またまたご無沙汰してしまいました。まとまった時間が持てなくてなかなか書けません。
母はだいぶ元気になりました。食欲も出てきて色々なものが食べたいと言うようになりました。この間は、餃子が食べたいと言ったので、一緒に作って食べました。母が油で焼いたものを食べたのは3か月ぶりぐらいです。
歩く足どりも軽く、手術前の元気な時のようにスタスタ歩けるようになりました。
お祈りしてくださったみなさま、ありがとうございます。
まだ飲み薬による抗がん剤治療が続いています。抗がん剤治療をしているときは、免疫力が低下します。ウイルスに感染しやすくなるので、気をつけなくてはなりません。毎週訪れているわたしは絶対風邪をひけません。
わたしは抗がん剤治療を受けているとき、白血球の値が下がって肺炎になってしまいました。
母はだいじょうぶだろうか……喉が弱いわたしは風邪をひかずに乗り切れるのだろうか。……(例年だと、この季節、月に2回ぐらい風邪をひいているのです。)と、考え始めると不安になり、恐れに取り囲まれてしまいます。
そんなとき、礼拝メッセージで「恐れないで、ただ信じていなさい」という聖書の言葉が語られました。
先月24日のブログにこの聖書の言葉を書いたばかりだったので、はっとしました。
今のわたしに最も必要な言葉なのだと思います。
「わたしたちは、恐れと信仰のはざまを行ったり来たりしている。」
と聞いて、本当にそうだなあと思いました。『母のことも妹やわたしのこともすべて神様におまかせします』と祈って平安を与えられていたのに、また恐れが出てくるのです。
「イエス様は信仰のはざまに立っていてくださる。」と、K先生が言われました。
会堂管理者のヤイロは、娘が死にかけていたのでイエス様のところへ必死の思いで行き、癒しを願いました。
イエス様がヤイロのところへ行く途中で長血を患った女性が、病を癒してもらいたくてイエスの衣にそっとさわりました。
彼女は身体的痛みと、精神的苦しさ、社会的に阻害されていたこと、汚れた者とされていたことで神の前に出られないという4重の苦しみを負っていました。
女性はイエス様の衣にひそかにさわって、癒され、ひそかに帰りたいと思っていました。
イエス様は女性の苦しみを知っておられました。
あえて彼女が癒されたことを多くの人の前で証言させました。そして、「あなたの信仰があなたを治した」と声をかけました。
声をかけることによって、彼女のこれからの生活が変えられるためです。
救いとは、関係の破綻からの回復なのだそうです。
女性のことを癒しているうちにヤイロの家から人が来て、「あなたのお嬢さんはなくなりました」と言いました。
ヤイロは絶望しました。死んでしまえばいくらイエス様でもどうすることもできないと思ったからです。ヤイロの信仰はその程度でした。
しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様はヤイロの娘の手を取って起き上がらせてくださいました。
ヤイロの信仰は、いのちそのものの主、イエスの信仰へと変わっていきます。
イエス様は、会堂管理者という身分の高いヤイロにも、長血を患った名もなき女性にも同じようにかかわってくださいました。絶望的なふたりの間に身を置いてくださいました。
ふたりともイエス様を求め、イエス様に近づいて行ったからです。
恐れがあってもいいのですね。
恐れと信仰のはざまに立たれ、励ましてくださるイエス様にもっと近づいていきたいです。
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母はだいぶ元気になりました。食欲も出てきて色々なものが食べたいと言うようになりました。この間は、餃子が食べたいと言ったので、一緒に作って食べました。母が油で焼いたものを食べたのは3か月ぶりぐらいです。
歩く足どりも軽く、手術前の元気な時のようにスタスタ歩けるようになりました。
お祈りしてくださったみなさま、ありがとうございます。
まだ飲み薬による抗がん剤治療が続いています。抗がん剤治療をしているときは、免疫力が低下します。ウイルスに感染しやすくなるので、気をつけなくてはなりません。毎週訪れているわたしは絶対風邪をひけません。
わたしは抗がん剤治療を受けているとき、白血球の値が下がって肺炎になってしまいました。
母はだいじょうぶだろうか……喉が弱いわたしは風邪をひかずに乗り切れるのだろうか。……(例年だと、この季節、月に2回ぐらい風邪をひいているのです。)と、考え始めると不安になり、恐れに取り囲まれてしまいます。
そんなとき、礼拝メッセージで「恐れないで、ただ信じていなさい」という聖書の言葉が語られました。
先月24日のブログにこの聖書の言葉を書いたばかりだったので、はっとしました。
今のわたしに最も必要な言葉なのだと思います。
「わたしたちは、恐れと信仰のはざまを行ったり来たりしている。」
と聞いて、本当にそうだなあと思いました。『母のことも妹やわたしのこともすべて神様におまかせします』と祈って平安を与えられていたのに、また恐れが出てくるのです。
「イエス様は信仰のはざまに立っていてくださる。」と、K先生が言われました。
会堂管理者のヤイロは、娘が死にかけていたのでイエス様のところへ必死の思いで行き、癒しを願いました。
イエス様がヤイロのところへ行く途中で長血を患った女性が、病を癒してもらいたくてイエスの衣にそっとさわりました。
彼女は身体的痛みと、精神的苦しさ、社会的に阻害されていたこと、汚れた者とされていたことで神の前に出られないという4重の苦しみを負っていました。
女性はイエス様の衣にひそかにさわって、癒され、ひそかに帰りたいと思っていました。
イエス様は女性の苦しみを知っておられました。
あえて彼女が癒されたことを多くの人の前で証言させました。そして、「あなたの信仰があなたを治した」と声をかけました。
声をかけることによって、彼女のこれからの生活が変えられるためです。
救いとは、関係の破綻からの回復なのだそうです。
女性のことを癒しているうちにヤイロの家から人が来て、「あなたのお嬢さんはなくなりました」と言いました。
ヤイロは絶望しました。死んでしまえばいくらイエス様でもどうすることもできないと思ったからです。ヤイロの信仰はその程度でした。
しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様はヤイロの娘の手を取って起き上がらせてくださいました。
ヤイロの信仰は、いのちそのものの主、イエスの信仰へと変わっていきます。
イエス様は、会堂管理者という身分の高いヤイロにも、長血を患った名もなき女性にも同じようにかかわってくださいました。絶望的なふたりの間に身を置いてくださいました。
ふたりともイエス様を求め、イエス様に近づいて行ったからです。
恐れがあってもいいのですね。
恐れと信仰のはざまに立たれ、励ましてくださるイエス様にもっと近づいていきたいです。
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