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『人物で語る化学入門』

2010-04-10 20:09:49 | Weblog
 友人のお世話で今年もデコポンが届きました。凸があっても、凸が無くても、甘くジューシーな味は変わりませんが、比較的に古い木に凸の無いのが成るらしいです。



 『人物で語る化学入門』(竹内敬人著 岩波新書 2010年刊)

 久しぶりに理系の本を読んだ。それも1970年代に専門として学んだこともあった化学の本を。現在の会社では、化学とは全く縁の無い部門で仕事をしているし、また、自分の関心領域も化学からはかなり遠い所に来てしまっているのだが、10代後半から20代に触れたことは、化学に限らずその後年齢を重ねてもその人の思考方法を基底する原点になっていると考える。

 本書は、人間が関心を持った化学の領域ごとに古代から現代までを歴史的に記述しており、化学史の入門書としては教科書とは違ったアプローチがされていて、しかも読みやすい良書である。高校生くらいに薦めたい。

 さて、化学は何を求めてきたのか。いや、人間は何を求めてきたのか。本書を読むと以下のように良くわかる。

 先ず、人間は「物質は何からできているのだろうか」という根本的な問いを持った。それは、例えば、ものが燃えるとはどういうことか、と問うことでもある。様々な試行錯誤の末、元素、原子、分子などの概念が整理され、実証が進む中で新元素が次々と発見された。

 電気も化学の進歩に貢献した。ものの構造、反応、合成、いずれも原子を構成している電子が関係する。物質中の電子の性質、動きを理解することが化学といえる。

 次に、人間は、「役に立つ物質」を作りたいと思うようになった。そのためには、普通では起こらない反応を起こるようにするにはどうしたら良いかを考えた。反応条件を変える技術や触媒の発見もあった。役に立つ物質の成果のひとつが、高分子物質、すなわち私たちの生活の中に溢れているプラスチックである。

 分析機器の発達に伴って、ものの目に見える性質は、ものを構成する分子の原子レベルの構造によって決まることもわかった。

 
 振り返ると、化学という学問は、中間領域の学問と感じる。物質の組成を突き詰めていくと量子力学になり、物理学の領域になる。もちろん、化学の成果は、技術になり、工学として産業の分野につながる。

 最初に「その人の思考方法を基底する」と書いたが、自分を振り返ってみるとそれはどういうことなのだろうか。

 私は、社会を捉える場合、そのベースに技術への信頼と期待をもっている。地球温暖化説など科学的根拠のはっきりしない環境問題には与しない。非科学的なマイナスイオンなどという宣伝文句にも騙されない。貧困など格差問題や経済の問題は、税制や手当などの分配論には限界があると考えている。技術開発による新産業の創出が世の中を大きく変えるであろう。一言でいえば、「進歩」を肯定している。

 政治、経済は文系の学問分野であるが、近年の政治家は理系出身者が進出している。この国では、鳩山、菅が理系。中国も理系が中枢部を占めている。
 
 理系的な発想から社会に連想が飛ぶことがある。本書で、共有結合と水素結合が説明されていた。水は、水素原子と酸素原子の共有結合からなる物質であるが、1個の分子としての性質を示さず、分子同士が緩い水素結合をしていて巨大分子のような性質を示す。

 社会を構成する単位として、従来からの家族、会社、民族、国家など結びつきの強い共有結合による考えた場合、そこに水素結合のような結びつきを発想できないであろうか。新たな共産制社会、アソシエーションの発想である。

 自らは変化することは無いが、他者の反応を促進させる触媒という物質がある。ファシリテーター、コーディネータである。竜馬は、明治維新の触媒であったのか。

 
コメント
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