いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

ハロー、トランプ大統領

2017年01月30日 20時08分28秒 | 外交問題
さて、破天荒なトランプ大統領がいよいよ動き出した。
当初から無理筋と思われていた、公約に掲げた政策を、本当に次々と打ち出してきた。大統領令で可能な政策を連発してきたのである。


今は入国拒否で世界中に混乱を招いているようだ。
もしも同じことを中国などがやろうものなら、国際会議から完全締め出し級のブーイングを浴びることだろう。アメリカ合衆国だから、まだどうにか持ちこたえていると言える。まさに、番長の本領発揮、のようである。


世界中の関心は、こうしたトランプ政権の行動が、冷静な計算に裏打ちされたものなのか、偶然任せで政治も行政も知らない素人集団の暴走なのか、ということであろう。

これは中々の難問である。
米国のマスコミでさえ、誰にも本当のところは分かっていないのだから。目ぼしい情報はどこからも来ない。これまでの大統領とはまるで違うのだ。


多分、トランプ大統領の側近連中は、政治経験に乏しい、どちらかと言えば素人衆であり、不慣れ故に勢い任せで突き進んでいる部分というのはあるのかもしれない。けれども、閣僚級や補佐官クラスを含めて、全員が本物の無知な素人政治をやろうと考えるとも思えない。

少なくとも、就任までの準備期間はそれなりにあったのであるから、想定されるシナリオというのは考えていたことだろう。それでもなお、敢えて今の状況を選択したんだ、ということなのである。

無茶を承知で?
何故なのだろう?

誰しも、そう考えるだろう。

どうして、わざわざ非難轟々となる状況を選んだのか?

そこが非常に興味深い部分なのだ。


普通の権力者なら、圧倒的に嫌われることを選びたがらない。不人気になれば、支持が得られず、失脚の虞を抱くからだ。
たとえトランプ大統領個人の気質が「野獣」系だとして、暴走機関車みたいにやるという場面であっても、普通の頭の回る側近連中がそれを野放しにしておこうと考えるのも不自然ではあるだろう。もしそうなら、短期間で政権は崩壊するだろうから。そんな道を選ぶような側近揃いとは思えない(もし、そのレベルなら選挙では生き残れなかっただろうから、だ)。


拙ブログの見解について、全くの個人的な意見ではあるが、少々書いてみたい。


一つは、トランプ大統領は嫌われ者だ、ということだ(笑)。支持率が低いのは周知の事実だ。逆に言えば、どうせ低いのだから、「嫌いな者たちのことは考えないことにする」という戦術なのではないか。
つまり、自分を支持してくれた半分の人たちの為に、まず政治をやろう、と。残りの嫌ってる人たちのことは、もっと後になってから考えればいい、と。どうせオバマ並みに圧倒的に好かれている人だって、結局は不評は避けられない、と。


なら、まずは「50%」をターゲットにした政治でも変わらないんじゃないか、と。


ある意味、合理的ではある。普通の政治家の発想は違うと思うけど(笑)。ただ、万遍なく支持を集めようとすると、政治は難しくなり言葉も鈍りがちである。こちらを立てればあちらが立たず、の図で、不満は必ず衝突するだろうから。しかも最初から支持が低いと、大抵の場合、後々には上昇してゆくしかないわけで、株式で言うなら株価の異様に低い株なら値下がり範囲が限定的である、みたいなものだ。最初に不人気なら、後は上がるだけ、と。

よって、当選の原動力となった数少ない支持層を失わない、ということを重視したのかもしれない。


もう一つは、「これはブラフではない、繰り返す、これはブラフではない」というものだ。公約で言いました、これを本当にやってしまいました、ということを実証したものである、ということ。

選挙で公言したのだから、これを実行したまで、というのは、発言は本気であるということを、知らしめることになったのだ。本気だぞ、と見せつけるというのは、勝負師の駆け引きであろう。本気であることを現実に示せば、相手に恐怖を与えることができる。すなわち、主導権を自らに大きく引き寄せることができる。


実際、これまでの処、トランプ大統領が次は何をやってくるか、と気を揉んでしまったり、心配しているのではないか?
報道だって、トランプは滅茶苦茶だ、トランプ大統領はとんでもないことをやる人間だと慌てふためき、恐怖におののいているのでは?毎日、トランプ大統領の動向を注視し、報道せざるを得ないような気持ちになっているのでは?

これは既に「策が当たったかもしれない」ということを示している。戦いの場面では、本気の相手には躊躇してしまうものだ。これをやってのけたトランプは、主導権を握ったということなのだよ。俺が歩み寄るのではない、お前がこちらに歩み寄れ、と。



そして三つ目は、ワシントン体制の破壊、であろうか。トランプ政権の手法は、過去の例とか常識は通用しないということを象徴的に示した。これこそ、腐敗と慣行でズブズブとなったワシントン政治との決別を意味したものである、ということなのだ。わけの分からないロビー軍団や、財界だのビジネスだの金づるだのの「根回し」とか、そういうものを一切無視するよ、というシグナルではないかと。


また、高級官僚たちの離脱が伝えられるが、彼らのような官僚たちに対しても「信用できるかどうか分からない」という意思表示であろうな、と。特に、CIAやNSAなんかの連中というのは、自分たちの利害で言ってくるかもしれず、誰が信頼できる人間か見極めるまでは、官僚たちの諫言は「当面無視する」ということなのかもしれない。それが本当なのかどうか、を確かめるには、現実を利用するのが一番だ、という、ある種の「試行錯誤」的やり方である。中国人ビジネスにも似ているかも。


官僚X 「これは違法ですよ」

→顧問や補佐官や閣僚ら
「お前が信用できる人間かどうか分からんから、助言は無視するわ」

→現実に政策としていきなり実行してしまう
→失敗部分が明らかになり、分かったことは改めて行けばいいよ


これが実行できるのは、

・トランプ大統領の支持が低いから
・幹部の誰も失敗を恐れないから(出世とか手柄とか失脚に関心が薄い)
・走りながら直せばいいんじゃね?的な、現場・現実重視

なので、まずは走り出すこと、走ること、が重要であり、やる前からビビって恐れてばかりいては何も前進しないんだ、と。
兎に角、「飛ぶ前に見よ」じゃなくて「飛んでから考えるわ」方式に変更し、社会とダイレクトに反応が繋がるようにしたのが、トランプ政権なのだ。


日本みたいに、官僚集団とか与党幹部とか、中間の根回し連中が大勢いたり、マスコミにチョロチョロと情報を与えて…的なことと決別したのが、トランプ大統領の手法なのである。


商売で言えば、卸問屋などの中間業者を幾つも経て流通するというのが旧来型の政治、生産者と小売が直接繋がっているようなものがトランプ政権の政治形態ということになろうか。
結果がダイレクト過ぎるし、失敗のリスクも多いかもしれないが、中間に嘘つきの蔓延る余地はかなり減ることになるだろう。また、反対勢力なり不支持層に媚びないという点では、迎合的とは違うようだ。頑固を意図的に貫いている。


まずは、軽く挨拶代わりの「先制パンチ」が放たれた、といったところだろうか。周囲の切れ者が計算でここまでやったのだとすると、トランプ政権の術中に嵌っているだろう。

それとも偶然の産物なのであれば、側近の能力を買い被り過ぎということになろう。その場合、実力不足が露呈するのは時間の問題(当然、路線変更となり、少々大人しくする)ということになりそうだが、どうなるだろうか。



さよなら、オバマ

2017年01月19日 16時25分05秒 | 外交問題
第44代アメリカ合衆国大統領、オバマがホワイトハウスを去る時がやってきた。次は、口の悪い憎まれっ子で、横柄な態度の悪童と見做されている、ドナルド・トランプが45代大統領に就位するのだ。正直、オバマ大統領が去るのは寂しいと感じる人々が大勢いるだろう。けれど、オバマ大統領にとって、8年は十分な長さだったような気がする。彼にも限界というものが存在する、ということだ。


2008年、登場初期のオバマのことは、誰もよく知らなかった。日本での知名度も極めて低かった。多くの人々は、資金力と知名度で圧倒的だったヒラリー・クリントンが勝利するだろうと考えていた―そう、昨年のトランプに敗北した選挙の時と同じように。


当時、世界は経済的混乱の只中にいた。
サブプライムローン問題があちこちで火の手を上げていた。経済成長の勢いのある爆食中国が、北京オリンピック直前で沸騰していたこともあり、原油価格をはじめとする資源高は世界中に物価高をもたらしていた。巨大な経済的崩壊の前夜だった。

そうした時期に、オバマが苦戦を強いられながらも、稀に見るデッドヒートを戦い抜き、遂にヒラリーを抑えて大統領選の候補者に踊り出てきたのだった。その後はご存じの通り、リーマン・ショックが世界を信用危機のどん底へと導いた。大恐慌以来の、巨大なショックが米国を、そして世界を、覆った。
オバマ大統領の登場は、まるで救世主のように感じられたのだった。


混迷に陥った米国を救うべく、「新たな夢物語」が米国民には必要だった。精神と経済への酷い傷を癒すには、合衆国ならきっとできる、という確信が必要だった。
オバマ大統領は、黒人が大統領になれる国、それがアメリカ合衆国なんだ、ということを体現してみせたのだ。多くの悲劇の中にあって、一筋の希望の光を与えたのが、オバマ大統領誕生だった。


世界中が祝福をもってオバマ大統領を迎え入れたのだった。

参考:
08年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/375226aead9682896348c8cc0b818025

09年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8c5504de1e7faee3ad8c125659915f02

そして、ハネムーン期間の終わりの時。
09年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b966623012794bd0910d6d698d0f82c3


自由と正義の国、アメリカ合衆国なら、きっと世界を、日本をも変えてくれるかもしれない、そう期待していた。しかし――


期待は次第に失望へと変わっていった。ノーベル平和賞まで受賞した、類稀なる大統領となったのに、オバマ大統領の歩みは遅々として進まず、期待外れどころか、失望と懐疑へと変わっていったのだ。


一言で言えば、オバマ大統領といえども、巨大なシステムの前では政治的に無力だった。大統領としての地位を全うし、生き延びることに精一杯だったのか、オバマ大統領は妥協へと傾いていった。


成果といえば、「オバマケア」だけは実のある政策として実現できたが、他は目覚ましい成果はなかった。例えばグアンタナモ基地の処理に関しても、何らの進展も得られなかった。軍事部門は、それだけ強く巨大である、ということなのだろう。


10年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/256bbe5ba59195ae09e6bf91f32a8d85


日本においても自民党が下野し鳩山政権が09年に誕生した。これを契機に、沖縄の基地問題、殊に普天間基地返還に伴う「辺野古埋立」による新基地建設問題は、新展開を迎えることになり、沖縄県民悲願が実現するかもしれないという機運が高まった。
けれども、オバマ政権は、日本に対し辺野古移転を実現するよう外交的に圧力をかけ、あろうことか鳩山総理に新たな日米合意文書にサインをさせるに至ったのだ。

オバマ大統領の大衆支持と清新さがあるなら、軍事部門の抵抗をはね返し、在日米軍の在り方を見直すことも十分できたにも関わらず、彼は政治的関心を有してはいなかった。それよりも、軍事・情報・諜報機関の重用へと傾いていき、自己の存続を最優先とした結果、海外工作や秘密活動部門を増長させるに至った。弁護士らしく、オバマ大統領は「取引」を考え、犠牲にする「何か」を計算によって作り出してきたのだった。頭の良い人間であればこその、芸当だったのだ。


典型的なのは、対中国との関係性を重視しつつ、また韓国を重用することに腐心したアジア外交姿勢だった。

12年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e343fbe56bfa86b726689c2ae9f3e85c


海外工作に味をしめたアメリカ情報機関等は、海外での無人機攻撃やテロ支援工作や政府転覆工作などを拡大していった。特に、中東の混乱は、合衆国の特定勢力にとって甘い蜜となったのである。
オバマ大統領は、そういうことを知らなかったわけではないだろう。彼は十分熟知した上で、敢えてその路線を選択していたのだ。表立っての戦争行為は「できない」(=米国民の強い反発が予想された、米国の尊い若者の命を犠牲することは誰も望んではいなかったろう)が、陰でこっそり戦争行為をやることは「裏の部門」が望んでいたものだった。対ロシアとの関係性の変化は、その顕われだった。


「裏の部門」がオバマ政権下で手を染めてきた、数々の犯罪行為や殺戮作戦が、ロシアをはじめとする海外機関に尻尾を掴まれたが故の、つい先日までの「ロシアのサイバー攻撃に対する報復」との声高な非難だった。


オバマ大統領は、演説の人であり、言葉巧みな、理知の人だ。
オバマは、よく計算して行動するし、損益計算も、取引の価値も、誰を・何を利用すべきか、利用価値が高いのか、といったことを十分知っている。ある意味、狡猾である、とも言えよう。表の顔と裏の顔の使い分けも、きちんとできていたということなのだ。

卓越した演説と言葉の力で、人々を動かしてこれたのだが、オバマ大統領がもたらした8年間は、期待の半分にも届かないものだった。オバマ大統領が黒人の出身者である、ということだけが、政治的に価値のあるものだった。もしも彼が黒人でなければ、恐らく百年後でも二百年後でも、誰も思い出すことのできない大統領として記録されることになっていたことだろう。
そう、アメリカ合衆国にとっては、オバマ大統領が黒人をやめなかった、ということが唯一の救いだ。


オバマ大統領を散々酷評してきたが、小さな成功は、オバマケア以外にもあった。一つはキューバとの国交回復、もう一つは広島訪問だ。

これらの、「オバマのレガシー」がなければ、本当に凡庸な大統領という評価のまま終わっていたであろうが、数少ない足跡としてはないよりマシではあった。ノーベル平和賞と比ぶるべくもない、微々たる成果だが、特に広島訪問で見せた姿は多くの日本人の琴線に触れるものだったろう。
これには、素直にお礼を述べたい。


キューバ訪問
15年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fba6183cebd8c8375be444147cac6fee

広島訪問
16年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/30c4ec3e8206bcd97313441bba0fcb6b


さて、オバマの長きに渡った旅も、終わりに近づいている。若き黒人政治家にとって、大統領への道が非常に狭いものだったのは間違いなく、いつも困難に突き当たっていたことだろう。政治経験が未熟であったことも、何度も痛感したことだろう。人々に勇気と希望を与え続けることは、決して簡単ではなかった。

自信を失いかけていた合衆国国民に、絶望から這い上がる為の言葉をかけてきたことは、オバマ大統領の最も得意としていたことであり、彼の長所が活かされていた。このことは、賞賛に値しよう。素晴らしい大統領であった。

しかし、オバマ大統領は、策士らしく、策を弄することに明け暮れるようになり、策に溺れるまではいかないまでも、足元を絡めとられてしまったのではないか。初志貫徹は難しく、どれほど高い志を有していたとしても、政治的困難が高い壁として立ちはだかった。心残りは、ずっとずっと大きなものとなった。8年前に想像した以上に。


最後に。

ありがとう、オバマ。お疲れ様でした。



福島県の小児甲状腺癌~UNSCEAR2016年白書に関して

2017年01月12日 14時22分06秒 | 社会全般
福島県の小児甲状腺ガンの摘出例は、これまで増加の一途をたどってきたわけだが、どうも国連の一機関の報告書の存在をもって、「福島県では小児の甲状腺癌の患者は多くない」という見解を広めている人々がいるようだ。


拙ブログの見解は、以前から述べてきたけれども、福島県の小児における甲状腺癌の発生は、どうも過去の例と比較すると多いのではないか、というものであった。


15年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1706e8f25cb6b081da4c0db8606345ba

    >http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2dbf06b8c5acae20b95087991e2006f7


16年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fac67aaefc8f5ae14e1db2e5f3c3cc72

16年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/49250a9a47db2d4c583b62061c154afd



で、問題のUNSCEARの白書ですね。こちら

>http://www.unscear.org/docs/publications/2016/UNSCEAR_WP_2016_JAPANESE.pdf


気になる箇所は、23頁の111の項である。

111.
1 編の論文 [T17](およびその後に発表された、批判への回答 [T16])は、甲状腺がんの発生率が放射線によって上昇したことを証明できると主張している。著者らは福島県で50 倍(95%信頼区間:25 倍~90 倍)の過剰を報告している。しかし、調査の計画と方法は、この解釈を正当化するにはあまりにも偏りが生じやすいもの [J2]であった。Tsuda et al. [T17]は、観察された甲状腺がん発見率に対する、甲状腺の高感度超音波検診の影響を十分には考慮に入れていない。彼らの結論は、FHMS の集団検診を受けた人の甲状腺がん発見率と、小児の甲状腺検診結果がほとんど含まれていない日本の他の地域での発見率との比較に基づいていた。小児期に検診を受けた他の集団、特に被ばくしていない 3 県で超音波検診を受けた小児についての調査 [H3]、および日本の若年層における他の検診調査 [T6]では、放射線被ばくのない甲状腺がんのベースライン発見率が FHMS の発見率と同程度であることが判明している。同様に、韓国で広範な検診を行ったところ、甲状腺がん発見率の明らかに大幅な上昇を経験した[A2]。また、検診で検出されたがんの一部は、放射線被ばくの前から存在していた可能性がある [T5]。



岡山大の津田らの論文において、地域間の差を示しているが、それがどの程度まで言えるかというのは、判断が難しいのかもしれない。112番の記述に関しては、言いたいことは分かるので、とりあえず保留としたい。


で、問題の111である。
通常、年齢差や性差の大きい疾患の場合、違う対象の論文と同列に論ずることはかなり稀である。ところが、この白書では、何故か敢えてA2論文を挙げて、検診をすると発見率が上昇するのだということを強調しているのだ。


これはどういうことか?
極めておかしな議論ではないかと疑わしくなるわけである(笑)。普通の研究者なり医学者なりだと、そういう論の提示はしないのでは?


また、参照されている長崎大のTakamura et al.のペーパーがある(T6)が、恐らく以下のものであろう。

Takamura ペーパー

>http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587(16)30318-7/fulltext

>http://www.thelancet.com/journals/landia/article/PIIS2213-8587%2816%2930318-7/fulltext


アブストラクトではないですよ、フルテキストでこの分量だそうです。
で、千葉300人、岡山1300人、東京350人、福島358人、いずれも/百万人当たり、ということで、地域差が見られないですよ、という結果が報告されているわけだ。内容が薄過ぎて、具体的な調査実態が分からない(性別とか年齢層とかもよく分からない研究報告みたいな)のですが、有力な証拠とされているようです。ふーん。随分と、キリのいい数字が並ぶもんなんですね、300、1300、350って。もっと細かい数字ではないのは偶然なのかな?(笑)


で、拙ブログでは、ネット上で少し探してみたところ、非常に勉強になるペーパーがありましたので、それを提示してみたいと思います。分量が長いので、英語を読める方は是非とも頑張って原文をお読みくださいませ。当方の理解の範囲でしか、ブログ記事には書けませんので。


>http://www.scielo.br/scielo.php?script=sci_arttext&pid=S0004-27302007000500012&lng=en&nrm=iso&tlng=en


このうち、ベラルーシのMogilevとGomelという地域での小児の甲状腺スクリーニングプログラムの検査結果というのが出されているわけですが、「table2」にその数字が掲載されています。


事故当時に9歳以下だった小児について、91-96年のスクリーニング検査結果は、線量の高い影響を受けたであろう、Mogelでは37例/19660、Mogilevが2例/23781という発見率だったわけです。


で、2002年の高発見率地域だった前者でのスクリーニング検査では、14歳以下の小児においてゼロ人、0/25446という結果だったということです。

スクリーニングをしたから、元々大人になれば発見されるであろう甲状腺癌を先に発見したんだ、というお説が本当なら(笑)、2002年時点でもかなりの数が発見されていてもおかしくないでしょう?

しかし、発見例はなくなっているわけです。二万人を超える大規模調査ですので、国連の出した白書に書かれている韓国の論文よりは意味のあるものと考えます。


日本での過去の経験でも、15歳未満での甲状腺癌の発見例は極めて稀であり、腺外浸潤、リンパ節転移や遠隔転移が生じているのに治療せずともよい、などという意見が医学界の常識として存在してきたのか?

そういうのを、デマと呼ぶのでは?


また、本論文においては、小児甲状腺癌の原発巣の大きさの基準というのは、10mmといった基準が果たして妥当なのかどうか、という議論もなされており、今後の検討や議論が必要ではないか。


福島県の手術適応となった例では、10mm以下は3分の1しかなく、リンパ節転移が高率で発生していたし、遠隔転移も見られたわけで、上記論文のTable4の結果と見比べてみても、特別に過剰な治療であったものとは考えられないだろう。


何より、疑問というか残念なのは、UNSCEARというある種の権威機関が出した報告書において、当然に参照するべき重要と思える論文をレビュー対象から外しており、自説の都合のよい論文をみつくろって結論を導き出しているかのような体裁になっている、ということだ。何の為の報告書なのか。


小児甲状腺癌の発育が緩徐であるというなら、2013年以前に検診で問題なしとされていた患者において、わずか2年程度で手術適応となること自体が、通常では考え難い事態であろうに。

早期に発見したに過ぎない、というお説ならば、例えば2015年時点でガンとするのではなしに、2012年か2013年には検出できていたはずであろう?大きさがそんなに急速に増大すると?

10年、20年待っても問題ない、と豪語してたはずが、2年前に検出なり診断なりができていないわけがなかろう?


津田論文の議論では、福島県内の地域差を見ているわけだが、そこには十分ではない部分があるとしても、福島県全体で見た場合の、小児甲状腺癌患者の発生というのは、普通では説明がつかないものと思われる。




明けましておめでとうございます

2017年01月01日 09時45分03秒 | 俺のそれ
今年もよろしくお願い致します。


昨年は、苦しむ局面が多かったのですが、新合衆国大統領就任で展開が変わることを期待したいです。


個人的には、悪いことがあったわけではないですが、世界は暗闇の中にいるとしか思えず、ツラいと感じています。


一人にでも、わたくしの言葉が届いてくれれば、ありがたいです。


常日頃のご愛顧に感謝申し上げます。