アレレ・・・・渡辺さんって、岩手ドリプラに登場した人かな
「新風」農業に挑む 盛岡の若手経営者
担い手の高齢化や所得減少など厳しい環境にある本県農業の中で、新しい感性で挑戦する若手経営者が増えている。
飲食業界に身を置く盛岡市の渡辺里沙さん(31)、ラーメン店を経営する同市の大信田英和さん(39)もその一人。異業種から参入し、新ビジネスを掘り起こす。衰退が懸念される本県の基幹産業に新風を吹き込めるか、注目される。
有機野菜普及に力 飲食業部長・渡辺さん
渡辺さんは飲食業、秀吉(盛岡市)の食材事業部長。県内の有機農産物を首都圏の飲食店に販売する「いわてS―FARM(エス―ファーム)」事業を手掛け、2年目を迎えた。今年は取引先のニーズにきめ細かく応えることに力を入れる。
農家に足を運び、作付け計画を一緒に考えたり、作物もニーズに適合した品種に変更してもらう。県内を回り、有機農産物の生産者発掘にも懸命だ。
3月初旬には、岩手町土川の田中栄三さん(60)の農園でサラダ用野菜の収穫に加わった。この農園は土作りにこだわり、数十種類の野菜をすべて有機栽培している。渡辺さんは「ほかにはない味」と何度も足を運び、取引にこぎ着けた。
「最初は断ったが、熱意に負けた。収穫することで野菜の味が分かり、旬が分かる」と田中さん。渡辺さんへの信頼は厚い。
渡辺さんは「岩手らしさを発信したい。環境に優しい有機農業が普及して食べる人が増えてほしい。そして地方の活気につながってほしい」と夢を描く。
麺用小麦自ら栽培 ラーメン店経営・大信田さん
キムチ納豆ラーメンで有名なラーメン店「柳家グループ」代表の大信田さんは仙台駅東口店店長を後任に託し、2008年春に花巻市大迫町の休耕地を借り、麺(めん)用の小麦栽培を始めた。
昨年、収穫した小麦は製粉して約1トンになり、自家製麺として提供。50アールだった畑も現在2ヘクタールに拡大した。
「ラーメンに小麦は欠かせない。世界の食糧事情を考えると入手できない時代が来るかもしれない。まずやってみようと始めた」と理由は明快だ。
実際は買った方が安い。だが、店の将来像を描く中、「岩手の土地や自然を生かしたラーメン屋として歩まなければ、生き残ってはいけない」という考えに至った。
課題も多い。大信田さん1人で取り組み、ほとんどが手作業。「これから規模拡大し本格的に生産するのか、まだ分からない。農家と連携する手もあるのではないか。ただ、食を扱う仕事として農業への思いは積み重ねたい」と模索を続ける。
(2010/04/08 岩手日報)
ブログから過去の記事を発見した。
2010年4月8日付の岩手日報さんの記事だ。
岩手を舞台に、若者が壮大な、素晴らしい取り組みをしていた。その記事を投稿しょうと保存していた。
ついつい忘れてしまったようだ。東日本大震災前からステキな夢を育てている人たちがいたことを誇りに思いたい。
おそらく、成功して活躍していることだろう。
追いつけ、追い越せだ。元気をもらって頑張りたい。
「新風」農業に挑む 盛岡の若手経営者
担い手の高齢化や所得減少など厳しい環境にある本県農業の中で、新しい感性で挑戦する若手経営者が増えている。
飲食業界に身を置く盛岡市の渡辺里沙さん(31)、ラーメン店を経営する同市の大信田英和さん(39)もその一人。異業種から参入し、新ビジネスを掘り起こす。衰退が懸念される本県の基幹産業に新風を吹き込めるか、注目される。
有機野菜普及に力 飲食業部長・渡辺さん
渡辺さんは飲食業、秀吉(盛岡市)の食材事業部長。県内の有機農産物を首都圏の飲食店に販売する「いわてS―FARM(エス―ファーム)」事業を手掛け、2年目を迎えた。今年は取引先のニーズにきめ細かく応えることに力を入れる。
農家に足を運び、作付け計画を一緒に考えたり、作物もニーズに適合した品種に変更してもらう。県内を回り、有機農産物の生産者発掘にも懸命だ。
3月初旬には、岩手町土川の田中栄三さん(60)の農園でサラダ用野菜の収穫に加わった。この農園は土作りにこだわり、数十種類の野菜をすべて有機栽培している。渡辺さんは「ほかにはない味」と何度も足を運び、取引にこぎ着けた。
「最初は断ったが、熱意に負けた。収穫することで野菜の味が分かり、旬が分かる」と田中さん。渡辺さんへの信頼は厚い。
渡辺さんは「岩手らしさを発信したい。環境に優しい有機農業が普及して食べる人が増えてほしい。そして地方の活気につながってほしい」と夢を描く。
麺用小麦自ら栽培 ラーメン店経営・大信田さん
キムチ納豆ラーメンで有名なラーメン店「柳家グループ」代表の大信田さんは仙台駅東口店店長を後任に託し、2008年春に花巻市大迫町の休耕地を借り、麺(めん)用の小麦栽培を始めた。
昨年、収穫した小麦は製粉して約1トンになり、自家製麺として提供。50アールだった畑も現在2ヘクタールに拡大した。
「ラーメンに小麦は欠かせない。世界の食糧事情を考えると入手できない時代が来るかもしれない。まずやってみようと始めた」と理由は明快だ。
実際は買った方が安い。だが、店の将来像を描く中、「岩手の土地や自然を生かしたラーメン屋として歩まなければ、生き残ってはいけない」という考えに至った。
課題も多い。大信田さん1人で取り組み、ほとんどが手作業。「これから規模拡大し本格的に生産するのか、まだ分からない。農家と連携する手もあるのではないか。ただ、食を扱う仕事として農業への思いは積み重ねたい」と模索を続ける。
(2010/04/08 岩手日報)
ブログから過去の記事を発見した。
2010年4月8日付の岩手日報さんの記事だ。
岩手を舞台に、若者が壮大な、素晴らしい取り組みをしていた。その記事を投稿しょうと保存していた。
ついつい忘れてしまったようだ。東日本大震災前からステキな夢を育てている人たちがいたことを誇りに思いたい。
おそらく、成功して活躍していることだろう。
追いつけ、追い越せだ。元気をもらって頑張りたい。