及川新(おいかわすすむ)氏(86歳)は、
岩手医大卒業後に、1961年(昭和36年)に宮古病院(現宮古山口病院)を開業。
社団法人新和会理事長、社会福祉法人若竹会名誉理事長を務めていました。
10数年前に、病に伏し闘病生活を続けていましたが、3日午前4時3分、肺炎のため市内の病院で死去されました。
及川新氏の功績を讃え、氏の実現したかった「志」が永遠に受け継がれていくことを願っています。
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私と及川新氏との出会いは昭和50年、知的障がい者施設の開設にあたり、職員スタッフの1人として採用されたことに始まります。
社会福祉法人若竹会の理事長と1職員の関係でしたが、約30年近くにわたり公私にお世話になりました。
精神科医であり、病院と施設の理事長という重職においては、患者・利用者・家族には優しく接し、職員にはとても厳しいものがありました。
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細かい理屈を嫌い、面倒な手続きを省略して即決する。トップダウン、神・天の声で全てがまとまっていく豪快さがありました。
とてもやりやすい反面、お金の捻出には大変苦労した部署もあったと思います。
一方、やると決めたことに対する責任や行動、実行力は半端ないものがありました。
先見性をみる眼力も素晴らしく、障がい者・家族のために必要な施設がドンドン建設され、拡大していきました。
当然ながら、支える職員や仲間も増えていきました。ファミリーの家族が増えていくように喜んでいた表情を思い出します。
何の見返りも求めず社会貢献を楽しんでいるかのように偉大に見えました。
今では、宮古市内でも優良な企業の1つに発展しています。
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障がい者施設も、措置費時代から契約の時代に変わりました。
私も退職して10年経過しました。
地域で受け皿の一端を担いたいと頑張ってきましたが、障がい者や高齢者が暮らしやすい環境になっているか?というと疑問です。
2013年3月11日の東日本大震災もありました。
老朽化対策で新たな改築・増築作業もあり、急速に病院や施設が大きくなっていくような印象もあります。
この数年間で、経営・運営が主導、手腕が試されています。
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1人1人を大切にし、個々のニーズを尊重した取り組みをすること!こそが、及川新氏の目指す理念の一つでした。
そこで生き、人を信じ、頼り、人生の全てを任せていかなければならない人たちがいること。そうした人達の生命を担いでいく。
とても崇高な仕事・事業をやってこられたと思います。
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どんな時代になろうとも果敢にチャレンジして、及川新氏の「志」を忘れずに実践してほしいと思います。
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私も微力ながら、体力の続く限り、及川新氏から学んだ「志」を高くして、頑張りたい。