生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

減った願いごと

2015-03-23 17:20:48 | 聖書から
先週、教会での家庭集会で祈りについて教えていただきました。
祈りといえば、こうあってほしいという自分の願い事と、友人知人のことを祈ることで終わってしまいがちです。そして付け足しのように感謝の祈りをしていました。

でも、いちばんに神様をほめたたえること、次は自分の過ちを具体的に言い表すこと。その次は、感謝を言い表すこと。最後に嘆願(助けを求める)と聞いて、順番が間違っていたと思いました。

そして、主の祈りを思い出しました。
主の祈りとは、イエス様の弟子たちがイエス様にどのように祈ったらよいか尋ねたとき、教えてくださった祈りです。
           
主の祈り
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負い目お赦しください、
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン(マタイ6:9-13)


主の祈りでは、まず神様をほめたたえています。次に自分が生きるのに必要の満たしついて祈り、罪の赦しを祈ってから、願いを祈り、最後はまた主をほめたたえる言葉で終わっています。

「まず、神様をほめたたえるように」と言われましたが、どのようにして神様をほめたたえたらよいのでしょう。

旧約聖書の詩編には神様をほめたたえる言葉がたくさん書かれています。
詩編8篇、19編、23篇、46篇、95編、100篇、148篇を朗読しました。

特に心を打たれたた100篇を紹介します。

全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ、主こそ神。
主が、私たちを造られた。
私たちは主のもの、主の民、
その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、
賛美しつつ、その大庭に、はいれ。
主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深く
その恵みはとこしえまで。
その真実は代々に至る。




読みながら、神様が天と地とその中に住むものすべてを造ってくださったことを思いました。
神をほめたたえること、罪の告白、感謝、願いの順で祈りを紙に書くように言われました。
神をほめたたえることについては、次のように書きました。

わたしは、神様によって造られたのです。神様は、わたしより、わたしのことを知っておられます。わたしの細胞のひとつひとつ、髪の毛の数までご存じです。そして、愛してくださっています。
神様はわたしの心の状態や体の状態すべてをご存じです。
明日起きるできごとも、将来のこともすべてご存じで、最善をなしてくださいます。
全知全能の神様を心からほめたたえます。


神様の素晴らしさを思い、ほめたたえる祈りを書いたら、書く前は願い事ばかりだったのに、願いごとが少なくなってしまいました。


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眠っている間に

2015-03-14 20:36:55 | 日記
今日は子ども家庭集会のピクニックで霞ヶ浦ふれあいランドに行ってきました。風が冷たかったのですが、ほとんど建物の中にいたので大丈夫でした。子どもたちは外で元気にバトミントンをしていました。
震災で3年間登れなかった虹の塔が修復を終え、登れるようになっていました。

先日胃の検査を受けてきました。昨年の暮れに受けた健康診断で「タコイボ胃炎」と診断されたことと、ピロリ菌の検査をしてもらいたかったからです。
ピロリ菌がいたら簡単に除去できると聞いて、病院に電話すると、まず胃カメラを飲んでもらいますといわれました。

胃カメラにはトラウマがあって、どうも気が進みません。入院中、乳がんの手術前検査で胃カメラを飲みました。午前中に受ける予定で朝から飲まず食わずで待っていました。ところがお昼になっても呼びに来ません。緊急手術が入ってしまったとのこと。受けられたのは午後4時でした。何度も嘔吐しかけたのでひどく叱られました。胃液がたまっているのでやりにくいとも言われました。

それ以来胃カメラを飲むことに恐怖を感じて、受けていませんでした。
とても苦手だと言うと、点滴で鎮静剤を用いて眠っている間に受けるやり方がありますよと言われ、お願いしました。

眠っていても、カメラを入れられるときは気づくのではないかと心配でした。

検査の日の朝、聖書を読んでいたら次のみ言葉が目に飛び込んできました。
「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。(詩編127:2)」

『このように』というのは、『なくてはならぬもの』とメモ書きされていました。
(安心して眠っていいんだ。眠っている間に必要なことを神様が備えてくださるんだ。)
そう思って病院に出かけました。

簡単な問診と検査の説明があって、ベッドに横になりました。点滴が始まって医師が来られ、口にマウスピースのようなものを取り付けられたところまでは覚えています。そのあと、ぐっすり眠ってしまい、気づいたら別の部屋で横になっていました。

「いつから検査ですか」と看護師さんに聞くと、もう終わったというのでびっくりしました。意識のなかった時間は40分ぐらいでした。眠っている間にすべてが済んでいたのです。

「胃カメラを入れられていること、全然わかりませんでした」と言うと「よかったですね」と看護師さん。
そのあとピロリ菌検査(紙袋のようなものに息を吐くだけ)を受けて、すぐ結果が出ました。ピロリ菌はなかったそうです。



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気づかせてください

2015-03-10 16:49:18 | 教会
今日は娘が母のところに泊まりに行っています。
母は、孫と一緒に料理するのが楽しみだと言っています。母が元気でいられることを感謝しています。

今日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新日です。一度に作業すると目が非常に疲れるので、何日も前から少しずつ準備してきました。今日は、FFFTPでアップロードするだけだと思っていたら……うまくいかなくてあせりました。
いつも教えてくれる娘がいないので、2時間ぐらい試行錯誤して、さきほどようやくできました!

ここをクリックしてぜひご覧ください。
明日は3/11ですが、東日本大震災の証文章も掲載しています。

先日の礼拝メッセージで、自覚している罪を言い表せば、罪は赦されることを教えていただきました。
聖書には次のように書かれています。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪からわたしたちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)」


罪は神様が心に働きかけて指摘してくださいます。
わたしは以前、罪であるとは自覚せずにしていたことがあって、それが罪であると示されて、やめたことがありました。
どのように示されたかと言えば……はっきり声が聞こえてきたわけではありませんが、心が痛んだので、神様が『このことは、してはいけないことだよと』おっしゃっているように感じたのです。


神様に罪を気づかせていただいたら、神様にその罪を言い表すことです。そうするだけで罪が赦されるのですから、すごいことだと思います。
そのためにイエス様が十字架にかかってくださったのです。


神様から指摘されない罪については告白しようがありません。神様は悔い改めていない罪があるときは、指摘してくださいます。
「自覚できない罪については考えないこと。恐れるあまり自分を卑下しないように」と牧師先生が言われました。

かつてわたしは、気づかない罪について恐れを抱いていたことがありました。自分が知らないうちに罪を犯しているのではないかと……。それで、一歩踏み出すのをためらっていたこともありました。でも、そのような恐れを抱く必要はないのですね。


祈り
神様、どうか罪を犯したとき、それをすみやかに示して気づかせてください。気づいたらすぐに悔い改めることができるように素直で柔らかな心にしてください。




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やっと機種変更

2015-03-03 17:18:17 | 教会
7年使っていた携帯電話が壊れてきたので機種変更をしようと思いました。最初に購入するとき、息子に携帯ショップに連れて行ってもらい、息子名義で購入しました。

機種変更するには名義人でなければできないと聞いたので、名義変更するために携帯ショップに主人に連れて行ってもらいました。携帯ショップは土浦には2か所しかなく、家からどちらも車でないと行けない距離にあります。
名義人である息子に委任状を書いてもらい、息子の免許証のコピーを持って行ったのですが、書き間違えがあって受け付けてもらえず、後日書き直して持って行くと、また別の箇所の間違えを指摘されて受け付けられませんでした。それで、何と4回も行ったのですが名義変更ができなかったのです。
間違えや書き足りないところを一度に教えてくれたら2回で済んだのに……。と、悲しくなりました。
いつも穏やかでめったに怒らない主人が、「社員教育はどうなっているんだ!」と声を荒げました。怒って当然なのですが、わたしはペコペコ頭を下げて早々に店を出ました。

息子に電話して事情を話すと、その日は仕事が休みだったのですぐ来てくれました。本人が行ったので、あっけないほど簡単に名義変更できました。

そして、今日やっと機種変更できました。スマホではなく、またガラケーです。(ちょっと迷いましたが、携帯でじゅうぶんということに気づきました)
店員さんが「7年も使ったとは、すごいですね。6年なら聞いたことあるけれど7年使った人は聞いたことがありません」ですって。
さすがに7年使った携帯は愛着があって、手放す気にはなれません。液晶には筋が入り、あちこちぶつけて色が剥げている携帯。毎日手元に置いていました。よく壊れず、なくなりもせず一緒にいてくれたなあと感謝しています。
メールや画像がまだ入っているので、大事にとっておきます。


1日の礼拝では、「光の中を歩む」とはどういうことか教えていただきました。
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(Ⅰヨハネ1:7)」

光の中を歩むとは、神の前に誠実に歩むこと。また、罪を隠そうとはせず正直に神の前に告白すること。
一方闇の中を歩むとは、罪を認めず、無視すること
だそうです。

自分は光の中を歩んでいるのだろうかと不安になることがあります。それは自分の中に罪があるからです。

でも、罪があることを認め、悔い改めることにより、神様はイエス様の血によってすべての罪を赦して下さいます。
罪に気づき、認めることによってきよめていただけるのですね。

また、きよめるという言葉の本来の意味が継続的な動作を示す単語なので、きよめ続けるという意味があるそうです。

日々罪を犯しますが、日々きよめられているのです。



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