生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

なぜ災害が起きるのでしょう

2018-09-21 16:38:55 | 聖書から
ごぶさたしています。
昨日の家庭集会で感じたことを書かせていただきます。

この夏は災害が続いて、まだ苦しみの中にある人たちが大勢おられます。なぜこのような災害が起きるのかと、問いただしたい気持ちになることでしょう。

旧約聖書の出エジプト記にはモーセがイスラエルの民を率いて荒野を旅するようすが書かれています。エジプトを出発してカナンの地に行くのです。まっすぐ行けば2-3か月で行けるそうですが、回り道をしたため40年もかかって到着しました。

回り道をさせられた理由はわからないのですが、イスラエルの民は、神様に導かれて苦難のある荒野を旅したのです。神様の側からみると、あえて民に苦難の旅をさせたということです。なぜでしょう。

水野源蔵さんの詩に「苦しまなかったら」という詩があります。

もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった。


水野源蔵さんは子どものころ赤痢に罹って、命は助かりましたが、体が動かせなくなってしまいました。
まばたきで意思を伝えることしかできませんでしたが、たくさんの詩を作って、多くの人に感動と生きる力を与えました。

源蔵さんは、自分の病気を嘆くのではなく、苦しみにあったので神の愛を知ることができたと書いています。

詩篇には「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」と書かれています。

わたしの場合は、苦難の真っ最中にいるときは、神様がなぜわたしを苦しい目にあわせるのかわかりませんでした。でも、過ぎ去ってみると、心から「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」と言うことができます。真っ最中にいるときにもそのように言えれば本物の信仰者です。水野源蔵さんのように。

また、出エジプト記19:5には「わたしの宝となる」と書かれています。
その言葉に感激しました。神様は何のとりえもないわたしを宝と言ってくださるのです。神様はわたしのことを造り、苦しみも与えてくださいましたが、多くの喜び、恵みを与えてくださいました。そして『お前はわたしの宝だよ』と言ってくださっています。なんとうれしいことでしょう!

最後になぜ災害が起きるのかについて。
なぜ災害が起きるのかわかりませんが、確かなことがあります。それはイエス様が災害にあわれた方のそばにおられるこということです。災害にあわなくても悲しみの中にいる人の傍らにイエス様がおられるのです。


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相手を変えようと思うのは……

2018-09-11 16:13:20 | ティーンズ
学生時代の友人のひとりが書いて送ってくれたハガキです。グリムというのは、わたしのニックネームです。
先月長野へ学生時代の友人9人で長野県へ旅行に出かけました。
旅行の後、ブログに旅行記を書きましたが、それを少し書き換えて、行けなかったひとりも含めて9人に便りを送りました。このハガキはそのお返事としてS子から送られてきたものです。おもて面には「グリムの生き方は素敵です」と書かれていました。うれしくて、S子の許可を得てからアップしました。

一昨日のTEENS礼拝は結婚についてのメッセージの第2弾。前の週に語ってくれたYさんの奥さんがメッセージしてくださいました。
その中で印象に残ったことを紹介します。

夫婦はお互い価値観が違うので、宇宙人のように全然理解できない者です。相手を変えようとしてはいけません。誰かを変えようとするのは、愛のない行為です。相手を受け入れて、自分を変える努力をしてくださいというメッセージでした。夫婦円満の秘訣ですね。

ニーバーの詩が紹介されました。

祈り

変えることのできないものに対しては、

それを受け入れるだけの冷静さを、

変えることのできるものに対しては、

それを変えるだけの勇気を、

そして、変えることのできないものと、

変えることのできるものとを見分ける知恵をわたしに与えて下さい


(この詩は、以前このブログで紹介しました)

日曜日の午後は、教会でH先生の歓迎会がありました。また、以前伝道師として教会におられたM先生と5年ぶりぐらいにお会いできて楽しい時間を過ごしました。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。わたしのエッセイが掲載されています。



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誓うとは?

2018-09-03 16:42:17 | ティーンズ
9月に入った途端涼しくなって、ほっとしています。

男性が結婚の申し込みに相手の家に行くとき、「娘さんを幸せにすると誓います」と言う人が多いと思います。

でも、人が人を幸せにできるでしょうか。もちろん、その言葉は嘘偽りがなく、誠実な気持ちで言うのですが……。

結婚してから思わぬ出来事、たとえばどちらかが病気になる。会社が倒産して収入がなくなる。災害にあって財産、家を失うなど……その人の責任ではありませんが、妻を幸せにするという誓いが果たせないことがあります。

結婚式のとき、キリスト教では司式をされる牧師先生が『……その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの妻(夫)に対して、堅く節操を守ることを約束しますか』
と、夫になる人と妻になる人、それぞれに尋ねます。牧師先生の言葉に続いて『はい。約束します』と答え、誓約が成立します。

ところが教会で結婚式を行う予定のふたりが、結婚カウンセリングを受けたとき、男性の方が「結婚の誓約はできない」と言ったそうです。
牧師先生は頭を抱え、女性は泣き出してしまったそうです。

この話を聞いて、彼がいかに誠実であるかわかりました。男性は、100%確信できないと誓えないと言いました。誓約を単なる儀式として考えるのではなく、神に対しての誓いなので、簡単に誓えないと思ったのでしょう。
誓うということに対して真剣に考えれば考える程、簡単には誓えなくなってしまいます。

先輩に「確かな思いじゃなくても、そう信じる心が大切」と言われたこと。また、彼女は確信できると言っているので、それにかけてみようと思って誓約する気持ちに変えられたそうです。

結婚しても最初は相手のことがよくわかっていません。生まれ育った家庭環境、考え方、感性などことごとく違っています。違って当たり前なのです。
結婚と洗礼は似ています。100%相手のことがわかって結婚するわけではありません。洗礼も神様のこと、聖書のことがよくわかってから受けるのではありません。
その人と共に生きることを決意したとき、結婚します。
神と共に生きる決意をしたとき洗礼を受けます。

TEENS礼拝で結婚についてのメッセージを聞いて考えたことを書きました。



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追悼旅行(その4)

2018-08-24 14:39:02 | 日記
安曇野では、ちひろ美術館へ行きました。神戸から東京に引っ越すとき、Mちゃんからいわさきちひろのハンカチをもらいました。今回、それを持っていきました。考えてみたら40年前のものです。「あまり使わないで大切にしまっていたの」と言ってハンカチを見せると、Mちゃんは驚いていました。



黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」の表紙にいわさきちひろさんの絵が用いられていることから、ちひろ公園内にトットちゃん広場が作られていました。

「窓際のトットちゃん」は多くの人に読まれているので、ご存じの方も多いと思いますが、簡単に内容を紹介します。トットちゃんは小学校入学後、2~3か月で退学を言い渡されました。でも、お母さんは退学させられたとは言わず、「よその学校へ行ってみる?」と言ったそうです。よその学校というのがトモエ学園でした。



トモエ園は列車の中で授業をしていました。トモエ学園では席も時間割もなく、自分で考える事を優先していたそうです。
校長先生がトットちゃんに話したいだけ話してごらんと言ったそうです。トットちゃんは夢中になって4時間も話し続けたそうです。真剣に話を聞いてくれた校長先生はなんと忍耐強い人なのでしょう。トットちゃんは受け入れられて、どんなにうれしかったでしょう。

校長先生は「君は、ほんとはいい子なんだよ」と何度も言ってくれました。校長先生の愛のあるとり扱いを受けて、トットちゃんの人生が変わったのです。

出会いによって人生が変わることがありますね。また、人の言葉がその人を生かすことがあります。逆に、人の心を一生傷つけることもあります。人を生かす言葉を語りたいものです。

周遊バスに乗って大王わさび園に行きました。わさびコロッケとわさびアイスを食べたら、昼ご飯は食べられませんでした。



わさび園はシートがかかっていました。


水車は黒澤映画のロケに使われたそうです。水がとてもきれいでした。

帰りはMGちゃんと2人で14時代の特急あずさに乗ることになっていました。おりしも台風が来ていて、時間が遅い方が、その後乗る常磐線に影響しないと知って、出発時間を2時間遅くしました。手数料なしで隣同士のチケットが買えたのは幸いでした。
台風の影響を全く受けずに3日間過ごし、無事帰ってきました。

車中ではMGちゃんと次の旅行のことをずっと話していました。みんなで旅行することも限られてくるので、今しかないと思うと、また行きたくなるのでした。

62歳は曲がり角だと思います。これからは老化と闘うことになるでしょう。いつまで生きられるか誰にもわかりません。残された人生、ぼんやり過ごすか、目的をもって生き生きと過ごすか……。

「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」という赤毛のアンの言葉を思い出して、神様の用意してくださった道が最善だと信じて歩んでいきます。

この旅行の動機となったNちゃん。色々調べて計画し、スケジュールを組んでくれたS子とK子、ありがとう。一緒に行けなかったAちゃん、この次は、一緒に行けますように。

                        おわり


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追悼旅行(その3)

2018-08-21 16:43:17 | 日記
2日目は松本へ行きました。松本市美術館で草間彌生展が開催されていました。
草間彌生さんは、幼少のころから幻視、幻聴を体験し、作品の要素として、独特の画風を確立されました。



印象に残ったのは、「傷みのシャンデリア」です。ミラールームでシャンデリアがゆっくりと回転する作品。上下左右はるか向こうまで反射されたシャンデリアがあり、その中にいると、取りこまれてしまうような危うさを感じました。
「南瓜へのつきることのない愛のすべて」には黄色い南瓜がぎっしりとひしめきあっていました。

「痛みのシャンデリア」に仲間の一人を失ったわたしたちを重ねてみました。ほんとうはいくつあるのかわかりませんが、鏡に反射された無限のシャンデリアが見えています。

それは癒されることのない無数の心の傷のようです。でも、そこに絶望ではなく、希望の光を見るのです。わたしたちは一人ではありません。わたしたちは、慰めの言葉を発しなくても同じ思いを抱いています。ひとつのシャンデリアが無限に並んでいるように見えますが、一つの傷が癒されれば、すべての傷が癒されるのです。

仲間のひとりから、わたしだけ朝事に参加しなかったことについて、「グリム(わたしのこと)もみんなもつながっているから、それだけでいいんです。」といううれしいメールが届きました。

聖書には次のように書かれています。
「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(伝道者の書4:12)」




松本城は中には入らず、外から眺めただけです。おまめのパフェがおいしかったです。
松本に出て3人は先に帰り、そのあと6人で旅を続けました。

いちばん上の画像は、常設の野外彫刻『幻の華』です。建物の壁の水玉は、松本出身の草間彌生さんから「松本から未来へ」というメッセージがこめられているそうです。
                  
                           
つづく


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追悼旅行(その2)

2018-08-20 15:57:16 | 日記
追悼旅行(その1)を書いてからずいぶん日にちが経ってしまいました。4歳のナルクンがいても昼寝している間に書けると思っていましたが、誤算でした。

ナルクンの相手をするのに疲れて、わたしも一緒に昼寝し、夜も一緒に寝ていたので、自分の時間が全くありませんでした。今日から数日はママのもとで過ごすというので、ほっとしています。

人形劇部(ろっち)の11人の仲間のひとりが欠けてしまって、悲しみの中に沈んでいたわたしたちですが、旅行の間は明るく、よくしゃべり、よく食べ、いたって元気でした。

駅のホームで和服の男性から「これだけの女性の団体は珍しいですね」と声をかけられました。
9人の関西弁のおばさんが、大声で話していたら目立ちますね。自分たちはすっかり若返って気持ちは10代になっていたのですが……。

ちょっとお茶飲みに店に入るにしても、お昼を食べるにしても、なるたけ一緒に座りたいと思っています。4人と5人に分かれることもありますが、店によっては机をくっつけて席を作ってくれます。一刻の間も一緒にいたいという気持ちなのです。
わたしたちは姫路、神戸、横浜、土浦・・・とそれぞれの場所から出発し、長野駅で9人がそろいました。第一日目は長野電鉄に乗って小布施(おぶせ)に行きました。

小布施の街並みは趣があって、高山を思い出しました。



町の雰囲気を壊さないようにでしょうか、信金にのれんがかかっていました。


どこの庭先にも寄せ植えがあって、心和みました。

時間が限られていたので、北斎美術館と高井鴻山記念館に分かれて入りました。


わたしは高井鴻山記念館に入りました。2階の展示室には一弦琴が置いてあり、学生字時代いちばんピアノが上手だったHちゃんが、即興で「花」を弾きました。

一番上の画像は、幹がねじれた栗の木です。
                         つづく


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追悼旅行(その1)

2018-08-12 17:21:55 | 日記
8月7日から9日、学生時代の友人9人で旅行しました。前回会ったのは、一昨年の11月に還暦旅行で飛騨高山に行ったときでした。(このときのブログは2016年12月1日に書いています)

友人たちは、神戸の保育科の短大で同じ人形劇部(ろっち)のメンバーでした。手作りの棒人形を持って、保育園、幼稚園や施設などへ出向いて演じてきました。巡業の旅といって、淡路島や米子までも行きました。
卒業して40年たった今もお互いに連絡を取り合っています。

ただ、わたしともうひとりは関東、ほかのメンバーは皆関西に住んでいるので、全員で集まるということはめったにありませんでした。(関西組では年に2回ぐらいはずっと集まっていたそうです)

一昨年、還暦旅行をしようということになって、久しぶりに仲間たちと会いました。そのときは2名都合悪かったので、やはり9名の参加でした。
それから一年半。こんなに早くまた旅行をすることになるとは思いませんでした。

書くのもつらいのですが、4月にメンバーのひとり、Nちゃんが子宮がんで天に召されたのです。Nちゃんの近くに住んでいる姫路の人たちは、病気になってから数回Nちゃんの家を訪れているので、病状がわかっていましたが、神戸に住んでいる人たちや関東のMGちゃんとわたしは、詳しいことがわからなかったので、大きな衝撃を受けました。

それでも3月末にNちゃんがホスピスに入ったと聞いたとき、覚悟しなければならないとは思っていました。ホスピスではだれにも会いたくないと言って、お見舞いを断っていたと聞いて、きっと変わってしまった姿を誰にも見せたくないという気持ちだったのでは……。

「この夏にNちゃんの追悼旅行をしましょう」と、S子からメールがありました。

行先は善光寺だと聞いて、少し迷いました。なぜ善光寺かというと、Nちゃんが最後に善光寺に行きたいと言っていたのに果たせなかったからです。

宿坊に泊まって朝事をするということでした。朝事とは何かわからなかったので、ネットで調べました。それは宗教行事でした。
宿坊に泊まった人は、必ず参加しないとだめというわけではありません。仲間たちやNちゃんに申し訳ないという気持ちを持つ必要もありません。

思い切って、朝事はパスしたいと伝えると、「かまへんよ。グリムはクリスチャンだからね」と、みんなが快諾してくれたのでうれしかったです。朝事は5時10分からだったので4:30に起きました。

皆が出かけて行ってから、部屋でひとりになって、いつものようにデボーション(聖書を読み、祈る)を40分間できました。Nちゃんのご遺族の方や、心を痛めている仲間たちのために心から祈り、そのあと少し眠りました。
Tちゃんに「朝事の間、何しとったん?」と聞かれ「半分寝てた」と答えましたが、嘘ではありませんよ。

宿坊では20畳ぐらいの広い和室にふとんを9枚並べて寝ました。合宿のようです。



宿坊での朝食
つづく

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那須旅行

2018-08-02 17:05:34 | 家族
8月に入っても異常な暑さが続いています。

先月25日、26日に息子一家と栃木県那須に旅行へ行ってきました。ちょうど24日から少し涼しくなったところだったので、いいタイミングだったようです。

泊まったホテルでは、子ども向けのイベントをたくさんやっていました。パティシエ体験でケーキ作りをしました。



6年生のヒックン作。



4歳のナルクン&ママ作。

みんなで切り分けて食べました、とても甘かったです。



1泊2日で水鉄砲遊びや、宝探しナイトハイクなどにも参加しました。
プールと温泉に2回ずつ入り、ハードスケジュールでしたが、孫たちは大喜びでした。

ヒックンは小学校最後の夏休みです。ナルクンと一緒にこのようなイベントに参加することもなくなってしまうでしょう。そう思うと、少しさみしい気がしました。

2日目の午後、サファリパークに行きました。
自分たちの車で入りました。



ロバに囲まれて動けなくなることがあると聞いて、静かに通り抜けようとしたら、集まってきました。無事通り抜けられてほっとしました。


ライオンは暑さのせいか寝ていました。



車の中をのぞくラマ。

ナルクンは疲れたのか、数日後に熱を出しました。一日で下がって元気なったのでよかったです。

「お家に帰りたくない。ゆこちゃんち(我が家のこと)にいたい」と泣きながら帰っていきました。またすぐ、来るのだけどね。



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なぜ病気はなくならないのでしょう(その2)

2018-07-24 17:10:35 | ティーンズ
昨日の続きです。

それから十年ほどして、47歳のとき乳がんになりました。乳がんになったときは、不思議に平安でした。神様はわたしに必要だと思ってがんを与えてくださったのだと思いました。また、初期だったので手術して取ってしまえば治ると、楽観的に考えていました。
でも手術後、医師からリンパに転移していると言われたとき、動揺しました。ネットで調べるとリンパ転移している人は10年生存確率4ーセントだと書かれていました。(ネットの記事は当てになりませんが……)

10年以内に死んでしまうのだと思うと胸が張り裂けそうになりました。死ぬことはちっとも怖くありません。イエス様と一緒だからです。でも、まだ地上でやり残したことがあります。子どもたちがせめて成人するまでは生かしてくださいと泣きながら訴えました。

それから14年たちましたが、元気で生きています。
乳がんの手術後の治療はつらくありませんでした。喘息よりずっと楽だと思えました。楽に呼吸ができるのですから。

喘息と乳がんになって学んだことは、生きていることは当たり前ではないということです。自分の力で生きていると思っていたのですが、神様によって生かされていたのでした。

人はどんなに生きたいと望んでもそのために全財産をささげても、神様が生かしてくださらなければ一日も生きられません。生かされている一日は、この上もなく尊いのです。無駄に時間を使ってはもったいないです。
わたしが病気になったのは、このことをわからせるためだったのかもしれません。

わたしは、イエス様を知らなかったとき、どうして喘息になったのだろうか、何か悪いことをした罰なのだろうかと思い悩みました。
また、喘息を恥ずかしい病気だと思い、病気のことを誰にも話せませんでした。でも、恥ずかしい病気などありません。

イエス様がおられた2千年前も病気の人がたくさんいました。医学が発達した今も病気はなくならないし、かえって増えているぐらいです。なぜ病気はなくならないのでしょう。神様は病気についてどのように考えておられるのでしょう。

質問をします

⓵病気は罪を犯したことの罰である。

⓶神様が意地悪をして人を病気にする。

③神様はすべての病気を治したいと思っておられるが、できない。

⓸神様は必要と思われる人に病を与えられる。


どれが正しいでしょうか?
⓵罪に対しては、イエス様の十字架で赦されてされているので罰が与えられることはありません。

⓶神様は善意のお方。わたしたちを愛しておられるので、意地悪するわけがない。

③神様は全知全能(すべてをご存じで、できないことはない)のお方。神様は一瞬ですべての人の病を癒すこともできる。でも、そうなさらないのは、病がその人にとって必要だから。(神様は、不必要なものを与えない)

④が正解です。(TEENS子どもたちは全員が④に手を上げました。)

パウロにも持病がありました。どんな病気か聖書には書かれていないのでわかりませんが、相当つらかったのだと思います。病を取り除いてくださいと3度主に願っています。
神様の答えは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである、と言われたのです(Ⅱコリント12:7-8)」

わたしも喘息がつらくて3度どころか30回以上祈りました。でも、完全には治っていません。健康を求めてスイミング教室に通い、身体にいいと聞けばなんでも実行し、丈夫になるために最大限の努力をしましたが健康にはなりませんでした。健康第一で神様第一ではありませんでした。

「まず健康にしてください。元気になったら、教会でたくさん奉仕します。」
と祈りましたが、その祈りは間違っていました。むしろ神様はわたしを愛してくださっているので、病気という試練を与えて下さったのです。

病気だけではなく、怪我や事故、災難、辛いできごと、うまくいかない人間関係などすべての苦しみは神様の愛のあらわれです。

ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に書かれた作者不明の詩を紹介します。

「病者の祈り」

大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
      
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でも、最も豊かに祝福されたのだ

            
この詩を書いた人は、神様にたくさんのものを求めていましたが、それらは与えられず、逆に弱さ、病気、貧しさが与えられました。けれども、そのことを嘆いているのではなく、むしろ喜んでいます。自分のことを「あらゆる人の中でも最も祝福されたのだ」と言っています。わたしも、
病弱を与えられたことを以前は感謝できなかったのですが、今感謝しています。

聖書にイエスの弟子が盲人をみて、イエス様に質問したという箇所があります。
「先生、彼が盲目に生まれついたのはだれが罪を犯したからですか。この人ですか。この両親ですか?」イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。 神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネ9:2-3)


神さまのわざが現れるためとはどういうことなのでしょう……。
この聖書の箇所では、イエスさまが生まれつき盲人の目を治し、そのことが神さまのわざの現れとなりました。それは神様の栄光の現われです。

病気が治ることだけが栄光の現われではありません。神様はそれぞれの人に最もよいことをなさってくださいます。
病気が治らなくても、体や心の弱さがあっても、それを受け入れて神様を喜びながら歩むことが神様の栄光を現すことになるのです。
                          おわり  
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なぜ病気はなくならないのでしょう(その1)

2018-07-23 17:12:34 | ティーンズ
昨日はTEENS礼拝でお話をさせていただきました。
前半を紹介します。

おはようございます。ちょうど一年前に「私の人生劇場」というテーマお話ししましたが、今日のお話はそのとき話したことも一部含まれていますが、視点を変えて話しますので最後まで聞いてください。

身体が丈夫な人と弱い人がいます。病気になりやすい人とほとんど病気をしたことがない人がいます。疲れると病気になる人と、どんなに疲れても一晩寝れば元気になる人がいます。人それぞれ与えられた体力が違います。

わたしは疲れやすく、ちょっと無理をすると病気になります。
2歳のとき肺炎になって、熱が出なかったので病院へ行くのが遅れ、生死をさまよったそうです。命は助かりましたが、肺炎がきっかけで小児喘息になってしまいました。

わたしが子どものころは、予防薬がなく、発作が起きたら薬を飲み、その薬の副作用で喘息になりやすくなり、また発作が起きる……という、悪循環を繰り返していました。大きな発作が起きると薬が効かず、呼吸がしにくくなり、死ぬほどの苦しみをがまんしなければなりませんでした。水槽から出た金魚が苦しがっているのと同じようです。

今は予防薬があるので、喘息になっても病院に通って治療していれば、それほど苦しむことはありません。
わたしの喘息は、毎年秋になるとひどくなり、よく学校を休みました。

中学生の時、ちょうどテスト前に喘息で休んだら、「ずる休みしてテスト勉強やっていたんでしょう」と言われました。
傷つきましたが、気も弱いので何も答えられませんでした。

高校生になって初めての定期テストの時、頑張って試験勉強を夜中の12時までやりました。それは、わたしにとって体力の限界を超えていたことでした。
明け方から喘息が出て、学校を欠席するしかありませんでした。学校からは病院へ行って診断書を提出するように言われました。たいていの先生は期末テストの点だけで成績をつけてくれましたが、生物だけは、休んだ中間を0点とされたので、期末が半分の40点(赤点)になってしまい、補習を受けたのを覚えています。
頑張りたくても頑張れないこと。誰にも理解してもらえないことで心には怒りと悲しみでいっぱいでした。
また、ほかの人と比べて、自分だけ病気ばかりしていると思い、丈夫な人がうらやましく、悔しくてなりませんでした。

そのころ天地を造られた神様のこともイエス様のことも知りませんでした。
それでも漢方薬を飲んだらそれが効いて、高校を卒業するころには喘息の発作がほとんど起きなくなりました。

その後、幼稚園の先生の資格がとれる神戸の短大に入りました。その短大はキリスト教の学校で、教科書と一緒に聖書を買うように言われました。そのとき生まれて初めて聖書を手にしました。
学校の夏休みの宿題で教会の礼拝に出て週報をもらってくるというのがあり、しぶしぶ礼拝に出たのを覚えています。

幼稚園で働き始めると、『こんなはずじゃなかった』と思うようなことが続きました。行事の前は幼稚園に遅くまで残って準備をしたので、家に帰るとふらふらになっていました。
喘息は出ませんでしたが、倒れる一歩手前でした。

悩み傷ついて心も体もボロボロになっていたとき一冊の本「あさっての風」に出合いました。それはクリスチャン作家三浦綾子の書いたエッセーです。
その本を読んで、自分の罪が示され、教会に行かなければ……という気持ちになりました。短大の宿題で教会に行ったときのことを思い出して、神戸の教会に通い始めました。

教会を訪れて半年後に洗礼を受けました。何の学びもなく、あかしをすることもなかったのですが、知っていたことはイエス様の十字架で罪が赦されるということだけでした。
聖書をろくに読まなかったので、洗礼を受けたらもう罪を犯さなくなるのだと勘違いしていました。
ところが、洗礼を受けても人の悪口を言ったり、意地悪な気持ちになったりするので、苦しくなって2年で教会を離れてしまいました。
教会から離れて2年後、結婚して埼玉県に住みました。男の赤ちゃんが与えられ、喜んだのも束の間、出産後、治ったと思っていた喘息が再び出てきました。そのときはすぐ治ったのですが、毎年秋になると喘息の発作が起きるようになりまた。

長男が9か月のとき、住んでいた団地から歩いて15分のところに新しく教会が建ちました。 
新しい教会を見たとき、どうしても行かなくては……と思いました。自分が喘息で苦しむ意味がわかるかもしれないと思ったのです。
なかなか教会に入れなくて、自転車で教会の周りを三周もしてしまいました。
牧師先生が気づいて、中に入るように言われ、一番端の席にすわってうなだれていました。
こんなに罪だらけのわたしは、礼拝堂に入る資格がないんじゃないかなと思いました。
すると、「よくもどってきたね。ここにいていいんだよ」というイエス様の声が聞こえたように感じました。

教会に通うようになって、いままで誤解していたことが正されました。
聖書には「こういうわけで、今は、キリストイエスにあるものは、罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)」と書かれています。
洗礼を受けた後に犯した罪も、イエス様の十字架によってすでに赦されていたのです。聖書の学びを通して、神様がわたしをどれだけ愛しているかに気づき、感謝と感動の毎日でした。

その後、ふたり目の子どもが与えられました。無事生まれましたが、出産後また喘息の発作が起きました。それは初めての子の時よりひどく、赤ちゃんが生まれて10日目で入院してしまいました。
幸い父と母のいる実家に帰っていたので、赤ん坊は両親が世話をしてくれました。

子どもたちが小学生になっても喘息は治りませんでした。ある夜、大きな発作が起きました。どんな薬を飲んでも効かなくなっていました。
夫は仕事でまだ帰ってきていません。子どもたちに留守番させて、夜間診療所に這うようにして行き、注射を打ってもらいました。注射で発作がおさまったので、ゆっくり歩いて家に戻ると、しばらくしてまた発作が起きました。
もう診療所に行く力がありません。このまま一晩中呼吸困難と闘うなんて、もう耐えられないと思いました。
「神様、わたしの命を取ってください」と祈りました。夫とふたりの子どもたちがいるのにそんなふうに思ったのです。

そのとき十字架につけられたイエス様の姿が瞼の裏に映し出されました。イエス様は十字架にはりつけにされて苦しそうでした。
そのとき、思ったのです。(イエス様も一緒に苦しんでくださっている!) 手も足も釘で刺されてイエス様の方がずっと苦しいでしょうに……。

聖書の言葉が頭に浮かびました。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)

                           
(神様は、耐えられない試練にはあわあせないんだ)と思うと、ふっと肩の力が抜けてふとんにもたれると、いつの間にか眠っていました。
それ以来ひどい発作は一度も起きていません。
                          つづく



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祈っています

2018-07-20 16:23:23 | 教会
「祈っています。」「祈っているね。」「お祈りします。」

メールでよく書く言葉です。友人に悩み事や困ったことなどあると、「お祈りしています」と書きます。そして、メールを出した後すぐに祈ります。
何通もメールを出し、そのたびに携帯を持って祈っているので、クリスチャンでない人が見たら、携帯を拝んでいるように見えるかもしれません。

誤解のないように書きますが、携帯に向かって拝んでいるわけでも、友人を拝んでいるわけでもありません。天地を造られた神様に祈っているのです。
もちろんメールを受けたり出したりするときにだけ祈るのではありません。まずは朝のデボーション(聖書を読み、祈る時間)で祈ります。毎年祈る人が増えて50人ぐらいになりましたが、友人、知人、親戚の者などの名前を書いたカードを見て祈ります。祈られていることを知らない人も多いでしょう。

緊急の祈りが必要な人は、昼や夕方、寝る前に何度でも祈ります。ちょうど今、海外出張していた妹から無事帰国のメールが届きました。昨日から祈っていたので、無事着いたことを感謝しました。(妹は日本の暑さにびっくりしていました)

昨日家庭集会で「とりなしの祈りの祝福」と題して学びをしました。今回の家庭集会は、教会の和室で行ってから最高の人数(先生入れて12人)でした。

出エジプトをしたイスラエル人がアマレクと戦っているとき、モーセが手を挙げて祈っているときは優勢になり、疲れて手が下がると劣勢になりました。モーセの手が下がらないようにアロンとフルが支えて戦いに勝利しました。

手を支えるというのは、とりなしの祈りのことです。人のために祈るには、その人と話をし、その人のことをよく知り、その人に必要な祈りをするということを教えていただきました。祈りには力があります。

あまりにも抱えている問題が多すぎて、祈ることさえできないときは、友人に伝えて祈ってもらうのがいちばんです。


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ファインディング・ドリーを観て

2018-07-17 16:45:49 | その他
この暑さ、いつまで続くのでしょう・・・・・・。異常気象とか温暖化の影響とか言われていますが、世界的に異常なのですね。

被災地もかんかん照りだと聞いて、これ以上熱中症で命を落とす人がないように祈りました。
三連休孫たちが来ていて、ディズニーの『ファインディング・ドリー』のDVDを一緒に観ました。わたしは、はまってしまい、ディズニー映画の中で一番好きな作品となりました。

『ファインディング・ドリー』は『ファインディング・ニモ』の続編です。
ドリーは、今あったこと、聞いたことをすぐ忘れてしまいます。認知症ではなく健忘症です。

けれども、自分とは種が違う人間の言葉やクジラ語を理解出来るほど知能が高かったことがわかります。

ドリーは子どものころ、母親が好きだった紫色の貝殻を拾おうとしてパイプに吸い込まれ、両親とはぐれてしまいました。そのことを思い出し、両親を探す旅に出ます。

旅の途中で、両親と別れてから何年も経っているから見つけるのは無理だと言われたり、ドリーのことを両親は忘れてしまったかもしれないと言われ動揺しますが、あきらめません。

ほとんどのことを忘れてしまったドリーでしたが、両親から愛されていたことと愛していたことを覚えていたのです。愛するお母さんの好きな色の貝を覚えていたので、貝をたどっていって両親と出会えたのです。

ドリーには二つのメッセージがあると思います。ひとつは、病や障がいを持っていても、それがマイナスとして働くのではなく、プラスとして働くということ。病や障がいは欠点ではなく、神様から与えられた特別の才能だということです。

もう一つのメッセージは愛です。この映画を観た人は親子の愛を感じるでしょうが、製作者はもっと大きな愛について描いているのではないでしょうか。
愛されたという経験が非常に大きな力になります。愛されたので、ほかの人を愛することができるのです。両親に愛されずに育った子どもは悲しむかもしれません。でも大丈夫。あなたを造られた神様がまずあなたを愛してくださったので、両親に愛されなかった子どもも人を愛することができるのです。


聖書の言葉

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
                                            (Ⅰヨハネ4:10)



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貪欲に気をつけて

2018-07-11 20:28:12 | ティーンズ
暑さで体調を崩してしまいました。暑さにもエアコンの冷気にも弱いので、どうしようもありません。
出かけるときは、長袖を持って行ってこまめに脱いだり着たりしていますが、温度差に体が追いつきません。慣れれば元気になるでしょう。

8日の日曜日TEENS礼拝のメッセージを受けて考えたことを書かせていただきます。

神様はモーセを通して人々に十戒を与えました。十戒とは「あなたの父と母を敬え」「殺してはならない」「盗んではならない」など10の戒めです。

10番目の戒めは、「あなたの隣人の家を欲しがってはならない」です。これは貪欲を戒めているものですが、ほかの戒めのように目に見えるものではなく、隣人のものを欲しがるという心の中の問題を扱っています。
貪欲(どんよく)とはとても欲が深いことを意味します。

貪欲はどんどん大きくなっていきます。貪欲が大きくなる4つの段階を教えていただきました。

まず最初は、あの人のものが欲しいなあと考えます。
次にもしあの人のものが自分のものになったら楽しいだろうなぁと想像します。
次の段階では、あの人が持っているより、自分が持っている方がいいんじゃないかと自分勝手に思います。
そして最後の段階では盗んで自分のものにしてしまいます。

恐ろしいですね。貪欲は小さな欲から始まるといわれています。確かに殺人という大きな罪も、ふと、「あの人がいなくなればいいのに・・・・・・」という小さな思いがふくらんで人を殺すに至ってしまうことがあるそうです。

刑務所に入っている人たちと自分との違いは、薄い塀一枚だと言った人がいますが、わたしもそうです。小さな貪欲に気をつけたいと思いました。



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生きがいについて考えた人

2018-06-28 16:28:15 | 読書

急に暑くなって、早くも夏バテです。

「神谷美恵子日記」(角川書店)を読みました。書店の新刊が置いてある場所でみつけたので買い求めました。神谷恵美子といえば、精神科医としてハンセン病療養施設「長島愛生園」に生涯をささげた偉い人というイメージがありましたが、日常生活が書かれた日記を読むと、親近感を覚えました。美恵子さんと呼ばせていただきます。

美恵子さんは19歳の時、ハンセン病療養施設多摩全生園を訪れ、医師の道を志します。アメリカ合衆国に留学し、コロンビア大学で医学を学びます。
子どもの頃から両親に連れられて教会には行っていたようですが、いつキリストに導かれたかは書かれていません。でも日記には信仰者として生きておられたことを示した文章がたくさんあります。

32歳で結婚し、男の子ふたりが与えられました。家事と育児に励みつつフランス語を教えに行ったり、講演会で講演をしたりします。
日記には「平凡な主婦のままがいい。出歩くより家にいて刺繡などしているほうがいい。」と書かれていますが、「自分には使命がある。」とも書かれ、

「自分には弱さがあるので、使命を全うするために神様によりたのんでいきたい。ゆだねよう。」と信仰をあらわす文章を書いています。

美恵子さんが41歳の時、ハンセン病療養施設「長島愛生園」に精神科医として調査に入りました。3~4日いて、自宅に帰っていたようです。子どもたちの世話は、お手伝いさんがしてくれていました。ご主人のNさんは理解があり、とっても優しかったようです。Nさんに対する不満や悪口はいっさい書かれていません。「Nは優しいこと限りなし」という一文に心温まります。

長い間、兵庫県芦屋市に住んでいたようです。「森市場に買い物に行った」という箇所を読んで、わたしが神戸に住んでいたころ母とよく行ったあの森市場だろうか?森市場はいまでもあるのだろうか・・・・・・ネットで調べると、ずいぶん前にセルバという商業施設になっていましたが、森市場を土台に作られたのかなと思いました。

わたしと家族は神戸市の東のはずれに住んでいて、芦屋市と隣接していました。森市場は東灘区ですが、芦屋からも買い物に行く人が多かったと聞きました。

わたしは1968年から1980年まで神戸に住んでいました。美恵子さんは1979年に65歳で召される前は芦屋に住んでおられたので、もしかして森市場ですれ違っていたかも……など考えて楽しくなりました。

美恵子さんは自己をしっかり持っておられました。生きがいについても考えておられました。それは神様から与えられた使命をまっとうすることが生きがいにつながると考えたのではないでしょうか。

毎日ぼんやり過ごすことが多いわたしですが、美恵子さんを見習って生きがいについて考えながら歩んでいきたいです。

最後に美恵子さんが長島愛生園を訪れたとき書いた詩の一節を紹介します。

なぜ私達でなくてあなたが? あなたは代わって下さったのだ



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マナが初めて降った日

2018-06-21 15:25:45 | 
先週家庭集会で、旧約聖書の学びをしました。旧約聖書の出エジプト記には、イスラエルがエジプトを脱出して40年間荒野の旅をしたことが書かれています。

飢饉によりエジプトに移住していたイスラエル人は、エジプトで過酷な奴隷生活をおくっていました。あまりにも辛くてうめき声を上げたら、神様はその声を聞かれ、モーセをリーダーとしてエジプトを脱出させ、約束の地に導かれました。

エジプトの王パロは、働き手であるイスラエルの民を行かせないようにしましたが、10の災いが起きたとき、やっと出ていくことを許しました。ところが追いかけてきてイスラエルの民は海とエジプトの大軍にはさまれ絶体絶命になりました。
そのとき、海がふたつに割れるという奇跡が起きました。

イスラエル人は守られて海の道を渡り、何もない荒野での生活が始まりました。
たちまち水がないことで文句を言い、食べ物がなくなったと嘆きました。

男だけで60万人(女子どもを入れたら100万人を超えていただろうと言われています)を引き連れて荒野を旅するなど、不可能に近いのではないでしょうか。

でも、旅は40年にもなり、その間守られています。水がないと騒いだときは、モーセが杖で岩を打つと、そこから水が流れでて、腹が減ったといえば、天からマナが降り、肉が食べたいといえば、ウズラの大軍が落ちてきました。

このマナというものの正体は何だったのでしょう?

露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされています。

毎日マナを一日分を集めて食べるように言われました。それ以上取っておくと腐ってしまいます。週に一度の安息日は、マナは降らないので、安息日の前の日だけは、2日分集めていました。

約束の地カナンに着くまで毎日降り続けたというマナ。人々はそのような恵みに預かっていたのにエジプトにはたくさんの食べ物があったと、文句を言い始めます。


マナとはどんなものだったのか・・・・・・今もあれば食べてみたいです。初めてマナを食べたとき、人々は感動したのではないでしょうか。モーセの孫(ひ孫)が最初に食べたときどんなふうに感じたか詩にしてみました。
         
     マナが初めて降った日

マナが初めて降った日、外に出て目を見開いた
白い砂のようなものが宿営の周り一面に積もっている
「これは何だろう?」
そっと手ですくってみる
「うまいぞ、食べてごらん」
おじいさんに言われて、白くなった指先を口に入れる
甘く、とろけるようなおいしさがのどに落ちていく

焼けばせんべいのようにパリパリ
煮込めばもちのようにしっとり
夢中で集めた
「集めすぎるな。マナは安息日を除いて毎日降る
明日も、明後日も」
おじいさんが言ったとおりになった。

40年近くたって、まだマナは降っていた
ああ、またマナか……。と、つぶやいているわたしがいた。
わたしたちが飢えてしまわないように、与え続けられた食物
それにもう飽きたといった
マナが初めて降った日
ああ、あのときのわたしの心はどこへいったの
あのときのわたしにもどしてください




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