夢の実現へ きむら社会福祉士事務所

独立型社会福祉士事務所を続け、地域&在宅医療の重要性を訴え、あきらめず!岩手県の医師充足度ワーストワン汚名を返上したい!

宮古市「広報みやこ」より!<写真特集>!

2011-05-31 10:40:06 | 東日本大震災の情報

寒い!

宮古市では6月1日号「広報みやこ」で”津波・宮古市の被災記録と復興への一歩”のタイトルで写真特集を組んで状況を取材しています。

「被災状況をありのまま後世へと伝え残す」、「絶望を希望に変える」・・・・・発行にあたっての決意が頼もしく思います。

ホームページからダウンロードできますので、是非、ご覧ください。

http://www.city.miyako.iwate.jp/       

         ↓

添付ファイル6月1日号 一括ダウンロード/37.4MB をクリックです。

「広報みやこ」は航空写真や高台から撮影した写真が多く、被災の状況がリアルに全体的に把握できると思います。これだけ原形が消失していると元々はどうだったのか?地元出身で見慣れている人間でも解らなくなります。

何度も悪い夢ではないか?・・・と思いましたが現実です。これが今まさに起きている事実です。ここからどうしても逃げ出すことができない。直接的な被害があっても、なくても、この現実に立ち向かい、復興に向けて一歩でも前へすすまなければなりません。

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生活相談員101人配置へ 県議会特別委で県が方針!

2011-05-30 10:52:01 | 東日本大震災の情報
大雨、風・・散々な天候です。武田勝(日)3勝、帆足(西)4勝、摂津(ソ)4勝、久保(神)3勝、川井(中)3勝

生活相談員101人配置へ 県議会特別委で県が方針
 県議会災害対策特別委員会(佐々木順一委員長)は27日開かれ、県は東日本大震災の被災者対応の一環で、仮設住宅入居者の生活再建を支援する生活支援相談員(ライフサポートアドバイザー)を101人配置する方針を示した。国の第1次補正予算を受け、6月補正予算案に関連事業費を盛り込む方向だ。仕事や生活資金、福祉サービスなど幅広く対応。長期にわたるケア体制の「窓口」となる。

 工藤勝子氏(自民クラブ)の質問に答えた。相談員は入居者の就職や住宅再建、介護・福祉サービスの利用など幅広い相談に応じる。支援が途切れないよう市町村や関係機関などに橋渡しし、一人暮らしの高齢者の見守り役も担う。

 相談員の資格要件などは今後固める。専門家らによる研修などを経て、被災地で101人を新たに採用する見込み。

 大規模な仮設住宅団地に併設される福祉サポートセンターを拠点に活動。サポートセンターのない近隣の小規模団地や在宅避難者への巡回相談も視野に入れる。

 避難所を出た後の生活に対する不安を抱える被災者は多く、生活再建までの中長期にわたる支えが必要とされていた。阪神大震災では仮設住宅入居後に独居高齢者の孤独死が相次ぎ、コミュニティー維持とともに見守り体制構築が課題だった。

 県地域福祉課の小田原照雄総括課長は「十分な支援体制の中で活動してもらうようにする」と答弁。「被災者の仮設住宅での生活に寄り添い、その後の自立に向けた支えも担ってほしい」と話した。

 同日の特別委で県は、仮設住宅の建設見通しなど被災者の生活支援やがれき処理などの対応を説明した。(2011/05/28 岩手日報)

岩手県では「仮設住宅入居者の生活再建を支援する生活支援相談員(ライフサポートアドバイザー)」を101人配置するという。菅内閣がすすめてきたワンストップ支援の施策の一環だ。
確か、雇用や自立支援の必要性から22年度補正予算でも盛り込まれたと思っていたが、どこに配置されて、どんな活動をしているのか?
これまでの実績はどうだったのか?
全く何も見えない。日本社会福祉士会の岩手県支部にも情報はない。どうなっているのだろうか?

社会福祉士=ソーシャルワーカーの活躍の場となるとの期待もあったが、実際には低賃金、身分保障もなく、仕事の割には不安定な内容との評判だ。残念である。
NPO法人に委託されているとも聞く。ボランティア精神だけではやり切れない重要な任務なのだ。それぞれの方々の一生の人生に寄り添い、抱えていくことにもなる。責任感ややる気を持てば持つほど、担い手にためらうのではないだろうか。
これを機会に「社会福祉士」の採用がすすむように期待もしたい。世に社会福祉士の存在を知らせるチャンスでもある。若い社会福祉士が現場の第一線で活躍する姿を見たいものである。
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懐かしのクッキー復活 盛岡・福祉施設が試食会!

2011-05-29 13:02:04 | 東日本大震災の情報
内海(巨)6勝

懐かしのクッキー復活 盛岡・福祉施設が試食会
 盛岡市下飯岡の障害福祉サービス事業所あすなろ園(成田甲子夫園長)は16日、長年盛岡で親しまれていたベルギークッキー「ニックナック」の復刻版発売記念試食会を開いた。ニックナックは終戦後から2005年まで同市上田の盛岡ドミニカン修道院が製造販売していたが、高齢化などの理由で製造を中止していた。同院から指導を受け、懐かしい味が復活。地域に親しまれた伝統菓子を受け継ぎ、利用者の工賃アップにもつなげる。

 試食会には関係者やあすなろ園利用者ら約10人が参加し、試食した参加者から「懐かしく、おいしい」との声が上がった。利用者の細川幸子さん(31)は「香りもよくおいしく出来上がっている。自信作です」と太鼓判を押した。

 ニックナックは小麦粉や砂糖、卵、バターなどで作った素朴なクッキー。ほどよい甘さで子どもから大人まで楽しめる味わいだ。1袋6枚入りの315円(税込み)で、27日から同市緑が丘4丁目のアネックスカワトクや同園が運営する「あすなろ屋」で販売する。

 07年に同修道院が使用していた器材やレシピなどを引き継いだ。製造室の改修や試作を繰り返し、約4年を経て販売にこぎ着けた。

 製造室は同市下飯岡のあすなろ屋飯岡店に設けられ、店内で製造工程を見学することもできる。成田園長は「伝統ある味を受け継ぐと同時に、実際働いている姿を見てもらい、地域の人たちと触れ合いながらやっていきたい」と意気込む。

 発売を記念して27、28の両日、アネックスカワトクで試食販売を行う。問い合わせはあすなろ屋飯岡店(019・639・8373)へ。  (2011/05/17 岩手日報)

盛岡ドミニカン修道院の「ニックナック」だ。昔、見学に出向いたことがある
ベルギークッキーと言われ、盛岡中心に長年親しまれてきた。最近、いろいろなお菓子が登場する中で、見かけなくなったと思っていたら製造中止していたのだ。
障害福祉サービス事業所「あすなろ園」でそれを引き継いでいくという。嬉しいことだ。是非、頑張ってほしい。懐かしい味や思いを実現して頂きたい。

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釜石に「医療モール」計画!

2011-05-28 11:27:49 | 東日本大震災の情報
        
釜石に「医療モール」計画
仮設診療所各地で建設へ
 県内各地で仮設診療所の建設協議が進んでいる。県医療局は、被災した陸前高田、大槌、山田の3市町で県立病院の代替施設建設を決めた。陸前高田市と山田町では用地選定を進めており、釜石市では「新日鉄エンジニアリング」(東京都品川区)から提供を受け、市中心部から離れている鵜住居地区に「医療モール」をつくる計画を発表した。
 
 県医療局によると、壊滅的な被害を受けた県立大槌病院は、県医師会を通して日本災害医療ロジスティック協会から仮設診療所の提供を受けた。現在建設中で、コンテナ型の建物に診療室3室を備える。早ければ今月末にも完成予定という。

 また、1階が津波で浸水した県立山田病院と壊滅した県立高田病院については、同局が現在、建て替え場所を検討中だ。どちらも現在より高台に移す方針で、平らな土地が少ないため民有地への建設も考えているという。入院病床はなく、外来診療のみを行う。

 まだ開設のめどは立っておらず、同局経営管理課の多田繁・企画予算担当課長は「応援の医師が徐々に減る可能性が高いので、できるだけ早期に建設して環境を整えたい」としている。

 一方、釜石市に計画されている医療モールは、壊滅的な被害を受けて無医状態になっている鵜住居地区の被災を免れた平地への立地を予定している。約600平方メートルの平屋で、やはり入院病床はないが、新設する市営診療所と同地区の2開業医が入る予定だ。

 県医師会によると、今後、県外からの応援医師が態勢を縮小していくことを考慮し、徐々に県内陸部の医師が沿岸地区に応援に入る。今月中旬から、被災地の医療現場で医師同士の引き継ぎを始めたという。石川育成会長は「これからが正念場。医療は安全が第一。早く医療の環境を整えたい」としている。  (2011年5月21日 読売新聞)

全国紙の2社が取材し報道された。立ち上げもキチンと見守りたい。
地域医療の充実について関心の高さが伺えるし期待度も高い
その昔の無医(村)地区から診療所はあるが、医師がいない。病院などの建物・設備は整っているが、医者がいない。全く確保できないという深刻な状況が続いている。この現実は何とか解決しなければいけない
都会には多くの医師がいて、開業も盛んと聞く。地方・田舎との格差は広がるばかりだ。「医療モール」への期待も、都会的なイメージを持ち、皆で発展させていこうといった応援が高まれば成功も間違いなしだ。楽観的に考えたい。


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記東日本大震災:釜石市、地域医療復興策で医療モール建設へ!

2011-05-28 11:05:59 | 東日本大震災の情報
         
東日本大震災:釜石市、地域医療復興策で医療モール建設へ 医師、3人常駐 /岩手
 釜石市は、東日本大震災後の地域医療復興策として、同市鵜住居町に内科と外科の医師計3人が常駐する、医療モールの建設を計画している。7月中にも着工し、早ければ10月から診療を始める。

 市健康推進課によると、医療モールには、津波で診療所が被災した内科の開業医2人が勤務し、県立釜石病院から外科医1人を招く。主に周辺に建設された仮設住宅約500戸の入居者の診療を担う予定という。施設は鉄骨平屋建てで、延べ床面積は約600平方メートル。新日鉄エンジニアリング(本社・東京都品川区)が建設し、費用も同社が負担する。

 同市内では震災前に6カ所あった診療所のうち、仮設に移るなどして診療再開できたのは26日現在、2カ所にとどまり、市外から派遣された応援医療チームが引き揚げた後の地域医療の充実が課題となっている。市の担当者は「住人がかかりつけ病院を持てるよう通常の医療体制の確保が欠かせない」と指摘する。(2011、5、29毎日新聞岩手版)

沿岸地区で「医療モール」とは?響きが嬉しい感じがする。
大震災で大変な被害を受けた地域住民にとっては藁をも掴む思いだ。また。津波で診療所が被災した開業医の先生達にとっても良いことではないか、と思う。
しかし、こうした地域医療体制の充実をすすめていくことも、市行政や地域住民、医師の理解、協力、継続的な支援がないとうまくいかないと思う。
多難な課題を乗り越えて成功に向けて頑張って頂きたい。
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ハンセン病療養所の「空室」情報、被災3県に提供!

2011-05-28 10:47:43 | ハンセン病ってなに?
今日は寒い

ハンセン病療養所の「空室」情報、被災3県に提供
避難者受け入れや仮設住宅建設が可能な施設
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 東日本大震災の被災者を各地の国立ハンセン病療養所で受け入れようと、厚生労働省は、各療養所の施設の空き部屋や、仮設住宅が建設可能な土地の状況をまとめ、27日、岩手、宮城、福島の各県に情報を提供した。職員住宅や面会宿泊所など利用可能な住居や部屋は計88世帯分あり、土地は計約4万平方メートル。

 入所者や職員が減り、住宅や施設に空き部屋が出ていることなどから、入所者で作る全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)が「震災の被災者を受け入れたい」と要望。厚労省が受け入れ準備を進めている。神美知宏(こうみ・ちひろ)全療協会長(77)は「療養所は国民の共有財産。ぜひ活用してほしい。被災者の方々が来てくれれば、療養所も社会に復帰できたと実感できる」と話す。

 療養所には医師が常駐し、人工透析を受けられるところもある。整った医療態勢は入所者のためのものだったが、近年、地域に開放されている。来年4月以降には東京と熊本の療養所で、地域に開かれた保育所が開設予定。(2011年5月28日 朝日新聞)

良い決断だが周知を図るにはエネルギーがかかりそうだ。
大震災以来、各自治体では、担当者を配置して被災者の受け入れのPRに懸命だ。頭が下がる思いだ。「お互いに助け合いの精神」が生きていて共感する取り組みもある。
しかし、被災者側の心情を逆なでするような内容や提供の仕方もある。
いずれ、上から目線ではいけないと思う。すでに「自立」に向けての取り組みは始まっている。1日でも早く普通の暮らしを送れるようになりたい、と願っているだけだ。
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沿岸市町村 仮設商店街相次ぎ開設!

2011-05-27 10:50:48 | 東日本大震災の情報
     
沿岸市町村 仮設商店街相次ぎ開設
宮古 仮設住宅入居に合わせ
多くの被災者らでにぎわう仮設商店街(宮古市田老地区で)  県内の沿岸市町村で、震災の津波によって店舗を失った商店主が中心となり、仮設商店街を建設する動きが進んでいる。陸前高田市は4月半ばにプレハブの商店街がオープン。宮古市では15日、仮設住宅の入居開始に合わせて、テントを使った仮設商店街が開店した。山田町も6月に仮設商店街が開店する予定。商店主らは「被災者が買い物難民にならないようにしたい」と結束を強めている。

 15日、避難所になっている宮古市田老地区のホテル「グリーンピア三陸みやこ」敷地内の仮設住宅近くに張られた二つのテント。飲食を中心に13店が出店し、手作りせんべいや野菜、花が並べられた。地元商店で作る「田老スタンプ会」が、被災者が便利に買い物できるようにと企画。2~3か月後には、プレハブ小屋に移行する予定だ。

 開店の午前10時には約100人が列を作り、地元食堂が昨秋考案した名物「どんこのから揚げ丼」は昼前に完売する盛況ぶり。「近くで買い物できると本当に助かる」と避難所暮らしで、花を買いに来た下西ハツヨさん(71)は話す。

 田老には、防潮堤の内側の国道沿いに商店が集中していたが、津波で9割が流出。高台にあるこのホテルでは約650人が避難生活を送り、その脇に約400戸の仮設住宅がある。

 ただ、商店街とは約20キロ離れている。車を流された住民も多く、買い物への不安が高まっていた。箱石英夫会長(58)は「多くの人が待っていてくれた。お客さんといろいろ会話をすることで、店主たちの気持ちも盛り上がってくる」と意気込む。

陸前高田ではプレハブ店舗 一方、一足先に開設した陸前高田市では、避難所と仮設住宅のある市立第一中から約200メートル離れた高台で、プレハブ店舗を運営している。中心になっているスーパー「マイヤ」は市内の2店舗が被災し、3月29日からテントを並べた出張販売所で営業を再開。4月半ばにプレハブ店舗が完成し、スーパーや文具店などが入る。毎日約300人が訪れ、今月2日には歯科医院もオープンした。

 山田町は、町内約200店の8割が被害を受けた。このうち9店が、大型テントを利用した仮設商店街を6月3日、中心部の「なかよし公園」に開く予定だ。
(2011年5月16日 読売新聞)

「仮設住宅」の建設が急がれるが、沿岸地区は平地が少なく、津波の心配のない場所を探すとなると高台や商店街から離れた場所に建設するしかない。併せて、食堂、各商店、診療所、スパー等も必要だ。商売をやってきた方々も被災者だ。仮設の商店街が形成されていくことも自然な流れのような気がする。復興に結び付ける取り組みが大切だ。
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福祉仮設住宅整備へ 宮城県、仙台に第1号 介護職員常駐!

2011-05-27 10:37:01 | 東日本大震災の情報
由規(ヤ)5勝、牧田(西)2勝、チェン(中)2勝、成瀬(ロ)4勝

福祉仮設住宅整備へ 宮城県、仙台に第1号 介護職員常駐
 宮城県は、震災で被災した高齢者や障害者が共同で住む「グループホーム型仮設住宅」(福祉仮設住宅)を整備する。第1号となる住宅を、今月下旬にも仙台市太白区の「あすと長町」で着工する。
 県と仙台市によると、整備する福祉仮設住宅は、定員9人の1ユニットを2棟建設する。共同生活スペース(居間、食堂)と個室、浴室、台所などを配置。介護職員が常駐し、食事や入浴の介助を担う。
 完成後は、津波被害を受けた若林区のグループホームで暮らしていた認知症高齢者十数人が入居する予定。ホームの職員は「震災後は別のグループホームに移ったが、定員超過で手狭になっている」と話し、早期入居に期待を寄せる。
 県長寿社会政策課によると、福祉仮設住宅には、被災して身寄りを失った高齢者も入居できる。一般の仮設住宅での独居生活で、閉じこもりがちになるのを防ぐ狙いがあるという。
 福祉仮設住宅は、被災市町や事業者の要望を受けて県が整備する。
今回は、用地を確保できた仙台市でいち早く建設のめどが立った。気仙沼、石巻、名取各市でも要望が出ているという。(2011年05月13日金曜日河北新報)

宮城県では「グループホーム型仮設住宅」(福祉仮設住宅)を整備している。
岩手県では構想はあるようだが、まだ建設されていない。実際には見たことがない。
バリアフリーにも配慮されているのだろうか?是非、見学してみたい。
仮設住宅のスタイルも様々なタイプがあり、業者によってデザインもいろいろだ。住み心地を追及した仮設住宅の提供を期待したい。

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特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論

2011-05-26 10:41:22 | 東日本大震災の情報
ダルビッシュ(日)6勝、涌井(西)3勝、和田(ソ)3勝、吉見(ロ)1勝、フィガロ(オ)3勝中村(西)10号

特養移すか残すか 飯舘村、国避難指示に異論
 福島第1原発事故で全住民の計画的避難が始まった福島県飯舘村で、唯一の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」の入所者を避難させるかどうかが焦点になっている。国は村外避難を求めるが、村は環境変化に伴う容体悪化や移動リスクを心配し、入所者をホームに残してケアを続けたい考え。国に対し「画一的に決めず、実情に合う対応をしてほしい」と訴えている。

 ホームは社会福祉法人いいたて福祉会の運営で107人のお年寄りが入所している。平均年齢は84.7歳で最高齢者は102歳。要介護度は平均で4と重く、自力で動けない人も多い。
 ホームによると、避難は受け入れ各施設に2~10人程度ずつ分散移動するか、旅館などを改修した仮設施設に全員そろって避難するかの方法が考えられる。分散避難の場合、受け入れ施設は埼玉県内の約30カ所になり、移動が大変だ。ホームを存続させられなくなる可能性もある。全員避難のケースは設備の整う仮設施設の確保が難しい。
 県内の他の自治体では3月の震災と原発事故発生当時、施設入所者や入院患者が避難先で体調を悪化させたり、死亡したりする例が相次いだ。
 計画的避難でホームの職員107人も村外に出なければならない。入所者がホームに残れば、職員は村外から通うことになって通勤時間が長くなるが、雇用は継続される。
 三瓶政美施設長(62)は「計画的避難は緊急避難と事情が違う。入所者は室内にいて、浴びる放射線量も少ない。利用者の安全を第一に考える必要がある」と話す。
 国は全村民の村外避難を原則としている。村はホームの意向を酌み、入所者がホームでケアを受けられるよう国に要請し、回答を待っている。
 菅野典雄村長は「入所者の生活のリスクを考え、実情に沿った対応を考えてほしい。もっと村に裁量権があっていい」と語っている。
(2011年05月17日火曜日 全国紙 )

これは大変な問題である。107人の入所者と職員の皆さんの生活の全てがかかっている。利用者の安全を第一に考えると、避難せず今のままのホームでケアした方がよいと考えている。「全員避難」と決定しても仮設の施設の確保など困難がある。107人がバラバラになる可能性の高い。施設長や法人理事会には苦しい選択が迫られている
国・政府は全村民の村外避難が原則であるという。飯舘村・村長はホームの意向を酌み、入所者が特養ホームでケアを受けられるよう国に要請し、回答待ちであるという。
計画的避難の段階なので、実情にあった対応が必要で、村の裁量権を期待している。本当に悩ましい。
原発事故の被害は、先の見通しがない、目に見えない被害だけにキツイものがある。
国・村、施設長等々、それぞれに納得できるような対応策の検討を真摯な態度でお願いしたい。
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「危険区域」指定に慎重意見相次ぐ!

2011-05-25 10:55:21 | 東日本大震災の情報
          
「危険区域」指定に慎重意見相次ぐ
県説明に沿岸首長
 県は12日、宮古市や陸前高田市など沿岸南部の6市町に担当者を派遣、高潮や高波で浸水の恐れがある地域を想定した「浸水想定区域図」を示した。市町村に建築基準法に基づいた「災害危険区域」を指定してもらい、浸水の恐れがある地域での建築禁止・制限につなげたい考えだが、説明を受けた各首長からは制限区域指定には慎重な意見が相次いだ。16日には、残る沿岸北部の6市町村に説明する。

 この日は、県が作成した想定区域図をもとに、防潮堤が大きく損壊するなど、浸水の被害が大きくなるとみられる地点を中心に説明された。陸前高田市の戸羽太市長は「特定の地域に家を建てないでほしいという意思表示は必要だが、災害危険区域の指定にこだわる必要はない。町づくりを進めやすい選択をしたい」とした。宮古市の山本正徳市長も、当面は危険区域の指定をせず、住民に自粛を呼びかけていく考え。

 指定に前向きな考えを示していた大船渡市の戸田公明市長は「まずは復興計画を策定し、地域の方と話し合って一定の方向を決めたい」と述べるにとどめた。大槌町、釜石市、山田町の各首長は、区域図が未完成であることや、住民との話し合いが必要などとして、現時点での判断を明らかにしなかった。

 市町村に示した想定区域図について、県は「地盤沈下の測量結果が反映されていない」として、報道陣への公表を見送った。6月上旬に完成させ、正式に発表する方針という。
(2011年5月13日 読売新聞)

大震災から75日経過する。
宮古市の状況は、ガレキ撤去や家屋の解体作業が並行してすすんでいる。
復旧がすすむ中で、建物の外壁がしっかりしている家屋は内装などの修理、修復が行われ、金融機関、公的機関、有料企業、商店等が復旧し事業を再開した。喜ばしいことである。
こうした周辺に一般住宅が建築されてきたのが世の流れだ。条例等で規制する方法も1つであるが、自粛を呼びかけても、ふさわしい土地がないと元の場所に戻らなければないない。住民の皆さんは選択肢がないために困っているのだ。
そのための話し合いは必要なのではないか。復興にむけた議論は全市民を巻き込んで大切な課題である。
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東日本大震災:保育料、完全無料に 人口流出防止へ、釜石市方針 /岩手!

2011-05-25 10:11:56 | 東日本大震災の情報
中村紀(前楽天)→横浜へ
              
東日本大震災:保育料、完全無料に 人口流出防止へ、釜石市方針 /岩手 
釜石市の野田武則市長は10日の会見で、東日本大震災の復興計画の骨子を6月中にまとめる方針を示した。また、大震災に伴う人口流出を防ぐため、市内の幼稚園・保育園の完全無料化を検討していることを明らかにした。

 復興計画を話し合う「市復興まちづくり委員会」(経済団体やNPO関係者ら約50人)を月内に設置、骨子をへて、9月の計画策定を目指す。新築・増築自粛を市が求めている浸水地域に関し、野田市長は「6月をめどに危険があるのかどうか、そうした場所の(土地利用の)方向性を打ち出していかないといけない」と述べた。

 保育料無料化は、市外に職を求めるなどして子育て世代が転出するのを食い止める狙い。市教育委員会によると、県内他市町村に先駆け10年度から幼稚園・保育園とも第2子以降は無料化しており、第1子も対象にすることで「釜石で子育てをという姿勢を訴えたい」としている。

 野田市長は、震災で2診療所が失われた鵜住居地区で、仮設診療所を開設することも発表した。被災した診療所や県立釜石病院のスタッフが診療に当たり、隣の大槌町も含め地域医療を担う。8月下旬にも開設の見通し。(2011年5月11日 毎日新聞地方版)

いろいろな施策を打ち出して必死に頑張っている釜石市だ
幼稚園・保育園の完全無料化もその1つ。仮設診療所の開設も。
市民の皆さんと復興計画を話し合いながら、トップリーダーの考えをメッセージしていくことは大切だ。できれば全て実施、実現してほしいが、もし、そうならなくても意義ある取り組みである。
国に頼る前に、被災を受けた市町村の住民のニーズをどうくみ上げていくのか?これが最も大切なことである。市町村首長によって方法はいろいろである。危機管理の際の判断や力量が問われている。住民にも解り易い方法、納得できるようなやり方ですすめていくことが期待される。
釜石市はマスコミ、新聞なども活用して情報発信をしている。とても良いことだ。住民がどう考えて、どんな選択や判断をしていくか?最終的には住民や被災者の1人1人が決めていくことになる。
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県が街づくり3モデル 市町村たたき台に!

2011-05-24 14:12:01 | 東日本大震災の情報
寺原(オ)3勝、川井(中)2勝、ハミルトン(横)1勝

県が街づくり3モデル 市町村たたき台に

避難ビル構想盛る
県が示した復興モデルのイメージ図。浸水区域、避難ビルや防浪ビルの位置、高台移転候補地などが色分けされている  県は23日、復興に向けた被災地の街づくりについて、被災状況別に、三つの復興モデルを、地形図を色分けしたイメージ図で示した。津波が来た際に短時間で逃げ込める避難ビルの位置や高台移転の候補エリアなどを具体的に図示してある。県は近く、地区別の詳しいイメージ図を示し、沿岸各市町村が進めている復興計画のたたき台とするよう検討を促す。

 復興モデルのイメージ図は県が作製し、23日の県津波防災技術専門委員会で初めて示された。被災状況別に〈1〉パターンA「市街地全壊」(想定は陸前高田市など)〈2〉同B「海側市街地が被災」(大船渡市など)〈3〉同C「海辺に近接した集落が被災」(田野畑村など)――の3通りを想定した。

 ほぼ壊滅状態の「A」では、公営住宅や商業施設などの高台移転の必要性を強調。漁師の拠点となる漁港を人工地盤で補強し、漁協や水産加工場など海辺の近くに避難ビルや避難専用のタワーを建設するイメージ図を描いた。

 市街地の大半が致命的な被害を免れた「B」では、従来の市街地の再建を基本に据えた。一方、被災地域の高台移転や避難所となる公園、海岸沿いで津波の勢いを弱める防浪ビルや避難ビルの整備なども示した。

 被災が局地的な「C」では、集落ごとの高台移転や土地のかさ上げ、海から居住地までの避難道路の整備などが必要とされている。

 委員会の終了後、委員長の堺茂樹・岩手大工学部教授(海岸工学)は「(復興モデルのイメージ図は)個々の地域の復興を考える上でのたたき台となる」と述べた。さらに詳しい地区別のイメージ図は6月上旬にも示される見込み。

 県は、津波対策の方向性も示し、防潮堤などの整備や、イメージ図で示したような街づくりのハード面に、避難計画の策定や、情報通信網整備、防災教育の継続などのソフト面を組み合わせていくとした。(2011年5月24日 読売新聞)

岩手県から復興モデルのイメージ図が3通り示された。
さらに詳しい地区別のイメージ図は6月上旬に示されるという。
ガレキが撤去されて更地になっている場所を見ると、逆にこれからどうなるのだろうか?心配事が先行する。被災者の不安はどうようなものか、図り知れない。
できることなら、仮設住宅建設の動きと合わせて、山を切り崩し土地造成する作業とか、田畑を埋めて敷地を造成するとか?将来、希望があればこうした造成場所に家を作れるといった青写真があれば安心できるのではないかと思う。
元の場所へ家を造ることは困難であるのだから、誠心誠意の対応策を検討して頂きたい。国・政府は国難を乗り切るためのメッセージを発信して頂きたい。スピード感も大切になる
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光なき不安 音なき恐怖 障害者たちの3.11

2011-05-23 08:50:05 | 東日本大震災の情報
白鵬13勝2敗優勝

光なき不安 音なき恐怖 障害者たちの3.11
 東日本大震災では、多くの障害者も被災した。障害者は障害の種類や重さによって、避難する際や避難所でさまざまな困難に直面する。宮城県内の視覚障害者、聴覚障害者の体験から、震災時の障害者支援を考える。

◎視覚障害者/津波は音もなく来た
 視覚障害者の越中美智枝さん(59)は3月11日、宮城県石巻市中里の自宅で地震に遭った。
 激しい横揺れに、座っていても体がずるずると動いた。物が落下し、背後の食器棚の中で皿や茶わんが次々と割れる音がする。「危ないと思っても動けなかった」。座布団で頭を守った。
 揺れが収まると、100メートルほど離れた中里小に小学2年の孫娘(8)を迎えに行こうと白杖を手に外に出た。
 網膜色素変性症のため、40歳前後で視力を失った。健常者の夫(65)と2人暮らし。求職中の長女(32)に代わり、放課後の孫の世話をしていた。
 玄関を出ると、大津波警報の発令を知らせる放送が聞こえた。ほどなく戻った長女の車で夫と学校へ。孫を乗せて日和山に向かったが、渋滞で断念し、学校に引き返した。
 学校には既に大勢の住民が避難していた。「寒いから」と近くに止めた車中にいた。
 しばらくして長女が異変に気付いた。「皆が体育館に逃げてる。水がすごい」。膝まで水に浸かって校舎に移動しながら「津波なんて半信半疑だった。水は音もなく来たんだ」と思った。
 水かさは増し、学校は孤立状態に。1300人が避難し、廊下にも人があふれた。「人が多くて杖もつけず歩くことができない。トイレに行くのもままならずつらかった」。携帯電話は通じず、同室の人のラジオが唯一の情報源だった。
 学校を出たのは地震から3日後の14日。水が引かず、土手に渡した幅30センチの板を歩いて脱出した。
 土手に上がると、非常事態を告げる無数の音が、一斉に耳に飛び込んできた。救急車のサイレン、ヘリコプターのプロペラ音、飛び交う無線の声…。「とんでもないことが起きた」と実感した。
 知人宅などを経て4月下旬に自宅に戻った。ふすまは床上70センチまで水の跡が残る。足元はぬかるみ、衣類や音声パソコン、点字板一式は泥水に漬かっていた。日本盲人福祉委員会(東京)などが設置した視覚障害者支援対策本部宮城県本部から、点字版や日用品の支援を受けて生活再建を図る。
 越中さんは「市から安否確認や福祉避難所への誘導はなかった。避難先で同じ障害の人同士でいられれば心強かったし、助け合えたと思う」と振り返った。
(渡辺ゆき)

◎聴覚障害者/避難呼び掛け、気が付かず
 名取市閖上の無職渡辺征二さん(70)は、海岸から1キロ離れた自宅で、妻勝子さん(66)と息子(41)家族の5人で暮らしていた。渡辺さんと勝子さんは、ともに耳が聞こえない。
 地震発生時、渡辺さんは自宅で昼寝をしていた。大きな揺れで目を覚まし、部屋の中を見ると、テレビやテーブルが倒れてきた。
 普段からインターネットは使わず、テレビを見る習慣もない。地震に関する情報はこれまで、手話で家族から得ていた。当時、勝子さん以外の家族は出掛けていた。テレビのスイッチを入れても、停電で映らない。地震や津波の情報を得られないまま、家の中の片付けに取りかかった。
 地震の後、閖上地区では消防団が広報車を走らせ、住民に津波からの避難を呼び掛けていた。渡辺さん夫婦は屋内にいたため、気が付かなかったようだ。
 午後3時半ごろだった。近くに住む兄の敏正さん(73)夫婦が血相を変えて駆け込んできた。慌ただしく手を動かし、メッセージを送ってきた。「何やっているんだ。津波が来るぞ」
 屋外に出て海を見た。初めて事態の深刻さを知った。黒い波が迫っていた。兄は車に渡辺さん夫婦と近所のお年寄りを乗せ、避難所の閖上中を目指した。
 道路は狭く、渋滞していた。津波はどんどん迫ってくる。走って逃げる人もいた。兄は波に追いかけられながら、車を走らせ、仙台東部道路の名取川橋にたどり着いた。橋の上から見えたのは、渦を巻いた真っ黒な波が、車、船、電柱、松の木を押し流す恐ろしい光景だった。
 家族は無事だった。家は津波で流され、6日後に約200メートル離れた場所で見つかった。
 渡辺さんは閖上で生まれ育ったが「津波が来るとは思わなかった」と言う。震災当日は、普段は何かと気遣ってくれる近所の人が、訪ねて来なかったし、出入りする気配もなかった。後日、近所の人たちが大勢亡くなったことを知った。
 渡辺さんは「耳の聞こえる人たちがたくさん亡くなった中で、聞こえない自分たちが助かったのは、兄のおかげ」と語った。

◎適切な情報支援、不可欠/被災障害者を支援するみやぎの会/阿部一彦代表
 被災した聴覚、視覚障害者らの状況や支援の課題について、仙台市障害者福祉協会長で、宮城県内の障害者関連団体でつくる「被災障害者を支援するみやぎの会」の阿部一彦代表に聞いた。
(聞き手は丸山磨美)

 震災直後に避難所に身を寄せた聴覚、視覚障害者の多くは、ほどなく自宅に戻った。「暮らしづらい」「迷惑を掛けたくない」というのが、主な理由だ。
 聴覚障害者の場合、手話通訳や要約筆記ができる人がいないと、音声による情報伝達を把握できない。「頭の中の地図」を頼りに移動する視覚障害者は、不慣れな建物ではトイレに行くことが難しい。
 自宅に戻ったとしても、生活支援情報が届きにくく、給水や買い物に困ったという話も多い。
 震災時には、聴覚、視覚障害者への情報支援が特に重要になる。罹災(りさい)証明書の申請など、支援制度の情報が届いているのか心配される。障害に応じた適切な情報提供の方法を考えるべきだ。
 福祉施設とつながりのない在宅障害者は、安否確認自体が難しい。
 壁となっているのは、個人情報保護法だ。今回の震災では、日本障害フォーラム(JDF、東京)の「被災障害者総合支援本部・みやぎ支援センター」(仙台)が県内の状況を調査する際も、自治体が持つ障害者手帳の交付台帳の活用は認められなかった。法施行以前は台帳を安否確認などに活用できたと聞く。
 仙台市障害者福祉協会では、震災翌日から加入団体会員の安否確認を進めたが、障害者全体から見ると一部にすぎない。沿岸部では協会自体が被災して名簿すらないケースがある。誰がどこにいるか分からなければ、支援は困難だ。
 今回の震災で、障害者支援の想定と対策が十分でないことが分かった。対策の見直しを進め、行政や地域、福祉団体などが情報を共有できるよう訴えていきたい。
(2011年05月10日 河北新報)

あの3月11日大災害時、視覚障害者、聴覚障害者の方々の体験の様子が取材された。貴重な内容である。安否確認や被災にあった場合には今後の手続きのことなど心配がある。
宮古市の場合は、配偶者がいたり、親戚、兄弟が世話したり、絆はできていると思われる。今のところ深刻な相談や話もない。行政にも手話通訳者が配置されており、対応はキチンとされているものと推察。しかし、この大震災を機会に対応策を見直し、検討の余地はあると思う。
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「入社できて幸せ」水産加工会社で式典大船渡!

2011-05-22 16:34:38 | 東日本大震災の情報
           
「入社できて幸せ」 水産加工会社で式典大船渡 
入社式に臨み、被災についての話に耳を傾ける新入社員たち(6日午前、大船渡市で)  三陸有数の水産加工会社「阿部長(あべちょう)商店」(本社・宮城県気仙沼市)が6日、大船渡市の工場で1か月遅れの入社式を行った。同社は津波で岩手、宮城両県にある8工場が大きな被害を受けるなどしたが、約800人の従業員を一人も解雇せずに再建を目指している。震災で内定者の採用取り消しが相次ぐ中、晴れて正社員となった5人も、入社式を迎える日まで毎日、工場に通ってがれきや泥の撤去作業を手伝った。

 「この会社に入社できて幸せです。全国の皆さんに三陸の商品を届け、頑張っていることを伝えたい」

 午前8時から工場2階の従業員食堂で開かれた入社式。同社幹部と従業員ら49人が見守る中、新入社員の鈴木早希子さん(22)はジャージー姿で力強くあいさつした。新入社員5人は、いずれも地元の大船渡市や陸前高田市出身。30分ほどで式を済ませると、他の従業員たちとともに、工場内の片付け作業に取りかかった。

 同社は、岩手、宮城両県に水産加工の9工場を持ち、3か所でホテルを経営する三陸沿岸有数の企業。震災で8工場が被害を受け、従業員5人が死亡・行方不明となり、2万トンあった在庫商品のうち1万5000トンが津波で流出した。

 それでも1人も解雇せず、7月中の工場の再開を目指す。大船渡工場に配属予定だった5人についても内定を取り消さなかった。「建物は復旧できるが、これまでに培った社員との人間関係がなくなったら二度と戻らない」。阿部泰浩社長(47)はそう信じる。

 震災で入社式が延期となった5人は、自ら申し出て4月中旬から工場の片付け作業に加わるようになった。5人は入社前で無給のため、阿部社長は「一日でも早く社員になってもらおう」と、急きょ、大型連休の合間のこの日に入社式を行った。「新入社員たちは、がれきに囲まれながらも不安な表情を見せずに頑張ってくれている。会社にとっても、地域にとっても宝だ」と、阿部社長は目を細める。

 陸前高田市内の高校を卒業し、晴れて入社式に臨んだ佐藤潤平さん(18)は、実家が営んでいたワカメやコンブの養殖施設が壊滅した。「これからは自分が家計を支えなければいけない。この日を迎えられ、ほっとした。この会社に感謝しています」と笑顔を見せた。(2011年5月7日 読売新聞)

本来であればごく普通の光景だ。新聞記事になることがおかしい
しかし、3月11日の大震災が全てを変えたような気がする。
あの悪夢のような大災害から立ちあがり復興に向けて力強い一歩だ。
阿部社長の短いが一言一句は人の心打つものがある。「この社長のためなら頑張ろう」という気持ちにさせる事は大切だ。働く人を1人の人間として第一に思ってくれる。これは経営者の哲学、基本的なことだと思う。是非、皆で頑張って復興を成し遂げてほしい
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ダウン症児が連ドラ出演 脚本家「ありのままの姿を」!

2011-05-22 10:54:18 | 障害者自立支援法って!なに?
岸(西)1勝、内海(巨)5勝

ダウン症児が連ドラ出演 脚本家「ありのままの姿を」
 知的障害のある子どもたちを芸能界に送り出そうと、タレント事務所が3年前に設けた障害児専門クラスから今春、初の連続ドラマ出演者が決まった。障害者が演じるのが当たり前になることを目指した試みの、大きな一歩になる。

 出演するのは、企画会社「ケイプランニング」(東京都渋谷区)が運営する知的障害児専門の「芸能部子どもSPクラス」に所属し、オーディションで選ばれたダウン症児の高井萌生(ほうせい)君(10)。20日に放送予定のTBS系「生まれる。」(毎週金曜夜10時)の第5話に、中心人物として登場する。堀北真希さんらと遊ぶダウン症の子ども役だ。

 ドキュメンタリーにダウン症の子どもが出ることはあるが、役者として出演する例はまれ。母の由佳さん(36)は「歌ったり踊ったりするのが大好きな子。元気で、楽しいところをみてほしい」と話す。

 9日に横浜市内であったロケ。人なつっこい性格の高井君は、撮影現場の人気者だ。堀北さんにソフトクリームを差し出したり、「あっちむいてほい」で遊んだり。監督がオーケーを出すまで7回撮り直すこともあったが、最後までやりきった。

 「生まれる。」は51歳の妊娠をテーマにした社会派ドラマ。この回は妊婦役の田中美佐子さんが、胎児の染色体異常などを調べる羊水検査を受けるかどうか悩む。堀北さん演じる長女は高井君と遊んだ楽しい1日を振り返り、母に検査を勧めたことを後悔する。

 脚本の鈴木おさむさんは「家族の葛藤を真正面から描きたかった。障がいを演じてもらうより、ダウン症児のありのままの可愛い姿をみてほしかった」。

 「やっとここまできた」。2008年5月にSPクラスを立ち上げた国枝秀美社長は喜ぶ。「障がいへの理解が進まないのはメディアへの露出が少ないためでは」と考え、欧米のように障害者がテレビや映画に出るのが当たり前の社会を目指した。

 現在、幼児から30代までの約80人が、歌や演技などのレッスンに励んでいる。「子どもたちは注目されればされるほど実力を発揮する。今回の出演を弾みにしたい」(2011年5月12日 全国紙)

知的障害児専門の「芸能部子どもSPクラス」に所属し、オーディションで選ばれたダウン症児の高井萌生(ほうせい)君(10)の活躍に期待したい
何事にもチャンレンジしたい気持や意欲は皆同じだ。また、周囲の人々の理解や支えがないと実現しないことも事実だ、こうした環境が整って夢・理想が実現する。障害がある、なしに関わらず共通した願いを前にすすめたい。

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