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Milton, Paradise Lost (9: 896-916)

ジョン・ミルトン (1608-1674)
『楽園は失われた』 (9: 896-916)
(アダム 「君なしでは生きていけない」)

この世でいちばんきれいな君・・・・・・神が最後に、いちばん
いいものとしてつくった君・・・・・この世で見えるもの、
頭に浮かぶもの、そのいちばんいいものを集めたかのような君・・・・・・
清らかで、神々しくて、善良で、やさしくて、そして美しかった君!
君が堕ちてしまうなんて、こんなに急に堕ちてしまうなんて、どういうことなの?
美しさを失って、花を失って、死ぬ人、滅びる人となってしまうなんて?
ねえ、君はどうして背いてしまったの?
あの厳しい禁止の命令に? どうしてあの神聖な、
禁じられた果実に手をつけてしまったの? よくわからないけど、
邪悪な敵の策略か何かにだまされたんだよね?
君といっしょに、ぼくも、もうおしまいだね。だって、
ぼくも死ぬんだから・・・・・・。もう決めてる。
ぼくは君なしじゃ生きられない。君と話すこと、愛しあうことなしでは
生きられない。あんなに楽しかったんだから。幸せだったんだから。
この誰もいない森でひとりで生きていくなんて、もういやだよ。
たとえ神がもうひとりイヴをつくってくれても、あばらを
もう一本とるだけだとしても、君のことは
忘れられない。絶対に無理。ぼくと君は、
もともとつながってるんだ。君はぼくの肉から、
ぼくの骨からできてるんだ。だから、ぼくは君と
絶対に別れない。幸せなときも、そうでないときも、だよ。

* * *
John Milton
Paradise Lost (9: 896-916)

O fairest of Creation, last and best
Of all Gods works, Creature in whom excell'd
Whatever can to sight or thought be formd,
Holy, divine, good, amiable, or sweet!
How art thou lost, how on a sudden lost, [900]
Defac't, deflourd, and now to Death devote?
Rather how hast thou yeelded to transgress
The strict forbiddance, how to violate
The sacred Fruit forbidd'n! som cursed fraud
Of Enemie hath beguil'd thee, yet unknown, [905]
And mee with thee hath ruind, for with thee
Certain my resolution is to Die;
How can I live without thee, how forgoe
Thy sweet Converse and Love so dearly joyn'd,
To live again in these wilde Woods forlorn? [910]
Should God create another Eve, and I
Another Rib afford, yet loss of thee
Would never from my heart; no no, I feel
The Link of Nature draw me: Flesh of Flesh,
Bone of my Bone thou art, and from thy State [915]
Mine never shall be parted, bliss or woe.

* * *
人間すべての原罪が(ほぼ)確定する場面だが、
ミルトンは、この場面を美しく、そしてある意味
人として正しいものとして描いている。

キリスト教倫理的にいちばん悪い場面が、
いちばん美しく、そして正しい、という。

(サタンの描写についても同様。キリスト教
倫理的にいちばん悪い存在が、ある意味、
いちばん魅力的な存在、となっている。)

キリスト教における教義・神話・世界観・倫理などを
聖書や各種神学思想にのっとってきちんと描き切り、
かつ同時に、キリスト教倫理とは齟齬する、きわめて
人間的な価値観を軸に心ゆさぶる物語をつくっている
ところに、ミルトンの視野の広さ、社会や人に対する
洞察や深さ、思考の幅や奥行、のようなものを見るべき
だろう。

『楽園は失われた』は、極端な宗教性(急進的な
プロテスタント思想、いわゆるピューリタニズム)と、
極端な世俗性(ルネサンス的、古典文学的な、
人間的、世俗的で、時として非道徳的な思考)を、
等しくあわせもっている。つまり、そこに含まれるのは、
16-17世紀イギリスの思潮における両極端であると同時に、
いわばヨーロッパのキリスト教文明における過去と
未来のすべてである。

(上の場面のようなアダムを、たとえば、信仰のために
家庭を棄てることを当然のこととして描く--というか、
家庭をほとんど描かない--バニヤンの『巡礼の旅』
(『天路歴程』)と比べてみる。ミルトンが現代の側に
いることがよくわかるだろう。)

* * *
英語テクストは、以下のものを使用。
http://www.dartmouth.edu/~milton/
reading_room/pl/book_9/index.shtml

* * *
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