晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

夏目漱石 『虞美人草』(漱石全集第3巻)

2019-03-20 09:39:25 | Weblog

六花亭札幌本店2階カフェで「おしるこ」

今年は、雪解けが早く温かい陽気の日が続いているのに、PM2.5が濃くランニングは自粛。東方の国に文句を言いたいが、この国も風下に向かって放射能を出しているとしたら、そうも言えまい。冬に太った身体は戻らず、元のジーパンがはけない。

 

『虞美人草』「漱石全集第3巻」(夏目漱石著 岩波書店 1966年刊)

NHK-Eテレ(毎週月曜日/午後10時25分~10時50分)『100分de名著』、今月は「夏目漱石スペシャル」と題して、『三四郎』、『夢十夜』、『道草』、『明暗』が取り上げられている。僕は、これらの作品を読むところまでは未だたどり着いてはいないが、作家の特徴などについて知ること、その代表作に対する批評を聞くことは無駄ではなく、予習の意味を持っていると思う。そう!この番組にかかわらず漱石はがっちりと読もう。

『虞美人草』は、漱石が教師を辞めて専業小説家としてやっていこうと決心し朝日新聞社に入社した後の第一作である。明治40(1907)年6月23日から同年10月29日まで連載された長編小説である。

『猫』以来これまで漱石を読むことは今年の目標として半ば義務的な気持ちで読んできたが、この間に読者としての僕が成長したのか、書き手の漱石が成長したのかは定かではないが、この作品に至って初めて自分から次の展開を積極的に読み進めたいと思うことができた。言い換えれば、作品に誘い込まれ出したのである。

その理由を考えると、当時の読者もおそらく同様であろうが、ストーリーの行方に対して非常に期待を持たせるものがある。強情、偏愛、見栄、我がまま、優柔不断など、人間の持つ否定的な要素をそれぞれの登場人物に性格づけ、親子、兄妹、友人、師弟、男女の間の微妙な心の動き、相互の関係を描いている。そしてまさかの坂を転げ落ちるようなエンディングに向かってハラハラ感を持続させる。

また、小説中の会話部分と説明的な語り部分がテンポよく繰り返される。ただ、会話以外の部分は、講壇の語りのようで、漢文調というか、使用される言葉は現在の僕の語彙レベルでは難解に感じた。この新聞連載小説を明治時代の庶民は毎日普通に読んでいるのだから、その教養レベルは今より格段に高かったのだと思った。僕らの時代はほとんど漢文を学んでいないので、言葉を読みこなす力が全く足りないと感じた。

最後に、題名である虞美人草という言葉が小説中ただの1回しか出てこない。それも最終盤で「逆に立てたのは二枚折の銀屏である。・・・落つるも銀の中と思はせる程に描いた。―花は虞美人草である。落款は抱一である。」と。中国の故事を知らなかった僕にとってはその意味が取りにくい。

 

「漱石や鴎外も読まないで吉本隆明を読んでわかったなどと偉そうにしている奴がいる。」という言葉を噛みしめながら

 

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