今が一番寒さが厳しいのだろう。週末ランを決行。夕方、昨日はマイナス3℃、本日マイナス5℃、なぜか冬道ランニングがブームになってきているが、私は20年間実行しています。近年良くなったのは、冬専用のスノーランニングシューズが開発されたこと、アシックスさん感謝です。早朝除雪の時より暖かいと感じます。
『アンナ・ハーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッソ監督、脚本、ドイツ・ルクセンブルグ・フランス、2012年)
12月29日という年末にも拘らず、話題作ということでシアターキノは満席だった。(現在も上映中)
変化のない画面の展開、重々しいテーマなのだが、役者のセリフに引き込まれる。主演女優、バルベラ・スコヴァの知性を感じさせる存在感。この国で今、大学で思想を講義できるような役を演じきれる女優はいるのだろうか。古いところで言えば、奈良岡朋子かな。いま偶然、TVに出演している松下奈緒なら少し老け役でこなせるのではないだろうか。
戦後15年、ユダヤ人をガス室に送り虐殺したナチスの戦犯としてアイヒマンが逮捕された。アイヒマンは、罪の意識は全く無く、ただ淡々と上司の命令に従って自分の職責を果たしたと証言する。
本作品は、「悪とは何か」を根源的に問いかける。
アーレントは自ら強制就労所に入れられ仲間や家族を失いながらも辛くも脱出した経験を持つ。その収容所の中では、ユダヤ人が自分だけが助かるために仲間を売るという行為が行われていた。
アーレントは、ユダヤ人は被害者で善、ナチスは加害者で悪という構図に対し、世論から非難を受けることは覚悟の上で異議を唱える。この作品の見どころは、彼女が思想家として、心の葛藤を抱えながら悩み考え抜くところにある。
「思想する」とは、どういうことなのか。
仲間を売るという行為は、旧日本軍のシベリア収容所でも行われていたが、それは過去の戦争中だけのことであろうか。私たちの内面にアイヒマンは存在していないのか。
私は、自分を思考停止状態にして、ただひたすらに粛々と、淡々と営業していることがあり、そのことを否定しない。私たち、ひとりひとりのそれらの行いの積み重ねが、藤田省三氏の言葉を借りるなら「安楽の全体主義」、辺見庸氏は「鵺(ぬえ)のような全体主義」と呼ぶ情況に繋がっている。
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