生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

児童文学の会

2006-09-28 13:00:33 | 日記

昨日は児童文学の勉強会にいってきました。M小の桜とおばあさんの童話を書き直したので合評していただきました。前回が30点ぐらいだとすると、今回は65点くらいでしょうか。テーマはしっかり伝わったようです。細かいところの直しはあるものの大幅に書きかえなくても良さそうでほっとしています。
桜の季節ではありませんが7月の末にM小まで樹齢百年の桜の木を見にいったのです。(7月27日の日記に書いています)そのかいあって木の形容はいいと言われました。でも、花が書ききれていないと……。
「見に行ったとき、花が咲いていなかったから」という言い訳は通用しません。思い出して書きなさいと言われ、普段から五官を使って様々なものをよく観察することが必要だと思いました。


茨城児童文学の会が解散し、再結成されてから2年半たちました。メンバーは、以前の半数の9名になってしまいました。3か月に1度集まっていますが、作品を提出する人は少なく、細々と続いていました。
わたしはせっかくだからと毎回作品を持っていっていましたが、2年半の間に合評されたのは、わたし以外の作品は2点だけ。皆さん素晴らしい作品を書いていた人たちですが、燃え尽き症候群のようになって「書けない」と言っておられました。この会もいつまで続くことやら……。自然消滅するのでは?……と危ぶまれていました。

ところが今回はわたし以外に2人の方が作品を持って来られ、久しぶりに活気ある合評会となりました。今後の活動を話し合うと、長編を書きたいという方が何人もおられることがわかり、これからは長編の合評をして、ゆくゆくは作品集を出しましょうという話しになり、嬉しくなりました。消えかけていた灯火が再燃焼したのです。


今日はわたしの通院日で病院に行って来ました。検査結果異常なしでほっとしています。
父が入院したので、これからまた実家に向かいます。土曜夜には戻ってくる予定です。

神なき魂の叫び

2006-09-22 18:00:19 | 日記

今日は我が家での家庭集会でした。「魂の親である神」と題しての学びをしました。日本人は、神さまのことを自分に幸福をもたらす力をもっているものとして考えている人が多い。ご利益を期待しているので、ご利益がなければ、別の神さまを拝む。神との関係は貧しいものとなっている。でも本当の神さまは、親が無条件で子を愛するように、わたしたちを愛して下さる神さまだと聞いてその通りだなあと思いました。


神さまは、ご自分が造られたわたしたちを招いておられる。だから、人はだれでも神を求めるものだと聞いたとき、父も創造主である神を求めているのだと確信しました。
レジメに書かれていたものの一部を紹介します。



「私は死にたくない」という本があります、死刑の宣告を受けたアメリカの囚人の物語です。死が一日一日と近づくのを、恐怖を持って待つ囚人の姿は、今さらのように死の恐ろしさを教えてくれます。
しかし、死刑囚だけではありません。病院にいけば「私は死にたくない」といううめきが、あちこちから聞こえます。神なき魂は死の先にある永遠の暗黒と苦痛を見て身もだえするのです。神なしで永遠を過ごすことほど恐ろしいものはありません。しかし、神と共に過ごす永遠は何にも代えがたいものです。聖書はそれを「永遠のいのち」と呼んでいます。


父は「まだ死にたくない。あと2.3年は生きたかった」と言いました。2.3年生きられたとしても「まだ死にたくない」というでしょう。父の神なき魂の叫びが聞こえてくるようです。はからずも今日、家庭集会でこのような学びをしたということは、「あきらめずにしっかり伝えなさい」と神さまから背中を押された気がしました。

明日、実家にいくことにしました。妹一家と娘も合流し、明後日は父の83歳の誕生会をしようと計画しています。(礼拝は実家近くの教会の夕拝に出席する予定)
誕生日は10/5なのですが、その時はおそらく入院しているので……。以前父は83歳だと書きましたが勘違いをしていて、こんどの誕生日で83歳になります。

み手にゆだねて

2006-09-21 16:50:06 | 日記

今朝、母から、「お父さんがホスピスに入院したいと言っている。ホスピスが空いていれば来週入院になると思う」と電話がありました。
ほっとしたと同時に、父が入院したいというのは、そうとう苦痛があるからなのだろうなあと心が痛みました。ホスピスは緩和ケアーをするところで治療するところではないと父も知っています。治療法がないのですから、死を迎えるまでいかに苦痛をなくせるかということが重要になってきます。


友人のお父さんがやはり末期癌でホスピスに入っていたそうです。
「ホスピスとは名ばかりで、夜眠れず昼夜逆転していても何の処方もしてもらえず、看病していた母が疲労で倒れてしまった。やっと眠り薬を出して貰ったら、それが強すぎて昏睡状態に陥り、そのまま亡くなってしまった。だから、よく調べて病院を選んでね」
と友人が話すのを聞いて不安になりました。調べてといっても、どうやって調べたらよいのでしょう。見学しただけではわかりませんよね。
キリスト教の病院2箇所を見学していて、どちらかになると思いますが、家族の者の精神的ケアーもして下さるところがいいなあと思っています。


わたしを含め母も妹も、自宅で看取ることが最善なのに、それができないことで罪悪感を抱いたり、これから症状がどんどん悪化して、意識障害が起きたりするのを見て動揺するかもしれません。


わたしが入院中の父にキリストを伝えたいと思っても、それができないかもしれません。でも聖書の言葉は、父の心の中に入っています。意識がない時にも神さまは最後の瞬間まで父の心に働きかけ続けて下さいますから、神さまにお任せしましよう。
わたしがどんなに頑張っても、どうしようもないことがあります。たとえ願い通りにならなくても、神さまをうらんだり、自分を責めたりしないように。「わたしの恵みは、あなたに充分である(Ⅱコリント12:9)」と言って下さる神さまを信頼していきたいと思います。

立ち返って静かにすれば……

2006-09-20 17:32:52 | 聖書から
今日は祈祷会でよい学びをしましたが、そのことはまたの機会に書くことにします。


一昨日、父が呼吸困難になり、救急車で運ばれました。幸い、酸素吸入をしただけで快復し、今日退院しました。でもレントゲンを撮ってもらうと、3か月前よりずっと進んでおり、肺は真っ白だったとか。いつ何があってもおかしくないので、ホスピスに入院させた方がいいと言われたという母からの電話にショックを受けました。


先日、わたしが泊まりがけでいったとき、父は元気だったので、もしかしたら癌の進行が止まっているのではないかと楽観的に考えていました。このままなら年を越せるかもしれないと思っていました。
11月なら大丈夫と思って、息子の結婚式の日を早くしてもらったけれど、最悪の場合、結婚式がお葬式と重なってしまう可能性も出てきました。


現在、父の具合は一時的かもしれませんが、良好で食欲もあるし息苦しくもないそうです。父は家にいたいと言っています。でも、母が疲れてしまって、すぐにでもホスピスに入院させたいと言います。妹はお父さんが可愛そうだから、酸素ボンベと電動ベッドを借り、次に容態が悪くなるまで自宅で過ごさせたいと主張し、意見が分かれています。ふたりから説得してと電話がかかってきて、わたしは板挟み状態です。


でも、介護しているのは76歳の母一人なのです。妹は近くに住んでいるので何かと手伝いに行ったり、車で病院への送り迎えをしてくれていますが、仕事を持っているので共に介護することはできません。
自宅にいたいという父の気持ちはわかるけれど、母の体がきついというのなら、ホスピスに入ってもらったほうがいいとわたしは思います。時期については、いつがいいのか……そのあたりのことがわかりません。


明後日我が家での家庭集会なので、それが終わってから実家に行くことにしました。夕べはよく眠れなかったせいか体がだるいです。

これから、現在の心境をブログで書き綴っていくことがむずかしくなってくるでしょう。そんなときは昨日のように過去の記事を掲載したり、童話を連載します。掲載するものがなくなったら、しばらくお休みするかもしれません。
今朝読んだ聖書の言葉に励まされ、慰められています。


「立ち返って、静かにすれば、
あなたがたは救われ、
落ち着いて、信頼すれば、
あなたがたは力を得る。」
(イザヤ30:15)
それゆえ主は
あなたがたに恵もうと待っておられ、
あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。
主は正義の神であるからだ。
幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。
(イザヤ30:18)


何が起きてもすべては神さまのみ手の中です。立ち返って静かにしていましょう。恵もうと待っておられ、あわれもうと立ち上がっておられるお方がいるのだから。

私は私らしく生きる

2006-09-19 12:23:44 | 過去の記事より
カラマーゾフの兄弟読書ツアー(その2)で今現在も劣等感があるということを書きました。
2年前の10月、わたしのHPのつれづれ日記(現在非公開)に劣等感についての記事がありましたので掲載させていただきます。


かつてわたしは、頭が良く何でもできる人、主婦業も仕事もこなしている人をみるとうらやましくなり、それに比べて自分は仕事もできず、何の才能もなく……とみじめな気持ちになっていました。
神さまとわたしではなくて、あの人とわたしの関係にとらわれていました。
水野源三さんの本(まばたきの天使 和田登作 日本基督教団出版局)を読んだとき、はっとしました。

水野源三さんは病気で体を動かすことができません。
しゃべることもできません。ただひとつ動かせるのは目でした。五十音表を使いまばたきで意志を伝え、お母さんが書きとめ、たくさんの詩を書かれました。
水野源三さんのところに病気で片目を失明した少年が訪れました。その少年に源三さんはまばたきでいいました。「ほかの人と比べないようにして生きていって下さい」

このことばは、源三さんが長い間考え抜いてきて出した結論でした。
人は、ひとりひとり違う個性を持っています。ダメな人間などひとりもいません。たとい障害があっても、不治の病にかかっていても、人間としての価値は変わらないのだから堂々としていればいいのです。
水野源三さんの「生きる」という詩を紹介します。


神さまの 大きな御手(みて)の中で
かたつむりは かたつむりらしく歩み
蛍草は 蛍草らしく咲き
雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
神さまの 大きな 御手の中で
私は 私らしく 生きる


源三さんがもし人と比較していたら、重い障害を持った自分がみじめになり、嘆いてばかりいたでしょう。でも、源三さんは人と比べたりせず、いつも心を神さまにまっすぐ向けていました。
だから、すばらしい詩がたくさん書けたのだろうと思います。

神さまの導き

2006-09-18 19:05:07 | 教会

昨日は教会で洗礼式が行われ、3人の方が受洗されました。わたしの通う土浦めぐみ教会では、午前中に3回の礼拝を行っています。(夜はオープン礼拝があります)

洗礼式は前回からⅢ礼拝の中で行われるようになりました。2階の礼拝堂で、1階ホールで行われている洗礼式のようすが同時中継でスクリーンに映されます。ホールで後ろの方から見るよりもずっとよく見え、音声も聞こえるので感動が伝わってきます。


洗礼を受けたIさんの証を聞いて心打たれました。壮年のIさんは病気で仕事を失い、失意の中にあるとき京都に一人旅をされたそうです。その帰り、駅の売店で買った本を車中で読んだことが教会に行くきっかけになったそうです。その本は三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」だそうです。ガラシャ夫人の信仰に感動してネットで教会を調べ、めぐみ教会を訪れたら、なんとIさんが子供の頃住んでいた家の隣にあった教会だったと言われました。(めぐみ教会は20年前に会堂を建て、引っ越しています)子供の頃、Iさんが日曜日に家で宿題をしていると、讃美歌が聞こえてきたとか。神さまの不思議な導きに驚きました。


また、クリスチャン作家の三浦綾子氏が祈りをもって書かれた本が駅の売店で売られていたこと。その本をIさんが買い求め、心を動かされたこと。ひとつひとつに神さまのみ手の働きを感じます。同時に文書伝道の大切さも感じました。
礼拝では再び子供たちを悪から遠ざけ、よいもの与えていくことの必要性が語られ、午後のCS教師会ではそのことについて熱く語り合いました。(家に帰ったら4時半で、疲れてふらふらでした)


今日は、息子の結婚が決まったので、お相手のご両親と主人と6人で式場を見学にいきました。結婚はずっと先のことだと思っていたのに、11月には花婿の母となります。お相手のT子さんは息子にはもったいないほど素敵で気だてのいいお嬢さんなので嬉しく思っています。T子さんが息子のお嫁さんになるのも神さまの導きですね。まだ若い2人なので色々心配なことがありますが、母親は祈るだけしかできません。これから何かとあわただしくなりそうです。

カラマーゾフの兄弟読破ツアー(その2)

2006-09-16 13:36:43 | 日記

「カラマの読み方は文香式が適切でしょうね」

と旅日記でツアー・コンダクターにコメントをいただき、大変うれしく思いました。このツアーに参加されている方々はそうそうたる人たちなので、引け目を感じています。わたしは内心文学に対して劣等感を抱いているのかもしれません。感想を書くのにも的はずれなことを書いてしまうのではないかと恐れている小心者です。

一昨日書いた旅日記の一部です。わたしがなぜ劣等感を抱いているかというと、文章を書く人は、かつて文学少年、文学少女だった方が多く、子供の頃から実によく本を読まれています。ところがわたしは小学生の頃、本が嫌いでほとんど読書をしませんでした。
読書感想文を書く宿題が出て、しかたなしに本を借りたのですが、なんと読まずに題名だけ見て物語りを想像し、自分の考えたお話に対する感想文を書いてしまったのです。(詳しくはエッセイ2/7「書くこととわたし(その1)」に)
読むとしたら漫画で、4年生のときは、漫画を描いていました。テレビアニメも好きで、アニメの続きを想像して楽しみ、およそ文学的とはいえませんでした。

国語の成績は悪く、特に文章問題は、考えすぎて答えをかくため、◯をもらうことは少なかったのです。作文も大の苦手で、作文の宿題が出るといつも母親に半分ぐらい書いてもらっていました。


本を読むようになったのは中学生になってからです。空想の世界に逃避していたわたしが、空想の世界を書き留めたとき、突然書くことに目覚め、将来作家になりたいと思いました。作家になるにはたくさん本を読んでないといけないと思い、猛烈な勢いで手当たり次第に本を読みました。でもそれは作家になるためにという理由でしたので、読書の楽しみを味わうことはありませんでした。


 子供のころ読んだ本は数少ないのですが、 読んだ本の中で心に残った本は、その後のわたしを変えるほど大きな影響力がありました。
「フランダースの犬」
これは、読み終わったあと1時間近くも泣いていました。「ライオンと魔女」これはとても不思議な物語だと思い惹きつけられました。(そのときはアスランがイエスキリストを示していることに気づきませんでしたが)
そして新美南吉の「ごんぎつね」これは、中学生の時、小学生だった妹の教科書を読んで声を上げて泣きました。わたしが小学生のときは教科書に載っていませんでした。(今、小学校の教科書に載っているのですね。嬉しくなりました)


それ以来南吉の大ファンになり、就職してから絶版となっている全集を丸善で買い求めたほどです。(全巻は揃っていませんでしたが、日記なども収録されていて、貴重なものだったのに……結婚するときあとで取りに来ようと実家に置いていたら、古本として処分されてしまいました)
わたしが、童話を書くようになったのは新美南吉の影響です。


あらま、カラマから話題がそれてしまいました。
昔文学少女でないからダメなのだという思いを捨てましょう。ずうっと空想が好きだったから、いまファンタジーが書けるのです。文学的なものにならなくても気にするのはやめましょう。いまでも本よりアニメが大好きなわたしの夢は、アニメーション映画の原作を書いて福音を伝えることなのです。



カラマーゾフの兄弟読破ツアー(その1)

2006-09-15 13:23:56 | 日記

最近、パソコンに向かっている時間が伸びてきて、読書時間が少なくなっていました。以前は夜9時にはPCを閉じていたのにだんだんおそくなり、10時に閉じてそれから本を読もうとすると、2.3行読んだだけで眠りの世界に引き込まれ、主人が帰ってきてドアを開ける音ではっと目覚める日が続いていました。読書の時間を積極的に作らなければならないと思っていた矢先、親しくさせていただいているM姉がブログで「カラマーゾフの兄弟読破ツアー」の参加を募集されました。

ツアーといってもどこかへ出かけるわけではありません。「カラマーゾフの兄弟」を読んで旅日記に感想など書き、メールに添付して回覧するのです。最初は4.5人だったのに9人に増えました。半数以上はクリスチャンペンクラブのメンバーです。


この本は以前読みかけて、カタカナの名前に辟易して途中で挫折していました。何人かで読めば読破できるのではないかと考えて参加することにすることにしました。
さっそく岩波文庫のカラマーゾフの兄弟(ドストエーフスキイ・米川正夫訳)を買い求め、読み始めましたが、間もなく挫折しそうになりました。


まず、M姉がゆっくり読んで1ページ1分と言われたのですが測ってみるとわたしは2分から3分かかります。別に1分で読まなければいけないという決まりがあるわけではありませんが、こんなペースだったら読破できないかもしれないとあせり、
時計を気にしながら1ページ1分を目標にして読み進めました。100ページほど読んで疲れてしまいました。内容もつかめません。時間を気にするのをやめて読むと、自分の本を読むときの癖に気づきました。(なぜ読むのが遅いのかということもわかったのです)
意味の解らない単語や、気になる言葉があると、そこでじっと立ち止まります。いいなあと思う表現があると、繰り返しつぶやいて覚えようとします。(すぐ忘れてしまいますが……)久しぶり登場した人物がいると、数ページもどってその人物が前に出てきたところを読み返したりします。そういうことをいままで無意識にやっていたのですが、そういう読み方が自分にあっていることに気付きました。
友人が『人それぞれの読み方でいいのです。速度も全て何もかもです』といってくれたので、ゆっくりとマイペースで読んでいきたいと思います。
と旅日記No4に書きました。

ツアーが出発してから今日でちょうど1か月になりました。

ネットコースの学び

2006-09-14 13:17:12 | お茶の水聖書学院

お茶の水聖書学院(ブックマークにいれています)でネットコースの学びを始めて7か月たちました。旧約聖書概観(上)を13枚のDVDから学びましたが、目からうろこが落ちる気がしました。最初に旧約聖書の学びがしたいと思ったのは、読んでも意味の解らないことが多かったからです。また、以前牧師先生が「旧約聖書を読むことによってイエスキリストがはっきりしてくる」と言われたことが心に留まっていたので、旧約聖書の学びを本格的にしたいと思っていたのです。
果たしてそのとおりでした。創世記からエステル記までですが、キリストの救いの雛型が随所に書かれていることに気づかされて、はっとさせられました。


ネットコースなので、出向いて行って講義を聴くのではなく、自宅で好きな時間に学べるのだから楽だろうと思いました。課題提出や試験もパソコンから送れるので楽勝などと考えていたのは甘かったです。聴講コースなので単位は取れませんが、期限もなく縛られることはないのですが、半年で終えようと決めていました。1週間で1枚のDVDを見れば、リポートに時間がかかっても半年で終わるだろうと思っていました。1枚のDVDには90分の講義1回分が入っています。それを2日に分けて聴きました。すぐ忘れるので、メモをとりながら……。


今週は忙しいのでお休みにしようと後回しにしてしまうこともありました。リポート提出は3回あったのですが、2.3日でできるような課題ではありません。1回目は1週間かかり、2回目、3回目は1か月かかって仕上げました。2回目の課題は「ダビデの生涯を物語り風に書きなさい」というものでした。以前からダビデの物語を書きたいと思っていたので、嬉しくてそれがリポートだということも忘れ、夢中で書いたら原稿用紙147枚にもなってしまいました。それをリポート形式にすると43枚。講師の先生が読むのに大変だろうなあと思いつつ提出。A評価をいただきましたが、「この次は5-10枚までと短くなさってください」とのコメントをいただき、申し訳なかったなあと反省しています。おかげでサムエル記はしっかり頭に入りました。


最後の試験リポートは勘違いしていたことがあって、再提出になってしまいました。書き直し、再提出してようやく合格し、予定より1か月遅れで今日クリアーしました。バンザーイ!!
次は「旧約聖書の思想と概説」。もうDVDが届いています。祈りつつ始めたいと思います。


心の風船について

2006-09-07 12:19:24 | 童話

「幸福かどうかはその人の考え方次第で変わる」


今日(9/7)のデイリーブレッド(RBCミニストリーズ)に書かれていた言葉です。
童話「心の風船」の連載が終わり、あとがきを書こうと思っていたとき、この言葉を読んで驚きました。この童話のテーマだからです。


嬉しいことがあると心の喜びの風船はふくらみ、悲しいことがあると、喜びの風船がしぼんで、悲しみの風船がふくらんでしまう松吉さん。わたし自身もそうで、まわりの状況に左右されて喜んだり、悲しんだり……。
聖書には「いつも喜んでいなさい(Ⅰテサロニケ5:16)」と書かれていますが、いつもなんて、とうてい無理と思ってしまいます。


でも、喜ぶというのは主にあって喜ぶということなのです。キリストがわたしの罪を赦すために十字架にかかって死んで下さったことの喜びに心が満たされていれば、どんなにつらく悲しい出来事が起きても悲しみに押しつぶされてしまうことはなく、喜びの風船がぺしゃんこになることはないのです。正吾さんは、喜びの風船が大きかったので、自分の状況を嘆かず喜んでいられたのです。


松吉さんが…いや、読者が、……わたし自身が、どのような状況に置かれても、喜ぶことができたらいいなあという願いをこめて書きました。
心の風船が、破裂したり、ぺしゃんこにならないように願います。どんな出来事が起きても、その背後に神さまがおられ、すべてを良きこととしてくださると確信します。


心の……という題が多いことに気づき、「心の風船」の題名を変えようと思いましたが、シニアタイムにこの題名で連載されたので変更しませんでした。別なふさわしい題名を思いつかれたかたは、お知らせ下さい。
今日、これから武蔵野の実家にいきます。母が3日間出かけるので、父と過ごします。またしばらく更新できませんがよろしく。

心の風船(4)

2006-09-07 11:43:46 | 童話
  
 松吉さんが入院して1週間たちました。た嫁の秋子さんは毎日4時ぴったりにやってきます。7時には息子の大輔さんが会社の帰りにきます。土曜日には孫の和也、日曜には慎也が顔をみせます。
病院の先生も看護師さんも、みんなよくしてくれるのに松吉さんの心は沈んでいます。自分の体が動けないことがもどかしく、腹がたって自分を押さえられなくなります。

「このまんまずっと入院してたらええと思っとるんやろ」
きょうは大輔さんにどなってしまいました。
わざわざ見舞いにきてくれたのに……と自分のしたことに嫌気がさしてきます。
それでも、次の日になると今度は秋子さんにまで「毎日見舞いに来られても迷惑や」と、心にもないことをいってしまいました。秋子さんは驚いて早々に帰っていきました。

ひとりになると、今までの人生が思い出されます。貧しかった幼少時代。つらい奉公。海軍兵として戦地に行き、シベリアで捕虜生活。戦後の苦難を経てようやく安泰に暮らしていたら阪神大震災。家を失い仮設住宅暮らし。妻の病気と死……。つらいことばかりでした。

 窓の外をみると恐竜の形の雲が浮かんでいます。松吉さんは、つとむのことを思い出しました。
(つとむくんが見舞いに来てくれたらいいのになあ……いや、来るわけないな。子供のことだ、わしのことなどもう忘れたやろな)
松吉さんの悲しみの風船は、破裂しそうです。

「ありがとよ。ありがとよ」
隣のベッドの正吾さんの声が聞こえてきました。正吾さんはリュウマチで足が不自由です。見舞いにくる人もなく、1週間に1度娘さんが洗濯物を取りにくるだけです。
「お父さん、毎日着替えないで下さいね。洗濯物が増えて大変なんだから」
 娘さんの声が聞こえてきます。
「わかったよ。すまんなあ」
 娘さんは、そっけなく帰ってしまいました。

 松吉さんは、正吾さんがいちども怒ったり愚痴をいったりしないのを不思議に思いました。もし自分が娘にあんなふうにいわれたら、どなりつけてやるのに……。
「あんなこといわれて、つらくないんか?」
 松吉さんは正吾さんに聞いてみました。
「きてくれるだけありがたいと思っているよ。つらいなんて思ったことがないなあ……」
 正吾さんは穏やかにほほえみました。

「なんでそないに穏やかでいはるんや?」
「わしの心に喜びの風船があるからだよ。悲しみや怒りの風船も前にはあったけど、喜びの風船が大きくなってきて、ほかの風船がふくらむすきまがなくなったみたいなんだ」
(喜びの風船……。どないしたら喜びの風船がふくらむのやろか?)
 
そのとき病室のドアがあいて、かわいい声が聞こえてきました。
「こんにちは、おじいさん」
 つとむがお母さんとやってきたのです。
「ぼく、ずっと風邪ひいてたの。もっと早くお見舞いに来たかったんだけど……」
つとむは松吉さんの手に折り紙をのせました。何度も折り目がついてくしゃくしゃになっていましたが恐竜の形をしていました。
「これ、サンチュゴサウルスだよ」
「ありがとう、つとむくん」
 松吉さんの心の中に喜びの風船がふくらみはじめていました。
             
               おわり

心の風船(3)

2006-09-06 16:29:48 | 童話
 

 80歳の松吉さんと6歳のつとむは、庭で並んで穴掘りをしています。 
  
  トリケラトプス プテラノドン
  ステゴザウルス ティラノザウルス
  化石、化石、恐竜の化石、出ておいで
 
 つとむがでたらめな節をつけて歌をうたいました。
  
  アパトサウルス プトロケラトプス
  サンチュゴサウルス イグアノドン
 
 松吉さんも歌いだしました。

「おじいさん、サンチュゴサウルスってどんな恐竜?」
 つとむがたずねました。
「サンチュゴサウルスは、カモノハシ竜の仲間で1964年に中国の山東省で発見されたんや。体の長さが15メートル、重さは2.5トンもあるんやで」
 松吉さんは昨日図書館で借りた恐竜の本に書いてあったことを得意気に話しました。

「カモノハシ竜の仲間っていうことは、草を食べるの?」
「そうや。1日に数100キロも食べんやて」
「数百キロ?」
「自動車1台分や」
「ひょぇーっ!」
つとむは、しりもちをつきました。

「サンチュゴサウルスは、何匹もいたんでしょ。そんなにたくさんの食べ物があったの?」
「そのころ山東省にはそてつ、しゅろ、わらびなどの植物がたくさん生えておったから、食べ物はじゅうぶんあったんや。でも、サンチュゴサウルスには敵がおったんや」
「もしかして、ティラノザウルス?」
「そうや。よぉわかったなあ。ティラノザウルスの骨も一緒に発見されたんや」

 ふたりが夢中で話していると、5時のチャイムが聞こえてきました。
「あっ、ぼく帰らなくちゃ。宿題があるから5時には帰ってきなさいっていわれてるんだ。それじゃ、また明日」
「また明日」
松吉さんは、つとむの後ろ姿にむかって手をふりました。
(明日はつとむくんにどんな話をしよう)
松吉さんはわくわくして床につきました。

 明け方のことです。松吉さんがトイレにいこうと廊下を歩いていました。考えごとをししていて、束ねた古新聞につまずいてころび、腰を打ってしまいました。腰はじんじんとしびれ、立ち上がろうとしても動くことさえできません。
物音を聞きつけて息子の大輔さんとお嫁さんの秋子さんがかけつけました。

「お父さん、大丈夫ですか?」
松吉さんはうめき声を上げただけで何もいえません。すぐに病院に運ばれました。
「おやじ、大腿骨骨折だって」
大輔さんにいわれ、松吉さんはがっかりしました。
「しばらく安静にしていれば、必ず治るから気を落とさないで下さいね」
 秋子さんがやさしくいいましたが、松吉さんは、つとむくんと穴掘りができなくなることを思って、残念でなりません。松吉さんの心にある悲しみの風船がどんどんふくらんでいきました。
                 つづく

心の風船(2)

2006-09-05 10:40:03 | 童話

松吉さんは、図書館に出かけました。つとむに恐竜の話しをするためです。
小学1年生にもわかるように話すのは案外むずかしいものです。松吉さんは子供向きの恐竜の本を数冊借りて帰りました。
部屋の窓から隣のつとむの家の玄関が見えます。今日、学校から帰ったらきてくれるというので、松吉さんは、つとむの帰りを待ちわびていました。

つとむはいつも3時には帰るのに、今日はなかなか帰ってきません。5時になって西の空が茜色に染まっても、つとむの足音が聞こえません。
6時ごろ子どもの泣き声が聞こえてきました。みると、つとむが泣きながらお母さんと帰ってきました。お母さんが家に入っても、つとむは家の前で泣き続けています。

松吉さんは急いで外に出ていきました。
「どないしたんや。つとむくん」
「あのね。学校の帰りに公園に寄ってきのうの穴のぞいたの……」
つとむは、しゃくりあげながら話します。
「穴の中に白い物が見えたから恐竜の骨だと思って掘ってたんだ……発砲スチロールだったんだけど……けんたくんがきて、恐竜の骨なんかこんなところにあるわけないってバカにして笑ったんだ……」
 つとむくんの目から涙があふれてきました。

「そないなこと、気にするな」
 松吉さんがいうと、
「バカにされたから泣いてるんじゃないよ」
と、つとむはほっぺたをふくらませました。
「けんたくんとけんかになったんだ。それでぼくが押したら、けんたくんの足が穴に落ちて、けがしちゃったんだよ。急いでけんたくんのお母さんに知らせて病院にいったら、ねんざだって……。ぼくのせいだ」
 つとむはうつむいていいました。

「それはえらいことやったなあ。それでけんたくんにあやまったんか?」
「けんたくんのお母さんにあやまったら、ひどくしかられちゃった……けんたくんだって少しは悪いのに……それからお母さんにもう穴掘りはだめだっていわれちゃったんだよ」
そういうと、つとむは声を上げて泣き出しました。松吉さんは、なんていってなぐさめたらいいかわからず、しばらくつとむの背中をなでていました。
風がふいて、松吉さんの庭の柿の木がさわさわとゆれました。

「そや、わしの家の庭を掘ってみたらどないや。お母さんもきっとええよていってくれるで」
 松吉さんがいうと、つとむは目をかがやかせました。
「おじいさんの家の庭、掘っていいの? お母さんにきいてくる」
 つとむは家の中にかけこみ、すぐに息を切らせてもどってきました。
「掘った後、ちゃんと埋めればいいって! じゃあ、明日いっしょに掘ろうね」
 つとむはにこっと笑いました。松吉さんがうなずくとつとむは空を見上げて叫びました。
「あっ、アパトサウルスだ」
首の長い恐竜の形をした夕焼け雲が浮かんでいました。
             つづく

心の風船(1)

2006-09-04 11:20:20 | 童話

2004年秋に介護情報誌シニアタイムに連載(4回)された童話を公開します。
シニアタイムには介護保険のしくみがわかりやすく解説されており、首都圏の老人ホームや施設の紹介、介護体験記など充実した内容です。現在5号まで出版されており、次号は2007年4月発行です。HPをブックマークに入れましたのでぜひご覧下さい。


               心の風船

土曜日の昼下がり。松吉(まつきち)さんはいつものように散歩に出かけました。道路にはゴミが散らばり、空気は車の排気ガスでよどんでいます。公園の池のところまでくると、松吉さんは、はあーっと深いため息をつきました。
 半年前に奥さんを亡くした松吉さんは、住み慣れた神戸を離れ、都内の息子夫婦の家で暮らすようになりました。
 嫁の秋子さんは、近所のスーパーで働いています。毎朝八時半からでかけ、夕方まで帰ってきません。孫は高校生と中学生の男の子。兄はアルバイトで忙しく、弟は受験生で毎日塾へ通っています。ふたりとも帰りが遅く、早寝の松吉さんとは話をする間もありません。
 
松吉さんは、自分が誰からも必要とされてないと感じます。心に悲しみの詰まった風船が毎日少しずつふくらんでいくようでした。
松吉さんがベンチに腰をおろすと、がりがりと音が聞こえてきました。みると、小学一年生くらいの男の子がスコップで一生懸命掘っています。ベンチの横にもぐらが出てきそうな穴があいていました。

「ぼうや、何を掘っとるんや?」
 声をかけると、男の子はびくっとして松吉さんを見上げました。よくみると、となりの家のつとむくんです。
「あれ、おとなりのおじいさん。こんなところ掘ってごめんなさい」
 つとむは頭を下げました。
「あやまることないで。宝物でも埋まっとるんか?」
松吉さんは、にこにこしてたずねました。
「恐竜の化石を探しているんだ」
 つとむは、ほっとしたようすで答えました。
「でも、石があってこれ以上掘れないんだ」

 つとむはスコップを穴の中に入れ、がりがりとやっています。穴をのぞくと、大きな石が穴の底にあるのがみえました。
「別の場所を掘ってみたらどないや」
「だめだよ。この下にトリケラトプスの骨が埋まってるんだから」
「そうか…。ほな、石を掘り出してやろう」
「えっ、ほんと? うれしいな」
 つとむは目をきらきらさせて松吉さんにスコップを渡しました。松吉さんは穴を大きく広げました。石のまわりをぐるっと掘って石をつかむと、石はぐらぐら動きました。

「石を持ち上げてみるんや」
 つとむが石をつかむと、簡単に持ち上がりました。
「やったー。ありがとう、おじいさん」
 つとむは石を両手でかかえて嬉しそうに笑うと、こんどは手で掘りはじめました。
「わしも手伝おうか」
 松吉さんは腕まくりをして穴に手をつっこみました。なんだかわくわくしてきます。
「つとむくんは、恐竜が好きなのか?」
 松吉さんがたずねると、つとむはこくんと頭を下げました。
「わしも恐竜、えらい好きでなあ……」

 松吉さんは子供のころ恐竜が大好きで、恐竜の絵本をぼろぼろになるまで見ていたことを思い出しました。
「へえっ! おじいさんは何が好き?ぼくは、トリケラトプスとティラノザウルス」
「わしは、体の大きいアパトサウルス」
「アパトサウルス! ぼくも好きだよ」
と、つとむがいったとき、お母さんがやってきました。
「ピアノ教室の時間よ、早く帰ってきなさい」
 つとむはがっかりした顔で立ち上がると、
「おじいさん、また一緒に掘ろうね」
といって手をふりながら帰っていきました。
     つづく


危険にさらされている子供たち(その2)

2006-09-02 09:38:17 | CS(子供伝道)

テレビゲームが人の脳に与える影響について科学的な研究がなされていますが、まだ明らかになっていません。でも、テレビゲームやテレビ、ビデオ、DVD、ネットなどが人間に与える影響は大きいことは確かです。


子供の異常な事件をテレビゲームと結びつけると、息子や娘は怒ります。以前、教会学校の教師会で子供が教会にゲームを持ってくることの可否についての話し合いをしたとき、わたしを含めて年配の教師は、ゲームはよくないという意見でしたが、若い教師たちは、なぜゲームがいけないのかわからないと言いました。息子と同じ世代の若者は、ゲームのない世界は考えられないといった感じです。


ゲームでなくても残酷なシーンを繰り返し見ると、残酷とは感じなくなってきます。ホラー映画も見続けていると何ともなくなります。それは、人の正常な感覚が麻痺してきた証拠です。人を殺す場面を見続けると、殺すことに対する抵抗が少なくなります。殺しても、ゲームではリセットボタンを押せば何度でも生き返り、テレビや映画では殺されたはずの人がピンピンして別の番組に出ているので、現実もそうではないかと思ってしまいます。


大人の感覚で、子供がどんなものを見たりどんなゲームをしたとしても、現実と違うことくらいわかるはずだと思ってしまうと危険です。2.3歳の子供が童話の世界と現実がごちゃごちゃになって、「妖精に会ったよ」とか「空を飛んだんだよ」と言ったりすることがありますが、それと同じで、高校生でも現実と仮想世界の区別がつかなくなってしまう場合があると思うのです。


だからといって、テレビゲームやすべてのメディアから子供を切り離すことは不可能に近いでことでしょう。このような恐ろしい環境の中にいる子供たちを守るには、有害なもの、悪影響を与えると思うものからできるだけ遠ざけ、良いもの、心を豊かにするもの、美しいものを与えることです。良いもので心を満たしていれば、悪いものは入ってこないと聞きました。


そして大切なことは、神からの規範を教えることです。
神さまは、人間を倫理的な存在として造られました。神さまから造られた者として自分を大事にすること。また、他者も大切な存在として造られていることを知らせることが、わたしたち大人の役目ではないかと思います。


若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22:6)

                   おわり

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