の姿を見るのは何とも恥ずかしいものです。もう少しはっきりゆっくり話せばよかったと後悔しています。
わたしはぎこちなく話していましたが、久米小百合さんのリードがとてもよかったと思いました。

撮影が終わってから、肝心なことを言えなかったのではないか……とずっと案じていましたが、最後の質問の答えで言っていました。

肝心なこととは次のことです。

子どもたちに自分が神さまに造られた存在であること。愛されている存在であることを伝えたい。自分が正しい意味で愛されていることを知らせたい。


リピート・シンドロームの本は、出版社のキリスト新聞社には在庫がないそうです。
わたしの手元にわずかですがあります。ご入り用の方はわたしのHPに記載されているアドレスにメールをください。


番組をご覧になるには、
ここ
をクリックして、「番組を見る」をクリックし、No101リピート・シンドロームの300K(または56k)をクリックしてください。


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心の絨毯(じゅうたん)

2010-12-29 20:56:48 | 聖書から
一年をふり返る時期が来ました。
先日の礼拝メッセージでは、一年の歩みをトルコ絨毯にたとえて語られました。

トルコ絨毯の価値を決めるものは目の細かさだそうです。一人の職人が5年もかけて一枚の絨毯を作ることもあると聞いて驚きました。
絨毯の表の模様がきれいなのは当然ですが、裏もきれいでリバーシブルなものは最高級の絨毯です。

でも、そうでない絨毯もあります。裏の模様がくずれていたり、糸がほつれていたり、結び目があったり・・・・。

「心の中に織り上げてきた絨毯は最高級の物ではないかもしれません。裏側では糸がほつれているのはつらく苦しかったときです。
表だけを見るとわかりません。でも、神様は裏の模様をご存じです。裏のほつれを見てそれを受け入れ、愛してくださいます。裏の出来事も神さまは祝福に変えて下さいます。」
と牧師先生が言われました。
確かにわたしが辛かった時期は、後に祝福に変えられました。

今年一年を思い起こすと、7月に微熱が続き、3週間も寝込んでしまったことをいちばんに思い出します。
OBIのサマースクーリングに初めて参加しようとしていました。その当日の朝から熱が出てやむなくキャンセルしたのでした。
なぜですか? なぜ行けなくなってしまったのですか? 神さまに問いかけました。サマースクーリングに行くことがみこころにかなっていなかったのでしょうか……ふと、そんな気もしました。

でも、そういうことではないと信じます。そのとき起きたことだけをみて、その意味を探ろうとしてもわかるはずがありません。わたしたち人間は2次元で生きている者ですから物事の意味も、後に起こることもわかりません。でも、神様は3次元でものを見ておられますから、将来起こることを全てご存じです。
今はわからなくても、ひとつひとつの出来事に意味があるのです。
10月に行われたOBIの20周年記念会には出席でき、たくさんの恵みをいただきました。

とにかく7月はつらい時期でした。熱の原因が解らなかったので、不安もありました。でも、副鼻腔炎と診断がついてからの回復は早く、8月にはJCP夏期学校で京都に行け、その帰りに神戸まで足を延ばして学生時代の友人たちと6年ぶりに再会を果たしました。
その一週間後には、息子一家と北海道旅行へ行き、三浦綾子文学館では三浦光世氏とお目にかかってお話しできるという恵みに与りました。

熱が下がって久しぶりに教会に行ったとき、何人ものかたから「だいじょうぶ?」「よくなってよかった・・・心配したよ」「祈ってたよ」と声をかけられました。
乳がんのわたしですから、原因不明の熱が続いていると聞いて癌の再発か転移だと思って心配してくれた人もいたようで・・・こんなに心配され、こんなに祈られているんだと知って感動でした。

どこかへ行く計画をたてて、行けるのが当たり前と思っていましたが、行けることの方が奇跡と思うようになりました。
そして、神様は今年の最後に一昨日書いた驚くべき出来事を与えて下さいました。

来年はどのような年になるのでしょうか。神さまと共に信仰の糸で心の絨毯を織り上げていきたいです。

聖書の言葉
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:11)


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青天の霹靂

2010-12-27 12:51:27 | 日記
今月10日に思いもよらぬことが起こりました。CGNテレビという福音放送をしているテレビ局から出演依頼メールが届いたのです。CGNはクリスチャングローバルネットワークのことで24時間衛星放送しているテレビ局です。

3年前のライフ・ライン出演が青天の霹靂1としたら、青天の霹靂2というところでしょうか。
「本の旅」という30分のトーク番組にわたしの書いた本、「リピート・シンドローム」についてゲスト出演して本のことや信仰のことを話してほしいという依頼でした。
司会者はクリスチャンアーティストの久米小百合さんです。
撮影日は20日というので、急なことに心が騒ぎ、オロオロ・・・。

なぜ出版されて6年もたっている今、この本についてTV出演依頼が来たのだろうか。
なぜ口下手なわたしが語らなくてはならないのだろうか・・・。CGNTVとはどんなテレビ局なのだろう・・・。と、わからないことだらけです。
牧師先生にお尋ねすると、先生は自宅にアンテナがあり、CGNTVをご覧になっているそうです。「安心して出演してください」とお返事を戴きました。

まずは祈りました。祈っているうちに落ち着いてきました。わたしにとって青天の霹靂であっても、神様はずいぶん前からこのことを計画されていたのだと思います。


「そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。(Ⅰペテロ3:15)」
という聖書のみ言葉を思い出しました。
本を書いた動機や、救いの証をしてくださいと言われたことを考えると、神さまが誰かためにわたしを用いようとしてくださっているのかもしれないと思い、お引き受けしました。

インターネットでも流れるので、できれば顔は出さず声だけにしてほしかった・・・もう少し準備の時間があればよかった・・・などと引き受けてからも葛藤がありましたが、最後には神さまからの依頼として受け止め、平安に満たされながら喜んで都内の撮影所へ出かけたのでした。

久米小百合さんはとてもすてきな方でした。こちらが緊張のあまりかたまっていると、それをほぐしてくれるように親しみをこめて語りかけてくれました。ずいぶん前からの友人のように親しくお話しさせていただきました。

途中で廃品回収車がまわってきて(音が入ってしまうので)放送を中断しました。そのときも、撮影の前後も、久米さんとずっとお話ししていました
何を話したかよく覚えていませんが、神さまの栄光を現すことが出来るようにと祈りながら話していました。

現実感がなかったので放映日が決まるまで、このことをお知らせしませんでした。
番組が用いられるようにお祈りください。

放映日は12月30日(木)21時30分から22時
再放送は1月1日(土)11時から11時30分
放映日の翌日よりインターネットで見ることができます。本の旅http://japan.cgntv.net/sub.asp?pid=2439



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クリスマスカラー

2010-12-25 17:44:04 | 
23日は息子一家がきて、クリスマスのお祝いをしました。このところずっと教会のクリスマスの行事等で土日が忙しかったので、ヒックンを招くのは久しぶりでした。

写真は、先日購入した我が家のクリスマスツリーです。今までは小さなツリーがひとつあるだけでした。10年ぐらい前から娘が大きなツリーが欲しいと言っていました。小さいので十分と言って買わなかったのですが、今年はなぜか買いたいという気持ちが高まって、主人に内緒で買ってしまいました。

主人は、「こんな大きなツリー買って……片づけるところもないのに」と顔をしかめていたのですが、「ヒックンが喜ぶよ」と娘が言うと、その一言で口元がゆるみました。
娘が飾り付けをしました。しばらくすると、飾りが増えていました。主人が、今まであった小さなツリーについていた飾りを大きなツリーにつけたようです。

ヒックンはもちろん大喜び、ツリーのまわりで「ジングルベル、ジングルベル、しゅじゅあたるー(すずがなる)♪」と歌ってスキップしていました。

我が家からのクリスマスプレゼントは43ピースのパズルとミニカーです。
サンタさんは何を持ってきてくれたのでしょうか……。

翌日のクリスマスイブは、わたしは病院に行っていました。先週の金曜が外科の受診日でしたが、主治医の先生が緊急オペでいらっしゃらず、今日に日延べされたからです。風邪をひいて調子も悪かったので、ついでに風邪薬をもらってきました。

長い間飲んでいたアロマシンをあと3か月でやめていいと言われて嬉しくなりました。注射もこれで最後になりそうです。
教会ではキャンドルサービスが行われましたが、風邪がひどくなるといけないので、家で静かに過ごしました。


さて、クリスマスカラーといえば、緑、赤、金銀、白ですが、その意味を初めて知った時、感動したときのことを思い出しました。
緑は(常緑樹の葉が緑であることから)永遠の命を現します。生きているものすべては必ず死んでしまうという事実にむなしさを感じていたわたしでしたが、永遠の命があることを知って嬉しくなりました。

赤はキリスト十字架で流された血の色を現します。よく真っ赤なポインセチアが飾られますが、その赤が血の色だったとは……。
キリストが血を流して死んでくださったおかげで、わたしたちは罪赦され、永遠の命をいただけるようになったのです。

金銀はキリストの王としての高貴さを現します。キリストはダビデ王の家系に生まれまし
た。ダビデ王の血統を継ぐ王です。わたしたちの心に王としてお入りになるイエス様は、仕える者としてこられました。

白はキリストの聖(きよ)さを現します。聖いというのは、神の子であるキリストには罪がないということです。キリストは人としてお生まれになりましたが、罪を犯すことがなかったので、聖いお方です。罪なきお方だからこそ、罪ある者の身代わりになって罰を受けることができたのです。

クリスマスカラー

真っ白な罪なきお方が
罪あるわたしのために
真っ赤な血を流してくださった
いつまでも変わらない緑の葉のような
永遠の命をくださるために

金銀にまさる高貴なお方が
臭くてきたない厩に
赤ん坊となってきてくださった
このような罪で汚れたわたしを愛し
生かし、用いてくださるために


メリー・クリスマス!!



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クリスマスに十字架を思う

2010-12-21 18:52:11 | エッセイ
クリスマスの行事がひと段落してほっとしています。

文通している方から『イエス様のような素晴らしい方が、なぜ十字架につけられたのか。なぜこんなに苦しい死に方をしなければならなかったのか・・・』という質問をいただいたので、それに対して書いた返事の一部を紹介します。

イエス様がなぜこんなに苦しい死に方をしなければならなかったのか・・・わたしも不思議に思っていました。
死ぬにしても一瞬のうちに命が奪われるギロチンなどの方法なら、どれだけ楽だったでしょうね。
何時間も苦しんで死ぬ十字架刑は、当時の死刑の方法ではいちばん残酷なものだったそうです。だから極悪人にしか行われない死刑の方法です。
くぎを刺された手足の痛みに加え、呼吸の苦しさを耐え忍ばなければならなかったのですから、想像するだけでも恐ろしいです。

でも、人間の罪の根深さを・・・そして自分の罪の深さを考えると、人類の罪を赦すためにはそこまで壮絶な苦しみを味わう必要があったのではないかと思います。

わたしは、22歳まで自分に罪があるなんて全く思っていませんでした。
喘息という持病があり、つらい子ども時代を過ごしたこと。中学生の時、友達がひとりもいなくて、死にたいと思ったこと。周囲の人はだれもわたしの気持ちを理解してくれないで、傷つける言葉を浴びせること……など思い、自分はなんて可哀そうな人間なんだろう、何て不幸な人生なんだろうと嘆いていました。

両親や妹と喧嘩ばかりしていて、家を出ていきたいと思っていました。家族と衝突するたびに、自分は正しいのに・・・と思っていました。

あるとき、三浦綾子さんの本を読んで、自分が正しいと思っていることが罪なのだと気づき、ハンマーで頭を殴られた気になったのです。それから教会に行くようになりました。
教会で、自己中心であることも罪だと教えられて、自分の罪の大きさに打ちのめされました。

いつも「わたしが、わたしが・・・」と自己主張し、相手を思いやる心が欠けていたこと。被害者意識が強くて、人にされたひどいことをいつまでも怨んでいたこと。これらが罪なのです。

でも自我が強く、ものすごく意地っ張りだったため、罪に気づいてもなかなかあやまることができませんでした。

イエス様の十字架の苦しみを思った時、わたしのためにこんなに苦しんでくれたのだと、心が震えました。そして、やっと素直になれ、あやまることができました。

それでも母にあやまったとき、「やっと自分が悪いって気付いたのね」なんて言われると腹が立って「せっかくあやまってるのに何よ!」と怒ってしまうわたしです。

完全に自我を捨て、謙遜になることは今でもできませんが、神さまが少しずつ変えてくださることを信じてイエス様を見上げて歩んでいます。

不当な仕打ちを受けたり、人からバカにされたりしたとき、イエス様があれほどの苦しみに耐えて下さったのだから、がまんしなければならないと思っています。

十字架にかかってわたしやあなたの罪を赦すために生まれてきてくださったイエス様。もうすぐそのイエス様のお誕生日、クリスマスですね。

クリスマスの祝福があなたのうえにもありますように。


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家畜小屋

2010-12-20 10:46:01 | 教会
昨日はクリスマス礼拝でした。クリスマスオラトリオの合奏、合唱に心震えました。
メッセージに慰めを受けました。
メッセージの一部の紹介と、感じたことを書かせていただきます。(茶色字はわたしの感想です)


クリスマスは、約2000年前に生まれたイエス・キリストの誕生を祝うものですが、救い主であるイエス・キリストのことは、誕生の700年も前から預言されていました。
イザヤ書にはイエス・キリストを指し示す預言がたくさん書かれています。61章1-3には次のように書かれています。


神である主の霊が、わたしの上にある。
主はわたしに油をそそぎ、
貧しい者に良い知らせを伝え、
心の傷ついた者をいやすために、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
すべての悲しむものを慰め、
灰の代わりに頭の飾りを、
悲しみの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせるためである。
彼らは義の樫の木、
栄光を現す主の植木と呼ばれよう。

イザヤ61:1-3

救い主の中に癒し、解放、自由、慰め、喜び、賛美があると約束しています。

キリストが誕生してから2000年余りの間に世界中で何度もクリスマスが祝われています。何回祝われたか?・・・どこでか?・・・どれくらいの人が祝ったのか?・・・そのようなことは重要なことではありません。
大切なことは救い主がわたしの心に誕生することです。

聖書には次のように書かれています。

私たちの見たこと、聞いたことをあなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(Ⅰヨハネ1:3)


「神との交わりとは、福音書に示されているイエスの言葉を通して主イエスの人格に触れること。心に感動を覚えること。また、神の声を聞いてわたしが神に語りかけること」
と聞いて、今まで心に感動を覚えることがたくさんあったことを思い巡らしました。

聖書を読んでいて、はっと胸を突かれたこと。聖書の学びをしていて、目が開かれる思いになったこと。祈っていて神さまの臨在に触れ、感動で涙を流したこと。
早朝のデボーションでは、神さまと一対一で対話しているような静かで感謝と感動に満ちた時間が持てたことなど・・・。

イエス様の人格に触れて喜びあふれます。と、同時に罪深い自分の姿を思うとき、怖れます。
こんなけがれたわたしがこんなに聖(きよ)いイエス様と、交わりを持つことができるのだろうと……。



わたしのゆがんだ心は悪臭を放っています。悪臭を放つ家畜小屋のようです。

「救い主が家畜小屋で誕生したのは、どんなに悪臭を放っていても主イエスと交わりを持つことができるという意味です」と語られるのを聞いて、涙があふれました。

わたしは先週「救い主が家畜小屋で誕生した理由は、どんなに貧しい人のところにもイエス様が来て下さるという意味です」と教会学校で話しましたが、それだけではなかったのです。
わたしのように罪深くて悪臭を放つ者のところにも来て下さったイエス様。心から感謝します。


これから都内へ出かけます。


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祝福されたクリスマス会

2010-12-18 19:56:05 | CS(子供伝道)

教会学校小学科のクリスマス会が祝福のうちに終わりました。
低学年はゴスペルを力いっぱい賛美しました。リズムをとりながら、体全体を使って賛美する姿は輝いていました。

練習は日曜ごとなので礼拝堂では練習できないのですが、本番は礼拝堂の舞台です。舞台練習は、先週の土曜日のリハーサルのときだけでした。

立ち位置に直前の変更があったり、リハーサルをお休みしてどこに立つのかわからないまま出場した子どももいましたが、歌がはじまるとみんな大きな声で賛美していました。

途中から歌詞が英語になるのですが、子どもたちはたった2回の練習で覚えてしまったと聞いて驚きです。50人近くの子どもたちが心ひとつになって神さまを見上げて賛美しました。

高学年は人形劇「小さなリース」を演じました。
わたしは舞台裏で指示を出す係でしたが、子どもたちはすっかり動きを覚えていたので、指示を出す必要がありませんでした。練習を積み重ねてきた成果が現れました。
人形操作と声を出す子どもは別なのにセリフと動作がぴったり合っていたと言われ、子どもの持っている力ってすごいなあと思いました。

そのほかハンドベルの演奏や、小林一茶の俳句の発表がありました。子どもたちの持っているよいものが引き出され、すばらしいクリスマス会になったことを感謝しました。


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死への備え

2010-12-16 17:35:01 | 教会
今日は家庭集会クリスマス会でした。明後日はCSクリスマス会、その翌日はクリスマス礼拝。
クリスマスの行事が続いていますが、このところ死への備えについて思い巡らしています。


突然、死の宣告を受けたら、どんな心境になるでしょう。
自分の人生は何だったんだろう? と思うでしょうか。
それとも、なすべきことすべてやったという充足感にあふれるでしょうか。
あるいは、まだこころざし半ばなのに・・・と悔しい思いを抱くでしょうか。
人が何を目的に生きるか、また何に価値を置いて生きるかで決まってくると思います。
出世すること、お金持ちになること、ノーベル賞などの栄誉を与えられること、有名になることなどが生きる目的だとしたら、それがかなえられても、死ぬときは自分の人生は何だったんだろう? とむなしさを感じるような気がします。詩篇71篇には次のように書かれています。


私は生まれたときから、
あなたにいだかれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。
私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。
あなたが、私の力強い避け所だからです。
私の口には一日中、あなたの賛美と、
あなたの光栄が満ちています。


この詩編の作者は、神さまと共に歩む人生でした。この人のように常に神への賛美と光栄が満ちる生き方をしていれば、突然死が訪れたとしても平安のうちに召されるような気がします。


教会で水曜に葬儀に関する学びをしています。
昨日「自分の葬儀に備えることは遺された者に対する最後の『愛の配慮』です」と、【葬儀に対する要望】が配られました。

病気で余命を知らされる場合はまだいいのですが、予想もしなかった突然の召天の場合、遺された者は困惑し、心に深い傷を負います。
でも、遺言や葬儀に対する要望書がのこされていれば、故人の意向に沿った葬儀をすることができ、慰めになります。

葬儀に対する要望には、

葬儀式場の場所。祭壇の希望。好きな聖句。好きな讃美歌。聖歌。その他の音楽。
思い出を語っていただく方の名。遺族に慰めを語っていただく方の名。
納骨に関する希望。
略歴。仲間に残したい言葉、家族に伝えたい言葉。


など書く欄があって、それに自筆で書いてコピーをとり、一部は教会に提出。コピーは自宅に置いておきます。

わたしはだいぶ前に提出し、書き直してもう一度提出しています。でも、法的効力はありませんから、これで安心というわけにはいきません。

もちろん葬儀は教会でしていただくことを希望していますが、まだ主人の了解を得ていません。
主人より先に召されたら、仏式で葬儀をされてしまう可能性があります。了解が得られるように祈りつつ、いつ話そうかと思案しています。


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黙示録

2010-12-13 16:02:54 | 教会
昨日の礼拝ではヨハネの黙示録からメッセージが語られました。
イエス様の弟子ヨハネは、晩年パトモス島に島流しになりました。イエス様に従って歩み、福音を宣べ伝えてきたのに、パトモス島で幽閉されてしまうとは……。


でも、ヨハネはそこで神さまから幻を見せられ、霊的真理を与えられます。そのことを書き記したのがヨハネの黙示録だそうです。


黙示録には奇妙な獣などが出てきて、書いてある通り想像するとちょっと気味悪いのですが、その内容は希望のメッセージだと聞いて、改めて黙示録を読みました。

ヨハネは、神様からイエス様の真の姿(きよいお方、義なるお方)を見せていただいて黙示録を書きました。

女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖を持って、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。(ヨハネの黙示録12:5)


黙示録12章1-6はイエス・キリストの誕生のことを書いているのですが、イエス・キリストを信じる者が誕生するという解釈もあるそうです。

でも、その新しい誕生を妨げるもの(サタン)が存在することも書かれています。キリスト誕生のときには、ヘロデ王が救い主を殺そうとして2歳以下の子どもを虐殺しました。また、いつの時代でもキリスト者の迫害があり、大勢の殉教者が出ています。

妨げる者があっても、守られる場所を神様は用意してくださっています。
神様の計画の遂行の前には、どんな妨げも妨げになりません。神様の主権によって、神を信じる者の誕生は妨げられません。現在も神様を信じる者が起こされ続けています。
わたしたちが礼拝でここに座っていることも神様の救いの業が遂行されているということです。
と牧師先生が言われ、心からアーメン(その通りです)と言いました。

昨日は5人の方が洗礼を受けました。その中の3人(中高生)は教会学校で受け持ったことのある子どもたちです。感謝!!


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シャローム(平安)

2010-12-11 11:39:58 | 
今日は午後から教会学校小学科のクリスマス会のリハーサルです。本番は一週間後。緊張が高まると同時にクリスマスの喜びが湧き上がってきます。

詳しくは書けませんが、このところ身辺では次々と色々なことが起こり、心騒ぐこともありました。
それでも、どんな状況の中にあっても、心からほっとでき、細胞のひとつひとつに神さまからの平安が流れ込んでくる経験をしました。そのことを何とか言葉で表現したいと思って詩を書きました。
語彙の不足から、思いのすべてを書き表すことができなくて……もどかしいです。

シャローム

これから先 どうなるの
不安で眠れない夜
乾いた土をおおいつくす 夜露のように
静かに 静かに 降りてくる
シャローム それは平安
シャローム それは平安
わたしの心に

心の傷が痛んで
胸 ひきさかれるとき
痛んだ傷に巻きつける 包帯のように
そっと そっと 包みこむ
シャローム それは平安
シャローム それは平安
わたしの心に

いろんなことが起こって
心騒がせるとき
イエスさまがくださる 泉のように
絶えることなく 湧き上がる
シャローム それは平安
シャローム それは平安
あなたの心に


クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。


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手術記念日

2010-12-08 20:58:18 | 乳癌

月曜日に母が来て泊まりました。毎年12月になると、パソコンで年賀状を作ってほしいといってやってきます。気に入った年賀状の図柄がみつかったので、母は喜んでいました。
ゆっくりしていってと言ったのに、年賀状が印刷できると一泊しただけで帰って行きました。食前の祈りに心を合わせてくれたことがうれしかったです。


今日は手術記念日です。
7年前の今日、乳がんの手術を受けました。8年目に入った心境を書きます。
もう7年経ったという気持ちと、やっと7年という気持ちが同居しています。
ふつう、癌は術後5年たてば再発転移の心配はなく、安心と言われます。薬や検査も5年で終わる人が多いようです。

でも、乳がんは10年は再発転移のリスクがあるので気をつけて下さいといわれます。同じ乳がんでも初期の方や、リンパ転移のない方、65歳以上で乳がんになった方のリスクは小さいようです。

わたしは、リスクが大きいので10年は薬を飲んだ方がよいと言われ、現在3か月に一度通院し、アロマシンを飲んでいます。エコーやマンモの検査は1年半に一度ぐらいになりました。

術後しばらくして主治医から「傷の方は順調に回復していますが、リンパに4つの転移がみとめられました」と言われました。リンパ転移とはどういうことなのか、そのときわたしは全くわかっていませんでした。

担当の看護師さんに主治医に言われたことをそのまま伝えました。看護師さんは『リンパ転移』という言葉を聞いたとたん、急に顔をくもらせました。その顔をみて、リンパ転移とは、ただならぬことなんだと思いました。

退院してからネットで調べると、3つ以上リンパ転移のある人の10年生存確率は4パーセントと書いてあり、強い衝撃を受けました。その数字は確かなものではなかったのですが……(現在は20年生存確率65~70%と出ているサイトがありました)
死の淵に立たされた心境でした。(当時の心境はわたしのHP「病気のこと」に書いています。)

幸い、今は健康が支えられており、乳がんになる前より体力があるような気がします。
再発転移の恐怖を感じてはいませんが、意識の下にはあるようです。

疲れたときなど、手術を受ける夢をよく見ます。この間は、ロス・アンジェルスの病院でで手術を受けることになり、ひとりで渡米した夢を見ました。英会話もできないのにどうして外国の病院へ行ったのでしょうか……?

乳がんで亡くなった方の話を聞くと身につまされて辛いです。死に対する恐怖はありませんが、癌が進行して苦しむことに対する恐怖はゼロとはいえません。

でも今は、不安で眠れないということはありません。眠りにつこうとするとき、平安が泉のように湧き上がってきます。聖書の詩編に次のような詩があります。


平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ、眠りにつきます。
主よ。あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。
(詩篇4:8)


この詩編の作者と同じような気持ちになるのです。
信じる者の幸い。主にあるものの平安。どんな状態になってもだいじょうぶと言って下さるお方に委ねられる幸いをかみしめています。


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信頼された者

2010-12-06 13:51:50 | 教会
昨日は、アドベント第2週目の礼拝でした。
メッセージはイエス様の母マリヤの夫、ヨセフにスポットを当てて語られました。(青字が牧師先生の語られた内容です)


イエス様が生まれる700年も前から、救い主はダビデの家系に生まれると預言されていました。

マタイの1:1にはイエス・キリストの系図が書かれています。
ヨセフはダビデから約1000年後に生まれた人ですが、なぜヨセフのときに救い主が誕生したのでしょう?

マタイの福音書1章には、マリヤがヨセフとの婚約期間に身重になったことが書かれています。
当時のイスラエルでは、婚約期間は一年間で、夫婦と同じようにみなされるそうです。(マタイ1:19には、ヨセフのことが夫と書かれている)

ふたりがいっしょにならないうちにマリヤが身ごもったことを知り、ヨセフはマリヤを内密に去らせようとします。

当時は、婚約中であっても別れるときは離婚としての手続きをしたそうです。
その手続きは2つの方法があって、1つは、離婚状を法廷に持ち出す。つまり、離婚を公にすることで、そのことによって女性は社会からのけ者にされます。
2つ目は、離婚状を2~3人の証人に示し、ひそかに去らせる方法です。
ところがヨセフはどちらの方法もとりませんでした。

聖書には「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。(マタイ1:19)」
と書かれています。

ヨセフは証人をたてずに別れる決心をしたのです。証人をたてないと、多額の花嫁料を返してもらえないばかりか、妻に逃げられた夫としてみられ、ヨセフはその後結婚できなくなるかもしれないというのに……。
彼が正しい人(律法を守る人という意味)だったからそのようにしたのではなく、正しい人だったけれども、マリヤのためにそうしたのです。


婚約者が他の人の子を身ごもったと聞いたら、裏切られたと思い腹を立てる人が多いでしょう。さらし者にしてやろうという気持ちになって当然なのに、ヨセフはそうしませんでした。ヨセフの愛の深さに感動しました。

そんなヨセフだからこそ、神さまは救い主を委ねられたのですね。

御使いがヨセフのところに現れて、マリヤは聖霊によって身ごもったことが伝えられ、彼はそれを受け止めます。ヨセフの信仰者としての姿が伺えます。
神さまは、ヨセフを信頼して歴史の中で最も大切なこと・・・救い主を委ねる・・・をされたのです。
ヨセフは、与えられた自分の役目を全うする覚悟を持った人物だったのです。

信仰とは、わたしたちが神を信頼することですが、神様はわたしたちのことも信頼してくださっている
と聞いてはっとしました。

神さまは、わたしのことを信頼して召し出してくださっている。信頼に値する者ではないのに……。

喜びとともに責任も感じます。信頼にこたえられる者になれるよう祈りました。


*写真は礼拝で紹介されたジョルジュ・ド・ラ・トゥールの
「大工ヨセフ」です。
幼子イエスがろうそくを手に持っています。大工仕事をしているヨセフは優しくイエスを見守っています。



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死について

2010-12-04 11:40:06 | 聖書から
三浦光世さんの本を読んで、死について考えたことを続けて書きます。

「自分の死に顔がどんな顔か心配でたまらない」と言った人がいました。醜くゆがんだ顔だったら、人に見られたくないと言うのです。
苦しみの果てに召された方の顔は苦痛にゆがんでいるかもしれません。でも、見た人は、死によって苦しみが取り去られたので「よかった」と思うでしょう。
誰かに憎しみや怨みを抱いたまま亡くなった場合は、見る人の心を痛めるかもしれません。
でも、感謝と平安のうちに召されたら、その顔は見る人に慰めを与えるでしょう。

また、前の記事にも書きましたが、死に方、死にざま、死ぬ時期は自分では決められません。そのことについて心配してもはじまらないのです。

でも、感謝と平安に満たされて召されたいですね。
感謝と平安に満たされるにはどうしたらよいのでしょう。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。(Ⅰテサロニケ5:18)」
と聖書に書かれています。

わたしは最初にこのみ言葉を読んだとき、いつも喜ぶなんてとてもできないと思いました。
予期せぬ災害、突然の事故、愛する人の死、そして自分の死・・・・そんなことが起こっても喜べるのでしょうか?

喜ぶのは、『主にあって』なのだと聞きました。主のみ手の中にあることが最高の喜びです。
その喜びは、どんな不幸な出来事によっても奪い去られません。
どんなことが起こっても、たとい突然死ななければならないときでも、神さまのみ手の中にあるのですから感謝です。

それに、キリストを信じる者は、永遠のいのちをいただき、天のみ国にイエス様と共に住めるという約束をいただいていますから、死をも喜ぶことができるのです。

イエス様は
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:2)」とおっしゃっています。

もちろん、いのちある限りはせいいっぱい生かされて、時がきたら神さまのふところにいくのです。その時と死に方は神さまが決めて下さいますから、何の心配もいらないのです。


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「死ぬという大切な仕事」を読んで

2010-12-02 20:37:58 | 読書
一昨日は親戚の葬儀があって千葉まで行ってきました。葬儀に参列するときいつも思うことは、(当たり前のことですが)人間は必ず死ぬのだということです。

死に方、死にざま、死ぬ時期は自分では決められません。人の死を間近に見ると厳粛な思いにさせられます。

ちょうどキリスト教書店で「死ぬという大切な仕事」(三浦光世著・光文社)
を購入したところだったので、持って行きました。往復6時間の車中で一冊読んでしまいました。

三浦光世さんは三浦綾子さんの御主人です。奇しくも今年8月に三浦綾子文学記念館でお目にかかりました。


三浦綾子さんが晩年、「わたしにはまだ死ぬという大切な仕事がある」と言われたことは知っていました。

三浦綾子さんの本を読んで信仰をもつようになったわたしですが、綾子さんがどのように大切な仕事をなさったか・・・というより、神さまが綾子さんの死を通してどのように働いて下さったかをこの本を読むまで知りませんでした。

綾子さんが食事中、気管閉塞を起こして心肺停止になりましたが、それから38日も意識不明の状態が続いたそうです。
心肺停止になってからそんなに長く生きるのは珍しいことのようです。医師もその生命力に驚いて「綾子さんは全治はしなかったが、まさに病気に勝った」と言うに至ったそうです。

新聞には『三浦綾子重篤』という記事が載りました。報道後、三浦綾子さんの本が飛ぶように売れたそうです。

綾子さんはノートにメモや遺言を残すこともなかったといいます。
「意識不明になる何日も前から自分の死にざまも用いられるように祈っていたのであろう」
「彼女はいっさいを神に委ね、すべてをよいようにお用い下さるよう、祈っていたのだ。入院時だけでなく、その祈りは何年も前からなされていたと思う」
と光世氏は書いておられます。

綾子さんの祈りはきかれたのです。召される前、意識不明が38日続いたことも神さまの栄光の現れだったのですね。

綾子さんが数々の病気をし、病苦を忍びぬいて読者の幸せを祈りながら執筆を続けたこと。
召された後も著書を通して救われる人が起こされていること。光世さんの講演や執筆活動も用いられていること。神さまが働いておられることを確かに感じます。

この本にはそのほか、三浦光世、綾子さんが生活の中で出会った死、塩狩峠の長野政雄さんの死、榎本保郎師の死、聖書の中の死などについてのエッセイが綴られています。



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