BIGBOSSの言葉から立憲民主党が学ぶ。「優勝(政権)なんか一切目指しません。高い目標持ちすぎると選手(政治家)はうまくいかないと思ってるんですよ。1日1日、地味な練習(政治活動)をしてシーズンを迎えて、なにげない1日を過ごして勝ちました。勝った勝った勝った…それで9月(数年先)あたりに優勝(政権)争いしてたら、さあ、優勝(政権)目指そうと。気合の入り方が違う。そういうチーム(立憲民主党)にしていきたい。」
「日本核武装のすすめ」(エマニュエル・トッド著 『文芸春秋』2022年5月号掲載) ロシアのウクライナ侵攻 その1
ロシアがウクライナへ侵攻を始めてから1カ月あまりが経つ。ウクライナ国民の犠牲が日を重ねるごとに増えているというニュースに心が痛む。支援募金に応じたひとが言っていた。「今、自分にできることは何か?」と。僕も僕にできることは何だろうかと自問している。
毎日の報道に接していると、上手く言葉にできない何かしらのモヤモヤ感を持ってしまう。そして僕のへそ曲がり、天の邪鬼体質がもたげてくる。これまでも、アジア、中東、アフリカなどで多くの市民の命が失われてきたが、避難民支援や募金活動などにおいてウクライナの人を特別扱いしていないだろうか。国家総動員法によって成人男子は出国が禁じられて武器をもって徹底抗戦することを義務化したゼレンスキー大統領のやり方は本当に正しいのか。マスコミには笹川財団や防衛省所属の研究者が登場して戦況を中心に解説しているが、それって客観性を持っているのか。国会議員が揃ってスタンディングオベーションする光景。これらを一言でまとめると、言説の翼賛化だ。
そんな僕の愚痴に友人が「いいよ」と紹介してくれたのが、『文芸春秋』5月号に掲載されたエマニュエル・トッドの「日本核武装のすすめ」という論文だ。トッド氏は70年代に当時のソ連の崩壊を予測したフランスの著名な歴史人口学者である。
タイトルの意味は、ウクライナを見ればわかるように、いざという時に米国は日本を守ってはくれない。なので日本は核武装して対米従属を脱し、アジアの中で自立しなければならないというものである。論文の内容については、ウクライナ情勢を把握するうえではとても刺激的だ。「ウクライナ=100%善、ロシア=100%悪」といった図式的な捉えとは全く違う。この侵攻の責任は米国、NATOにもある。プーチンがいうようにウクライナ国内にネオナチ勢力が存在しロシア人を迫害したことは事実だ。米国はウクライナ人を“人間の盾”にしてロシアと戦っているなどとマスコミで流布されている情報とはかなり違う。
詳しくは、『文芸春秋』今月号を読んでほしいのですが、『文芸春秋』という僕からみると偏りのない常識的な国民が購読している大衆誌(僕は初めて買ったのかも知れない)にこのような論考が載ったことの意味は大きい。今後、マスコミの論調もかなり変わってくると予想する。
はじめに戻り、僕にできることは何だろうかと再び問う。それは、デモや募金ではない。発信される限られた情報の中で眼前に起きていることは一体どういうことなのだろうかと考えることだと思う。もし、今僕らがロシア国民あるいはウクライナ国民だったら、統制された情報の中で何を信じて、どのように判断して行動するのだろうかを自分自身の事として考えることだ。このような事態は、この国でも起きるかも知れない、いや気付かぬうちに既に起きているかも知れない。