晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

共同幻想の不調和

2013-10-08 20:21:45 | Weblog

 

 新島襄と八重がキリスト教を理念として創設した同志社大学、その学食メニュー。カフェのように奇麗で値段が安い!

 

 同じ宗教を信じている信者、結社の綱領に同意した革命政党の党員、同じ思想を持つ○○主義者、それら信者、同志、同朋同士が互いを信頼しているかといえば、全くそんなことはありえない。と、吉本隆明が述べている。

 不思議な構図だと思う。同じ目標や信念を共有していれば、全く異なる考えを持つ人に比べ、阿吽の呼吸で意思疎通ができ、信頼をベースに行動できると考えるのが当然のことだと思う。しかし、歴史を顧みると宗教内部のセクト闘争、革命党の分裂から党派闘争、全体主義国家の崩壊過程など、元を辿ると構成員は同じ考えを共有していたはず。さらに、関係が近いほど齟齬が生じたときの憎悪は激しいものであることを私たちは歴史から学んだ。

 なぜか。宗教、思想・・は共同幻想の次元にある。それがどこまで個人幻想の次元に落とし込まれているかではないか。共同幻想には同意したとしても、それぞれの個人幻想には、差異が残る。例えば、捨てきれぬ権力欲である。

 いじめを無くすため学校で道徳教育を強化しなければならないと言われている。しかし、いじめをしてはいけないという共同幻想をいくら学習しても、ひとりひとりの個人幻想に落とし込まない限り、それは実践を伴わないただの知識に終わってしまう。そんなことで、共同幻想の不調和としてのいじめは無くならないだろう。

 

 

 

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