これまた佐伯啓思先生。副題は「自己責任論」から「理由なき殺人」まで、となっている。
「子どもが減って何が悪いか!ちくま新書 (511)」(赤川学著)を読み、「しかしながら、どうも理解が一緒にならないところは、「選択の自由」ということに最終的な価値を置くか否かのところにあるような気がする。日本の社会規範をどのように作っていくのかという基本のところで、自由からスタートするのか、ある一定の制約があるものと考えるのかだと思う。すなわち「善の構想」(望ましい生き方や人生設計)からの中立を要請する考え方には、ふとっちょパパは組することはできない。「善の構想」がなければ、そこには無責任しか残らないような気がしている。」と書いたが、その考えをきちんとした形で、論じているのが佐伯啓思先生の一連の啓発書だと思う。
中途半端な紹介はできないので、実際に読んでもらいたいが、「「自由」はさしあたりは、「個人の選択の自由」でよい。しかし、その背後にあるものを見なければ、とても「自由」を理解したことにはならないと思う。そして、この背後にあるものをあえて排除しようとした点にこそ、現代の自由の混迷があるといわざるを得ないのである。」(「おわりに」の本当に最後の部分)という指摘は、厳しく突き刺さってくる。
自由とは何か講談社現代新書
「子どもが減って何が悪いか!ちくま新書 (511)」(赤川学著)を読み、「しかしながら、どうも理解が一緒にならないところは、「選択の自由」ということに最終的な価値を置くか否かのところにあるような気がする。日本の社会規範をどのように作っていくのかという基本のところで、自由からスタートするのか、ある一定の制約があるものと考えるのかだと思う。すなわち「善の構想」(望ましい生き方や人生設計)からの中立を要請する考え方には、ふとっちょパパは組することはできない。「善の構想」がなければ、そこには無責任しか残らないような気がしている。」と書いたが、その考えをきちんとした形で、論じているのが佐伯啓思先生の一連の啓発書だと思う。
中途半端な紹介はできないので、実際に読んでもらいたいが、「「自由」はさしあたりは、「個人の選択の自由」でよい。しかし、その背後にあるものを見なければ、とても「自由」を理解したことにはならないと思う。そして、この背後にあるものをあえて排除しようとした点にこそ、現代の自由の混迷があるといわざるを得ないのである。」(「おわりに」の本当に最後の部分)という指摘は、厳しく突き刺さってくる。
自由とは何か講談社現代新書