goo

聖書原理主義:カートライト

聖書原理主義

トマス・カートライト
『議会への勧告に対するウィットギフト博士の回答に
対する返答』(1573)より

わたしは断言する、神の言葉は、教会をめぐるすべてのことに
ついてどうすべきか指示している、そう、生活のあらゆる
側面において人がどうすべきか定めている、と。……聖パウロは
いっている、わたしたちが何かを食べる時・飲む時、その他
わたしたちが何をする時でも、それは神を称えるためでなくては
ならない、と。神を称えるというのは、神に従うことによってしか
できないことであり、神に従うには神の命令・神の言葉を
知らなくてはならない。つまり、神の言葉が人の行動すべてに
対して指示を与えているということなのだ。

……聖パウロの言葉は、一般的に「どのようにしてもいい」・
「無規定中立」といわれることについてもっとも明白である。
彼の結論はこうだ--信仰につながらないことは罪である。
信仰というのは、もちろん神の言葉に対する信仰である。
つまり、神の言葉に従ってなされないことはすべて罪なのである。

……わたしたちはどういう時に自分は正しいことをしていると
確信できるのか? もちろん、神の言葉が自分の行為を正しさを
保証してくれている時のみである。……それゆえ、公私いずれで
あってもわたしたちはすべてにおいて神の言葉の指示に
従わなくてはならない。同様に、教会やそれに関することに
おいてもわたしたちはすべて神の言葉に従わなければならない。

*****
Thomas Cartwright
From A Replye to an Ansvvere Made of M. Doctor VVhitgifte
Against the Admonition to the Parliament (1573)
STC 4712
26-27

*****
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« 主の祈り:カ... From Hooker, ... »