子どもの頃、僕は
本日、走り初め、快晴で日差しは強かったが午前中の外気温-5℃。足を止めると身体が冷えてくるので走り続けなければならない。走行距離約7km。
休みが続いていると、慌ただしい日々には考えることも無かったことが、次々と浮かんでくる。心のリハビリテーションになっている。
ふと、子どもの頃のことを思い出した。小学校に入る前、勉強机を買ってもらう前だが、台所の食器棚の引き出しのひとつを自分用にもらった。そこには、大切なものをしまっていた。
ひとつは、近くで拾ってきた岩のかけら。石ころの一部が金色に輝いていたことから、僕らは、これは金に違いないと思っていた。これを売ったら大金持ちになれると確信していた。今から考えるとおそらく、黄鉄鉱の結晶ではないかと思う。
僕らはまだ字も書けないのに手帳を持っていた。猫退治手帳と言っていた。残飯をあさって食べる野良猫がたくさんいて、猫退治を遊びにしていた。道営住宅のアパートにはコンクリート製の大きな共同のゴミ集積所があり、1か月分くらいの生ごみを捨てていた。収集は月1回だったと思う。回収が終ったあとホースで水洗いとDDTを撒いた。ネズミがたくさん住んでいたので、猫も多かったのだろうと思う。
大相撲の星取表の載った油まみれの新聞。昭和34,5年頃は、野球と相撲しか無かった。大鵬も柏戸も出てくる前で、北葉山、明武谷、若秩父、岩風、出羽の花などの名前を思い出すが、確か15連敗したはずだが清ノ森という力士を覚えている。
あとは、ビー玉、パッチ、サイコロ、ちびた鉛筆、味の素の缶。グリコのおまけはもう少し後のことだったかも知れない。
僕は、幼稚園も保育園も行かなかったので、毎日近所をウロウロ、ウロウロしていたと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます