いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

米韓FTA(Korus)は何故発効しないのか

2012年01月31日 18時56分44秒 | 外交問題
昨年の大混乱を招いてまで、1月1日発効に向けて動いてきたのに、どうして未だに発効されないのかな?

3月か4月、みたいな観測まで出てきているようです。

>http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=020000&biid=2012012001368


もう笑える。
日本のTPP推進派のアレげな連中というのは、こうした事態をどのように受け止めているのか、これについての評価や意見はどうなのか、何か言ってみろと言ってあげたい。


11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/815f3d20a7e355ef5cafb54bcb382aad

で、先日には、オバマ政権の首席補佐官退任となってしまったわけだ。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/081fa5097f828d68e4bcd0ef9026b7c1


事態収拾策をどうするか、というのを悩んでいるのかもしれんな。
米国としても韓国サイドを刺激したくはない、というのがあるだろうから。反対の声が静まるまで、しばらくはそっとしておきたい、ほとぼりが冷めるまで待ちたい、75日経過するまで置いておきたい(人の噂も…だから、笑)、ということなのかな?

ヘタにKORUS発効して、日本のTPP反対派が騒ぎ出すのも困るしな、とか色々と思案中なのかもしれんし。タイミングが難しいな、と。そういうことですか?

米国サイドで批准をする以前に、韓国の法律だの何だのなんて、穴が空くほど検討に検討を重ねていたに違いないですよね、多分。
米国側の弁護士とかの法律専門家たちが、書類にサイン(批准手続き)するまで、法律の中身をよく調べてないなんてことがあるとは到底思われないもの。

契約書社会であるところの米国(スポーツ選手の契約だって電話帳みたいに分厚い契約書らしい)が、準備を怠っていたとは思えないんだもの。韓国側の騒ぎは予定外だったろうが、それにも増してこの失敗の収拾をどうするか考えている、ということだろう。

ま、韓国側としては、米国から「1月発効に間に合わないので、さっさと採決しろ」と求められたので、仕方なく無理矢理強行採決に踏み切って、あんな手榴弾騒ぎだったかにまで発展したというのに、今更になって「やっぱ、ちょっと待っとってもらえまへんか」という自分勝手なことを言い出すアメリカさまに困惑していることだろう(笑)。

その上、韓国の国会議員や法曹関係者たちから、「もういっぺん、再考させてくれ、再交渉としてくれ」とまで求められる始末。

顛末が見物だな。




はてなブックマークの情報隔離?

2012年01月31日 12時02分34秒 | 俺のそれ
昔から、一部噂などで言われていたが、「はてな」という会社がそうなのかもしれんね。

>http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=eid&url=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fcritic11110%2F

>http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=eid&url=http%3A%2F%2Fd.hatena.ne.jp%2Ftrapds%2F


当方のブログはマイナーなオメガ級ブログですので、人気がないことは確かなんですがね(笑)。

稀には、ブックマークを付けて下さる方々もいらっしゃるわけです。当方にとっては、大変嬉しいし、励みにはなるわけです。


でもね、拙ブログのページに限っては、不思議なことがあるわけです。
他のサイトだと、『同じサイトの他のエントリー』という欄と『関連エントリー』という欄があるわけです。


しかし、拙ブログでは「関連商品」というウチのブログ記事には全く関係のない広告みたいなのしか出てないということですわな。

恐らく、はてなの中では、拙ブログ記事は他の記事なんかとの関連が遮断されている、ということだろうな、と。
まいいですよ、はてなの会社の考え方なんだから、それでも仕方ないでしょうからね。

それに、たとえ他のサイトと同じ扱いを受けたにせよ、人気の出る記事でもないから、結果的には同じでしょうからね。
まあ情報検閲をやってる連中というのが、一体どういう筋なのかな、とは気になるだけですわ(笑)。


昔あった、「グーグル8分」という噂は、今では聞かないね。改善されたのかもしれない。

でも、「はてな」は違う、ということは覚えておくよ。



それから、当方のPCはどういう監視を受けているのかな、と勘繰りたくなるわな。


グーグルニュースのページでは、元々の所在地というのが正しく表示されていたのだが、数日前から、勝手に静岡県とかに変更になっていて、その理由というものが全く不明のままなんですよね。

そんなに当方の閲覧ページとか検索語が気になるもんなんですかね?(笑)
まあ、いいけど、そんなものを知ってどうしたいのかが、判らんわ。屁の役にも立たんぞ?
違うか。


ああ、気のせいか。




「電力おばけ」の具体例

2012年01月30日 21時12分34秒 | おかしいぞ
政府の試算だか見通しというのが、いかに出鱈目か、という例を見つけたので、追加しておく。

>http://mainichi.jp/select/today/news/20120108k0000e020112000c.html

(一部引用)

政府の見通しによると、今夏に6電力で予備率がマイナスになる。特に原発依存度の高い北海道、関西、四国、九州の4電力では余剰の発電設備がほとんどなく、ガスタービンを設置しようにも通常3年程度かかる環境影響評価(アセスメント)がネックとなり、夏に間に合わせるのは難しい。また、再稼働には国が課した安全評価(ストレステスト)をクリアする必要があるが、審査にどのぐらいかかるか判然とせず、再稼働の見通しは立っていない。

 猛暑日などのピーク時の最大需要が一瞬でも発電量を超えると、大停電を起こしかねず、「電力会社は万が一を恐れ、需要を高めに設定しがち」(経済産業省)。東電の場合、猛暑だった10年夏のピーク需要は6000万キロワットだったが、電力使用制限令が発動された11年夏は4922万キロワットにまで低下した。11年のピーク需要で試算すると、予備率がマイナスになるのは北海道電と関電の2社だけ。東電と東北電の場合、被災していた火力発電所の復旧やガスタービンの新増設などで約220万キロワット、約100万キロワットをそれぞれ冬の供給力に上積みでき、予備率は15%超となる。


=======


今夏の余剰の発電設備がなく、ガスタービン新設にも3年かかるから間に合わない、と。そういうことですね?
で、昨年並みのピークであると、北海道と関西がマイナスの予備率となる、ということですね?

官僚というのは、ウソつきの代名詞か何かなのかと見紛うばかりだな。よくもまあ、こんなに嘘八百を並べるもんだ。どうせ国民なんか何も知らないんだ、騙したって分かりっこないんだから、くらいに思っているんだろう、きっと。


①北海道電力の発電施設(供給力)は2010年実績で826万kW

>http://www.hepco.co.jp/info/2010/__icsFiles/afieldfile/2011/03/30/20110330_kyoukyu_1.pdf
大前提がこれだから。ざっとの数字ですが、石油約215万kW、石炭約240万kW、水力他約160万kW、合計約615万kWはある、ということです。これ以外に原子力が泊原発の1~3号機分207万kWがあるのです。
つまり、原子力以外の発電設備は615万kWある、ということです。


②北海道のピーク電力は夏じゃない

これも東京基準の連中だと思いつかないのかもしれないが、夏の消費電力は冬より少ない。冬で多いのが12月~1月にかけて、である。
>http://www.garbagenews.net/archives/1851434.html

これまでのピーク実績だと、530万kW程度、震災前で580万kWくらいまで行ったことがあるようだが、これの対策は可能である。どうしてか?
主に暖房設備に使われるだろうから、である。
暖房というのは、灯油やガスストーブとか、その他代替手段が割と多く存在している。それに、震災以降であれば、薪ストーブが増えたりしているし、オール電化以外であればガス給湯の普及などがあるので、発電力には必ずしも拘束されないのである。東京もんの冷房にはエアコン、みたいな画一的思考の連中には思いつかないのだろうけどな。
なので、冬場の電力使用を抑制しましょう、ということなら、各家庭でも取り組めるし、発電所を増設なんかしなくても全然問題ない。


③冬のピーク時でも原発なしで足り得る

設備の稼働状況にもよるが、①に述べた通り、原発なしで615万kWの設備容量があるわけだから、最大ピークの530万~580万kW水準であっても、数字上では足りてる、ということになるだろう。ただ、稼働率が90%程度であると540万kWを越えない方がよいのかもしれないが、そうだとすると、09年とか10年のピークくらいになるように節電すればいいだけ。
一時的に電気ストーブなどを用いず、他の暖房を利用してもらうようにすれば乗り切れる可能性が大、であろう。


④夏のピーク電力はもっと少ない

今泊3号機だけ動いてるそうだが、この91.2万kWが止まったとして、現状原子力以外で発電しているのが約440万kW分くらいはあることになる。夏のピークが500万kWくらいだと仮定すると、残りの発電設備から60万kWが調達できればまかなえるだろう。節電すれば、もっと少なく済むはずだしね。これがそんなに達成困難だと?


結局のところ、上の毎日新聞記事のような、北海道は夏に予備率がマイナスになって大変だ、みたいな話になんかならないはずだ。ピークが夏じゃないのに、夏の心配をすること自体がおかしい。要するに、電力が足りない足りないと言いたいだけなんじゃないのか?

口からでまかせみたいな、官僚たちの出してくる資料だの数字だのというのは、本当に信用ならないな。いくらでも数字や事実を隠すことをやってくる。

心底腐った組織、人間たちということなのであろう。




ペテン民主党政権の「電力おばけ」

2012年01月30日 18時16分34秒 | おかしいぞ
何から何までウソと出鱈目と情報隠蔽で、国民を騙し、欺き続けるという見本である。
原子力を再稼働させなければ、大変なことになるって?
心底腐った連中だな。ウソも百回重ねれば、誤魔化せるとでも思っているのか。ボンクラ閣僚どもにウソを吹き込む連中というのは、どこのどいつなんだよ。


>http://mainichi.jp/select/biz/news/20120123k0000m010126000c.html

(一部引用)
公表された試算は、東京電力福島第1原発事故を受け、エネルギー戦略を見直している政府のエネルギー・環境会議が昨年7月にまとめた。過去最高の猛暑だった10年夏の需要と全原発停止という想定で、需要ピーク時に9.2%の供給不足になると試算した。
 この試算とは別に、菅直人首相(当時)が昨年6月下旬、国家戦略室に置いた総理補佐チームに、電力需給の実態把握を指示。経済産業省に対して、発電所ごとの設備容量・稼働可能性、地域ごとの再生可能エネルギーの稼働状況など、試算の根拠データの提出を求め、再試算させた。
 その結果、現在の法律に基づいて電力会社が調達できる再生可能エネルギー容量は759万キロワット(原発約7基分)あったのに、公表された試算は供給ゼロだった。また、一部火力発電所で定期検査による稼働停止時期を猛暑の8月に設定したり、大口契約者への格安電気料金と引き換えに需給逼迫(ひっぱく)時の利用削減を義務づける「需給調整契約」による削減見込みもゼロとしていた。夜間の余剰電力を昼間に利用する「揚水発電」の供給力も低めに設定されていた。
 再生可能エネルギーによる電力供給などを盛り込むシナリオで計算し直すと、電力使用制限令を発動しなくても最大6.0%の余裕があった。再試算は昨年8月にまとまり、菅首相に報告されたが、公開されなかった。


=======


この国の政府組織というのは、本気で腐っとるわけだわ。
恐らく官僚が資料を用意しているんだろが、その連中が更に腐っとる。官僚と結んだ東電一派やマスコミや財界なんかの連中というのが、トコトン腐敗した連中ということなのだろうね。

1500万kWも足りない、と大騒ぎをしていたマスコミが、拙ブログで記事をいくつか書いたら、5700万kWまで増えてきましたよ、と。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/0b19691c10b59609ce0319c599ae12a8

東電の情報隠しはいつもの「お家芸」>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fb1fa82458635c051ef387550984df78

供給力は足りそうだということが判っていたはず>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/0ac267263e5443f0199b2aa7f0425182


けれど、原発を止めても供給が間に合うってことがバレたら困る人たちがいたので、どうしても制限令をやる必要があった、と。そういうことですわな。産業界の多くは騙された、ということですわ。

そして、未だに出鱈目を続けているのが、民主党政権である。
前原が「TPPおばけ」と揶揄していたが、民主党政権のやってることは、「電力おばけ」「原発おばけ」みたいなもんだ。
原発が止まれば、電力が大幅に足りなくなる、という根も葉もない出鱈目を言って、国民を騙したようなもんだ。


>http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20110811/siryosen1-1-2.pdf


ウソを続ける愚か者たちが、重要な政策決定を行っているということさ。




北海道新幹線は本当に必要か?

2012年01月29日 19時17分45秒 | おかしいぞ
本当によく分からないのが、この話である。小泉政権下では財政審がメリットが少なすぎる、というような理由で、予算を認めなかったはずだ。なので延伸という話にはならなかった。

ところが、である。コンクリートから人へ、と言って政権交代を果たした民主党では、この延伸事業が復活となったわけだ。財務省が野田財務大臣にこっそりと再開させていた、朝霞公務員宿舎みたいなものだ。
その朝霞公務員宿舎も、野田総理は国会答弁で建設を変更するつもりはない、と断言しておきながら、世間からの批判が強まった途端に前言撤回し、現地視察をして決めるという戯言を出してきた。そして、現地を見ただけで何故か「建設凍結」と言ったわけだ。「中止」ではなく「凍結」なのはおかしい、どうして中止ではないのかと批判されたら、仕舞には「有識者会議で検討の結果、中止」となったわけである。つまりは、当初の地点に戻っただけであり、バカをやっただけだ。

民主党政権、野田総理、財務省の言い分というのは、仕分けで見直せと言われていたものを敢えて「建設再開」としたわけだよ。それは「有識者会議のご意見」だという、人のせいにして再開したわけだろう?
有識者が建設と言うのだから、建設は妥当だ、と。
なのに、自分が建設のゴーサインを出しておきながら、建設現場を見て凍結と言い、有識者にご判断をいただくと中止、と言ったわけだよ。場当たり的な出鱈目を繰り返しているだけ。

もう一度整理しておくと、
小泉政権下でストップ(全体の見直し)
→事業仕分けでも凍結
→野田財務大臣が密かに建設再開
→野田総理が現地視察し凍結
→有識者が建設中止の意見
で結局『中止』

二転三転どころじゃないわな。民主党政権のいい加減さが浮き彫りなわけだ。
これをよく覚えておくとよい。

北海道新幹線にも似たところがあるわけだ。有識者のご判断では、認められない、と。それで止まったわけである。しかし野田政権になってから、復活となったわけだが、その経緯も検討結果も謎のままである。国土交通省は、なんとこれから「事業の採算性」の検討に入った、ということらしい。再開を言う前に、まず詳細な検討結果を公表すべきなんじゃないのか。普通は事業に着手する前に、こうした検討を全て終わらせておくべきものだろう?まともな事業や運営計画とは思えんわ。

>http://mainichi.jp/select/biz/news/20120128ddm008020154000c.html


当方は事業計画とか鉄道事業について全く無知であるので、疑問点が非常に多いわけです。きちんとした説明がなければ、簡単には理解できないんですよ。そういう疑問点について、いくつか書いてみる。


①時間の短縮効果はどれくらいか?

目玉らしいのがこれだ。道のHPにも紹介があるが、東京―札幌間で4時間を切る、というのが夢らしい(笑)。その前提が時速360km/hという、夢物語みたいな話らしい。
>http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/skt/hituyousei/trainhituyou.htm

現状ではまず無理だわな。260km/hだと、新青森―札幌間の時間がどの程度短縮されるのであろうね?それが問題なのですよ。

とりあえず函館まで伸びるのは決まっているから、東京―新函館までがどれくらいなのだろうか?新青森までは、最速で3時間10分。しかし、青函トンネル問題があるので、函館までは時間がかかってしまう(トンネル内の安全性の問題があって、最高速度制限140km/hがあるらしい)。距離で約150kmなので、1時間にできたとしても、東京―新函館間は4時間10分かかることになる。函館駅までだと、もうちょっとかかってしまい、仮に20分で新函館~函館のアクセスができたとしても、東京―函館間は4時間30分程度が最速ということになるだろう。
そうすると、現状の5時間30分くらいを1時間短縮できるかもしれないが、東京―札幌間を飛行機に対抗できるくらいまで短縮できるのかというと、かなり難しいと言わねばなるまい。

◎現状の最速
・札幌―函館間;3時間(特急)
・函館―新青森間;2時間20分(特急等)
・新青森―東京間;3時間10分(新幹線)

◎札幌延伸後の最速
・札幌―新函館間;1時間20分
・新函館―東京間;4時間10分

夢の計画では3時間57分かもしれないが、堅い実現可能なプランを考えると、5時間30分くらい、ということなんじゃないですかね。途中止まる駅が増えれば、その分遅くなるわけですし。
青函トンネルがある限り、中々問題の解決は難しいのではないですか、という話だ。新函館から札幌まで在来線だとしても、ここの時間短縮は1時間30分くらいでしかないので、たとえ7時間10分だったもの(現状では9時間以上かかるらしい)が5時間30分になったとて、「いやまあ、早くなったね」とは思うかもしれないが、優先的に使いたいかと問われるとそれは無理っぽい話なんじゃないですかねえ。


現状で、例えばyahoo検索で新宿―札幌間を調べると、既に3時間50分台ゾロゾロ出てくるわけで。飛行機は圧倒的に有利、ということだ。
新幹線が死ぬ気で頑張って、夢の360km/h走行が仮に叶ったとしても、現状の「何もしてない状態」と同等ということにしかならない、という話である。


②開業予定と費用

これも本当にアホじゃないかと思うのだが、誘致を運動している連中の大半は生きてるうちに乗れるかどうか、なんじゃないですかね?
目安として、2037年くらいの開業を目指す、ということらしいです。そんときゃ、日本はどうなっていますかね?(笑)
まともな事業家が考えるものとは、到底思えない。採算事業として、その後も永続してゆくことを、本気で考えているのか。工事を頑張っても、どこぞのダムみたいに20年も30年も平気でかかる、というわけですか。その間の費用は、工事業者への「乳供給」みたいなものと何が違うと?

人口が減ってゆくという予測が出されているのに、25年後の利用客とかがそんなに見込めるのかね?これまでにも散々出鱈目を繰り返してきた地方空港の杜撰な計画と何が違うの?静岡空港はどうなった?優等生と褒められた中部空港でさえ、利用実績は計画通りだったのか?
出鱈目予測なんざ、屁の足しにもならんわ。もっと現実を見ろ。

整備計画の費用が、ざっと1兆5500億円くらい、ということらしいですが、それは税金と借金だろうに。新函館の建設費用は既に決まってしまっているのでしょうけれども、その先にだって1兆円以上の金をつぎ込むわけでしょう?しかも、自治体住人も負担するわけですよね?
新幹線(の駅)ができたからとて、田舎に多くの人たちが来るとは思えんな。


③他の方法はないのか?

25年で1兆5千億円使うとなれば、毎年600億円つぎ込む計算だ。この金を本当に新幹線に使うべきなのか?もっと別な使い道を考えるべきなんじゃないのか?

地方空港は苦しい、便数も少ない、と困っているんだろうよ。だったら、そういう方に毎年50億円でも100億円でも回せるとなれば、どうなると思う?
千歳は利用客数が多いわけだから、ここをハブとして地方空港に便数を確保するように補助すればいいのではないのか?
全道の空港経営を一括で民間委託に出す、千歳からの乗り継ぎ便をLCC誘致で増やす、空港使用料を補助金でタダ同然にする、等々の対策を講じれば、路線の価格を引き下げられるから利用促進になるのではないのか?
新幹線がたとえ札幌まで来たとしても、稚内や帯広や北見や釧路や根室なんかには「非常に不便、遠い」ことには変わりないんだぞ?
プロペラ機であっても、便数がそこそこ確保されてるとか、費用が高すぎないということであれば、利用はあると思う。そちらに金を回す方が、便利だし簡単だろうと思うが。

鉄道にしても、在来線の運行本数が少ないことや接続が悪いといったことがあるから、利用が促進されないという面がある。自家用車の利用が多い、ということもあるとは思うのだけれどもね。都市交通の鉄道網が未発達というままだからね。アメリカ型で、自家用車の方が便利という環境になってるから。
在来線でも、利用料が下がれば、多くの人がそちらを使うだろう。現状だと、高いんだな鉄道は。時間が少々かかってもいいから、自動車でいく、という人たちは多い。

④他にも懸念が

北海道新幹線というのは、路線の7割がトンネルっていうことらしいが、そんなに穴倉ばかりを走っていて、乗ってる人は楽しいと思うだろうか?
オレなら、利用したいとは思わんね。東海道新幹線みたいに、外の景色が楽しめるからこそ鉄道がいいのだろうに。真っ暗なトンネルばかりの景色の何がいいの?それを敢えて利用したいとは思えない。

それから、雪の問題についてだ。雪害というので、鉄道のダイヤが乱れるとか、運休になるといったことが度々あるはずだ。これについて、新幹線になると、在来線よりも運休が少なくできる、ということはあるのか?
道のHPによれば、飛行機の欠航率というのが0.30%、新幹線だと0.18%、ということで、僅かに0.12%分しか違わない。新幹線が止まる時は、在来線も飛行機も大体止まる、ということだろうか?
飛行機が雪に弱いというのがあるとしても、在来線が動いているならそちらを利用するだろう、大抵の場合。これが新幹線でなければならない理由というのは、あるのだろうか?飛行機が止まった、だったら在来線で、ということでいいじゃないですか?
飛行機が止まった、だったら新幹線で、ということの為に巨額費用を投じるべきか、という話だ。ほんの僅かのメリットを得る為の費用は、あまりに大きすぎでは?
それに除雪や保線の手間暇と費用が2倍とかになるかもしれないんだぞ?在来線と両方かかるわけだから。維持費がどの程度なのか、公表したのか?
大半がトンネルだから吹雪にも強いし除雪費用も大したかからない、ということなのかもしれないが、トンネルの維持管理費はどうなのか?本当に、負担できるほどの利用客があるのか?

いくら雪に強い、とか言っても、在来線程度の運休率であるなら、とりたてて新幹線である必要性はないだろうね。季節性のものだし。


いずれにせよ、新幹線を欲しがってる連中の多くは、今さえよければいい、とりあえず目先の工事費が入ってくればいい、みたいな、安易な考えなんじゃないかとしか思えないわけだが。それとも、駅建設や路線の用地買収なんかに絡んで、裏があったりはしないのか?、と勘繰りたくなるわけですわ。

丘珠空港をやたらと保持したがるのも解せないし、千歳に統一してハブとしたっていいんじゃないのか、としか思えないわけだが。千歳―札幌間はJRで約40分程度らしいのですが、運行本数を増やすとか直通を設けるといったことで工夫の余地はありそうなものですよね。丘珠から札幌中心部へのアクセスがそんなにいいわけでもないみたいですから。

よく分からない新幹線誘致運動をやるより、堅実かつ効果的方法を模索すべきだとしか思えない、ということですわ。
将来に渡って続く巨額費用の負担を、よく考えてみろ、と。在来線だって、地方の不採算路線が切られてきたという現実を忘れるな。



在沖海兵隊のダーウィン移転論説~byジョセフ・ナイ氏

2012年01月27日 13時44分56秒 | 防衛問題
これまで、「在沖海兵隊移転先は辺野古しかない」と豪語してきた連中がいたわけである。例えば、石破元防衛庁長官だ。岡本行夫氏も鳩山政権下で散々言ってきた。吉崎達彦さんもそうだったよね?

09年当時、鳩山総理の抑止力発言があったわけだが、「抑止力」を金科玉条のように辺野古肯定の根拠として挙げていた連中は大勢いた。ネット界隈においても、finalventだとかオブイェクト(JSF)とかが主張していたはずだな。軍ヲタ達も同様だった。彼らに共通するのは、鳩山総理が「抑止力も知らないで県外だの国外だのと言っていたのか」という嘲笑だった。

こういう連中に、笑える資格なんかあるのか?


参考記事:

09年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/85d8466f20f56fd154472c55e26e09c8
同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/55601e9f615ddc041f99685724e0d376
10年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ca9e9941438e07fac970090c547c635c
同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7d79772814ba24140f739df02486c202
同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/23e20024971324a083def60b18b0acbb


最近新たな情報が出たので書いた。
11年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/21d0c27e1217c8659e4a728b682641b1


で、知日派の代表格とみられてきたジョセフ・ナイ氏の論説があったのだそうだ。見落としていて気付かなかったよ。

>http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184377-storytopic-3.html

在沖海兵隊はダーウィン移転でいいんじゃないか、というようなことだな。


まあ、石破あたりにこの感想を言わせてみたらいいよ。
抑止力だのと吹き上がっていた連中にしても、今なら何と言うか、という話だな。
それと、ナイ氏ばかりではなく、マケイン上院議員やバーニー上院議員等、アメリカ側からの意見としても、辺野古移設は非現実的とするものがいくつもあるのだ。

日本人の連中こそが、日米関係の信頼を壊すマネを重ねてきたのだ、ということさ。



続・FRBのインフレ目標公表の意義

2012年01月26日 17時38分22秒 | 経済関連
前の記事に追加です。

発表内容については、こちらが判り易い。

>http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE81K0ML20120126

以下に引用部は『』で示す。

『長期的なインフレ率は主に金融政策によって決定されるため、FOMCはインフレの長期的な目標を具体的に定める能力がある。FOMCは、個人消費支出(PCE)価格指数に基づく年間2%のインフレ率が、長期的に見て連邦準備理事会(FRB)の責務に最も一致した水準だと判断している。』

日銀の皆様、ここ大事ですから、よく読んで下さいませ。
a)長期的なインフレ率は主に金融政策によって決定される
b)FOMCはインフレの長期的な目標を具体的に定める能力がある
c)年間2%のインフレ率が、長期的に見てFRBの責務に最も一致した水準


もう一方の雇用の問題ですけれども、金融政策は万能ではない、例えば財政・産業・労働政策など他要因の影響が大きい、という認識であろうと思われます。

参考:
11年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/31f6ae1c6b89596f60cebf846d597c63
同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/87a916536478c2a730a72a1bafda6fab
(これは、昨日のオバマ演説の核心部分でもあるはずだ)

『最大限の雇用レベルは主に、労働市場の構造やダイナミクスに影響を及ぼす金融以外の要因によって決まる。これらの要因は時間とともに変化する可能性があり、直接測定できるものではない。したがって、雇用の目標を具体的に定めることは適切ではない。むしろ、FOMCの政策決定は、雇用の最大レベルに関する評価に基づくものでなくてはならないが、そうした評価は必然的に不確実で、修正される可能性があることを認識する必要がある。FOMCはそれらの評価を行う上で、幅広い指標を検討している。』

d)最大限の雇用レベルは主に、労働市場の構造やダイナミクスに影響を及ぼす金融以外の要因によって決まる
e)要因は時間とともに変化する可能性があり、直接測定できるものではない
f)雇用の最大レベルに関する評価は必然的に不確実で、修正される可能性がある


ざっとではあるが、a)~f)について触れておきたい。

・a)に関して
当たり前の内容が書かれているが、長期的インフレ率は(おおよそ)金融政策により決まる、ということです。
これまでに「いや、中央銀行は物価を変えられない」だの「金融政策は効果がない」だの、嘘八百の出鱈目を並べ続けてきた経済学カブレだか学者だか自称専門家だかが掃いて捨てるほど存在してきたと思うが、もう一遍学校に行きなおせと言ってあげたい。
 例:
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9993b3f0c071e67d168f72b590c2b35c
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7bb2a343b7463e535d66f48e5f8b1cd5
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b9e89a45ce24e3672b0e338a49a3a605
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f1ca57279b1398e2616fcf033881cce6

こういう論外の手合いにしてみると、FOMC声明文は何を言ってるのかが全く理解できないのではないか(笑)。

・b)に関して
これもお決まりの、物価水準なんて中銀が決められるものでない、とか寝言を言ってた連中がいたが、決められるんだろ。

・c)に関して:
日銀の1%水準の中央値ということであると、低すぎるわな。CPIだと余計にそうなりやすい、ということもある。日銀総裁以下メンバー(の認識や考え方)を変えないとまずダメだわな。

・d)に関して
自然失業率というのは、金融以外の要因の影響の方が大きいという認識ではないかな、と。すなわち、金融政策で雇用を改善しろ、と過度に要求されるのはつらい、と言いたいのではないでしょうか(笑)。

・e)に関して
最大雇用からの乖離は要因が多々あり、直接測定できるものでないし、時間経過の中で変動するので難しいよね、という話。なので、失業率を目標指標とされても、中銀としては困るわね、と。
当方の思いつきですが、例えば「失業率変化の傾き」を見るとか。大きなショック(リーマンショックみたいなやつ)で急激に雇用が失われてゆくと、失業率がウナギ登りとなるわけですが、そういう時の変化率は短い時間の中で失業数が増えるのですから、「大きい」ということになりますよね。数年かけて同じだけ失業が増えたとしても、ショックの度合いは小さいという受け止め方です。後者の場合は、所謂構造要因なども関係するだろうな、と。急激な変化の場合ほど金融政策の果たす役割の度合いは増し、ショックの緩和効果は期待できるであろうな、ということですね。
失業率が高止まりしてしまうような場合(米国でいうところの2011年中)では、既に金融政策によって受ける効果は乏しくなり、他の要因による調節を考える(優先する)べき、ということになるでしょうか。1年かけて、9%→9.2%という風に変化しているとしても、変化率(変化の傾き)が小さいわけですから、金融政策による効果は必ずしも得られないかもしれない、といった考え方です(実際にそうなのかどうかは不明です、あくまで例示です)。5%→8%という変化が数カ月で起こってしまうなら、傾きは非常に大きいということで金融政策を最大限頑張れ、ということになるのでは、と。

f)に関して:

自然失業率は(時代とともに)変わるかもしれないから、それとの乖離幅は決まってないだろうね、と。まあそういうことでしょうね。


以上、ざっと概観してみました。




FRBのインフレ目標公表の意義

2012年01月26日 14時15分48秒 | 経済関連
見出し的には、インパクトのあるものとなった。
>http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE80O00W20120125?sp=true

オバマ大統領の演説は注目に値するものだった(*1)が、日銀あたりにとってみればこちらの方がより重大事だったのではないだろうか。

(*1):参考までに、今年の大統領選の結果は、オバマ再選ではないかな。未来を予言できるわけではないが、今上がっている共和党候補者たちに勝てそうな要素が見い出せない、という感触だからである。大統領選の候補者選びというのは不思議だな、と思う。だって、あんなに互いを罵倒し貶めているのに、その中で誰か一人が残ったとしても、その人物に投票したいなどとは到底考えることができないから。まるで、共和党候補の「嫌なところ広報キャンペーン」みたい。優れた人物かどうかが分かるというよりも、欠点やあくどい部分だけが強く印象づけられ、記憶されるからだ(笑)。○○さんは外交に強いな、とか△△さんは財政や雇用政策に強いな、といった長所の部分を、ぼくは殆ど知らないもん。けど、悪い点だけなら、思い出せる。


今回のFRBが示した金融政策の考え方などについて、私見を述べておきたい。


①説明責任

米国の政治システムの背景としてあるのが、業界、政治ポストや学界の垣根が低い、というものだ。回転ドアと呼ばれるように、金融界にいた人が政治的に重要なポジションに就くことは普通にあるということだ。そういう「仲間内」の世界で好き勝手にやってるんじゃないか、というような疑念を抱かれることを危惧したのかもしれない。そのような疑念を払拭しておかねばなるまい、ということを意識したのではないかということである。
米国金融業界の都合のいいように金融政策を実行している、と看做されれば、(FRBや政策に対する)国際的な信頼を毀損しかねないから、ということでもある。これは同時に、「ドルという通貨への信認」問題ということでもある。基軸通貨としての地位を維持するには、透明性の信頼というものが欠かせない、ということであろう。その為の責任を果たすべく、外見的に分かりやすいものを示すことにしたものと思われる。


②判断基準となる指標

学問の世界で定義される、所謂「インフレ・ターゲット政策」なのかどうかはとりあえず措いておく。
日銀ではCPIと明示しているが、FRBでは”PCE価格指数”(以下、単にPCEと呼ぶ)ということであるようだ。薬物でいうところの「血中濃度」に匹敵する指標が、このPCEである、としている。CPI(コアCPI)はターゲットの指標としては選択されなかったが、これには若干の理由があるものと思われる。

CPIは以前から言われてきたように、「上方バイアス問題」というものがあった。ボスキン・バイアスとして日本でも話題に上ったが、1.1%の乖離があるというものであった。日銀では、日本の統計指標の算出方法等から「バイアス幅は小さい、0.5%より小さいかもしれない(=バイアスは殆ど存在してないかもしれない)」といった見解をレポートで公表していた。なので、今でもCPIに基づく数値を公表しているわけである。ラスパレイス指数としてのCPIは5年毎の基準改定があり、GDPデフレータとの乖離幅は無視できない程度に大きいという面もある。

参考:
05年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e9ad82833300f7065952a5e90d19cb97
06年3月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/572ba9af73c0f877ee87d5c6f224f964

BOJの採用している指数の正確性や妥当性については別として、バイアス問題とラスパレイス指数の弱点といったものを考慮してということなのか、PCEを基準として明示した、ということである。
判断する側の立場になって考えるなら、指標としては基準改定の影響を受けにくく(毎年見直しだから)、変化及びその観察という点において「連続性」が保たれていることにメリットがあると思える。
また、PCEはラスパレイス指数とパーシェ指数の幾何平均で算出されることから、喩えて言えば日本でのCPIとGDPデフレータの中間的な数字、といった性格を持つであろうと考えられ、見る指標としては偏りが是正されているとみなせるかもしれない。


③デュアルマンデート、失業率と金融政策との関係

FRBはインフレ率に対して責任を持つ、というのと同じく、雇用についても政策目的としているわけである。ただし、失業率という「単純な数字」についての具体的数値目標のようなものを設定するのは、「容易ではない」ということを明らかにしている。失業率という数字だけを見ても、金融政策での対応には「限界があるから」という面と、金融政策が直接的に失業率をコントロールさせうるものでもない、という面があるからである。

先日の二正面作戦放棄の話(*2)ではないが、FRBとしてはインフレ率と雇用を政策目標には置いているものの、主たる正面(敵)はインフレであり、金融政策の主眼的な部分はここに置くということになるだろう、ということだと受け止めた。もう一方の雇用(失業率)に関しては、目標から放棄はしないものの、数値目標のような形では明示しない、という意味合いである。

(*2):2つの大規模紛争(国家間戦争)対処の戦力を維持してきたのを変更し、一つの大規模紛争対処戦力を維持(1正面)と別な脅威(低強度紛争)についての処理能力(特殊部隊や海空統合戦力活用等)を維持するというもの。

従って、デュアルマンデートを維持しつつも、主たる目標はインフレ率とし、雇用に関しては局面ごとで柔軟に対応、ということであろう。

たとえインフレ率に関して明示的な数値目標を掲げたとしても、その数字だけで全てを判断することは難しいことに変わりはない。ターゲットがあれば外見的に判断し易いか、後付けの言い訳などではなく、説明が整合的かどうかを示し易い、といったことがあるだろう。
例えば、アルコールの血中濃度という数字には意味があっても、観察される「酔っ払っている様子」というものが、必ずしも正確に対応しているわけではないといったことがある。その日の体調とか、個人差とか、他の要因とか、色々とあるわけであり、酔いの程度を判定する外見上の評価(経済であれば、各種経済指標とか景気判断とか)が「アルコール血中濃度」と一意的に対応しているとは限らない、ということである。

なので、インフレ目標を明示することと、デュアルマンデートを維持することには矛盾はないし、金融政策が必ずしもPCEという特定の数値だけに完全拘束されるというものでもない。周囲(政策担当以外の全ての人たち)からみて、説明や選択された政策が整合的かどうか、というのが、「より判り易くなる」という効果が最も大きいだろう、ということである。不整合な言い訳など通用し難くなるし、失敗の存在も明らかになり易いですね、という話である。

どうりで日銀がこの採用を拒否するわけだ(笑)。




ワケが分からん東大秋入学という愚

2012年01月24日 17時21分19秒 | 教育問題
まったく東大のお偉いさん方の考えることというのが、よく分かりませんわ。まあ当方のような平平凡凡の凡夫ごときには、東大教授とかいう頭がよくて知識も豊富な方々の高級高度なお考えなど、到底理解できるものではないということなのでしょう(笑)。
拙ブログにご登場頂いた東大の経済学教授陣を見るにつけ、非常に残念無念がっかりな印象ではあったわけですが、他の学科の先生方もおられるでしょうから一概には言えないんでしょうけれども、どうなんだろうな、と思わないでもない。本題ではないから、これはまあいいか。

で、東大は外国人学生を増やすべく、入学時期を4月から10月にしよう、という欧米式に変えたいらしい。何の為に?
もっと率直な感想を言うなら、「アホじゃねえの?」だな。


彼らの思考というのは、こういうことらしい。
・東大の学生が少ないor減ってる
・東大の国際競争力が失われている
・海外から学生が全然来ない
といった認識があるのだろう、多分(推測です)。
今ドキ風に平たく言えば、「我々はグローバル化に取り残されている、もっとグローバル化を進めなければならない」みたいなことなのではないかと。

で、その対策というか解決策として、「秋入学」というのが急浮上してきましたよ、ということですね?

これはどういうことかと言いますと、日本は先進国の中でも異端的な4月入学だから、海外の学生が集まらないんだ、という認識であるということです。そこで4月入学から10月入学にすればいい、と。何という短絡(笑)。

本当にそれが原因だと思いますか?
ぼくは、そうは思わんね。
日本そのものに魅力があるかどうか、だ。それとも、教えている教官そのものの魅力があるかどうかだ。
どうしても学びたい先生がいれば、そこに人は集まるから。アメリカの有名大学とかだって、そうだろう。○○で世界的に有名(権威)なナントカ先生、ということで、その下で学びたい、と思うわけでしょう?

それとも、日本の大学で勉強して、将来は日本の強さの秘訣を身に付けていきたいとか、日本企業(現地法人含め)に就職したいとか、そういう動機を与えることができるかどうか、ということでは。そういった何かの魅力というのが大きければ、大学に学生が集まってくるんじゃないですかね。
結局は、「オリジナルな何か」がどれくらい魅力的か、ということだろう。人を惹きつける何かを持つなら、労力を厭わずに学びに来るだろう、ということだ。誰かに師事したい、と願うのは、学問の世界では普通だろうと思うし。


だが、東大の偉い教授さんたちには、そう思えないらしい。つまりは、自分のせいじゃない、と言いたいわけだ(笑)。自分の能力が低いせいで、学生を惹きつける魅力も実績もなく、だからこそ学生が集まらないんだ、ということを認めなくない、ということさ。そうではなく、4月入学という制度のせいなんだ、欧米と違う制度が悪いんだ、これが競争上大きな不利を招いているんだ、と言いたいだけなんじゃないの、という話。

そんなこと言うなら、日本人学生だって、欧米の10月入学の大学に行かない、ということになるんじゃないですかね?そういうわけでもないんでしょう?
それと、秋入学に変更した場合、日本人学生には半年くらい経験を積ませるのが役立つ・大事だ、と本気で思ってるなら、どうして外国人学生には同じように考えないわけ?
海外の学生が9月卒業(実質は夏休み前か?)で、日本の4月入学まで「間がある」というは同じなのだから、その間に「経験を積むのが有意義だ」ということになるんじゃありませんか?日本人学生に求めることを、留学生に求めたらよろしいんじゃございませんかね?


本当に10月入学が学生を集める秘策だ、と思ってるなら、まずカリキュラムを組みかえて、半年単位で構成すればいい。スタートを4月開始のパターンでも10月開始のパターンでもいいように、コースを設定すればいいだけだ。初年度の10月から始まっても、翌年には4月開始の講義だって選べるし、何ら問題ないのでは。まずそういうのを実践してみてから、日本人の10月入学を考慮してもいいんじゃないですかねえ。

企業とかの採用にしても、新卒一括を基本的にやめて、随時採用ということにしてしまえばいいだけ。それなら、海外からの帰国組の日本人学生でも新卒と同様に扱いを受けられるようになるだろうしね。

元東大卒の官僚上がりの古川さんは、秋採用でとか言い出したみたい。>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120124-00000552-san-pol

さまざまな経験を積んだ人の採用が有意義だと考えているなら、もっと前から随時採用にしておけばいいだけじゃないの。中途採用組なんて、殆どいなかったわけでしょう?
さまざまな人生経験を積んでるのは、卒後半年くらい「何かをやっていた」学生さんということですかね?(笑)普通は違う仕事に就いていたとか、世界のどこかを旅していたとか、もっともっと経験の仕方なんかは色々とあるわけでしょう?

要するに、口から出まかせだろうと、何とでも言えるということだな。東大の秋入学を正当化する為だけに、何だって理由を付けようと思えば付けられる、みたいなもんだな。本当に霞が関官僚に採用される人は経験豊富な人が望ましいというのなら、新卒採用に拘らず、中途採用を大半にすればいいだけだろうに。それをしてこなかったのには、それなりにワケがある、ということなんじゃないですかね?


学生さんに経験を積ませたいのなら、もっと家庭でやってもらうとか、地域でやってもらうとか、中学や高校時代に時間を取るとか、他にも方法なんかあるだろうよ。単純に秋入学を実現する口実として使っているだけなんじゃないですか?

東大教授がまず取り組むべきことは、己の研鑽なんじゃないですかね?特に文系の教授連中が。
魅力ある授業ができる能力を磨け。研究実績で惹きつけろ。ここでしか得られない何かを提供しろ。最低限、プロの教官(それで食ってるんだろう?)としての義務を果たせ。
そういうこともできてないのに、制度を変えれば学生が集められると思っているという、浅はかな考えを改めることから始めるべきでは。ああ、そうか、この程度だから、海外からの学生が集まらないのかもしれんね。



錦織が全豪ベスト8!!

2012年01月23日 20時12分10秒 | いいことないかな
遂にやってくれました。

>http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/atp/2852440/8350539


快挙来たよ、快挙。
辛抱できるようになった、ということだな、やっぱ。

決め手を与えず、相手のミスを誘う。これができるようになってきたので、上位選手にも勝てるようになったのかも。
安定して上位に入るには、そういう力を身に付ける必要があるから。

08年の時にも、かなり期待していたんだけど、16止まりだったもんね。

08年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f2adcf5e37a411c5d0085bb977274551

けど、いつかやってくれるような気がしてたんだよ~
デビスカップで日本のエースとして戦うようになって、つなぎや試合の駆け引きが上達したのかもしれんな。何たって、調子が悪かろうと何だろうと負けられない、ということだから。

デビスカップ>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/db93225d65eae62776a4c7391a4a87f8


大きな飛躍を期待しています。

頑張れ。



福島原発事故後の記録抹消という謎

2012年01月23日 13時13分16秒 | おかしいぞ
この問題は、本当に悪質かつ根の深い問題なのであろうと思う。

>http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1201/23/news016.html

昨年末の新聞記事でも取り上げられた問題だ。
>http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2011/12/17/20111217ddm012040194000c.html


まず、政府内の問題。これが最大だろう。
管政権は明らかに情報隠しを行っていたはず。それはSPEEDIの件でもそう。メルトダウン可能性の情報隠しもそう(顕著な例が、保安院の人が交代させられて、例のヅラの人?になった)。


どういう心理や雰囲気や管理体制でそういう方向になって行ったのかは不明である。

主に官邸にいた政治家たちのせい?
或いは、東電の結んだ経産省などの官僚たちのせい?
財界などからの強力支援を背景とした、東電主導の隠蔽工作?

はっきりとした理由は分からない。

だが、互いに責任のなすり合いとか、不都合な事実を暴かれたくないとか、失敗を隠し通したいとか、そういうことの折り重なりが生んだ、無責任で奇妙で異様な事態というのが、「原発事故後の記録はない、議事録もない、検証可能なものは残されていない」、ということなのだろう。

事故後でも原発のデータや対応マニュアルなんかを隠そうとしていた東電の姿勢と、全くの瓜二つ、というか、そのものというのと同じなのだ。


そう、官邸も、霞が関も、東電も、保安院も、原子力委員会も、どれもこれも似たような連中ばかり、ということなのさ。こういう連中が合作で、出鱈目や失敗やウソを隠蔽し続けようとする、ということなのだよ。

情報を吐き出させる権限を有しているのは、政府だけだというのに、政治が自ら情報隠蔽に加担するのだから、手に負えないわけである。まさしく異常事態。人災という側面があったことを、どうしても隠し続けなければならない連中がいる、ということさ。


事故当初の約1週間くらいまでは、官邸のHPでメモ程度の内容でもPDF文書として公開されていた記録があった。私は、それを読んでブログ記事を書いたのだし。


2011年3月24日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7237bd7b597fa0c603b789df464a5f4d

この記事中に書いた人的被害状況だけれども、途中に「脳梗塞」と「左胸部痛」という情報があるのだが、これは官邸の公表文書に書かれていたのを読んで知っていたから、書いたものだった。

官邸のHPで公表されていたメモの類の文書は、その後に公開が取り消されて、なくなってしまったのだ。そう、闇に葬りさられた、ということである。

被害状況ばかりでなく、対策の作業状況なんかも記されていたはず。東電側から上がってきた報告とかの情報も出されていたように思う(曖昧な記憶に過ぎないのですが)。官房長官会見の後とか、公開されていたように思う。時系列で並んでいたはずだ。枝野官房長官会見に備えて、情報を誰かがまとめていたのだろうと思うが、そういうまとめ文書は隠されて以降、全く公開されなくなった。

多分、「一体誰の許可で公開したんだ」みたいに問題になったのか、「不都合な情報を出すな」という横槍がどこからか入ったか、ではないのかな。枝野官房長官会見のまとめ記事にしても、当初には確か質疑応答部分が入っていたように記憶していたのだが、後日には政府の発表原稿部分だけが公表されていたはず。
記者たちの質疑部分には、色々とヒントになる事柄が入っていたはずで(当時の関心事―例えば注水は何時くらいからできそうか、とか、放射線量の値がどうだとか、そういうモロモロの質問がいくつもあったはずだから)、それらが検証材料にされたら困るから、ということになったのであろうな、と。


当方は、主に報道ベースの情報(記事、テレビの東電・保安院・政府会見等)と、保安院及び官邸のHPでの公開文書を見て、ブログを書いていた。官邸の公開メモには、それなりに詳しく書かれていたわけだが、後日その文書は完全に消さることになったわけだ。

どうしてかといえば、後日の検証を封じるため、ということだ。積極的な情報隠蔽工作と言っても過言ではないやり方だ、ということである。
誰かのミスとか、うっかり「失くしてしまった、ゴメン」といった過失の類ではなく、意図的に、最初からやる気満々で、狙いを持って「公表文書を隠した、公開情報を差し替えた」ということなのだよ。

このことからも、事故対応の議事録がないとか、公文書として残ってないとか、メモは公開請求外とかいうのは、「そういう悪意を持って、情報を隠すという目的の為に」重々分かった上でやっていることなのだ、ということである。


日本というのは、究極の「無責任体制」国家となってしまった、ということなのである。あるのは、ただ単に保身、それだけである。

国民に知られてしまっては、政権がもたない、東電の経営がもたない、政治生命がもたない、官僚(経産省)がもたない、みたいな、ろくでもない理由なのだ。国民の生命とか安全に比べれば、全然比較にならないくらいに矮小な問題でしかないものだ。そんなみみっちい、どうでもいい、ちっぽけな理由で、恥をかくのがいやだとか、失敗の責任を問われたくないというバカげたことの為に、重大な事実を隠蔽し続けるという正真正銘の愚か者なのだ。


死亡した東電の若い職員2名だって、本当に4号機タービン建屋で「多発性外傷による出血性ショック」なんてことがあると思うか?

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a8ebcbafc093b2266bb448ad0483cce3


ほぼ想定できんわな。地震発生時には中央制御室にいたのに、大きな揺れの収まった後で、多発外傷なんて、どうやって起こると思う?

ウソを塗りたくり、出鱈目を積み重ねる組織、それが東電なんだよ。
そいつらのウソを一緒に隠蔽するのが、日本の政府ということなのさ。

真の腐れ外道だ。



さよなら原発

2012年01月22日 18時56分57秒 | 政治って?
原発稼働をどうするかということで、またしても民主党政権の迷走が始まったようである。

これまでに準備時間はあったにも関わらず、スピード感なき行政があいも変わらず解決策を先延ばししている、と。

どうして、東日本大震災やFukushimaの原発事故という大惨事を経てでさえ、こうも変われないのだろうか?

反省なき連中の、もう奥のそのまた奥の深淵にまで蔓延る異様な固執と頑迷さには、呆れるばかりですわ。このような状態になってでさえ、失敗を認めようとしない、過去への異常なしがみつきというのが、全く理解できない。まるで原発中毒とでも呼ぶべき事態だ。


以前に、エネルギー政策に関連して、少し述べたことがある。

10年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2515f1a9046977c8d069fc35b4352a23

同>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a83c423f4167152b935e20c4a96e8892

10年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e6d9082dfa329f6d80dcb5a0ef8a959b


愚か者たちが異様なまでの原発依存を継続している以上、これを認めるわけにはいかんわ。これまでに、こいつらの言い分を通してやってきた結果が、福島原発の惨状だったわけだよ。失敗の種は自らが蒔いたものであり、これまでにも間違い続けてきたのに、今度ばかりは間違えない、だとでも言うつもりか?

そのことを彼ら自身が自覚しない限り、何度でも過ちを繰り返すだろう。


40年廃炉で、と細野大臣が言った途端に、「いやいや、40年でなんてダメだ、もっと延長しろ、60年でいい」みたいな巻き返しとかがいい例だ。本気で言ってんのか?
というか、愚かであるからこそ、こういうことを平気で言えるのだろうね、きっと。

折角作ったんだから、もったいない、50年でも60年でも使わないと投資した金が無駄になっちゃうじゃないか、みたいな、古惚けた考えしか浮かばないのだろうね、という話さ。いかにも頑固爺どもの考えそうなことだ。そういうありきたりのバカでも考えつくような範囲からは、一歩も出ていないのだな。マジで終わっとる。

だからこそ、そういう浅はかな思考しか持たない連中に、原発なんていう危険な代物を任せられない、責任を持たせることなどできないって言ってるんだよ。


日本の電力供給力は、夏季のピーク以外では殆ど問題がないだろう。原発が実際に止まっている状況ではあっても、発電力はカバーされているようですので。

白書などを見ると、発電容量は約2億8100万kWあり、夏のピーク時でもおおよそ2億kWくらいあれば足りるようです。つまりは、遊休設備が多すぎる、ということですわな。供給余力が必要なんだ、ということではあるかもしれないが、原発全部で約4885万kWがなくなったとしても、それでも足りてるということだろうと思いますな。

この供給力には、自家発電などの分も入っていますけれども、原発の発電力が全て失われたとしても、何とか出来る範囲である、ということです。特別な火力発電所を何基も増設しなくても、足りてるということですわな。

そうなると自然エネルギーによる発電の普及が間に合わない、とかいう論点もあまり関係がないでしょうね。現状の使える設備を動かせば、十分届くということですから。


それから、ピーク管理をもっと徹底するといいと思うのだけれど。
蓄電技術が大きく貢献すると思うのだが、昼間のピークは工場などの業務用ということばかりではなくて、家庭や業務用というのが影響しており、特にオフィスとか店舗等の業務用がかなりの割合を占めるわけである。これら施設とかビルごとに蓄電設備を設置するだけでも、効果が期待できるはずだ。夜間の料金の低い時間帯で蓄電できるし、メリットはあるだろう。夜8時~翌朝7時くらいまでは、ピーク時の半分かそれ以下の電力使用量しかないようですから、昼間ピークを10%でも引き下げるとか、時間帯をずらすだけでも効果が大きい。

東電管内であれば、10%ピーク引き下げが達成されたなら、例えば6000万kW→5400万kWということになるわけで、停電だ停電だと大騒ぎせずとも、企業は通常営業をしても、ほぼ電力供給が達成されるであろう、ということになりますわな。


つまり、供給力の問題ではない、ということだよ。
ピークをどう引き下げるか、という技術の問題であろう、ということだ。これがそんなに困難なことなのか?実現不可能なほど、厳しい目標か?

そんなのはウソなんじゃないのか?

本当は、原発全部の供給力が止まったとしても、電力需要はまかなえる、ということなのではないか。これに加えて、蓄電技術と省エネ技術を組み合わせれば、更には再生可能エネルギーの発電技術を付加すれば、ピークを下げることなど難しくはないんじゃないか。


たとえそういう方向に進んだとしても、これまでの負の遺産であるところの原発施設が残るから、処理するまでには多額の費用がかかるには違いないんだろうけどさ。過度に原発依存と原発投資として、金をつぎ込んできたことがアダとなった、というわけさ。

原発はもういらない。
そういう時代は、もう終わったのだ。



橋下市長への懸念

2012年01月20日 20時30分09秒 | 政治って?
最近、橋下大阪市長の話題で色々と賑わっているようなので、一言言っとくかな、と(笑)。

橋下市長の個人的資質とか全然知らないし、特に彼について研究したわけでもないし、報道ベースとか時折目にするマスコミでの振る舞いくらいしか知らないという程度ですので、個人的直感みたいなものと思って頂ければ。

好きか嫌いかと言われたら、何となく好きな部類ではないだろうか。それはどうしてかと言えば、「立身出世物語」系の人物だからなのかもしれない。旧来型の政治家にありがちな「汚さ」のようなものも表面的には感じ取れないから、ということも理由の一つなのかもしれない。
まあよく分からないが、直感では嫌いなヤツではなさそうだ、ということである。

それと、政治家としての彼を最も評価した点は、以前にも少し触れた(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/32d1b787c3e0f3820b1b548fd827dcc5)が、戦う政治家を体現しているから、というものだ。マスコミによって生み出された、或いは幻影を作り出された「選挙の風や勢い」とか「政治家の任免や辞令」といったものを打ち破ったことに、最大の価値があったと考えている。彼が本気で戦う人間でなかったなら、卑劣な大衆煽動に押し潰されてしまったかもしれないが、彼は怯むことなく、逃げることもなく、真正面から受けて立って、なおかつ乗り越えたのである。
同時に、情報戦を仕掛けたマスコミが大した情報拡散手段を持たない橋下という個人に粉砕された、という点において、マスコミ自身の地位低下というか地盤沈下を見ることになったのである。かねてから言われてきたように、マスコミは既に信頼を失った、ということではないかな、と。この点において、橋下市長の勝利は当方にとって意義深いものとなった、ということである。

橋下氏の掲げる政治的な信条だとか政策といったものについては、当方が賛成できるものは必ずしも多くはない。それは別として、橋下氏個人の勝利については、良かったなと考えているということである。


今度は、橋下市長の言い分について、少し述べたい。
心情的には、共感できる部分はある。首長がどんなに「改革したい、こういう政策を進めたい」と言っても、地方議会が全て止めてしまえば何もできない、ということはあるからだ。日本の政治が進まないことに苛立ちと無力さを感じるのも、多分同じだろうと思うのだ。

だから、ある程度「独裁的」にであっても進めないと、何も決まらないし進まないじゃないか、と言いたくなる気持ちも分かるな、と。そういう腹の立つシステムではあっても、民主主義というルールなのだから、仕方がないのだ。暴走とか独裁といった危険を防ぐように出来ているのだから、進まないということも受け入れざるを得ないのである。

大阪市と大阪府の関係が、二重支配になって無駄が多いとして、これを効率化・スリム化しようというのは、同意できる。国と地方の関係においても、これと似たようなことがよくあるから、である。地方から政治を変えたい、と願う気持ちも分かる。国の政治を見ていると、そう思うのも当然だから。

一方で、夕張とか阿久根のようなこともあることは忘れるべきではないだろう。首長が本当に有能で賢く間違いがないのであれば、独裁的なシステムに依存してもいいかもしれない。しかし、現実にはそう簡単にはいかない。どんなに物事が進むのが遅いのだとしても、民主的手続きを放棄するわけにはいかないのである。独断を許すシステムは、多くの間違いや悲劇をも生み出すことになるだろう、ということなのだ。
それから、橋下さんは「オレが責任を取る、だから、こうやらせてくれ」と言うだろうけれど、実際に「どう責任を取るのか」考えたことはあるのかな?
首長の強権を認めるシステムを導入したとして、その首長が誤った政策を選択した結果、多大な損失を住民に与えた場合、その首長がどう責任を取るのだろうか、という話である。例えばオリンパス経営陣が責任を負うとしても、与えた数百億円とか数千億円とかの損失を弁償できるわけもなく、責任の取りようなどないというのが現実なのではないか(その損失は全株主に及ぶだけ)。それと同じようなものなのだ。石原都知事だって、新銀行東京の巨額損失をどう挽回できると言うのか。千億円級の損は、個人で弁償のしようもないのだ。
結局のところ、失敗は全ての住民に降りかかってくる、ということになってしまうだけなのである。選挙で選んだ責任、ということになるわけだ。


裏を返せば、首長個人がどれほど「オレが責任を取るから、やらせろ」と言っても、易々とは認めらない、と慎重にならざるを得ないのが現実なのだ。損失を受ける立場の住民側にとっては、そういう意見が出るのは当然なのである。損を引き受ける立場に立てば立つほど、慎重であるのは当たり前ということだ。失敗しても素知らぬ顔をできる人間ならば、いくらでも「いいよいいよ」と安請け合いできるだろう。損しても、自分には被害がないからだ(官僚あたりが、自分の懐の痛まない「ヒト(他人)の金」、すなわち見知らぬ連中から集めてきた税金を無駄にしようと浪費しようと天下り組織に流し込もうと、何とも感じないようなものだ)。

橋下さんは、そんなことを言ってたら何も決められない、と言うかもしれないが、回避できる失敗は回避した方がよいわけだから、よく考えてやろうとするのは仕方がないのだ。民主主義の手続き上、そういうことになっているのだしね。
橋下市長が重大な失敗をした場合、たとえ「オレが死んで責任を取る」と切腹してお詫びをしてもらったとしても、住民が受けた巨額損失は償われないわけだから。
せいぜい「歴史に汚名を残す」くらいしかないのでは。責任を取るというのは、どんな悪評も汚名も自分が負うということで、歴史に刻まれるということだけではないのかな、と。


橋下さんのカジノ構想とか、全く賛同できない。前から言ってる(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4c07da95d7002ad161e4d6eb0e1d680b、http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/67311697ef0481a2d596989d7f2afbef)けど、教育改革とか理想を言う人間なのであれば、大々的にカジノを誘致して賭場を開きたい、なんてことは論外なのではないかと思うわけである。義務教育に関する改革というのは、中身をよく知らないので何とも言えないが、4人組(山口、内田、香山、中島)に喰ってかかることの意味がよく分からない。4人から批判されたので、こなくそと思って何かの反駁があるのだろうが、公人の言うレベルのものとも思えない。テレビで山口教授との論争があったようなのだが、見てないので知らない。弁護士という職業的な有利さもあったのか、テレビ向きのキャラクターが利したのか分からないが、一方的展開で圧勝だったらしい(笑)。まあ、弁護士ってのが、ああ言えばこう言う、の仕事(揶揄しているわけではないですよ)ですから、勝つのも不思議ではないですわな。

一つ言えることは、「言い切り力」みたいなものがある。テレビ向きは、この「言い切り力」の高い人間が有利。たとえ出鱈目だろうと、半分出まかせであろうと、その場の雰囲気でしかないので、多くの人たちはその真偽が判定できないから。こうした、何でも断定的に結論を自信満々で言い切る力のある人というのは、怪しげな新興宗教の教祖とか、詐欺的商法の健康商品売りつけセールスマンとか、学術的裏付けのない代替療法や特殊治療法の伝道・施術者とか、ウソ八百の経済学理論バカ(ノビーwww)とか、そういう連中だろうというのが個人的経験則である。

事実を正確に伝えようとする誠実な人ほど、慎重な物言いにならざるを得ないのではないのかな、というのが当方の感じ方である。橋下市長には、話す力も説得力も備わっているのだから、優れた政治家であろうと思う。その能力を良い方向に使ってもらいたい、とは思う。発信力があること、変に染まってないこと、これが橋下さんの強みであると思うので、無駄に政治生命を潰さないように気を付けて欲しい。


4人組などを焚きつけることで注目を集める戦術ということなのかもしれないが、発信力も罵倒力もバトル能力も低い草食動物系学者さんたちをいくら痛めつけても、橋下市長の個人的評価や見識水準を引き下げることはあっても、逆はないだろう。弱い者いじめの類と見分けがつかない、ということである。

橋下さんは、そのまんま東を知らない仲ではないだろう?
彼がどのように沈んでいったか、というのを、学ぶべきだ。東国原は知事時代に「(自分を)自民党総裁に据えて選挙を戦う気があるなら、(出馬を)受けてもいい」ということを求めるまでになっていたのだ、ということである。大衆の関心も人気も移ろいやすいものだ。現時点で、そのまんま東に自民党総裁になって欲しいなどと願う人など誰もいないだろう。けれど、絶頂期にあると、自分の言い分が何でも通るような気になってしまうのだ。それは、目の前に落とし穴がポッカリと大きな口を開けて待っている、ということの警告である。

橋下さんが息の長い政治家としてやってゆくつもりなら、高みを目指すべく戦略を考えた方がいい。真に強い手札は、早々とオープンにしない方がよい、ということである。橋下さんには、政治家としての能力があるからこそ、こんな所で潰れないでもらいたいということだ。橋下さんが知事になったばかりの頃、市町村長たちから協力を得られず厳しい言葉を浴びた時、涙して訴えた気持ちを忘れないで欲しい。全てを自分の考え通りに行うことのリスクについて、よく考えた方がよいと思うのである。



日本の停滞は都市伝説?

2012年01月18日 21時32分05秒 | 経済関連
色々とご意見はあるようで。

>http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120118-01.html


率直な感想を言えば、アリとキリギリスみたいな部分、というのがまずあるのかな、と。

欧米は、金融帝国主義っぽく「greed宴」が行われていた時には、絶好調で繁栄を謳歌してきたであろう。その時の、彼らの言い草といえば「日本はもう終わった」「稼げるオレらがスゲーんだ、稼げないオメーらはダメ人間」みたいな感じがあったのではないかな。

だが、それはいっときの錯覚か慢心みたいなものだった、と。
日本人は、生産性の低い非効率なダメ人間だ、このままでは危ない、グローバル競争に勝てない、とか散々言われ、未来も希望も失われてきたわけだ。不安ばかりが増大してきたのだ。そうして、地道に必死で頑張ってきたんだ。それが社会を支え続けた。

でも、バブルの恩恵のあった人たちというのは殆どいなくて、一部の金融業界とかIT業界とか外資系とかの人たちだけがバブル気分を味わっていたかもしれないね。ほら、象徴的なのが「ヒルズ族」みたいな人たちってことさ。


現実社会というのは、結局のところ栄耀栄華に浮かれている連中というのは長続きせず、地道に真面目に努力し取り組む人間こそが最後に立っていられる、ということになるのだと思う。けれど、この方法であると、圧倒的大金持ちみたいな人間は生み出せないだろう、きっと。日本は、それでもいいんじゃないかな、ということでは。そういう社会なんだろうな、と。

ただ、不安が増大した結果、各個人に多大な努力と犠牲を強いることにはなってしまったかもしれないので、それは社会的に問題だろうとは思います。

亀の歩みだろうと、アリの営みだろうといいのだけれど、堅実・着実に努力するという基盤こそが、社会の大部分を支えるのだと思っていたいのである。中には、スタープレイヤーが生まれないと、新たな創造に繋がり難くなってしまうのだろうとは思うんですがね。



かつて日本には侍がいた~1953年日章丸事件

2012年01月16日 20時40分30秒 | 外交問題
イラン制裁関連ですが。

>http://www.afpbb.com/article/economy/2323730/2441763

中国企業を名指ししてない、と前から言ってきましたが、これもそうではありませんか。米国は、どうして、CNPCばかりかSINOPECも「制裁対象から除外」しているのでしょうか?
何故、制裁企業の名前に入ってないんですか、って聞いてるんですよ。

要するに、米国の制裁基準は出鱈目ということですね?
日本には、少々小突けば簡単に「権益放棄、輸入停止」を受け入れてくれるから、ということなんだろうけどね。どうして日本がダメになったのかが、良く分かるわ。


1953年のBP(の前身)に反抗したイランのモサデク政権が陥った事件があったそうだ。

>http://d.hatena.ne.jp/didgerido/20060403/p2

(一部引用)

2年後の1953年3月23日、神戸埠頭から1艘のタンカーが出航しました。日章丸二世号。出光興産が所有する唯一のタンカーでした。行く先はサウジアラビアとしていましたが、実は、イランの石油積出港アバダンに向けての旅立ちだったのです。

日章丸は、寄港先でさまざまな裏工作や裏交渉を行いながら、ついにペルシャ湾の入り口にまでやってきました。ホルムズ海峡はイギリス海軍によって封鎖されています。国有化されたイランの油田は、イギリスの石油会社アングロ・イラニアン石油(ブリティッシュ・ペトロリアルの前身)が所有していたからです。密命を知らされていた船長(?)は、元大日本帝国海軍の猛者。並み居る英国海軍の艦艇を縦横無尽にかいくぐって(←このへんはほとんど講談的な「見てきたような話」です)アバダンに到着した日章丸は、イラン人民から歓喜の声で迎えられます。

無事日本に帰ってきた日章丸。しかし、出光興産を待っていたのは裁判でした。「積荷の石油は当社のものである」とアングロ・イラニアン石油が訴え出ていたからです。裁判で出光佐三社長は、「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」と述べたといわれています。結局、裁判はアングロ社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利に終わりました。


=======


かつての日本には、侍がいた。
英国海軍は、ホルムズ海峡封鎖を行っていたのだ。

※現代で、イランが同じことを行えば、アメリカから「レッドラインを越えた」と脅されるというのに!軍事的手段も辞さない、とか言われるのに。
英国海軍が海峡を封鎖するのは、石油メジャー側だし安保理常任理事国だし、何をやっても許されるというような状況ということだな。今の米国と同じようなもんだ。

おまけに、イランから輸入した国には、メジャーが石油を売らんぞ、という、今の米国のやってる米国内で取引させないぞ作戦と一緒ではないか(笑)。

そんな中を、日本は輸入したのだ。

「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」

出光の社長さんがこう述べたのだそうだ。
敬服いたします、本当に。

昔の経営者というのも、本当に肝が据わっているな。ただ単に金を優先じゃないんだ。だからこそ、日本人が尊敬されたんだろう。商売人たるもの、道に外れたことを許しちゃあなんねえ。中世の英国なんかでも、王の横暴に反抗した商人たちがいたではないか。あれと同じようなものなんだよ。よく見ろ、今の経済界のお偉いさんたちは。


根拠もなしにイランの封鎖をすれば、米国やイスラエルの横暴を、世界中が認めるということなんだぞ。嫌がらせや集団イジメの手法を、世界中で正当化するということに加担してしまうんだぞ。

私は、日本人として、愧じる。