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不戦敗宣言はまだ早いのでは

2006年08月31日 19時21分38秒 | 法と医療
新小児科医のつぶやき - 遵法闘争の方が前向きさんのブログで拝見しました。私のような素人考えでは、間違いかもしれませんが、とりあえず一生懸命考えてみました。


まず、司法の壁は厚い。これはその通りと思います。それに、述べられている通り「堀病院」単独での戦いは、圧倒的に不利ですので、医師会や産科等の学会などの全面的バックアップは必要でしょう。訴訟の資金面でもそうだろうと思います。


方法としては、「当事者に限られる」というのが難しい問題なのですが、とりあえず本件を頑張ってみるというのが一つ、別にも方法が有り得るのではないかと思い書いてみたいと思います。


1)当事者となるためにはどのような場合があるか

以前に、「行政指導」が行政の権力行使に当たるかどうか、ということが裁判で争われたことがあります(Matimulog arret抗告訴訟の対象が行政指導にも及んだ例)。これは医療法規定による勧告が実質的に効力・強制力を有し、それによる不利益を医療機関が被るか、ということが問題になったのです。これは最高裁で認められています。今回の「通知」も、「実質的に診療行為を制限し、(法的)拘束力・強制力を有する」ということは、十分考えられると思います(それ故、看護師の内診行為が違法行為として刑事事件の対象となっています)。要するに、「通知」によって現実の不利益を被ることが十分に想定されれば、その対象となる医療機関は全て当事者となりえます。主に、産科の民間病院等であれば、可能ではないかと思われます。


2)「通知」は行政指導か

先の最高裁判決の例でも、行政指導を受けた医療機関でなければ提訴は難しいと思われますが、では、厚生労働省の出した「通知」がこの行政指導に該当するのかどうか、というのが問題になります。そこで、通知はどのように、一般医療機関に影響力を有しているのか考えてみます。

通常、厚生労働省が出した通知は、下級組織に対する「命令」的に作用(法学的にはどう言うのかはわからないので、とりあえずこう表現します)します。相手は、「都道府県(何とか保健局長、とかのような人)」とか横浜のような政令指定都市では「市(同様に何とか局長みたいな人)」であると思われます。これら下級組織の行政職員は、一般医療機関に対して「通知」の内容に基づいて、適切に指導しなければならない義務を有していると考えられます。もしも通知が来ているのに、医療機関等に何ら周知していなくて、皆がそれを全く知らない場合には、罪に問われることは有り得ないでしょう。周知徹底しなければ、違法性を認知できないのであり、もし法的責任を問うのであれば「官報」とか「告示」みたいな公表手続きが必要だろうと思います。なので、下級組織としては「適切に指導」しなければならないことになるはずです。

で、実際にはどうしているかと言えば、恐らく「文書による通知」が殆どなのではないかと思われます。いちいち医療機関職員を呼びつけて、「これこれこのようにやって下さい」とか指導するのは、人的にも時間的にも双方ともに労力がかかるので、平たく言えば「保健所」みたいな所とか「~~局長」みたいな名前で、各医療機関に文書を送付しているのではないでしょうか。すなわち、これが「指導」です。行政側の「お願い」というのは、行政指導の一部と解することができ、「このように注意して下さい」、「これこれのこの通りにきちんとやって下さい」というのは、行政指導なのです。従って、「助産師以外が行う内診行為に係る通知」(本物のタイトルは知りません)というようなのを受け取っていれば、行政指導を受けたことになり、その医療機関は全て当事者足りえると考えます。


ここまでで、

・「通知」を裁判で争えるか?:通知は「行政指導」であって実質的不利益が明らかであれば争える

・当事者たりえるか?:通知の内容を示す文書を受け取っていれば、可能性はある

と思います。次に最も難関の部分ですが、不利益が想定されるかどうかです。


3)実質的不利益を被ると考えられるか

ここが問題です。仮に、産科診療所があって、そこに助産師が存在しない場合、新たに雇い入れなければならなくなります。この時に、合理的な理由があって、「不利益」が存在しているかどうかを考えねばなりません。

①従来看護師が診療補助行為として内診行為を担当
②内診行為を医師が全例単独で行うのは事実上困難
③新たに雇用するべき助産師の数が不足している

これらを示せる証拠が必要です。①と②は日々の診療体制などを説明すれば可能なので、大きな障害はないと思われます。問題は③ですね。もしも、世の中全体に余っている助産師が相当数存在するのであれば、たとえ人件費が大きく上昇してしまうとしても、助産師を雇用するべき義務が医師にはあると思います。単に雇用の問題に過ぎないのであれば、人件費上昇分は経営努力をすることで解決できてしまうことになるので。なので、最低限、次のことを証明する必要があるかと思います。


イ)就業している助産師数・助産院数
ロ)全国の産科の数・出生数
ハ)助産院・大病院等での助産師の数・割合
ニ)残りの助産師数
ホ)平均的募集期間

イ)とロ)については、厚生労働省の統計等で判明するのではないかと思いますが、実数はどれくらいか知りませんので、どなたか調べて頂ければと思います。ハ)は、助産院は単独だから当然で、大病院に「都市部に存在し」、「労働条件が比較的良く」、「助産師の占有も多い」と考えられるからです。イ)の助産師数からハ)の総数を引けば残りのニ)が算出できます。その人たちが3交代制で勤務した時に、「充足可能な数なのか」「出生数がサバける数なのか」ということが問題になると思います。たとえば、残りの産科数が1000、助産師が500人しかいなければ、配置そのものが物理的に不可能、ということになります。助産師が2000人でも1医療機関当たりで見れば2人しか配置できないため、3交代制はとれないということになり、「空白の時間帯」を生じることになります。助産師数が5000人いるとして、5人配置しても受け持つ出生数が助産師1人当たり1日(8時間)で10人とか20人になってしまうならば、「掛け持ち」が増えることになるので問題があるかもしれません(これは実際の業務に就いてる人しか判らないと思いますので、曖昧です。現実には掛け持ちが相当数多くても業務的には困らない、ということならばいいですけど。でも普通に考えて一日当たりの出産受け持ち数は数例だけしか無理なんじゃないでしょうか)。ホ)は現実問題として、募集しても誰も来なければ採用しようがない訳で、労働契約に至った時の募集からの平均期間とかで見れば判るのではないかと思います。地方などの偏在の問題があるような地域では、これでも説得的ではないかと思います。


曖昧な記憶なのですけれども、助産師数は保健師や看護師に比べ毎年の合格者が最も少ないはずです。1000人以下だったかな?ちょっと統計とか調べないと判らないのですけれども、結構少ないはずです。なので、充足が難しいことは確かであると思いますね。いずれにせよ、このように確実に不利益がある、ということを示せば、訴訟提起は可能になるはずです。


以上、行政指導による効力・強制力が発揮され、実質的に不利益を被る当事者、というのは有り得ると思います。もしも提起するならば、ある程度規模の大きい公的(若しくは半公的、大学病院、社会保険関係の病院、自治体病院、などが望ましいですね)病院の産科医師の連名とかで訴訟提起した方がいいと思います。その方が社会的影響力が大きいのと、万が一の「経営基盤を左右するような事態」は少なくできる、ということで。


あと、看護師の「業」として認められうるのか、という問題もありますが、産科の学会でこれを肯定することも大事なのですけれども、「現代の医療水準」としてどうなのか、というのが一番重要です。要するに「時代の要請に合致している」とか「医療技術の進歩等で看護師にもそれが要求されるような時代になっている」というようなことです。これが肯定されるのであれば、看護師の業=診療補助行為として、認定されうるはずです。そこで、最も分かり易いのは看護師の教科書・成書の記述ですね。国家試験の問題でもいいでしょう。「産科」領域の「学問」として、妊婦の出産に関わる記述で、「出産」の過程をフォローするような記述がきちんとなされていれば、これは「看護師」として行うべき或いは行える技術水準に達している、看護師の業務の領域として確立されている、とも解釈可能だからです。なので、産科領域に詳しい方々は看護師の教科書関係を綿密に調べておくことをお勧めします。


最後に、行政の通知を覆すのは困難であること、司法の壁も厚いこと、これはその通りと思います。でも、以前書いた「市立札幌病院の事件」(シリーズです)では、通知内容が「後日変更された」という事例であり、全く可能性がない訳ではないと思います。この事件では、その後の裁判の結果が情報として出てないので、2審判決は見てないのですけれども、司法の判断が全く期待できないとは言えないかもしれません。正しく行われている、本当の善意は必ずどこかに通じるはずです。不正や、やましいことが含まれていたり、イヤラシイ下心(儲けがどうの、みたいな)が多くあったりすれば、きっとどこかで綻びが露わになるでしょう。でも、そういうのがなくて、純粋に「人々の幸せの為に」と思って行われていることであるならば、必ず届くはずです。私はそう信じています。



もう疲れたよ・・・・

2006年08月31日 13時53分46秒 | 俺のそれ
「上限金利規制は正当か否か?」

この問いに対する明快な答えは見つかっていない。これはしょうがないかもしれないけれども、今までの「上限金利引下げ問題」で判ったことがある。それは、そんなの当たり前だと「経済学理論を掲げる人々」ほど、「短絡思考」なのではないかと疑わずにはいられないのですけど、もっともらしそうなペーパーに飛びつく、ということですね。経済学を用いるのも、それを指向(言葉が変かもしれないが)するのも、別にいいと思いますよ。しかしながら、評価は別に行うべきなのではありませんか?


asahi.comも広告掲載していた早稲田大学消費者金融サービス研究所の坂野教授のペーパーですけれども、これを「理論的にも実証的にも明らか」とする人々は、経済学理論に則って私のような素人の疑問程度には楽勝で答えることが必ずできるはずだと思う。ペーパーが正しいと信じるので「理論的にも実証的にも明らか」と豪語するのであるから、何ら不都合なく解答を導きだせるはずだ。ところが、実際どうだ?これが論拠です、と明示している割には、答えられないんですよ。


例外的な一部だけなのかもしれないが、経済学者や経済学信奉者たちの、知的不誠実さには本当に驚かされます(笑)。「ペーパーに書いてあるから」という理由だけで、それを根拠とするのは、共通ですね。何も判っていない素人と、ペーパーを最上最善のものとしてしか考えない連中は、何か違いがありますか?まともに経済学を知っていて、理論的に思考することができる能力を有しているならば、疑問に思うのは当たり前なのではないか?ペーパーで自己の主張の補強をするのはいいですよ、別に。でも、素人でも「違うんじゃないか?」という疑問に思えることを、「経済学理論では”事実”、理論的には”明らか”」とか、何故豪語するのでしょうか?私の個人的経験だけから言えば、経済学信奉者たちにしばしば見られるけど、他ではまず見ない珍しい現象ですよね。偉そうに経済学理論を掲げるヤツラに限って、そうなんですよ。


「神秘の木の根を毎日食べると、ガンが消えてなくなる!!」とか、本に書いてあったら、普通「本当なんだろうか?」とか思うわけでしょ?「トンデモ」なのではないか、とか、注意深くなるでしょ?それが、「これに書いてあるから、理論的にも実証的にも明らか」とか豪語したり、喧伝したりするような場合、「それって、どうよ?」と思うことが多いのではないのですか?ところが、ネット上でそれなりに有名で影響力も結構あるような人々とか、それにくっついてる応援部隊なのか経済学信奉者たちの一派?の連中なのか知らんが、そういう人々が口を揃えて「トンデモ本」を引っ張ってきては、宣伝しとるんですね(笑)。

日本の経済学コミュニティの一端を窺い知ることができましたよ、何となく。早稲田大学消費者金融サービス研究所の研究水準の素晴らしさも、です。それに日本の経済学の大学院生って、本当にハイレベルなんですね。教育の成果ですね(爆)。

突撃は得意、自分たちの理論を他人に押し付ける、「書いてある」至上主義、他人の思考の否定だけは大得意、自分たちの理論は最強・最高・絶対的正当性、というのが揃っていて、大変勉強になりました。ありがとうございました。


本音を言えば、上限金利規制に関して、私にとっては別にどうだっていいんですよ。自分が貸金から借りるつもりもないですし。困ることなんかないですよ、当然。ハメられる人々がいくら出ようが、貸金がボロ儲けしようが、別に困りはしないから。破産する人が増えようが、自殺に追い込まれる人が増えようが。上限完全撤廃でも、40%でも、30%でも、大して変わらんですよ。なので、こんなアホらしいことにエネルギーを投入するのは、無駄だ。時間の無駄。


上限金利反対派たちは、早稲田大学消費者金融サービス研究所の”ありがたいペーパー”を持って行って、金融庁にねじ込めばいいじゃない(笑)。「これを嫁。金融庁の官僚というのは、真のバカだ。お前ら、本当のアホだ。いっぺん氏ね。クビでいい、無能者なんだから。経済学理論も知らんくせに政策立案・立法に関わるな。こんなもん、理論的にも実証的にも明らかだろが」とか言ってやれ。官僚からも馬鹿にされる程度の官僚って、本当に役立たずなんだから、そんな無駄な官僚は切ればいいだろ。排除してくれよ。そういうヤツラは。
官僚からも、ありがたいお褒めの言葉を貰えて、幸せですね?>金融庁官僚諸君。


論拠を否定することが、「上限金利」やその引き下げを正当化するものでないことくらい知ってますよ。「では、どうするのか?」というのを言わなけりゃ、同じだろうと思うね。「引き下げは間違いだ」→「じゃあどうするのさ?」→「撤廃せよ」か?(笑)。それで、問題が解消されるのなら、いいですよ、それで。所得比例の量的規制は、大反対しなくていいの?多重債務者にとって、急に失業したり収入が落ち込んだりしたら、貸出枠は今ある枠よりも減るから、与信枠の拡大部分がゼロかマイナスになってしまい、それ以上借りることができなくなるのは同じなんじゃないの?上限金利引下げによって想定されているらしい追加融資枠の減少と何が違うの?事前規制はヤメれ、と言ってるなら、反対すれば?


もしも、貸金の規制を全て撤廃した方がいいなら、他の契約・商取引も同様にするべきだね。需要があるから、いいんでしょ?麻薬も解禁すればいいんじゃないの?闇市場はなくす方がいいんだよな?リフォームで平均的な価格の100倍むしり取られても、別にいいじゃん。「買う人がいるから」売っただけだよね?普通なら10万円で済むところを、1000万円で売ったっていいじゃん。でしょ?自由でいいよね?それを買う人の割合は、たかが知れてる。だから、何も規制しない方がいいよね?1000万円で買う自由の権利を奪うのはオカシイよね?
ドツボに嵌められるのは、バカだからしかたないのさ。そういうことでしょ?


経済学理論がある限り、最初から「最善」は決まってるのさ。
他の選択肢は有り得ない。
これ、理論的にも実証的にも明確ですから、残念~。


好きにすればいいじゃん。
「ありがたい経済学理論」の通りにすればいいんだよ。
それで世の中は住みやすくなるだろうし。

有力な賛同者が多くて良かったですね>経済学信奉者どの


いい加減、疲れた。



銀行も高齢化の波?

2006年08月30日 22時04分44秒 | 俺のそれ
今日久しぶりに銀行の窓口を利用した。気付いたことがあったのでちょっと書いておこうと思う。

時間がかかったのは仕方がなかったが、これも「オレオレ」じゃなかった、「振り込め詐欺」のせいだ。
ATMの利用限度額が下げられたからだ。確かに規制をすると、不便・不利益もあるな、と。まあ、滅多にあることでもないから、しょうがないのかもしれないが。本人確認も凄く面倒。免許証を預かるから、と言われ、長い時間かかっていました。お金を下ろすのも面倒な時代になってしまったものです。


それよりも驚いたのは、・・・・こんなことを書くと批判もあるかもしれませんが、窓口の女性行員の変化でした。昔は、所謂「若手」の感じの人がほとんどだったと思いますが、ナント、結構上の方の方々がかなり座っておられたのですね。そうですね、どう見ても40の私よりも10歳以上は上の方々ですね。待っている間、行内を観察していましたが、女性行員の半分以上は、私よりも年上風な方々でした。たまたま若手が少ない銀行だったのかもしれませんが、新たな発見でした。今後は高齢化が進むので、社会全体がこういう感じになっていくのかもしれませんね。


でも、高齢者の就業が進んだ方が望ましい面もあるので、これも社会の変化の一部なのかもしれません。



続・池田信夫氏への質問

2006年08月29日 19時00分10秒 | 社会全般
前の記事に書いたお答えを頂戴致しました。

ご回答下さり有難うございました。疑問に思える所がまだありますので、確認させて頂きたく、ご回答くだされば幸いに存じます。

池田先生のコメントを以下に引用させていただきます。


そんなことを証明する必要はありません。現実に27%以上の金利で借りている人々がいれば、上限の引き下げでその人々(の一部)が借りられなくなることは明らかです。上限引き下げの影響に関しては、下記の論文が私の論拠です:

http://www.waseda.jp/prj-ircfs/pdf/ircfs03-002.pdf

当ブログは学術研究ではないので、利用可能な範囲で既存の論文を参照しただけです。その推計が不十分だという批判は、この論文の著者に言ってください。少なくとも、上限金利の引き下げによって破産や闇金が減ったという研究はありません。




まず、経済学を専門とされている方々の言い分によく見られる「需要と供給」の関係ですけれども、坂野論文を取り上げて論拠としていたにも関わらず、均衡金利は無視というのは解せませんね。需給変動による超過需要を主張していたのに、です。『これは理論的にも実証的にも明らかです。』とコメントされていますよね?それとも先生のご主張は誤りということでしょうか?

上限金利が均衡金利よりも高い水準の場合には、経済厚生の損失は発生しない可能性もあるのではないでしょうか?引き下げられた上限金利が、依然均衡水準よりも上回っているかもしれない、ということを何故否定できるのでしょうか?経済学を謳っているのであれば、こうした基本的な質問には回答できうるはずと思われますが。「現実に27%以上の金利で借りてる人々がいれば、~明らかです。」と述べられておりますが、もし均衡金利水準がもっと低ければ「27%以上の金利」というのが社会全体で見れば非効率部分なだけなのではありませんか?


続いて、お示し頂いた堂下先生の論文ですが、これも既に以前に磯崎氏が取り上げていたので存じておりますよ。私も取り上げて過去に記事を書いてきましたので。このペーパー自体は「上限金利引下げで闇金や自己破産が増加する」ことの根拠にはならないと思いますが。
『闇金がぼろもうけするようになったのは、出資法の上限金利が下がってからです。』
この根拠をお伺いしているのです。他の説明要因を退けるだけの根拠があるはずですよね?そして、過去の引下げの時に、それがどのように観察されたのかお示し下さい。

『少なくとも、上限金利の引き下げによって破産や闇金が減ったという研究はありません。』
上限撤廃によって「自己破産」が減少した、という実証研究があるのであれば御教示下さい。これが示せないのであれば、「上限金利の引き下げ~研究はありません」というのと、何ら変わらないのではないでしょうか。上限金利は破産に対してはどちらとも言えない、としか言えないのではありませんか?それなのに、先生のご主張によれば、上限引き下げによって増加する、という因果関係を決定付けていると思いますが。禁酒法がなければマフィアが儲けられなかった、というのはそうでしょう。しかし、闇金の場合には「上限が引き下げられたから増えた」という主張は必ずしも当てはまらないと考えています。


最後に、確認ですけれども、「先進国に上限金利はない」は誤りであった、ということでよろしいでしょうか?


池田先生は「利用可能な範囲で既存の論文を参照しただけ」と仰っておられますが、それは即ち「ペーパーになっているものは、全て理論的にも明らかであり、事実である」というご認識なのでしょうか?専門外の普通の人でも、「ペーパーに書いてあったのを見ただけ」ということを言えると思いますが。先生は「経済学」を常々謳っておられるわけですから、一応それなりの学術的な目をもってペーパーなり論拠なりを判断されるのではないのですか?大勢の人々に「ちょっと冷静に考えてほしい」と説いておられるのであれば、よく吟味して欲しいと思います。



参考記事:闇金が増加したワケ(追加あり)



これを再び質問してみました。


まるで、既視現象のように思えますね。
いつか来た道。


池田信夫氏への質問

2006年08月29日 12時02分59秒 | 社会全般
池田氏はネット上では割りと著名な経済学者ということらしいのです。しかし、経済学者というのは、一体どうなっているのでしょうか?ここでも経済学、経済学と連呼されているのですね。「経済学」って一体何ですか?これは同じことを何人もの人が言っていて、「経済学的には~」という理屈で上限金利に反対する訳ですが、経済学者の言うことって、「本当のこと」ばかりなのでしょうか?甚だ疑問です。

池田信夫 blog:グレーゾーン金利


記事から一部を引用してみます。


しかし、ちょっと冷静に考えてほしい。現在の上限(29.2%)を20%以下に引き下げることが何をもたらすかは、経済学的には明らかである。金利は貨幣のレンタル価格だから、それが人為的に抑えられると、資金の供給(貸出)が減少して超過需要が発生する。この超過需要が満たされなければ破産が起こるか、闇金融に流れることが予想される。事実、2000年に出資法の上限金利が40%から引き下げられたあと、個人破産と闇金融事件が増えた。

こうした金利の制限は、先進国にはみられないものであり、終戦直後の混乱期に闇金融を規制して「弱者」を保護するために設けられた規制である。(以下略)




このように経済学者が述べており、しかもコメント欄で引用している「論拠」は当ブログで何度も批判してきた坂野教授のペーパー(「上限金利規制が消費者金融市場と日本経済に与える影響」)です。「またか」、ですね。『闇金がぼろもうけするようになったのは、出資法の上限金利が下がってからです。』ともコメントしておられますので、きっとこの根拠も経済学的に証明できうることでしょう。


そこで、いくつか質問をさせて頂きます。


1)「人為的に抑えられると、資金の供給(貸出)が減少して超過需要が発生する」について

超過需要発生を大前提にされてますし、坂野ペーパーでは27%引下げでも同様のことが起こると記述されています。つまり、消費者金融市場の「均衡金利水準は27%以上である」ということが、先生の仰るように『経済学的に明らか』というわけですね。これを経済学的に説明頂きたいです。根拠の提示も可能であるはずです。


2)「事実、2000年に出資法の上限金利が40%から引き下げられたあと、個人破産と闇金融事件が増えた」について

上限引き下げと個人破産や闇金事件を「原因―結果」として記述していると思います。そして、これを事実と仰っているわけですから、この根拠を提示できるはずです。例えば、単なる「借り手の増加」ということによっても、同じ確率で「闇金融」へのアクセスがあるとすれば、被害者は増加するはずです。貸金の借り手の8%が闇金融から借入ると総利用者数が500万人なら40万人、1500万人なら120万人ということになります。こういう要因よりも、「上限金利引下げ」が「決定的要因」というか原因であることを示す根拠を提示して頂きたく思います。それと、過去数回の引下げの結果についても、「上限金利引下げ」と「破産増加、闇金増加」の因果関係について説明できるはずですので、どのような現象が引き起こされたのかお示し下さればと思います。「他の原因ではなく、上限金利引下げが原因である」ことを経済学的に確定した根拠があるはずですね。


3)「こうした金利の制限は、先進国にはみられないものであり」について

参考までに、アメリカの場合には上限金利は州法によって異なっており、上限のない州は6つ程度だったと思います。他は全て上限が設けられておりますが。韓国も、一度上限を撤廃した後、66%の上限を復活させておるところですが、一部過激な意見では「韓国は先進国ではない」ということかもしれませんが、どうなのか判りません。ドイツもフランスも上限は設けられていると思いましたが、これらも「先進国にはみられない」と仰るのでしょうか。


経済学者の方ですので、コメント欄に一般素人の書いたことに対しても、「根拠を示せ」と求める訳ですから、ご自身で坂野ペーパー等を検討した結果、『経済学的に明らか』と仰っているものと思います。一般素人以下の理解などということは普通想定できないので、全て「正しい」ことが証明できるはずですね。



頂いたコメントへのお返事~「元検弁護士のつぶやき」様

2006年08月28日 20時29分56秒 | 法関係
元検弁護士のつぶやき 無資格の助産行為(続報その2)commentscomments


お返事のコメントを頂いて有難うございました。長いコメントになりそうなので、記事に書くことと致しました。
まず、先のコメントでの非礼をお詫び申し上げます。見ると、不躾な書き方になってしまっていました。すみませんでした。


以前から思っていたことですが、法学関係者の方々は「具体的にはコメントできない」ということが多いと思うのですけれども、それは責任ある立場におられるので止むを得ないことなのだろうな、とは思っておりました。しかしながら、「法学の専門家」以外には、「法学的検討」というのは困難であることは当然でありましょう。法学の専門家以外であれば、所詮は「素人の思いつき」に過ぎないからです。私は今までに法関係の記事を書いてきましたが、いずれも素人考えの積み重ねでしかありません。警察の裏金事件に対する知事権限にしても、救急救命士の気管内挿管事件、市立札幌病院事件などにしてもそうです。結局、法学関係の方々が真剣に検討しない限り、同じ事が繰り返し起こってしまうのです。


素人の勝手な推測で申し訳ありませんが、立法趣旨から考えれば、医師法にしてもその他関連・類似法にしても、行為者の「免許」ということで国民の安全を担保するのと、同時に相応の責任を負うことから行為者の権利・地位を守る為に無免許者の「業」を禁止しているのであり、そもそも「医療従事者の行為」について、既に日常的に「業として行われているもの」の違法性を処罰する為に業の規定があるのではないと思います。刑事罰をもって特定医療行為の禁止を周知し、「通知」の解釈如何によって事後的に罰するというものではないはずなのです。行政側の通知というのは、出している役人の無知等から現場を無視したものであることも有り得るのに、その「通知」を金科玉条のように「絶対評価」として法的根拠・解釈とみなし、それに立脚して「刑事罰」を与えるという警察・検察があるのです。これは繰り返し起こっているのです。そのような毎度御馴染みの「法解釈論議」というのは、本当に医療を向上させるのでしょうか?国民に多くの利益をもたらしますでしょうか?国民の安全に寄与するでしょうか?そういうことを疑問に思うのです。


今回の看護師による「内診行為」に関しては、「違法性」というのは法律上明確なはずなのであり、この違法性が「元検事の弁護士」先生にも正確に理解できないとするならば、一体全体、日本の医療従事者で「元検事の弁護士」先生以上に正確に法学的知識・理解のできる人が誰かいるでしょうか?これも前から書いてきましたが、医療従事者それぞれ「個々の判断において」法解釈を行い、「絶対に」間違えることなく行為を行わなければ、「刑事罰を与えられる」ということなのですから。地方の行政担当者が「この行為は合法なのでしょうか?違法なのでしょうか?」と本省に問い合わせた所、「違法です」という回答(=通知)をした途端に、医療従事者は「告発」されるのです。それが、日本の医療に関する法の運用なのであり、それを行政も警察も検察も裁判所も法学研究者たちも、「何とも思わない」「正当である」と考えている、ということを疑問に思っているのです。


私は法学に関する知識というのは素人でしかないので、偉そうなことなど言えませんし、本当のところは判りません。でも、あらゆる法学関係者たちは、「口をつぐんで」何もしないのです。法解釈という分野に、素人たちが素手で立ち向かえ、ということなのです。それが日本の「法を司るものたち」の意志でもあります。


罪刑法定主義という言葉があるそうですね。ネット上で見かけることができ、それについてはWiki (罪刑法定主義 - Wikipedia)で読みました。
これによれば、
『「ある行為を犯罪として処罰するためには、立法府が制定する法律(この場合議会制定法)において、犯罪とされる行為の内容、及びそれに対して科される刑罰を予め、明確に規定しておかなければならないとする原則」のこと。』
とあります。

厚生労働省通知による解釈によって左右される、「違法性」とは本当に罪刑法定主義に合致しているのでしょうか?どうやって医療従事者たちは「刑事罰」の境界を見極めればよいのでしょうか?法学的には素人に過ぎないものたちなのに。


助産師以外の「内診行為」を指示したということで、保健師助産師看護師法違反に問われ、刑事罰が成立してしまった医師が既にいるそうですよ。つまりは、法的には「違法性は明確」なのです。この医師は略式起訴(?、ちょっと正確には判りませんが、略式裁判というようなことかと思います)され罰金50万円の略式命令を受けたそうです。つまりは、刑事罰の形式としては、「確定的に」理解できているはずです。すでに刑は執行されているのに、今更刑事罰が成立するかどうか、などという議論にはならないはずです(この医師は医道審議会で、3ヶ月の医業停止処分という行政処分まで受けているのです)。「法律」が変わりもしないのに、去年まで違法行為で、今年から合法なんてことがあるのでしょうか。元検事の方にさえ判らないような立件であるというのなら、日本の検察は一体どうなっているのでしょうか。一般素人に理解できますでしょうか?その違法性が。


このような失礼なことを申し上げて申し訳ございません。ただ、法というのは、「違法である」というのが明確になっていなければ、一般素人などそれを理解し未然に回避するなどということは無理だと思います。数多く出た行政職員の裏金事件は、素人でも「誰がどう見たって」横領とか、公文書偽造とかです。これは素人でも明らかに「犯罪」と判るのです。それなのに、「違法性はなかった」「立件できない」と言うのです。だから、犯罪じゃない、刑事罰も与えられなくて済むのです。日本の法とはそういうものなのです。「誰の目にも明らかな違法行為」は刑事罰なし、「誰にもよく判らない医療行為」は違法として刑事罰、ということです。


こうした矛盾について、何故「法学関係者たち」は、誰も、何も、考えないのか?言わないのか?未だに判らないのです。弁護士も、検察官も、裁判官も、法学研究者たちも、数多く揃っていながら、というが、非常に残念でなりません。私はそういった「専門家にしかできないこと」をお願いしたいと思っているのです。

このようなことを書いて申し訳ございません。矢部先生が何も悪い訳でもございません。大変な失礼をしましたことを、重ねてお詫び申し上げます。



遅延損害金はグレー金利か?~消費者契約法と利息制限法

2006年08月28日 17時47分55秒 | 法関係
ちょっと前の記事(特例金利?なぜ?金融庁)に、「消費者契約法の規定によって、遅延損害金の上限金利は14.6%ではないか」ということを書きましたが、コメントで情報を頂いたので、どうなのか考えてみます。まず、基礎となっている利息制限法について見てみます。


利息制限法
(昭和二十九年五月十五日法律第百号)

(利息の最高限)
第一条  金銭を目的とする消費貸借上の利息の契約は、その利息が左の利率により計算した金額をこえるときは、その超過部分につき無効とする。
元本が十万円未満の場合          年二割
元本が十万円以上百万円未満の場合     年一割八分
元本が百万円以上の場合          年一割五分

(賠償額予定の制限)
第四条  金銭を目的とする消費貸借上の債務の不履行による賠償額の予定は、その賠償額の元本に対する割合が第一条第一項に規定する率の一・四六倍を超えるときは、その超過部分につき無効とする。
2  第一条第二項の規定は、債務者が前項の超過部分を任意に支払つた場合に準用する。
3  前二項の規定の適用については、違約金は、賠償額の予定とみなす。


第4条にあるように、最高限金利の「1.46倍」と規定されています。つまりは、順に29.2、26.28、21.9(%)ということになります。なるほど、各消費者金融会社はこの規定に基づいて、「遅延損害金」の条項を設けている、ということです。利息制限法に従えば、この通りですね。次に、消費者契約法について見てみましょう。


消費者契約法
(平成十二年五月十二日法律第六十一号)

(消費者が支払う損害賠償の額を予定する条項等の無効)
第九条  次の各号に掲げる消費者契約の条項は、当該各号に定める部分について、無効とする。
一  当該消費者契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項であって、これらを合算した額が、当該条項において設定された解除の事由、時期等の区分に応じ、当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超えるもの 当該超える部分

二  当該消費者契約に基づき支払うべき金銭の全部又は一部を消費者が支払期日(支払回数が二以上である場合には、それぞれの支払期日。以下この号において同じ。)までに支払わない場合における損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項であって、これらを合算した額が、支払期日の翌日からその支払をする日までの期間について、その日数に応じ、当該支払期日に支払うべき額から当該支払期日に支払うべき額のうち既に支払われた額を控除した額に年十四・六パーセントの割合を乗じて計算した額を超えるもの 当該超える部分


第9条第二号規定を判りやすくまとめてみましょう。
「支払うべき金銭の全部又は一部を消費者が支払期日までに支払わない場合」=支払の遅延ということですね。
「損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項」=契約に設けられている遅延損害金の条項、ということですね。
以下の条文は、簡単に言うと、支払うべき額(既払い分は除く)に年利14.6%分を日割(支払期日翌日から支払日まで)計算した額を超える部分、ということになります。


で、この超過部分(14.6%よりも高い金利部分)は無効ですよ、というのが主旨です。契約時の条項に、いかに予め入れておいたとしても、消費者が自意で契約したとしても、「無効ですよ」ということなのです。これは、消費者が正しく理解・判断できない場合もある為に、「悪巧みトラップ」(笑)を無効化するための条文ということになります。悪いヤツラはゴロゴロいますからね。


では、利息制限法に認められている遅延損害金の上限金利と、消費者契約法の上限とではどちらが優先されるのか、ということになると思います。これを検討してみたいと思います。


まず、金銭消費貸借契約は消費者契約法の範囲になるのか、ということを見てみましょう。

(定義) 
第二条  この法律において「消費者」とは、個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。
2  この法律において「事業者」とは、法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。
3  この法律において「消費者契約」とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう。


このようにありますので、消費者と事業者間で締結される全ての契約について適用になると考えてよろしいのではないかと思えます。そうなると、消費者金融会社と個人の契約は、「消費者契約法による制限を受ける」と結論されると思います。


次に、「利息制限法を守っているし、認められてるのだから、合法だよ」という主張も考えられるところであり、利息制限法の範囲を守ればよいのか、ということを検討してみます。


消費者契約法の立法趣旨ですけれども、第1条を見てみましょう。

(目的) 
第一条  この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について契約の申込み又はその承諾の意思表示を取り消すことができることとするとともに、事業者の損害賠償の責任を免除する条項その他の消費者の利益を不当に害することとなる条項の全部又は一部を無効とすることにより、消費者の利益の擁護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。


この法律は僅か12条までしかない、非常に短い法律なのですが、この条文を読むとよく理解できます。どこのどなたが書いたものなのか判りませんが(笑)、消費者の置かれている立場をうまく表しており、素晴らしい条文だと思います。「消費者利益の擁護、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与」ですから。「情報の質及び量並びに交渉力の格差」というのは、まさにその通りであると思いますね。


で、この法律が制定された背景というのは、本来的には民法や商法などの基本的法規がある上で、たとえ「民法上では違法を問えない」という状況があっても、消費者にとって著しい利益侵害ということも起こってきたということがあるかと思います。所謂悪徳商法等ですね。であれば、制定が平成12年の消費者契約法は、昭和29年の利息制限法よりも「消費者保護」の観点からは望ましいと思われます。



でも、さっき問題を発見しました。ちょっとショックです。よく最後まで読むと、消費者契約法には次の条文がありました。


(他の法律の適用)
第十一条  消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示の取消し及び消費者契約の条項の効力については、この法律の規定によるほか、民法 及び商法 の規定による。
2  消費者契約の申込み又はその承諾の意思表示の取消し及び消費者契約の条項の効力について民法及び商法以外の他の法律に別段の定めがあるときは、その定めるところによる。


これはどういうことでしょう・・・・第11条第2項の「消費者契約の条項の効力について民法及び商法以外の他の法律に別段の定めがあるときは、その定めるところによる。 」というのがあります。「条項の効力」というのが問題ですよね。利息制限法の第4条がこれに該当するのかどうかは判りません。でも、普通に考えると債務不履行の賠償額を定めるものであるため、「条項の効力」を肯定するようにも思えるし、「他の法律に別段の定めがあるとき」になってしまいますかね、やっぱり。うーん、消費者契約法に基づく「遅延損害金」の上限14.6%は適用できませんか?でも、それって何か変なような気がするが。だって消費者保護の観点からわざわざ法律を作って、悪意的な損害賠償請求を「無効化」するためのものであるのに、それを超える損害賠償請求を可能とするのは、矛盾しているようにも思えるんですよね。


そうは言っても、私の解釈が間違っていたかもしれません。申し訳ございません。消費者契約法の条項無効化は及ばないのかもしれない、ということです。無念です。



助産師・看護師の業務に関する法的検討

2006年08月27日 23時57分17秒 | 法と医療
先日の事件発覚を受けて、改めて違法な看護師による業務が問題になっている。私には当該事件についての知識はないので、特にコメントはできないのですが、ネット上の議論などを眺めると看護師が行った内診行為と死亡事件との因果関係はなさそう、ということらしいです。警察の捜査発表を待たねば軽々しくは申し上げられませんが、看護師の行為と死亡例とは分けて考えるべきだと思います。


「悪法も法なり」というご指摘は、古くから言われておりますので、そうなのだろうと思います。当該事件の院長の抗弁というのも、かなり問題のあるものであったことでしょう。それについては、今は触れません。産科の実態などについては、もっと詳しく検討されているものをお調べ頂いた方がよろしいかと思います。まずは、看護師の行為についての法的な解釈を考えてみたいと思います。


前提となる情報として、次のことがあります。
・「看護師は内診行為を行ってはいけない」という通知を厚生労働省が出していた
=故に、当該病院の看護師が行っていたのは違法とされた(助産師ならばよい)


まず、基本法について見てみましょう。これは「保健師助産師看護師法」という法律になります。この規定によって、違法行為とされたものと思われます。


保健師助産師看護師法

第三条
この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。

第五条
この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。


「助産師」「看護師」というのは、定義上はこのように規定されています。次に業務を見てみます。

第三十条
助産師でない者は、第三条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 (昭和二十三年法律第二百一号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。

第三十一条
看護師でない者は、第五条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 又は歯科医師法 (昭和二十三年法律第二百二号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
2  保健師及び助産師は、前項の規定にかかわらず、第五条に規定する業を行うことができる。


こうして見れば、保健師と助産師は看護師の業務を行ってよい(31条第2項)が、看護師は助産を業として行うことはできないように思えます。整理しておきますと、次のようになります。

助産師の業:
①助産
②妊婦、じよく婦、新生児の保健指導
③看護師の業

看護師の業:
①傷病者、じよく婦に対する療養上の世話
②診療の補助


ところで保健師、助産師、看護師のいずれも「免許制」となっており、それぞれ異なった試験を受け免許を取得することになっています。これからは、やや特殊な事例を考えることになりますが、法律上の検討と思ってご容赦願います。

それは何かと申しますと、保健師や助産師であっても、実は看護師の国家試験に不合格となる事例が稀にあります。これは、看護師になるための専門学校や大学等においてまず決められた課程を履修し、その国家試験の後に通常「保健師」や「助産師」となる為の学校等に進学することになるのです。従いまして、まず「看護師」の国家試験を受験し、同時に進学するのです。ここで、看護師の国家試験に不合格となっても、保健師や助産師の学校の入学資格が取り消されたりする訳ではなく、看護師の受験資格を得られる学校を卒業しておけば進学することは何ら不都合を生じないことになっています。これは保健師助産師看護師法にも載っています(第19条、20条)。


普通不合格であったならば、もう一度看護師の国家試験も受験することが多いのですが、翌年看護師と保健師もしくは助産師の国家試験を同時に受けることになりますので、稀に再び看護師の試験に落ちる場合があるのです。すると、保健師や助産師の免許が与えられているのに、看護師の免許がない人が存在することになります。法律というのは、こうした特殊な事態を想定しては作られていないため、先の第31条第2項規定にある通りに、「看護師の業」を行ってよい、ということになるのです。


従いまして、「看護師の基準に適合しているものとして」助産師の免許を与えられれば、法律上は「看護師の業」を行うことが許されます。実際には国家試験に落ちていて、基準に達しないとしても、です。ところが、こうした状況は好ましくはありませんので、厚生労働省は「通知」を出すことで「看護師」の資格を有さない保健師や助産師には「看護師」の業務を行わせないようにさせるのです。こうした通知というのは、法律ではありません。あくまで、中央省庁から下級機関への通知ですので、「法的強制力」は法学的には有していないと解釈することも可能と思われます(本当なのかは確かめたことがないです。裁判で争うということで確かめたりしないと難しいかと思います)。ただ現実の実務上では、無視することはできませんし、相当の強制力として働くのですけれども。「看護師免許を有しない助産師の看護師業務は違法行為なのか?」というのは、法的解釈だけ考えれば「違法とは言えない」というのが私の考え方です。条文だけ読めばそうなると思います(厚生労働省通知よりも法第31条第2項の方が優先されるし、上級?(上位?)法であるということです)。


このように、法律の条文に書いてあっても、実際には通知や疑義解釈などによって相当程度の影響力・強制力をもって変えられるし、それが可能であるということです。翻って、看護師の行う「内診行為」が助産師の業であってなおかつ違法行為であるかどうか、という問題を考えてみることとします。


上で既に見ましたように(看護師の業の②)、看護師は「診療補助」行為が認められておりますが、これも解釈次第なのですね。どこまでが補助なのか、どこまでやって良いのか、ということですが、簡単な「静脈注射」の例を考えてみましょう。これは通知によって「OK」ということになっていますが、実はこの通知が出たのは最近なのです(去年でしたか)。それ以前から日常的に行われていた業務ですけれども、注射・点滴・採血などは看護師が行える行為とも法的には言えないのです。医行為に該当すると考えられる為であり、これは医師法等の規定による為なのです(故に、厳密に言えば違法行為とも考えられた)。でも、医師法も保健師助産師看護師法も、それぞれの「業」の規定を法改正することなく、通知のみの解釈変更を適用することで「違法」から「合法」へと変えることが可能であるということです。「違法」行為である、というのは、単なる解釈論に過ぎないのです。実は、通知によって変更可能であるというのは、医療技術等の進歩に合わせたりでき柔軟な対応も可能になるため有利な面もあるのです。毎回法改正をせずともいいし、医療行為や技術の進歩等は大きく変わっていくこともあるし、社会的要請が強まるということも考えられるためです(除細動行為や喀痰吸引行為などもそうですね。医療従事者以外でも可能になりました)。


別な例で考えてみましょう。看護師が重篤な狭心症患者の心電図モニターを監視していて、患者の狭心症発作を認めたため医師に連絡するという場合を想定しましょう。この場合、「心電図モニター」を監視していて「狭心症発作」を連絡することは、「診断」を伴う行為であり、これが「アーティファクト」なんかではなく「狭心症」であるということで医師を呼ぶわけです。実務上では、このような行為は日常的に行われており、もしこれを「違法」と規定されれば、そうですか、とは思います。これが「診療補助行為なのか」と言われれば、どちらとも解釈可能であるからです。しかし、よく訓練された看護師であれば「狭心症発作」の心電図異常は容易に判別可能なのであり、医師に緊急のコールができれば問題ないのです。ここで、行為の禁止規定もあるので、条文を見てみましょう。

第三十七条
保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし、臨時応急の手当をし、又は助産師がへその緒を切り、浣腸を施しその他助産師の業務に当然に付随する行為をする場合は、この限りでない。


この規定によれば、「診療機械を使用」、「医薬品を授与」、「医薬品について指示」、「衛生上危害を生ずるおそれのある行為」が禁止されるが、「医師又は歯科医師の指示があつた場合」には可能な行為も有り得る、ということになります。先の静脈注射や心電図モニター監視などは、これらの「指示があった場合」に該当すると解釈することも可能であると思います。つまり、看護師が行う「内診行為」は、 a)「医師の指示」があり、b)「診療補助行為の範囲」であると考えられるものであれば、「看護師の業」として解釈することも可能であるということです。現状では、厚生労働省通知が既にある為に「禁止規定」ということになりますが、法的には「通知の無効」を争うことも当然可能であると思われます。


実際の現場のことを考えてみます(あくまで推測ですので)。不謹慎だ、という非難があるかもしれませんが、書いてみます。
医療現場というのは、昔のRPGのパーティみたいなものと思われます。これは、個々の職種に応じて役割は決まっていますが、問題になるのは、その「パーティの強さ」なのです。望ましいのは、個々の能力が高く、パーティ全体としても強いことですが、中々そういうパーティを作るのは容易ではありません。人的資源には限度があるからですね。

イ)医師1、研修医1
ロ)医師1、看護師1、看護師2
ハ)医師1、助産師1、看護師1

こんな感じであるとしましょう。医師の能力は全て同じであるとして、違いがあるのは他のパーティメンバーです。イ)の場合には、抽象的に書けば「医師2名」であり、どんな医療行為も可能であり、万能ですね。誰がやっても、全て合法です。実際には、使えない研修医というのは、「役立たず」と言っても過言ではなく、パーティの強さとしては「最弱」かもしれません。戦力としてはカウントできないのです。特に経験のほとんどない医師なんて、実務上では看護師以下であることも多々あります。点滴の下手くそな研修医に当たったことがあれば、直ぐに実感できるはずです。思わず「ベテラン看護師に代わってくれ」と言ってしまうでしょう(笑)。

次に、ハ)を先に考えますが、内診行為を行えるのは2名でイ)と同じですが、研修医よりも経験を積んでる助産師ははるかに役立ちますが、福島県の事件のような「産科医が一人でやった」とか言われる時には、なんら言い訳にはなりません。「医師が2名」よりも弱いのが追及された時の弱点ですね。実際上はイ)の方がパーティの総合力は低いにも関わらず、なのですけれども。

最後にロ)ですが、内診行為の問題では医師以外にできないのであり、看護師がどれほどベテランであっても横浜の件のように違法と言われます。ハ)の助産師が未熟な場合であれば、ロ)の方が強い場合も十分有り得ます。それに、看護師免許を持たない助産師であれば、注射も診療補助もできないんですからね。


結局、実務上の経験とかパーティ全体の強さが重要で、事故や過誤を防ぐのはもっと別な次元の問題であることが多いのです。検事にしても、成り立ての「ペーペー検事」よりかは、実務経験豊富な事務官とか資料課事務官の方が「使える」ことが多いのと同じようなものではないかと思います。


それから、どういうわけか弁護士の団体が内診行為の申し入れをしているんですね。法的解釈はどのようにしているのか、全く不明ですが、何かの利権ということはないのでしょうが、「訴訟提起」増加の背景の一部なのかもしれません。


保健師助産師看護師法の遵守徹底に関する申入書


「内診行為」が安全な助産には欠かせない、というのは、部分的にはそうだろうと思いますが、リスクの判定はそれ以前の問題なのであり、助産師単独が行う助産院において事故が発生する可能性にしても、助産師がいるから安全などということはないのです。


なぜ、これほど弁護士関連の団体が産科関連の訴訟に「熱心」なのかはよくわかりませんね。



私は官僚ではありません(笑)

2006年08月27日 21時50分02秒 | 俺のそれ
前の記事にコメントを頂いたので、少しお答えをしたいと思います。

悪い予想が現実になってしまった


まず、今までにも幾度か指摘されたのですが、私は官僚なんかではありません(笑)。生まれてこのかた、「公務員」になったことなど、一度もないのです。「官僚みたいな物事の見方」という厳しいご指摘は、非常に痛いところでございます。いつも私が官僚や公務員を批判しているのに、自分自身がそれと同じなのかと思うと辛いですし、同時に深く反省せねばならないなと思いました。ただ、我々国民にも行政の一部に留まっている情報を取り入れたり理解しようとしたりする努力も、いくらかは必要だろうと思います。これは私もそうだろうと思っています。一国民の立場だと、行政側がどんなことをやっているのか、よく判らなかったりすることが多いのです。


私は既に40過ぎなのですが、私が生まれたのは田舎で、しかも自宅で生まれました。私の兄弟も自宅出産でした。当時は、病院での出産に移行していく途上でして、恐らく都市部の大半では病院出産になっていたと思いますが、3人に1人くらいは自宅出産であった時代だと思います。多分東京オリンピック頃を境にして、病院出産が一般的に広まっていったのではないかと思います(これは推測に過ぎないですが、統計的には大体そういう傾向です。高度経済成長時期に平行して都市化が進展したからであろうと思います)。自分の家は貧乏であったことも自宅出産を選択の理由であったと思います。私を取り上げてくれたのは、祖母でした(これは後年母から聞かされました、笑)。現代では考えられないと思いますが、私はこうして生まれてきました。


通常の出産というのは、自分ひとりでも出産可能であり、特別なことがなければ、私の祖母が取り上げても何ら事故など起こらないのです。これが看護師であっても、勿論そうです。実際には、問題が起こり得る場合というのは、ずっと少ないし限られていますが、リスクとしては病院出産に比べて高くなると思います。問題が起こる時というのは、医師がいても、或いは助産婦がいても、起こってしまうのです。事前に予期できるものもありますし、予期不能のものもあるのです。そうは言っても、事故や医療過誤に遭われた方々にとっては、確率で言えば「1分の1」という100%なのであり、心情的にも許すことはできないというのは判ります。「確率なんかじゃないんだ」というのは、当事者にとっては必然的な思いであるということも。ミスをすること、違法な医療行為をすること、それらが簡単に許されていいということではありません。しかしながら、それらと、医療のシステムとか法律、政策、といったことはやや異なる部分があると思います。「最善」を常に求めるのであれば、その為のコストを国民全部が負担するという意思が必要であるということです。


つい最近、車の転落事故で「ガードレールの強度が不足していた」という報道がありましたが、これも事故で考えられる荷重に耐えうるガードレールを設置することは、いくらでも可能です。日本の技術力をもってすれば、高強度のチタン製ガードレールさえも作れるかもしれません。しかし、その設置にかかるコストというのは膨大になってしまい、その為だけに数兆円か数十兆円かかるかもしれませんが、ガードレールからの転落事故は防げるようになるかもしれません。そのことを国民が賛成し許容でき得るならば、そうするべきです。他の重視するべき何かよりも、そうした転落事故を防ぐ方を選択するかどうかです。


何かのシステムを作ろうとする時、無限にお金や人材などを使える訳ではないので、どの水準で何を優先して国民が求めていくか、ということが重要なのだろうと思います。


次の記事で、法的解釈を考えてみます。
「悪法も法なり」という言葉を頂いておりますし。



カモは太らせてから食べるのが鉄則

2006年08月26日 19時30分34秒 | 社会全般
「ヘンゼルとグレーテル」の童話を思い出しますね。魔法使いババアが子どもを「太らせてから食おう」という話しだったと思うが、これと似てるのが貸金業だ。先日の毎日新聞の記事をもう一度取り上げて考えてみたい。

こうして蟻地獄へ


スタートの借金50万円だが、少ない金額とも言えないが、収入や資産状況にもよるだろう。金融庁が検討している「特例金利」では、「少額」だそうだ(爆)。この男性の場合、知人に騙されたのだから可哀想だし、住宅購入で預貯金も使い果たしてしまった後だったから、再就職したとはいえアンラッキーであったことは確かだ。まあこれは仕方ない。当時は上限金利引下げ前だったので多分40%くらいの高金利だったかもしれない。それでも、毎月2万円返済すれば、4~5年で返せたはずだった。これがどういう契約だったのかは不明だが、決まった額を決まった期間返済するということでもないのかもしれない。最低15000円入金すればいいですよ、とかそういう仕組みだったのかもしれない。この男性は、01年まで約8年返済を続けてきたのだが、借金は逆に120万円に増えているのですね。途中、滞納したりしたかもしれないし、再就職先を退職したりして収入が減少したのかもしれないし、詳しい事情というのは判らないが、「元金は減っていなかった(逆に増えた)」「新たな借入を行った」というのは確かだ。こんなことがどうして起こってしまうのか?男性は、JR九州の車掌を勤めていた、ギャンブルも酒もやらない真面目な人のようだし。正しい判断ができない程、能力の問題があるとも思えない。それでも、いつの間にか借金は50万円から120万円に膨れ上がっているのだ。これはまんまと「太らされた」としか思えないのですね、貸金に。


いくつかの消費者金融のHPなどで少し調べてみましたが、判ったことがちょっとありました。

返済方法は「元金定率リボルビング」「残高スライド元利定額方式」「借入金額スライドリボ」「元利定額リボ」「元利込定額」とか、会社毎に違いがあったりして複雑なのですね。何となくは判るが、基本的にはよく判らないですよね。正確な違いとか計算方法の違いなんかが、どうなのか判らないこともあるのではないかと思えます。実際、私にはよく判りませんでした。契約すれば、きちんと教えてくれるのだろうと思いますけど。

で、ありがちなのは、10万円区切りごとに最低入金額が3000円ずつ増えるタイプです。スライド方式のものですね。10万円借りると少なくとも毎月3000円入金すればよく、20万円になると6000円以上返せばいいのです。これは、払える人の場合には、ある時にいくらでも返せるので便利なようでもありますが、「太らせる」ための罠であるかもしれません。


例えば、アコムのシミュレーションをやってみると、10万円借入で3000円ずつ返すと、返済が終われないのです!契約は5年以内60回までなのですが、63回かかってしまうため、新たな借入として自動的に契約が更新されることになるのだろうと思います。5年払い続けてもまだ借金が続いているのですよ(笑)。どこかの時点でもっと多く払えば、返済は60回よりも早く終了するので、問題ないのですけどね。合法だよ、合法。で、15万円借りると、やっぱり最低入金額は3000円ですから、返済が終了することはありません。最低額がジャンプするのは20万円に到達してからなのですよ。なので、途中で3000円よりも「意図的に」か「頑張って」多く払い込まないと、返済は終了しないのですよ。これは人間の行動特性をよく理解しているということですよね。「3000円さえ払えばいい」という錯覚をもたらす可能性があり、返済が苦しいと思う人ほどそれを選択しがちになる、ってことですよ。10万円以上~20万円未満のゾーンではとりあえず3000円だけ払っていればいいのですから(60回以内で返済を完了しようと思えば毎回4613円入金しなくてはならない)。

このように入金していくと、利息部分に優先的に充当されていくので、元金は中々減っていかないのです。途中で新たな追加借入を行えば、次のゾーンにジャンプするまでは入金最低額は変化がないので、「返済負担が変わった」という実感が少なくなるということです。うまく考えられている方法ですね(笑)。「とりあえず3000円でいいですよ、ある時に多く払ってくれればいいんですから」という、一見温情的というか猶予があることによって借り手の心理的障壁を下げ、返済負担を先延ばしにさせる(=金利収入を多く取れる、借入期間を長くさせられる)効果があるのです。


もう一つ不思議なものがあって、返済期日が35日周期、というのがあります。つまり「ちょっとだけ長めに返済期日が設定されている」というものです。普通は、給料日のように毎月決まった返済日があると思うでしょ?そういうのもあるのですが、35日周期という方法が何故かあるんですよ(笑)。これも、一ヶ月よりも少しだけ「猶予」を持たせており、35日来る前に入金してくれればよい、ということです。これを考えた人は素晴らしいですよ!行動経済学の研究者になれますよ、きっと(爆)。これがなぜうまい効果なのかというと、多重債務者の多くがハマりやすい、「自転車操業」状態ですけれども、これが何故起こるのかというと返済管理がうまく行ってないことが大半なのです。大抵の自己破産者が言うのは「いくつもから借りてしまい、ワケがわからなくなってしまって」ということです。まさにこれが狙いなのですよ。本人は「返しているつもり」が、実は元金を減らせていないということであり、そこに誘き寄せるための「コンフュ」状態(FFが好きな人なら知っているよね)なのですよ!confusionによって、返済管理を破綻に導くための方法なのです。35日周期というのは、通常の人にとっては不慣れなのであり、月間が30日とか31日とかあると、変動するんですね。返済期限が変動する=期日が守れなくなったりする、ということですね。8月1日に借りたとすると、9月4日までに(この2週間前から)入金しておけばよく、入金日が9月2日だとすると、次回は10月7日までの期日になるということです。「前回入金日から35日後まで」という微妙な期日設定によって、これを何度も繰り返していけばワケがわからんことになっても不思議ではないですよね(毎月決まっている方を選択しておけばいいのですが、これが果たしてどうなのか、一度でも遅れると変えられるかもしれないし)。「一ヶ月よりも返済期間の余裕のある方がいいですよ」とか勧められたり、期限が5日でも長い方がいいと本人が考えたりすれば、もうトラップにまんまとかかっているようなもんです。借り手の心理をうまくついていますよね。


他には、定額リボ払いというのもあって、クレジットカードにも似たようなのがあると思いますが、月々の返済額を例えば1万円と固定しておく方式ですね。これは借入残高が増えても、直ぐには何も変わらず、限度額までは期間が延長されるだけです。借金が増えたという実感が薄れやすいのではないかと思えます。「25回かかる返済」と「40回かかる返済」が、感覚的につかみにくい、ということですね。「今、目の前にある苦しみ、負担感」ということが影響が大きいような気がします。毎月負担額を増額すれば(2万円とかに)借入総額も増やせるのかもしれませんが、正確には判りません。会社ごとで違うと思います。


こうしてみると、本当に「商売上手」といいますか、うまく引き込み多くの金利を払わせるための工夫が凝らされていますよね(笑)。


これ以上に大問題だと思ったのは遅延損害金です。以前の記事(ある貸金業者を想定してみる)に架空の物語を書きましたが、これは違法だったのですね。特に取り決めがない場合には、年利6%で払えばよいことになっていますが、通常は貸金側が遅延損害金を規定していることが多いと思います。ただ、注意するべきは「消費者契約法」という法律がありますが、これによれば支払遅延に対する損害賠償等が『年利14.6%』を超える部分については無効、ということになっています。消費者契約の条項に高額な賠償が定められていても、最大でも年利14.6%を払えばよいのです。現実はどうでしょうか?

消費者契約法 - Wikipedia


アコム、武富士は不明でしたが、アイフル、プロミスは遅延損害金は29.2%、レイク21.9~29.2%などとなっています。銀行系のアットローン(三井住友系)、モビット・DCキャッシュワン(三菱東京UFJ系)はいずれも21.9~26.28となっています。クレジット系など他の所もみんな似たような感じでしょうか。これらの遅延損害金は14.6%を超える為、無効なのではないかと思えます。


通常、返済した時の充当としては、「遅延損害金、諸手数料」が優先されるため、元金充当部分は当然減らされていると思います。最低3000円入金すればよい、と思っていても、実際には延滞などがあればこうした損害金などに先に充てられるため元金部分の返済には回されるのが減ってるのです。それ故、債務者が支払いを続けているのに、元金が思ったほど減っていかないということも起こりがちなのではないかと。


冒頭の男性の例のように、「雪だるま」にされるのにはそれなりのワケがあるのですよ。貸金側が巧妙なトラップを用意して、待っているからです。そして、月々の1万円とか2万円を払うのさえ苦しい、という水準になっていると、これより数千円足りないという状態であっても「新たな借入」を行わねば返せないという事態を生じ、「返すために借りる」という事態を招くのです。そこから先は、複雑なシステムとの戦いであり(笑)、自転車操業をキッチリとこなしていかない限り、途中で再び借入なければならなくなるのです。そうして、1社から2社、2社から4社という具合に増えていくに従って、「管理」は確実に困難になっていき、遂にはconfusionを招来するのです。毎月か月ごとに変わる返済期日かに合わせて、「どこ」に「いくら」というのを自分の中で把握し続け、ミスなく返し続けていかねばならんのですよ。それほどの管理能力があるのであれば、恐らく初めから多重債務に陥ることもないだろうし、いくらかでも貯金することも可能ではないかと思えます。どうでしょうか?

「返す為に借りる」という意味が判ってない人もいるようですが、「最低入金額」にさえ満たない額の収支変動でさえも他で吸収できなければ、「返済できない」という事態(=新たに借りてしまう)が起こってしまう、ということなのです。


既に借入しているのに、貸せる業者はいくつもある訳ですが、ネット上で探すと、6社以上の借入先があっても貸せる所があるようです。実際そこに申し込んでないので、本当に貸してくれるのか確かめられないのですけどね。
SBIイコールクレジット、プリーバ、クオークローン、クレディア、スタッフィ、武富士
といった所は可能性があると出てました。

4~5社でも、
ニッシン、SBI、ディック、レイク、楽天、モビット、ユニマット、クレディア、ノーローン、オリエント
は可能性があると出ていました。そうですか。

自己破産の借入先件数は平均では7社くらいでしたから、相当危ないね。でも借りられるんですよ。7社から借りてても貸す、とか出てる所もあったけど。こういうのは、別な悪質業者への誘導の罠とかなのかな?アコムの簡単審査もやってみたけど、ここも4社なら私くらいならば「融資可能と思われる」ってさ。借入残高が600万円超でも(笑)。4社ってのは銀行やクレジットは別ですからね、一応。


学生ローンにも4社までならOKというのがあるようですよ。学生だから、収入なんて限られてるよね?でも貸してくれる可能性大なんだそうだ。「フレンドトラスト」という業者らしいです。まあ、ネット上で書かれてることですから、鵜呑みになんてしてはいけないですよね。


「短期・少額」なのに、「借りられなくなる人」というのはどんな人なんでしょうね。「資金が絞られる」というのはどういう状況の人なのでしょう?「高い金利じゃないと貸せない人」ということであれば、「他社の貸金から既に複数借りている」ということでしょうかね。それなら、単なる「貸し込み業者」ってことだね。新たな「貸し込み」が停止されれば、破産が増える可能性はあるが、所詮時間の問題でしょうね。処理が早まるだけだ。貸倒損失の総額が減るから、業界にとってはむしろ「御の字」だよね(笑)。7社が債権を持つところが、6社になっただけ、というようなもんではないかと。


新規なのに「短期・少額」で貸さない業者ってどうなんでしょう?損益分岐点が最低貸出金利で18%以上の業者ってことですか?もっと低金利の10%以下でさえ複数業者があるので、借り手が情報を知っているかどうかでしかないように思えますね。ネット環境は無理でも、電話か携帯ならアクセス可能だし。即振OKだしね。審査も早いときたもんだ。それで問題ないよね、新規であれば。18%以上でしか貸せない業者には、退出してもらうしかありませんね。「代替機能が存在しない」ということはないですね。


他にはどんな場合が想定されるのでしょう?「過去の信用情報で長い延滞などの”傷”があるが、現在は借入残高はない」「自己破産したことがあるが、10年以上経過してる」とか?自己破産から10年経過していれば、関係ないよね。信用情報の登録期間はもっと短いはず。自社のデータでは判るかもしれんが。なので、信用情報機関の情報だけで見れば、借りられそうだよね。他の「スネに傷持ち」だとどうなのか知らないけど、今残高がある訳でなければ、貸す業者はいるかもね。だって、既に完済しているわけだから、最終的には払ったんだし。


「「短期・少額」なのに、融資を絞られる顧客層」というのは、どういう場合なのか、具体的に挙げてみてくれ、金融庁。時限措置で3年とか特例金利を作ろうとしているようだから。「借りられなくなる顧客層」ってのが、多重債務者以外にどういうのがあるか、絶対に教えて欲しい。


それから、世の中には、とんでもない理屈を並べるヤツがいるんですね。全く理解できないけど。

「ご利用は慎重に」


「1500万人を対象にした薬がある。副作用に苦しむ人が1割いる。そのうち重篤な副作用で死ぬ人が1割いる。つまり、死亡者はたったの1%に過ぎず、残り9割は問題などない。故に、この薬には何ら問題なく、行政が介入するのはオカシイ」

こういうことを言い続けるヤツがいるんですよ。マジで。


ならば、ニートだか何だかの40数万人程度に予算なんかつけるんじゃねえよ。断固として反対運動や批判をやれよ。エレベーター事故だの、ガス器具事故だの、シュレッダー事故だの、自動車不具合のリコールだの、高々数人程度の死傷者の問題に、いちいち介入している行政ってのは本気でバカで無駄ってことで、そういう省庁の官僚ってのは揃いも揃って無能者ばかりなんだね。そんな無能者に何で国民は給料を払わねばならんのだ?(笑)

上の例で言えば、高々1割、150万人くらいの問題にガタガタ言うな、って主張の人がさ、どうしてこういう「無能ばかりの官僚」を非難しないのか不思議でしょうがないよ。1350万人は問題なく使えるじゃないか、悪いことなんかない、ってことだろ?耐震偽装問題だかもさ、大した問題なんかじゃないだろ?せいぜい数百人とか数千人とか、まあ、10万人も被害にあったりしてるわけじゃあるまいし、他の大勢には何ら問題なんかないんだから、こういう問題を行政が介入するのはオカシイよな?そんな無能ばかりの官僚どもは、いらねえんだろ?


この異常さに何とも思ってないというのが、凄いところだろうけど。どうせ自分じゃないからね、破産すんのは。

ドツボな連中だけが、カモられて、むしられたって、いいのさ。

自らの経済学理論において正しければ、それが最上なのだよ、諸君。


私には金融庁の官僚は頭が悪いとか、無能だとか、そういうことは知らんが、割とマトモだと思う。人間らしい、はるかに。少なくとも、国民の目から見て、支持できるのは確かだ。



人種差別と人種差は違うと思う

2006年08月25日 19時41分51秒 | 俺のそれ
以前の記事(教育は格差を再生産するか~その2)に敢えて「日本人」と「ケニア人」という比較にして書いたのですが、これは若干の意図がありました。中には、「人種にどんな意味があるんだよ」という批判もあるからですね。確かに、全部のDNA塩基配列を比べてみても、人間の中での「人種差」というのはハッキリとは判っていませんね。「判っていない」ことと、「差がない」ということは明らかに違うことなのですけれども。それでも、世界人類の平等を掲げるのか、差別を無くそうという運動の一部なのかよくわかりませんが、「人種差」を検討することに意味はない、とか主張する方々がおられたりします。


何度か取り上げている『ヤバい経済学』ですけれども、この中では割とハッキリと「白人」「黒人」「ヒスパニック」という具合に区別して検討されています。「クロい名前」や「シロい名前」とまで書かれているのですけどね(笑)。経済学的な分野であっても、「人種差」によって比較することがある、と言えます。これは殊更差別を肯定しているとか、差別はあってしかるべきといったことを支持するものではないことは当然ですね。でも、遺伝子的な要因なのか、後天的・環境的要因なのかは不明だが、例えば「学力に差がある」ということは現実に検出される訳です。その事実は受け入れる他ないと思えます。これは人種の厳密な生物学的定義ということよりも、比較検討する際の単なる「区分」であり、研究者の「定義付け」(意味を持たせるに妥当かどうかは評価はあると思いますけれども)によって区分可能です。


人種間で、例えば血液型や持っている体内酵素の種類や比率などが異なることは知られており、母集団を比較すれば差が認められることも有り得る、ということです。なので、黒人と日本人という母集団を比較した時、何かの能力とか身体的な特徴とか、そういう部分で差があっても不思議ではないでしょう。説明力を持つのが「人種差」という場合もある、ということです。「人種なんてそもそも存在しない」と言われれば、「ソーデスカ」と言うしかないですね。


日本での人種差別はアメリカほどではないので、私が日常生活の中でハッキリと感じることは少ないです。ですが、ネット上では多少観察されると思います。私は、「菊の花」が様々な色とか形とかあっても不思議ではないし、香りとか葉っぱのつき具合とか背丈とか、そういう違いがそれぞれの魅力であったり特徴としてあってもいいと思えます。別に、「みんな平等」である必要性なんて感じないですね。でも、差別だ、とか主張する人というのは、それらは全て「同じ菊」でなくてはならない、と思っているのでしょうか?ちょっとよく判らないんですが。個々の魅力があって、背丈が伸びる種類であるとか、臭いがクサイとか、花びらは地味だとか、葉っぱがチクチクするとか、そういうのは別にいいと思いますけど。「差がないんだ」とか主張する人というのは、逆にそのこと自体が差別的であることを助長しているようにも思えます。そういう意図ではないにせよ。「黒人」という人種を認めることは、ダメなんでしょうか?「クロい家族」「クロい名前」とかはダメなんでしょうか?私は別にいいじゃん、とか思ってしまいますけど。多様性の一部に過ぎないじゃありませんか。


『ヤバい経済学』の中では、ローランド・G・フライヤーJrの例があったけれど(無名のハーバード大の黒人研究者だ)、白人の例としては「ユナボマー」として知られる男―「テッド・カジンスキー」と言う―が書かれていた。要するに、どんな遺伝子か、どんな生い立ちか、どんな家族に囲まれてどんな教育を受けたか、そういうのは確かに大事だけれど、個々の人生は「確実に存在」しており、人種差・母集団の差なんて運命を切り開ける意志があれば、乗り越えられるし変わっていくものなのだろう、と思う。そうでなければ、著者たちがわざわざフライヤーとカジンスキーの例を取り出してはこなかったのではないかとも思っている。

母集団の平均的な差の意味と、個々の人間は違うのだよ。日本人には、確かにNFLのスター選手を目指すのは不向きかもしれず、黒人よりも比較優位には立てないかもしれない、ってことは判るだろう。要するにそういうようなもんだ。この時、「日本人」「黒人」というのは、一般的に言ってるだけで、中には飛びぬけた才能を持つ人間が現れて、日本人でも成功できる人が現れるかもしれないですよ。そういうことです。



悪い予想が現実になってしまった

2006年08月24日 17時04分54秒 | 社会全般
書いてた懸念が早速現実になってしまいました。
何度も挙げて恐縮ですが。

参考記事:サンバの幻想?

で、事件はこちら。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <横浜の病院>准看護師ら助産行為、神奈川県警が捜索開始

(記事より一部抜粋)

年間出産数が約3000人に上る全国最大規模の産婦人科病院「堀病院」(横浜市瀬谷区、堀健一院長)で、助産師資格のない准看護師らが助産行為を行っていた疑いが強まり、神奈川県警生活経済課は24日午前、保健師助産師看護師法(助産師業の制限)違反容疑で同病院の家宅捜索を始めた。院長の自宅など計24カ所を捜索する方針。同課は、同病院が長年にわたって看護師や准看護師に助産行為を任せていた可能性もあるとみて、押収したカルテなどを分析し全容解明を進める。
 調べでは、堀病院は03年12月末、同県大和市内の実家から通院していた初産の女性(当時37歳)が出産する際、助産師資格を持たない看護師、准看護師ら数人に内診などの助産行為をさせた疑いが持たれている。女性は出産時に大量出血し、04年2月に死亡した。
 同法30条では、助産師と医師以外の助産行為を禁じている。違反した場合、2年以下の懲役または50万円以下の罰金を科される。




出産数は相当多いので、特別に悪いことをしていたとも思えないのですが、要するに、死亡例が出たからですよね。そうでなければ問題にはならなかったのではないかと思う。こうして医療機関は締め付けられ、コストがアップする方向へと向かうが、誰がどうやってこの責任追及の後始末をするのか、だ。


社会全体でこのコストを負担する覚悟はあるか?どうなのでしょう?
よくわからんね。


結果が悪ければ、全てダメなんですよね。結局。


野球で例えると、次のような感じだ。

ピッチャーがいる。投球して全てのバッターを抑えられなければならない。打たれる確率もごく僅かにあるが、凄く稀である。名人クラスになると、大体三振に討ち取れる。だが、時に失投なのか失投とまでは呼べない程度なのか判らないが、打たれたら逮捕される。理由は「失投だったのではないか」ということだ。打ったバッターの力が予想の範囲を超えており、普通のピッチャーの能力では抑えきれないことも有り得るはずなのだが、これは「失投」と呼ばれてしまう。「三振に取ってるピッチャーが他にもいるじゃないか」と。対戦は一度きりのチャンスなので、他のピッチャーが討ち取れるかどうかは確かめる術がない。なので、架空の対戦だけ考えて、「必ず抑えられたはずだ」と責められるのである。確かに失投もあるだろう。だが、全てではないし、平均的な力量のピッチャーであっても、一流ピッチャーがベストピッチであった状態と同じように想定されて、机上の対戦を分析され、「このバッターは討ち取れた」と力説されるのである。「打たれたお前が悪い」ということで、犯罪成立なのだ。


例が適切ではないかもしれませんが、こんな感じですね。

医療の限界というものを考えるべきであり、誰か保険医療の経済学的分析をキッチリやってみて欲しいぞ。その水準を達成する為に必要なコストとか。



医療不審死の問題

2006年08月24日 15時43分16秒 | 法と医療
昨今の医療訴訟増加や刑事事件への発展などを受けて、厚生労働省が考える、ということのようです。

医療不審死、厚労省が08年度にも究明機関設置へ 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


「不審死」というのもよく判らないのであるが、患者の家族側からの提訴のような場合ということでしょうか。病院側からの説明で納得すれば「不審」でない、ということなんでしょうか。医療側は死亡理由は大体判っているので、不審でも何でもないことが多いのではないでしょうか。でも、実際には過失であるかもしれないし、仮にそうであっても隠そうとすることが多いから、ということでしょうね。それは罰をうけてしまうから、ということでもあります。


専門外ですけれども、一応書いてみようと思います。私自身が被害者とかその家族になったことがないので、当事者以外に何が判るんだ、というような批判があるかもしれませんが。

参考記事:
サンバの幻想?

出生時の過誤と裁判


上の参考記事にも出てきましたが、ADRという方法は既にあります。ただ、「過失があったのではないか」と考える患者やその家族にとっては、気持ちが晴らせない、という側面はあるかと思います。「どうして死んだのか」などの真実に迫れないからであり、過失と同等の苦しみをその行為者に与えないと、被害者感情の救済ができにくいから、ということも有り得るかもしれません。一般的に「悪者探し、犯人探し」傾向があるように感じられますし、「お前が悪いんだろう!謝れ、土下座して謝れ、詫びろ!!」という感情も理解できなくはないです。事故などの責任追及とかで、報道関係者の姿勢なんかを見ていると、それが垣間見られるように思います。なので、ADRという解決方法では不十分である、という面もあるかもしれません。


医療の賠償責任保険ですけれども、存在しないと思っている人々もおられるかもしれませんが、既に存在しています。これも、以前の記事のコメント(医療費削減と過失の狭間)にちょっと書きました。長期の裁判になってしまったりしたら、双方多大な労力を必要としますし、例えば小さな個人経営の診療所であれば、休むことになってしまい経営的に困るでしょう。それに、「裁判になっているらしいわよ」とかの評判が立てば、誰も来なくなりますから経営できなくなるかもしれません。なので、面倒な裁判に巻き込まれるくらいなら、たとえ自分にミスがなかったとしても、保険で払って解決した方が楽だと考えることも十分有り得ます。日本での訴訟件数や賠償額はアメリカのような状況にはなっていないため、まだ少額の保険料で済むハズです。しかし、今後訴訟件数が増加していく一方であれば、そのコストはアップするでしょう。


医療訴訟 - Wikipedia


公的な病院に勤務していれば、被告は大抵病院を運営する主体が含まれます。例えば国立病院ならば、国が訴えられ賠償金を払わされることになるかと思います(今は国立病院はなくなったけど。特別法人だったかな)。しかし、民事訴訟で負けた場合、国が払った賠償金の殆どが、国から医師個人へ請求されるのが一般的ではないかと思います。なので、医師個人は自分で任意の賠償責任保険に加入することが多いのではないかと思いますが、実態はよく知りません。個人経営の診療所であれば、当然加入すると思いますね。


医療側はこうしたコストアップを引き受けざるを得ないのですが、これを価格転嫁することはできません。価格統制によって診療報酬の殆どが決められているからで、安全面とか訴訟面などのコスト増は全て人件費などの他の経費削減によって対応せざるを得ないのです。となれば、リスクは増大する、時間の制約は多い、責任だけは重い、ということになります。多くの医師が多額の収入を得ていると考えている人たちも結構いると思いますけれども、公的病院は公務員と同じく決まった給料しか貰えないし、病院長なんかの特定ポストに就けばアップするかもしれませんが、その数がべら棒に多いとも言えないでしょう。また、個人開業ということもありますが、大抵は開業するまでに大学病院の医局などに在籍していて修行をしていなければならず、開業するにも初期投資は多額の費用がかかるでしょう。45歳くらいで開業できたとして(平均は忘れたけれど、40歳過ぎだったはずです)、せいぜい20年くらいしかできないのです。その上、退職金も勿論ありません。なので、開業している20年間で全ての投資額を回収し、なおかつ退職金と同等の資産が形成されていなければ割りに合わないでしょう。故に、個人開業医は減少しており、勤務医が大幅に増えています。それか、儲かる美容外科とか、揶揄の多いコンタクト眼科医なんかになれば、そこそこいいのかもしれませんが、殆どの医師たちは思ったほどの高給取りにはなっていないと思いますけど。テレビなんかで、「セレブ」だの何だのと大金持ちが多いと思っている人もいるでしょうが、そんなのは全体から見ればごく僅かでしょうね。


安全の為のコストというのは、患者の数が少なくてもかかってしまいます。例えば、高額な検査器機(CTとかMRI やエコーとか)は、利用する患者数が多ければ多いほどペイしやすいですよね、当たり前なんですが。なので、病院自体の(初期)投資がある水準でかかってしまうため、田舎とかの人口の少ない地域では経営的に苦しいのは当然です。産科もそうですよね。利用する潜在的な患者数が多ければ、例えば聖路加みたなリッチでゴージャスな出産もできるかもしれませんが、地方でそんな金を払ってもいいと考える人も非常に少ないし、そもそも利用する人数が少ないのですから、大した設備投資はできないのです。ところが、人員配置も、安全上のためのコストも、ある程度の水準でかかってくてしまうのです。福島県の産科医の事件では、産科医が「1人で手術したのが」過失であった(一般外科の医師と伴に手術はしていたけれど)、とか言われるのです。多くの国民は金は安い金額しか払わないが、イメージして求めている医療水準は、それこそ名医と同じ最高水準が当然である、というような気がします。それは土台無理な話なのではないかと。


<ちょっと寄り道:因みに、妊娠・出産というのは「疾病」ではありませんからね、基本的には。正常な生体反応の一部に過ぎないです。なので、保険医療とも直接的には関係ない部分がありますね。特別な状態ならば保険適用になる範囲もあるのかもしれませんが。帝王切開とか。普通は、出産費用の大半は健康保険から事後的に給付されるので、実質的には殆ど保険医療に近いとも言えますけど。
昔から「難産」という事態は、婆さんたちの知恵の中で危険性が知られてきたのだけれど、今の人たちにはそういうことが理解できないのだろうと思う。病院でならば、必ず安全なはずだ、という誤解があると思う。>


病院を利用する患者層を「周囲1時間圏内」(車や電車などの交通手段で)と仮に考えて、地域特性(疾病の発生率とか偏りとか・・・)はないものとして、受診可能性というのは人口に依存するでしょう。小児科であれば、その地域にいる子供が1000人いれば、疾病発生確率に応じて受診してくる、というようなことです。なので、大都会は有利ですね。医療費の収益は基本的に地域によって「値段」に違いがない(一般的には保険診療における診療報酬)ので、売上は患者数によって決まります。つまり、患者数が多ければ収益は多くなり、少なければ減るのは当たり前です。全くいい加減なのですけど、1人の医師が潜在的患者層を300人受け持つと仮定すれば、人口の多い地域では3人とか(もっとかもしれないが)の複数医師が存在しても経営できるということになりますが、田舎の病院になってしまえば1人しか配置できない(ゼロかもしれないが)ということは普通に起こりえますよね。それに、田舎の病院だからといっても、エコーはなくていい、とかにはならないので、同じ器械を1億円で購入しても、人口の多い地域ではこれを900人が利用するのと、田舎で300人が利用するのでは、全く意味が違うのですよ。でも、安全とか医療の診断技術とか、そういうのを都会も田舎も同等に保たねばならんのですよ。月に1回しか撮影しないCTであろうと、月に1,000回撮影するCTであろうと、投資額は同じ(全く同じ器械なら)であり、万が一何か問題が起こって撮影してなかったら「過失」認定なのですよ。「現在の医療水準に照らせば、当然撮影しなければならない」ということになるわけですから。なので、田舎の方が医療資源への投資は大きな負担になるに決まってるのです。


でも、安全や質の向上を目指すなら、投資せざる得ないのですよ。そして、医師の人員さえも、患者数ではまかないきれないけれど、「配置してくれ」ということなのですよ。もしも、1人でやったことが過失だった、となってしまうなら、田舎では引き受けられない、ということが更に多くなるでしょう。何でも「都会の病院に行ってくれ」ということになるでしょう。


外科医が100人いて、50番目のところが「平均的」な能力を有する外科医であるとしましょう。1番が名医中の名医ということで、下の方に行けばちょっと腕が落ちるね、とか、難しい手術は担当できない、とか、そういうことであるとしましょう。過失追及というのは、患者サイドとしては、1番か少なくともトップ10くらいの人の能力でやってくれ、とか思ってるのではないかと思われ、名医がやっていれば「ひょっとすれば助かったかもしれない」という後付けの理屈で責任が追及されるのではないかと思えます。実際どうなのかは不明なのですけれども。水準が一定の医療は望ましいけれども、それを行うのには限界があります。医師個人の能力は実際には異なっているのですよ。名医になれるまでやらないで、ということなら、そこに到達するまでのコストを社会全体で負担するしかないんですよ。「黙っていても名医が誕生する」と思っているのなら、それは無理ですね。


医療側が結果責任を問われるのは判ります。その責任を負っている職務であることも。でも、裁判官だって、間違えたりしてるじゃないですか。医師は一生涯の中で一度もそれが許されない、ということですよ。裁判官は間違って判決を読み上げようとも、刑期を間違えようとも、罪に問われないし、過失責任を取らないでしょ?しかし、医師は違うんですよ。間違って処方箋を書いたら、過失です。刑事責任も追及されます。何が違うと思いますか?医師は処方箋を間違えて書き、もし服用した患者が死んだら業務上過失致死罪です。裁判官が判決を間違って書くのと、ミスの種類に違いがありますか?

その負ってる責任と、報酬は比例するのでしょうか?私には判らないのですが。


普通、大学を卒業してからある程度使える医師になるまでには、かなりの時間がかかります。公務員はサービス残業が多くて大変なんだとか、民間はもっと苦しいとか、言ったりしますが、医師たちも大体そうだと思いますよ。昔は過酷な環境だったのですが、最近は判決などの効果で労働者の待遇に近くなってきたと思いますけど。よく若い医師の過労死なんかが報道されたりしましたが、家に帰れない日が続くことなんてザラにあったでしょう。連日の泊り込みは、普通ですよね。当直とかじゃなく。給料だって、特別高給という訳でもないですからね。大学の医局に残っていたって、ポストがないのだから、給料なんてまともに出ないですからね。助手とかの決まったポストに就けるのは、極々限られた人たちだけです。多くは日雇い労働者と同じ扱いを受けて、ひたすら修行するしかないのですよ。医局の関連病院とか地方の病院に出されたりして、決まったポストに就くことができれば、ようやく公務員程度の給料が貰えたのだろうと思いますけど。そういうのを10年とか20年とかやって、その後にようやく回収作業に取り掛かれるかな、という程度ではないでしょうか。講談社の社員の方がはるかに高給取りですよ(笑)。


大学医局の徒弟制度みたいなのは、それなりに機能していたと思いますが、若い時代にはそりゃ過酷だったろうと思いますよ。そういう下働きの兵隊がいることで、ようやく医療制度というのが成り立っていたのですよ。地方の病院が医師不足になってきているところがある、というのは、昔は医局が関連病院としてそこの人事権を持つ代わりに、医局員に給料を確保するというちょっと歪んだシステムが作られていたのですよ。ところが、医局支配は崩れてきて、派遣するべき医師を持つ組織がなくなってしまったのでしょう。その結果、誰も来ないということが起こってきているのでしょうね。


昔は、こうした徒弟制度の中で、若手は奴隷のようにこき使われ、それでも何かの使命感があって、そういう期間を耐え忍ぶことができたのではないかと思います。下っ端の「兵隊」というのは、医師たちの善意によってのみ成り立っていたのです。今はどうなのか知らないです。研修医制度にもなったし、医局支配は緩んだので、随分と改善されてきたのではないかと思いますが。その結果、合理的な行動をする割合が増えてきてるのではないかと思いますけど。どうなんでしょうか。大体知人などから聞く話しか判らないので、実態は現場の人間に聞いてもらった方がいいと思います。



google検索の謎?

2006年08月24日 11時58分29秒 | 俺のそれ
早速修正されていた(笑)。これが修正なのかどうかも判らんのですけどね。
以前の記事に書いたように、「格差社会」のキーワードで検索すると変わっていた。

専門家は正しい知識を啓蒙しているか


表示の順番とか画面は同じなのですが、前は約3130万件だったのが、何故か約1200万件と大幅に減少。不思議。
これって、やっぱりグーグルの人がどこかで探知?していて、検索システムの一部を書き換えているのでしょうか?


それと、namiさんからのレスがあって、ちょっと驚きました。
こっちで書いてることが知られていた(笑)。
当方の失礼な態度にも関わらず、御丁寧に有難うございました。
これからもお立ち寄り下されば、と思います。


「明日のスター」を生み出す為に投資しよう

2006年08月23日 23時53分57秒 | 社会全般
多分日本には色々な才能を持った若者がたくさんいます。なので、スターが誕生していけば、そこから何かの価値が生み出されるのではないでしょうか。

参考記事:
「スーパースターへの挑戦」だそうです

大学教育の未来

続・大学教育の未来(追記後)


多くの人たちは、大企業に入って給料をたくさんもらうとか、医者や弁護士になって成功したいとか、そういうことを目指すのだと思います。なので、学生時代(小学校~大学、幼稚園お受験も?か)の競争が行われているのですが、そこから漏れた人たちはひたすら負けだの挫折だのとなってしまっているのです。でも、本当はそんなことはなくて、昔の日本人と今の人たちとで比べれば能力が格段に落ちてるばかりとも言えないと思います。


普通に考えて、教育水準は軒並み上がっています。学歴では高校進学率も、大学や専門学校進学率も高くなりました。なので、個々で見れば昔の人よりも難しい仕事もこなせるようになっていると思います。つまりは、能力が有り余っている、というようなことです。また、世界に出て成功しているスターは、昔に比べれば格段に増えたのではないかと思えます。サッカーの中田(辞めちゃったけど)、イチローや松井などのメジャーリーガー、ゴルフの丸山や宮里、・・・スポーツ選手ばかり挙げてしまいましたが、他にもたくさんおられると思います(ちょっと有名な人を思い出せなくて、スミマセン)。多分、活躍機会は増えているハズです。


生産性の高い業種であれば収入も多いということなのですが、非常に単純化して言えば「一人あたりの売上」が多ければ価値が高い、ということなんだろうと思います。判り易く言えば、株式トレードで巨額の利益を上げてる「無職青年」というようなことです。その仕事への参加者全員で、そこから生み出される利益を分配するということですよね。たった一人であれば、総取りですけどね。


日本の製造業に代表されるように、生産性の高い仕事が多ければ多いほど雇用には望ましいはずです。でも、金融、コンサルティング、企業買収などの投資業務なんかはもっと価値が高く、売上高が製造業なんかに比べれば一人当たりでは多いと思いますが、必要とされる人数が少ないので雇用拡大には大きく貢献しない、ということになります。結局業界全体の売上高の規模が大きくないと、雇用は増えないのです。農家や水産業のような場合であれば、一次産品自体の「新たな価値創造」というのが非常に難しいので、「ブランド力」で価値を高めるとか、何か別な戦略が必要になってくるのではないかと思います。


これからの日本では、できるだけ一人当たりの売上高が大きい仕事を増やしていく必要があります。個々の能力に依存してしまいますが、先のデイトレーダーの例ではありませんが、他人よりも優位にある能力を活かすということが一番なのではないかと思います。その競争力は自分で見出してもらったり、能力発揮をしてもらわねばならないのですが。「価値創造」で最も優れているのは、「無形」から価値を生み出せるものだろうと思います。石油や鉄鉱石から何かを作ったりしなくてよいですしね。つまりは、音楽、絵画、小説、漫画、映画、デザイン、バレエ、スポーツ、・・・その他モロモロあると思いますが、こういう「自分の頭」の中から生み出されるものです。


製造業であろうと、農業であろうと、形あるものをベースにして付加価値が生まれてくるのですけれども、それよりも利益率が高く、一人当たりの売上高が大きい仕事が生み出されることが大切ではないかな、と。それには、スーパースターがやっぱり必要なのです。スターが生まれれば、そこから生まれる市場規模は裾野が広がり、市場全体の規模も価値も高まりますよね。判りやすい例では、「松田聖子」という一人から生み出される商業価値が数百億円規模となり、浜崎あゆみとか宇多田ヒカルも同様に一人から生まれる価値は非常に高いです。この周辺業界も含めると、かなり仕事が増える訳です。普通の会社員であれば、たとえ大企業であっても、社員一人当たりの利益でこれほど稼げる人はまずいないでしょう。それくらいスターというのは価値が高いのです。野球もそうですね。業界全体の規模は判りませんが、スポーツ用具なんかも含めて、かなりの経済効果があるし、雇用も生み出されますよね。球場の管理業務や清掃業務といった末端まで含めれば。なので、そういう「価値創造」の効果が大きい分野に、多くの日本人が積極的に参加していって、中からスターが生まれてくることを期待すればいいと思います。


クラシック音楽の演奏家にしても、世界的に活躍する人たちがいますので、もっと増える方がいいですよね。音楽ホール経営や国内楽団といった部分でも影響を受けるでしょう。バレエにしても、草刈民代とか熊川哲也のような著名人が増えてくれば、それに関連する仕事は増えてきますよね。なので、頭の中から生み出されるものこそが、価値の高い仕事を増やせる原動力になると思います。


一番の問題は、個々の能力が高いとしても、必ずしもそれを商業価値に繋げられないことにあるのではないかと思います。評価の高い漫画家がいるとしても、その作品が広く知られていなければ売上増には繋がらないのですから。これを解決していく方法としては、価値を生み出す人々と、市場とを繋ぐ役割の人が必要なのではないかと考えます。前にもちょっと書いたけれど(熱闘!官業金融~第3R)、コーディネーションができる人か組織か、ですよね。エージェントと言うべきなのかもしれないですが。


メジャーリーガーの場合、代理人がいて、「価値を生み出す人」=選手自身が商業価値を作ってる訳ではないですよね。これと似ていると思います。吉本興業というのは、エージェント的な組織として結構うまくやっているように思えます。「価値創造」をするのは芸人ですが、市場と結びつけることで商業価値を生み出し、何よりも「ビジネス」として継続できるようにシステムを作っているということです。これが一番重要で、ビジネスを成立させないと話にならないですからね。最近では、アニメとか映画なんかがこうした部分での成功が多くなっていると思えます。「キャラクタービジネス」にしたって、ディズニーはうまくやってきたと思うし、日本のキャラもかなり世界的に広まってきてるので、今後期待できると思います。恐らくこの分野に有力な「エージェント部隊」が出てきたからではないかと思えます。通常、価値の創造者本人が商売上手とは限らないし、ビジネスとして成立させられるようなシステムを作っていくとなればもっと特殊な能力が必要とされるでしょう。


売れない芸人や劇団員は、「価値創造」の仕事をしていると思いますが、それだけでは売上が少なすぎなので他の仕事をしている人(普通は非正規雇用の仕事でしょうか)はいるでしょう。これはこれでいいと思いますし、ビジネスとして成立させるには、裾野に近づけば近づくほどこうした参加者たちが多くなると思います。「美術館に人が来ない」とか言ってるのも、著名なスターがいないこともあるかもしれないし、創作者と市場を繋ぐとか商業価値にうまく連結できる人がいないこともあるでしょう。音楽家も似ていて、楽団員の給料が維持できないとかがあって、底辺に近づけば芸人と同じく他の副業収入がないと生活が苦しい、ということもあるかもしれないですね。貧乏な「売れない絵描き」というのも昔からの定番ですが、割といるかもしれません。でも、多くの人がクラシックの演奏会を必要とし、展覧会や美術品が求められたりするなら市場規模を拡大できるようになり、そこでのビジネスが成立するようになるでしょう。そういう部分に本気で挑む、専門的なコーディネーターがいないことがネックなのではないのかな、と。音楽家やクラシック界のことをよく知り、なおかつビジネスセンスに溢れる人材がいないと難しいのでしょう。


農業とか漁業にしても、生産品単独では付加価値を高くするのが難しいかもしれませんが、和食・フランス料理・イタリア料理とか、人気のスイーツとか、そういうものに素材を供給することで価値を高められればいいのではないかと思えます。こうした料理などの価値が上がっていくのは、世の中の景気動向にもよるだろうし、社会全体的に余裕ができて使ってくれるお金が増えればそうなってくるのではないかと思います。


学校の勉強を頑張るのは大事ですけれども、みんな同じ分野ばかりではなくて、「価値創造」の分野にどんどん進出していくことが成功を導くのではないでしょうか。人にはそれぞれ違った才能がありますよ、きっと。そして、それを商業価値に結び付け、継続性のあるシステムとして機能させられる人が登場してこなければならないでしょう。


日本人は自信を失いかけ、国内での投資を減らしてしまった面がありますよね。日本という国に投資するのは不安だ、ということでもありますね。

例えて言うと、「日本という家」「中国という家」「アメリカという家」「東南アジア地域」・・・・とたくさんの家があるのですが、そこでの家計のやり方に似ていますよね。近所の「中国という家」は大家族ですが、稼ぎは少なく貧乏で、家もボロで、水道とか電気設備さえ満足ではなかったので、そこに金を貸して家を整備させ、安い内職仕事を発注してやったきたのですね。ボロい家を直せば住みやすくなるから仕事がしやすくなって稼ぎが増えるし、電気が使えるようになれば生産性もアップしてきた、ということです。そして、貸した金の利息を取っているのです。

一方、日本人は自分の住んでる「日本という家」を修理したり、新たな設備を購入したり、ということを躊躇うようになってしまったのでしょう。今まで貯めてたお金は、「日本という家」のためにはあまり使われず、「中国という家」とか「東南アジアという家」や「アメリカという家」なんかに多く貸し出されたということです。その方が、多くのリターンが期待できたからです。自分の家に新しいミシンとか、パソコンとかを買っても、そこから生み出される利益が少なくなってきたからですよね。おまけに家族の為にお金を使うのも控え目になってしまい、家族の能力を高めるべき本、勉強用品や英会話テープ(笑、今どきもう売ってないですかね)なんかを購入するのを止めたのです。よく見れば、家のあちこちに床が抜けてるところが見られたり、下水が詰まってたりとかの不具合もあったりするのですが、お金がないから、ということでそれも放置せざるを得ない面があったのです。自分の家のためにお金を使っていくことが、実は家族の仕事能力を高め、新たな分野を開拓し、仕事を生み出す力になるはずだったのですが。自信を失ったので、自分達のために使うのが怖いのです。まるで、「こんな勉強やって、何の役に立つのさ」「この本は金儲けに繋がるのかよ」というような、目先のことしか考えられなくなった子どものようになってしまったのです。自分達の未来に投資することを止めたら、「日本という家」はどうなってしまうでしょうか。


日本人は世界的に見ても、十分お金持ちだし、裕福な方だと思います。「日本という国」全体で外から見ればそうですよね。もういい加減に、身近な部分での競争という視野の狭さを改めるべきでしょう。自分達にもうちょっと使ってみていいと思いますよ。未来に投資していくことが、結果的には必ず役立つと思いますよ。きっと自分達に返ってきます。その為の投資を考えていくべきです。


教育投資もそうだし、公共投資もそうですけど、役に立つことであれば配分するべきですよね。大学教育の資金投下には厳しいことも書いてきたのですが、研究分野でもスターが誕生するような地力を作っていくことは大事です。