学童期から青年期(13~22歳頃=同一性)へ。血気盛んな、猛牛みたいな時期でした。何時頃か劣等感を強く持つようになりました。早く中学校へいってクラブ=野球がやりたい。憧れは「長島選手のように!」熱中しました。勉強も運動もレベル的には普通、中間点で通過しました。ますます劣等感が広がり、学業やスポーツもどんなに努力しても追いつけない人間がいること、天才人間、自分と同レベルの人間、自分よりも劣っているように見える人間などと、勝手に区別、より分けている自分を見つけました。優越感もあったと思います。しかし、この時代の人間関係はよく記憶しており懐かしく、今でもお付き合いがあり思い出話ができます。多分、とてもいい時代(団塊世代の最後)を人間的にはあまり考えないで過ごしてしまったのかも知れません。中学3年生になる春に、仙台まで「一人旅」をしました。東京までのお金がなく、仙台で偶然に知り合った親切な大学生さんから人生の教示を受け「汽車代」を借りて宮古に帰ってきました。今思うに、気持は抑えきれない「反抗期」があり、中学を中退して就職し、稼いだお金で改めて中学へいく気分=「家出」だったように思います。
この年齢になって自分の生い立ちを探るのは不思議な気がします。最近は都合の悪いことは忘れるようになっていますし、どんどん思い出せなくなっています。発達心理学者E.Hエリクソンの8つの発達段階にそって「まとめ」ようと考えましたが無理がありました。第1段階乳児期(0~2歳頃=基本的信頼)、第2段階幼児期(2~4歳頃=自律性)、第3段階遊戯期(5~7歳頃=自主性)、第4段階学童期(8~12歳頃=同一性)は、情緒的にも学習能力も、対人関係も「普通」「なみ」「3」レベルだったような気がします。少し記憶があるのは、異性に関心を持ったのは8歳頃、赤面する自分を覚えています。小学4年生の時、努力が認められず成績がダウン。当時の担任を恨みました。小学6年生の時は誉められ学業がレベルアップして喜びました。当時最も尊敬すべき先生が、生徒を選別、差別している。先生の教える姿勢によって生徒は変化する。気持も姿勢も輝きも「かわるのだ」
このことを子供心に感じて以来、学校や教育や教師像にトラウマを持つようになりました。教師にはならない。と決めたのもこうした背景があったからと思います。
このことを子供心に感じて以来、学校や教育や教師像にトラウマを持つようになりました。教師にはならない。と決めたのもこうした背景があったからと思います。
心守歌-こころもりうた中島みゆき, 瀬尾一三ヤマハミュージックコミュニケーションズこのアイテムの詳細を見る |
私には情緒安定に効果的な1曲。
心がなごむ、やすらぎの歌、相手の心を、気持を思いやる「ゆとり」がほしいですね。
いつも、いついつまでも。
さあ、8月です。