過日、会社に今回の参議選で当選した女性が挨拶に来た。いわく、「与党の圧倒的多数の国会で限界はあると思いますが、6年間働きたいと思います」と。僕はこの方は自分が議員でいることにしか目標が無く、政治に全く興味の無い人なのだと感じた。先日、地域のお祭りで見かけ、暇そうにしていたので、「野党の活路は外交にしかないと思いますよ」と言ったのだが、キョトンとしていて「何故?」という言葉すら発することは無かった。きっと、僕は人品卑しい変な爺に見えたのだろう。
『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著 小学館 2016年刊)
プロローグで著者自らが触れているが、佐野氏は3年前に当時の大阪市長ハシシタの出自を暴いて世論の顰蹙をかった。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていた権力者に対して、反権力の立場から書いたつもりだったのであろうが、多数派による少数派差別のところを踏み違えたため、バッシングにあってしまったのだ。『東電OL殺人事件』を描いた頃とどこか佐野氏の中に感覚の狂いが生じていたのだと思う。
さて、本書は’60年安保闘争でブントのリーダーであった北海道出身唐牛健太郎の人生をテーマにしているということで興味を持って購入した。だが、著者の「筆の荒れ」と言うか、気になるところが多かった。いつの間にか唐牛の人生がすっ飛んでしまって、周辺の関係者の人生になってしまったり、内容のほとんどが既存の出版物からの引用を巧くつないでいるが、所々にいわゆる上から目線の表現が鼻についたりで、あまり楽しく読むことができなかった。
著者は、今回は原点に戻って足で稼いだと言っているが、関係者からの聞き取りは上手く運んだとは思えず、口が堅いのは公安のせいにするなどしているが、問題は佐野氏と関係者の間に信頼関係を築けなかったところにあったのではないか。プライバシーに関することは、この書き手は話をしたら相手の事情などお構いなしに書くと思われては絶対に話してくれないと思う。書き手としての責任の取り方が問題だ。
結局、唐牛のブント後の人生がどのようなものであったか、誰も彼の内面を理解していた人はいなかったということなのか。
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