いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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日本のサッカーは今後どうなるのか

2014年06月28日 19時02分41秒 | いいことないかな
敗戦の結果をうけて、やっぱりこれではダメだったとか、戦犯探しとか醜聞探しが行われているようである。残念な話である。

何なら、セルジオ越後に監督をやらせればいいよ。さぞかし世界に通用するサッカーとやらを教えてくれることだろう。そして、よい結果が当然出るに違いない。本当か?(笑)



日本には、メッシもネイマールもミュラーもロッベンもファンぺルシーもイブラヒモビッチもいないんだ。


何というか、生粋のゴールハンターがいないんだよ。
少し前に将棋で喩えたけど、大駒系の人がいないということなんだ。龍や馬どころか飛車角がないのに、将棋に勝たねばならないのと同じなんだ。


ヘビー級のボクサーとまともに打ち合ったら、そりゃあ勝つのは難しいさ。足を使って、ヒットアンドアウェイを目指すしかないんだ。それは逃げではない。自分自身の特性を知った上での、勝つための戦略だ。相手を知り、自分を知ることで考える作戦なんだ。


ゲームでもいいよ。
呂布がいきなり増援として現れたら、これに対抗するのは極めて困難だ。普通の凡キャラでは能力差があり過ぎて、勝つもクソもない。圧倒的攻撃力だ。だから呂布の必殺の一撃を食らわないように細心の注意を払いつつ、弓矢攻撃とかで足止めしたり体力を少しずつ削ったり、自分の大将の本陣(サッカーで言えばゴールだな)から遠ざけるような工夫をしなけりゃならない。
野球だって、パワーヒッターの多いチームなら、ホームラン一発で得点が入る。けどパワーで劣るなら、小技(バント、盗塁、四球などだ)を絡めたり、ヒットの「繋ぐ野球」で得点しなければならないんだ。強打者揃いのチームなんて、そうそうできるわけない。投手力を軸として、守って競り勝つ野球というのは、身体的有利・不利がある中で考えられたものであろうと思う。


パスサッカーというのは、どうして存在するのか?
まず、呂布みたいな駒を持つ相手だとして、呂布はボールを持ってない時間は「ただ立っている」のと同じだからだ。ボールを持たれている時の呂布は呂布本来の攻撃力を発揮できる。しかし、ボールがこちらにある時間帯というのは、呂布であろうと張飛であろうと関羽であろうと、攻撃力はそこまで大したことがないのである。凡キャラに近づくのだ。勿論、防御力だってそれなりに凄いわけであるが、こちらの本陣を攻撃してくる場合の恐怖に比べれば、まだマシなのだ。

要するに、こうした攻撃力の飛び抜けた連中にその役割をさせないようにすることができる、というのが一番の効果なのだ。
そして、万一ボールを持たれてしまった場合、呂布の攻撃を止めるには、ザコキャラであろうと取り囲んで手数で上回るよりないのだ。そういうようなのとほぼ同じように感じる。


なので、パスによるボール保持はボスキャラ(大駒)系の活躍をできるだけ封じるという効果が期待できるのである。


それでも、一撃必殺の大駒になると、その数少ないチャンスをものにしてくるという力量がある。ここをいかに防ぐか、その攻防に勝負がかかってくる、ということになるわけである。ただ、そういう呂布みたいな駒は絶対数が少ないのだ。常に状態が万全とは限らないし。

そういうのを相手にした時に、いかに勝つ方法を見い出すか、というのが作戦や対策ということの意味だ。


今回の代表チームが陥った罠というのは、洗練されたパスサッカーを目指して実行しようとしたが、「こうしなければならない」という思いに囚われ過ぎてうまくいかなくなったように思う。
豆腐屋の父ちゃんが、「ウチの豆腐は絶対に国産大豆しか使わねえ、これは曲げない信念だぜ」と強い拘りを持っているとしよう。
けど、ある時仕入れが完全の止まって外国産大豆しかない場合、どうすべきか?母ちゃんは、「ここは柔軟に考えて、とりあえず国産大豆が入ってくるまでは外国産でもいいから使って作るべきなんじゃないのかい?」と父ちゃんに言ったとしよう。けど、頑固な父ちゃんは「オレの信念を曲げるわけにはいかん」といって、必ず「国産大豆で豆腐を作らねばならない、それがウチの豆腐なんだ」と意見を変えなかったとする。結果的に大豆が手に入らないので豆腐は作れず、本来の目的である「おいしい豆腐を作ってみんなに売り食べてもらう」ということが達成できなくなるわけである。結果的には、本末転倒ということになる。


ここで優先しなければならないことは何だろうか?
「国産大豆で作る豆腐」という自らの強い信念か?
それとも、「豆腐を売り続けること」だろうか?
勿論、国産大豆が手に入る時には、それでいいんだ。だが、今は手に入らない、という状況なのである。これをどう考えるか、ということになる。

ある局面を凌ぐ、凌ぎ切る、というのは、多分どんな仕事であろうと経験するものなのではないだろうか。切羽詰まった状況とか、壁にぶち当たって困難な状況とか、でもそれを乗り切らねばならないというミッションが与えられているのだ。そういう時、どう対処するか、ということなのである。サッカーもきっと同じではないかな、と。

つまり、自分で「今は、○○が手に入らない、or○○ができない状況なんだ」という自覚と判断ができるか、それに適切な対処ができるか、ということである。普通は監督がそういう作業をするべきであると思うが、試合中には選手が考えて行動しなければならないのである。


雨でフィールドの環境はどう変わるのだろう?
少し柔らかくなり、重馬場みたいな感じになるのだろうか?(競馬はやってないから全然知らないが、高速走行系の馬と体重の重い筋力系の馬とでは成績に違いが出るのでは?得意不得意が分かれるのでは?)
泥は靴に着き易かったか?
筋力や突進力がある方が有利な状況ではなかったか?
そういうことを判断できるかどうか、だ。
靴の泥は足を重くするし、疲労を蓄積させてゆくかもしれない。柔らかい地面は、砂浜で走るのがキツイのと同じ効果をもたらすかもしれない。雨が降ったフィールド環境はぼくには分からないが、選手のコンディションは厳しくなることが予想されても不思議ではない。


そうした状況変化に対応し適切な行動が選択できるかどうか、そういう能力が必要とされるのである。圧倒的な能力が発揮できる大駒系の選手が揃えられるチームならば、いちいち細かいことを考えずとも突破できるだろう。
そうではないなら、工夫するしかないのだ。


センタリングやシュートにしても、そう。
ハイボールがダメなら、バウンドするボールを何故送らない?
ショートバウンドのシュートや、シュート気味の低く速いボールをなぜ蹴り込まない?

守り難いボール、捌くのが難しいボールを送ることが、相手のミスを誘い易くなるはずなのだ。ヘディングで跳ね返されてしまうなら、低く早いボールを出すとか、ニアで触るボールを出すとか、そういう工夫が必要。岡崎のシュートはニアで触れるボール、の効果だったはずだろう。



オレが決めなくては、オレが何とかしなければ、などとあまりに強く意識することによって、かえってプレーに精彩を欠いてしまっていなかったか?

小さな局面ではオレが何とかする、という気持ちは必要。それは呂布と対峙した時に怖れず対処できるかどうか、みたいなことだ。オレが頑張るよりないわけで。でも、もっと大きな局面で考えることが必要な時、味方の配置や展開具合を正確に判断して、「オレが」ではなくて味方に有効なボールを送ることの方が重要。

大久保は「オレが」と強く意識してシュートを狙いに行ったりしていたものと思うが、結果的にはノーゴール、ノーアシストだったし、決定的チャンスを生んだ場面も殆どなかった。
予選敗退の責任については、本田が一番批判されるかもしれないが、1点取ったしアシストも決めてるので、チーム内では最大貢献だったと言えよう。本田のせいだ、とかいう単純な話ではないだろう。本田がボールを奪われなければ、というのはただのタラレバだし、打たれたピッチャーに「なんであんなとこ投げたんだ」と責めてもしょうがないのと同じさ。失投がない投手なんて、この世に存在しないし。味方がエラーした後の対処が大事なんだよ。その為のチームじゃないか。


信長は桶狭間で本陣を仕留めたわけだが、まさしくカウンターが見事に決まった、というようなものだ。相手が圧倒的に支配(兵士数が多い)していても、延長Vゴール方式みたいな場面ならたったワンチャンスで勝敗が決するのと同じ。作戦が当たれば相手が優勢であっても、弱小側が勝てることもあるということ。しかし、そんな戦上手な信長だって、全戦無敗だったわけではない。敗走したことだってあるじゃないか。そういうようなものだ。戦況に適合しているか、相手の士気や強さはどうなのか、それらに勝敗は左右されることもある、ということさ。単に作戦能力や指揮能力の問題とも限らない、ということ。運も勿論あるんだよ。


いずれにせよ、日本の代表がどうやって勝てる方法を見い出すのか、その活路をどう開くのか、研究するしかないんだよ。試行錯誤を重ねるには、まだ歴史が浅いということではないのかな。野球だって、通用するようになるには100年くらいかかる、ということなのさ。



ありがとう、ザッケローニ監督

2014年06月26日 13時58分11秒 | いいことないかな
ザッケローニ監督が退任を表明した。


>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00000041-mai-socc



色々と本大会での批判はあるとは思うが、ぼくは素直に感謝したいと思う。

長い間、本当にお疲れさまでした。


ザッケローニ監督のお陰で、夢を見させてもらいました。
勿論、結果は惨敗だったけれど、期待を感じさせるチーム作りをこの4年間やってきたと思います。


そして、日本代表チームがある程度評価されるようになったのも、勝つのではないかという期待を膨らませられるようになったのも、ザック監督の力量だったと思えます。


今回のチームは、結果的に勝ってないことをかなりの数の人たちから批判されていると思いますが、どうしてそういう批判が出てくるのかと言えば、「勝てたはずだ」「勝つべきだった」と評価されているからだろうと思うのですよ。


チームの力量として、「勝って当然であるべき試合」だったのが、勝てなかったからこそ批判されるわけですよ。


これが、圧倒的弱者で、全く歯が立たない試合だったとしたら、やっぱり実力差がはっきり出たな、ということで残念さがそうでもない、ということになるでしょう。「思った通り、勝てなかった」と言われて終わりでしょう。


でも、惜しかった、勝てる試合だった、という思いがあるからこそ、残念だし批判も出るというものなのです。

結果だけ見れば、ギリシャが逆転で勝ち上がって行きましたが、それだって初戦負けの苦しいスタートだったし、日本に引き分けなんて絶望的という意見だってあったでしょう。でも、2位に滑り込んで、勝ち上がったんですよ。


ギリシャもコートジボワールも日本と比べて、格上だしランキングだってはるかに上だ。
そういう強いチームと対戦して、勝つべきだった、と言われることって、昔にはなかったんだ。


それほど、日本の地力が向上した、ということなんだろうと思うのですよ。
全然勝てそうにない試合なら、やっぱりな、ということで悔しくもなければ、無念さもさほどではないのですよ。


けど、今回のチームはそうではないと考えられてきたんです。
それくらい高い評価を獲得してきたんだ、ということです。


敗因ということを挙げるなら、やはりメンタル面かと思います。

日本は予選とか、強化試合なんかでもたまに見られるのですが、浮足立つような雰囲気が窺われることがあります。やられた時の、時間の使い方とか修正の仕方なんかを、もうちょっと工夫した方がいい。足を治療するのに、時間を少し使うとか、そういうようなことだ。気持ちを冷静に戻す時間を取ったりするような、老練な試合運びをする、というようなことだ。


野球とかなら、マウンドに集まって一息入れたり、ピッチャー交代なんかで間を置いたり、というようなこともできる。サッカーは、そういうのを選手たちが自分たちで考えてやらなければならない。どこをどう修正してみるか、というような約束事をもっと考えた方がいい。弱いヤツほど、強い相手に立ち向かうには、色々と考えた方がいいんだよ。戦況を理解し、戦い方を修正できる方が勝てる可能性は高くなる。


理解する前に飛び込んでしまうと、同じパンチを食らってしまうこともある、ということだな。


ギリシャがチャンスをものにした。
日本とは何が違ったと思うか?
コロンビアに3点差負けだったのも、大して変わらないでしょう?


日本との試合だって、そんなに言うほどの力量差があったとも思えなかった。


それは、ギリシャには辛抱強く耐え抜く精神力があった、ということですよね。
引き分けだったら、コートジボワールが勝ち抜けだった。

でも、ギリギリでPKをもらって、勝った。
先制して、逆に追いつかれた後も耐え抜くことができた、ということだ。


そういう精神力が必要なのだろうな、と。
欧州でもまれているから、ということもあるし受けを得意とするというチームということもあるのかもしれない。たまたま結果的にこうなった、というだけかもしれない。


ただ、更なる向上を目指すなら、もっと考えるべき。
相手が籠城戦を仕掛けてきて、攻撃側が時間をかけて兵糧攻めを行うだけでは勝ち切れなかった、というようなことだな。


日本の攻撃が効いている時というのは、パスの出し手も動いているが、受け手も動き続けている時だ。
今回の大会では、得点が思うように取れなかったのは、受け手が「待っている」ことが多かったから、だ。ボールの出し手も、人を目がけてパスしてしまうから、だ。

もっと「誰もいない場所」にボールを送ることを意識しなければならない。
今は敵も味方もいないけど、味方が先に辿りつける場所を見越して、そこにボールを送ることだ。


コロンビアのカウンターが効果的だったのは、受け手がずっと動き続けているからで、DF陣も捕まえきれず翻弄された。


日本の攻撃が悪い時は、そういう予測性のあるパスが少なくなり、人のいる足元目がけてボールを送ってしまう。連動性が乏しくなる、というのは、受け手の動きが減っているから、だ。


人のいない場所に、やさしく転がす、というイメージが少なかったんだ。
例えばギリシャ戦でのウッチーの絶妙のセンタリングは、そういう点では光っていた。

香川がウッチーの走り込むであろう先に、ボールを送った効果だった。

できれば、ウッチーが全力で走り込むのを見たら、もっとゴール前に飛び込んで走っていなければならなかった。大久保が少し遅れて入ってきたが、本当なら正面に2人は来ていて先に触るべきだった。正面で一人触れなかったが、動き出しが遅いが故である。


岡崎の同点ゴールも、本田が動いている中でセンタリング、岡崎は走り続けた中で先にヘディングできた。
だから、ゴールをこじ開けることができたんだ。


受け手は走り続けた中でボールを受ける、そういうことをゴール前でやり続けねば、守備のよい相手からの得点は難しい、ということである。チーム状態の良い時には、それがもっとできていたが、今回はそれが少なかった、ということだ。



いずれにせよ、今回の大会は負けたが、この4年間に新たな希望や期待をたくさん経験させてもらえたので、本当に心から感謝している。

イタリアもイングランドも敗退だよ。日本が予選ラウンドで敗退したからといって、そんなに極端に卑下するほどのことではないよ。方法が間違っている、とかいう安易な話ではなく、どこに躓きがあったか、ということかな。守り重視の方がいい、とかいう簡単な話ではないし、ここを乗り越えなければ前進はない。



ザッケローニ監督で良かった、と思っているし、日本サッカーの向上に多大な貢献をしてくれて、心の底からありがとうと言いたい。

代表チームがここまで好かれるようになったのは、ザッケローニ監督のお陰と思います。


本当にありがとう。



ちょっと追加ですが:

本番で実力を十分発揮できる、というのは、難しいことなのですよ。
これがチームとしてできる方法、なんていう正解は、サッカー界だけではなく、どのスポーツでも誰にも分からない難事であるはずです。


普段通りの力が発揮できる、のびのびプレーできる、なんてものは、どうやったらできるようになるのか、誰にも分からないのです。

オリンピックとかだって、そう。
どの競技、どのチームでも、実力はありながら、本番では発揮できないことなんて、ごくごく普通に起こることです。それは、監督個人の責任でもなければ、選手たちのせいでもない、これまで誰にも解くことのできない謎なのです。


結果として、本番で力が発揮できなかった、というのは、当たり前に起こることです。
巨人とパリーグの3チームが試合をして、巨人が一番の成績を残せるかどうかなんて、分からないものです。試合数が多くなれば、ペナント、日本シリーズや交流戦で巨人が優勝、みたいなことにはなるでしょう。

けど、短期決戦の場合には、勝負運もあるから、分からない。
高校野球の人気が根強いのは、そういう実力以外の部分も含めて、時の運・勝負運みたいなのがドラマチックだから、ではないでしょうか。


誰にも分からないことが多いからこそ、世界中の人々が熱狂しドキドキするし、夢を膨らませるんですよ、きっと。


実力通り結果に全て反映されてしまったら、賭け屋だって、困るでしょうに(笑)。



残念な最終戦

2014年06月25日 07時41分05秒 | いいことないかな
結果は、ご覧の通り、無惨なものとなった。

遠藤はさぞかし悔しかったことだろう。
コロンビアには、遊ばれてしまった。

それでもこの差だった。
スピード、個人技、どれも違っていた。

基本的に、ついていけない。

点を取って勝つしかないのに、山口投入というのも意味がよく分からなかった。
相手の10番を抑える、という意図なのかもしれないが、バランスを失した結果が大量失点となった。


点を取りに行かねばならないのだから、遠藤を使うとか普通は考えるだろうと思うが、どうだったんだろう。



今回の予選敗退の要因は、点が取れなかったことだった。
決定的チャンスで弱いわけだな。
メンタルが弱いのかもしれない。


コロンビアの4点目が顕著だが、相手の落ち着きは見事だ。
川島を嘲笑うかのように、緩いボールがゴールに吸い込まれていった。

香川のシュートが切れていったのとは、対照的だった。


大久保の惜しいシュートが今日もあったが、枠には行かなかった。
日本の弱さは、ゴール前で硬くなることなのかもしれない。


日本のDF陣が軽くいなされ、かわされてシュートを決められているが、日本にはそうしたシーンを見ることはなかった。

日本の攻撃は速攻性に欠けることが多く、守備体制が整った中に攻めるしか手がないというのが得点を困難にしていた。
創造性に乏しい大会だった、ということではないかな。

それにしても、前兆がドイツの時と似ている、という誰かの予言は当たったいたということだろうな。


残念であったが、皆さん、お疲れ様でした。


明日はいよいよ運命のコロンビア戦

2014年06月24日 14時20分29秒 | いいことないかな
スペインばかりではなく、イングランドも敗退が決まった。やはり、初戦負けは非常に厳しいということを示しているわな。


ポルトガルも、アメリカに逆転され、敗色濃厚だった。
ラスト30秒までは、予選敗退がほぼ決定的だった。


しかし、諦めないと何が起こるか分からないものだ。

ロングボールに、ゴールを突き抜けんばかりに全力で走り続けていたら、バッチリピンポイントでボールが降ってきた。


弾丸のようなヘッドで同点ゴールが生まれた。
執念と呼ぶに相応しい同点劇だった。


それでも、ポルトガルが苦しいのは変わらない。
日本と同じ、1分け1敗だ。


ただ、諦めてしまえば何も起こらない。
信じて戦うだけ。最後の1秒まで走り続けつしかないんだ。


明日も、全力で応援するぞ。





2014W杯~ギリシャ戦

2014年06月20日 12時30分36秒 | いいことないかな
いやー、またしても不完全燃焼でした。


日本は序盤から積極的に攻めを組み立てていきましたが、決定打が出ませんでした。

惜しいシーンもいくどかありましたが、1点が遠かった。


今野が入ることでラインコントロールが改善され、オフサイドにかかるケースが増えました。
それだけラインの押し上げ効果があった、ということでもあります。

また、ギリシャは攻撃面では強引さがコートジボワールに比べて少なかったので、日本は守り易かったでしょう。


試合が難しくなったのは、ギリシャが退場で1人少なくなったことかな。
どうしても、守備的にならざるを得ない試合運びをギリシャが選んでしまう、ということかと。


なので、元来が守備的チームというか、守備を苦にしないギリシャであるが故の、堅守を維持されつづけたわけです。どうしてもゴールをこじ開けることができなかった。


圧倒的に攻めてはいるものの、ギリシャが徳俵に踵がかかりつつもギリギリ踏ん張って、失点を防いだということですな。ギリシャは最終戦に最後の望みを賭けたわけで、戦術的には正しい。


日本が次はコロンビアと対戦だから、敗れる方に賭けて、自分たちがコートジボワールに得失点差で上回れる勝ちを収めればいいわけだから。


ただ、日本の陥落が決まったわけではないのだから、最後に全力を尽くすのみ。
前の試合よりも良くなってきたのだから、次の爆発を期待するしかないだろうね。


次も頑張れ。




スペインの悪夢~よもやの予選敗退

2014年06月19日 15時39分35秒 | いいことないかな
いやー、勝負の世界は厳しいな。
これが現実だ。


かつての日本の「決定力不足」という、お決まりの大批判を思い出したよ。

スペインにとって、ゴールがあまりに遠かった。1点が取れなかった。
ラッキーなPKでの1点のみ、とは。


2試合で7失点、1得点ではな…。
歯車がかみ合わなければ、どんなに上手くて優秀な選手たちが揃っていても、こうした結果を生んでしまうのだ。


昨年の記事で、厳しい組だとは予想していたが、サッカーの世界は日々進歩を遂げている、ということなのかもしれない。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a1766d6ccbf7af8ef5f55c3b4bf202d5


チーム力、勢い、運、そういうものも勝負に関係しているんだろう、きっと。



サッカーは面白い

2014年06月17日 19時02分48秒 | いいことないかな
これまでのところ、コートジボワール戦での戦犯探しのようなことが行われているむきもあるが、大会後にしてあげてほしいな。選手たちも、ザッケローニ監督も、一生懸命やっているんだから。



まず、当方の記事で試合開始前に想像していたように、初戦の入りとしては守備を落ち着かせる、という一番の目的があったものと思われるので、采配ミスとかいうことは全くなく、むしろ順当であると言えると思う。

守備とフィジカルに優位な選手を選ばなければならないわけだから、ザック監督の目論見は割とはっきりしていたものと思われた。

最低限0-0で折り返せればいい、という判断であったのだから、1-0というのは望外ともいうべき結果であり、日本は作戦勝ちだったんですよ。ナイス、采配、だったんです。


ただ、向こうは、車で言えば日本より馬力のある、アメ車みたいな車であり、日本の方は小型車なんだから、出力勝負、加速勝負では簡単には勝てない。


で、相手の象軍団は、その馬力を生かして、白兵戦を仕掛けてきたんだわ。
何が何でも1点取る、という決死の覚悟で、なりふり構わず突っ込んできたんだわ。


守備陣はこれを耐えに耐えた。
相手は、将棋で言えばみたいな、強力な駒を持ってるわけ。ドログバは、そういう存在なんだ、ということ。これを増援として送り込んできたわけだ。


日本には、大駒はない。
みんな、金とか銀とか桂馬とか香車とか、そういう小駒系のチームなんだわ。


大駒の攻撃をはね返すには、矢倉とかそういう陣形が必要なんだな。


で、相手から決死の白兵戦を挑まれて、そちらの防戦に気を取られている隙に、ボウガン部隊がサクっと大将首を射止めたようなもんだ。大駒の攻撃ではなかった、ってことだな。まるで香車の空き王手に刺されたようなものだ。


日本は、白兵戦を挑まれたのが、将棋でいえば端攻めみたいな、数を一点に集中して狙われたような局面だったんだ。それが、「左サイド」ということだな。


端攻めを狙われたら、端の物量を強化して「受け切る」か、別の筋からの反撃で速度勝負で上回るか、ということになる。試合の選手数は相手と同じ数なのだから、相手が優位な人数になっている場所があれば、当然味方の数が優位な場所というのは必ずできている。そこを衝くかどうか、だ。



日本に大駒がない、ということは、ボクシングで言うところの「カウンター狙い」しかないわけで、相手のパンチが繰り出されたところをタイミングよく反撃パンチを返すしかないんだな。ヘビー級ボクサーならば、一撃の威力が違うから、ドカンと一発でダウンを奪える。日本は、そういうボクサータイプではない。


相手の力を利用して、カウンターパンチで仕留めるしかないんだ。
足を止めてパンチの打ち合いになれば、ウェイトの重い方が大体有利。パンチ力のある方が勝ってしまう。

日本が象軍団に負けたのは、カウンターパンチで先にダウンを奪ったが、その後カウンターを放てず、相手パンチを食らってダウンした、ということだ。アウトボクシングができなくなったから、だ。象軍団は日本から2度ダウンを奪った後、徹底した守りを固める亀作戦に切り替えて、カウンターパンチを受けないようにしたということだな。


受け切るか、攻め合いに活路を見出すかは、その局面による。
ただ、重量級の相手と足を止めての打ち合いは、避けた方がいい。

距離を取って、相手にパンチを打たせないと。
ただ、パンチは飛んでくるわけだから、それを食らわないようにしないといけない。


日本には小駒が揃ってるんだから、手筋で攻めないといけない。それは3手一組のようなものだ。飛車や角とは違う攻めがあるはず。


攻撃的にいく、というのは、試合中ずっとパンチを打ち続けろ、ということではない。
相手は必ずパンチを打ってくる。

攻撃される時間もある、ということ。
こちらが打ち続けるばかりの試合なんてあり得ない。


攻撃的なサッカーとは、全部を攻撃することではない。
受けもある。
何も真正面から突っ込んでゆくファイタータイプのボクシングだけが、ボクシングではないのと同じ。

相手が体力と重量にものをいわせて接近戦に持ち込んできた時、華麗にひらりとかわすステップもボクシング。気持ちは、強く持て。けど、戦況に合わせて対応することも必要。


相手との距離やタイミングを計る、それも必要。
重要なことは、的確なパンチを繰り出すこと、自分の有利な戦いに持ち込むこと、だ。



スペインも、イングランドも、ポルトガルも、ウルグアイも初戦負けたよ。

メッシでさえ、W杯で初得点を挙げるまで5試合か6試合くらいかかったんだよ?
今大会のクリスチアーノだって、イニエスタだって、ルーニーだって、無得点なんだよ?


世界的ビッグネーム――つまりは龍や馬のような駒――でさえ、無得点で終わる、それがW杯だ。
そう簡単ではない、ということさ。


日本なんて、特別だったわけじゃない。
そういう普通のことの一部だ、ということでしかない。
誰だれが無得点は全然ダメ、みたいな話にはならない。


野球のシーズンだって、全部の試合を勝とうというのはほぼ無理だ。
負ける試合もある。
だが優勝という目標は必要だし、それを達成しなければならない。


サッカーの試合中も同じ。
全部を一本調子で攻め続ける、というのは無理な話。
そうではなく、攻めるところ、間合いをはかるところ、呼吸を整えるところ、そういう流れがある、ということだと思うんだ。


相手が優位な場所があれば、どこかに必ず空きがあるはず、だ。
左が攻められたなら、左に味方戦力を補強するか、反対側にボールを回して相手の攻めを外すか、だ。それとも、空きを攻めるか、だ。


攻める姿勢というのは、相手の多い場所に無謀に突っ込めという話ではない。

相手陣営の弱点を探し出す作業も含めて、ということである。
自陣の陣形が整うまで待つことも攻めの一部であるはずだ。


空振りのパンチばかりを出すことが重要なのではないはず。
意味のあるパンチ、ヒットさせる為の作業、それを考えるべき。


単に、采配ミスでもない。
むしろ、称賛されてもいいはず。途中までは思惑通りの展開で試合を進めたわけだから。


ただ、相手の気迫と決死の怒涛の攻撃が、見事に当たった、ということだ。


相手パンチのよけ方が、他にも知っていればよかったな、ということはある。
正直に行きすぎた、ということかと思う。


ブロックするだけではなく、スウェーとかダッキングとか、色々とあるし、クリンチだってある。
そういうようなものだ。


大事なのは、自分自身の悔いを残さないこと。
これまでやってきたことを信じて、できることをやるんだ。自分ができること。


たとえ負けたとしても、悔いなく全力だったなら、相手を称賛すべし。




2014W杯~コートジボワール戦

2014年06月15日 09時38分55秒 | いいことないかな
いよいよ、この日がやってきましたね。


兎に角頑張ってもらいたいです。


先発メンバーが発表となったそうです。

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140615-00000012-ism-socc


大迫、長谷部、森重が先発と。

前半は守備陣を落ち着かせるという意味で、長谷部投入だろうか。
とりあえず、コートジボワールの勢い、スピード、個人技などに対抗するべく、体力消耗を考えてのことだろう。相手の足が止まって来た時の、遠藤の威力、ということで後半勝負ということではないかな。

山口は行ける所まで行け、ということか。恐らくマンマーク気味について、潰し役に徹することになるのではないか。そこまで走れるかどうかだな。


体力消耗がかなり激しくなることが予想されるので、途中投入の選手に期待がかかる。
日本の作戦としては、体力勝負、走り勝負にかけた、ということかな、と。




残念でした。
惜しい試合を落としましたね。


前半の先制点で、無失点で折り返す、というのは、作戦通りの展開だったろうと思います。

ただ、縦のドリブル突進を幾度も受けていたことで、コートジボワールの2点が生じたと言ってもいいかもしれません。

守備陣は、かなり頑張って防いでいました。
何度もピンチをしのいでいました。


しかし、サイドからの早いクロスに対処することが、ほぼできてなかったということです。相手が攻め手を変えてきた、ということでもあります。


それで、同じような形で失点してしまいました。
あの、速いクロスに合わせられるスピードとDFを振り切って抜け出せる身体能力は凄い、ということだろうと思います。


遠藤は、攻撃にタメを作って、ボール保持時間を長くしようということを優先して投入されたと思いますが、日本の攻撃にタメを作るということと、足を止めてスローダウンするということは違うということです。

日本は、スローダウンが、攻めも守りも受け身になってしまったのだと思います。
ペースをつかむには、ボール回しを早くして、相手を走らせる、動かす、ということだったはずなのですが、足を止めてしまったのは日本だったように思えます。


また、雨が激しく降って、ボールの重さの感覚も狂っていたのかもしれません。転がり具合、タッチの感覚というものが、雨で濡れて重くなったフィールドとか、ボールの重さ感触なんかが違うものとなっていたのではないかな、と。

エリア内で最後の一手が、勝負にいってもよいと思う場面が幾度かあったので、思い切りよくプレーしてもらってもいいかなと思います。


敗戦は残念ですが、勝つために最善を尽くすよりないと思います。

頑張れ。



スペインの悪夢~13日金曜日

2014年06月14日 09時43分12秒 | いいことないかな
スペイン対オランダという、一次リーグ屈指の好カードは、昨年決勝カードとは思えないような無惨な結果が待っていた。


スペインにとって、まさしく13日の金曜日が現実の悪夢と化した、W杯の幕開けとなった。
恐らく、このようなスコアは誰も予想し得なかっただろう。サッカーとは不思議なスポーツだ。


あのスペインですら、守備崩壊ということが現実に起こってしまうのだから。信じ難い光景と言ってもいいだろう。決して実力がないわけではない。優勝候補と目される実力がありながら、このような結果を招いてしまうことがあるのだ、ということだ。


スコアが1-1までは、スペインが優位に試合を進めていたように見えた。
幾度かの決定的チャンスをものにできず、オランダのカウンターを食らって、ロッベンの個人技で勝ち越し点を奪われた。彼のようなスピードのあるアタッカーの攻撃に弱いのは、日本の守備陣も同様だろう。


オランダはスペインの攻撃をはね返すべく、最終ライン4人とその前に4人くらいは常に配置して、スペースを消していた。あれを突破するのは容易ではない。ラインは高く保ちつつ、前で守備をして、カウンターにつなげる、というのが実践できたのはオランダだった。


日本は、スペインの敗戦から学ばなければならない。


2点目を取られてからというもの、スペインはスペインではなくなってしまったかのようだった。
歯車が狂ってしまったことで、信じられない凡ミスと集中力のないプレーとなった。気落ちしてしまうのは仕方がないが、そこで更なる失点を重ねてしまった。


苦しい状況になった時、態勢を立て直し、リズムを取り戻せるか、そこはチームの精神力にかかっているだろう。リズムを失ったスペインは、自分たちが自分たちではなくなって、無惨な結果を招くことになってしまったのである。ペースを取り戻せぬまま、敗戦してしまったのである。



次の試合までに、気持ちを切り替えられるだろうか?


どこまで自分たちを信じることができるか、そこにかかっているだろう。



究極の「ながらスマホ」

2014年06月13日 14時27分28秒 | 俺のそれ
今の時代、忙しい人だらけなのだろうか?(笑)


男子便所に行った時のことだ。
先客が1名あり、既に小便器に向かっていた。

その御仁が、何と、左手でスマホを掲げて操作しており、右手は恐らく粗末なモノを操作していたのであろう。


まあ、本人の自由だから、別にいいんだけどさ。
そんなに、小便しながらやらねばならないことって、何?


どっちかにしろよ、とは思う。
小便するなら、小便してからでもいいだろう。

急ぐなら、スマホをやってから小便してもいいでしょうに。


なのに、どういうわけか、小便しつつスマホ弄る。


ワケがわからんわ。
しかも、学生とかではなく、普通の一般男性だったし。


きたねー。

他人のスマホは触れたりしないから、ま、いいんだけど。




W杯日本代表のこと~足に当たってゴール、アレレ??

2014年06月08日 11時49分01秒 | いいことないかな
何年か前の、あの時を思い出したよ。

アジア杯ヨルダン戦だ。


マーヤの足に当たって、シュートコースが変わり、まさかのナイスゴールとなってしまったシーンさ。

2011年だったよね?

あの大会の時にも、ヘンなミスから失点とか、面白プレーとか、退場とか、色々と見せ場を作ってくれたわけだが、不思議とチームは団結して優勝まで辿り着いたんだな。


負け試合濃厚だったヨルダン戦では、ロスタイムに劇的同点ヘッドをマーヤが突き刺した。
あの大会でも失点が痛い、というのはあった。
が、勝ち上がったのは、ツキもあったが故。


実力も必要なんだけど、勝つにはツキも必要。
そして、昨日の試合がツキはあった、ということだと思うよ。


反省と修正は、これから。
本番で、しっかりできればいい。



あと、ちょっと注意すべきと思ったのは、自分か味方が追いついていて、守れそう、とか、思う瞬間が油断や隙が出来てる感じ。味方の姿を視野に入れて、安心してはならない。注目すべきは、相手選手の動きだ。
味方の動きに過信は禁物。


思ってる以上に、相手選手のスピートがあったり体の使い方がうまかったりして、マイボールと判断したのが、想定外で相手ボールにされたりすることが時々ある。


ボールと相手との間に体を入れて防げる、とか思う場合でも、実はやられていることがあるように思う。
なので、自分がボールに先に追いつけているなら、ボールのクリアを重視すべき。安全に行かなければならない時こそ、外に出すのをためらわない方がいい。自分が触ってもいいので、まず出そう。


コーナーを与えるのは確かに痛いのだが、失点するよりはマシ、と考えてみよう。セットプレーは全部が決められるわけではないから。

不用意かつ安易に相手選手が多い場所でショートパスを前に繋いだりしないこと、体を入れて守れるというのを過信しないこと、まずはボールに行くことを最優先、あたりを気を付けてみては。


一度サイドに蹴り出して、流れを止めるとか陣形を整える為に時間を稼ぐとか、それでもいいし。
コーナーを恐れて、相手に決定的チャンスを与えるべきではない。



本番が近付いてきて、ドキドキします。
ああ、どうしよう。




サッカーW杯日本代表の強化試合のこととか

2014年06月07日 13時22分01秒 | いいことないかな
今の日本代表チームは過去最強の呼び声高いので、日本国内でも期待は大きいだろう。


過度な期待は禁物ではあるものの、ぼくは何となく行けるような気がしている。面白いチームだし、可能性を感じさせるチームだから。ポカも多いだけどさ(笑)。



直前強化試合を連勝で飾るとは、中々だ。

ただ、いずれも先制点を与えてしまって、逆転勝利だったというのは気がかりだ。
しかも、失点の仕方がちょっとエアポケット、みたいな感じだし。

守れそうな気がしているのに、球際でついうっかりやられてしまって、シュートまで持ち込まれてしまった、というような。


けど、展開的には、今日の試合も面白いものだった。
普通、3-2で勝つだろ。というか、それで勝てよ、と。

なのに、そこから失点、しかし、逆転サヨナラっぽく大久保のロスタイム決勝弾とな。魅せ過ぎだぜ(笑)。劇的勝利ではあった。




まあ、相手に先にアドバンテージを与えて2点を差し上げてみた、と。
敢えてね。


逆境に日本のチームを追い込んだんだ、敢えてね。
メンタルを強化する為にね。


そして、目論見通りに3発で逆転に漕ぎ着けたんだ、と。
しかし、そこで集中の緩みをチェックするべく、土壇場で同点に追い付かれてみたんだ、敢えてね。


そんなわけないか。


攻撃陣の踏ん張りは、素晴らしい。
あとは、守備陣の奮起が期待される。


DFの人数を少なめにして、敢えてFWにタレントを揃えたのは、今のチームには合っているのかもしれない。ザッケローニ監督は、「1-0勝ち」のような試合運びをこのチームには求めるのを止めた、ということなのだから。それゆえの、2点獲られたら3点獲る、3点獲られたら4点獲る、という攻撃重視のプランだから。


ここ2試合はそれを体現したと言ってもいい。

が、守備の安定は勝利には必須である。
本番までに、ちょこっと修正してもらえればと思う。


あとは、体調に気を付けて、頑張って下さい。

臆せず、怯まず、気負わず、でも、熱く戦って下さい。



ちょっと追加:


香川は元気になって良かった。本田も、段々と調子を上げてきていると思うので、日本のエースとして活躍してくれることを期待している。有言実行男の本領発揮を願っているぞ。

遠藤は、たぶん最後になると思うので、ベテランらしくチームを引っ張っていってほしい。
ここぞの一本、パサーの力を見せてくれ。



與那覇潤の知性では原発が制御できない

2014年06月03日 16時57分40秒 | 俺のそれ
まああれだ、イヤミなヤツというのは存在するから。別にいいんだけどさ。

近頃ヤンキー化云々というのが流行りらしく、それで名前を売ってる連中もいるようである。偶然見かけた記事で、かなり前のものなのだが、ちょっと触れておきたい。

>http://toyokeizai.net/articles/-/33739?page=3


確か前に見た顔だな、と思ったが、正月のあの最低の番組に出ていた人だったはず。
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2b82a2292aa11bb685196d1b5daa72e2


この與那覇さんというのは、自分はお前ら下々のヤンキーなんかとは違って知性溢れるインテリですぜ、みたいな賢者を自認でもしているのでしょうか。ま、大学で学問ばっかりやっていて、それが社会にほとんど役に立たず尚且つ学術世界においても何らの成果も出せてないような無名の三流学者なんかでも、勘違いをしてしまうことは珍しくないかもしれないから。


多分オレはヤンキー側に分類されるだろうから、(自称ヤンキーではなくても)ヤンキー化した人間だと言われてしまうのは仕方がないだろうね。知性に欠ける上に、元から反知性主義的傾向があるから(http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/11730e9d160bbc556c15fbe9bfc7f883)。

オレはヤンキー代表でもないわけだが、仮にヤンキー化云々と腐されたりしても甘受できよう。精神分析的には、そういう人物像だとかあるかもしれないし。


だが、與那覇潤の決定的に許すことのできない発言を見過ごすことはできない。それで、この記事を書くことにしたのだ。ヤツは何と言ったか?

太字で、書いてあったよ。
『電力は、気合いで供給できるものではないですから(笑)。』


喧嘩でも売られたかと思ったぜ。
こういう揶揄を通り越して、見下し感満載の「俺様は感情的で愚かな庶民連中なんかとは違う」と言わんばかりの発言を見ると、吐き気がしてくる。お前のような自分は論理的思考で原発支持なんだ、というような勘違いインテリ気取りがいるから、日本は今のような惨状となってしまったのだよ。


いいか、福島原発事故というのは、日本の知識階層がいかにバカ揃いだったか、ということを実証したのだよ。


與那覇潤よ、福島第一原発を冷却したのは、何だったと思うか?
気合いなんだよ!

死をも覚悟した、お前らが「ヤンキー」と見下しているであろう人々が、原発事故をどうにか食い止めたんだよ!
それは、気合いだけだったんだぞ。


日本人は、決死隊の気合いのお陰でどうにか今の生活があるのだよ。原発作業員たちも、レスキュー隊員たちも、消防も、警察も、自衛隊も、みな、気合いでやったんだよ。
オレたちはみんな、気合いのお陰で助かったんだぞ。


福島原発事故は、日本の知性の完敗を実証した。これまで自信満々に理屈を語ってきたヤツラが、無能で役立たずでバカ揃いであった、ということを明確にしたのだよ。知性を過信していた者たちの、圧倒的敗北だったんだよ。そういうことにさえ気付けない與那覇潤は、ヤンキーを批判する立場になんぞないわ。まず、お前の盲目ぶりを総括でもすべきである。


ある大学病院がある。
高名な先生が勢揃いで、みんな自信満々で腕を自慢し「大丈夫だ、私に任せなさい、論理的帰結は明白である」などと嘯いていたんだそうだ。
A先生、B先生、C先生、…各分野での専門家揃いで、みんな人並み外れた知性の持ち主であり、知識だって世間の庶民なんぞ到底足元にも及ばない、という前評判だった。

ところが、だ。
そこに一人の患者が運び込まれてきた。
どうも、かなり具合が悪いらしい。すると、大学病院の先生方がみんな集まってきて、「この患者の病名は何か…」「診断が…」「症状は…」と喧々諤々やっていたんだと。これまでは、各科の著名人として名を馳せた有名な先生でも、まともに治療一つできないらしい。

患者の病状はどんどん悪化していき、遂には「出血が止まりません、どこから出てるかも分かりません、ああ、先生、心停止しました!」ということで、瀕死となったんだそうだ。


こんなに揃っていながら、誰一人として適切な処置もできないけりゃ、診断もできない、打つ手も出てこない、ということで、いよいよ心停止に至ったわけだ。
そうしたら、医師免許もない、元ヤンキー上がりの看護師が「先生、どうするんですか!何か治療をして下さい!できないなら、私がやります!」ということで、ヤンキー化した女傑看護師が気合いのみで除細動を実施したら、奇跡的に心拍が再開して、どうにか一命を取り留めた、と。ヤンキー看護師のお陰で先生たちは、患者を殺した、とは言われなかったが、患者は植物人間状態になった。


こういう時、偉そうな先生方の過去のご高説は一体全体何だったのか、と思いませんか?A先生もB先生もC先生も何人も先生が揃っていながらにして、何ら有効な手を打つこともできず、適切なアドバイスも何もできなかったわけです。唯一、危機を救ってくれたのは、気合いだけだったんですわ。高名な先生方の知識は、気合いの前に圧倒的敗北を喫したんですわ。


原発を動かすべきだ、という意見を持つことは、各人の自由ですから止めようがありませんのでいいでしょう。ただ、その場合、その結果責任を負う覚悟のある人だけが、そのように主張するべきでしょう。俺様の知性を持ってすれば、原発はいかなる事態でも制御でき、知性でもって冷却できる、それくらいの人じゃないと、やるべきではないですね。


何もできなかった上記大学病院の先生方が、「除細動器があるから、次からは私達にもできるよ、大丈夫」と言った時、本当に同じような患者を任せて治療できると思いますかね?こういう医者に本気で治療してもらいたい、という人はそういますかね?ああ、きっと與那覇潤は「治療をお願いします」と言うことだろう(笑)。


東電管内の計画停電だって、原発が停止したから行われた、と本気で思っているのかもしれない。與那覇潤の盲目ぶりを如実に表しているだろう。彼は、小学生程度の算数すら理解できないのに、知性派だかインテリぶっているのかもしれない。

11年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ef6ae0063d115f04a293008d71aec094


輪番停電だったのは、主力の火力やその他水力や変電・送電設備なんかの故障や停止などがあったからであり、原発が停止しただけで供給力が賄えない、なんてことはないはずなんだよ。そもそも4月の最大電力量は例年少ないし。原発は非常緊急停止というのが、他の発電設備に比べると多いんだから、そのバックアップが全くないなんてことは、そもそもあり得ないだろうに。

電力が足りなかったらどうすんだ、気合いでは発電できないぞ、とかいう話ではなく、電力不足に陥った最大原因は短期的には火力の停止だろうに。インテリ気取りがまんまと政府広報やマスコミの印象操作に簡単に引っ掛かるから、ダメなんだろうよ。関西電力の話の時だって同じさ。大飯3、4号機がなければ、供給不足に陥って、大規模停電が起こる、と言ってたのを忘れたか?そういうデマに、勘違い知性派どもがまんまと罠に引っ掛かって、「電力不足教」に入信したんじゃなかったのかね?(笑)


意図せず病状悪化に加担する、これが無自覚で行われるからこそ、日本のクズインテリどもは無能で役立たずだ、って言ってんだよ。その有害ぶりに、まず気付くべきだ。己が最も有害言説を垂れ流しているんだ、という自覚を持て。


いずれにせよ、原発事故が起こったら、自らが真っ先に原子炉に飛び込んで行き、バルブ操作だの冷却操作だのをできる自信のある人だけが、原発を動かせと主張するべき。誰か他の人の気合いに期待などすべきではない。

東電も、原子力安全・保安院も、経産省も、エネ庁も、原子力安全委員会も、原子力委員会も、原子力ムラの大学教授やその他識者たちも、原発メーカーも、みな揃って敗北を喫した、それが現実であり、ここまでの事実だ。彼らは、知識も知性も持ち合わせない人々だったのか?彼らの権威は、どこに行った?彼らが過去に説明してきたこと、言ってきたこと、宣言してきたことは正しかったんじゃないのか?
それがどうだ?このザマか。



で、誰が患者を救えると?(笑)


答えは、誰も救えない、だ。
まあいざとなれば、與那覇潤が真っ先に福島原発だろうとどこだろうと飛び込んでくれることだろう。お前がいくら本を読んでも、その知性では福島原発は冷やせんぞ。


虫酸が走るわ。



医薬品のネット販売に関する最高裁判決~最高裁判決文に見る劣化2

2014年06月02日 13時45分27秒 | 法関係
判決から時間が経っておりますが、少し気になったので書いてみたいと思います。


”くそ判決支持者”さんという方から、別館の方に次のようなコメントがありました。

「需要があるなら違法ではない」
と最高裁が言ってると思ってるのなら、あなたは日本語を学び直したほうがいいよ



>http://d.hatena.ne.jp/trapds/20130113/1358038251#c


うーん、当方の記事を読んでそのような感想を持たれてしまったというのは、当方の落ち度ですね。日本語が拙いというのも、そうだろうと思います。
ただ、「需要があるなら違法ではない」などと最高裁が言ったとは思っていません。行政の裁量権を判断する上で、法規制の是非ということを見るのに「需要があった」ということを判決文中の理由の一部に挙げているのは、明らかにおかしい、と言っているわけです。
省令の制定権限として違法かどうかを考えるのに、旧法下で実態として取引が行われており需要があったのだから「省令を制定する前にもっとよく考えてから決めよ」と最高裁が言っているに等しい、ということです。

だったら、貸金業法改正の時にも、旧法下で「実態として利息制限法を超える金利が適用され続けてきており、借入需要も存在していた」と同じ理由を適用するべきである、ということです。

政府内にさえ「金利規制はおかしい」とする意見が存在していたわけだし、国会議員の中でも反対意見は多数あったわけです。そういうのと何がどう違うのか、ということを最高裁判事はきちんと考えるべきです。すなわち、最高裁の判決文中に見られた検討の理由としては、不適切なものが多数羅列されている、ということを当方は記事中で指摘したのです。

国会議論の中身や国会議員の意思を考えろ、みたいな理由は、全くの意味不明です。


判決文中の終わりの方には、以下のような文言があります。

そもそも国会が新薬事法を可決するに際して第一類医薬品及び第二類医薬品に係る郵便等販売を禁止すべきであるとの意思を有していたとはいい難い。そうすると,新薬事法の授権の趣旨が,第一類医薬品及び第二類医薬品に係る郵便等販売を一律に禁止する旨の省令の制定までをも委任するものとして,上記規制の範囲や程度等に応じて明確であると解するのは困難であるというべきである。


このような愚かな理由づけをもって、省令制定に関する行政の裁量権逸脱がある、などと言うのは、根本的におかしい、と言っているわけです。


具体的に例示しましょう。
例えば、「悪臭防止法」という法規制があります。


根拠法としての第四条第一項第二号は、次の条文になっています。 

二  事業場における事業活動に伴つて発生する特定悪臭物質を含む気体で当該事業場の煙突その他の気体排出施設から排出されるものの当該施設の排出口における規制基準 前号の許容限度を基礎として、環境省令で定める方法により、排出口の高さに応じて、特定悪臭物質の流量又は排出気体中の特定悪臭物質の濃度の許容限度として定めること。


最高裁曰く、この条文から、規制根拠が具体的に読み取れるらしいです。国会議員の理解レベルも国会の制定意思も汲み取れるということでしょうな。

で、実質的な規制としては、条文中の「環境省令で定める方法」ということになりますが、それは、環境省令である施行規則第三条に規定されています。以下が条文です。


○第三条  

法第四条第一項第二号 の環境省令で定める方法は、特定悪臭物質(メチルメルカプタン、硫化メチル、二硫化メチル、アセトアルデヒド、スチレン、プロピオン酸、ノルマル酪酸、ノルマル吉草酸及びイソ吉草酸を除く。)の種類ごとに次の式により流量を算出する方法とする。
q=0.108×He2・Cm

  (この式において、q、He及びCmは、それぞれ次の値を表すものとする。
q 流量(単位 温度零度、圧力一気圧の状態に換算した立方メートル毎時)
He 次項に規定する方法により補正された排出口の高さ(単位 メートル)
Cm 法第四条第一項第一号の規制基準として定められた値(単位 百万分率))
(次項に規定する方法により補正された排出口の高さが五メートル未満となる場合については、この式は、適用しないものとする。)

2  排出口の高さの補正は、次の算式により行うものとする。
He=Ho+0.65(Hm+Ht)
Hm=(0.795√(Q・V))÷(1+(2.58÷V))
Ht=2.01×10-3・Q・(T-288)・{2.30logJ+(1÷J)-1}
J=(1÷√(Q・V))×{1460-296×(V÷(T-288))}+1
(これらの式において、He、Ho、Q、V及びTは、それぞれ次の値を表すものとする。
He 補正された排出口の高さ(単位 メートル)
Ho 排出口の実高さ(単位 メートル)
Q 温度十五度における排出ガスの流量(単位 立方メートル毎秒)
V 排出ガスの排出速度(単位 メートル毎秒)
T 排出ガスの温度(単位 絶対温度))



もう、言うに及ばず、ですね。
説明するのもバカバカしい。
国会での議論や制定意思が、こんなものを規定していたと?(笑)
そんなことは、到底考えられない、ということです。


最高裁判決文に並べたてられている理由というのは、どれ一つとして、まともに理由になるものなどない、と言っているのですよ。あの判決文のどこからも、省令の制定権限として、行政裁量の逸脱が認められる、という明確な根拠を裁判官は何も提示していない、と言っているのです。


これまでの立法過程において、省令制定として認められてきたことが、何故、本件ネット販売規制に関わる薬事法改正の場合のみ「違法認定」なのか、ということが大問題なのだと言っているのですよ。


何も、悪臭防止法が特別に変わった総理府令が制定されていた、ということではありません。こんなのに類するものなんて、それこそ一杯ある、山のようにある、ということです。


なのに、どうして、改正薬事法だけが、省令制定権限として、需要が存在するだの取引実態がどうだの国会議員の制定意思を有してないだの、という曖昧かつ意味不明かつ全くの無効な理由づけをもって、行政裁量権を逸脱している、とされるのでしょうか?


これを矛盾なく合理的に説明できる最高裁判事がもしもいれば、是非ともそのご高説を拝聴したいですわ、と思います。



当方が想像したような、三木谷を押し上げてきたような勢力がバックについており、彼らの命じられるままに判決をも左右できるほどの政治力を持った連中の横車か何かでしょうか、ということですわな。


上記の環境省令は、別に悪徳官僚が好き勝手に制定しているわけではありませんよ(笑)。専門家たちを招いて審議会なんかで大体話し合われて、専門的な部分を決めてゆくといったことが多いのではないでしょうか。その専門家たちの選択には、恣意的部分はあるかもしれません(喩えて言えば「原子力ムラ」みたいな話だ)が、制定の段取りとしては、専門家のご意見を尊重するという形式になっているわけです。ほぼ大多数の省令が、そうした手順を経て、何でもかんでも好き勝手に官僚が決めているとは思いません。


で、改正薬事法においても、最高裁判決文にあるとおりに「専門家たちの議論では慎重意見だった」(大雑把に言えばですが)、と認定されているわけですね。
他の殆どの省令制定に際しては、こうした専門家の意見が反映されてきたのに、どうして薬事法だけは「取引されてた、需要があった、国会はそんな意思を持ってなかった」だのといった、奇妙かつ全く無効な理由を出してきて、専門家の審議会レベルの意見を否定し覆すのでしょうか?(笑)


これは、本当に最高裁判事が判決文を書いたのでしょうか?(笑)
そう勘繰りたくもなるくらいに、低レベルの判決だな、と感じるわけですよ。普通に考えれば誰でも分かりそうな程度の、理屈を無視した論拠のみを出してきているわけですから。一つでも、なるほど、そういう考え方もあるのか、と思える部分があるならまだしも、ただの一つもないのですから、どう考えてもヘンだな、と感じるのではないでしょうか。


需要も、実質的に旧法下での取引があったことも、省令制定権限を考えるのには、ほぼ役に立ちません。国会制定意思の有無というのも、単なる印象論に過ぎず、根拠足りえません。
論理というか、理屈として、最高裁判決文は何も言ってないに等しい、ということです。それを支持する人がいるのは、やはり最高裁判決だから仕方のないことかもしれませんが、当方には理解できませんね。


まあ、最高裁が禁止事項はすべて条文中に具体的に明示的に書け、と言ったも同然だから、根拠法に全て書くということにするのでしょうな。



己の無能を痛感する

2014年06月01日 19時03分16秒 | 俺のそれ
今年に入って以降、特に顕著であると思うが、ブログから距離を置いている。


どうしてか?


自分でもよく分からない。

ネットでの何らかのアクションというのは、自分にとってはかなりのマイナスのものでしかなかった。

何かが得られたか?
何かが達成できたか?


よく分からない。


後悔してるんじゃない。
それは全然違う。


だが、悪い連中に目を付けられたり(笑)、よからぬ工作活動などを受けたり、散々なことばかりだったように思う。

中には、訴訟をちらつかせて、発信者情報開示するからな、とか言って来られたこともあったしな。


ブログを始めたのが04年の10月だったから、もう少しで10年になる。


まだ10年は迎えてないから、総括とか反省とか、大した何かがあるわけではないけど、自分の中では、「惨敗」だった。


労多く、益なし。


というか、益なんか、最初から望んでいたわけでもなかったから。

少しでも、社会が変われるなら、とか、何かが良くなれば、とか、そういう「ウブ」な希望のようなものを抱いて、ひょっとしたら社会に影響を与えられるんじゃないか、みたいな、まさに中二病的な理想や希望のようなものを投影していたように思う。

それは、誤った自己過大評価のようなものだった。
錯誤の全能感に類するものだった。



結論から言えば、政治は悪くなった。
日本国民は、既に抵抗するべき能力を失った。

かつては存在してきた、対抗勢力すら、完全崩壊した。
野党なんて、存在してない。
自民党内の党内派閥すら、政治的対抗手段を失った。
良識派の議員が存在できる余地すら、もう残っていないのである。


マスコミは、以前にも増して、その存在意義を喪失した。

国民には、まともな声など、決して届かない。
国民に危機を知らせる警鐘にさえなれないのである。


ネットには、唯一の対抗手段が残されるのではないか、と期待したこともあった。


しかし、それも夢物語に過ぎなかった。
席巻したのは、工作員部隊の方だった。所詮は、人間というのは、そのように生きる動物なのだ。


影響力を持ちそうな人間に対しては、分断・遮断が効果的だった。
結局は、支配からは逃れられないのである。

社会が変われるとか、政治に国民の声や願いが反映できるとか、そういうのは、全くの幻想であり、お題目に過ぎない。まさしく「キレイ事」なのだ。
国民が投票所に足を運んでみた所で、何ら変わることなどない。


理性と知性を持った、ごく稀な良識派の官僚たちも、その生存は困難となった。
末端の方に生き延びていたとしても、それでは政治的に何かが変わるということなどあり得ない。

砂川判決のようなものだ。
権力中枢は必ず上にある。軽くひっくり返せる、ということだ。


自分が思っていた世の中のことというのは、実際には、もっと汚く醜く、悪は栄え大きい、ということだった。偉い人たちの多くは、もっとまともな人たちかと思ったが、現実はそう甘くなかった。
想像以上に、「悪の根源」に加担している人たちが多い、ということだった。
まさに「悪に塗れた狡猾な連中」ということだったようだ。日本の未来が、そうした連中によって支配されているのだから、絶望的であることはほぼ間違いないだろう。



そういうことを学ぶには、良かったのかもしれない。