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「God damn stupid !!」=日本経済運営

2009年02月28日 18時25分21秒 | 経済関連
よくぞ申して下さいました。
ズバリ、その通りにございます。

NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース-各分野の重要ニュースを掲載

(以下に引用)

「日本は大ばか野郎」、FRB元理事が経済政策を批判

 「彼らはゴッド・ダム・ストゥーピッド(大バカ野郎)だ」

 フレドリック・ミシュキン元米連邦準備理事会(FRB)理事が27日、ニューヨーク市内で講演し、1990年代の不況を長期化させた元凶として日本の財政・金融政策を厳しく批判した。米金融界の大物が露骨に日本の政策を批判するのは異例だ。

 昨年8月までバーナンキ議長の側近かつ相談役として活躍したミシュキン元理事は現在、米コロンビア大学経営大学院の教授。この日はシカゴ大学大学院が主催した金融政策に関するセミナーに出席した。

 FRB理事時代に「中央銀行が資産価格に注目しすぎるのは良くない」などと発言したミシュキン氏を米国での住宅・信用バブルの責任者のひとりとみる向きもある。日本批判の裏側には政策失敗に対する批判をかわしたい思惑のほか、セミナーに参加していた地区連銀幹部など政策担当者に「日本のてつを踏むな」とのメッセージを送る狙いがあったようだ。(ニューヨーク=松浦肇)

=====


いやホント。仰るとおり。
私の思っていた通りでした。
確かに日本以外の国々の経済運営が全部正しいとは申しませんが、少なくとも「日本の運営は異常」ですよ。本当に。


でも、多くの国民は既に毒されていて、中々そのことに気付けないんです。

はてなブックマーク - 「日本は大ばか野郎」、FRB元理事が経済政策を批判 - NIKKEI NET(日経ネット)

もうね、日経記事ですら訳せずに、「God damn」ですから(笑)。
いやらしいのが、「ミシュキン氏を米国での住宅・信用バブルの責任者のひとりとみる向きもある」と匂わせぶりに書いておきながら、そう言ってる人が誰か一切明示してないこと。
オレらのブログ記事じゃないんだから、未収金、じゃなかった、「ミシュキンは米住宅バブルの責任がある」とはっきり書いてやればいいのにね。日経記者くらいではそういうのが書けないか。
或いは、日本の業界周辺やマスコミも一体となった「日銀応援団」や「大蔵(財務)応援団」みたいな、内輪の強力サポーターということなのかもしれませんが、マスコミ業界に共通する、これぞまさしく「お家芸」ってやつですか(笑)。

日本国内にいてでさえ、「日本はアホ」と思うくらいですから、諸外国の偉い方々(というか、経済の専門家たち)から見れば、そりゃ一目瞭然に「アホだな」と思うに決まっていますよ。ド素人のオレでさえ、「コイツらホントに大丈夫か?」「何も考えていないのではないか?」とか、本気で疑問に思えるもの。


ミシュキンに賛成!
オレごときがいくら言っても効かないので、きっと代弁してくれたに違いない(笑)。

「声なき者の声」よ、届け!>>>>日銀さん江



『笑いの大学』

2009年02月28日 13時55分55秒 | 俺のそれ
かなり、時期ハズレですけど。

官憲的、というのが、笑いなんですな。

どちらかといえば、劇団風な作品。
けれど、敢えて映画で挑戦してみた、ということなのだろうか。
ウチの子にも割と好評だった。


ところで、「ジュリオとロミエット」的なネタは、割と日常でもよくある。時々面白い間違いに遭遇することがあるからね。以前に三宅祐司の奥さんが「ガソリン満タン」と言うべきところ、間違って「マソリン元旦」と注文した、と言っていたのを聞いたことがある。そういうようなものです。自分でも、これに類する間違いを、うっかり言ってしまったことがありますし。


この映画も、結末には意外性があって、単なるコメディとして終わるということはしない。
昔には当然のようにやってた「検閲」というものの愚かしさみたいなものが、平たく言うと「人間ってバカだよな」みたいに伝わってくる。そういう時代だったのだろうけれども、それを作るのは官憲側もそうだし、興行している側にもやはり責任の一端があるのだ、といった感じかな。

これは現代のマスメディアが、「体制側」に都合よく与していないか、ということとも共通すると思える。

「官憲による検閲」という外力によって何かが捻じ曲げられてしまうのと同じく、何らかの外力―例えばスポンサー、社主や上層部、政治的関係やイデオロギーなど―が加わるせいで歪められてしまうなら、昔と何が違うと言うのか。

官僚の見送る姿のずっと先にある(後に訪れる凄惨な戦争)、戦争に散っていった多くの命、これを思わずにはいられないのである。良作。



『ラスベガスをぶっとばせ』の原題は『21』

2009年02月28日 12時43分59秒 | 俺のそれ
何故か超ヘンなタイトルが邦題が付けられた映画。

ああ、そうか、『21』だと人気ドラマの『24』のパクリか何かだと勘違いされたりするから?

ウーン、でも、『21』という題名がまさにピッタリ、という映画だった。


MITの超優秀な学生が、数学の教授に唆されて「ギャンブルというビジネス」にのめり込んで行く姿が描かれているのだが、奨学金を得る為の「強烈な人生のエピソード」を指導教官の教授に語ってみせる、というもの。メディカルスクールに進学するには、数千万円もの金が必要なのだ。今の米国社会の実情を知るにはとても良い。

映画中に出てくる話の中で、ギャンブルの実行グループに空きができた理由として、「グーグルに就職が決まった」というものがあった。教授が「グーグルだぞ?」と言うシーンが中々いいのである。MITの学生に会ったことはないが、学生たちの「儚い憧れ」みたいなのもよく判る気がする。

あと、ロボット競技大会みたいな架空の「2.09」という大会が設定されているのだが、主人公の親友たちとの会話がいい。MITの学生が小太り体型が多いのかどうかは知らないが、日本で言うところの「オタク」っぽい雰囲気が出ていて、好感が持てた。社会には評価されない、どうでもいいような「2.09」という大会に、何のメリットもなく金にもならないのに一生懸命打ち込むという設定が、いかにも学生らしくていいのである。多分、MITの学生には本当にそういう連中が大勢いるのだろう。


人間というのは、賢くたって何かに溺れるということは起こり得る。
どんなに優秀な頭脳を持っていたとしても、それが人生の役に立つかどうかは判らない。

全てを失った主人公が、最後に手にしたものは…


結末はちょっと予想してなかったよ。


参考までに、外国人だと高々数十万ドルくらいの大勝とかいう水準で、「残りの人生を遊んで暮らしてゆける、南のリゾートでバカンス満喫」とかいう気分になれるんだな、と思った。
多分、日本人であると、宝くじとかで1億円とか2億円とか当たっても、「残り余生20年なり30年なりを遊んで暮らしてゆけるから、今、南国で豪遊しちゃうよ」とか考える人たちって、まず殆どいないのではないかと思う。国民性なのか、不安民族なのか(笑)、よく判らないが、きっと違いがあるのだろう。


過度なギャンブルは、多くの場合に人生を破滅させますな。
『カイジ』じゃないけど。
ああ、近頃は、「金ズラ」か。



「1兆円金貨」でも作ってみるか?(笑)

2009年02月27日 18時51分22秒 | 経済関連
もうこうなったら、本気で政府通貨を買い取らせるぞ!
法改正して、記念硬貨発行権を増強し、「1兆円記念硬貨」でも鋳造して日銀に買わせたらいいよ(笑)。名付けて、「天皇陛下金婚式記念純金硬貨」とか(失礼な例示で申し訳ございません、陛下)。

最高額面を「特別法で決めることができる」ということにして(法貨って額面の20倍までいいんだと)、これまでの1万円硬貨が最高、ということになっていたのを、金メダルっぽい特別硬貨を作って額面1兆円とし、日銀に20兆円で買い取らせるのさ(笑)。キャッシュで受け取ってもいいけど、一気にもらうのは難しいということなら、政府預金残高に入れてもらうとか。そうすると、政府がキャッシュを日銀に預けているのと同じような効果が期待できるんでは。で、政府支出が行われる時に、日銀に「出して~」という紙か何かを持っていく、と。


「政府紙幣」の正体 副作用なき処方箋は可能か JBpress日本ビジネスプレス


この記事は中々面白いので、読んでみてほしい。
けど、政府紙幣発行で、「インフレ」を恐れる意見があるのだけれど、だったらそれこそが「デフレ脱却に有効」ってことを認めているようなもんじゃないの。

日銀の長期国債保有高は2月時点で、約42.9兆円しかない。短期国債と合わせても、約64兆円しか持ってないんだよ。
これまで買入増額をしてきたはずなのに、どうしてか?
国債の持ち高を減らして、市場にマネー供給を増やさないようにしたからさ。
供給を絞って「貨幣価値を高めた」ということさ。

トヨタ、ソニーやキヤノンなどの日本を代表する輸出企業の偉い人たちに、もう一度言っておきます。どうして日本が円高に見舞われたと思いますか?

それは、円の価値を増価させる金融政策を選択したから、です。
誰がやったか?、というと、日銀です。
金の巡りが悪いというのに、「敢えて市場に出回っている金」を引き締めたから、です。

元から末梢の血の巡りの悪い循環不全気味(=デフレ)だったのに、敢えて「血液ドロドロ」みたいに水分をあまり与えないようにして循環血液量を絞ったせいです。そりゃ、詰まりやすくもなってしまうわな。

カルピスって知ってますか?
白い液体で、原液を水で溶いて飲むという、画期的な飲み物でした。さて、このカルピスを10cc入れたコップに、
①水を90cc入れて合計100ccにした場合
②水を50cc入れて合計60ccにした場合
では、どちらが濃いでしょうか?

言うまでもなく②に決まっていますよね?
日銀がやったことというのは、要するにこういうことです。入れる水の量を絞ったので単位量当たりの「カルピスの味が濃い」ということですよ。「濃い」というのは、通貨価値が高い、みたいなもんです。小学生でも判りそうなものなのに、どういうわけか日銀には理解できないらしい。反対する主な理由は、「薄まるのはよくない、濃厚な方が味わえていいんだ!」ということらしいです。「水増ししたりするのは、間違ってる!」という、原液主義、もとい、原理主義か何かなんでしょうか。でも、「こゆい」んですけど。そんなこと言うなら、カルピスじゃなくても、そうめんのタレでも、ソバのタレでも、全部水で薄めない原液で飲ませるぞ(??、笑)。違うか。

けれども、相対的に濃すぎるわけで、通貨供給を絞るからこそ濃くなるんですよ。あまりに薄まると、ハイパーになりすぎることはあるわけですが、今の日本の状況ではそういうことはないでしょうね。たたでさえ、需要が数十兆円規模で消滅してしまったわけですから。


それと、日銀のバランスシートのことなんだけど。

今週の指標 No577

04年当時の将来予測で長期国債保有残高が70兆円とか80兆円だったのですが、現在の残高はこんなにありますかね?(笑)
いやいや全然。09年くらいになれば80兆円を超えるね、なんてことはないわけ。半分くらいに減っただけ。43兆円だもの。グラフにさえ載らないくらいに少なくなってしまった、ということ。
日銀は何をやったかといえば、「増やしてゆく」のではなく、逆に絞って「減らしていった」のだよ。その結果が、今なんだよ。だから、デフレに戻ったわけさ。昔の経済学者は、バカじゃない。きちんと考えているのさ。こうした現象も、金の流れも、経済全体や社会の仕組みなんかをじっくりと観察してゆくことによって、調節機能の本質を捉えていたのだよ。だからこそ、学者の説明通りにデフレに戻ったのさ。

ところが、今の「経済かぶれ」の連中ときたら、そういうことが判らないんだよ。
日銀のバカどもには、基本的な経済原理が理解できていないのだと思う。昔の経済学の巨人たちのような、思考する力がないのだと思う。いや、そりゃ、オレにもないけどさ。でもね、ああ、こういうことだったのね、と気付くイメージのようなものがあるよ。でも日銀には、そういうのがないんだもの。当座預金残高を減らすとしても、落とすペースってもんがありそうですけど。




『うた魂』は若い人向けだった

2009年02月26日 21時31分34秒 | 俺のそれ
夏帆ちゃん、かわいい。

ゴホゴホ、

ええっと、中身は、『スウィングガールズ』の「うた版」っぽい感じ。
似たようなのとしては、『チアーズ』があるかな。

爽やか青春映画を観たい人や夏帆ちゃんを応援したい人にはオススメ。


最近の若い人たちで元気のない人は、是非観るといい。
話の筋が簡単、気楽に鑑賞できる、でも、「何かに熱中したいよね」という気分は伝わると思う。

オジサン・オバサンみたいな大人になっても合唱が全国で行われているのには、わけがある、というのが何となく判るような気がした。



『俺たちフィギュアスケーター』は…お薦めとまでは言えない

2009年02月26日 21時06分51秒 | 俺のそれ
うーん、微妙すぎる。

ま、笑って頂戴って感じの、コメディ映画頑張りました的作りにはなっているのですが、これはまあ好き嫌いがあるやもしれません。

強いてオススメするとすれば、

・昔スケートをやっていた人
・女子プロレスに招かれそうになったハーディングに興味津々な人

などでは。
因みに、出てたのはナンシー(ケリガン)の方だったと思うけど。


往年の選手がチョコチョコと出演していたっぽいのだが、あんまり判らなかった。
「ああ、そういえば、この人…」みたいな感じなので、それを目当てにしたい人はガッカリするのもいいかも。あ、いや、互いに年とったのねと感慨に浸りたいならいいのかもしれない。


どちらかといえば、お下品系なので、あまり笑えなかった。
日本でうまくリメイクすると、地味に当たるかもしれないかも、とは思った。



蔓延するご都合主義

2009年02月26日 19時18分05秒 | 政治って?
誰を担いできても、同じ。
マスコミなんて、その時々に調子のいいことを言い立てるだけ。

今頃になって舛添大臣がどうのとか言ってるのって、超調子良すぎなんじゃないの?

オレはかつて入閣には反対した>改造内閣の感想


安倍政権下では、案の定、野党やマスコミの集中砲火を浴びた。
年金問題で、発言がどうのとか、やると言ったの言わないの、サンドバッグ状態。かつて、舛添さんを大臣にして年金問題をやらせれば良くなる、とか好きなことを言っていたマスコミは、掌を返したようにバッシング~ぅ、だったでしょ。評論家や論説委員みたいな連中や、コメンテーターみたいなのも、こぞって叩いていたでしょ。

で、更には福田政権下での肝炎問題の時にだって、舛添大臣は悪者側だったでしょうが。違いますか?
年明けからは、福田政権の支持率低下を決定付けた「後期高齢者医療制度」に関しても、やはり舛添バッシングの嵐だったでしょう。もう既に「長寿医療制度」なんて誰も言ってないんじゃないかと思いますけど、マスコミが「悪の権化」みたいに叩いていたのは、舛添大臣だったんじゃありませんか?補選で負けた時にだって、党内では「舛添大臣(のマイナスパワー)が原因だ」みたいに言ってたんじゃありませんか?(参考:山口補選から何を学ぶか

麻生政権になってからも、「私のしごと館」問題の時にだって「役人の言いなりだ」と散々叩いていたじゃないの。


まあ、誰を標的にして叩こうが、マスコミが責任を取るわけでもなく、批判をされて困るというわけでもないので、何とでも言えるわけだが。で、今度は、あれほどバッシング対象としてきた舛添大臣は、「評判がいい」に早替わりですか。何なんだ、この調子の良さは。

コロっと掌を返したかと思えば、今度はまた逆ですか。
これは一体、何なんですか?
異常なポピュリストたちしか存在してないんですか?


だから幾度か書いたでしょう?
政治家云々もあるけれど、周囲にいる取り巻き連中がアホだからこそ、こうなってしまっているんだろ、と。報道する連中が低次元で、思考能力に乏しいからこそ、迷走させる原因を作っているんだろ。


低俗な人気取り商売みたいなものにマスコミが誘導するからこそ、アホな国会議員どもがそれに合わせて行動しようとするんだろ。新聞が「○○が一気に有力!」とか書くだけで、「じゃあオレも」みたいに雪崩現象が起こるのは、そういうことなんだって。

全然落ち着いて仕事ができない。
いちいち低俗路線に右往左往させられて、それに反応してしまって、更に墓穴を掘る、みたいなもんだ。
テレビでも何でもいいんだけれども、反論機会を与えないとか、間違いなんかを指摘されてそれが正しいとしても、毎回毎回訂正したりしないだろ?
訂正するというのは、字の間違いとか、完璧な間違いくらいでしょ?それだって、軽く流して1回きりだ。何度も何度も、どこの報道機関も繰り返し報じてるか?

テレビの画面下に挿入されてる字なんて、ほぼ毎日のように字が間違ってるよ?
もうバカかな、と思うくらいに、間違ってるっての。特に多いのが、同音異義語だね。誤変換の時もあるし、文脈に合ってないこともある。そういうのだって、別に毎回「間違ってるね」というのを指摘しないでしょ?どうだっていいもん。自分の中で「勝手に訂正」しておけば、それで済む話だから。

それをだな、低レベルのマスコミは、麻生総理の漢字読めなさを笑いものにしてるわけだ。笑える資格なんて、本当にあるんですかね?
因みに、オレは笑えないぞ(笑)。読めない漢字なんて、それこそたくさんあるから。そんなに博識じゃないし。ブログ記事の読者の方々ならば、あまりに「平易な書き方」とか、そういうのはよくお分かりになっているとは思いますがね(笑)。


笑い話なんて、「おもしろエピソード」としてあればいいだけで、それで政治がどうのという話にはならないでしょう。

結局、国民が賢くなれないのは、つなぎ手であるマスコミが低レベルだから、ということになってしまうんでしょうな。そういう演出をやっているのだよ。



ナイーヴすぎる日本人を応援する会

2009年02月25日 16時53分19秒 | いいことないかな
日本人は

・悲観的になりやすい
・自虐的になりやすい
・落ち込みやすい
・自信を喪失しやすい
・評判を気にしやすい

等々、ナイーヴさが際立っているわけです。


こうした傾向から、周囲から気遣ってもらわないと、寂しさで死にそうになるウサギみたいになってしまう、というわけです。笑


そういうわけで、「ま、もうチョット頑張ってくれや、元気を出して自力で立ってくれや」というエールを必要とするわけでございます。自らの力だけでは、中々明るくなれないのでございます。で、やってきたのが、

・ノーベル賞受賞の大挙受賞
・エルサレム文学賞受賞
・アカデミー賞受賞

これほどの快挙が連発というのは、極めて異例中の異例。
ランダムだからこそ、偶然にも同じ時期に発生するのだ、という解釈はあるだろうと思いますが、受賞ラッシュにはそれなりのワケがあるようにも思えます。
有難いこってす。今度は、日本がこれに応える番です。


そんなわけで、日本はもっと元気を出して明るく前向きに行く方がいいと思う。
日本が「牽引車になるんだ」と思わない限り、世界経済は泥沼のままになってしまうよ。

「雨乞い」論理を実践せよ、みたいなもんで、自ら活発に経済活動を敢えて行う、意図的に拡大する、というような工夫をしていけばいいんです。



「諭吉」にはとんとご縁がない

2009年02月24日 17時37分39秒 | 俺のそれ
別に大した意味はない。
個人的には「諭吉」(俗称「1万円札」ってやつ)にはあまり恵まれず、縁が薄いようでございます(笑)。


で、こちらは、痩我慢……か。

はてなブックマーク - 痩我慢合戦 内田樹の研究室

「勝つぁん」てなあ、名前がいいや。
縁起が良さそう、ってんで、負ける気がしねえな。
誰にだって犬猿の仲みたいな、苦手なタイプもあらあな(笑)。
なんてね。


それにしても、なんという偶然。
あまりにナイーヴな日本の政治家

「某人物をして…」と21日に記事中に書いたのだが、「下宿屋」云々を言ったのは、そう、誰あろう勝であった。どちらも負けてはいない(笑)。



福澤翁は今頃嘆き悲しんでおることであろう。
後世の弟子たちが堕落し、権力の走狗に成り下がってしまったことを。
門閥や金に群がる輩は、どんな時代にもいるものである。



「かんぽの宿」疑惑の波紋~7

2009年02月24日 14時25分28秒 | おかしいぞ
前の記事にコメントを頂き、長くなるのでこちらに書くことにします。

「かんぽの宿」疑惑の波紋~6

Samさんがご指摘された、『守秘義務など留意すべき事項があるのは理解できますが、この辺りの数字はまず総務省がきちんとチェックし、バイアスを掛けずに必要な開示をして欲しいものです。また国民やメディアとしても、頭から決め打ちしない冷静な議論が必要であると考えます。』というのは、まさしく正論でありまして、私も全くその通りと思います。
そうであればこそ、日本郵政の情報開示を拒否する姿勢や理由というものが、なお一層判りません。きちんと帳簿処理について開示及び説明をすればいいだけなのですから。


更に、ご指摘の3点について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。念の為にお断りしておきますが、会計や簿記の専門知識は持ち合わせておりませんので、あくまで普通の一般的な知識の範囲で書いています。

=====
(以下にコメントの一部を引用)

①今回の譲渡対象資産の簿価は、土地を含めて123億円まで減損されているということなので、減価償却費が年数十億円も出るというのは想定し難いこと、
②対象事業の価値評価に際しては、償却前のCFから設備投資を差し引必要があるので、場合によると損益の赤字よりもCFは更に下に行く可能性もあること
③いずれにせよ、今回のオリックスへの譲渡(予定)価額は日本郵政の減損後簿価を上回っているため、減価償却費が減少する効果はほとんど見込めないこと

=====


①はあくまで結果であると考えました。それは簿価を意図的に落とす為に大幅な減損処理を行ったのであれば、残っている減価償却費はとても少ないでしょうね、という話です。

②設備投資額が不明なのでCFがどの程度なのかは判りません。ここ2~3年で営業キャッシュフローを大幅に上回る設備投資を日本郵政が決定し行った、という証拠でもあれば別ですが、そうした資料はありません。

③減価償却費が減少する効果、というのは、固定資産が2000億円の簿価の時に減価償却費を今後落としてゆくのと、簿価が110億円で同様に落としてゆくのでは、その他の費目が同じであっても「経常利益の額は変わりますよね」という話です。


バッサリと簡略化した例で書いてみます。
売上高や営業経費等は一定で不変で、法人税等は考えないものとします。
土地建物の減損処理を毎期行うものとし、それら固定資産の簿価は毎期減少していきます。


            1期目     2期目     3期目

経常利益     -10万円   +60万円  +80万円
(減価償却費)  (100万円)  (30万円)  (10万円)

減損損失   -1000万円  -300万円  -130万円
当期損失   -1010万円  -240万円   -50万円

(キャッシュ)  (+90万円) (+90万円) (+90万円)


・3期で達成された固定資産の減損処理額=1430万円
大幅な減損損失を計上するので、固定資産の簿価は毎期減少してゆきます。それに伴い、減価償却費の計上額も縮小する、ということになるのは普通かと思います。
もしも固定資産の取得価額が2000万円、この前の期までにおける減価償却費累積計上額が330万円であると期首の固定資産簿価が1670万円、3期で1430万円の減損損失+減価償却(100+30+10)後となれば合計1570万円分固定資産が減少するので、「残存簿価は100万円」ということになります。また、売上高や減価償却費以外の営業経費が不変ですので、営業キャッシュフローは90万円のままです(*)。帳簿上は赤字となっていても、必ずしもキャッシュが減るということにはならないケースもあるのではないかと思っています。

(*):ちょっと追加ですが、正規会計のキャッシュフロー計算書に出てくる営業キャッシュフローという意味ではありません。普通の会計であると、減価償却費や減損損失が営業キャッシュフローに計上されてしまう為、減損を巨額で行えばその分のキャッシュ増加として計上されてしまいます。


つまり、「営業キャッシュフローがプラス」、「残存簿価が取得価額の20分の1(100万円)」、「赤字決算」、というのを満たすことは不可能ではないのではないか、ということを言っているのです。ここでの残存価値として簿価の100万円が正しい、ということが言えるならこうした処理は正当であると主張できるでしょうが、果たして「簿価が100万円」というのが正しいということを、誰がどうやって示せるのか、というのが問題なのです。意図すれば、こうした処理は可能だから、です。それを確かめねばならないのではありませんか、ということを申し上げているわけです。


しかも、帳簿の中身によらず、最終的な損益の数字である「-50万円」をもって、赤字の垂れ流しだ、という安易は批判は必ずしも妥当ではない場合もあるのではないかと思えます。
たとえば竹中をはじめ「赤字が50億円」と言い募る連中は、この最終的に出された当期損失だけしか言わないので、これは問題があるのではありませんか、ということです。


今回騒動以前に売却された保養センター物件は、関東圏を全く含まない13物件で売却価格は12.5億円でした。今回の物件とは異なり、赤字の程度が酷く、尚且つ北海道、東北、中国、九州などの地方に存在する物件だったので、売却価格が低くなることはあると思います。それでも1施設当たり約1億円だったわけです。今回の売却対象施設には関東圏の13物件をはじめ、有利な立地にあるものです。安すぎやしないか、と感じるのは普通ではないかと思います。


更に、土地の取得時期や価格という疑問があります。

主に85年以前に取得された土地であると、購入時の簿価が異常に高かった、という可能性は少なく、現時点の評価額の方が高いのではないか、ということがあります。一つ前の記事で指摘したように、会計検査院の報告書では保養センター施設の土地取得額は約92億円で、もし取得当時よりも土地評価額が高いのであれば、建物の評価額がほぼゼロになっているとしても、土地売却に見合う価額でなければならないはずです。

大雑把に言って85~95年くらいの間に取得された土地であると、バブル崩壊後の土地価格下落傾向があったので、取得価額が高く現在価値の方が低い可能性がないわけではありません。しかし、「保養センター」の設置建設が行われた時期は、大半が昭和60年以前、つまり土地価格が値上がりしていった時期より前であるということです。指数などで見ると、85年水準の土地価格よりは現在価格の方が上回ることは多いので、例えば70年代に取得された土地であると簿価よりも高い評価額である可能性は十分有り得ると思われます。


「ラフレさいたま」の建物の評価額が低いとしても、土地代だけでどの程度の評価額になるのか、ということが問題ですし、都内の社宅の土地評価額がいくらなのか、というのも不明のままです。もしも、都内の社宅が50億円とかで売却できるなら、残りの「かんぽの宿」を59億円で手に入れることができる、ということになり、「ラフレさいたま」の土地代だけで50億円とかの価値が付くなら、ほぼタダ同然で「かんぽの宿」をゲットできてしまいます。青梅の施設やその他関東圏の物件の売却益が期待できる、というなら、更にお得な買い物ということになるかな、と。


まとめますと、

ア)簿価の妥当性について根拠の提示がない
イ)減損損失の計上は妥当か確認できない
ウ)赤字額だけではなく、キャッシュフローなどの資料公開がない
エ)各施設の土地取得時期と価格が不明のまま
オ)都内の社宅物件の詳細や土地評価額が曖昧
カ)「ラフレさいたま」の土地評価額は妥当か

これらを資料に基づいて検討している報道機関もなければ、論者もいない。
日本郵政側は一切説明なし、郵政民営化委員会及び、郵政民営化財産承継委員会のメンバーからも、何らの釈明や説明もなし。これは異常でしょ。

もしも何ら不都合がなく、全て帳簿通りで、全部正しい、ということを言えるなら、誰に聞いても同じく答えられるはず。きちんと資料公開も説明も、できるはず。入札過程云々を言う前に、まず旧公社時代の帳簿を示せ、日本郵政になってからの数字を全部出して、と言っているのであって、オリックスがどうとか取引相手がどうという以前の問題。


※後からチラッと見返すと、ポロポロ、足し算・引き算の間違いがあって、チョコチョコっと間違いを直したよ。ごめんね。会計士とか経理職には向かないかも。


またまた、しつこく追加ですけれども、上では3期目まで例示しましたが、この次以降にはどうなるかと言えば、減価償却すべき残存簿価が100万円でこの値段で売却されると帳簿上では固定資産取得価額は変わりませんね。

で、減価償却費が10万円で売上高や経費が不変ならば、経常利益は3期目と同じ80万円となり、これまでの減損損失が「かぶせられて」いたのが一切なくなりますので、特別損失が消えますから、当期損益は経常利益と同じ「80万円の黒字」が達成されます。これ以降の期においても、売上高や経費に変動がなければ、利益水準は同じようになるでしょう。
細かいことを言えば、固定資産税負担が減少してゆく為、利益が出るということになると思います。老朽化して設備投資が必要になりそうだ、という時には、売却しちゃうと儲かるかもしれませんね。もうその頃になると、以前の民営化の時の話とか忘れて関心がなくなるし、既に「民間会社の持ち物」となってしまっているのなら、言われ無き非難とか売却に文句を言われることもないでしょうからね。

ウハっと儲かるわな、という将来像が、ボクの目の奥には見えてくるんだよなあ。

例示したのは、あくまで架空の会計の話だから、現実のビジネスとは違うんだろうけどさ。でもね、オリックスさんみたいな、東証一部上場企業になってですね、プロ野球の球団所有になるほどに有名になった企業が、「儲けの出ない、赤字をモロにおっかぶりましたよ~」みたいな、安易な投資話に「最後の1人」になるまで、頑張り通しますかね?

経営者の能力が高ければ高いほど、そんな甘ちゃんな金の出し方なんてしないでしょうよ。
前にも書いたけど、目の前で毎年50万円ずつ消えてゆくという、恐るべき「100万円の束」を、たった今、100万円出して買ってもいいですよ、なんていう温情派の殊勝なビジネスマンがいると思いますか?(笑)

そんなバカな投資を実行されたら、株主訴訟でも提起という話になったりするんじゃないですかね。たたでさえ、外人保有比率が高い企業ですよ?そうなったら、困ることになるのは、親会社であるオリックスなんじゃないですかね。

何ら「うまい話」ではないのだよ、という、本当に「かんぽの宿が可哀想」みたいなお情けでオリックス不動産が名乗りを上げた、なんてことが通用すると考える人の方が、相当にアレげな感じの「頭の中を見せてもらっていいですかい?」ってなことなんですわ。


こういったスキームを考えたり、アドバイスしたり(笑)する役割の人たちが、それこそ優秀な○○系だののコンサルだか投資銀行金融マンだかの、高給取りなんじゃないでしょうか。私ごときでは、所詮ド素人なわけですし、専門知識を駆使してくる方々に太刀打ちできるわけではありませんがね。



「かんぽの宿」疑惑の波紋~6

2009年02月23日 13時22分48秒 | おかしいぞ
日本の経済紙の社説が何を書いているかといえば、ド素人同然の内容なのだから恐れ入る。

NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋-日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋

(一部引用)

西川善文社長は「一般競争入札ではなかった」と説明を修正した。日本郵政の情報開示の遅れも疑念を深めた。総務省は入札参加者などへの調査を始めている。不正があれば日本郵政やオリックスは厳しく指弾されるべきだ。だが日本郵政の公開資料をみる限り、意図的な落札を導いたと断ずるに足る証拠はない。日本郵政は正当というなら情報開示に努めるべきで、白紙撤回は早すぎた。総務相も抽象的な批判でなく、調査を徹底して、誰もが納得する客観的な事実関係を示してほしい。民間企業の契約が政治介入で簡単にほごになるようでは、内外の企業が日本郵政と安心して取引できなくなるという大きな問題を残す。
 (中略)
一括売却の結果で決まった109億円という落札価格について「建設費の2400億円に対して安すぎる」という批判は多い。だがこれは単なる不動産売却ではなく、毎年50億円近い赤字を出す事業を雇用を含めて買い取るという話だ。一括売却方式には合理性があるし、入札が適正である限り価格も妥当なはずだ。総務相は個別に地元業者に譲渡すれば良いと主張するが、不採算施設まで売れるかどうかは疑問だ。売却が1年後なら総額160億円近くで売れないと、オリックスへの売却より不利になる計算になる。

=====

社説子は赤字額が50億円という財務諸表の中身を「公開情報」から確認できたのだろうか?できたのなら、どこにどういった財務諸表が公開されているか、是非とも周知してもらいたい。

このシリーズでは幾度か指摘したが、赤字になる帳簿を作ることは可能。公社時代には損益率が100%以上の「かんぽの宿」はあった。かつては固定資産税などの納税がなかったということも影響していたかもしれないが、赤字の改善しない施設については以前から処分対象となり売却が進められてきたのであり、残されていた「かんぽの宿」は殆どが黒字か黒字転換が見込める比較的「優良物件」だった。

土地建物の評価額が高いと、減価償却額が大きい、固定資産税が大きい、といった帳簿上の問題は発生するので、キャッシュフローがトントン程度か若干の黒字であっても、決算数字は赤字となることは有り得る。現金収入が3億円のプラスであっても、減価償却額が年間20億円あれば赤字に転落する。だが、この固定資産を10億円で購入できれば、減価償却額を10年定額としても年間1億円で済むので、現金収支3億円の水準ならばプラスが期待できる、ということになる。「赤字50億円」という言い分は竹中も同じだが、どういう中身か、財務諸表がないのにどうやって確認したか、というのが問題なのである。見てもいないくせに、それがあたかも当然の事実のように扱うのは大きな誤りではないか。

日経社説で「2400億円の建設費」となっているが、どの物件がいくらで建設され、減価償却された額が公社時代までにはいくらで、残存資産がどの水準だったのか、その後減損損失で処理された額が各物件ごとにいくらなのか、そういうのを調べた結果なのか?
新聞が率先してウソを垂れ流すというのは、大問題ではないのか?これはデマを流しているのと、何が違うのか?
日経新聞が責任を持って「2400億円の建設費」を立証してくれることだろう。どこにそんな事実があると?「かんぽの宿」の建設費が2400億円なんですか?「ラフレさいたま」という施設を含めてもいいですけど、本当にその金額で間違っていませんか?

更に、会社は誰のものか、という話の一環ではあるけれども、株式会社においては会社のモニタリングとして「株主」が重要なのではありませんかね?日経社説子には、そういう原理原則が理解できないのかもしれないが、株主は尊重されるべき存在なのではありませんかね?経営陣が好き勝手にやりたい放題でいいとか言いますかね?
日本郵政の株主とは誰ですか?
財務大臣なんですよ。株主が経営陣に対して注文を出すことは、有り得るのではありませんかね。政治介入云々を言う前に、まず株主の意向が「反対」ということを表明すれば、経営陣は勝手な真似はできない、ということになっているわけです。総務大臣の話は手続的な問題なので、若干は違うと思いますけれども、民営化会社になったからといって、西川が好きなように何でも決定できる・采配できるというのは、大間違い。株主が100%反対すれば、できない、というのが原則なわけで。


こうした日経社説子と似たようなのがコレ>はてなブックマーク - かんぽの宿 5つの論点 - Chikirinの日記

こういうのが賞賛されるというのも、ナンですな。


○論点1について

年間50億赤字だから、来年になれば160億、更に3年だと259億円、経営立て直し費用70億を加えて329億円、とか、素人経営診断ありがとよ、って感じです(オレもか、笑)。デマもいいとこですね。

敢えて「損をしてもいいから、かんぽの宿の従業員のみなさまの雇用を守りたい、私どもは大赤字を覚悟で今後3年間でざっと220億円ものキャッシュ持ち出してでも、かんぽの宿という貴重な資産を守って参りたい」とか言うような、脳天気ビジネスなんかないとしか思えないわけで(笑)。

まず根本的に施設の数からして間違ってるんじゃないか?(爆)
「かんぽの宿」の営業している施設数はそんなにはないわな。売却された物件には遊休資産も含まれているだろうし、そこで100億回収とかできてしまうなら、他の購入価格はほぼナイに等しいですから。後はキャッシュフローがプラスになってさえいれば、大赤字になんかならないわけでして。世の中の商売なんて、そんなに甘いもんじゃないんじゃないの?特に、金貸しをしぶとくやってきたオリックスさんが、そんなに温情的であるとは思われないわけで。

もしも固定資産価値がこれまでの800億円超から、仮に120億円に下がった場合、他の帳簿上の数字が同じであると、「かんぽの宿」の赤字額はどうなりますかね?そういう数字を帳簿で確認できない限り、赤字垂れ流しだから云々という話は難しいんじゃないか。参考までに、07年9月時点での「かんぽの宿」52施設の赤字額(ディスクロージャーの一覧表における収益-支出差額)は、全部で約4億円だった。半期だから通期になるとどうか、というのはあるけれども、50億もの赤字にはなっていなかった。

それと、「リーマンが2ドルだった」、だから何?
あのね、倒産会社で「大幅な債務超過」になってる会社と、資産価値が高いとか資産超過の会社の売買では、全然違うに決まっているでしょう?
負債総額10億円の電気店が倒産したとしますか。この会社には優秀な技術部門があって職人さんとか蓄積技術が惜しい、というような時には、職人さんごと雇用もまとめて技術部門を買い取る、ということはあるでしょうね。そういう時の買収価格なんて、会社としては債務超過なわけですから、ほぼタダ同然でしょうな。会社の在庫にしても、簿価が1億円分あろうとも、バッタ屋にゴミ価格同然で引き取られていくでしょうね、きっと。仕入れ価格30万円の大型テレビであろうと、数千円とか1万円とか、そういう値段になってしまうでしょう。
債務超過の倒産会社の資産を処分するのと、「かんぽの宿」が同じなんですかね?(笑)
「かんぽの宿」のどこが債務超過施設なのか、教えてほしいもんですな。「ラフレさいたま」でもいいですけれども、長期債務も付けられたままで債務超過な「不良物件」を売ってるとか、そういった数字でもあるなら、是非財務諸表を教えてもらいたいもんです。


○論点2について

日経社説と同じで、建設費が2400億円というその裏付けを見せてもらいたいね。施設ごとに、取得・修繕価格と累積の減価償却額が判るなら、知りたいね。建設に投入された税金が720億円とか、どこに書いてあったんですかね?

確かに「かんぽの宿」の運営は天下り団体がやってきて、非効率経営だったのはきっとそうでしょう。でも、投入された資金が税金としてどの程度使われたか、というのは本当に720億円なんですかね、って疑問は残る。
そもそもは簡保加入者の金でやっていたビジネスですから、必ずしも税金ではないわな。

一応、こちらが参考になる。
会計検査院 平成9年度決算検査報告

この当時において、建設後の平均経過年数が「簡易保険保養センター」で12年、「簡易保険会館」で19年、「郵便貯金会館」で20年だった。今は更に10年経過しているから、「かんぽの宿」の平均経過年数はもっと増えていて、単純にいえば22年ということになる。でも途中で建替えられたり廃止されたりしている施設があるから、何とも言えないけれど。
(悪名高き「日光霧降」は平成9年4月開業したばかり、「伊勢志摩」はまだ建設途中であった…)

建設にあたっては、地元の地方公共団体の設置希望が出されたのであり、それに基づいて建設決定がなされていったわけである。のべつ幕なしに、無軌道建設が認められていたわけではない。昭和50年代以降急速に下火となり、施設数はそれ以降殆ど増加してはいない。どちらかというと、建設に制限が加えられるようになっていったのはかなり昔の話であり、今から20年以上前のことだ。

郵政関連施設の土地と建物の取得費を見ると次の通り。

                 土地   建物
郵便貯金会館        292.1  497.0
郵便貯金総合保養施設   16.6  193.3

簡易保険保養センター    91.7  397.9
簡易保険会館         89.6  181.5
                   (単位 億円)        

上2つが郵政省、下2つは簡易保険福祉事業団(いわゆる特殊法人と呼ばれた天下り団体だ)の所管ということだ。特別会計に一般会計からの繰入があったかもしれないが、建設に当たっては大半が「簡保加入者の保険料」の運用収益から支払われたのはないかと思われる。つまり、「かんぽの宿」(簡易保険保養センター)の取得価額約500億円に税金が使われた、というのは、どの程度なのか不明であり、かなり不正確ではないかと思う。
ただ、築年数が相当経過していることもあって、修理修繕費用などの追加負担がこの後にも継続してきたのでしょうから、それにも税金が投入されてきたであろう、ということは予想される。しかしながら、「建設費が2400億円」というのは、どういった数字なのか、各施設ごとに見てみないと何とも言えないのではないだろうか。単純に合計数字(2400億円)だけ出しても中身がわからず、実際の取得費は土地代と当初建設費の計500億円ですので。伊勢志摩みたいに多額の費用がかかっているケースはあるわけで、何がいくらなのか、というのを時系列で見ないとどうしようもないね、という話。


○論点3

疲れてきたので、流していきますが、昔、「地域の郵便局幹部の縁故採用があった」という話が、オリックスへの売却話が正当であったかどうかと、どういった関係があるのでしょう?国家公務員になるのに、そうした縁故採用が可能というのは初めて知りましたが、郵便局長さんの家族とか知り合いを職員にしている、とかですか?(笑)
そういう慣行が公社時代にもあったんですか?よく知りませんけど。「かんぽの宿」の売却価格が適正かどうか、という話と、一体何の関連があるのか、全く判りませんな。どうでもいい論点。というか、論点でさえない。


○論点4

売れ残ったらどうすんだ?という話ですが、これを言うのであれば、国鉄だろうと電電公社であろうと専売公社であろうと、何でも同じでは。資産や株式の売れ残り危惧というのは、どういった場面でも有り得るわけでして、責任追及は国会なり何なりがやってくれるんではないでしょうかね。一括譲渡に拘る理由というのも判らないままですし。

まずは、赤字がどんどん積みあがっていってしまう、毎年50億円ずつ国民が損をする、という、その前提となっている事情について、裏付けとなる証拠を出すべき。それがないのに、実はキャッシュが積みあがってゆく、ということなら、今すぐ売る必要性がなくなるわけで、つまりは自らの前提としている条件について明らかにすべき、ということ。

どうでもいい論点に話が移っているので、論点5は割愛。



他にも、例えば「メルパルクの事業譲渡が適正な手続だったか」とか「他の事業者を募集しなかったのは何故か」とか「定期建物賃貸借契約の契約料金は妥当か」とか、そういうのは不明点が多かったりします。

ああ、それから、日本郵政が払うという事業計画の16億円超のコンサル料だけど、これって例のメリルに払うものですか?どの相手に、いくらずつ払ったのか、公開してほしいですな。


まとめると、

①「年間50億円の赤字」の証拠を出して:
「かんぽの宿」の財務諸表を施設ごとに出してくれ、遊休施設についても個別に不動産鑑定額や評価額を出してくれ。

②「建設費2400億円」の根拠を示して:
これも財務諸表を見なければ判らない。当初建設費と土地取得価額からは500億円、税金投入額も不明。

③「16億円超のコンサル料」は誰にいくら払ったのか出して:
あまり重要ではないけど、内部のメンツを確認するのに役立つかもしれないから。

④白紙撤回した理由を教えて:
正当なのだと主張していたのだから日経も言うように、撤回する必要はない。やましいことなど、何もないのでしょう?笑
だから、資料等の情報公開をきちんとしてね。



円高は結果に過ぎない

2009年02月22日 17時41分07秒 | 経済関連
これね。
はてなブックマーク - 円高論者は日本経済を潰すのか? - Economics Lovers Live

自分自身は「強い円」崇拝者ではないけれど、「通貨安が望ましい」とも思わない。国内の金融政策をはじめとする経済運営を変えることによって、通貨の為替水準は変わってゆくだろうと思うからだ。これは幾度か書いた。
現時点で日本は円の減価を選択すべきか

通貨安に陥った国々―例えばアイスランドやロシアなど―では、経済成長率が高まるといったことはないだろうと思われる。高い政策金利になってしまい、かえって悪いのではないかとしか思えない。「円高はよいことだ」と単純に言えないとしても、逆に「円安がよいことだ」とも言えないのではないか。


①交易条件の改善に関して

これも書いた話の繰り返しになってしまうが。

08年11月>日本経済は基礎的強さが残っている

この中で、次のように書いている。
『8月に引き続き10月も赤字だ、ということで、何と言いますか、ショックを受けたかのように思っているかもしれませんが、現在はまだそんなに大袈裟に不安視するようなことではありません。今年はやや特殊な年なので、調整までに若干の時間がかかるかもしれませんが、悲観するには及びませんよ(笑)。』

タイムラグがあって、輸入額純減にはまだ直結しない、という面があるのだろう。例えばベンツが2割も値下げされた、といった話題は聞いてない。値上げは直ぐに改定するが、値下げはあんまりしないよ、という「下方硬直性」ということですかね。輸入価格が下落してきても、価格改定には時間がかかるものが多いと(例えば小麦価格とか、石炭や鉄鉱石などの輸入価格とか)、直ぐに値下がりには結びつかないのかもしれない。今後にプラスの影響はあるだろう、ということは言えても、「”円高だから”トヨタやホンダといった自動車が落ち込んだのだ」とは言えないと思う。

10-12月期の落ち込みは、単に円高という要因だけではないと考えているからだ。当時の予測として、09年3月期には「円高要因によって」10兆円の輸出額落ち込みがあったとしても、輸入額も似たような割合で落ちるのなら、「悪影響は大したことはないんじゃないか」ということを述べたのである。だが、需要が極端に落ちた為に起こった大幅なマイナスなので、これは交易条件云々の問題ではない。


②ただの円高であれば傷は浅い

とりあえずドル円だけで書くとする。
これまでに自動車を300万台生産できる体制で製造していて、ドル円が115円から90円に円高が進んだ場合を考えてみよう。

輸出と現地生産とで若干の違いはあるかもしれませんが、区別なく行っているとします。
100万台の販売台数の時と、300万台の販売台数の時では、1台当たりの利益率は異なるだろう。多分、台数が多くなれば利益率が低下しているのではないかと予想する(逓減の理屈ですな)。

最も簡単に言えば、売れてる限り、円高になろうと利益は生じるので「赤字にはならない」ということ。

1台当たり600ドルの利益があるとしよう。300万台販売できていれば、18億ドルの利益が生み出される。ドル円が115円なら2070億円、90円なら1620億円ということになる。こうして利益が圧縮される、ということは現実に起こってしまう。だが、1台当たりの利益が出ている限り、赤字には陥らない。

もっと違うケースを想定してみよう。
国内で製造する時、製造コストが1台当たり230万円かかるとする。ドル円が115円ならば20000ドルである。これを輸出して売る時に22000ドルの販売価格であったとしよう。利益は2000ドルである。ところが円高で90円になってしまうと、製造コスト230万円がドル換算で約25555ドルに上昇し販売価格22000ドルを大幅に上回ってしまう、ということが起こるかもしれない。そうなれば、売れば売るほど赤字が拡大してゆく。こういう事態がどの程度発生するかといえば、あまりないのではないかと思われる。何故なら、売らない方が利益が大きいからである。なので、こうした場合には、値上げが実施され22000ドルだった価格が26000ドルに値上げされる、といった対策が取られることになるだろう。このような状況であると、価格上昇で販売数量の減少を招き、利益が圧縮されるということは起こり得るだろう。けれども、値上げ幅の価格転嫁率が販売価格のどの程度なのかという違いがある(*)ので、販売数量減少というのがどの程度起こるかは判らない。過去に日本市場でユーロ高などを理由として外車や輸入バッグの値上げなどは行われたが、その当時に大幅な需要減となったというのは聞いた記憶がない。

(*):ある輸入財を5000円で仕入れ1万円で販売する場合には、為替変動が40%あって輸入財価格が7000円に値上がりしたとする。この場合であっても、普通は販売価格を40%増の14000円にするということにはならない。転嫁率が100%であっても2000円上乗せとなり、販売価格の20%に過ぎない。為替の変動率がどの程度効いてくるかは、価格構成の中身によるだろう。
輸入原材料が2000円、日本国内の円コストが6000円、利益2000円で合計の販売価格が10000円というものであれば、為替変動の影響を受けたとしても、販売価格の20%のうちの更に一部分に留まる。自動車が35000ドルで販売されていて、このうち30000ドル分が輸入コストであると為替で20%アップしても36000ドルとなり、販売価格を37000ドルにするといった努力は可能。6000ドルを転嫁するのが当然、とまでは言えない。

こうして見ると、販売数量が300万台体制ということで、仮に円高になったとしても、急に赤字には陥らない。販売台数が値上げによって落ちたとしても、ある程度の供給能力は必要とされるので、「円高を理由として解雇」が大量に発生するということにはならない、ということ。特に、値上げしないで海外の利益幅を圧縮して回避できる時には、供給体制として「300万台体制」は不必要ということにはならないのだ。円高になったら自動的に250万台体制に減少させなければならない、ということではない。価格の変動や利益率の変動があったとしても、300万台売る体制が必要とされるなら、円高であっても雇用は急に消滅しない。
円高によるコスト上昇に対応する為に現地生産比率を増加させて、工場を海外移転する場合には国内雇用が削られる。通常、その変化は緩徐に起こる。90年代にアジア地域に移転していった製造業が多かったのが、そうした流れの一部であろう。

これらも既に書いた話ではある。
08年12月>円高が雇用を悪化させたのか

『しかしながら、現在の輸出減速というのは、円高だから、という要因ではないでしょう。もし円高で販売価格に増価した分を転嫁していたのであれば、これまで3ドルで販売していたものを例えば3.6ドルにする、といった値上げとなります。その値上げのせいで需要減少となるので、売上高減少をもたらすということですね。そうではなくて、これまでと同じ3ドルで販売しているにも関わらず、売れない、ということに他ならないのではないでしょうか?何故売れないかというと、金融危機に端を発する世界規模の需要減少ということでしょう。輸出企業はこうした事態を打開しようとして、値下げに踏み切るわけです。売れないから。3ドルで販売していたものを、2.5ドルでもいいから売ろうとするわけです。そうすると、販売数量は落ちている、単価も落ちている、円高になっている、ということで、3重苦にもなっているようなものなのです。派遣社員や正社員を整理する、新卒採用を取りやめる、といった雇用への影響の最も大きな要因というのは、「売れないから」ということが原因であり、それは世界需要の減少ということに他ならないのではないでしょうか。最大の落ち込みとなっているのは北米であり、9月以降には欧州に広がったということはあるかと思います。』


③赤字の原因とは何か

トヨタの発表を見る限りでは、為替要因による減益幅は通期で5500億円~6000億円程度であって、小さくはないけれども致命的な原因ではない。赤字の大半は北米の不振であり、欧米での販売台数減少が一番の理由である。

日本での販売減はリーマン・ショック後の年度第3Qにマイナス7万台以上が記録され、通期累計でも約6.6万台のマイナスとなった。大きな赤字要因となったのは欧米市場で、前年同期320万台だったのが約270万台と50万台減少に落ち込んだためである。上述したように、台数がある程度維持されているなら利益幅が圧縮されるだけなので、輸出分は生産が続けられる。結果として国内雇用はある程度維持され、生産能力が急激に過剰になることはない。

国内市場の減少幅は約150万台規模のうち4.3%程度のマイナスだった。そのマイナスは、この3ヶ月に集中した。
欧米市場でのマイナスは年頭より継続しており、320万台→270万台という15.6%もの落ち込みとなった。欧米市場のマイナス拡大の大きな理由として、需要の純減というのもあるけれども、リースや残価ローンのような「債権」の損失がかなり発生したのだ、ということも影響しているであろう。これはGMが苦境に陥ったのと似たような要因である。北米が世界販売台数の約3分の1、ここでの「大幅なマイナス」というのが原因なのだ。

下方修正の発表が繰り返されたのは、為替の見通しが何度も変わったから、というようなことではない。不確定な要因によって損失が拡大してゆくという、「不良債権の増加」ということが最も影響したのではないか。不良債権の増加とは、これまでの「買い手」たちが払えなくなってデフォルト、ということだ。ローン等の返済ができなくなる債務者が増加している、ということであろう。
だから、販売台数が減るのに加えて、欧米での過剰な生産能力、更には債務者たちのデフォルト増加、ということだろう。
円高によるダメージは、多分全体の3割程度であろう。他は違う要因だ、ということ。

日産あたりは、元々の手持ちキャッシュが少ない、ということがあるので、トヨタよりも更に厳しい、ということかもしれない。資金調達コストが急激に上がったということではないか。それ故、低利融資をしてくれ、と政府に再三要求していたものと思われる。また、米国市場依存割合が高いのなら、それもまた状況を悪化させることになるだろう。


④販売数量と利益率

需要が急減した為に、相対的に供給能力が大きくなりすぎて雇用面での調節を余儀なくされる、ということが起こったのであろう。もしも付加価値を高め、1台当たりの利益率を上げていたのであれば、販売台数はここまで増大しなかったかもしれない。売れる数を増やそうと努力した結果、900万台規模の供給能力を整えてきた。ところが世界経済のダメージが広がり、需要が数百万台規模で消失したので、その生産能力が過剰となってしまったのだ、ということになるだろう。もしも台数を増加させずに、600万台なら600万台という数は大きく変えず、一台当たりの利益を例えば500ドルから1500ドルに増やせば、供給能力の大幅な削減(=人員削減)をせずとも利益率を落とすことで調節は働く可能性はあるかもしれない。

世界戦略として、1千万台クラブへの一番乗りを必死に目指したが故の陥穽、ということなのかもしれない。結果的には、欧米を中心に過剰な生産能力を抱え、赤字を大きくする原動力となったのだ、ということ。このことは、地域別の営業損益率を見れば、おおよその傾向はつかめるだろう。アジアや他の地域では、依然として黒字ですから。円高になったからといって、直ぐに赤字に転落するというものでもないのだ。


⑤円高は結果にすぎない

円高をもたらした理由には色々とあるだろうが、すぐに思いつく要因としては、「インフレ率が低い」ということがある。インフレ率が高い国の通貨は、多くの場合に通貨安を招く。相対的な関係に過ぎないけれども、せめて欧米なみの物価上昇率とか期待インフレ率があれば、他の要因が同じなら為替はほぼ固定的になるだろう。現実には、成長率の違いや金利差などによって変化するということになってくるだろう。
国内の金融政策等の経済運営を変更して、高いインフレ率の水準を達成できれば、

・政策金利はインフレ抑制の為に引き上げられてゆく
・為替は相対的に円安傾向になる

ということになるだろう。

でも、みんなが懸命に働いて、頑張れば頑張るほど円は評価が高くなり、結果的に通貨高になってしまうだろう。


もしも民主党政権が誕生した場合には、経済恐慌の虞を一層強めることになるだろう。
日銀総裁選びの時にも、そうした思想傾向は明らかになったはずだ。
緊縮財政で財政支出削減が断行されるだろうから、形を変えた財政健全化推進派になるだけだ。大体、20兆円規模で歳出削減を実施しよう、という政権公約を作っていたからね。今まで以上に「歳出削減」圧力が強められるであろう。しかも「金利正常化」部隊がごまんとおり、金融緩和は円キャリーをもたらしたとか、国債買入は財政赤字の肩代わりだ、みたいなことを言っていたしね。

民主党には日銀総裁を選ぶ資格などない

こういう体質が、直ぐに変わるかと言えば、それは無理だ。
今の状況下でも、小沢さんは「財政タカ派」(よさリンだな、笑)に秋波を送っているくらいですし。

なので、民主党と社民党の連立政権が誕生したりしようものなら、名前を変えた「小さな政府派&歳出削減&金利正常化」部隊が大挙して襲ってくることになるだろう。その先に待っているのは、「バラマキ阻止、歳出削減、利上げ、強い通貨」を目指す、大恐慌内閣だ。



あまりにナイーヴな日本の政治家

2009年02月21日 17時14分32秒 | 政治って?
大衆誘導はどのようにして行われるのか?

例えば不祥事、偽装関連、モロモロあるわけである。世間のバッシングを演出することは、さほど難しいことではない。そういう雰囲気を作ってやれば済む話だからである。特定人物に対してネガティブな印象形成に成功すれば、画面に出てくるだけでも嫌悪感を抱いてもらえるようになる。普通の会社組織などのイジメみたいなものも同じ。とどのつまりは、「誰かを叩きたくて仕方がない」のだ。こういう手法は、亀田一家の場合だろうと、山本モナだろうと(*)、船場吉兆の女将だろうと、亡くなられた養鶏場の社長夫妻だろうと、どれも同じ。ああ、イラクの3邦人人質事件のバッシングでもそう。

(*):個人的には全く興味ない、でも、チューやラブロマンス(笑)ごときで、どうしてあんなにバッシングされねばならないのか疑問。チャールズ皇太子はかつてカミーラ夫人との不倫関係が伝えられていたと思うが、別に謝罪も何もないけど。イタリアの首相なんて、ナンパを奥さんに怒られて公衆の面前で謝罪させられた挙句、今度はナンパ相手の女性を閣僚に据えてるじゃないの。仏大統領の奥さんだって、ヌード写真だの色々書かれていたけど、別になんてことないし。


つまり、エコーチェンバーの役割を果たすのは、マスメディアなのだ。伝統的手法と言っていいのが、大衆操作なのだ。彼らの姿勢や意図や考え方などに乗っかってしまっているので、マスメディアの連中が低俗であればそういう方向に行くし、魂を売ればいくらでも情報操作なんてものは行えるわけである。マスメディアの水準が劣化していくと、こうした傾向は一層強まることになるだろう。


昔の政治家がどうであったか、なんてことは、多くの一般国民にとってはあまり意味のない比較であり、殆どの人たちが覚えてはいないか、よく知らないことの方が圧倒的に多いのではないかと予想している。自分がそうだから、ということもあるけれど。いや、そうではない、大多数の国民はきちんとどの総理大臣がどうであったかを評価できる、ということなら、1985年以降に総理大臣だった人を並べてもらってもいいし、順不同で挙げてもらってもいいだろうと思いますけど、試しにやってもらっては。そんなに正確に憶えていますかね?羽田でもいいよ、とか、細川内閣の方がマシ、村山さんがいいとか、本当に言うんですかね?
因みに合衆国大統領なら、ちょっと前から挙げたって、カーター、レーガン、ブッシュ父、クリントン、ブッシュのたった5人だけだぞ?

昔の政治家たちなんて、実弾として「金」をばら撒いていたし、イスだって灰皿だって飛び交っていたし、それこそ武勇伝を挙げれば数限りなく、豪快・豪傑の類の人たちなんて、それこそ大勢いたわけでしょう?型破り、型ハズレ、というような人たちは、別に珍しくもなかったんじゃないですかね?今の政治家に対して、そんなに潔癖で聖人君子みたいな人格者を求めるのって、どうしてなんでしょうね。マスコミ連中がいちいちあげつらうようになってからなのではありませんかね?別に昔の政治家たちがとりわけ人格者で間違いをおかさない人間たちばかりだったかといえば、そうではなかったでしょう?


「強い総理」の政治的仕組みが日本には育ってきましたかね?
長年やる人の方が少なかったように思えますけれどもね。今の仕組みや政治的成熟度では、誰がなっても大して変わらないんじゃないか?今の低俗なマスコミや、そういう情報に左右される有権者たちや、選挙制度や選挙運動も同じなのに、何かが変わるというのだろうか?
総理が代われば、何かが変わるとか、解決できるといったことになるのか?

徳川治世下では、名君も出たかもしれないが、殿様がそういう人間ばかりとも限らず、名君ではなくとも統治が行えるような仕組みになっていたからこそ、2百年以上も続いたのだ。現状の政治システムを見ている限り、トップに誰が来てもあんまり大きな違いはないように思える。支える仕組みが機能していないもの。取締役会で互選で社長を選んでいるのに、取締役同士で支えないで足の引っ張り合いをやっているような連中ばかりでは、会社は傾くって。社長を誰にするか、というのではないんだもの。社長がちょっとくらいボケっとしていても、取締役が優秀なら会社はきちんと回っていくし、機能すると思うけど。だって、社長が独裁者でもなく、何でも1人で決めたり実行できるわけではないんだから。取締役がいないと仕事ができないんだから。

なのに、今は「~が悪いのは社長のせいだ」「~できないのは社長のせいだ」ということで、全部社長が悪い、に行き着いているもの。これでは、全然ダメだよね。会社が一丸にはなれないよ。取締役は社長を支える気もない、社員も支えたくない、ということなら、いつまで経っても同じ。社長を変えたからといって、何かが良くなるわけじゃない。実際仕事の大半をやっているのは、社長ではなく配下の人間なのだから。

マスコミは狙ってるネタが消えていけば、次のターゲットを探して歩くのだよ。段々重箱の隅をつつくようになっていく、ということ。姑根性みたいなものだ。

部屋の掃除を嫁がするとしよう。チェックポイントがあって、「タンスの陰」や「窓のサン」を姑が指でこすって「ホラ、ここに汚れが残ってる」と指摘するわけだ。そうすると、嫁の方でも予防するようになって言われないように気をつけよう、ということになる。姑の攻撃を避ける努力をするんだよ。そうなると、姑は「タンスの陰」や「窓のサン」を指でこすっても何も出てこなくなるわけだ。そうなると姑は面白くないしチェックする意味を疑われてしまうということになるので、これを回避しようと「血眼になって汚れを探そうとする」わけだよ。すると、「イスの足の裏」とか「タンスの取手の裏」みたいなマイナーな場所を細かく点検するようになるわけです。ホラ、ここに汚れが、みたいな。これを繰り返してゆくと、嫁はチェックされるポイントを予め潰そうとする、姑はそれを上回るより「マイナー」かつ「細かい」チェックポイントを開拓してゆこうとする、というイタチゴッコになっているわけです。

これは企業不祥事で追及するマスコミの体質とほぼ同じようなものなのである。「追及する」という行為に意義を見出しているとしか思われず、それをやることが正しいことで重要な意味を持つのだと信じているのである。是非とも追及すべき部分はあるからやって欲しいと思うが、それはバーに行って何を飲んだか、みたいな話ではないはず。

「ル・トリアノン」「松風」「Taikan En」「津やま」「グラナータ」「山里」「福田家」「星ヶ岡」「アトーレ」「赤坂プリンス」「品川プリンスエグゼクティブ」

これらの場所に僅か4週間28日のうち15日間通っていた、とか、報じられたことがありましたか?
土日祝日は休養日なので、週5日として20日間のうち15日間は外出していた、ということではないですか。これが誰か判りますか?郵政選挙のあった年の2月に、小泉さんが夜に出かけた場所ですよ。

こういうのをマスコミは大々的に報道しましたかね?
マスコミは、こんなのに「毎晩のように高級店に行って飲食している」とか報じてなかったのではないですか?庶民の気持ちが判らないとか言ってましたかね?一国の宰相に、庶民の生活と同じ水準にしろ、とか求めるわけですか?(高給取りのマスコミの方々が。何なら、みのもんたさん、古館さん、といった人たちの報酬を公開したらいいんじゃないですか?)
小泉時代には報じなかったこれらのことを、麻生総理になってから「敢えて」報じる意味とは何でしょうか?
ネガティブ・キャンペーンを毎日やられて、それでイメージ悪化を招かない人がどの程度いますかね?

要するに、卑怯なんだって。
たとえ同じことをやったとしても、「ジャイアンには文句を言わない」、「のび太には言う」という、典型的なイジメの構図だろ。クラスの有力者には言わないけど、下っ端の冴えない君には何とでも言っちゃうよ、という、まさに「イジメ」の基本手法だろ。

はっきり言って、汚い。
姑息だ。やり方が卑怯。


たとえどんなことであろうと「叩けばホコリが出る」というのはよくありがちだろうから、どんなことでも使えるぜ、ということなのでしょう。
ああ、それから、議員秘書のコネだか、何とかで元審議官を紹介したというのが報じられていたみたいだけど、これも日本社会の構造として、どうよ、というのは思うね。

何ならハッキリ言ってあげようか?

これまでに、議員関係ばかりではなく、どんな世界にだって、一番大事なものはなにか、と聞けば、コネだろ、って話でしょう。今更、何「きれいごと」を言ってるのかと思うね。なに処女ヅラみたいにブリッ子してんだよ。

最もコネの威力が効くのは、マスコミ業界だったんじゃないの?(笑)
有力者の子弟から、議員関連、…色々とあるけれども、広告代理店とかマスコミ業界とかに共通している「コネ主義」なんじゃなかったの?いや、そういう知り合いとか一切いないから、現実にどうなのかは知らないんだけさ。

それに大手企業にだって、コネが通用してきたんじゃないの?本当に何のコネもなく実力で、っていう人はいるだろうけど、そうでもないボンクラ息子とかがコネ入社とか、いくらでも事例はあったんじゃないですか?事実かどうかは知らんけどさ。でもまあ、都市伝説的には珍しくも何ともないわけで(笑)。日常茶飯事だろ。「ちゃめしごと」だろ、と。

コネだろうと何だろうと、「私立の医学部に行きたい」なんて物好きな奴もいるんだな、とは思ったけど、大学に金を湯水のように使うバカは、いいカモなんじゃないの?もしコネが通じるのだとすると、そういう大学も大学だとは思うけど、いずれ国家試験があるのだからそこで落とされるわけでしょう。金だけカモられるなら、しょうがないんじゃないか?国家試験に受かるなら、そういう人だったんだな、ってことなだけでしょ。どっちにしたって、別に一般国民が被害を蒙るわけじゃない。数千万円も学校に使える人なんて滅多にいないわけで、口利きで報酬を受けたり地位を利用したのであれば問題だろうけど、犯罪でもないのなら何が(誰が)問題なのかというのを明らかにすべき。

それから、日本社会の基本構造というのは、コネ社会でしょ?
今頃、知らなかった、みたいな寝言を言ってる連中はおめでたいね。

日本には、都市伝説だか不可思議神話だかがあるらしくて、コネの頂点・総本山みたいなコネ大学があるらしいじゃございませんか。何と言ったか忘れましたが、総理大臣まで排出したくらい有名な大学らしいですけど。
某人物をして、「相場にうつつを抜かす儲け主義」とか「下宿屋もどき」とか、そういった批判もあったやに聞き及びますが、定かではございません。そこでは、遠きエゲレス国にある制度に似ていて、最も培われるのは何かと申しますと、コネでございますよ、コネ(参考記事)。

で、そのコネの一員に加わりますと「コネ」の特権を享受できる階級へと進むわけでありまして、これが人生成功&安泰の秘訣にございますです、はい。そういう伝説だか神話が信じられているので、おバカな連中が吾も吾もと「お受験」に狂奔するのだそうでございます。アホですな。幼稚園に入れると、素晴らしき「コネ人生」がスタートでき、そのコネに守られているので大変良かったね、という世界に足を踏み入れて行くんだそうです。こういうのはあくまで神話とか伝説の類でして、私自身はあっさり信じるのはどうかと思うわけでございますが、中には「データで補強しよう」ということで「コネ力」(「こねか」ではありません、コネの力でございます)をランク付けの一助としたいという勢力もあるということらしいです。そうすると、ニッポンの力の源を探るべく、出身大学別の「社長の数」とかで「コネの威力」を暗に誇ろうということらしいです。大笑いですな。そういうのに「ばかされた」か「毒された」ような連中が、「コネの輪」の中に入りたいということを願い、これをもって一生の安泰を図ろうとする浅はかな考えを持つに至るらしいです。


だから、こういう「コネ社会」では、「コネ」の力を得よう・磨こうというのはごく普通でして、日本だとコネ力が社会を動かしているんですよ。それを今更、「こんなことはこれまで一切なかった」かのように素知らぬふりをしながら、一方では議員秘書の「コネ」を使ったらしいですわよ、ということを槍玉に挙げるということですな。コネ社会に最も近い連中が、何を言ってるのかなとは思いますな。私のような、下賤の庶民には一切かかわりのない世界ですから、別にどうだっていいんですがね。思うのは、「コネ社会」があたかも存在しないかのような、その厚顔無恥さ、ですわ。一番通用する世界の住人たちに、「議員秘書のコネ」は問題だ、なんて言われたかぁないわな。

いい加減に、猫かぶりは止めたら?
日本はコネ社会です、ってまず認めたらいかがか?
特権階級の人間たちは、コネをフル活用してきました、って言えばいいじゃん。
コネ力を鍛えたかったら、コネ大学に入るのが一番の近道、とか、はっきり教えてやれや(笑)。
コネ大学のある場所もついでに教えてやればいいんじゃね?
そういう大学に「お受験バカ」が大勢集まってくれるお陰で、ブランド価値を高め、コネ信仰を確固たるものにしていったのだ、ということでいいんじゃないか?ま、ボンクラぼっちゃんには、そういうコネが一番お似合いじゃないか?




新書に斜陽の兆し?

2009年02月21日 13時53分50秒 | 俺のそれ
『バカの壁』以降、新書の一大ブームが到来したかの感があるが、これも興味深い題材ではある。ここ暫くだと売上が低下気味らしいが(数字で確認していないので定かではない)、現象を考えてみるとおもしろい。

まず、大ヒットが生まれて利益が生じる。そこに目を付ける人たちが現れて、競合していこうとするわけだ。つまり(独占的な)利益があれば、そこに参入する業者たちが増えてくる、ということ。そうなると参入障壁が低下し、かつては「高水準の書き手」だけが出版に漕ぎ着けられたのが、今度は玉石混交の書き手たちがどんどん参入してくる、ということになる。

外見的には「高水準の書き手」か「低水準の書き手」なのかの見分けが難しくなるからだ。そうなると、ハズレ商品(新書)も当然増えてくることになる。以前には商品数がある程度限られていて、読み手たちの選別という洗礼を受けていたのだが、品数が増えると中々そうもいかなくなる。駄作は何故存在できるかと言えば、良作があるからそこにコバンザメのようにくっついて「便乗売り」ができるからだ。消費者側には、これを選別するだけの情報や能力に限りがあるからである。


ブランド品のヒット商品のマネをして、便乗して売ってくる紛い品みたいなものと似ているかもしれない。
大ヒット商品として仮に「ヒートテック」があるとしよう。すると、これによく似た「フートタック」や「ニートテツク」という商品が他社で売られる、と。もっと広がると、商品の名前や外見だけが似ているというだけの、商品の持つ品質(保温性だの線維タイプがどうの、といったこと)がまるで違うのに、便乗して似たような劣悪商品を売る業者が増えてくる、ということになるのである。「ハム太郎」が流行れば、微妙に違う顔をした「八ヶ太郎」、「ノム次郎」や「公太郎」(縦書き)が売られる、みたいな。


こうした便乗商品の割合が増加してゆくと、品質が低下するので次第に消費者側からは敬遠されていくようになってしまうかもしれない、ということになるわけである。参入が容易であると、偶然に良いものが生まれることもあるかもしれないが、玉が減って石ころばかりになって行ってしまう危惧がないわけではないのである。新書の書き手についても、消費者が石ころを選別して排除するまでのコストというのは、それなりにかかってしまうということになるだろう。消費者側というのは、「ああ、石ころが増えてるから止めようかな」と考えるようになってしまうので、品質が落ちたなと思わせないような仕組み(例えば出版社の編集段階での選別など?)がないと、水準が低下して消費者から敬遠されるようになるのである。


大学入学者もそうかも。
参入障壁というのはちょっと違って、入学試験ということになるかな。入学の基準が厳しい(=参入障壁が高い)と大学の学力水準が維持されるが、入試基準を緩くして水準を下げると入学者(参入者)は増えるものの大学の学力水準が低下してしまう。水準が低下して「石ころが増えたな」と思えば買い手がこれを避けるようになってゆく、ということになるだろう。買い手とは、例えば就職受け入れ先といった人たちだろうか。これが続くと、次第に「石ころ」ばかりが集まってくるようになってしまい、逆選択っぽい状況になっていくだろう。


水準を下げると逆に品質低下を招いてしまって、需要が減少してしまう、ということになれば、いずれは消滅危機に曝されるようになるだろう。なので、参入を容易にしたからといって、必ずしもよい結果をもたらすとは限らないであろう。品質を保つ仕組みが機能していなければ、マーケット自体が崩壊することになってしまうであろう。



GDPギャップは「-4.3%」

2009年02月20日 17時58分23秒 | 経済関連
今こそ、財政学者の出番なのではありませんか?

08年10─12月期GDPギャップは‐43%、02年1─3月期以来の大きなマイナス幅=内閣府 マネーニュース 注目銘柄 Reuters

だそうですよ。

2%水準なんて話ではないわけで(笑)。

12月時点の財政学者の見解がどれほど「なまぬるい」ものであったか、ということでしょう。
「予測の専門家たち」は日本にいるのか

ド素人でしかない私の忠告よりも、日銀をはじめ「専門家」の肩書きを持つ人たちのご意見が重用され、彼らの意見が正しいと世間には信じ込まれているわけです。個人的には、「普通に考えれば、おおよその予想はつきそうなのに、どうしてそれが判らないのか」という疑問が消えませんね。だからこそ、「看板を降ろせ」と言いたくもなるわけで。

専門家」みたいな立場や肩書きをどれほど持っていようとも、そういう人の言う意見など「簡単には信用できない」という確信を得るに至ったわけです。この疑念は簡単には払拭されることはないだろうと思います。日本の経済学関係の世界というのは、その程度の水準でしかないというのが現状なのだ、ということです。

ダメさ加減を次々と実証してくれる人たちが次から次へと登場してくれて、私の確信をなお一層補強してくれるというわけです。
日本経済がダメなワケ

思った通りだったでしょう?
専門家でござい、なんて偉そうにしていようが、そんなのはウソばっか。
本当に役立つ人間なんてごくごく限られてるのさ。


はっきり言いますと、「普通に考えれば判りそうなこと」なのに、それが考えられない学者さまだか、専門家だか、そういう連中が多いようです。「普通に考えること」さえ難しいということなのでしょうか。

今、目の前に「ヤカン」がある。
水が1ℓ入っていて、温度センサーでモニタリングしているものとする。このヤカンの水の温度をある範囲内に保つように調節するとして、「かまど」がついているものとする。仮に、現在の室温が20℃で水の温度は10℃だとする。これから、水の温度を37℃に保つようにできるだけ努力するものとしよう。

温度が低くならないように温めねばならないのだけれども、火力が強すぎると熱くなりすぎてしまう。風呂の湯加減を調節するのに近い。ヤカンの設置状態をあまり変えることができないとしても、火からの距離とか火力とかをある程度コントロールする必要があるわけである。温度が低すぎるうちは、できるだけ早く温めた方が良いのであるから、10℃から30℃すぎくらいまでは一気に温めて、その後には火力を落とし、段々と37℃に近づけることになるであろう。

こうした「温度調節」の仕組みが「ヤカン」ではなく、200ℓの「風呂」である場合、100万ℓの「温水プール」の場合、というふうに考えるとどうなるだろうか。たぶんヤカンならば、慣れると火力も温度も調節が最も容易であるだろう。風呂はヤカンよりもちょっと難しく、火力調節が遅れると「熱くなりすぎ」たりするし、温度が落ちてしまうとヤカンほど早くには戻せないということになるだろう。温水プールになると風呂よりも更に調節が難しくなり、温度が上がって行ってる途中で早めに火を弱めないと熱くなりすぎてしまうだろう。温度センサーが「37℃」を示してから火力を止めても間に合わない、ということだ。温度が下がっている途中でも同じだろう。

こういう実例であると多分簡単に判ることなのに、何故か経済のことになるとよく判らない、というような人たちが大勢出てくるのだろう。現代社会の便利さに馴れすぎてしまった「便利脳」なのか、ぬるい「ゆとり脳」なのか判りませんが、温度設定を「37℃」にピッピッとスイッチだけ押して自動的に調節されるという生活しかできない、ということなのかもしれません。水の量が多くなればなるほど、「慣性」みたいに温度が上昇or低下する、ということが起こってしまうだろう。温度センサーの設置にばらつきがあって、温度のムラがあったりするともっと難しさが増す。完璧に温度がわかっていない状況であっても、「体感温度」とか他の人たちの反応や様子を観察するとか、色々な情報源から察知して調節をしていくわけですよ。そのような観察力も察知能力も欠けていますね、ということを言っているのである。


温度が下がってきてるから「かまど」に火を入れて早めに温めとけ、もう温めはじめた方がいいよ、と言っても、「いま温めると温度が上がりすぎるからダメだ、火力はいらない」とかボケたことを言うわけなんですよ。
財政審みたいな財政タカ派だの大蔵閥だのというのは、「温いからダメなんだ、この”ぬくさ”に甘えてるんだ、もっと寒中水泳なみに凍えさせろ」というような、「気合があれば冷たくない」派なんだよ。それでいて、財界が慌てて「冷たすぎです、心停止が起こりそうです」とか泣き言を言い始まり、「オレ達だけ温くして」という要求を出してるようなもんです。為替介入してくれ、低金利融資を優先的にやってくれ、みたいな泣き言はまさしくそうでしょ。

大事なのは、「何℃まで下がるか」を正確に判れ、みたいなことではない。
いや、それは正確に判った方が嬉しいですよ。でも、必ずしも条件が均一ではないし、正確な予測は難しいんですから。そうじゃない。そういうことを言ってるんじゃない。
このまま行くとどうなるか、プールの水温は急速に下がっていきそうかどうか、火力のスタンバイはどうするのがいいか、かまどの温め開始時期はどう考えておくか、そういった「見通し」を持っておくことだ、って言ってるの。プールの温度ムラがどうなのか完璧に調べろとか、熱量から温度を正確に割り出せとか、そういう過度に困難な要求をしているのではない。

頭が悪いヤツラに限って、プール全体像を見ようともしていないし、「かまど」の状況も頭の片隅に置いてないし、プールに入っている人数とか湯気の立ち具合とか、そういう周辺情報を見てない。寒がってる様子にも気を配っていない。あるのは、「数字」だけ。それも、デジタル時計みたいに単純化された、極めて判りやすい「37℃」という表示だけ。それしか頭にない。温度計が示す「37℃」という表示が一番大事なんだ、正しいんだ、という盲信があるから。数字だけ見て調節しようとするから、かまどの火力調節が遅れるんだっての。そういうことにさえも気付けない。○○だから。

はあ?芸術だって?
笑わせるね。

単なる学習能力の問題。芸術でも何でもない。多くは経験の蓄積である。
観察する能力というのは、経験で培われる。どこを見るべきかは、専門の現場でのみ養われる。「理屈をこねまわす」駄本の中には、一切書いていない。「そういう目」で常に観察し生活しているかどうか、だけである。自分の体感や感性とのズレを修正する術なんかは個人差があって判らない。詳しくは、専門家に聞いてくれ(笑)。私はド素人に過ぎないので、金融政策や財政政策のコツだの重要ポイントだのなんて、判らんもの。そんな現場にいた経験なんて、これっぽっちもないし。そんなに鋭い洞察力があるなら、今頃はもっと大儲けして成功できてるだろうよ。