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「経済クラッシュ」ノオト その8 山中恒『戦争ができなかった日本』

2020-08-11 14:10:11 | Weblog

中国の古代に陰陽五行説があり、季節を人生の年代にあてはめて、青春(あお)⇒朱夏(あか)⇒白秋(しろ)⇒玄冬(くろ)とする。僕の自覚では白秋を終え玄冬(くろ)に入りかけている頃と思っている。同じような考え方で、薬師寺金堂の薬師如来像の台座には、四方に中国の霊獣である四神(東=青龍(あお)・南=朱雀(あか)・西=白虎(しろ)・北=玄武(くろ))が表現されている。考え方も黒っぽいのがいいよね。

 

「経済クラッシュ」ノオト その8 山中恒『戦争ができなかった日本』      

『戦争ができなかった日本―総力戦体制の内幕』(山中恒著 角川Oneテーマ21 2009年刊)に学ぶ。戦時についての歴史書の大半は、軍事や戦闘中心の記述だが、本書は経済と政策の視点から書かれており、これじゃ勝てないはずだったということがよく理解できる。

(P35~)「第二章 戦費とは何か?」、(P45~)「⑦戦費とは何か?」で、(以下、引用)「大日本帝国は戦争で、どれくらい使ったかをざっと見ておこう。

日清戦争2億円

日露戦争18億円

第1次世界大戦(シベリア出兵まで)15億円

日華事変(勃発から2年で)73億円

大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)2,217億円

当時の人口1億人で割ると国民一人当たり2,217円である。たまたま新聞の広告欄に売家の件があり、『荻窪駅バス5分中通り檜造り5室ガス水道庭完備2,000円』というのがあった。ということは、国民一人当たり、家屋一軒分の戦費を負担したことになる。」

アジア・太平洋戦争の戦費は桁違いであり、敗戦後、政府にこの負担が重くのしかかった。それをこれまで述べてきたように国民の財産に手を付けるという乱暴な方法で解消したのである。

(P161~)「第六章 軍需バブルはじける」、(P179)「国民貯蓄は国の財源」(小見出し)(以下、引用)「1938(昭和13)年、政府は「国民貯蓄奨励に関する件」を決定した。全国の郵便局、駅、集会所に「貯金は身の為国の為」のポスターを貼った。主婦には「貯蓄は主婦の手で」、工場労働者には「右手にハンマー左手に貯金帳」、学校では校長が貯金の意義を講話した。

(P178)1941(昭和16)年、政府は軍事費を確保するために巨額な赤字国債を発行した。(85億7,300万円)しかし、厖大な国家歳出はインフレを進展させる恐れがあった。政府資金が散布されることによる巨額な購買力を吸収してインフレを防止するために、1941年、戦時立法「国民貯蓄組合法」を成立させた。

国民貯蓄がなければ戦費の調達はできず、さらに貯蓄によって国民の購買力を吸収しないと、物価が騰貴し悪性インフレを招き国民の生活が不安定になり、戦争はできない。戦争の勝敗は国民の貯蓄にかかっていた。戦争を遂行するために、お国に使ってもらうための国民貯蓄だ。旅行や結婚の為の貯金やタンス貯金は国民貯蓄ではない。

(P181)国民貯蓄組合は、地域組合、職域組合、産業団体組合、在郷軍人分会、青年団、少年団、婦人会、学生、児童・生徒、檀徒・信徒と全ての国民を網羅した。(協力しない者は「非国民」とされた。)

貯金の方法は、郵便貯金、郵便年金の掛け金、簡易生命保険の保険料、銀行預金、信託会社への金銭信託、産業組合(信用組合、商業組合、漁業協同組合)貯金、無尽会社掛け金、生命保険料、国債、貯蓄債権、報国債権などである。

郵便貯金は全額が大蔵省預金部に送られ公債消化資金になった。日本全国どこにでもある郵便局が戦争に果たした役割は実に大きかった。」

このように戦費を調達するため、国民は強制的に貯金や国債を購入させられたあげく、敗戦時にそれらは財産税として国に徴収されてしまったことはこれまでのところで述べたとおりである。

 

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