いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

note 始めました~

2023年12月24日 09時47分50秒 | 俺のそれ
色々とありまして、日々の活動の場を twitter から移動しようかと思います。

noteさんにお世話になろうと思います。

こちら>
はまぎく


ツイッター(当方は敢えてこう呼び続けています)の表示の異常とか、twilog との連携とかが以前に比べ悪化したように感じた為ですw


どうぞよろしくお願いいたします。

聖なる水『ワクチーン』伝説の物語

2021年06月06日 12時30分41秒 | 俺のそれ
昔々ある村の教会に、一人の司祭がおりました。教会は貧乏でお金がありませんでしたが、病人を助けたり、巡礼者たちに寝食を提供しておりました。

ある日の夜、助けを求めて3人の男たちがやってきました。3人ともひどく弱っており、激しく咳込んでいました。

男達は、宝物ハンターでした。宝物が隠されたという噂話を聞き、隣村との間にある洞穴に行ったそうです。そこでミイラを見つけ、死体の下の宝物をゲットしようと作業しましたが、実際には何もありませんでした。宝探しを諦めて、この村にやってきたのです。

すると暫くして、3人とも息が苦しくなってきたのです。3人はミイラの祟りにでも遭ったのかと不安になりました。教会に来たのはその為でした。

3人は次第に衰弱し、次々に亡くなりました。司祭は彼らの看病に当たりましたが、どうすることもできませんでした。ただ、これと似た病状の人達を見た記憶がありました。体の弱った村の老人が同じような経過で死亡したことがあったのです。

司祭は、きっと洞穴に何かの手がかりがあるだろうと思っていました。洞穴の場所は3人から聞いていたので知っていました。そこで自ら洞穴に行き、確かめてみることにしました。

司祭が洞穴に入ると、もの凄い数のコウモリの大群が飛び立っていきました。中は湿っぽく、埃臭い感じがしました。男達が見た死体は、そこにありました。周辺には、コウモリの糞がたくさん落ちていました。司祭は思い出しました。「そうだ、昔、どこかの司祭が言っていたな。コウモリの糞は、要人の暗殺目的で集められていたことがあるって」

3人の男は、うっかりこれを飲んだか吸い込んだに違いない。それで死んだんだ。司祭はこの時、邪悪な考えが頭に浮かびました。まさに電撃でした。
「これは使えるかもしれない」


司祭は、木の枝を箸がわりにして、慎重にコウモリの糞を集め、皮の小袋の中に入れました。こっそりと持ち帰り、あることに利用したのです。


暫くすると、隣村で奇病と恐れられる謎の病が発生しました。村人たちは不安になり、病人を連れて司祭の下を訪れました。
司祭は言いました。
「これは、サタンの祟りだ。間違いない。地獄の刻印を受けた者は助からないだろう。それを避ける唯一の方法は、聖なる水『ワクチーン』を飲むことです!」

「今、ほんの少しだけ、聖なる水『ワクチーン』があります。これは簡単には手に入りません。お望みの人には、金貨1枚と交換して差し上げましょう」

人々は先を争って『ワクチーン』を飲みました。中には大金を払うから、先に譲ってくれと申し出る者もいました。
実際は、きれいなガラス製の小瓶に入れた、ただの井戸水でした。それでも、大勢の人々がこれをありがたがって飲むのです。


貧乏だった教会は、ワクチーンのお陰で大いに潤いました。司祭の名声は次第に広まっていきました。司祭は手下を数人雇い入れ、コウモリの糞集めと離れた村々にそれを撒き散らしに行かせました。すると、どうでしょう!

司祭の持つ聖なる水、ワクチーンを求める人々で一杯の、長蛇の列が教会に続いてゆくようになりました。

司祭は大金持ちになりました。
コウモリの糞が、たくさんの金貨になったのですから!
こんなワクチーンなんていう、ただの水を求めて、人々が大金を払ってくれるなんて。笑いが止まりません。


ある時、隣村のはずれに住んでる、魔女と呼ばれ恐れられていた老女がおりました。老女は買物に村の市場にやってきた時、ふと言いました。
「あの病気は本当にサタンの祟りなのかねえ?毒キノコを食べた人に、似た病状の人を見たことがあるよ、あたしゃ。聖なる水だって、ただの川の水と変わりゃしないよ、ふっふっふ」

商店主は老女に言いました。「あんたなんかに何が分かるんだね?司祭さまが嘘を言うわけないじゃないか。あれは悪魔の仕業なんだよ。あんたも死にたくなけりゃ、ワクチーンを手に入れて飲んだ方がいいよ」

商店主は店に納品に来た農家の男に、この時の話をしました。「ホラ、例の魔女がいるだろ?あいつがさ、司祭さまの批判をしてたんだよ、毒キノコか何かでも同じ病気が出るってさ」
農家の男は「ふーん、そいつは聞き捨てならねえなあ、何とかしなきゃな。神に逆らうとは、とんでもない不届き者だ」

農家の男は司祭に会いに行きました。「司祭さま、魔女のやつがとんでもないデマを言いふらしているんでさあ。サタンの祟りではない、って言うんでさあ。ワクチーンも川の水と同じだって言ってましたってさあ」

司祭は激怒しました。「神を冒涜する不埒な悪魔め、やはり魔女の正体を現したな、きみたちで悪魔を懲らしめてやって下さい。少々手荒なマネをしたって、神様がお赦しになるでしょう。トコトン分からせてやりなさい」

農家の男は、村人たちを連れて、老女の家を訪れました。
「やいやい、この魔女め、司祭さまに逆らうとはとんでもないヤツだ、二度と市場に来るんじゃねーぞ、分かったか」

老女は言いました。「あんたたちが司祭に騙されているかもしれないよ、って、忠告してやったんじゃないか。金貨が無駄になっちまっても知らないよ?あんた達のことを思って、言ってやっているのに、どうしてそれが分からないのかねえ」

村人たちは言いました。「魔女のお前なんかより、司祭さまは知識も経験もずっとお持ちなんだよ、立派な司祭さまが騙すわけないじゃないか。嘘を言ってるのは、お前の方だ。おいみんな、やっちまいな!」

老女の家をメチャメチャに破壊しました。男たちは帰り際に、言いました。「いいか、魔女め、次からは、勘弁しないからな、火あぶりにしてやるぞ」


相変わらず、近隣の村であの奇病が発生していました。どこで起こるか分からないので、村人たちは恐れていました。ワクチーンを求める人々の列は、どこまでも続いていました。「今日の分はもうおしまいになったそうだ、明日、また並ぼう」


あの農家の男はワクチーンを飲んでいたので、自分は絶対に大丈夫だと固く信じていました。ところが、離れた村の市場に農作物を売りに行った後から、具合が悪くなりました。あの奇病と同じ病状です。農家の男は不安になりました。「おかしいな、ワクチーンを飲んだのに、何故なんだ」

司祭さまに相談に向かいました。すると司祭は言いました。「聖なる水は、邪心の者には効果がないことがあるのだよ、あなたは大きな罪を犯しましたね?そのせいで効かなかったのです。悪魔の手に落ちたんですよ、あなたは。地獄の刻印が見えますよ、あなたの額に」

農家の男は失意のまま、自分の家へ向かいました。「おいらは一体何の罪を犯したのか?何も思い当たるフシはないのに。息が苦しい…何故おいらなんだ、おいらは信仰心も篤かったのに、どうしてなんだ、神様。いや、待てよ、魔女の家を打ち壊してしまったな、アレが悪かったのだろうか、心から謝罪すれば神様は赦して下さるだろうか?」


農家の男は死を覚悟していました。何とか神様に赦しを懇願して、助けて欲しいと思いました。そこで、心から謝罪する為に、魔女の家に向かいました。

魔女は壊れた家の脇の、ヤギの小屋に住んでいました。
男は真剣に詫びました。
「お前さんを懲らしめようと思ってしたことが、こんなことになってしまった。奇病になっちまったんだ。司祭さまはおいらの額に地獄の刻印が出てると言って、見放されてしまった。お前さんを苦しめた罪で、おいらは悪魔の手に堕ちてしまった。ごめんよ、本当にすまなかった。どんなことでもするので、おいらを許しておくれ」


老女は言いました。
「おまえさん、相変わらずバカだねえ。地獄の刻印なんざ、見えやせんよ。だってはじめからそんなものはないんだからねえ。あたしゃ昔、修道女の下で一緒に暮らしたことがあるんだよ。薬の調合も習ったもんさ。司祭の言葉の半分以上は嘘、って修道女はみんな知ってたよ。病気になるにはねえ、大抵の場合、その元になる理由ってのがあるのさ。毒キノコだって同じさ。それを体の中に入れてしまうと、病気になっちまうってことさ。

これは、あたしの勘だけどね、それはこのカビたパンを食べれば、どうにかなるかもしれないね。昔、似た病気の旅人が偶然持ってたのが、カビたパンでね、それを食べてたら自然に治ったって言うじゃないか。どうだい?おまえさんも、それに賭けてみるかい?」

農家の男は言いました。
「許されるなら、何だって従います。もう先の短い命なんだ、何でも言う通りにするよ」


数日後、ヤギの乳を飲み、カビたパンを食べ、体を大事にしてゆっくり過ごした男は、奇病から回復しつつありました。魔女と呼ばる老女の調合した、苦味のある薬草の煎じ湯を飲み、養生したら、治っていったのです。

男は悟りました。本当の嘘つきは、司祭はだったのだ、と。地獄の刻印など、なかったのだと。
聖なる水『ワクチーン』はただのデタラメで、金儲けの手段に過ぎなかったのだ、と。村人たちは完全に騙されているのだ、と。

司祭は、どうして、こんなことを?

老女は言いました。
「おまえさん、助かったからといって、ここでのことは人には言っちゃいけないよ。もし司祭の嘘をばらすと、今度はおまえさんが半殺しか、いや、本当に殺されちまうからね。今や、司祭の権力は絶対だ。周辺の村の村長や有力者たちと昵懇だし、金貨の威力で司祭には誰も逆らえやしない。貴族もみんな買収されてるよ。少しくらい騒いだ所で、司祭を味方する連中が処罰なんかするもんかい。
地獄の刻印が嘘だ、ワクチーンは何の効果もないただの水だ、なんて言ったって、誰も信じやしないよ。おまえさんも狂ったと言われるだけさ。だから、余計なことはしない方がいいよ」


農家の男は言いました。
「本当に申し訳ありませんでした。神様は、私に罰を与えたのではなかったのですね。真実を見る目を授ける為に、試練を与えられたのだ。そして、本当に神様に仕えているのが、魔女呼ばわりされてるあなたのような人だと、教えて下さった。あまりの怒りで、司祭に抗議しに行こうと思っていたが、あなたの助言に従い、目立つことはしないようにします。ただ、真実をほんの少しでも誰かに知ってもらえるよう、盲目の人々に伝えていこうと思います。この御恩は一生忘れません」


老女
「これも勘なんだけどね、司祭はあの奇病の元になる、何かをどこからか持ってきて、撒いてるんじゃないかと思うんだ。恐怖の奇病の正体は、病気が起こる時期に、同一人物がその村を訪れているんじゃないかと睨んでる。そいつが誰かを割り出せば、止められるかもしれない。おまえさん、それを密かにやってもらいたいんだわ。絶対裏切らない仲間を作って、それをやってごらんなさいな。それが罪滅ぼしってもんさ」


農家の男
「わかりました、やってみます。あなたのお陰で救っていただいた命、人々の役に立てるよう行動しようと思います。司祭の悪事を止めてやる。」



男が生還したことに驚き、涙ながらに喜んでくれた妻と、自身の兄弟だち、そして親類の男で、奇病の捜査を開始した。
尾行を続けた結果、司祭の下をこっそり訪れる男と、その連れを割り出した。彼らが普段はあまり行かない村を訪れた後で、決まって奇病の発生があることが分かったのだ。やはり老女の勘は当たっていた。


そして、連れの男が例の洞穴に行くのも判明した。その帰り際、農家の男たちは捕えて、自白を迫った。連れの男は、簡単に口を割った。
「脅されて命令されてやってるだけだ、ここの洞穴に落ちてるコウモリの糞を吸い込むと、病気になるんでさ。司祭と直接会ってるのは、兄貴だけっす。兄貴はかなり金貨をもらってるんでさあ」

農家の男達は、連れの男を使って、兄貴を呼び出した。
真相を聞かされた村長らの前で、悪事の算段をしてる所を動かぬ証拠として押さえることができました。一部の村人たちは、騙されていたことに気付くことができたのです。
村人たちは、洞穴を土砂崩れで埋めて二度とコウモリの糞を採取できないようにしました。


司祭は、彼らのことなど一切知らぬ存ぜぬで押し通して『ワクチーン』商売を続けました。
村の役人や警護兵らは司祭が買収してあり、彼らの罪は一切のお咎めなしとのことでした。調査の結果、野犬や野良猫などが偶然コウモリの糞を運んだせいで、奇病が拡がったのだ、という結論になってしまったからです。真相は闇に葬り去られました。お金の力には誰も勝てないのです。


時間が経ち、教会へと続いていた大勢の人々の列は、今では誰もいなくなりました。

老女の言う通り、司祭が罰せられることはありませんでした。
教会と司祭が大いに潤い、大金持ちとなったのは動かし難い事実なのです。誰一人として、お金を取り返した者などいません。


元から似た病気は存在していたのに、司祭の言う「サタンの祟り」の言葉を信じたせいで、恐怖と不安から司祭の言いなりになってしまったのです。

忠告した老女の声に耳を貸すどころか、逆に酷い仕打ちをしました。魔女だと決め付け、馬鹿にして、権威ある司祭の方が正しいという意見を押し付けただけでした。


聖なる水『ワクチーン』で儲けた司祭や貴族たちは、今でも金貨でザックザクです。誰も彼らを罰することなど、できないのです。

神様以外は。


謎の諺『雄弁は銀、沈黙は金』問題

2020年06月22日 14時22分00秒 | 俺のそれ
昨日あたりから、自民党の宣伝?か広報活動か何かで、本当はダーウィンが言ってない言説という話が盛り上がっているらしい。それに触発されたこともあり、自分も過去に気になっていたので少しネットで調べてみた(あくまで私個人の見解です)。


それがこの「雄弁は銀、沈黙は金」である。書いたのは07年9月だった

>https://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9dcee2297efebc944ca4a69c13150229


元はデモステネスの「沈黙は金」がよく知られており、だが、ネット検索で上位の説明ではそれが本当かどうか謎で、むしろ「ガセではないか」とする意見が見られていた。

それを見て、当ブログでも「ガセらしい」と述べた模様。あまり詳しく調べたわけではないので、適当にそう書いてしまったのだな。



で、本日改めて探してみた所、非常に参考になるブログを発見

こちら>https://hyorohyoro.hatenadiary.org/entry/20061012/1160666016

トーマス・カーライル説ですね。英語では

『Speech is silvern, silence is golden.』

である、と。
一応wikipediaも見てみる>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%AB

『衣装哲学』(1833~34年?or 31年?)によれば、スイスで見たドイツ語の石碑の碑文とのこと。ブログの説明と合致してる。なるほど。

で、元のドイツ語というのは何か?

ドイツ語の単語で検索してみたら出てきたのがこちら

>https://www.btn-muenzen.de/finanzmarkt/geld-im-volksmund/ausdruecke-fuer-geld/reden-ist-silber-schweigen-ist-gold

『Reden ist Silber, schweigen ist Gold』とある。

DeepLの翻訳のお陰で、随分と助かりました(笑)。ここでは、先のトーマス・カーライルの他、グスタフ・フライターグ、ヨハン・G・ヘルダーなどの19世紀頃の研究者たちの名前も挙がっている。

16世紀以降のラテン語文献での

"Narratio argentea, Silentium vero aureum est"

との記述を発見、ともある。随分と前からあったものであろう。

が、トーマス・カーライルが見たドイツ語碑文は何処からきたのか?

更にドイツ語で検索すると、デモステネスと繋ぐ本を発見!


>https://books.google.co.jp/books?id=hYQOAAAAQAAJ&pg=PR2&lpg=PR2&dq=Historische+und+philologische+Vortr%C3%A4ge,&source=bl&ots=3bf1v80a3p&sig=ACfU3U1E8D2jCyQB9ZmX1PTjeh59xcrZ3w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjkpd7KxpTqAhUqw4sBHVG3Bw8Q6AEwAXoECAkQAQ#v=onepage&q=Historische%20und%20philologische%20Vortr%C3%A4ge%2C&f=false

1848年に書かれたもので、ドイツ語のうえ字体が見慣れない活字で判読が難しかったが、名前が分かった。

Barthold Georg Niebuhr

である。wikipediaは日本語ですw

>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB


ニーブールの本は、1848年のものであるが、死後に発行されたもので、題名が

『Historische und philologische Vorträge,an der Universität zu Bonn gehalten』

です。DeepL訳では「ボン大学で開催された歴史的・言語学的講義」となります。

ニーブール教授は、ボン大学に1825年から所属し、本は29~30年の講義をまとめたものと思われます。つまり、「カーライルの碑文」本よりも以前の講義、ということです。

で、殆ど内容が分からないわけですが、p474にデモステネスの記述がありました(google先生、ありがとう)。

それによると、

『Reden ist Silber und Schweigen Gold zu seiner Zeit.』

です。(詳しくはドイツ語が分かるかたがじっくり本を研究して下さいませ、お願い致します)

当初探してたドイツ語文は、

"Reden ist Silber, schweigen ist Gold"

でしたよね?

けれども、ニーブール教授の講義では微妙に違っていたことが分かります。「zu seiner Zeit」が時代とともに消えてしまったみたい。

DeepL訳では「語りは銀、沈黙は時の金」と出ますが、ちょっと違うような気も(素人のくせにゴメンナサイ)。


諺風に言うなら、「雄弁は銀だが、沈黙は時には金」とかですか?


ニーブール先生は、デモステネスの項を設けているほど詳しい方なのでは?
そして、古代ローマ時代の文献研究が熱心だったものと思われ、デモステネスがその諺(オリエント由来らしい?)を知ってた(言ってた)と紹介していたものと思います。


なので、「デモステネスが言ってた」説はニーブール先生によれば妥当かもしれない、とも思いますが、どうなんでしょうか。

スイスの碑文に何故ドイツ語の諺が刻まれたのかは、分からないです。それがどこで、今どうなっているのかな?
ドイツ語圏で、19世紀頃にどうしてこんなに広まっていたのかも不明ですね。


意外な発見があったことは確かです。ドイツ語の活字も読み難すぎだしw



平成年代の終わりに

2019年04月25日 14時05分43秒 | 俺のそれ
平成の世は、突如としてやってきた。
正月明けの七草粥と伴に。

そして今、あと数日で訪れるのが、令和の時代だ。

唐突な終わりを迎えることを望まれなかった天皇陛下が、国民の日常生活にできるだけ影響を与えぬようご配慮されたが故に、この度の譲位となったのである。これも戦後の「新たな皇室」の形と言えよう。


私にとっての昭和は、遠い記憶の中でしか残っていない。特に日記や記録をつけていたことがないからだ。せいぜい今では殆ど見ることのない卒業アルバムに、記憶の断片が少しばかり見つけ出すことが出来る程度だ。


それに比べると、令和の記憶はサイバー空間の中に暫し留めておけるかもしれぬ。
歳とともに劣化してゆく私の記憶を補う備忘録として。


昭和が終わり平成を迎えた時、私はどう感じ、何を考えたのか殆ど憶えてはいないが、今度は忘れぬよう、平成と令和の狭間における雑感を記しておきたい。


私の昭和は、青春時代だった。赤ん坊が青年へと成長する過程が、昭和年代だった。

平成は、これまでの自分の人生の過半を占める年代である。

大学を卒業し、就職し、結婚して、子供が生まれ育てた時代。仕事上でも家庭生活でも、変化に富んだ年代であった。また、私の、そして妻の父も亡くなったのは平成年代だった。


今では我が子が就職してそこそこ自立するようになり、自分の肩の荷が少しばかり降りたような気がする。今後老いてゆく私達夫婦には、新たな課題か役割があるのかもしれないが、それが何かは全く分からない。まだ探し中である。


仕事上では、自営になってみて、色々と知ったり勉強になったことは多かった。自分の才覚で食べていかねばならない、というのは、やりがいもあるが不安もある。自分には、これといった自信の源があったわけじゃない。ただ「何となくやってみる」って勢いに任せて飛び出したようなものだった。その蛮勇と決心は、今となっては非常に良かったと満足している。


けれども、これまでの道のりが今後も続くわけではないので、自分の将来には不安はある。老いは確実に身体面で衰えをもたらすので、過去の自分と同じことができるとは思っていない。だからこそ、まだ見ぬ未来の生き方を考えてはいるのだが、まだ何も思い浮かんではいない。自らに仕事を課す必要があるが、それが発見できてはいないのだ。


それと、時代の変わり目を実感する出来事があった。
平成の終わりに近づく今年の春に、病床に伏していた私の恩師とも言える人が亡くなったのだ。若輩者だった私を育ててくれた人だった。
言ってみれば『NARUTO』に出てくる、自来也先生のような存在の人だった。


私はその方が亡くなる前に見舞いに行くことができたのだが、そこではじめて最期の近いことを知らされた。

私は、これまでその方に特段の感謝の言葉を述べたことがなかった。一緒に酒を呑んだり、議論したり、麻雀をしたりは沢山してきたのに、何故か「ありがとう」の一言さえも伝えたことがなかった。


けれども、病床で苦痛と戦い続けている姿を見て、生まれて初めて「貴方が私の師匠です、私はあなたの弟子です、今の自分があるのは師匠のお陰です、本当に有難うございます」と、涙ながらに必死で伝えたのだった。


号泣する私の手を、その方は最後の力を振り絞り、グッと握りしめてきた。もう声を出すことは出来なかったが、師匠の握る力の強さとカッと見開く表情に、自分の感謝が師匠に届いたんだ、と悟った。


そして、師匠がこれほど喜んでくれた姿を見たのは、初めてだと思った。


私がまた一つ死への一里塚を過ぎた日から2日後、その方は息を引き取った。亡くなられたのはとても残念だったが、最後に自分の思いを伝えることができたのが師匠への唯一の恩返しだと思えた。


師匠の死は、大切なことを教えてくれた。
自分が普段から思っている「ありがとう」の気持ちは、早くから伝えた方がよい、ということだった。人の死は、いつも突然やってくるのだから。自分の感謝を伝えられないと、随分と大きな心残りとなると思うのだ。


平成の終わりの出来事といえば、これからもずっと、師匠の死を想い出すに違いない。



最後になりましたが、もう一つ大事なことを記しておきたい。


天皇・皇后両陛下、長きに渡り、多大なる重責を果たされましたこと、心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

まさしく、日本国そして国民にとっての、父と母のような深い慈愛と、いたわりと、強さを与えて下さる、かけがえのないお立場を貫いてこられたと思います。


特に、大勢の国民が大きな天災地変によって傷つき、悲嘆にくれている時、痛みを和らげ、生きる勇気をくださるお言葉を頂戴したことが、どれほど多くの国民を救ってくれたことか。

東日本大震災と福島原発事故の悪化により、毎日が不安でたまらなかった国民にとって、陛下ご夫妻のいつもと変わらぬ姿勢と温かい思いやりのお言葉が、どれほど安堵をもたらしたことか。

感謝し尽くしきれぬ御恩を頂戴しました。


私にとって、昭和の終わりと平成という新時代の到来は、単に「ああ、天皇が代わるんだな」というものでした。当時の私は、社会のことなど右も左もよく分からぬ、ふわふわした学生気分に浸っていただけの、若造でしたので。


元号が変わることも、新しい天皇が即位することも、私にとっては、あまり関心のないことでした。何となく「報道で知る」という程度のものでした。

ですが、自分が年齢を重ねたり、家庭を持って子育てしてみたりすると、段々と天皇・皇后両陛下への関心も感じ方も変わっていきました。


何故テレビでは「天皇制反対か否か」といった議論をこんなにやっているのか、大した興味もなく考えたこともなかったし、自分にとって天皇制の有無が重大な関心事ということでもありませんでしたが、両陛下のお姿をニュース等で拝見するにしたがい、何かを感じ取るようになったと思えます。


個人的な感想ですが、多分「祈りと語りかけ」のようなことです。
国民生活の安寧と国土安泰を願い、全国民の為に、全国民になりかわって祈ること。そして私達国民に、「お気持ちを伝えるべく、話しかけてくださる」ということ。


そのお言葉が、私の胸に響いてくるようになったのです。


常に国民のことを思い、無私の愛情と慈しみを注いでおられる両陛下が、国民に対しどのような範を示しそうとされておられるのか、私自身が一人の父親として何かを感じるようになったのだと思います。恐らく唯一の歳の功は、平成の初めには見えなかったものが、少しは分かるような大人になれたということです。


当然といえば当然ではありますが、両陛下は何かを自慢したり、力で無理強いしたり、恩着せがましく言うことはありません。人知れずそっと、なすべきと思われることをなし遂げてこられました。


ただただ祈りと愛を国民に与え続けてこられたお姿によって、本当に国民から愛される天皇家を戦後はじめて実現されたのだと思います。国民に注ぎ続けてこられた愛がいかに大きく深かったか、そのことが国民から愛される源になったものと思います。


昭和天皇は、昭和年代における戦争の罪業と戦後復興期の新たな民主主義国家を背負わねばならず、様々な意味においてご苦労をされたことでしょう。

同じ一人の人間が、どちらの責任も担う立場となれば、厳しく追及してくる国民がいるのも無理はなく、国民から愛される「開かれた皇室」を実現することは、極めて困難だったでしょう。


平成天皇は、皇后陛下の愛と支えによって、それと等しく国民にも非常に深い愛を注がれました。多くを語らずとも、無私の愛が大勢の国民の心を動かしたのだと思います。

これまで誰も見たこともなく、存在してこなかったであろう「新たな天皇像」を、自らの努力と挑戦によって、年月をかけながら静かに作り上げてこられたというのが、私個人の印象です。


平成年代は、両陛下のお考えや姿勢によって、国民が心から敬愛する、戦後はじめて「わたくしたちの天皇陛下」が誕生した時代だったと思えます。


極端に言えば、法律は「お上の決めたもの」として、国民に降ってきます。けれど、「わたくしたちの天皇陛下」とは、国民が自ら望み選びとった結果なのだと思えます。制度上の「決まりごと」としてではなく、国民が待望する「天皇」が自然に立ち現われてきたのだと思います。「開かれた皇室」とは憲法や制度でもって国民に対し何かをするのではなく、国民自身が自分の意思で「心を開く」というようなことだと、思っております。


「君が代」斉唱問題で揺れていた時、天皇陛下は園遊会での故米長名人に「強制はいけません」と穏やかにたしなめられたことがおありかと思いますが、人は心に響けば自ずと心は開かれてゆくことを示唆されたのではないかと受け止めておりました。



今後、両陛下には、是非ともお身体をいたわっていただきとうございます。
譲位されたとはいえ、時には国民にお言葉を頂戴したり、お元気なお姿を見せてくださると、大変心強うございます。


これからも、日本という国を、そしてわたくしたち国民を、これまで同様、見守って下さればと思います。


長い間、大変な重責を全うされましたこと、幾多の困難や御苦労を乗り越えられましたこと、改めて厚く御礼を申し上げるとともに、末永く天皇家と日本国が繁栄するよう祈念申し上げたく存じます。


まことに、ありがとうございました。


イチローにありがとう

2019年03月22日 16時11分04秒 | 俺のそれ
昨日から、イチロー引退の報一色となった。

心から感謝を述べたい。偉大な選手を同時代に見ることができて、本当に幸せだと思った。

長嶋さんの現役時代をほんの少ししか見てなかったので、伝説には聞くけど、試合中の実感というのはあまり強くは印象に残っていなかった。むしろモノマネとか回顧映像とかの方をよく覚えていた。


初期の頃、イチローは「若武者」って感じだった。

メジャーに行く時、日本人野手は相当厳しいと思っていた。パワー負けするんじゃないかと。
俊足巧打タイプにとっては、中々厳しい世界ではないかと。


だから、これほど長きに渡り活躍できるとは、想像もしてなかった。

今では、修行僧か居合剣士って感じだ。


イチローの記憶で、最も深く心に刻まれたのは、やはり09年のWBCで世界一になった時だ。

偉業とも呼ぶべき数々の記録達成も勿論凄すぎるんだが、イチローの苦悩があれ程までに伝わってきたことはなかったので、最も印象深いものとなった。


負けたら終わりのSFキューバ戦で、バットコントロールの鬼、いつも軽々とセーフティバントを決めてきた、あのイチローでさえ、あまりの重圧にまさかのバント失敗をしてしまったのだから。


他の、普通の選手が送りバント失敗をしてしまい、小フライを上げてしまう、ってのは、時折見かけるでしょう?
いつもは4番とか上位打順の打者が不慣れなバント指示をされ、失敗するとかって話ではないんですよ。


ボールを捌く、バットに当てる、そういう技術面で最も優れた能力を示し続けてきた、あのイチローさんが、凡ミスにしか見えないようなバント失敗をしたんですから。


険しい表情のイチローの目や顔が忘れられない。
あのシーンを思い返すだけで、こうして書いていても、涙ぐみそうになるよ。


次の打席では、極度の不振続きだったイチローが、飛んだ所が良かったっぽいヒットでチャンスを拡げ、遂に呪縛から解き放たれていったのさ。


この苦しんだキューバ戦で蘇ったイチローは、決勝の韓国戦でも、バントヒットや9回長打、そして延長での劇的な決勝2点タイムリーを放ち、累上で勇ましい姿を見せることができたんだ。


求められるものが高いイチローだからこそ、そしてその責任を一身に背負って戦っていたイチローだったからこそ、あれほど苦しんだのだと思う。

「一本出れば」

スランプに陥った選手なら、似たような経験はあると思うが、短期決戦の中で―例えば10打席連続ノーヒットとかだと、そりゃあ苦しさを感じるよね。シーズン中なら、ちょっと休め・他の誰かが出ればいい、といったことはあるけど、国際大会の準決勝とか決勝になると、そう簡単な話ではないし。


日本代表のチームリーダー的立場であることは、イチローが最も理解していて、発言や行動でもチームを引っ張っていたわけだし。「野球」の素晴らしさと伝えることや大勢の国民を惹きつける努力の一環、という競技の将来発展なども見てたんだろうな、とも思うし。


だから、イチローを替えるわけにはいかない、って面と、監督コーチの立場を思えば「打てなくて申し訳なく思う」というイチローの葛藤のようなもの、チームメイトにも申し訳ない、そういうのがいかにキツく辛いか、当人を苦しめるのか、って感じたんだよね。


心に突き刺さったままの、幾多の棘が抜けると、人間ってこんなに立ち直れるものなのか、割と直ぐに戻れるんだなって、驚いたもの。


だから、どんなに凄い選手でも、大きな試合とか五輪とか、そういう場面になれば、重圧とか苦悩とか、私のような凡人では知ることのできない景色があるんだろうな、と思う。極度の緊張の中で戦うってのは、本当に大変なことなんだなと。


イチローがこんなに長く活躍できたのは、そういうイチローにしか見えない景色の中で、常に挑戦し戦い続けてきたからなのだろう。時にストイックとか言われるのは、そういう一部が垣間見えるのかも。


イチローから見れば、大谷くんみたいな「恵まれた素材」を持つ選手には、自分よりももっと上に行って欲しいと、心の底から願っていることだろう。


他のプロスポーツに押されがちだけど、野球は日本に根付いているスポーツなので、今後も野球文化を育んで欲しいと思う。


本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。


>>イチロー殿



平成最後の「あけましておめでとうございます」

2019年01月01日 17時34分36秒 | 俺のそれ
昨年中は、大変お世話になりました。

拙いブログ(死後?w)にも関わらず、訪れていただいた方々皆様に、御礼を申し上げます。

今年も宜しくお願い致します。


これまでは、多くの方々に背中を押してもらった気がして、本当に感謝しております。

今後は、自分が誰かに勇気を与えられるよう、微力ながら書いていきたいと思います。


ここ最近は、自分がこれまでいかに愚かだったのか、ということを気づかされる毎日で、
生きることが周りの先生に教わることなんだという思いがしています。


楽しい1年を目指して頑張ります!


どうぞよろしくね💛


タイの洞窟の少年たちの救出作戦について

2018年07月06日 08時22分41秒 | 俺のそれ
よく知らなかったのだが、タイの洞窟内に少年たちが閉じ込められているらしい。

水が溜まっており、そこは潜水しないと通過できないので、救出ルートが作れず困っている、との事。


先程、ネット記事で少し見たので、素人考えながら、少し思いついたことを書く。


まず、脱出路の全行程が水没しているわけではないと思うので、水深の深い地点をどう通過するか考えた。

用意するもの

・ビル火災の時に降りる為の避難器具に似た、円筒形のシューターのようなもの
(ウォータースライダーの時のチューブ状のようなもの、周囲が軟かい、形状変形が自由にでき、水を通さないもの)

・タイヤのチューブ(浮き輪状、ドーナツ型)


洞窟の水没地点の距離によるが、チューブを水中を潜らせて、進入地点と脱出地点に両端を設置。このチューブの周囲には、タイヤのチューブ数個のドーナツ状の所を通しておき、設置後空気を入れて膨らませる(浮き輪がわりに使う)。

洞窟の岩肌が鋭利だとチューブに穴が開き、中に水が入ってしまうと通過路にならなくなるので、要注意。

チューブ設置は潜水斑の人たちがやる。
チューブを洞窟水没地点の両端に通せたら、内部の水を抜いて、潜水が必要な地点をチューブ内を通って脱出する。チューブは周囲に浮き輪があれば人が通っても沈没はしないはず。

これだと潜水せずとも通過できるかもしれず、水中トンネル的に使うということである。
救出班の専門の人が1人、先導して、後続に少年を一人ずつトンネル内を進む。映画のエアダクト内をハイハイするように、水中トンネルを進むのである。


水没地点の距離が遠い場合、チューブの連結とか、水中を最初に運ぶ作業が難しいかもしれないが、素材が蛇腹風に延ばせるものであれば、通した後で水さえ抜ければ、周りの浮き輪が支えてくれるかと思うが、どうだろうか。


入口部と出口部は、杭等でしっかりと固定する。人が出入りしても、水没しないようにしておく。


途中で破れたり裂けたり穴が開くと、水が入ってきて最深部に水が溜まるので、危険になるから、素材は丈夫さと水を通さないことが必要。


要するに、ドーナツ状の浮き輪複数個の中心部分に、チューブ状のものを通して、それを水中トンネルとして使う、ということである。
設置さえできれば、チューブトンネル内の水を抜くのは、最悪機械がなくても可能かと。高低差があれば、サイフォンの原理で排水できる。


可能かどうか分からないが、何かのヒントになれば。

できるだけ早く、少年たちが無事救出されることをお祈りしています。


※※11時半頃、追記:

水中に設置するトンネル部分の素材なのですが、丈夫なゴムボートみたいな材料か、飛行機の脱出用シューターの筒状になっている部分で、サイズが合いそうなものはないでしょうか?

恐らく直径50センチ程度あれば、人がハイハイで進むことは可能かと思うのですが、どうでしょうか?
何か、ゴム屋さんとかで、そういう筒状にできるものをご存じであれば、検討したり材料提供とか、お考えいただけないでしょうか?


14時半ころ追記:

救出作業の隊員が酸欠で死亡との報道が。悼ましいことです。残念です。
どうやら洞窟内は距離が相当遠いようなので、空気(酸素)ボンベが切れるらしい、と。

救出作戦の前線基地みたいなのを作っているとは思うのですが、洞窟内をボンベを移動させるのはかなり難しいので、できれば深海探査等でも耐えられるような、耐圧ホースを伸ばすことはできませんでしょうか?


洞窟外の巨大ボンベから、ホースを数百mとか1km先まで伸ばせると、その地点にカラボンベを置いて、充填をしなおせるのでは?

これと似た作業を繰り返して、重いボンベを運ばずとも済むように、耐圧ホースの先を中継地点ごとに伸ばすのはどうでしょうか?バケツリレーでなく、ボンベリレーっぽい方式という意味です。

これだと、奥から戻ってきて空気充填を繰り返せる距離が短縮できるのでは?


・入口ボンベ ~耐圧ホース~
・中継地点A ボンベA1、A2、A3、…… ~耐圧ホース~
・中継地点B ボンベB1、B2、B3、…… ~耐圧ホース~
・中継地点C ボンベC1、C2、C3、…… ~耐圧ホース~
  ……

みたいに、次の地点のボンベに耐圧ホースを通じて空気を順送りにする。ボンベを運搬する手間が減らせるかも、と。パイピングの挿入口と開閉バルブ(コック)が付いているものがあればいい。カラになったボンベに順次、空気充填を繰り返す。

高圧ホースを延長してゆく作業の時、蛍光テープをところどころ巻いた方がいいかも。万が一、トラブルでホースの位置を探す時、見つけ易いように。ネットで探すと専用のジョイントがあるようなので、継ぎ手で先に伸ばしてゆけば、1km先とかまで到達できるようになれば、ボンベ運搬作業は楽になるかもしれないし。


洞窟内の完全潜水が必要でない場所なら、高さが40センチ程度天井まであれば、「いかだ」方式で渡れるかも。
よく大きな川や水辺の向こう岸へ渡るのに、ロープ伝いに行くという方法。

ゲレンデのリフト方式みたいに、ロープを輪にして、水の向こうとこちら側とを連絡させる。ロープを手繰ると、くくりつけてある浮輪か小さいゴムボートで渡り切れるのでは?


完全水没してて、潜水が必要な個所については、上に書いたような水中トンネル式のゴム筒のようなものか、塩ビっぽい蛇腹の筒かをハイハイして渡る。筒の設置さえできれば、くぐり抜けることはできるはず。筒内の水抜きも、普通のゴムホースがあれば、息で吸い出して低い地点に流せば排出できる。よく途上国の車のガソリン泥棒が抜き取る手口と同様だ。


できれば、最前線基地は、潜水必要な洞穴部分の出口側に設置できるといいのだが。それがどれくらい奥なのか、高さがあるか分からないんだが。

洞窟内の地形とか、水没してない地点の状況が全然分からないのだが、一番の難所のトンネル方式だけど、水を抜ける高低差がないなら、ゴムいかだを入口側に並べて設置し、その上に空気ボンベ等を置けるようにする。救命用のほどくと自動的に膨らむやつを持って行ってもいいのでは(空洞内のサイズが分からないので、サイズに合うもの)。

水面に救命いかだみたいなのを中で膨らませて連結して並べれば、最前線基地の代わりになりませんか?


あと、設置したゴム等のトンネル内の水を抜くのに、小型ポンプをゴムいかだに乗せて作動させれば抜けるのでは?

狭い空洞内を向こう側とこちら側で筒状のトンネルを設置するのは大変だと思うが、できないでしょうか?
入口を沈まないように固定できるものがないかもしれないですが、それも、少年たちのいる側に陸地部分に固定する、か、ゴムいかだを連結して並べて、入口部分をそこに挟み込むことで沈まないようにする、とか。


更に追記17時頃:


ゴムチューブっぽい、水中トンネル設置がどうしても難しくて不可能、として、他の案ですが、結構チャレンジになるかと思いますけど、時間との勝負なので、書いてみます。

まず理屈から説明しますと、一番狭い潜水部分を、「水枕のようなゴム製の袋」の形で、ロープで前後から引く、というものです。密閉性があればよく、内腔の空気が10リットル程度あれば呼吸は20分程度は耐えられるのでは。

ゴム製の繭のようなもので、その中に少年を入れて、潜水部分をその袋を引っ張る、ということです。素材が丈夫じゃないと裂けてしまうと大変なので、密閉性と丈夫さが必要です。潜水が必要な部分をその袋を往復させることで、脱出させます。

とは言うものの、本当にゴム製の密閉袋が破れないのか、少年を入れて口を閉じるわけですが、そういう構造を持つものが存在しているのかどうか、は分からないのです。


連絡用ガイドロープを通し、袋の往復に必要な人員を配置して、相互に引くということになります。内部に人が入っていなければ、戻すのは比較的簡単だと思いますが、重量のある人間が入ると、岩盤に擦れたりして外皮が裂けるのではないか、という恐れがあります。それこそホバークラフトの材料のような頑丈さが必要かもしれませんが、水枕ふう、若しくは繭の往復作戦、はどうでしょうか?


今の処、最難関部分の通過方法として、拙ブログで思いつくのは、トンネル方式か、繭方式、くらいです。



これからもっと「自分たちのサッカー」の追究を続けてほしい

2018年07月05日 20時50分11秒 | 俺のそれ
大勢の人々が口ぐちに惜しかった、残念だった、と語り合ったことだろう。

本当に、本当に惜しかった。ここまで悔しく残念な気持ちは、滅多にない。

この責任は、ぼくにもあるのではないかと、反省している。すまない。


大反省会の記事は1日時点で書いており、ネットに公開したのは、ベルギー戦の開始直前のセレモニーの時間帯だった。

それは、試合前の時点で、心の奥底でぼく自身が日本代表の勝利を信じ切れていなかった、ということだ。
その報いを自分で受けたように感じた。


まるで魔法が解けたように、勝ち運が逃げて行った。
ぼく自身の呪いのせいで負けたのかもしれない、とさえ思えた。
あれは、試合前には書くべきではなかった。


本当に申し訳ない。


けれども、世界中に、勇敢に戦う日本代表の姿を見せることができて、とても誇らしく思った。
これが、日本のサッカーなんだ、と、心の中で叫ぶことができた。セネガル戦でも、ベルギー戦でも、年甲斐もなく涙ぐんでしまったぞ。日本のサッカーは、決して惨めで、弱いわけじゃないんだ、って。


こんなに頼もしく、逞しく成長できるんだな、と思った。

選手たちには、戦う力は備わっており、世界と戦う能力は「もう持っていた」んだ。

ただ、それが、うまく機能してなかった、効果的に働かなかった、というだけなんだ。足りなかったのは、勇気と自信だった。それを取り戻してくれてから、再び輝き出した。


あともう少し。
日本のやってきた「自分たちのサッカー」は、今、この場所まで、ようやく辿り着けた。


ベルギーが最後に見せた、電撃カウンターアタックは、日本の目指すスピードとパスを組み合わせたプレーのお手本だ。
コロンビアのドリブル突破への対応、セネガルの高速攻撃、これらの戦いがあったことで、ベルギーの速い攻めにもある程度ついて行けたんだと思う。セネガル戦での高速カウンターを経験したからこその、ベルギー戦での守備のバランスがあった。ただ、最後の1プレーだけは、それができない形になっていたが。幾度かは封じていたんだ。


日本は対戦相手に鍛えられたと言っても過言ではない。

日本のパスサッカーは、以前よりも増して、全体の保持力・パス精度が向上した。一人や二人のレベルではダメで、全般的によくなったことで、戦えるスタイルになった。


何より重要なのが、判断のスピードだ。相手の仕掛けてくる動きは、ベルギーは顕著だったが、凄く速い。襲ってくるレベルが、ハンパない。そこにボール奪取されないようプレーをするのは、大変なのだが、随分と進歩がうかがえる。

判断の速度は、攻撃面でも劇的に効果となって現れた。


少ないボールタッチで、シュートまでつなげられるようになった。速いサッカーをやっていたからこそ、得点に結びついた。

以前は、どれも似た調子だったが、今の進化型はパスワークに強弱がある、という点だ。視野の広さ、判断の速さ、それらの改善が、攻撃面でも良くなっているのだ。パサーに限らず、受け手も同じようにできなければならない。チーム全体の速度が上がれば、チャンスも増える。


短手数で仕掛けることができるので、相手の速いサッカーにも着いていける。

パスワークを、かわす、いなす、呼吸や陣形を整える、相手を走らせる、相手陣地を動かす・崩す、という機能別に使い別けることができつつある、ということ。

攻撃時には、コロンビア戦の先制点のように、香川~大迫、シュート、と一気に行ける時は仕掛ける。セネガル戦でも、柴崎~長友~乾の得点とこれも同様。ベルギー戦の先制弾も拾って~柴崎~原口、シュートまで、と速攻型がうまく決まるようになったのが大きい。


後ろから組み立てて、サイドからパス交換でシュートまで行く、という形も残ってるので、視野と判断の速度の改善は著しい効果を生んだはず。

攻撃面ではそうなのだが、守備ではどうなのか、というと、まだ守備が好きな国~例えばスウェーデンとかスイスとかのようにはできないので、守ってる時でさえ「チャンス」って思える何かが育めるといいのかも。気持ち的に難しいんだけど。


先に書いたように、パスを守備的な形で有効に使いこなせるよう、「試合運び」の面で向上が期待される。その試合の流れの読み、評価、分析、という点で、日本は強豪国に対する「勝ちグセ」がないんだな。いつまでも大金星、の気分じゃダメってことだな。強者のメンタリティというのを学ぶ必要がある。2点リード、ほい、いただきました、的な。野球で言うなら、圧倒的な「クローザー」出てきて、ああ、終わったな、と意気消沈させるようなもの。


日本がもっと強くなるには、そういう相手を畏怖させるような、取りこぼしなし、的な部分が必要。
強者の試合運び、的な部分も。
本格的な守備戦術の研究も。選手の判断の速さが向上しても、ベンチの速さが劣ったままではダメに決まっているのです。


次の4年後に、また夢を膨らませて待っていたい。更なる高みを目指してほしい。


サッカーW杯2018 1次リーグ セネガル戦 惜しい!

2018年06月24日 16時24分02秒 | 俺のそれ
今夜は第2戦、勝てば決勝Tがぐっと近づく試合となりました。

勝負事ですので、勝敗はどうなるか分からない部分もあると思います。勿論、日本国民は勝って欲しいと願っていますし、全力で応援しています。


第1戦と同様に、冷静に落ち着いて戦うこと。
弱気や慢心とは違います。精一杯やるけど、熱くなりすぎることなく、冷静に。

焦りは禁物。

先に焦れると余計なミスをしがちです。狩人が獲物を狙うように、辛抱強く、チャンスを窺い待つこと。
常に、細心の注意を払え。
ここぞの所は、勝負に行け。

日本の実力を出せば、勝ち切れるはずです。


気押されることなく、怯まず戦うこと。強い圧力を感じても、点を取られたわけではありません。
恐れていてはダメ。


相手だって失敗をたくさんしてくるわけで、完全ではありません。きっと、対処できる。
最後にものを言うのは、勇気と勝利への執念です。
兎に角、試合に集中せよ。自分自身を信じよ。


明日の朗報を待っています。頑張れ。



いやー、がっぷり四つの厳しい戦いだった。
気持ちの面では強かったが、非常に惜しかった。


大迫の正面のボールは、あそこで決めたかった。足を出せばほぼ決まっていたかと思うナイスセンタリングだったが…

本田、持ってるな。
あの決定的場面で外さない、というのは、やはり経験かも。


先にリードされて、よく追いついたけど、んー、勝ってもおかしくない試合だった。

川島、マジ、あれは正面でキャッチできた球だったので、痛かった。
相手の狙いが、まんまとハマってて、キーパーのミスは必ずあると思って、思いっきり前に詰めてたしな。

柴崎も長谷部もこれまで以上に良かった。
長谷部のシュートは、枠に行ってたが、乾に当たってしまった。惜しい。


最後、柴崎がうまくボールを取って、宇佐美の所に行ったが、まんまと安易なドリブルで簡単に相手に取られてしまった。
ワンタッチで即座にセンタリングを上げれば、エリア内に3人行ってたので、チャンスだったのに、逃してしまった。ああいう所が、使い難い部分なんだよな。センスが乏しい。自分のやりたいプレーでなく、勝利の為のプレーをやるべきだよな。


負けなかったのは良かったが、頑張ったけど、勝てた試合ではあった。

守備陣はよく抑え、耐えたが、1点目は酒井宏のヘディングミスからだったので、ああいう部分も改善が必要かも。
※追記:これ、ニュース映像で再度見たら、宏樹でなく、元気だった。ゴメン。原口選手のバックへのヘッドが相手に行ってしまったものでした。
酒井宏樹選手のヘディングではありませんでした。お詫び致します。


ゲームプランとしては良かった。吉田と昌子は長谷部との連係も良く、プレスを外して前線にボール供給をできて、攻撃の形を作れることができた。

反省点を含め、また集中して行けば勝利が見えてくる。

また、次を頑張ろう。



サッカーW杯2018 1次リーグ コロンビア戦 勝ち点3とったどー!

2018年06月19日 15時27分17秒 | 俺のそれ
いよいよ、本番当日を迎えました。

まず、電撃解任となってしまったハリルホジッチ監督には、お詫びを申し上げたい。これまで最終予選を勝ち抜いて、W杯出場を決めてくれたのに、直前になっての解任劇に、日本のサッカーファンの多くは憤慨しました。
日本サッカー協会の上層部への批判は猛烈だったと思います。今でも、会長の妄言には誰も耳を傾けません(笑)。サイテーの幹部です。


戦うのは、選手たちです。監督やスタッフも勿論、ファンも一緒です。
彼らは、サッカーの為に戦う。
日本のサッカーの為に、死力を尽くすんです。協会の為じゃない。


しかし、サッカー協会は共に戦う仲間ではありません。強欲で自分たちのことしか考えない最低の連中です。こんな連中はかまうことなく、放っておきましょう。無視すればいいだけです。


さて、日本は前回大会から、果たさねばならない課題が残されています。日本のサッカーで勝利することです。「自分たちのサッカー」とは何だったのか、が少し見えてくるかもしれません。


多分、「自分に固執する」ことではないでしょう。
サッカーは複雑なゲームで、理解することが強くなる要因の一つです。チームとは、何かの型にハマった、常に同じものではありません。基本はありますが、選手の特性を活かした戦い方があるはずです。将棋の戦型でも、矢倉戦とか振り飛車戦とか違いがあるのに似ています。

チームとして、一番力が発揮できるような戦い、相手を上回れる方法を編み出す、そういうゲームだと思います。日本のサッカーは、たとえスーパースターはいなくても、大柄な選手が揃っていなくても、それでも「勝てる」戦術を見出すことです。

これは非常に困難なことです。
初期条件が不利なわけですから。けれども、他の国のチームを見ていると、どの出場国も数々の工夫をしています。ドイツに勝ったメキシコだって、W杯では1度も勝てなかった相手に、ベストを尽くしました。サッカーに対する姿勢は、非常に勉強になりましたよね。個人の実力は必要です。けれど、個々で見れば上回る相手にだって、戦えるスポーツなのです。


日本にとっては厳しい戦いとなるでしょうが、恐れず自分を信じて戦って欲しい。できそうにもないことをやるのではなく、今持っている、最大限の能力を発揮すること、それだけに集中して欲しい。


変な喩えですが、50馬力の車と、300馬力の車では、同じ走行をしようと思ったら、50馬力の車は常に全開でコーナーもギリギリを攻め続けないとならないが、余裕の300馬力の車はそこまで限界を攻めなくても何ら問題ない、みたいなことです。

日本は50馬力、他国は300馬力、みたいなものです。限界ギリギリを同じ時間継続することは、かなり難しいのです。

日本が1試合をやれば、選手の疲労度は何試合分かに相当するくらい、高度な集中力を必要とするでしょう。それに比例して、消耗が激しくなるでしょう。
集中力が低下する大きな要因は、疲労です。

なので、疲労蓄積の少ない人間がサポートする必要があるはずです。それは、局面によって、どういう時にチャンスが来るか分かりません。相手によって、スピードよりも、重量のある選手の方が戦い易い、屈強さが重視される場面だってあるかもしれない。だから、常に一丸となって共に戦ってほしい。


なでしこにあって、男子代表になかったもの、それは、チームとしての戦う姿勢なり、結束力ではないか。

もし、日本代表選手が100%の力を発揮できれば、きっと勝てると思う。それにはプロとして、やるべきことをやるということに尽きる。
自分の心を研ぎ澄ましてほしい。


あとは、一生懸命応援しています。頑張れ



いやー、勝ったよ。オレは信じてたから。

よくやり遂げてくれました。


8年越しの、置き土産が遂に実った。おめでとうございます。

先制点は、大迫の個人技、それに尽きる。よくぞ反転して、前に向けたな、と。相手DFを背負っての、素晴らしい抜け出し。
そして、シュートは想定通り。


香川、よくぞ走ってた。
ハンドを誘ったのは、香川のシュートの賜物。

ハンドで10人に減ったのは大きかった。


川島、あれは止めるべきグラウンダーだろ。キーパーの役割であった。あれを止めないでどこがキーパーなんだよ。

同点で前半終了は、まあ想定内だったので、同点に追い付かれたのはまあ、いい。


後半、不用意なプレーを減らして、相手にボールを追わせて、選手交代をうまく使って、勝ち切った。

大迫、よくぞ決勝点!
ここまで走る大迫はほぼ見ないわなwシュートブロックもこなすなど、信じられない。よくぞ限界まで走ったな。


守備陣も、よく耐えた。
結束こそが、勝利を呼び込める。おめでとうございます。



『シン・ゴジラ』私的鑑賞概説~2

2017年08月26日 09時17分53秒 | 俺のそれ
(昨日の続きです)


ゴジラが鎌倉から上陸後、多摩川でこれを阻止する作戦―「タバ作戦」が決行されたわけだが、これは福島原発でいえば12日の「1号機のベント」作戦(+電源車到着後の電源繋ぎ込み)だろう。


総理の「命令」があり実行したので、同じである。『シン・ゴジラ』においても作戦失敗となったように、1号機は水素爆発してしまい「1号機のベント」作戦は失敗に終わったのだ。作業員(自衛隊員)たちの現地から退避を余儀なくされたのも同じ。


ゴジラが自衛隊を退け、米軍のB2を落とし、街を破壊したわけだが、多分あれが1号機水素爆発ということであろう。
12日の爆発後、3号機爆発の15日まで少し時間が空いていたのと、ゴジラが一旦活動停止になりしばし小康状態になったのは似ている。
ゴジラの進撃に伴い、電力が切れて街がブラックアウトしてくゆシーンは、輪番(計画)停電における都内の夜景と同じだった。


「ヤシオリ作戦」の実行過程は、2号機・3号機の冷却を継続し、1号機と4号機の使用済み核燃料プールを含めて冷却をするという過程そのものであったろう。

1号機爆発後の高放射線量地域において、作戦遂行に参加するというのは、ゴジラの攻撃による汚染そのもの、ということだ。ホイールローダーで瓦礫排除+ポンプ車で冷却というのも、原発事故の時と同じ。


ゴジラに凝固液投入をするも、第一小隊が全滅したわけだが、あれは3号機爆発の経過ということだろう。福島原発では13日以降であっても少しは冷却を実行できていた(1号機には海水注入が、2・3号機はRCICやHPCIが稼働していた)が、「再びゴジラが暴れ出す」=3号機爆発という状況になった。放射性物質は降り注いだが、ここで諦めるわけにはいかない、ということで、そのまま作業を続行した(現実には、自衛隊のチヌークが水をかけに行き、現地に残った作業員たちと共に陸自やレスキュー隊や機動隊にも放水決死隊の出動が命ぜられた)。


福島原発のとりあえずの冷却体制が実現できたということで収束をみたのと、ゴジラの活動停止は等しく描かれたわけである。
実施されたゴジラを倒すそれぞれの方法は、現時点の人類が可能なことの集大成だった。「現実対虚構」の意味とは、そういう点にもあるだろう。


また、映画中には、字幕で人物名や装備名などがいちいち表示されるわけだが、これは「全てに名がある」ということを示している。


先に挙げた12年7月の記事で書いたが、「名もなき英雄たち」は、現実にはぞれぞれに名があるのは当たり前で、単に国民は誰も彼らのことを殆ど知ることがない、というだけである。東電の吉田所長とか東京都のレスキュー隊長は、記者会見等で名前も存在も知られたが、その他大勢の方々については知られることがなかったわけである。


けれども、福島原発事故に関わった全ての人々には、名前や所属や何らかの属性があった、普通の人々のはずなんだ。一人ひとりの名は、確かにあるんだということ。


事故を収束に向かわせたのは、現場力であり大勢の技術者たちの技術力なんだ、と。

12年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b098d5bb95aae35232fccada6363e61d


また、任務を遂行したのは、死をも覚悟した人々であり、気合いなくしては日本を救うことなどできなかったであろう、と。

14年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6c0aaf17dd49c566ade7f39a6044a797




『シン・ゴジラ』が意識的に「特定の人々」に向けて作られたであろうと思うのは、いわゆる「オタク」向けという印象を受けるからだ。これは、悪い意味ではなく、むしろ敬意を払っているとか、感謝に値するということである。


「オタク」という名称が定着するのは、「タク八郎」のような人が登場するようになって以降かもしれないが(個人の感想です)、存在自体はずっと以前からあったわけである(そして、その存在はどちらかと言えば、薄気味悪く気持悪い変人、的な捉え方だった)。

特に、特撮マニアというジャンルはアニメ時代が来るより古くからあり、ゴジラシリーズのマニア(今ではオタというかもしれない)とか、仮面ライダーシリーズの人とか、ウルトラマン系の人とか、割と細かく区分されていたのではないかな。少年とかの子供なら分かるが、いい歳をした大の大人が「ウルトラマンかよ」的なネガティブな見方が一般的だったように思う。


ビデオのない時代で、再上映とかくらいしか情報入手手段がなく、それでも古い雑誌等文献(笑、と呼ぶのが相応しいか別として)を漁ったり、互いの知識を交換したりして、更なる専門知識を深めるとか、マニア同士しか通じない話が沢山あったものと思う。誰よりも何でも知っている人は、「神」として仲間内で崇められていたことだろう。
(そういうのは、多分映画でも同じで、寅さんシリーズのマニアとかは普通の人が全然知らないことでも色々と知っている、みたいなものです)


オタクが社会で認知されるより以前から存在してきたマニア諸君、そういう人々への敬意が、『シン・ゴジラ』には盛り込まれているということだ。

分野では、
・怪獣ゴジラオタク
・鉄道オタク
・アニメオタク
・エヴァンゲリヲンオタク
・ミリタリーオタク
といった具合である。


鉄オタは、ゴジラにやられてしまう路線・電車とか、ヤシオリ作戦での電車攻撃の大活躍ぶりとか、狂喜乱舞だったのでは?
自衛隊の装備とか攻撃とかも、ミリオタの心を刺戟するものだったのでは。


それに、音楽の使い方が大変上手くできており、エヴァンゲリヲンを彷彿とさせるシーンもそれなりに入れていた(例えば、複合機をズラリと並べる、ラップトップや無線機を並べるといった、斉一性を示すシーン)。ヤシマ作戦になぞらえたかのような「ヤシオリ作戦」。くすぐってくれるじゃないか、と。

初代ゴジラへのリスペクトは、音楽に最大限に表現されていたように思う。お約束の「銀座和光ビルを破壊」もそうか。
何より、映像・表現したいシーンと素晴らしいマッチング(元ネタ映像との対比)で、オタク心に響いたのではなかろうかと。


『巨神兵の「なぎ払え!」』(ゴジラの放射線流攻撃)を見せたのも、オタクへの敬意であろう。80年代のアニメ復活を支えたナウシカ、数年前の庵野監督の特撮「巨神兵」などを見たことがあれば、ああそうだなって思うだろうから。



ネットが発達して、情報や知識入手は昔に比べて簡単になったし、DVDもあるから作品を何度も観返してみることもできるようになったし、作品を理解するのは便利・容易になったと思う。


昔のマニアの人達は、もの凄い努力、苦労、労力を払っていたのだな、と思う。だからこそ、その集中力は、凄かったんだなと思う。上映1回で、かなりの情報収集をしなけりゃならないし、記憶せねばならんので。
そうか、集中し過ぎて興奮気味なので、封切り後の映画館では、鼻息とかが「くふー、ふしゅるー」ってなってて、余計に気味悪い人物にしか見えないものね。独りでブツブツと小声で何か言ってたりとか。
専門分野(自分の好き・得意なマニア領域)について質問されたりすると興奮してしまうので、喋る前の呼吸が深くて荒く、早口になりがち(しかも嬉しさのあまり何処となく勝ち誇った感じ)なので、一層気持ち悪く見えてしまうのかも。


話が逸れたが、昔の「不遇のオタク」時代からすれば、今は随分とオタクへの抵抗感は薄れたし、ネガティブな評価も減ったし、女子にさえ浸透するようになったし、時代は変わったなと思う。
私は、ずっとオタクとは無関係であり、何かのマニアでもなかったので、そういう世界はあまり知りませんが、一部に垣間見ることはあったような気がする。


『シン・ゴジラ』は、過去から連綿と続いてきたオタクたちを肯定する作品として、生み出されたのかもしれない。


それと、ゴジラが破壊するのは東京なのだが、高放射線量地域とされたのが、日本の中枢たるこれぞニッポンという、千代田区界隈(映画中だと国会議事堂、霞が関、銀座、赤坂など)で、そこが焼き尽くされたというのは権威の象徴をぶちのめす描写=神罰というか地獄の業火、みたいなものということです。
政官財の権威中枢に対する異議の暗喩、とでもみるのでしょうか。


ちょっと難点というか、気になった点も書いておこう。
凝固剤の投与だが、あれはまるでカラ井戸にジャアジャアと流し込むように入れるだけで、それが血中(体液中)に吸収されるであろうという決め付けには疑問の余地がある。経口投与というのにどれくらい効果があるか、ということである。

恐らく「核兵器や海洋投棄された放射性物質」の残骸等を「食べた」と思しき形跡から、「経口摂取は可能」という判断だったものと思うが、「何かを食った」というのと「液体をゴクゴク飲む」というのは、違いがあると思う。

ゴジラ転倒後、口に流し込んだとて、それが人間で言う「嚥下」されるかどうかは、判断が難しいのでは?
もっと問題になるのは、第一小隊による投与後に動きが鈍ってから、もっと「凝固させよう」ということなら、嚥下行為そのものが停止されるのでは、と不安に思うのでは?

けれども、口にジャンジャン流し込んだら全量吸収されてしまい、それが体液中に溶け込んでゴジラの冷温停止となる、というのは、こちらにとって都合のよい解釈ではある。人間だって、気絶してて倒れている人に、口から水でも輸液でも流し込んだとしても、零れるばかりで殆ど入っていかないよね。粘膜からの吸収があるとて、流し込み速度と量からすれば比べ物にはならない。もっと違う投与経路か効果発現を考えるべきだったが、福島原発事故での「ポンプ車と注水」という舞台装置(制約・条件)の必要性からこうなった、という事情も分からないではない。



本作は、ゴジラ映画という「壮大な虚構」なのだけれども、まるで本物のように描き切るという挑戦(実験的?)があったわけだ。
ゴジラ退治の手段が「現実(人間の力)」という以外にも、『シン・ゴジラ』という映画(=虚構)と現実世界の本物との比較(リアリティ追求の対決)という面もあるかもしれない。


海外の人からすると、この映画のよい所は、日本人的な面を知るには良い教材になり得る、ということかもしれない。予備知識なしで、この映画を楽しめるかというと外国人には結構難しいかも。ああ、日本人でも子供とかはちょっと良く分からない部分はあっても、気にしなければ普通の娯楽映画として楽しめないわけではないか。


観る人によって、様々な解釈が出てくるというのが本作の魅力だろう。
もっと繰り返し鑑賞してみると、見落としてたり気付いてない部分とか、まだまだ出てくると思うので、『シン・ゴジラ』オタクには話の種が尽きない映画なんだろう。


種々の解説なり評価論が出されるなら、そのこと自体に大きな価値があるという素晴らしい映画なのだ。



『シン・ゴジラ』私的鑑賞概説

2017年08月25日 18時49分33秒 | 俺のそれ
昨年の大ヒット作と言われたゴジラだったが、やっと先日レンタルで観ることができた。
で、今月はブログ記事を書いてなかったし、何となく個人的感想などをまとめてみようかな、ということで、夏休みの宿題的感想文を少々。


物語は、誰もが思い浮かべるように、東日本大震災であり殊に福島原発事故をモデルにしたもので、恐らく「事情通」であればあるほど、よく描かれていると感嘆するであろう作品だと思う。


『シン・ゴジラ』の最大の魅力は、「決まったヒーロー」が存在しないという点にある。ウルトラマンでもスーパーマンでもいいのだが、そういった「怪獣モノ」「ヒーローモノ」にあるような超人的英雄が事件を解決するのではなしに、ごく普通の「人間の力(叡智)」だけでゴジラを倒すということに価値が置かれている。人智を超えた(都合のよい)非現実的存在と、それによる解決法を拒否するということからこの映画は作られている、ということなのであろう。


また、日本の「特定の人々」が受ける印象と、例えば海外の人々とか日本国内でもあまり関心・関係の薄い人々が受ける印象というのはガラリと異なるのではないか。多分、「特定の人々」に向けて一生懸命に頑張った映画なのではないか。そのような映画の割には、大ヒットだったようなので、大健闘を讃えられてもよいと思う。

「特定の人々」にとって共感性が高くとも、一般大衆ウケするかというのは何とも言い難いし、一回観たくらいでは難しいというか難解という面もあるだろう。その点、今回はレンタルだったので、何度か見直しできて良かった。


初回は妻と一緒に観てたのだが、妻は「よく分からない、悪くはないのかもしれないけど、何が面白いのかもよく分からない」ということだった。まあ主婦にとっては、そうなんだろうね…

私からすると、物語進行は「事故調査報告書」のようになっているのだな、と古い記憶が喚起されたわけである。


以前に、国会事故調の報告書を読んで、思わず涙したという告白を書いたことがある。

12年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e86e7ca57d08ea20637c249807fcc20a

(再掲)

151ページからの、数十ページは、涙なくしては読めなかった。
福島原発の、あの恐るべき状況の中で、現場の人々が苦闘する姿が脳裏に浮かび上がるたびに、その勇気と覚悟を思い、嗚咽が漏れた。
彼らがいなかったら、日本は本当にどうなっていたか分からない。

死の恐怖と戦いながら、決死の作業を遂行したのは、名もなき英雄たちだ。
東電の高給取りのエリート社員ではない、下請の協力企業と呼ばれる最前線の戦士たちだ。
1号機が爆発した後も、作業を続けねばならなかったことを思うと、胸が締め付けられた。


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私と同じ報告書を読んでも、多分圧倒的大多数の人々は「何がそんなに?」と思うに違いない。あの事故報告書には、「感動の物語」とか感涙を誘うような記述というのが、どこにも明確には書かれていないから、だ。


けれども、淡々とした記述の中に「命懸けで戦う人々」は確かに存在しているのだ、ということ。それが感じとれる人には、きっと分かってもらえるだろう。『シン・ゴジラ』では、まさにこれを描き出したのだな、と思えた。


参考:
11年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a3e4e9f02a1084041653ff400dc1184b



ゴジラが最初に蒲田に上陸し被害をもたらしたが、福島原発事故でいえば政府の対応が定まらず1号機の格納容器の圧力が高まった状態、既に燃料溶融で圧力容器が貫通していた時であろう。
まさしく「3.11」、その日だった。ゴジラが川を上ってくる様は、津波被害のさまと似ているのだ。車列をかき分けて進撃するのも同様。
総理の現地視察も同じ(翌日)だった。


政府が事態をよく把握できぬまま、事件が進展してゆく様子もよく描けており、政府の会議席上で官房長官が「会議中止、テレビつけて」といってゴジラの尻尾映像を見て、初めて深刻さ(ゴジラの存在)を知るというのも福島原発事故(1号機水素爆発の時)と同じだった。ゴジラの進化とは、原発事故の進展そのものであった。

当初、ネット上で不正確な情報が拡散してゆく様もやはり同じであり、「メルトダウンの危機」が人々の噂に上っていった(11日夜)のと「怪物(ゴジラ)の存在」のネット情報という対比だった。


日本人っぽさを示す描写として、ゴジラの初回襲撃を受けた翌日なのに、電車は日常とほぼ同じく運行し、子供達は登校したり会社に通勤する、というシーンが意図的に置かれていた。確かに、大震災の翌日、3月12日には人々の行動はそうだったのだ。大きな被害を受けた直後でも、何故か人々は日常と同じ行動・動作をとろうとする、という不思議な部分というか、国民性?のようなものを敢えて入れたのではないかな、と。


ゴジラに対し最初の攻撃機会(コブラ4機)を迎えたが、あれは恐らく「ベント」の実施を抽象化したものではないかな。
1号機の格納容器を破壊から救うには、ウェットベントが実施不可能だったのなら、ドライベントであろうとも早急に実施した方がマシだったのだが(後の水素爆発で建屋ごと吹き飛ぶよりはいい)、その機を逃したということであろう。何故なら、住民の避難が済んでいなかったから、である。
ドライベントを行えば、放射性物質は大気中に放出されるのは明らか=国民(住民)に被害をもたらす、という点で、『シン・ゴジラ』で言う「国民に銃弾を向けることはできない」というのと同じなのだ。


そして、「最初の機会」を逃したら、更なる大被害が待ち受けていた。

(ただ現実には、理解してもらうのが非常に難しい。治療せず手をこまぬいていたら患者が死ぬ、という時、治療をすれば○○という危険があり後遺障害が残るので被害は不可避と医者が知っていても、患者や家族はそれが理解できない。治療せずに放置して患者が死んだ結果を見れば、「ホラ、やっぱり障害が残ったとしても治療した方がよく、死ぬよりはマシだったのでは?」ということの意味が分かるだろうが、死なない限りはその比較が分からないだろう。死んでなくて、後遺障害だけ見せられたら、「死ぬよりは~しておけばよかった」ということが理解(実感)できないので、少々の犠牲を払ったとしても最悪の結果を回避する為には実行した方がよい、ということが分からないということである。)


 (つづく)


若田部昌澄早大教授のご著書の題名『Japan's Great Stagnation 』を知る

2017年04月18日 12時47分33秒 | 俺のそれ
さっき、偶然発見したわ。


若田部教授に対しては、過去に批判的に書いたことがあるよ。

2012年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/07c12c522a2112dd3ba6d68496533039


それとは関係ないけど、偶然知ったのが、こちら。

>https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01FYBM0OI?ie=UTF8&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=B01FYBM0OI&linkCode=shr&tag=shinchangwebl-22&

タイトルが、『Japan's Great Stagnation and Abenomics: Lessons for the World』だそうで。


過去に、大恐慌の「Great Depression」とか、リーマンショック後の「Great Resession」と言われてたのは、知っていたが、今回のは初めて見た。


「Great Stagnation」って、どういう用いられ方をしていたのか知らず、ちょっとググってみたら、出てたわ。

>https://en.wikipedia.org/wiki/The_Great_Stagnation


タイラー・コーエンさんの2011年の著書だそうです。知らんかった。



で、その日本版って意味合いで若田部教授がタイトルに『Japan's Great Stagnation』を充てたものと思う(推測です)。


んー、でもね、拙ブログでは、もっと以前から、それに似た記述を採用していたんですよ(自慢)。09年だから。当時、そういう言い方は殆ど一般的ではなかったと思うよ。拙い英語で、素人考えでもって、適当に考えてつけただけなので(笑)。


09年12月(その1と2があるよ)

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5efb0880e5dbaf7018175d129fffb11b

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f7113755a30d7bce8fd3613d5c762211



拙ブログでは、「Japan's Stagnation Loop」と呼んでいたものです。だから何、というものでもないんですが。Japan's Stagnationと書いたのは、拙ブログの方が早かったですよ。いえーい



けど、今、もっとググってみたら、全然別方向の著書が出てきたわ。残念。
凡人が思いつく案というのは、やはり既に誰かに発見・発明されているもの、というのが普通なんだね…


>https://mitpress.mit.edu/books/japans-great-stagnation

Michael M. Hutchison さんと、 Frank Westermann さんの本ですと。



ぬか喜びだったわ。オレごとき素人が考えそうなことは、先行されていても当然なんだな。


ところで、若田部教授の本とタイトルが被ってるが、副題が違えばいいってことなのかな?パクリ疑惑を抱かれたりしないの?



上限金利規制に大反対していた飯田泰之が銀行カードローン破産問題でテレビ出演?

2017年04月17日 21時04分29秒 | 俺のそれ
古い話なので、まあ、大した話ではない(笑)。

経済学教授というだけで、そいつのお説を有難がる社会の悲しさ。

>http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3959/index.html


『ところが現在、問題となっているようなタイプの銀行カードローンというのは、リスクは信用保証会社に、審査も保証会社にということですので、事実上、看板貸しに近いような業態になっている銀行というのも少なくないんですね。
これは、もともとの金融業の仕事ではなくなっています。
その意味で、もう一度リスクを取って、そのリスクを適切に審査するという金融業というのを考え直し、その結果として消費者金融、消費者への融資が中心になるならばそれもよし。
そうでないならば、そうでない貸出先というのを見つけていく必要があると思います。』


人間というのは、実態がバレなければ、過去のことなど、どうでもいいというのはよくあるんですわ。転向でもしたのかと思ったが、よく分からんな。テレビ界で都合よく生き延びるのには、便利な方が得なのさ。それは、経済学の理屈が正しいとか、学問的な見地から正当な意見を言うといったこととは違うんだよ。




06年当時、貸金業の規制問題というのがあった。金融庁側は、上限金利規制案を打ち出していたのだが、これに猛烈に反対していた連中がおったわけだよ。

参考>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b884a9e86da4545920fc176c5dde59a6


しかも、金融庁の会議に参加していた宇都宮弁護士のことを、経済音痴のバカ呼ばわりしていたのは、リフレ派諸君だったではないか。何だい、もう忘れたのか?


有難い、経済学理論によれば、金利規制は必要なく、青天井でいいんだ、高金利なのは「それでも借りたい人がいるから、何ら問題ないんだ、審査結果が高金利になるだけで、問題ない」みたいに言ってたろ?


で、破産は、失業率ときっちり相関しているんだ、だから、貸出側の問題ではない、「失業率が高い、という経済政策、すなわち金融緩和が足りないせいで破産するんだ、リフレで解決できる」みたいな、ホラも吹いてなかったか?

忘れたのかな?


06年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a968aa2b48347b515242f3104dc5d1c7
(赤字部分は、飯田准教授のコメントである)

ちょっと話題は変わりますが、上記本にも登場していたsvnseedsさんのブログですが、そこでのコメントには「卒論」の話題というのが出ておりました。

svnseeds’ ghoti


脇道な話題ですが,いま4年生で上限金利規制問題で卒論を書いているコがいるんですが,bewaadさんとsvnseedsさんからの引用ばかりです.……そしてそれが適切だから文句も言えない(本や新聞から引用したらそれこそ㌧でもになりかねないですしw).


卒論というのは、論文の一種なのでしょうか?私は一度も書いた経験などないのでよく知らないのですが、「経済学分野」ではブログからの引用もよくて、それを referenceに入れておける、ということなんですか。もしもそうであれば、「へえ~」です。今の指導教官というのは、まず「ググれ」とか(笑)教えるのでしょうか。そういう時代に来たんですかね、遂に。日本の大学教育の、しかも卒論を書く時の引用文献が「ブログ」というのも驚きました。指導教官が「文句も言えない」程、『ダメな議論メソッド』?で有用なものという認定を受けているとは、さぞ正確なのでしょう。


卒論とは「論文」の仲間ではないのかもしれません。単なる卒業文集のようなもので、論文の体裁を持たせる必要性はないのかもしれないですね。であれば、何から引用してもOKだし、そういうレベルのものですか、とは思います。これって初めて知ったので新鮮です。

<寄り道:論文にグラントを書くのが当たり前なんじゃなかろうか、とか、そういうことにさえ頭の回らない経済学信奉者たちが見られた(私だけの特異な経験に過ぎないかもしれませんが)というのも、何となく理解できました。指導教官が指導しないから、ということなのではないかと思えてきました。これも『ダメな議論』の典型で申し訳ないんですけど(笑)。文献を読むことの教育がなされていない為に、トンデモが量産されているんじゃなかろうか、と。指導者が悪けりゃ、教わる学生も推して知るべし、ということですかね。>


で、問題のsvnseedsさんの以前書いておられた上限金利に関する記事について、いくつか疑問点もあるのですが、飯田先生は指導教官としては「文句も言えない」ほどに「妥当である」と考えているということなのでしょう。



======


おいおい、経済学の常識とやらは、どこに行った?
銀行は、まさしくリフレ派連中が主張していたように、金利規制も受けず総量規制対象外だし、君達が望んでいた通りの貸金じゃないか。破産するのは、失業率であって、貸し手側要因ではないと主張していたではないか。


なぜ、今は、経済学の論文なり失業率との相関関係図なりを根拠として、同じ主張をするのを止めたのだね?

何だ、経済学の放棄かね?
それとも、主張そのものが敗北したの?


教授、准教授クラスですら、このザマですが、そのご高説を有難く拝聴させてもらえるとは、何ともまあ気楽な世の中ですわな。卑怯者の方が、圧倒的有利なんですよ、やっぱり(笑)。




18日追記:


ええ、ええ、早大のクレジットサービス研究所と名を変えた後に出ていた堂下先生の論文は、勿論拝読いたしました。
記事にも書きました。ヤミ金被害についての検討も読んだ上で、統計的な見解を述べていますよ。


2012年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8a30dbf0fe59d2a7034e51f93f30360a


「りふれは」にも、反対していた経済学者連中にも共通しているのが、まず基本的な「統計値、数字」をあまり確認しない、ということですわな。しかも、見てるのは自分にとって「都合のよい部分のみ」という傾向があるわけです。簡単に言えば、「結論ありき」のデータしか見ようとはしていないのではないか、ということですわ。

そりゃあ、楽ちんだよね。だって、検討不要で結論だけ決め付けて発言できるから。調べる手間暇を何らかけずに、さも結論が学術的に断言できる、みたいな「学問ごっこ」をやってるわけだから。

ある意味、無能の思考力に乏しい学者連中にとっては、圧倒的多数派になれるから、有利だわな(笑)。だって、データを見て、考えたり、気付けたりする人間が、全然いなくても平気なんだし。専門家として、恥ということすら、持ち合わせていないわけで。


結局は、バカが勝つようにできているんですわ。経済学の大勝利、なんですよ。
バカの利用価値は高い、ということです。マスコミだろうと、行政だろうと、同じ。