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保険会社の不払い問題

2007年09月30日 19時05分58秒 | 社会全般
これも、大変大袈裟な感じで、あたかも保険会社が意図的に支払いを拒否したり、払うべきはずの保険金を払わなかったかのように報じられていますが、本当にそうなんでしょうか?

確かに、払いたくないから敢えて拒否みたいなことは、ごく一部にはあったかもしれませんが、もし全部がそうであるなら保険会社の殆どは潰れるでしょう。誰も信用しなくなり、加入する人たちはいなくなりますよ。加入者たちも一斉に解約手続をするかもしれませんよね。でも、現実には殆どの場合において、貰うものは貰えているからこそ、保険会社も保険も続いているのではないかな、と思います。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <生保不払い>大手4社で100万件400億円規模に

(一部引用)
金融庁の命令を受けて生命保険各社が進めている保険金の不払い調査で、日本、第一、住友、明治安田生命保険の大手4社の不払い件数が100万件、金額が400億円規模に達する見通しであることが27日分かった。大手4社は来月5日に金融庁に調査結果を報告するが、金融庁が調査不足と判断して再調査を命じる事態になれば、さらに不払いが大幅に増える可能性もある。
 大手4社の不払い件数は、調査途中の4月中旬には合計で20万件、163億円とされた。しかし、調査が進むと、1件当たりの支払い金額が数百万円となる3大疾病特約の不払いが大幅に増え、さらに4月の時点では手つかずだった通院給付金の不払いも、各社とも10万件前後に達した。

◇◇


こう言ってはナンだが、大した額でもないんじゃないの?100万件ですから、平均で1件当たり4万円くらい、ってことですよね?これは加入者が「申請しなかったので」保険会社が気付かなかった、というものなんですよね?そんなに大袈裟に言う程のことなんでしょうかね。

例えば、生命保険に特約がついていて、入院して手術を受けた後で退院してからも通院日数があった、みたいなもので、入院期間中の分だけ申請していて、その後の分は手続をしていなかった、というようなことなんですよね?そんなの加入者が注意を怠った部分が大きいのですから、しょうがないんじゃないですか?確かに契約内容が複雑だとか、特約までは細かく憶えていないとか、色々とあるかもしれないけれども、忘れたのは加入者にも責任がありますよ。まるで保険会社が全て加入者たちを騙していたかのような印象を与えるのは良くないと思いますよ。

こういう手続をする場合、申請用紙を保険会社から取り寄せて、自分が入院していた病院に提出して記載してもらい、それを保険会社に提出するんだろうと思うけれど、「退院するまでに記入しておいてもらえませんか」みたいにお願いしてるなら(精算とか何かの都合上?なのか判りませんけど)、退院する時に用紙を受け取ってしまうので、その後の通院分を忘れる、みたいなことはあるかもしれません。それに、通院終了時にまた書類を提出し、それを受取ったりする手間暇みたいなのが面倒なので、別にいいか、みたいに思ってる人もいるかもしれないでしょ。文書料を取られたり、交通費かかったり、先生に会ってお願いしたりする時間とか、そういうモロモロが面倒だな、とか思うことは不思議じゃないし。ただ単にうっかり忘れたりしてるだけかもしれないし。

要するに、こうした手続関係を各個人が網羅するというのは中々大変だし面倒だ、ということ。ならば、それら手続きを一括でやる、みたいにしておけばいいけれど、そうなれば保険料が上がるとか代行手数料がとられてしまうのは当然なんですよ。保険会社の方では、いちいち誰が何回通院した、とか、判らないんだから、基本的情報(手術したか、しなかったか、とか、通院何回した、とか、してないとか)を保険会社に全て加入者が伝えない限り知りようがない。毎回毎回、退院した後に通院はありましたか、みたいに確認することはできるかもしれませんが、相談する分だけ高い値段設定にしておくならばいいと思うけど。

証券会社の口座管理料みたいなもので、あれこれ相談したりアドバイスして欲しい人は高い金額を取られるし(職員の時間とか手間暇を消費するのだから当然だな)、ネット証券みたい全部自分でやりたいです・できます、という人は人的コストが少ない代わりに安い値段設定になっているのだから、加入者が「自分の契約について正確に知らなかった、自分でできなかった」みたいに言う人は自分だけ高い金額を払うべきだろう。今回みたいな騒動のせいで、自分できちんとできてる人たちの保険料まで値上げされたりするなら、いい迷惑というものだ。保険会社も証券会社みたいに、手取り足取り全部お任せでやってあげるシステムと、加入者が自力でやるシステムと分けておいた方がいいんじゃないかな。

普通の公的健康保険制度にしても、例えば「高額医療費」の払い戻し制度なんて、原則自分で手続に行かないと「あなたは払い戻しが受けられますので取りに来てください」なんてご案内は来ないわけですが。海外での疾病とか傷害なんかの給付にしても、手続は自分でやらないと誰も教えてくれないと思いますけどね。死亡後の給付にしてもそうじゃなかったかな。何で公的健康保険制度でやってないことを、民間に強制するのかちょっと疑問なんですよね。税金の還付申告にしても、全て「自力で手続」しない限り、税務署に取りに来てください、なんていうご案内はしてくれないんですけどね。知らなかった、というのは理由にはならんでしょう?普通。何で教えてくれなかったんだ、みたいに税務署に誰も怒鳴り込んでは行かないでしょう?住宅関連の減税にしても、忘れてるとか知らないとか、難しくてよく判ってないので自分で出来ないとか、事情が色々あるとしても、役所で不動産登記したら自動的に教えてくれる、とかもありません。誰も手続をしてくれたりしないんですよ。自分でできないのであれば、税理士みたいな誰かに還付申告を代行してもらうしかなく、その分は「料金を取られる」ことになるのですよ。サービスの向上を求めるのであれば、その分は高くなってしまっても止むを得ないということなんですけどね。

でもこれが民間保険会社となると、何故これほどまでに完璧を求めるのか不思議ではある。忘れたのは加入者であって、保険会社側には大きな落ち度というものはあまりなさそうに思えるけど。いや、勿論、加入者全部に「漏れはありませんか、○○は大丈夫ですか」みたいにチェックしろ、ってことは有り得ると思うけど、そういう「上等なサービス」を義務化するならば、その分は上乗せコストが掛かるのを覚悟しているならいいんですけどね。

こうした「契約してるんだからお前らの責任だろ、こっちは客なんだよ、客にサービスするのは当たり前だろ」的な発想は、あまりに行き過ぎると「モンスターpatient」なんかと同じ感じだなと思うわけですよ。保険会社がみんな悪意を持っていたり、重大な落ち度で不払いだったのではなくて、加入者側からの情報提供とか聞く・尋ねるみたいな基本的コミュニケーション不足ではなかろうか、と思うのですよ。もしも、全件で「意図的な不払いだった、加入者を騙した」みたいに言われるのであれば、公的年金も健康保険制度も税関係も、ほぼ全部が「不払いが常態化」「国民を欺いてきた」ということになってしまうでしょう(笑、事実そういう部分が明るみに出ているわけで)。


知らない、ということは、基本的には個々人においても責任を負わねばならない部分がある、ということです。それを回避する為には、代理人のような誰かに依頼するとか、できる人にそれをお願いすることになり、その分のコストは「知らない人」が支払わねばならない、ということです。



早稲田大学消費者金融サービス研究所のこと

2007年09月30日 14時05分50秒 | 経済関連
今更感が漂うのだが、一応書いておく。

はてなブックマーク - MyNewsJapan早稲田大、サラ金業界と癒着 寄付5千万円で“御用論文”量産

反応としては、酷い、嘘つきだ、みたいな意見がありがちだと思うが、まずは本当に「御用論文」と言える代物なのかどうかの評価をきちんと行うべきであろう。それは一般素人からの批判だけでは不十分で、専門家が経済学のルールに則って評価するべきものだろう。なので、単純に「インチキだ」というような批判をしても、それはそれであまり良くはないと思う。

MyNewsJapan

この記事を全部読んだわけではないが、詳しく調べたり取材をすれば、割と簡単に判明することなのではないかな。私のような「下衆の勘繰り」でも十分陰謀論は想像可能でしたので(爆)。そういえば、うちのコメント欄でも「5千万円貰ってる」とか、誰かが書き込んでいましたね。


この問題については、私が上限金利問題を書き始めた06年4月から再三取り上げてきた。

消費者金融顧客の分析は果たして妥当か?

で、名指しで書いたこともある。ネット上では著名な磯崎氏、bewaad氏、47th氏などが取り上げていたからだ。
権威主義?それとも・・・

後には池田信夫氏も加わった。
池田信夫氏への質問

彼らに共通するのは、論拠として早稲田大消費者金融サービス研究所のペーパーを挙げていること。「自分は何を信じるか」ということだから、それはそれで構わないだろう。磯崎氏は自身の記事で「資金の出所」について示唆的記述をしていて、「そういう立場」を勘案した上で、それでもなおペーパーへの信頼性があったと考えたのではないかな、とは思っていた。


私の考え方としては、研究費を企業が出しても別にいいんじゃないかと思っている。けれど、ペーパーにはそうした立場を書いておくのが当たり前で、論文であれば普通そうだろうと思っていたが、経済学の分野ではそうではないということを知りましたよ。これも前に書いたけど。
経済学とは何だろう?
(一応、これもだった>「ソツロン」って何ですか?


この後、ブログ界隈の話だけに留まらず、06年6月には朝日新聞も坂野論文を掲載するに至ってしまった。勿論批判したけど。
坂野教授に反論する(追記後+訂正あり)

恐らく、ネット上では件のペーパーに疑義を述べていたのがウチのような場末ブログくらいで、他はみんな有名ブロガーであり知的水準も高い公認会計士・官僚・弁護士ですので、どこの馬の骨ともわからんオメガ級粘着野郎(=私)の言うことより、信頼性は高いと判断されても仕方がないであろう。大手紙に掲載されたことで、圧倒的に不利な状況に追い込まれましたよ(笑)。あのまま行けば、規制案は無理だったかもしれない。影響力が大きいと、彼らが取り上げたペーパーの正当性などについては、殆どの人が「疑わない」というようなことが起こってしまうのですよ。東洋経済の記事でも同じく、坂野先生のご意見は出されていましたしね。


時には、陰謀論を信じ込んでいる愚か者とか、勧善懲悪主義者とか、パターナリズムの古い脳だとか、色々と非難があったりしたかもしれませんが、私の「尊厳ポートフォリオ」(kanose銘)は若干傷つきましたよ(笑)。これもオメガ級スナイパーなんだから仕方がないことですけどね。
中でも卑怯な連中(どこの誰かは知りません―月光仮面か!―けど)というのは、論文の中身を吟味し検討するという「基本的姿勢」を全く欠いているとしか思えませんでしたね。要するに、個人にハゲとかチビとか言ったりして、自分たちの溜飲を下げることができればそれで十分満足なんでしょう。


ま、書き続けることで、逆転チャンスが巡ってきたのですから、別にいいんですけど。結局、昨年秋には上限金利規制が決定的となり、法案が通過した。


堂下先生にしても、再三取り上げてきましたよ。阪大の大竹先生グループの論文にも名前は出ているし、金融庁でも何度も喋ってますからね。当ブログの記事では数が11もあるので、検索結果だけ出しておきます。
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問題なのは、金の出所というのはあるのですが、必ずしも「学問的に間違っている」ことを言うと限っているわけでもないと思いますので、研究所の存在そのものがダメとか、研究費を貰うなというような話にはならないでしょう。別に、どこから金を貰ってようと、誠実な研究や論文を出していればそれでいいわけですから。これについても、記事に書いたので挙げておきたいと思います。

政策決定と価値観
利益相反と研究費の寄附

予め立場を明確にしておけ、貰ってるものは書いておけ、読み手も注意して読め、みたいなことでしょうかね。




「アニマル・スピリット」とは何か?

2007年09月29日 18時29分14秒 | 経済関連
ケインズが書いた「アニマル・スピリット」ですけれども、これって人間の性質みたいなものを言い表していたのだろうと思いますが、実際のところどうなのか未だによく判りません。行動経済学とか心理学みたいな分野での研究というのが行われているでしょうし、そこから若干の知見はありますが、謎な部分が多いのですね。そこで、私が適当に考えてみることにしました。あくまで思いつき程度のものなので、何かに役立つかどうかも判りません。既に研究されて、答えが出ていることも多数あるかもしれません。

参考記事:
アニマル・スピリット(ちょっと追加)

「不確実性」と資産価格・2


1)目的

投資というのが、ある種の賭けのようなものに似ているような気がするので、何かのゲームの際にも人間の意思決定の代表的なパターンが顕れるのではないかと想定してみました。現実の経済活動では実験することができませんが、それに類するものでなら実験できそうかな、ということです。その為の実験ということです。実験の結果、人間の行動パターンみたいなものとか、陥りやすい罠とか、そういったものがもしあるのであれば、それが現実の経済活動に反映されてしまい、結果的に(短期的な)投資の増加や減少を招くということに繋がる可能性があります。


2)ゲームの内容

親を一人置きます。固定されていれば、人間ではなくても機械でも何でもいいです。
子を何名か参加させ、親と子の対戦という形式とし、子同士では勝負しないものとします。
トランプが割りと簡単なので、これを使います(組数は何組でもいいでしょう。一応お断りしておきますが、私自身はトランプが得意なわけでも好きなわけでもありませんので。カジノに行ったこともありませんので。笑)。

親と子に各1枚のカードを伏せて配ります。ルールは簡単で、親の目(数字の大きさ)と子の目を比較し、大きい方が勝ちということにします。但し、Aの場合は親であれば無条件で親の勝ちとします。他のカードでは引き分けとかも有り得ますが、Aだけは親の無条件勝ちということです。子がAであった場合には、ただの1です。なので、子にとっては一番弱いカードということになります。子の場合だとKが一番大きいカードです。

双方の数字を比べて大きかった方が、子のベットしたチップと同じ枚数をもらえるものとします。例えば、子が5枚賭けていて、親の目が8、子が3であると、子の賭けた5枚は親に没収されます。親の目が同じ8でも、7枚賭けていた子の目がJの時には、親から7枚もらえます。子は1000枚のチップを持ってスタートするものとし、親は無制限にチップを持つものとします。一回の勝負で賭けられるチップの枚数は10~100枚とします。また、カードが配られる前に「パス」を宣言すれば、勝負に参加しないことも選択できるものとします。
子は親との勝負を何度か繰り返し、チップが無くなれば罰を与えられるものとします。何でもいいのですが、トイレ掃除当番を1ヶ月間とか、100万円払うとか、何かの不利益を受ける、ということです。審判が終了を宣言した時ゲームは終了するものとし、チップの保有枚数が1000枚を超えていれば、それに応じて褒美をもらえます。1万円×枚数分もらえる、とか。いつ審判が終了を宣言するかは誰にも判らないものとします。


3)具体的な実験

これが一番重要になってきますが、私には実験をうまく計画することができません。心理学とか何とかの基本的な実験系を知らないので。対照に何を設定するか、とか。

本物のカジノでブラックジャックのテーブルなんかに着席して対戦する場合と、コンピュータ画面だけ見て対戦する場合では、得られる情報の質とか量に違いを生じるので、成績なんかが変わるかもしれません。親(ディーラー)の表情とか、他の参加者(子)たちの様子などでいくらか手掛かりが得られるかもしれないからです。なので、実験ではコンピュータ画面だけ見ている子が、画面の中だけに存在する親と対戦するものとしておきましょう。コンピュータの親とか子の目の采配は、純粋なランダムで現実のカードゲームと同じようなものなのか、何かの仕掛けがあって親や子の目の操作ができるものかは全くの不明なのだ、ということにしておきますか(明示しておく、というのも一つの考え方かもしれません)。もし、意図的に親が勝ちやすいように仕込まれている、とか疑われると、パスして降りる人が多くなってくるかもしれませんしね。


で、対戦の形式を分けて考えてみることにします。

①:親と子が一対一で対戦する場合
最も基本的な対戦方式です。子にとっては他の参照情報はないので、自分の感覚だけを信じて賭けるしかありません。

②:子が複数存在し対戦結果が判る場合
他の子のカードが見えないとしても、対戦結果が判ることで、参照情報を増やすことが可能になります。自分が何番目の対戦者なのか、ということに意味が出てくるでしょう。

-1:カード配布前にベットしなければならない
自分のカードの目を見る前にチップを賭けるとなれば、情報が少ないので目を見てからチップを賭けるよりも不利になりやすいのではないかな、と。

-2:自分に配られたカードだけ見ることができ、その後にチップを賭ける
カードを見てから賭けられるので、負けそうだなと思えば最小の枚数にしておくとか、いいカードの場合には多く賭けることが可能になります。見られない場合よりも有利に働くだろうと思われます。

これらの組み合わせから、条件設定を変えることができます。

・①-1
勘だけを頼りに賭けるしかないですね。この単純な実験からでも何か考えられそう。
調べてみたらいいのでは、と思うのは、連勝と連敗の時のチップの変化ですね。例えば、5連勝でチップが溜まっている状況の人をわざと作り出した時(親側からは見えているけれど、対戦者である子はそのことを知らない)、6戦目のチップを何枚賭けるか(パスを選択するか?)、とかを知りたいな、と。「そろそろ負ける頃かも」とか思う人ならパスするとか最低枚数の10枚だけ賭けるかもしれません。それとも、チップに余裕があるし、勢い重視で勝負に出てくるかもしれません。逆に、負けが込んでくると不安になってくるので、チップの枚数に何らかの変化があるかもしれません。もうそろそろ勝つはずだ、と思っていても9連敗しているなら、10戦目のチップはどのくらい賭けるでしょうか?こういう滅多に起こらない連敗をわざと作り出した時、チップの変化があるのかどうか、何戦目くらいで変化するものなのか?

・②-2
カードゲームでは多い状況かもしれませんね。
自分より前に対戦者が1人だけだとします。親の目は判りませんが、自分の札は9だったとします。前の人は負けました。さて、自分のカードにはチップをどのくらい賭けるか、ということです。このように、カード配布前に賭けたり、自分だけしかいない時よりも、参考にできる情報が多くなりますので、賭ける判断材料が多くなります。自分より前の対戦者が1人ではなく、10人いて、このうち7人が負けたとしますと、どうでしょうか。自分のカードの9だと、結構不安があるのではないでしょうか。7人も負けるということは、親には結構大きい目が入っているに違いない、という風に考える人が普通は多くなるでしょう。

これも連敗を敢えて作り出し、その時の賭けるチップ枚数にどういう変化が見られたか、とか是非知りたいんですよ。例えば、親に連続で10以上の目をわざと入れておき、子が10人とか20人とかいるけれども、その大半が3連敗を食らってしまったような状態を作ります。この3戦でみんなはかなりの枚数のチップを奪われており、その数字は画面上で表示されていて確認できるものとします。あなたは「みんなも結構やられたな」と思いながら、次の対戦について考えるわけです。で、ここから更に悪夢のような事態を演出してみます。親に総取りのカードAを3回連続で与えるとします。すると、参加していた全員はみんなチップを取られるわけです。もしあなたが20番目の人で、前の19人全員が取られている様を見ていたら、チップを何枚賭けるでしょうか?多分、最低枚数ですよね。配られた後ではパスできないので、仕方なしに10枚賭けるしかないんですよね。

こういう連戦連敗みたいな状況から、それ以降賭けられるチップというのはどうなるんだろうな、と。

逆に連勝を生み出すと、どうなるだろうな、と。割りとみんなが買っている時、チップをケチケチするだろうか?例えば同じ7のカードであっても、保有チップの枚数によって賭ける枚数に違いはあるだろうか?とか。賭ける枚数はどう変化するであろうか?連勝が続いた後ではパスを選択する人の比率には変化があるだろうか?
それとか、自分より前の人20人のうち、18人が勝利している時、あなたの目が5でも「勝てるかもしれない」と予想する人は少なくないでしょう。そうなれば、どの程度チップを賭けるでしょうか、ということですね。

もしも投資行動みたいなものがこういうのと似たような決定機構であるとすれば、何か判るかもしれないと思ったりします。


4)仮説を考えてみる

<仮説1>
1対1の対戦で、通算成績が勝っていてチップの余裕がある時には、負けてる場合に比べて多く賭けることが多くなるかもしれない。

子に配られたのが同じ6のカードであっても、持っているチップが大幅にプラスなら負けて少ない時よりも多く賭ける人が多いのではないかな、と。でも、負けを取り返そうとして、逆に大きく張るタイプの人もいるかもしれないので、実験してみないと何とも言えないですけども。もし親の強さが一定である(ごく普通のトランプと同じような場合)と、6のカードの時の期待値には変化がないので、同じ枚数のチップを賭けるのが普通だろう、ということです。なのに、勝っていると多い枚数を賭け、負けていると少なくなるというなら、それが心理的な問題なのではないかな、と。自分の持っている枚数が正の影響を与えるのではないか。


<仮説2>
自分以外の子が持ってるチップの情報が複数(できれば多い方がよい)判る時(個別の勝敗情報は不明でよい)、「みんなが勝っている」と自分の賭けるチップの枚数が増えるかもしれない。

仮に、何ターンか対戦した後で自分が1000枚(中立ということ)持っていて、周囲の人たちは7割くらいが1100枚以上保有していたりすると(若干は負けている人たちがいても構わない)、大勢としては「みんな割りと勝っている」という認識を生じ、自分が賭ける際のチップが増加したりするのではなかろうか、と。それは同じ6のカードであっても、枚数が変化するのではないだろうか、ということです。逆に、「みんなが割と負けている」という状況の時には、弱気になりがちなので賭ける枚数は減るんじゃなかろうか、と。


<仮説3>
周囲が勝っている情報が多いとチップを多く賭け、負け情報が多ければパスとか少なくチップを賭けるとかが多くなるかもしれない。

親や子のカードの目が判らず勝敗結果だけ判る時、自分に回ってくる前に例えば子の側が大幅に勝利していれば「自分もきっと勝つだろう」と考えて多く賭けることになるだろう。周囲のプレイヤーたちが勝ったという情報はとても重要であり、自分の判断に影響を与える。これが数多く積み重なると、「きっと勝てる」という自信を増強し、カードの目があまりよくなくてもチップをそれなりに多く賭ける人が増えるのではないかな。

このような増強現象が昨日触れた「sensitization」と似ており、より反応を強くするのではないかな、ということです。例えば、弱い痛み刺激が加わると、はじめのうちは弱い痛みとして感じているが、刺激が積み重なっていくと中枢神経系のsensitizationが起こり、痛み強度が増すとか痛い範囲が拡大していく、というようなことです。


<仮説4>
(追加部分です)

今度はちょっと面倒です。チップを2種類用意し、とりあえず青チップと赤チップとします。まず青チップで1対1の通常通りのゲームを20ターン程度やっておきます。で、その時点で持ってるチップ数を基準値としましょう。ここからルール変更です。持っていた青チップを全て赤チップに交換し、最終的に全ゲーム終了後に青チップに戻して精算するものとします。また、これからは各ターン毎に自分の持っているチップから1枚をショバ代(笑)として自動的に取られていくものとします。勝っても負けてもパスしても自動的に取られます。で、5ターン毎に青チップと赤チップの交換レートを画面上の何処か決まった場所に短い時間だけ表示しておくものとします。で、カードが配られると、その交換レートは見えなくなってしまうとします。

これでゲームを進めていくと、勝っている人はチップの総枚数が増えるかもしれませんが、全部をパスすると、5回対戦すれば自動的に5枚減少してしまいます。基準値が1000枚だった人は赤チップが995枚に減少していしまう、ということになります。でも、5ターン後の交換レートが1.005(赤:青=1:1.005)であると、赤チップを1000枚持ってる人は1005枚の青チップに相当し、995枚の人は1000枚(小数は切り上げとしておきます)に相当するのでパスしても特に損をしているわけではありません。

これでゲームを続けると、賭けるチップがどう変化するかを見るのです。実質的に負けていなくても、ターンを重ねるに従ってチップが減っていくので、仮説1と同じように賭けるチップが減るということが起こるでしょうか?交換レートは5ターン毎ですので、次の交換レートがプラスに出るものなのか、マイナスに出るものなのか不明であると、現時点では「青チップ換算で勝っているか、負けているか」ということは判り難いでしょう。ゲームに熱中し過ぎて交換レートを見落とす人などもいるかもしれません。賭け方は何か変化を受けるでしょうか?
これにプラスして、連敗を意図的に仕込むとどうなるでしょうか?10連敗とかを継続した後で、チップの賭け方はどうなってしまうでしょうか?


私の推測ですけれども、赤チップが賭けとは無関係に1枚ずつ減っていくので、勝ってない人にとっては「かなり負けている」のとほぼ同じ効果を持ってしまうのではないかと思います。青チップ換算での実質値を正確に判断できる人はいると思いますけれども、全員ではないでしょうね(事前に実質金利と名目金利を知っている人だけに交換レートの表示をするとか、工夫してみるといいかもしれません)。さらに連敗を与えられてしまったりすれば、かなり弱気になってしまうのではないかと予想しています。これはどういうことかと言えば、デフレが継続し、尚且つ経済環境の冷え込みが続く、ということと同じようなもので、すると賭けるチップ(=リスクのある投資)は減っていくのではなかろうか、と。

これを逆に毎ターンに1枚とか2枚ずつ子に与えていくこともできますね。交換レートを1以下にして実質的に青チップ換算にした時には増えていない、という調節も可能です。この場合だと賭けるチップはどう変化するでしょうか?少しだけですけれども赤チップの枚数が増えていく人が多くなるはずですので、多分毎ターン減らしていく場合に比べると賭けられるチップは多いのではないかな、と思います。



バブルや投資(昔でいう「財テク(死語?)」ではなく、設備投資や新規事業のような投資)抑制については、別な記事で。




プラスティック・マネーって

2007年09月28日 14時34分15秒 | 俺のそれ
田中先生の記事でふと思ったこと。

Economics Lovers Live - 2007-09-27


プラスティック・マネーって、前にWBSで特集みたいなのをやったと思うけど、クレジットカードみたいな実体のないお金のことで(広義には近年の電子マネーも含むかもしれません)、オリンピック記念硬貨みたいなのとか誰も使いたがらない2千円札とかとはちょっと意味が違うのではなかろうか、と…

因みに、私は長野五輪記念硬貨(5千円!)でお釣りを渡されたことがあり、それは保管したまま現在も保有しております(笑、デフレの片棒担いでる?)。これは別に関係ないのですが、プラスティック・マネーと用いる時のplasticは、お手軽な?お金というようなことでなく、普通のプラスチックでできてるカードのお金ということになってしまいそうかな、と。


話が飛びますが、「プラスティック・ラブ」は竹内まりあですね。これは、お手軽なラブということなんでしょうか。
似たような語感では「プラトニック・ラブ」というのがありますが、プラトン的愛というほぼ現代では死語と化してしまったかもしれませんけれど、一昔前には肉体関係のない純愛っぽい(非モテ系オタク?オタク系非モテ?に人気がありそう?)意味で用いられていたでしょうか。

ああ、そういう意味でないけど、興行的に成功したのはこれでしょうか>プラトニック・セックス - Wikipedia
昨今の金太郎飴系携帯小説(見たことないし興味もないけど)みたいな野の原型かもしれず、「壮絶系青春のN番煎じもの」が氾濫しているのでしょうか。プラトン(的セックス)?とは何らの繋がりもなさそうに思えますけれども、まあいいですか。もっと脱線しますと、「プリミティブ・ラブ」はマイアミ・サウンド・マシーンですね(古!)。

プラスティック・マネーに戻りますが、このプラスティックは所謂プラスチック爆弾のプラスチックと同じで、元はと言えば可塑性のことです。粘土みたいなもんです。神経可塑性という言葉もありますけれども、synaptic(neural) plasticity です。

この前から、気になってるのがこれでして、バブル経済っぽい話とかが、中枢神経のsensitizationと似てなくもないかな、とか思っていたので、これは別な記事に書いてみようと思っています。実験によって、人間の行動(心理?)なんかが検証できるといいのにな、とか思いますが、まだボヤっとしています。


あと貯金箱の話。これも又の機会にでも。



守旧派の復活劇

2007年09月28日 00時51分22秒 | 政治って?
早くも旧来の自民党政治手法が復活の兆し?

Yahooニュース - ロイター - 衆院選時期、いつ地雷を踏んでもおかしくない=自民選対委員長

(記事より一部引用)

そのためには政策の転換も必要としたが「ばら撒きになってはいけない。改革は絶対に続けていかなければならない。そういう意味で政策転換を言っているのではない。誤解がないようにしてもらいたい」と強調。道路族のドンとして知られる古賀委員長は公共事業を引き合いに出し「都市と地方では優先順位が違う。都市は、民間企業でも建設産業は、民間投資が出てくるため十分頑張っていける。しかし、地方には民間分野はない。国の政策誘導のなかで道路を作るとか、そういう分野が多くなるし、そうあってしかるべき」と述べた。




どうです?さすが「道路族のドン」とか言われるだけのことはある。
福田内閣に決まった途端に、「一般財源化には難色」とか情報が飛び出してきた。これは古賀委員長が公認権を握った為に、党内の軟調を来たしたとしか思えないのである。おまけに、時代錯誤もいいところのコメントを出すとは、大幅な方向転換ということが明瞭になった、ということだろう。党内の力関係が変化すれば、こうした「旧式の脳」しか持たないヤツラが復活してくるのだ。

地方の民間建設産業に民需がないから、何だって?
「国の政策誘導のなかで道路を作る」だと?
冗談もいい加減にせえよ。

こういう腐れ議員たちのせいで、今の日本の惨状がもたらされたというのに、未だに目が覚めないんだよ。昔式のやり方に固執し、そこから抜け出せないからこそ、地方は民需のない産業構造になってしまってるんだろ。
「そういう分野が多くなるし、そうあってしかるべき」って、地方の建設業に従事させる人間を多くしたからといって、みんなが豊かになるわけでもあるまい。腐れ議員たちの担ぎ手に動員する為だけに、これまで建設業者たちを使ってきたからだろ。そうして、利益を生み出さない、未来にもつながらない「建設産業」に人員を配分してきてしまったんだろ。本当はもっと別な産業振興に取り掛かっていれば、違った資源配分になっていただろう。だが、建設、建設って、ハコモノや道路や新幹線や空港なんかの土方に人員を貼り付けてしまったんだろ。

将来性の乏しい産業にいつまでもしがみついていたって、共倒れになるだけだろ。地方財政は腐れ議員どもの餌食になって、公共投資の借金を大量に抱えているからこそ、今苦しんでるんだろ。それが、この期に及んでもまだ「道路」だ。本当に頭が悪いな。


こういう連中が寄ってたかって地方をダメにした。公共事業を食いものにした。一時の「麻薬の快楽」を与えるために、公共事業の名を借りて資源配分を歪めたんだよ。
日本の産業構造上、そんなに建設関係の従事者が必要である理由を言ってみろ。道路、道路って、バカの一つ覚えみたいに金をつぎ込まねばならない理由を言ってみろ。


話が大きくはずれるが、気になっていたことを。

厳しい話になってしまうが、過日台風被害にあって道路が寸断された南牧村ですけれども、被害に遭われた方々は本当にお気の毒だと思う。
けれども、高齢化が日本一進んでいて、このまま行くといずれは廃村となってしまうのではないか?台風被害を数億円とか数十億円かけて修復したとして、将来消え去る村の為に使うことが本当に有効なのだろうか?という疑問があるのである。

この地域で在宅介護は受けられるのだろうか?孤立するようなことはないのだろうか?この村がいつの時代からあったのか判らないが、そこを離れることには大きな抵抗があるだろうと思う。しかし、もう少し都市化の進んでいる地域に公営住宅などの空きがあるなら、そこに高齢者たちを一緒に集めて、介護などのサービスが向上する方がいいのではないのだろうか、と思ったりするのである。勿論ご本人たちにとっては辛いことだと思うのだけれど…。
道路の復旧工事などで数億円とか、多額の金額をかけるくらいなら、その分本人たちに分配して古い団地なんかを改造して住んでもらった方が、いいように思えるのです。介護の効率もよくなるし、具合が悪くなっても病院に連れて行ってもらえたりとか、生活は便利になると思う。移動したくない人たちは、残るしかないけれど、劣悪な環境で過してもらうことになってしまう。これが困るんだけれどもね。

あと10年後どうなっている?20年後には?
将来見通しの厳しい地域に、道路とか復旧工事の投資をして、何か意味はあるのだろうか?介護にも中々行けないような地域なんですよ。電気も水道も、消え行く村の為に維持し続けなくちゃならない。そのコストはかなりになると思うのですよ。
だから、災い転じて福となす、じゃないけれど、山古志村の人々が旅立ったように、もうちょっと便利のよくなる地域に集約的に生活場所を提供した方がいいと思う。復旧工事に金を掛けることが大事なんだ、とか腐れ頭の議員なんかは言うかもしれんが、無駄になるだけだと思う。だって、南牧村の未来が見えないもの。勿論村全部ではなくて、孤立してしまった地域だけのことをまず考えているのですけれど、数百名規模であれば不可能でもないかな、と。高齢者同士で支えるって言っても、限界があるよ。



現代に蔓延る陰謀論

2007年09月27日 20時13分28秒 | 社会全般
私は結構陰謀論が好きな方だと思う。物語的というか、ストーリー性がある方が、いかにも歴史的事件とか特別な出来事っぽい気がするからかもしれません。例えば『影武者 徳川家康』なんかも、広い意味ではそういう類のものでしょう。ただ、それは娯楽的な意味合い(言葉がヘンかもしれない、小説、映画、テレビ、漫画とか…そういう題材ということ)が強いのであって、心の底から「これが真実だ!」とか何かの宗教じみた信奉のようなものはなさそうだと思うのですよね。陰謀論への接し方としては、「なるほど、そんなウマイ解釈も成り立つか」という斬新な視点を楽しむものではないかな。いわば推理小説の謎解きシーンみたいなもので、ストーリーとしてはいいのだけれども、現実世界ではそんな事件ばかりではないし、実際はもっと平凡だったということが多々あるようなものかな、と。


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 2007-09-20

陰謀論について簡潔に示されていて、勉強になりました。
今の時代というのは、陰謀論は蔓延りやすい素地があるということなのでしょうか。
記事の一部を引用致します。

『現代のネオリベラリズム社会には、「陰謀論」を喚起する条件があるからです。ネオリベラリズムにおいては自己選択・自己責任論が基調となっていますが、そのためには個々人がある程度、社会について俯瞰した情報が与えられている必要があります。ところが、現代社会では、そのような情報こそ不足しているものです。「異質なむき出しの他者」の情報によって一時的に対処――つまりその他者を排除するという対処――はできますが、人生を選択し、それを自分で引き受けることはできません。「陰謀論」は、そのような情報の欠如想像的に補填し、情報の欠如による自分の「負け」を、「自分が『負け組』なのは影のネットワークの『陰謀』のよるものだ」というように、(自己責任ではなく)自分で引き受けることを可能にするものといえるでしょう。』

社会が複雑化すればするほど、社会についての俯瞰的情報を、個々人が得て正確に考えることは難しくなるでしょう。それに皆が正確無比に判断したりできるものでもないでしょうし、それを期待するのも全員に強いるのも難しいでしょう。そうして、陰謀論が喚起される、と。「人生を選択し、自分で引き受ける」ということは、生きにくい現代ではとても困難なことなのでしょう。



閉鎖された塔の悲劇

2007年09月27日 00時08分06秒 | 俺のそれ
泣けた。

慣性のある生活 - ネットに何か書くことの利点を初心に帰って思い出す


閉じられた世界というのが悲しすぎる。

『Yさんは、何度も言うが、優れた切れ者だった。僕など永遠に及びも付かぬようなセンスにあふれていたし、そのセンスにおごらずに、論文と言う形に自分の思念を還元できる人だった。彼の言葉が、たった一言でもあの象牙の塔から外に出なかったと言うこの事実は、僕には凄い重たいことのように思える。』

論文に還元できたのに、その煌く才能が華開くことはなかった。重い。本当に重い。
無駄に才能を葬り去ったかのような罪悪感に苛まれる。私は勿論当事者でも関係者でもないが、世に出ることのなかったその人の文章というものに触れてみたかったと思う。こういうことを見過ごすことは、自分が加担者になった気分になってしまう。
「たった一言でもあの象牙の塔から外に出なかったという事実」は、大学という閉鎖的世界を象徴しているのかもしれず、そういう世界を許していることに何らかの責任を感じずにはいられない。

こんなことを言っても慰めにもならないだろうし、今更どうにもなるものではないのだが、指導者の問題というのはどうにもできないので、それを救済できる「道」みたいなものがあるべきなのだろうと思う。具体的には判らないのだが、隣の教室の先生とか、兎に角誰でもいいので相談できたり、教室を移動できたりする制度があった方がよいのではないかと思う。2、3年やっても、尚且つ自分の道が指導者によって閉ざされそうな時には、隣接分野の教室にでもいいから移れる方がいいのではないかな。よく判らないけれど、文学部にも色々な研究分野がきっとあるだろうから、どこかで面倒を見てもらえることにする方がいいと思う。正当な叱咤というものがあるとして、そういうのから大きく逸脱しているような教官だと一生浮かび上がれないもの。才能への嫉妬なのではないかとさえ思えてしまう。


彼は生きていてよかった。それが一番だ。
そんな教官の為に、貴重な命を失わずに済んで良かったよ。今の時代、ネットがあるから、ひっそりとでも書き続けていけば、何かの道が開けてくるかもしれない。彼には、諦めずに書いて欲しい、と願う。生きてさえいれば、書いていけば、いつかは膂力はついてくるようになるかもしれない。自分で扉をこじ開けられるようになれるかもしれない。

そんなことを思った。



池田信夫氏は懲りないね

2007年09月26日 13時45分53秒 | 社会全般
昨日、後で言及、とか書いたのに、眠かったので挫折しました。失礼しました(誰も期待してなかったと思いますけど)。

コレね>はてなブックマーク - 池田信夫 blog 厚労省にはフリーターが見えないのか


本当に懲りませんね、池田氏は。
hamaちゃん先生の記事を普通の人が普通に読めば、どこからどう見ても、「ああ、ちょっと間違ってしまったな」と自覚できるはずなのですが、池田氏はそうではないらしい。池田氏と麻雀とか将棋とかやったことがない(当たり前か)ですが、もし対戦したとしたら、「ハイ詰みですね」とか「あ、それロン」とか池田氏に言うと、将棋盤を引っ繰り返されるとか牌を投げつけられるとかされそうです(笑)。私は過去の経験から、十分判りきっていたことではあるのですがね。

この前「浄玻璃の鏡」ということを書いたのですが、本件はまさにこれ。池田氏は鏡に映った自分自身の像であることに気付けないらしい。彼はこれまでに「一知半解」だの「半可通」だのと他人を批判してきたのだから、自分にそれが同じく適用されたとしても文句は言えまい。なぜhamaちゃん先生が「半可通」と言ったのかさえ、自身で気付けないのです。「初等的教科書読め、とは言わないが…」と暗に指摘されているのも、自らの過去の所業の通りであるということが判らないのです。それとも、自覚していて尚且つ「腹立たしい」ということであるなら、単なる自業自得です。

当ブログにおいても、過去にGRIPSを批判的に書いてきたので、ま、人のことはあまり言えないわけですが。

「GRIPS」の生産性はどうなっているのか?

続・「GRIPS」の生産性はどうなっているのか?

hamaちゃん先生が当該大学の教授であることは勿論知ってましたよ。かなり以前からブログを読んでいたし、私のスナイパー用スコープ(笑)にも色々と見えていたわけです(笑)。それなりに観察していましたよ、勿論。
でも、「GRIPS」という略称は知らなかったんですよ。これは全く別ルートで知ったのです。で、「生産性を上げろ」とか「医療や介護は低生産性だ」とか当然の結論のように主張する経済系学者や政府御用学者たちへの反発なんかがあったので、敢えて例示してみたんですよ。「あなた方の生産性はどうなんですか?」という批判をぶつけたんですよ。

そうしたら、偶然にもその後に鶴田大先生のご登場となったのですね(笑)。
今度はGRIPSかよ~貸金業の話

GRIPS批判を書いた頃には、鶴田大先生のことは全然知らなかったですよ。鶴田先生の主張について批判はしたけれど、「GRIPS所属だから間違ってる」なんてことは言ってないですよ。でも、4月にGRIPS批判を書いていたから、意図的に再び取り上げたりはしたけど(GRIPSの博士論文の成果はコレ)。

だからと言って、池田氏みたいに「天下り大学」とまでは言ってないですよ。
◎そんなところばかり学習せんでもよろしい(笑)>池田氏

hamaちゃん先生は「ギルド的云々」が違ってますよ、って言ってるのに、池田氏はそれを認めないばかりか、罵倒しているとか勘違いしているんですよね。おまけに、天下り大学だの厚労省官僚は何とかだのと、hamaちゃん先生の主張に対する批判ではなく、経歴批判だけやっているんですね。そればかりか、付加的に「山形某~」とかまで追加して、一体誰の何を批判しているのか判らないわけですが、まあ、それが池田氏の芸ということなのでしょう。しかも、本人が出向いて行ってるのもアレだし、続々太鼓部隊が出動しているのも面白いですね(笑)。まあこれはどうでもいいんだけど。
(巻き込まれた山形某もいい迷惑だろうけど、このワザは山形某も実際用いたりしたことがありますね?その時、私は狙撃したけど。その場の言説には無関係な人物を意図的に並べて「一緒に非難する」という、ネットの~族?の定型コンボなんですかね?)


それとも、NHKの批判を経歴に対する批判だと思ったりしたのかな?
こんなの>
報道被害はいつも急増中だよ

産経グループは債務保証をしてあげなさい

今年上半期、ヤミ金摘発急増!

よく見ると、やってることが同じか。ゴメン。


ま、何にしても、hamaちゃん先生に軍配ってことだわね。



ちょっと追加。

hamaちゃん先生のところで名言を発見!
どうやら太鼓部隊の一人が書き込んだものと思われる。

『レッテル貼りが好きなようですね。
髪の薄い人を「禿」と呼んで差別する人達と一緒です。』

うむむ、切込隊長氏ならば、素晴らしい観察日記をつけてくれて、絶妙な解説をしてくれるんだろうけどなあ…




石破さんですか…

2007年09月25日 21時39分46秒 | 政治って?
組閣関連で、ちょっとだけコメント。

>大田さん
もう刺身のツマ以下ってことになってしまったね(投げやり)。可哀想。経済政策はもう「やめました」宣言に等しいわ、福田内閣では。

>石破さん
防衛大臣は最悪。筋金入りの防衛族にやらせるとロクなことない。防衛庁長官をやったんだから、もういいだろ。2+2とかになった時に、相手にドン引きされるだろう。「近づかないで!」とか通訳の人にも言われそう(冗談)。だって、ヘビみたいにキモイんだもん。ネチネチ喋るのも、拷問にかけられているかのよう。因みに私なら、石破さんと相席になったり面と向かって話し合うくらいなら、帰る。
こんなことになるなら、小池さんにやっておいてもらった方が百万倍マシ(=メガ・マシ?)だった…。



ところで、局地戦については後ほど言及~予定?

デンパはあいもかわらず、本当に自らの所業を理解しないお人だな。よくもまあ、あんなこと言うわな。自称玄人って、本当に手の施しようがない。
おまけに、hamaちゃんは山形某の一派と目されているかのよう(笑)。何故かここで、山ちゃん召喚される(笑)。全く無関係なのにね。未だに根に持ってるんだね、きっと。こ、これって、ひょっとして例の上級アンデッドの手口?


ま、気の毒。ハマちゃんも山ちゃんも、双方ともに(海と山だから、ピクニックでも行き先が合わない感じだもんね。これ冗談)。


「アベしちゃう」は実際に用いられているか?

2007年09月25日 16時11分22秒 | 社会全般
釣られてみた。

はてなブックマーク - 痛いニュースノ∀【朝日新聞】「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる …そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」


うーむ、これ以上あんまり責めないで、と思って、山根君の記事に書いたが、もっとぺタ・カワイソスな状況。
確かに「あちこちで聞こえる」というのが実際どうなのかは不明だ。朝日の記事を書いた人の周辺では、流行っているのかもしれないけど。で、ネット上でも探してみたら、無いでもない(検索で出てこない、とか言ってるのは、不十分なのではないのかな?掲示板界隈では、もっと頭使ってググレカスとか言われちゃう?)。

こんなの。

団塊世代・中高年・熟年層・シニアのサイト パワーウィングス談話室フリートーク・カフェ

らももんブログ 流行語?

 音のなる樹 最近の憂鬱

狂歌入門きょにゅう 安倍首相と朝青龍の共通点

シグNEO - 朝青龍しちゃった


大体が「朝青龍しちゃった」を元ネタとして、パロってるのが「アベ(安倍)しちゃった」ということのようだ。読売ウイークリーにも、ほぼ似たような記述がある(「朝青龍しちゃう」の人名部分を入れ替えることは明らかに判るように書かれている)ようなので、朝日新聞の記事ばかりでもなさそう。これを実際に人々が用いているか否かは確かめようがないが、一応、私の周辺には見たことない。

けれど、この記事はちょっとマズかった?かもしれない>妻は言った

言ってる言葉は違っても、内容的にはほぼそういうことだからね。流行語にはなってないけど。
まあ、流行語としてどうよ、というのもあるので、広める必要性はないわけですが。「心が折れる」もそれなりに流行りの兆しを見せていますけれども、これも目新しい表現とも言えますまい。

当ブログで「心が折れる」を用いている記事を検索した結果、2件だった>いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

と言いますか、みんな『はじめの一歩』の読み過ぎですか?(笑)




ありゃー

2007年09月24日 22時26分07秒 | 政治って?
安倍ちゃんの会見をニュースでチラッとみた。
哀れでさえあった。やつれて精気が感じられなくなっていた。
人間というものは、僅か数日でこれ程老け込むのかと驚いた。まあ、これを機に養生して、生きる力を取り戻した方がいい。それこそ再チャレンジ精神でいくといいと思うよ。


福田人事の一端を見た。
こりゃ、傀儡だな(笑)。
伊吹+古賀のツインヘッドですか。古賀色を少しでも薄めておこう、目立ちにくくして批判をかわそう、というのが丸見え。

組閣も多分似たり寄ったりだろう。
操り人形では乗り切れないとしか思えないが。



福田新総裁誕生

2007年09月23日 18時18分29秒 | 政治って?
下馬評通りとはいえ、ここに来て優柔不断妖怪みたいな福田さんに決まってしまうとは…。結局のところ党内では誰でもいい、ってことなのかもしれんね(笑)。便乗利益に乗っかりたい人たちが多過ぎ。福田さんのやりたいことって、一体何なんだろうね。未だに不明。しかも外交の舞台に立たせるには、あまりに貧相。サミット議長国なのに、全世界にお姿を晒すことになってしまう…。年金未納問題の時に、激怒してさっさと辞めていった方だからね。あの時の会見の模様を忘れてる人は多かったのだろうか?都合の悪いことは忘れろ、というのは人間の鉄則(?)だから別にいいんだけど。

それにしても、今回の総裁選びは大失敗であったろう。政治は遠くに去った。国民の支持も自民党が得られない下地が整った。ボディーブローは後から効いてくる。しかも、足にくるからね。後で泣きを見ることになるだろう。そんとき吠え面をかいても後の祭りだぞ。
仮に諮問会議のメンバーを弄っても、求心力回復に繋がらないであろう。リーダーに力が与えられたのはない、党内力学にこそ優先順位が与えられたのだ。それは、かつてのスタイルということ。国民が小泉政権時代に手にできた成果は、今ここに崩れ去った。福田さんは党内の顔色を窺わなければならなくなり、政治的指導力を封じられることになるだろう。派閥に担がれれば、必ずそうなる。

そして、森(町村)派の政権支配は連続だ。これも様々な弊害をもたらすだろう。くすぶり続けるマグマは、いずれ噴出する危険性があるだろう。糸を引くことに慣れてしまうと、必ず腐敗する。堕落する。
「人間の心もまた低きに流れる」―by クゼ 
(またアニメか!!ホントにゴメンね、著名人とか哲学者みたいな人の言葉を知らないもんで…)


それにしても、「福田出馬」での第1報で圧倒的優勢みたいな印象が植え付けられると、こういう結果を招いてしまうんですね。恐るべし、マスメディア。
総理の首を飛ばし、挿げ替人形も出せる力を持ってしまうと、マスメディアが暗に支配することになってしまう。割と強力な対抗メディアみたいなものが存在しないと、簡単に刷り込まれてしまう危険性があるのではないかな、とか思った。



阪神のメークドラマ?(笑)

2007年09月22日 18時41分41秒 | いいことないかな
終盤に来てセ・リーグは大混戦となっておりますが、もしも阪神がシーズン1位となった場合には、長嶋巨人のメークドラマ(既に死語?)以来の大逆転ということになりましょうか。この大混戦の原因が我らが日ハムにあるということは間違いないでしょう(笑)。

かんべえ殿は阪神の攻撃陣の不甲斐なさについてお嘆きのようですが、上には上がいるのです。それは勿論、日ハム。春先から、本当に打てない、ってのは同じですから。

日ハムが弱すぎる件について


因みに、阪神はセ・リーグ内では、かなり強いです。
4チームに大幅勝ち越しで貯金22です。巨人5、中日1、ヤクルト9、横浜7で、特にヤクルトはお得意さん。唯一阪神に勝ち越しているのは広島で、それでも4つだけです。阪神の貯金はセ・リーグ内では18もあるのです。しかし、実際には13しかない。そうです、これは「恐怖の交流戦」のせいです。交流戦では、巨人が6、中日が1貯金したのに対し、阪神は5つの借金を作ってしまったのです。阪神は奈落の底へと突き落とされました(笑)。

交流戦で落ちていったのは、阪神が9勝14敗で10位、西武が9勝15敗で11位(最下位は広島で5勝18敗だったが、これはまあノーコメント)の2チームでした。もしも交流戦がなければ、どちらももっと上にいたはずなのです。なんたって、楽天以下ですからね。阪神は交流戦の借金がもうちょっと少なく五分五分程度の戦いをしていれば、今頃は首位でした。


阪神の特徴は得点力の低さですが、得点486、打率0.259ともにリーグ最下位だが、失点512は中日の511に次いで2位、防御率3.49でリーグトップです。日ハムも似ていますが、阪神よりも酷いんですよね、これが。得点479で12球団最低、打率も0.257で阪神以下、本塁打に至っては72本で「ヨシノブと阿部」とか楽天「山崎とフェルナンデス」の2人分と同程度しかない。12球団一の破壊力のなさ、だと思う。これに比べれば、阪神打線はまだいい(笑)。しかし、日ハムは防御率が3.22でソフトバンクに次いで2位、失点が453で12球団最少なんですね。ここが首位に立ってるチームということなのです。因みに先発の駒はあまり揃ってなくて、ダルビッシュ以外では、八木が今年はダメだったので、グリンと武田勝くらいしかいない。後は色々。ソフトバンクが羨ましいです。

はっきり言って、駒だけ見ればソフトバンクがどう見ても強い。西武も交流戦がなければ、こんなことにはなっていなかったでしょう。日ハムは交流戦優勝で貯金13、パ・リーグ内での貯金というのは実は5つしかない。それも下位球団のオリックスと楽天のみに5つずつで、苦手のソフトバンクには4つ負け越し。つまり、交流戦さえなければ、ソフトバンクが一番で、残りは日ハム、ロッテ、西武の大混戦、みたいな感じ。けど、交流戦の貯金を生かして、日ハムが断然有利な位置にいる。

阪神にとっては、憎きハムというところだろう。それもそのはず、交流戦で唯一の4戦全敗だったのだから。日ハムだけで借金4つなんだもの。他のパ球団には少なくとも1つは勝っている。なのに、似たようなタイプの日ハムには全敗。これがなければ今頃は…と阪神ファンは嘆くであろう(笑)。

もう一つ、日ハムが首位に立ってる原動力がある。それは一体何か?
答えは、「マー君」である。楽天なんですよ、実は。
パ最強?と目されるソフトバンクが唯一負け越しているのは、楽天なんですね。で、この楽天戦では、マー君が投げる。マー君はソフトバンク戦で8試合投げ5勝(1敗)を挙げているんですよ。まさにホークスキラー。いいぞ、マー君!!何たって、「神の子マー君」ですからね。ロッテ戦は1試合(1敗)だけだし、日ハム戦も3試合(0勝1敗)だけ。でも、ホークスには8試合。この違いは大きいよ。この5勝のお陰でソフトバンクは2位に甘んじている、と言ってもいいかも(笑)。


まあ、いずれにせよ、日ハムは打てない。12球団で最弱攻撃陣と言ってもいいかも。
小笠原の穴は大きいよ、やっぱり。中継ぎ陣にしても、岡島の抜けた穴を武田久とか江尻、押本あたりが何とか頑張っているけど、阪神ほど「勝利の方程式」の磐石さみたいなものはない。はっきり言って、首位であることが奇跡的。ソフトバンクが下にいることが不思議。何が違うかっていうと、やはり勝ち上がる甲子園球児みたいなもんで、スーパースターはいないけどチームプレーに徹することくらいでしょうか。勝ちゲームというのは、大体が2-0、1-0、2-1みたいに地味なんですよ(ごく稀に、二桁得点もあるけどかなり少ない)。この3通りで勝った試合数というのが、多分12球団中で最も多いんじゃないかと思いますね。

でも、最少失点が示す通り、得点以上に取られなければ負けない。これは結局、「守備にはスランプはない」ってことなんですよね。打線に依存していると、波があるからハマルこともあるもんね。打って勝つのは精神的に楽だし気分もいいんだけれど(ファンにとっても、かな?)、守って勝つ、っていうのは精神的に大変なんじゃないかと思える。それだけ集中しており、守備意識が高いということなんだろう。攻撃力の弱さが逆に守りへの意識を高めているのかもしれない。2点くらいで勝つ試合を何度もやっていくのは本当に大変なのだが、1試合平均で3.57得点しかないチームなのだから、大体はギリギリで勝つしかないからね。1点差ゲームで競り勝てないとダメなのだ。日ハムがそういうチームになっている、というところが中々凄いのである。

昨年は苦手ソフトバンクを終盤で度々下し、波に乗って優勝まで突っ走ったが、今年はどうか。短期決戦では勢いが重要だからね。



妻は言った

2007年09月21日 16時09分19秒 | 俺のそれ
我が家で一番の超辛口生活批評家である妻(ご、ごめん、冗談だってば!)は、こんな酷い話をした。


何かのボランティアかPTA活動の係りについて、女性同士の会話で聞いたらしい。

A:「○○日の△△係なんだけど、私都合が悪くて行けないかもしれない。どうしよう」
B:「仕方がないんじゃない?休んでもいいんじゃないの?」
A:「そうよね。じゃあ、休みますって言おうかしら」
B:「そうしたら?だって、今どき『首相がハライタ』でドタキャンするくらいだから大丈夫よ」

あ゛あ゛あ゛?

(笑)

酷い…余りに酷い…
女性同士の会話でもこんな風に使われているとは…安倍ちゃん可哀想。
因みに、自民党総裁候補については、こんな評価らしい。
福田さんは「陰気くさくてダメね、きっと(首相に)なっても誰も応援しないと思うけど」だって。激辛~
麻生親分については、「こっちの方がまだマシだけど、面白いだけかもね」。キビシーーイ


全然別な話。

「前から思ってたんだけど、誰かに似てるのよねえ」
とか妻が言うので、えっ?誰のこと?とか聞くと、
「酒井彩名って、『十朱幸代』に似てると思わない?」
とか言う。
「それと、沢尻エリカって、『あべ静江』に似てるのよ」
だと。
「きっと年をとったら、『十朱幸代』と『あべ静江』になるわ」
というのが、妻の主張らしかった。
喩えがヘン過ぎじゃありませんか?普通、パッと頭に思い浮かべられないよ。
一体、年いくつなんだよ!!


更に参考までに、先日の『水戸黄門』は観ましたよ、勿論。妻にもまずまず好評だった。
昔スケさんだった里見幸太郎も年を取ったな、とか思ったけれど、由美かおるは相変わらず元気だな。一体いくつなんだ?目指せ森光子、とか狙ってるかも(笑、冗談です)。弥七役の内藤何とかさんは、イメージがまるであわない、と言ってた。確かに。もっと若い人の方が良かったのではないでしょうか。重たすぎな感じ。素早さゼロ、みたいな(ゴメンね)。平幹二郎は流石、素晴らしかった。



教育は格差を再生産するか~その3

2007年09月20日 19時06分38秒 | 教育問題
クソエントリ&ゆとり乙、ありがとよ!(柳沢慎吾風、笑)>ブックマーカーどの

はてなブックマーク - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」:所得格差が子供を下層階級にするのか

記事を書いた当時は「はてブ」の存在を知らなかったので、気付かなかったよ。気付いていたところで、何かが変わるわけでもないが。
下層だか下流だか知らないが、階層が固定されてしまうのは親の所得格差のせいだ、所得が低いから教育も満足に受けられず、低所得が固定化されるんだ、とか、信じて疑わないのであれば、それはそれでいいと思う。だが、それを理由として救済を求められても、私は賛同しない。

朝日新聞みたいに「非正規雇用にあぐらをかいている」と批判しておきながら、自らは正規雇用を増やしたり自分たちの並外れた高給の一部さえも他の低所得者たちに分けないのと似たり寄ったりなんではないかな、と。所得格差のせいだというのを本気で信じている人たちは、まず自らの支援で低所得を改善してあげるとか、高等教育を受けられるようにしてあげたらいいんじゃないかと思う。

REVの日記 はてな経由で知ったので取り上げてみたい。

これ>strange - 2007-09-19

こちらの記事から一部引用してみる。

『簡単にかけばこう。

親が高収入→教育熱心&教育に金をかけられる→子どもが高収入

親が低収入→教育熱心さに欠ける&教育に金をかけられない→子どもが低収入』

こうした理屈を受け入れるとして、全員を大学教育まで無料化するとか、教育費の肩代わり誰かがやってあげて、全員が大学卒か大学院卒まで達成できたとしたら、全員が高給取りになっている社会なのか?そのお陰でみんなが大企業の安定した職を得たり、高額所得者たちだけの世界となっているのか?(笑)


要するに、
「オレが下層に固定されてるのは、親がDQNで低所得だったからだ」
ということに同意するということですか?だから、他のみんなが何とかしろ、と?(笑)

統計結果が出ている、という意見についても、「誰かのやった一つの結果」に過ぎず、学術的な正解が判明したわけでもないのではないか?

参考記事:
教育は格差を再生産するか

教育は格差を再生産するか~その2


アメリカでは日本などよりも実証分析は多いが、未だに決定的な答えなんて見つかっていないんじゃないか?主な理論として人的資本とシグナリングがあるけれど、他の説明もあるし、まだ判らない、ということだろうと思う。上記参考記事にも書いたように、もしも遺伝的要因ということが主たるものであるとすれば、所得格差云々という話などではないだろう。もしシグナリングであると判った時は、自分の親や先祖を恨むのだろうか?「血筋」はそう簡単に治せるものではないけど(笑)。

少し前には、こういうのも出ていた。
はてなブックマーク - 学校は人的資本を形成するのか 2賃金格差の実証分析

日本はどちらかといえばシグナリングの方なんじゃなかろうか、ということらしい。であるとすれば、ゴルフのセンスみたいなもの(?)で、「生まれつき持っていたモノが違う」ってことなら、今度は何を格差の理由に持ってくる気なんだろう。自らの「呪われたDNA」を恨め、とかになっても困るけど。
これは遺伝子格差だ、遺伝子のせいで希望もなく下流階層に固定化されるんだ、オレの遺伝子を治療せよ、治療しないと「逆恨み遺伝子」を発動して戦争しちゃうぞ、とか?
これまでは、「自分の能力」に原因があったわけではない(=親の低所得のせいだ、階層固定化のせいだ)と自分自身を納得させてきたのに、もし万が一「生まれつきの能力差に過ぎない」ということが判明してしまったら、今度は自分を納得させられなくなったりはしないのかな?
常に「誰かのせいだ、誰かが悪いんだ、社会システムが悪いんだ」と思って批判してきたのに、これが「自分の持って生まれた能力のせいだ」と知らされた時、今度は何処にその怒りをぶつけるのか?自分自身に?出自に?


あと、この記事に挙げた教育経済学の実証分析に関するESRIのペーパーですけれども、ここでも意見がいくつか出されていて、過去の研究からは何とも言えないですね、って話で、中々決定的な要因というのは判ってないんじゃないでしょうか。

けど、親の低所得のせいなんだ、だから低所得者は固定化されるんだ、というのを正解として無批判に撒布するのはどうかと思うのですね。これを信じるのはしょうがないんだけれども、それを政策的に考える時にも「親の所得のせいなのだから、救済せよ」とか言われたって、はいそうですかなどとは同意できんのですよ。


これも同じようなことではないかな。
『「これをやったら急激に頭がよくなった」という方法』に群がるのは何故なのか?
生まれつきの能力に大きく依存するのであれば、急激に頭が良くなったりはしないかも、とか考えるはずなのに、何故かある方法(例えば大学教育とか、笑)をやれば頭が急に良くなるとか信じようとする人々は少なくないかもね、ってことなのかな。浅知恵つけて喜んでる人たちにとっては、意味のあることなのかもしれないですけど。まあ、信じるのは自由だから。実際頭が良くなるかもしれないし(笑)。



話が飛ぶが、地方自治体などの公務員に、高卒で採用予定だったのに実は大卒で経歴詐称で罰せられる、とかいう話があったが、あれって何が悪いの?と思ったんですよ。大卒以上って応募基準で、本当は高卒で大学に行ってもいないのに大卒の経歴詐称をすれば、これは責められるというなら判る。でも、大卒なのにわざわざ高卒という仕事に応募してくれるんだから、別に悪くも何ともないと思うのですよ。こういう固定化された求人というのは、オカシイと思うのです。そもそも、どんな人か、何ができるか、みたいなことが重要なのであって、卒業がいつかとか高卒か大卒かみたいな区分って必要ないんじゃなかろうか、と。それよりも、免許、資格や実務経験とかで応募基準を決めとくなら判る。高卒で直ぐに働きに出る人の割合が減っているご時世に、何でわざわざ「高卒じゃないとダメ」みたいなことになってるのか、不思議でならない。高卒だろうが大卒だろうが、応募資格として「高卒以上」ということであれば、全員同じ扱いでいいと思うけど。どの仕事を選ぶかは、応募する側の自由、ということ。

ロースクールみたいなのもそうだろうと思うのだけれど、ロースクールに行かないと法曹にはなれない、みたいなのも明らかにオカシイんですよ。それよりも、一般社会で実務を色々と経験していたりする方が、大した教育もできないロースクールなんかよりもずっといいと思うけど。わけの判らん大学がボコボコ乱立して、一応大卒っていう肩書きだけが粗製濫造となっただけなんじゃないか、とかチラリと思わないでもない。文教利権みたいな気もするし。ロースクール乱立にしたって、同じようなものではないかな、と。それよりも、社会人として働きながら司法試験に挑戦し、法曹となっている人たちもこれまではいたわけで、そうした「自由な道」を閉ざすのは本質的にオカシイでしょうよ。ロースクールのなかった時代に法曹になった方々が、せいぜい受験予備校の教育しか受けてないので「法学教育が不十分で能力に問題がある」とか言われたりしてるのですか?(笑)ロースクールに行ったって、ダメなものはダメなだけなんじゃないの?

司法試験がロースクール一本になってしまうと、ダメなロースクールを生き延びさせるだけにも思えます。大学乱立も、ロースクール乱立も、大学院重点化も、中身の伴っていない利権だけの仕組みに見えてしまいます。本当にやりたい学校は色々とやればいいと思うけど、無駄に生き延びさせる必要性なんかないと思うのです。「親が低所得だったから大学に行きたくても行けなかった、だからみんなに行かせろや」ということで、底辺大学とかどうでもいいローとか大学院なんかに無駄な金と人員を送り込み、ダメ学校を生き長らえさせるのもイヤだな、と思いますね。