晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

改元に想う 

2019-05-05 16:47:47 | Weblog

アへ総理は「新しい時代には、新しい憲法を!」と叫ぶ。僕は「新しい時代には、新しい総理大臣を!」と切り返す。「令和」スタートでざわついていた世間が落ち着きを取り戻した。

 

改元に想う    

30年前を思い出すと、天皇の体調悪化、それに伴う「自粛」ムード、Xデーが近いことはわかっていたが生身の命のこと予め何時とは確定できなかった。命が失われることイコール代替わりだったから、幾ばくかの悲しみと寂しさが漂った中での新天皇即位だった。あの時、世の中はそれなりに厳粛な空気に包まれていた。

それと比較すると、今回の生前退位および即位は予めスケジュールが決まっていたので、代替わりの行事はあっさりと進んだ感がある。盛り上がったのは、スゲ官房長官の「令和」発表ぐらいだった。また生前譲位という形だったため悲しみも伴わず、マスコミも祝賀一色の報道だった。皇族の姿を見た人たちがインタビューを受け、その感激に涙を流さんばかりの様子のオンパレード、そこには異論を言わせぬ空気が占めていた。そこに僕の居場所はなかった。

小ブチさんによる「平成」の発表は、上司の家の居間で職場の仲間とともに酔っ払いながら観た。当時は、上司が部下を家に招くという慣習があり、その日は丁度新年会が予定されていた。半ドンの土曜日だったと記憶する。天皇が亡くなったということが伝えられた朝、職場では新年会をどうしようかとの相談があった。奥さんは買い出しや料理などを終え準備は万端とのことだったので、不謹慎かも知れないが静かにやろうよということになった。だが、始まれば大騒ぎだ。

今は無業者の僕、天皇の退位、即位の両日とも普段と変わらずランニングと読書、その合間のテレビ視聴。ただ、どのチャンネルも朝から夜まで同じような番組構成、出演者からの礼賛コメントが垂れ流されすぐに食傷ぎみになった。こういう風景は今まで何度も見ているが、現在はいいだけ持ち上げられている天皇家が、何かをきっかけにバッシングに転じる可能性だ。また僕らは、北朝鮮の報道を奇異な感じで観ているが、こちらの騒ぎもまるで鏡に映る自分のようだ。

丁度同じタイミングで、タイでも新国王の即位に伴う戴冠式があった。5種の神器を受け継ぐなど、日本とよく似た儀式を行ったようだ。天皇制には、この国独自のものというより東アジアに共通の風習がベースにあると感じた。

最後に、この先この国の天皇制が抱える危機を列挙しておこう。

・すこぶる調子がよさそうに見えたが皇后の健康問題だ。これまでのように何事も夫妻ご一緒でとならなくなった時に我々国民の方に寛容さを持てるだろうか。天皇は、公務か皇后かの選択を迫られる時が来るのではないか。

・上皇が完全に引退するのだろうか。国民の人気があっただけに、今後においてもしばしば表に登場すれば権威の二重化に繋がる。

・新天皇は、今までのように皇室の権威と政治権力との距離感を保つことができるのか。戦前のように天皇の権威を政治的に利用しようとする企てを拒否することができるか。

・そこで気になったのは、識者の指摘にもあるが、即位のお言葉の中で「日本国憲法・・の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。」とは言ったが、「憲法にのっとり、・・責務を果たすことを誓い」と今後のところで日本国憲法とは言わなかった点だ。憲法改正を前提にしていると受け止めた。

・男系男子による継承を貫き続けることが可能なのかどうか。ようやく中学生になったばかりの悠仁さまに皇室の未来がかかってしまう可能性がある。

 

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