夢の実現へ きむら社会福祉士事務所

独立型社会福祉士事務所を続け、地域&在宅医療の重要性を訴え、あきらめず!岩手県の医師充足度ワーストワン汚名を返上したい!

トツゼンコッペパンファクトリー大槌!!

2013-01-31 18:19:01 | Weblog



トツゼン現れたパン屋…っていうところでしょうか!?
2月2日と3日は、宮城、群馬、栃木、東京、神奈川、大阪から、有名パン職人が大槌に集結。パンが半額!!。
それぞれ自慢のパンを「焼きたて」でご提供するするというチラシやご案内を頂きました。。2月4日(月)が開店。です。
これは「パンによる町おこし事業」で、モーモーハウスを拠点に大槌の復興のために活動が始まります。そのオープン記念イベントです。
これまでもカレーショップ「どんりゅう庵」がありましたが姉妹店のように、公益社団法人「東日本大震災雇用・教育・健康支援機構」で運営されます。頑張って。
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過去の震災 教訓は-!

2013-01-30 12:24:50 | Weblog
女子柔道界の体罰一掃宣言?

過去の震災 教訓は-
 東日本大震災の発生から1年が過ぎ、被災地からの集団移転や浸水地のかさ上げ、復興住宅の建設に向けた動きが本格化する。過去の震災から学べる教訓はないか。北海道・奥尻島、神戸、新潟を訪ねると、移転の先に、過疎や高齢化、コミュニティーの崩壊など次の課題も見えてきた。

   ◇

【新潟】
「集団移転・話し合い重ね合意」

「地震のおかげでこんないいところに出てこれた」「今の方が落ち着いていて幸せだ」。
新潟中越地震(2004年)で全11戸が移転した新潟県小千谷市十二平集落の記録誌「ここはじょんでぇら」には、移転を振り返った人々の率直な言葉が刻まれている。

 「じょんでぇら」は地元の方言で十二平のこと。無人になった古里を忘れないためと、住民らが一昨年発行した。主婦の鈴木民子さん(63)も「買い物が便利。病院や勤め先も近くなった」。9キロ離れた新天地は幹線道路の近く。大型スーパーがすぐそばにある。

 当時、町内会長として住民を引っ張った養鯉(り)業の鈴木俊郎さん(72)は「それぞれにしっかり考えて選んでもらった」。仮設住宅の集会所などで何度も話し合った。市役所も頻繁に訪れ、担当者と相談した。

 全戸が加入していた農協の地震共済では震災後の冬の雪害も考慮され、1戸1千万~3千万円が補償されたという。市も、移転用地を1平方メートルあたり1万円台の安値で売った。6割の世帯が新たに借金を負わずに住宅を再建できたという。

 一方、移転を急いで、コミュニティーを維持できなかった地区もあった。

 旧川口町(現長岡市)の小高地区(25戸)は、中越の被災地で最も早くに5キロ離れた場所への集団移転を決定。14戸が借地に自宅を建て、高齢世帯や資金が足りなかった4戸が移転地内の災害公営住宅に住む。

 角張清治さん(68)と妻敦子さん(68)は「便利にはなったが……」と言葉を濁す。避難所では「1戸あたり1700万円がもらえる」とうわさが流れた。
住民は移転に前向きになったが、その後に国から町への補助上限額が誤って伝わったことが分かった。単独で別の集落に移った建設会社経営の大渕新司さん(63)は「『話が違う』ともめ、無理やり移るような形になった。わだかまりが残った」と振り返る。

    ◇

【奥尻】
「かさ上げ・190億円義援金力に」
 
片側1車線の道路の両側に歩道、赤や青のカラフルな屋根の広々した家、防火対策を兼ねて点在するミニ公園や避難路―。1993年の北海道南西沖地震で約200人が津波などの犠牲になった離島・北海道奥尻島の青苗地区が、生まれ変わった原動力は、190億円の義援金だった。

 最大1400万円の配分を受け、自己資金なしで再建した家もある。漁港前に家業の金物店を復活させた麓(ふもと)幸子さん(52)は「支援のおかげ」と話す。

 直接支援を充実させたのは、地区の被災者の3分の1にあたる100世帯で結成した「奥尻の復興を考える会」の力があった。初代会長でガソリンスタンド経営の明上雅孝さん(62)をはじめ、中心メンバーは40~50代の働き盛りの自営業者ら。明上さんは「役場主催の住民説明会は不満をぶつける会になりがち。我々がパイプ役になり、双方に意見を伝えた」と言う。

 集団移転先は当初、空港周辺の高台が候補だった。ただ、漁師の多くが海の近くを希望し、アンケートでも全戸移転32%、一部移転22%、検討中46%と分かれた。これを受けて町は高台移転とかさ上げを併用する復興計画をまとめた。

 厚い支援で再建は早く、町は5年後、「完全復興」を宣言した。
しかし、復興景気が終わると再び人口が減り、地震前の4700人から3200人に減ってしまった。商店街も人通りが少なく、売り上げ減でローンの返済に苦しむ。

 青苗地区の被災者だった新村卓実町長(59)は悔やむ。「義援金を使い切らず、人材育成基金の形で残し、いまも有効に使えたら」

   ◇

【神戸】
「復興住宅・進む高齢化を懸念」

 神戸市中央区の兵庫県営大倉山高層住宅。訪ねた平日の昼間には人影がほとんど無く、隣の集会施設では高齢の入居者たちが体操やゲームを楽しんでいた。

 1995年の阪神大震災では県内で約18万世帯の住宅が全壊し、復興住宅計約2万5千戸が整備された。自宅の再建が難しい高齢者や障害者が優先され、当初から年齢層は高かった。

高齢化率は年々高まる。市営の約1万500戸では07年度末に65歳以上の入居者が50%に到達した。市全体の2倍の水準だ。

大倉山高層住宅も入居510世帯のうち、高齢者がひとりで暮らす「シルバーハウジング」が222世帯。夫婦や親子で暮らす105世帯を合わせると6割が高齢者世帯だ。「年々、自立できなくなっている」と生活援助員(LSA)の平井ひろみさん(51)は言う。

 市から委託された社会福祉法人から派遣され、同僚3人と平日午前9時~午後5時、集会施設に常駐。単身の高齢者の安否を確かめ、生活相談に応じるのが主な仕事だ。住民同士の交流を促し、定期的に映画鑑賞会やお茶会を開くが、顔を出せない人も増える。

 仮設住宅で起きた「孤独死」が復興住宅でも問題になっている。市はLSAに加え、ヘルパーなども派遣している。被災者支援のNPO「よろず相談室」の牧秀一理事長は「復興住宅には高齢者や障害者が多く、入居者だけで支え合うのは難しい」と指摘する。

 宮城県気仙沼市や石巻市でも高齢被災者の支援活動を展開する牧さんは、元々高齢化の進む今回の被災地の先行きを懸念する。「被災前のコミュニティーを生かすなどの工夫をしないと神戸より早く、同じ課題に直面するのではないか」
(2012年03月13日 朝日新聞)

長い記事だったので紹介が遅くなってしまった。昨年3月の記事である。
今、振り返ってみると学ぶところが多い。新潟、奥尻、神戸で起きた大震災からの教訓は素直に受け止めて、東日本大震災の復興に活かしていかなければならない。
この1年10ヵ月余り、復興へのスピード感がなく、復興予算も他の事業に運用されている事実も露見された。
防潮堤などハードの復旧を優先させての町づくりや生活・暮らしのソフト面の復興計画が中心だ。
高台移転も積極的にすすめてほしいが、どうやら厳しいらしい。昨年末に政権交代もあり、政府の責任で復興をリードする方針が明確になった。しかし、地元、被災地、被災者の意向を尊重しながら進めていくことが重要だ。
記事にあるように3ヵ所の「教訓を活かす」意味が迫られている
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人口減少の問題ってなに!

2013-01-29 12:12:03 | Weblog
大相撲の高見盛引退

総務省から2012年「人口移動報告」が発表された。
岩手県全体で「転出超過」は-2,385人だ。
宮古市の場合、転入1,542人、転出1,906人となり、-364人。ということだ。

宮古市の人口が2010年(平成22年)統計で61,078人、2015年(平成27年)は57,628人(-3,450人)と見込まれている。2030年(平成32年)には51,903人とのことだ。
これは、先の”宮古市地域協議会”で宮古市の「少子化の進行について」国立社会保障・人口問題研究所が平成12年の国政調査結果に基づき試算したものとして提案された資料から抜粋した。
おおよそだが、年間200人~300人ペースで減少していくことになる。
「少子化」の視点から見ると、5~14歳人口に基づき試算した宮古市の児童生徒数は、平成22年4,802人、平成27年4,029人、平成32年3,421人・・との推計だ。
従って、小学校や中学校の統廃合の問題や地域の均衡ある発展などが課題となる。
更に、2011年(平成22年)の3・11東日本大震災の影響は大きい。

数値上から見るとドンドン人口が減少して「わが町」も魅力のないような印象であり残念だ。
客観的な事実であり、動かしがたいデータの1つである。あくまでも基礎資料なので、これがすべてではないはずだが、先に突きつけられると「なるほど、いかにも」とうなずいてしまい、前向きな発想になれないことも事実である。
そこで
人口減や少子化の問題をどう解決していくのか?
多くの人が集まるような町づくりをどう創造していくのか?
人口が転出や流出しないためには雇用の場や娯楽の施設、魅力ある資源を活かしていくことが重要施策なはずだが、どうなっているのか? 
いろいろ議論されつくして、取り組みもして現在に至るような気もするが、今一度、立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思う。
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ちからめし

2013-01-28 15:42:24 | Weblog


派手なお店の構え!!
東京チカラめしです。
牛肉を焼き、タレをつけてどんぶりに盛り付けた。いわば、牛丼です。
テレビ番組でPRしていたのを見たので一度行きたいと思っていました。秋葉原店!!
肉の固さが年配者には気がかり。ゆっくりは食べれないね。急ぎかっ込むしかない。顧客の回転率は凄い!!
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認定社会福祉士特別研修~二日目~

2013-01-27 16:52:12 | Weblog




二日目はピアスーパービジョンです。
課題レポートの事例を中心に、グループワークが始まりました。三~四人チームに編成されたメンバーで、それぞれが発表した内容に対する感想や意見、学んだところを忌憚なだしあいました。
これらの意見をA4紙に集約して、グループ毎に発表します。
立場を越えての議論に貴重な気づきをもらいました 。
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認定社会福祉士特別研修会!

2013-01-26 23:38:20 | Weblog

社会福祉士の資格取得の際も、なかなか合格出来ないで苦労しました。
安堵も束の間、合格はゴールではなくスタートである思い続け、15年以上も経過しました。夢の開業、独立型社会士となってもゴールは見えません。認証システムが消滅し、いよいよ、認定社会福祉士と上級社会福祉士の仕組みてが作られました。
賛否や評価はそれぞれありますが、今、自分が社会福祉士として、新たな仕組みを経験できるより近い位置います。
むしろチャンスととらえて、チャレンジしてみたいと考えました。3月にも集合研修会への参加が必須です。レポートの提供もあります。一つ一つの頑張りを乗り越えることの大切さを実感。心地よくやるしかない。
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先生の闘病に力かして 津森小児童が署名活動!

2013-01-25 11:32:15 | Weblog
午後から「宮古地域協議会」へ参加予定

先生の闘病に力かして 津森小児童が署名活動
4年生の「しょ名おねがい」書と患者会が作成した「要望書」
 益城町の津森小教諭、中園靖子さん(49)が、手足の先から除々に筋力が低下する「遠位型ミオパチー」という治療法のない病気と闘っている。
担任する4年生が先生の病気回復を願って、治療法開発や国の難病指定を求める署名活動を展開。
署名数は1年間で1万人を超えている。

 中園教諭が熊本大医学部で遠位型ミオパチーと診断されたのは2009年。
「30歳を過ぎたころから、ちょっとした段差でも転ぶようになり、自分でもおかしいと思っていた」という。次第につまさきが上がらなくなり、現在は床などに引っ掛からないよう上体を左右に傾けながらゆっくりとしか歩けない。右手の指も自由が利かなくなりつつある。

 担任する4年生は3年からの持ち上がり。児童たちは「3年生のとき、先生が病気のことを話してくれた。みんなで力になりたいと思った」と話す。
その後、テレビ番組で遠位型ミオパチーの詳細や署名活動のことを知った。

 児童たちの署名は昨年1月スタート。全国の患者会が作成した要望書に、「早く薬が出きて先生がぼくたち、わたしたちとずっといっしよに学校生活がおくれるようにみなさんの力をかしてください」と手書きの文章を添えた。署名用紙を各家庭や飲食店などにも配布。
保護者、地域住民、教職員らの協力もあり、署名数は1万人を突破した。

 中園教諭が歩いて移動するときは、児童たちが手をつないだり、付き添ったりして気遣いをみせる。「先生と子どもとの間に思いやりと絆が育まれ、教育の原点を見るような気がします」と北森光代校長(59)。

 中園教諭は「子どもたちの思いに支えられてここまで来ることができた。
私にとって子どもたちが薬です。今後も、社会の理解を得ながら署名を呼び掛けていきたい」と話している。

 遠位型ミオパチー 
体の中心部より遠い部分から筋力が低下していく筋肉の病気。多くは20歳すぎに発症し、歩行困難などで介助が必要になる。
全国の患者数は数百人といわれる。「遠位型ミオパチー患者会」(東京)会員は140人で、県内は中園教諭ら3人。
(2013年01月24日 熊本日日新聞)

感動的な記事を発見した。皆さんにも是非、情報提供したい内容だ。
子ども達のまっすぐな行動にエールを送りたい気持ちだ。さわやかな共感を持つ。
まだまだ大人も頑張らなくてないけない。
身近なところから、思いやりと絆を育むことが大切だ
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長崎の障害者施設、日常的虐待か  県警が職員5人を書類送検!

2013-01-24 15:48:29 | Weblog
日ハム・糸井選手、八木投手2対3のトレードでオリックスへ

長崎の障害者施設、日常的虐待か  県警が職員5人を書類送検
 長崎県警は23日、同県島原市の身体障害者支援施設「島原療護センター」の入所者に対する暴行や傷害の疑いで、26~46歳の男女の職員と元職員5人を書類送検した。
県警は日常的に虐待していたとみている。

 施設では昨年12月、入所者の男性(76)を介護中に殴り右腕を骨折させたとして元職員の金子修被告(29)が逮捕、その後起訴された。

 県警によると、金子被告を含め6人は「言うことを聞かないのでカッとなって殴った」「抵抗できない人を選んだ」と供述。
2007年~昨年まで約10人を計約300回暴行したと話している。
(2013年01月23日 岩手日報)

障がい者への虐待事件が無くならない
日常的に暮らしている施設の中で行われることに対して、撲滅し、一掃するような施策はないのか。
障害者虐待防止法が出来ても、何ら決め手になるような解決策は見当たらないのか。残念だ。
一方、学校教師などの子供達への「体罰」の考え方、見方も錯綜していて、桑田さんの発言や考え方はよく判ったが、評論家などのご意見でますます混迷する。
何かの事業で大成した人やスポーツ、運動的なクラブだけは許されていいような発想をする人もいる。
強者が弱者を見る目線は同じで、高圧的な態度は改善されないような気がする。
体罰や虐待、暴力を「絶対やめる」「やらせない」と明確な態度と強いメッセージを出していかないと、又いつか「虐待」「体罰」として表面化する要素を含んでいる。
法律で決められていても、隠れて、陰でコソコソ行われているとすれば意味がない。
弱者は告発することも、現状を訴えることもできない。
これまでの価値観を見直して、どうすれば子供達や障がい者のためになるのか。
学校や施設は誰もためのものなのか。教師や施設職員は何のために存在するのか。
主人公は誰なのか・・・・を見直す時期にきているのではないかと思う
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スロープつけ段差のない街 盛岡市!

2013-01-23 13:21:09 | 障害者自立支援法って!なに?
週末1月26日(土)~27日(日)また、東京へ出かける。今日は休息して体調を整えたい
明日は民生委員の定例会。明後日は地域協議会の会議だ。こうして動ける時が幸せだ。

スロープつけ段差のない街 盛岡市
 車いすの青年が自ら地域のバリアフリー化に乗り出した。
被災した杉などで作るスロープを自分の生活圏にある飲食店などに置いてもらう。
賛同者を増やし、いずれは日本のバリアフリー化を目指す。

    ◇

 盛岡市月が丘3丁目の松嶺貴幸さん(26)は雫石高2年の冬、地元スキー場で宙返りをした際、首から落ち、肩から下が動かなくなった。約2年間入院し、高校を中退した。
絶望に陥ったこともあったが、8年前に親元を離れて自立。
寝ながらできるメディアデザイナーとなり、インターネット広告を扱っている。やがて電動車いすで1人で外出できるようになった。しかし、映画館も飲食店も段差があって入れない。

 大学受験資格を取り、マルチメディアの勉強のため1年間留学したアメリカも完全なバリアフリーではなかった。
最後は自分の力で乗り越えるしかないと確信して帰国した。


 日本でどう暮らすか。模索していた今年5月末、元県議でボランティア団体員高橋博之さん(37)と出会った。
「優しくない町を嘆いていても仕方がない」と話し合い、「ランプアップいわてプロジェクト」を始めた。
「ランプ」は英語でスロープの意味。店の段差に持参したスロープをつけてもらう試みだ。

 今月6日、流木などを活用する陸前高田市の製材所を訪ねて相談した。
7日、自宅周辺の11軒を回り、スロープの設置を頼んだ。カフェや花屋や焼き肉店など9軒からOKをもらった。

 15日は、高橋さんらと町に出て段差を調べた。
10センチの段差に見合うスロープ板は長さ約60センチと分かった。
各店舗の段差を調べてスロープの長さを割り出し、幅やデザインを決めて製材所に注文する。
動きを知った紫波町の車いす利用者から「参加したい」と声が届いた。

 スロープは支援者が買って店に置く。店が買ってくれれば大歓迎だ。県内すべての店に自由に出入りできるようにしたい。松嶺さんは「障害者だからと要求ばかりしていてはだめだ。
自分が動いて初めて行政も動く。要求型でなく開拓型のまちづくりを目指します」。
高橋さんは「携帯用スロープも作って、車いすがどんどん町に出られるようにしたい」。
問い合わせは電子メールでinfo@rampupiwate.comへ。
(2012年06月22日朝日新聞)

「ランプアップいわてプロジェクト」の松峯さんの活動の様子をテレビで見た。
新聞記事は昨年6月のものだ。活動内容が理解できず、テレビを見てさらに認識を深めた。
素晴らしい活動であるかどうか、ブログに紹介できる内容かどうか、自ら確かめないと判らないことが多い。
皆、私個人の判断になり、責任は自分だ。もし、間違って紹介したら大変なことになる。
今のところ大事件に至った経験はない。読者の皆さんに感謝だ
最近、著作権の関係で新聞記事などの紹介も厳しい規制がかかる。地方のローカルな記事でも、とても良い記事は全国の皆さんにお知らせしたい衝動になる。
出来る範囲で良い記事を探し、自分なりの確認して本ブログで発信したい。
この「ランアップいわてプロジェクト」の活動もその1つだ。
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そば処藤治郎!!

2013-01-22 17:25:48 | Weblog

東京駅のそば処藤治郎です。
1人掛けテーブルカウンターで食べていると、窓の向こうを人が歩いて行きます。駅の構内らしい雰囲気…。
けっこう、どこも満席で、探すのが大変(^_^)v何を食べたいのか、どの店に決めるか、迷います。東京駅ぶらり…は疲れた。
食べてみたいお土産はゲット。夜7時すぎに帰還!!
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更に白熱した交流続く!

2013-01-22 09:29:05 | Weblog






東京の夜は、気心の知れた仲間と懇親会!!
飲みながら、議論するのが大好きです。
一年ぶりに会う方々が多いのですが、福祉や介護の現状をうれいて、今後どうしたら良いのか。熱く語るのが楽しい。
それぞれ地域事情が違う訳ですが、そこにしっかり根をはって頑張っている元気を感じて良かった。
私も、宮古に帰ったらガンバロウ!!
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第9回自立支援サービス研修会i n東京新宿!!

2013-01-21 21:48:48 | Weblog








あいおいニッセイ同和損保KK主催の「第9回自立サービス研修会」に参加するため上京しています。
早期4時半起床、始発列車で活動。かなり〓〓〓。でも、頑張ります〓
いつもは恵比寿の本社での開催なのですが、今回は新宿の社屋です。あいおいニッセイ同和損保KKは大手の会社ですし、合併して更に大会社になり、社名も長くなりました。
全国から社会福祉士の仲間が集まるし、講師のお話しも勉強になります。
不幸な交通事故などで重い障害、後遺症になった人を支える役割を担えると思って参加していますが、幸い事案はなく経過しています。忙しくなるということは、事件、事故が多いことになりますので、「ない方が良い」訳です。誠に複雑な心境になる仕事の一つです。
一年ぶりになりますが、どんな出逢いと発見があるか、楽しみです。
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苦肉?会議の場所探し!!

2013-01-20 10:42:50 | Weblog


先日、介護者支援の会の打ち合わせ会議を開催。
さて、約6名程集まれる集会所がない。とのことで、見つけたのがファミレスの「まるまつ」。食事も、お茶も、時間を気にせずokです。夕方6時から始まり10時頃終了 。
あんまり時間かけすぎも・・・どうかな!?
次回も此処で開催予定。
仲間の1人は、納豆定食を注文。私は、ミニすしそば定食。六人バラバラにオーダー。
お楽しみのドリンクバーでコーヒー二杯!!
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「赤ひげ」先生なくして復興はなし! 

2013-01-19 12:53:36 | 病院・クリニックづくりの活動!
来週はナント2回・・上京しなければなりません!キツイですが出逢いと学びが楽しみに

3・11の東日本大震災から1年経過した頃、宮古市内の本屋さんで立ち読みして偶然、見つけたのが北原茂実著書「病院が東北を救う日」です。
「まさにこれだ!」と感激したことを覚えています。
北原茂実さんのもう1冊の著書「病院がトヨタを超える日」も取り寄せて読みあさりました。
痛快です。これまでの考え方や価値観がひっくり返りました。
医療は誰のためのものだったのか。病院って何だったのか。医師の役割や見方も変わってしまいました。
しかし、患者がいて、病気がある限り、医療も、病院も、医師も必要です。
もっと最重点課題として位置付けていくことが大切ですし、国民や住民も関心を持たなければいけません。
一方、医療制度や社会保障制度は大変ややこしく、北原茂美さんが著書の中で丁寧に、優しく、詳しく説明や解説しても理解できません。
北原茂実さんの「講演テープ」や宮城県東松島で開催された「市民公開講座」に参加し生講演を聞くこともできました。貴重な学びでした。もっともっと早くに出逢いたかったと思いました。
これを機会に、東京八王子市にある北原国際病院を見学させて頂いたり、カンボジアでのNGO活動にも関心を持って注目しています。

大きな被害を受けた宮古市においても、「医療を中心とした町づくり」は不可欠です。
命を守り、つなげることも大切、病気を治すことも大切、人生の最後に命を看取ることも大切・・・・・誕生から死まで一貫して関わっているのが医師であり、病院や医療機関であるとするなら、これを中心に据えて物事を考えていけばライフサポートの仕組みが見えてくる。ライフラインを確保して、そこに必要な商店、事業所、関係者を集約していくことで「町づくり」ができるのではないか。
日本では古来から、そうして町が発展し、人々の営みが成り立ってきたようにも思います。
「赤ひげ」先生なくして復興はなし! 
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なぜ病院・クリニックづくりに奔走するのか!

2013-01-18 11:10:10 | 病院・クリニックづくりの活動!
寒い日が続きます。今朝は水道管が凍結?でも蛇口付近にお湯をかけて解凍!

私は医療分野には素人です。
医師でなければ病院・クリニックを開業できないのに、なぜ病院・クリニックづくりに奔走するのか?
それは、2011年3・11の東日本大震災の影響が大きいです。
自宅や家族は、津波被害も受けない高台に位置していて幸運でしたが、津波被害の惨状は直接、自分の目で見てきましたし、被災者の皆さんの窮状も、刻々と変化し、ニーズが変更することも訴えてきました。

1年を経過したあたりから、政府や行政の復旧・復興への施策についてスピード感なく、いっこうに進展しない現状に憤りも感じました。
特に、日々の生活に直結するようなソフト面の遅れには唖然とさせられることが多かったと思います。
できることであれば、国や行政に頼らず、自らの力で少しでも復興に向けて活動することが大切だ。
東北や被災地の復興に理解のある全国の皆さんの理解や協力に訴えることの方が重要ではないか。
しかし、そのためにも地域や自分たちが変わらなければいけないし、何が必要なのか、どうして必要なのか、を切々と心から話していくことが今、求められていると思います。

宮古市西地区は、30数年前、団地の造成に合わせて、予めクリニックの用地が確保されT医院がありましたが、医師の病気による死亡で閉鎖され、後継者への期待もあったようですが、住宅地として利用されることが決まると病院・自宅の建物は解体
3・11後には全て戸建住宅が建設されました。
西地区の人口は約1万人弱、高齢化率約26%、幼稚園、小・中学校もあります。
津波被害にあった市民のために「仮設住宅」「みなし仮設住宅」も地区内の公園等にに建設されて、人の流れも大幅に変わってきました。
こうした環境下に病院・クリニックが無いのは残念なことです。

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