生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

聖書について(その2)

2008-06-30 12:13:05 | 聖書から

このごろPCの調子がいいのでほっとしています。

昨日は梅雨らしい天気でした。大雨の中、歩いて教会に行きました。どしゃぶりの雨の中を歩くとウキウキします。わたしって、変わっているのでしょうか? 梅雨の季節を喜んでいるのです。
体長20センチもあるミミズが道をはっていたり、木の葉からどさっと水が落ちてくるのを眺めたり、幾筋もの水が流れる土手を降りていくのは、楽しいです。(まるで子どものようですね)おかげで教会に着いたときは、靴も靴下も服もびしょぬれでしたが……。


聖書について書きます。
『聖書はBC1500年からAD100年の間に約40人の手によって書かれました。』と前回書きましたが、その40人はお互いに連絡をとることもなく、それぞれ違った場所、異なる時代で書かれました。にもかかわらず、あたかも一人の著者によって書かれたかのように、完全な調和と統一がとれています。
だから本当の著者は神様と言えるのですね。

聖書は、旧約聖書と新約聖書のふたつに分かれています。約というのは契約の約で、翻訳の訳ではありません。
神様はイスラエルの民を選び、契約を結んでくださいました。神様の契約は人間の契約とは違います。人間の契約は2人の合意のもとでかわされます。ところが、神の契約は神様から一方的に与えられます。

大洪水の後、神様は空に虹をかけてノアと契約を結ばれました。もう二度と洪水によっては滅ぼさないという一方的な約束です。
アブラハムには、アブラハムを通して地上のすべての民族を祝福すると約束されました。モーセ、またダビデとも契約を結ばれました。


「きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。(申命記 4:40)」


旧約聖書には上記のように『主のおきてと命令を守れば、あなたはしあわせになる』という内容が繰り返し書かれています。
ところが、人間は神様との契約をやぶってばかりいました。旧約聖書は失敗の歴史ともいえます。

新約聖書の時代になると、イエス・キリストが古い契約を新しいかたちに更新してくれました。色々な決まりごとを守ることによって救われるのではなく、(キリストがわたしたちの罪を贖(あがな)って下さったので)、キリストを信じることによって救われるというのが新しい契約です。

聖書を理解する鍵は、契約贖いという思想であると聞きましたが、初めて聖書を読もうとする方にとって、契約や贖いという言葉はなじみ深くない言葉ですね。また旧約聖書にはイスラエルの歴史が書かれているので、自分とは関係がないと思うことでしょう。わたしもかつてはそうでした。

神様がイスラエルの民を選ばれたのは、イスラエルが特別すぐれていたからというわけではないそうです。ひとつの民族を選び、その民族からメシヤ(救い主)を誕生させるというのが、大昔からの神様のご計画であったのです。
イスラエルを自分に置き換えて聖書を読んでみると、神様の愛に圧倒されます。


「主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。(ヨエル 2:18)」
と書かれていますが、ねたむほど愛するとは、どれほど強い愛なのでしょうか……。..

最近わたしは、聖書は神様から人類に向けた熱烈なラブレターだと気付きました。旧約を読んでも、新約を読んでも『愛しているよ、愛しているよ』と迫ってくるものを感じます。もちろん、難しくて意味のわからない箇所も多いです。すべてを理解するのは、わたしなら一生かかっても無理でしょう。でも、神様が人類に宛てた熱烈なラブレターを読まずにはいられません。聖書の深い意味を知れば知るほど、もっと知りたくなります。

現代においても世界では迫害にあい、自由に聖書が読めない人々が大勢おられるそうです。
日本では聖書を自由に読めるのですから、そのことを感謝してもっと熱心に聖書を読みたいと思いました。


聖書については、書くことがたくさんありすぎてまとまりません。また、日にちをあけて書いていく予定です。

きらりんクラブ

2008-06-28 15:45:05 | CS(子供伝道)

今日は教会学校に通っている小1の子どもの家で子ども家庭集会が行われました。去年度まで「はこぶねクラブ」といって、教会で土曜日に集会を開いていました。それがなくなって、今年度は家庭で開かれることになりました。

集会の名前は「きらりんクラブ」。数年ぶりの子ども家庭集会です。教会のスタッフと同じ教会学校の教師をしている姉妹と3人で出かけました。わたしは、パネルシアターを持って行き、天地創造のお話をしました。

6人の子どもたちが集まりました。そのうち2人が聖書の話を聞くのが初めてでした。
子どもたちはお話を熱心に聞いてくれ、目を輝かせて賛美し、わらべうたやなぞなぞなどのゲームを楽しみました。
このような機会が与えられたことを心から感謝しました。次回は9月ですが、待ち遠しいです。

 娘が小学生のころ、我が家で行っていた子ども家庭集会を思い出しました。もう10年も前のことです。あのとき来てくれた子どもたちは、今でも聖書のお話を覚えているでしょうか……。

 
今日は娘が自動車学校の合宿から帰ってきます。さきほど「本試験に合格したよ!」とメールがきました。不合格だと今日は帰れないので、夕飯のおかずを思案していたところでした。主人と2人だと簡単料理になりますが、今日は、はりきってごちそうを作りましょう。

合宿での食事はおいしくなかったそうです。それでも娘は「食堂のおばちゃんが少ない予算で工夫して作ってくれていることに感激した。同じ食材を使って色々な料理を作ってくれたので、感心して作り方聞いちゃった」と言ったので、3年間一人暮らししたからこそ、そんなふうに感じたのだろうと嬉しく思いました。


「聖書について」の続きは後日書きます。


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聖書について(その1)

2008-06-27 13:48:51 | 聖書から

PCの調子がまた、おかしいです。先日は1日に3回もフリーズしてしまいました。しばらく待っても変化なしで、タスクマネージャーも開けず、強制終了するしかなくなってしまうのです。ウイルスチェックやパソコン内を調べる機能を使って調べても異常なしです。ネットにつなぎ、gooでの作業(メール、ブログの編集)をしているときにフリーズするので、サーバーに問題があるのかもしれません。gooでは昨日の午前中メンテナンスを行っていましたが、メンテナンス後、メールを出そうとしたらまたフリーズしました。同じgoo を使っている友人もフリーズしたと言っています。

どなたか解決法をご存知の方がおられましたら、教えてください。今日の記事を投稿するのも怖々やっています。
 コメントをくださる方のpcがフリーズするようなことがありましたら、申し訳ありません。mixiの方はmixiメールをください。


先日祈祷会で聖書について基本の学びをしました。学びを通して教えられたこと、感想などを書きます。

わたしはこれまでこのブログの中で「聖書に書いてあります」という一文を何度使ってきたでしょうか。
「聖書が間違っていたらどうするんだ?」と思った方もいるでしょう。

聖書は約2000語に翻訳され、世界では一年間に7億冊以上発行されている本、世界でいちばん読まれている本だからといっても、信憑性を疑う人はいるでしょうね。
聖書はB.C.1500年からA.D.100年の間に約40人の手によって書かれました。旧約新約合わせて66巻あります。主な著者はモーセやダビデ、パウロなどですが、本当の著者は神様です。それは、神様が著者の自由や意識を奪って神がかり的に書かせたという意味ではありません。
その書を書いた目的や事情や、著者の性格がそのまま生かされているのです。

パウロは「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。(Ⅱテモテ3:16)」と書いています。

霊感というと、神がかり的なもの、死者の霊がついて語るいたこを想像してしまいますが、聖書に書かれている霊感は全く意味が違います。『主がつかわされた』という意味だそうです。
                     つづく

K子さんへの手紙(その2)

2008-06-25 13:46:05 | 日記

最初の人間がアダムとエバだということは、ご存知ですよね。エデンの園にいたとき、アダムとエバは神様と親しい仲にありました。ところが、唯一の禁止事項(園の中央にある木の実だけは食べてはいけない)をアダムとエバは破ってしまい、エデンの園から追い出されてしまいます。そのとき人間は神様とは断絶状態になり、苦しみ、人は死ぬべき者となってしまいました。
 
この話を聞くと、『アダムとエバのせいでひどいことになった』とアダムとエバを恨みたくなりませんか?
でも、このときエバは蛇(サタン)にだまされたのです。もし、わたしがエバだったら、やはりだまされて、木の実を食べてしまったと思います。人間は罪を犯しやすい者です。義人(罪のない人)はひとりもいないと聖書に書かれています。

神様は正しいお方なので、不正を「まあ、いいか」とゆるすことができません。罪を犯したとき、死ななければその罪はゆるされないのです。
でも神様は、人間のことをとっても愛しておられるので、罪を犯した人間に罰を与えたくないと思われました。それで神様はご自分のひとり子、イエスキリストを十字架につけて人間の身代りに罰したのです。
イエスキリストは神様の子供ですから、罪はありませんでした。でも、十字架につけられることによって、人類の罪を背負って下さったのです。これは神様の愛です。自分の子供の命を差し出してまでわたしたちを救ってくださろうとしている神様の愛を思うと、わたしは心が震えます。
キリストの十字架のおかげで、人間は神と和解できました。だれでも、キリストを信じるなら、肉体の死後、天国に行け、永遠の命をいただけるようになったのです。


死後の世界について尋ねていましたが、苦しみ、痛み、叫びのない天国というすばらしいところが用意されています。キリストの救いを受け入れた者は誰でも行けるところです。
自分が神様に愛されている存在だとわかり、キリストの十字架の意味がわかったとき、わたしは少しずつ変わっていきました。変わったというより、神様によって変えられたのです。癇癪も起こさなくなりました。両親や周りの人を憎んでいたのですが、その憎しみも溶かされました。


神様は、K子さんのことをとても愛してくださっています。目に見える現実は苦しみかもしれませんが、きっと道が開けますからね。
イエス様は言われました「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」
神様は、すべてを働かせて益としてくださいます。だから希望を持ってください。


このことを書いた手紙を出して約1か月後、次にいただいたK子さんの手紙に嬉しいことが書かれていました。今までの手紙に書かれていたのは辛いことばかりでしたが、「自分が少しずつ変わってきています。光が見えてきました。」と書かれていました。
キリストの光がK子さんの心に差し込んできたように思えて、主に感謝しました。


               おわり

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K子さんへの手紙(その1)

2008-06-23 13:39:42 | 日記

娘とあまり年が違わないK子さんと文通を始めてから1年に近くたちました。電話やメールでなく、手紙のやりとりをしてきました。

K子さんのプライバシーを守るため詳しいことは書けませんが、心の病で苦しんでおられます。ご両親に理解を得られなくてつらい日々を送っておられることが、文面からひしひしと伝わってきます。

「愛されたいだけなのに…・…」というK子さんの言葉に胸を突かれました。ご両親は本当はK子さんを愛しておられるのだと思います。でも、それが全く伝わらないのです。何とか病が治ってほしいと願うあまり、かえって娘さんの心を傷つけているようです。
他人事ではありません。わたしも娘の心を傷つけたことがたくさんあったのですから。

ブログを読んでくださっている人の中でK子さんのように親の理解が得られなくて苦しんでいる方がおられるかもしれないと思い、K子さん宛てに書いた手紙の一部を記します。


ご両親に変わって欲しい。変わってくれれば病気は治るのに……というK子さんの気持はわかりますが、相手に変わってもらうことを望んでいると、心の中は穏やかではありませんね。

わたしもかつては、母から言葉で傷つけられたので、母に変わって欲しいと思っていました。何でも受け入れる優しい母親像を描いていました。でも、実際はそれと正反対なので、母親に幻滅し、憎しみすら抱きました。変わることを相手に求めている間、心は不満、怒り、悲しみでいっぱいなのです。
解決の道は、自分が変わることです。でも、簡単に自分を変えることはできませんね。努力だけではどうしようもないのです。

若い時、わたしは癇癪持ちで、腹の立つことがあると家の中で暴れていました。感情を抑えることができなかったのです。そんな自分が厭でした。変わろうと努力してもダメでした。でも、キリストを信じたとき、少しずつ変えられていったのです。

わたしは聖書の神様を信じています。
聖書の神様は唯一です。旧約聖書の最初に
「はじめに神が天と地を創造した」
と書かれているように神様は天地万物を造られたのです。
宇宙はビックバーンによってできたとか、人は魚が進化したものだと言われていますが、もしそうだとしたら人間は偶然に生まれたことになります。
でも、聖書では、神様が人をも造られたと書かれています。そして造っただけではなく、ひとりひとりのことを深く愛しておられるのです。
聖書には「それはあなた(神様)が私の内臓を造り、母の胎のうちで組み立てられたからです」と書かれています。


                  つづく


和 真衣香さんのあかし

2008-06-21 17:25:12 | あかしの紹介

今日は教会での婦人集会の「ティータイム」でした。ゲストに和真衣香(かずまいか)さんを迎えて、お話をお聞きしました。

和真衣香さんは、KZダンス教室の代表で、振り付け師として芸能界でも活躍してこられた方です。(宇多田ヒカルの振付もされました)土浦めぐみ教会でも隔週木曜日夕方にKZダンス教室が行われ、指導してくださっています。ダンスを通して福音を伝えるという素晴らしい働きをされている方だと聞いていましたが、わたしはまだお目にかかったことがありませんでした。

今日、初めてお目にかかってお証を聴き、心打たれました。で和さんの了承を得ましたので、紹介させていただきます。


子供のころ、お父さんが宗教にのめりこみ、そのことでお母さんと争いが絶えなかったのです。高校3年の時、お父さんの経営するレストランが破産して一家がバラバラになってしまいました。

19歳のとき、ダンスの勉強をしにニューヨークにいきました。そのとき黒人の方がレッスンの前に祈っていたのが印象に残りました。
友人がドラッグにのめりこみ、ニューヨークで自殺してしまったことに大きな衝撃を受けました。友人の死を通して命について考えるようになります。

その後、芸能人の振り付けをやることになり、芸能界に入ります。恋人のお母さんがクリスチャンで、お母さんに「ダンスは神様から与えられた賜物」と言われます。そのお母さんが脳こうそくで倒れ、召されてしまいます。そのときも衝撃を受け、人は死んだらどうなるのかと考えるようになります。

新人歌手を連れて、アメリカのハーレムのグランドチャンピオン大会に出場する前のことです。マンハッタンの駅でホームレスのおばあさんに出会いました。
グランドチャンピオン大会に出場することを話すと、おばあさんは持っていた1ドルでコーラとお菓子を買い、プレゼントしてくれました。

おばあさんにとって、1ドルは尊い生活費だったでしょう。それを捧げてくれたのです。そのとき、自分は大切なものを人に捧げたことがあっただろうか?と思い、おばあさんの愛の行為に感動して泣きました。

ハーレムに着くと、そのおばあさんがマンハッタンから歩いてきてくれました。ふたりのためにずっと祈ってくれていたのです。グランドチャンピオン大会では準優勝でした。おばあさんは聖書の言葉を語りました。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる。(詩編37:5)」

そのとき、心の中にあった鉛がストンと落ちたような気がし、神様ご自身の声を聞いたように思いました。外見、名誉を重視し、片意地張って生きていたけれど、すごく苦しかったのです。おばあさんとの出会いがきっかけで、教会へ行くようになりました。

その後、日本ではシロアムキリスト教会へ導かれ2001年に洗礼を受けました。お母さんの病気を通して、家族が救われ、バラバラになっていた家族がひとつになりました。



お話のすべてを紹介できませんでしたが、最後に2つの聖書の言葉を語られました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」
「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(詩編121:7.8)」



わたしは、2001年9月につくばで行われたストップ・ザ・ドラックの集会に行ったことがきっかけで「リピート・シンドローム」を執筆しましたが、そのときに和さんも来られていたそうです。「リピート・シンドローム」はKZダンス教室のメンバーである友人を通して和さんに以前お渡ししていました。

和さんと直接お話しできたらいいのに…と思っていたら、お証のあとその友人が紹介してくれました。
『自分の存在価値がわからなくて居場所を探している子供たちに福音を伝えたい』というビジョンが共通しているので嬉しく思いました。和さんはダンスを通して、わたしは小説や童話を通してですが……。これからの和さんの働きのために祈らせていただきます。和さん、有難うございました。感謝。


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「神さまのアトリエ」あと書き

2008-06-20 11:34:51 | エッセイ

児童文学の会でわたしの書く童話や小説に対して、いつも決まって言われることがあります。「もっと、主人公に主体性を持たせ、自分で努力して成長していくという物語にしなければならない。それを超えないと世に認められる作品にはならない」

娘にそのことを話すと、「お母さんの作品は、ワンパターンで結末が予測できるからおもしろくない。信仰を前面に出さないほうがいいんじゃない」と言われました。
確かにそうです。凝り固まっているのです。クリスチャンの一部の人たちだけに受け入れられる作品なのかもしれません。

一昨日まで連載した「神さまのアトリエ」。この作品のテーマは、『不必要な人間はいない。ひとりひとり、顔も性格も役割も違うけれど、なくてはならない存在であることを知る』です。

聖書にはわたしたち人間を体の各器官にたとえています。目や手や足がそれぞれ違った役割をしているのに同じ一つの体であるように、わたしたちに与えられているもの、役割はそれぞれ違うのだと書かれています。
「そこで、目が手に向かって「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(Ⅰコリント12:21~22)」

「比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならない」という箇所を読むとジーンときます。わたしは弱い器官です。弱い器官とは何でしょう? わたしはまつ毛の一本、または小指の爪? 

わたしは子供のころから強い劣等感を抱いていました。クリスチャンになってからもです。まず、体が弱いことが第一した。体が丈夫な人と弱い人とでは、1日にこなす仕事量が違います。1年、10年単位で考えると、丈夫な人と弱い人の仕事量の差がどんどん開いてきます。

がんばりのきかない自分、やりたいことが十分できない自分、社会の役に立っていない自分は価値のない人間だと思っていました。
この世界は、目に見える多くの成果をあげ、優秀な人が賞賛される世界です。わたしは、小学生のころから「頑張れ、頑張れ」と言われて育ってきたので、努力すること、努力して成果を上げることが生きる目的になっていました。
高校、短大時代は、ものすごい努力をしました。勉強も、ピアノも、体力の限界まで頑張ってきました。

でも、幼稚園に就職してから、学生時代の努力がなんの役にも立たないことを知り、愕然としました。どんなに努力してもできないことがある。自分の力ではどうしようもないことがあることを知ったのです。

頑張りたくても頑張れないことがあります。頑張ろうとすればするほどあせり、体が動かなくなってしまいます。努力して学校へ行こうとしても体が拒否反応を起こしてしまいます。そして、自分はいてもいなくてもいい存在、むしろお荷物的存在だと思い、ますます落ち込んでしまうのです。

でも、神様の目から見たら違うのです。価値観が180度違うのです。神様は言われます。「何もできなくてもいい。そのままでいい。あなたの存在そのものが尊いのだ。あなたがいなくては困るんだよ」

努力することを否定しません。今でもわたしは最大限の努力はしています。でも、
これから書く作品も主人公が努力して成長するというテーマの物語にはならないでしょう。

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神さまのアトリエ(その3)

2008-06-18 16:17:26 | 童話

「すごい、体が浮かんでる」
美鈴は、夢をみているのだと思った。こんな楽しい夢をみるのは久しぶりだ。
みおろすと、白い大地に大きな絵が描かれているようだが、その上にうっすら霧がかかっていてよくみえない。

「だめだ、ひとつ足りないだけなんだけど、完成してないから、絵がみえないんだ」
 リエルは美鈴の手をつないで下降すると、絵の上におりた。
足元にはてのひらほどの丸い円盤状のものがきっちりと並んでいた。それはひとつひとつ微妙に色が違っていた。
「ここに置かれたドロップがなくなっちゃったんだ」
 リエルが指さす方をみると、歯が抜けたようにひとつ分すきまがあいていた。
「置いたのはだれなの?」
「神さまだよ。神さまが使う絵筆からドロップが落ちるんだ。それが絵になるんだよ」
 
 じっとみていると、数個のドロップの色が変わった。
「あ、色が変わった」
「ドロップは人間の心なんだ。元気ではりきっている心は明るい色、沈んだ心は暗い色。同じ人でも気持ちが変わるでしょ。だから色が変わるんだよ」
「心の色なのね……」
 美鈴は、自分の心がどんな色なのか想像してみた。きっと灰色か黒だろう。お母さんは、赤かオレンジ色だろう。

「あれっ、行方不明なのは、きみのドロップだったのか!」
 リエルが目をキラキラさせて美鈴の前に手を差し出した。美鈴は、いつの間にか丸い物を手に持っていた。それは黒味をおびた灰色だった。
「これ、わたしのドロップ?」
 リエルはこくりとうなずいた。
「やっぱり、変な色」

 美鈴は小さなため息をついて、ドロップをリエルに渡した。
「ちがうよ、ちっとも変じゃない。この色が必要なんだよ」
 リエルは激しく首を左右にふった。
 リエルが美鈴のドロップをすきまにうめこむと、さーっと霧が晴れてきた。
「よかった、よかった。これで完成だ。さあ、みてみよう」
 リエルは美鈴の手をとると、再び高くとびあがった。

 そこには花園の中にすわっている男の人の絵が描かれていた。その人は、白い一枚の布で作ったような長服を着ていた。どこかでみたことがある人だと、一生懸命小さいころの記憶をたどっていた。古い建物の壁にかけられている絵と似ていると思ったが、それがどこなのか思い出せない。

 その人は、まっすぐ顔を上げ、悲しみとやさしさに満ちた目でじっとこちらをみていた。
「あれだよ、あの右の瞳のまん中の色、あれが美鈴ちゃんのドロップなんだよ」
「わたしのドロップが瞳の色……」
「神さまは、あの人の悲しい瞳を描くのに美鈴ちゃんのドロップがどうしても必要だったんだよ」
「わたしのドロップが……?」
 美鈴の目に涙があふれてきた。

 リエルはその人の胸のあたりに美鈴を降ろした。美鈴が横になると、その人がやさしく抱きしめてくれたような気がして、そのまま眠ってしまった。

 気がつくと美鈴は電車に乗っていた。電車は間もなく土浦駅に止まった。
電車を降りて、亜鳥絵という駅を調べたがそんな名前の駅はどこにもなかった。

(あそこは、神さまのアトリエだったんだ)
美鈴は神さまの描いた絵を思い浮かべて、足取りも軽く家に向かっていった。
ネコヤナギが春の日差しを浴びて小さく揺れていた。

                   
 おわり

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神さまのアトリエ(その2)

2008-06-17 10:36:46 | 童話

 ふとそう思って土浦駅に向かった。サイフは持ってきていない。コートのポケットに200円入っていた。一駅分の片道切符しか買えない。 
先のことは何も考えずに190円の切符を買って、ちょうどホームにすべりこむようにしてやってきた下り電車に乗った。
電車の中は暖房がきいていてポカポカあたたかい。久しぶりに歩いたので、疲れからうとうと眠ってしまった。

 ガタンと電車が止まって、あわてて降りた。駅の名をみると「亜鳥絵」と書いてある。
(あとりえ? 常磐線にそんな駅あったっけ……。) 
ちょっとのつもりだったけど、ずいぶん寝てしまったのだろうか。切符は一駅分だから、このまま上り電車でもどろうかと思った。

 ホームから改札の向こうをみると、大きな白い門がみえた。石を積み重ねてできている門で、木の扉は少し開いていた。中世ヨーロッパの城の門みたいだ。
門にひかれて改札へいくと、自動改札でもないのに駅員が誰もいない。というか、ホームにも駅にも誰ひとりいないのだ。

 改札を出ると、高さが10メートルぐらいありそうな門がドーンと目の前にそびえていた。少し開いている扉のすきまから中をのぞくと、建物も何もなく、ただ広い雪の原がひろがっていた。

(ここはどこなの? 福島まで来てしまったのだろうか……)
 美鈴が門の前でたたずんでいると、頭の上から子供の声がした。
「早く中に入って」
 見上げると、門の上に少年がすわっていた。少年の背中には天使のような羽根が2枚ついている。美鈴は、コスチュームを着ているのだと思った。

「あぶないよ、そんなところにのぼっちゃ」
 美鈴がいったとき、少年は羽を広げてふわっと目の前に降りてきた。
「えっ、その羽根本物? きみは天使なの?」
「そうだよ、ぼく天使のリエル。きみは、美鈴ちゃんだね」
 天使はなぜか美鈴の名前を知っていた。
「さがしものをしているんだ。ドロップ落ちてなかった?」
「ドロップって飴?」
「ちがうよ。これくらいの丸いお皿みたいなものだよ」
 リエルは両手の指でコースターくらいの大きさの丸を作ってみせた。
「お皿? さあ、みなかったけど……」
「ああ、困ったなあ。ひとつ足りないんだよ。ドロップがないとせっかくの絵が完成しないんだ」

「リエルは絵を描いているの?」
「ぼくじゃないけどね。すごくすてきな絵なんだ。みてほしいな」
 リエルは門の扉を大きく開けると、美鈴の手をぐいっとひっぱった。体は小さいのにすごい力だ。

 リムにひっぱられて門をくぐると、真っ白な世界で、美鈴はまぶしくて何度もまばたきをした。足元に雪の感触がしないのでかがんでさわってみると、白いものは冷たくない。布のような感じだ。

「これ、キャンバスなんだよ。上からみないとわからないんだ。とんでいこう」
 リエルは美鈴の腕をつかんで羽ばたいた。美鈴の体は風船のように軽くなり、宙に浮いた。

             つづく

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神さまのアトリエ(その1)

2008-06-16 13:01:19 | 童話

最近わたしは、ヤングアダルト(12歳~18歳)向けの小説や童話を書いています。わたしの精神年齢が14歳ぐらいなので、大人向けの小説はどう逆立ちしても書けません。
今日は今年2月に書いた童話を掲載します。
不登校になった少女が主人公の作品「神さまのアトリエ」は原稿用紙11枚の作品です。3回に分けて連載しますので、感想など聞かせていただけると嬉しいです。


神さまのアトリエ

「またこたつでゴロゴロしている。」
お母さんが掃除機をかけながら文句をいっている。
美鈴は、こたつに深く体を入れて両手で耳をふさいだ。
「なんにもしないで、一日家にいるんだから……。夕飯ぐらい作ってくれたらいいのに」

耳をふさいでもお母さんのかん高い声が聞こえてくる。バタバタと動き回るお母さんの足音が伝わってきて胃が痛くなる。

お母さんは高校の教師だ。毎朝5時に起きて、てきぱきと掃除、洗濯、夕飯の下ごしらえをして仕事に出かけていく。家でも学校でも明るくはつらつしている。
(お母さんは、何であんなに元気なんだろう……。それにくらべてわたしは……)

中学1年の美鈴は、9月から半年近く学校を休んでいる。とくべつないじめがあったわけではない。友達がいないわけではない。
かぜをこじらせて1週間学校を休んだ。久しぶりに学校へ行ったら、いつも一緒に行動していた親友の百合恵が、音楽室にいくとき別の友達と先にいってしまった。
「あ、先にいってゴメン。美鈴のこと、忘れてた」
百合恵は美鈴をみて、きまり悪そうに頭をかいた。

百合恵の言葉を聞いたら、学校へいく気力がなくなってしまった。百合恵は悪くない。意地悪で先にいったのではない。でも、1週間休んだだけで忘れられてしまう自分って何だろう? と思うと、体が石のように重くなった。

美鈴は、毎朝きがえて学校にいこうとする。朝ご飯を食べて出かけようとすると、決まってお腹が痛くなる。今日は吐き気までして、トイレで吐いてしまった。トイレから出ると、こたつにもぐりこんで、そのまま出られなくなった。
「3時になったら洗濯物とりこんでおいてね」
お母さんはむりやり美鈴を学校にいかせるようなことはしない。でも、学校へいかない美鈴に対してイライラしているのがわかる。
朝食の食器がこたつの上に置いたままになっているのをみて、片づけながらつぶやいた。

「まったく役立たずなんだから」
お母さんは流しにガチャリと食器を置くと、せかせかと出かけていった。
しばらくして美鈴は起き上がった。こたつから出てのろのろと自分の部屋にいき、コートをはおった。

美鈴は、重い体を引きずるように、しばらくぶりで外に出た。
『忘れてた』という百合恵の言葉と『役立たず』というお母さんの言葉が頭の中でグルグル回っている。
(自分はいったい何者なんだろう? 学校では、いてもいなくてもいい存在。家ではお荷物的存在……。何のために生きているんだろう?)
そんなことを考えながら街を歩いた。
(自分のことを誰も知らない街へいってみたい)
           

       つづく


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なぜ、今クリスマス?(その2)

2008-06-14 10:44:22 | 聖書から

博士たちは救い主を拝むため、命がけで2000㎞の旅をしてユダヤの国にやってきました。

ところが当のユダヤ人たちは、救い主が誕生したことを知りませんでした。彼らは聖書をよく読んでいたので、救い主が生まれることは知っていましたが、待ち望んでいませんでした。聖書を本当の意味で理解していなかったのです。
だから、最初に博士たちがヘロデ王のところに来て、ユダヤ人の王がどこにいるか尋ねたとき、恐れ惑ったのです。

ヘロデは自分の立場、王位が危うくなると恐れ、2歳以下の幼児を虐殺してしまいます。何と自分勝手なのでしょう。

知っていることと信じていることは違うのですね。聖書を毎日読み、勉強しているからといって信仰深いとは限らないのです。自分はどうなのだろう……と考えて、ドキッとしました。

東方の博士たちも目にしたであろう旧約聖書に記されているメシヤ預言とは、どのようなものでしょう。旧約聖書には実に多くの箇所で、救い主誕生の預言が書かれています。

ミカ書5章2節には「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さい者だが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」と書かれ、生まれる場所(ベツレヘム)を特定しています。

キリストの誕生は突然ではなく、何千年も前から計画され予定されていました。必然なのです。
わたしたちの存在も偶然ではなく必然です。

「すなわち、神は私たちを世界の基(もとい)の置かれる前からキリストのうちに選び、御前(みまえ)で聖(きよ)く傷のない者にしようとされました。(エペソ1:4)」

世界の基が置かれる前というのは、天地創造以前ということです。それほど昔から神様はわたしを造ることを計画され、選んでくださったのだと聞いたとき感動で鳥肌が立ちました。わたしは愛されるべくして生まれたのです。

これを読んでくださっているあなたの存在も宇宙ができる前から計画されていました。あなたは、愛されるために生まれたのです。


ところで、『なぜ、今の時期にクリスマス?』 に対するわたしなりの答えを書きますね。

救い主誕生という素晴らしい出来事をクリスマスの時期だけ思いめぐらせるのではもったいないです。毎日思っていたいのです。特にクリスマスからもっとも遠い月、6月にクリスマスの学びが用意されたのは、いつもキリスト誕生の喜びで満たされていなさいという意味なのかもしれないと思いました。


4年前、HPを開設したころからのネット上での大切な友人かっちゃん(mixiでは復活のラザロさん)からメールをいただきました。


私もPCの前には、一つのみ言葉を飾ってあります。
「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」
クリスマスは何も12月だけの物語ではないですよね。
毎日がクリスマス。
日々、イエスさまのみ言葉を受け入れるところから、
はじまるような気がします。


その通りですね。かっちゃんのサイトかっちゃんずルームをぜひご覧ください。

                 おわり

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なぜ、今クリスマス?(その1)

2008-06-13 19:11:21 | 聖書から

今日は我が家での家庭集会でした。牧師先生と9名の方が来て下さいました。
学びは先月に引き続いてクリスマスの箇所です。なぜ、今の時期にクリスマスなのか?先月から疑問に思っていたのですが、今日そのわけがわかりました。


今日の聖書箇所は、マタイ2:1-12で「東方の博士たち」がイエス様のところにやってきたところです。
東方の博士とは、アッシリヤ・バビロン地方の学者(天文学者)です。イエス様が誕生したとき、星が出現ました。天文学者である東方の博士たちは、その星をみてユダヤの王が生まれたことを知り、エルサレムにやってきたのです。彼らはわざわざ2000㎞も旅をして当時ローマ帝国の属国にすぎないユダヤにやってきました。
2000㎞も旅をするというのは、当時は大変なことでした。何か月もかかり、命の危険もあったことでしょう。それでも彼らは黄金、乳香、没薬という高価な品を携えてユダヤを目指したのです。


『それほど彼らをそこに引きつけたのは何だったと思いますか?』
という問いがありました。
「学問をきわめつけると絶対的なものを求める」と牧師先生が言われました。
博士たちは絶対的な真理が示されている聖書に注目しました。そして、聖書に書かれている救い主誕生の預言を信じて、待ち望んだのでしょう。その方はユダヤ人の王といわれていますが、世界の王であり、メシヤであると博士たちは知っていました。待望の救い主が生まれたので、何としてでも拝みに行きたいと願って人生をかけて旅に出たのでしょう。

すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。(マタイ2:9)
と、あるように星が博士たちを導いたのですが、『このような現象をあなたはどう思いますか?』という問いがありました。

神の子が誕生するという人類の歴史始まって以来のすばらしいことが起こったのですから、世界中の人がびっくりするような天変地異が起きてもいいのに、神様は星を出現させるという静かなやりかたで誕生を示されました。それに気づかない人は気づかず、気づく人は気づくのです。

博士たちのように異邦人であっても、救い主の誕生を待ち望み、神様と個人的なかかわりをもっていた人たちには、わかるようになっていたのですね。

東方の博士たちのような信仰と情熱を持ちたいと思いました。


つづく
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ブートキャンプに喜ぶヒックン

2008-06-11 16:11:04 | 日記

蒸し暑くなりました。時折ホットフラッシュが起きるので汗ふきタオルが欠かせません。

毎週火曜日に1歳2か月になる孫のヒックンがやってきます。ママが働いているので、ヒックンは月曜から金曜日まで職場内にある保育園に行っています。

パパの仕事が火曜日休みなので、その日はヒックンも保育園をお休みしてパパと過ごします。
夕方になるとパパがヒックンを連れて我が家にやってきて、ママは仕事が終わってからきて夕食を共にし、夜9時ごろ車で帰っていきます。

保育園に行き始めたばかりの4月は、3週続けて日曜日から熱を出し、月曜、火曜はわたしが預かっていました。最近は保育園生活に慣れたのか、元気いっぱいです。

先週、ヒックンは保育園で椅子の隙間に足をはさんでぬけなくなり、大騒ぎになったそうです。保育園の先生が石鹸を泡立ててはさまっているところにつけ、ようやく抜けたのです。念のため整形外科で見てもらうと何ともないとのこと。ほっと胸をなでおろしました。

ヒックンは先月から歩き始めました。先週来たときは、ふらふらした足どりであっちへぶつかり、こっちにぶつかりしながら歩いていました。昨日はしっかりした足取りで廊下を行ったり来たりしているので、その進歩に驚きました。

わたしがブートキャンプをすると、ヒックンは大喜びで体を動かします。上の写真はテレビの前で体操するヒックンです。

ヒックンはテレビの横にあるコンポに興味があります。(写真では、段ボールをかぶせています)キラキラ光る銀色のダイヤルを回したくてたまらないのです。でも、近づくと「ダメ!」としかられるので、悪いことだと知っています。

それでもさわりたくて、そっと近づきます。「ダメ」というと、人の顔を見てニッコリ微笑みます。「可愛い!」と、思わずつられて笑ったら、こちらの負けです。うんと怖い顔をしてみつめているとあきらめてもどってきます。してはいけないことをやりたいという罪を人間は生まれながらにして持っているのですね。

公園に連れていくと喜んで芝生の上を歩き、ころんで目の前にある花を見つけるとそのままじっと見て喜んでいるそうです。
写真は芝生の上を得意になって歩いているヒックンです。ぎゅっと握った手でバランスをとっています。帽子が大きすぎて顔が半分隠れています。

1歳児の目にはこの世界はどんなふうに映っているのでしょう。すべてが新鮮で感動に満ち、キラキラ輝いているのでしょうね。そんな感動を大人になっても持ち続けて欲しいなあと思いました。



ブックマークにある日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。リニューアルしましたのでぜひご覧ください。(インデックスページは娘がデザインしました)「志に生きる」3番目のエッセイはわたしの書いたものです。


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悲しむ者は幸い

2008-06-09 12:51:16 | 教会

天国は悲しみのない世界ですが、この世界にはなんとたくさんの悲しみがあるのでしょう。

昨日、教会学校で「あなたは神様に何を願い求めますか?」とたずねると、小学4年の男子が、「悲しい事件ばかり起きてつらいから、世界で悲しい事件がもう起きませんようにとイエス様にお願いする」といいました。
わたしは、感動で胸がいっぱいになりました。
それから10数名の4年生子どもたちと一緒に世界で悲しい事件がもう起きませんようにと祈りました。

ところが、それから約1時間後にまたもや恐ろしい殺傷事件が起きてしまったのです。秋葉原の事件は、荒川沖駅殺傷事件を思い出させます。
そのときまで元気で歩いていた人の人生が、突然終りになってしまうことを、誰が予想したでしょうか。

悲しいニュースを聞いて、子どもたちも心を痛めています。昨日子どもたちと祈った祈りはすぐにはかなえられませんでしたが、神様には届いているはずです。もっと、もっと祈っていきたいです。


はからずも礼拝メッセージは「悲しみについて」でした。
私たちの悲しみには、
喪失感による悲しみ。(家族、親しい人の死、別れ)、同情からの悲しみ(悲しむ人を見て同情して悲しむ)、苦痛による悲しみ(肉体的苦痛、精神的苦痛)、神に従えない悲しみ、理解されない悲しみ、理解できない悲しみ……。

イエス様は十字架にかけられる前、弟子たちに言われました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないでわたしといっしょに目をさましていなさい(マタイ26:38)」

これから十字架にかけられ、父なる神から見捨てられるという壮絶な苦しみがやってくるのに、弟子たちはだれひとりイエス様の悲しみを理解できませんでした。ゲッセマネの園でイエス様が苦しみもだえて祈っているとき、なんと弟子たちは眠りこけでいたのです。
でも、「彼らは悲しみの果てに眠り込んでしまった。(ルカ22:45)」と書かれているので、弟子たちには、イエス様のことが理解できないという悲しみがあったのでしょう。

「悲しみには、良い効果や結果をもたらす悲しみがある」と牧師先生はいわれました。

パウロはコリントの教会へ宛てて書いた手紙の中で
「神のみこころに沿った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます…(Ⅱコリント7:10)」と書いていますが、当時のコリントの教会の状況は道徳的に乱れひどい状況だったそうです。コリントの人たちは、その罪に気づいて悲しみながらも悔い改めました。
このように悲しみが悔い改めの原動力になったり、悲しみが心を神に向けさせる力となるのです。

イエス様は言われました。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです(マタイ5:4)」
神様は悲しんでいるわたしたちに声をかけて慰めてくださいます。
悲しむときは、主が共にいてくださることに気づくとき。神の慰めを経験する大切なときなのです。


「悲しむ者は幸い」というのは、逆転の真理ですね。わたし自身も悲しみの中で神様からの慰めをいただいて≪悲しみにあってよかった≫と思ったことが何度かあります。また機会がありましたら、そのことも書かせていただきます。

文学散歩(その2)

2008-06-07 08:08:32 | 日記

左は樋口一葉の井戸のすぐそばの光景です。3階建ての木造の建物が妙になつかしく、苔むした階段は趣があります。

このあたりに、多くの文豪が住んでいたそうで、太宰治や宮沢賢二の旧居跡をみつけました。

左は石川啄木ゆかりの赤心館跡です。
以下は看板に書かれていた文章です。


石川啄木(1886-1912)は文学の志やみがたく、明治41年5月北海道の放浪の旅を終えて上京した。啄木22才、3度目の上京であった。上京後、金田一京助を頼って、ここにあった赤心館に下宿し、執筆に励んだ。
赤心館での生活は4か月。石川啄木 (1886~1912) は、「文学の志」やみがたく、明治41年5月、北海道の放浪の旅をおえて上京した。啄木22歳、3度目の上京であった。上京後、金田一京助を頼って、ここにあった“赤心館”に下宿し、執筆に励んだ。
 赤心館での生活は4ヶ月、その間のわずか1ヶ月の間に『菊地君』『母』『天鷲絨』など、小説5編、原稿用紙にして300枚にものぼる作品を完成した。
 しかし、作品に買い手がつかず、失意と苦悩の日が続いた。このようななかで、数多くの優れた短歌を残した。収入は途絶え、下宿代にもこと欠く日々で、金田一京助の援助で共に近くにあった下宿、“蓋平館別荘” に移っていった。
   たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず  (赤心館時代の作品)
文京区内の啄木ゆかりの地
・初上京の下宿跡 (明治35年11月~36年3月) 現・音羽1-6-1
・再度上京の下宿跡 (明治37年10月~同年11月) 現・弥生1-8あたり
・蓋平館別荘跡 (赤心館  ~明治42年6月)現・本郷6-10-12 太栄館
・喜之床 (蓋平館  ~ 明治44年8月)現・本郷2-38-9 アライ理髪店
・終焉の地 (喜之床  ~ 明治45年4月13日死去)現・小石川15-11-7 宇津木産業
     東京都文京区教育委員会 平成元年 3月


1か月の間に300枚も書いたということに驚き、圧倒されました。


坂が多く、菊坂、炭団(たどん)坂、金魚坂など名前がついています。

菊富士ホテルの石碑をみつけたときは、胸が躍りました。

菊富士ホテルは明治30年(1897)に開業。1914(大正3)年に新築され、後に長期滞在客相手の高級下宿になりました。地上3階地下1階だったそうです。

宇野浩二、正宗白鳥、谷崎潤一郎、尾崎士郎、宇野千代、直木三十五、広津和郎、坂口安吾、石川淳など。他に大杉栄、三木清、竹久夢ニ、伊藤大輔、近江俊夫などの各界の有名人が宿泊していましたが、戦火で焼失してしまいました。

大家である羽根田夫婦の経営方針はいたって大まかだったそうです。月末には、部屋代を払うどころか、借金の無心に茶の間を訪れる止宿人も多く、おうような羽根田夫人は貸し与えてしまったそうです。

共同の食堂にはいつでもお膳が置かれているうえ、新聞代や洗濯代、出前の払いまでホテルが立て替えておくという方式でした。宇野浩二はこのおおらかな経営者とルーズな止宿人達の生み出した雰囲気を「“ずぼらで混沌”とした雰囲気」と言ったそうですが、この菊富士ホテルが文豪を生み出す基盤となったのですね。


羽根田夫妻のやりかたは、経営者としては失格でしょう。でも、貧しいけれども夢を持っている芸術家たちを愛してやまなかったから、できたことだったのでしょう。このような方がおられ、菊富士ホテルの存在があって、名作や名画が生まれたのですね。
文豪と呼ばれる人たちも、当時は書いても書いても売れなくて、貧乏のどん底にいたのです。その生活を支えたのが菊富士ホテルだったのでしょうか。
このことがらの背後に主の御手を感じました。

菊坂にある小さなお店であんみつと、ところてんをいただき、心もおなかも満たされて帰宅しました。

ミニツアーを計画し色々心遣いをしてくださったYさん、お世話になりました。どうも有難うございました。

                   おわり

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