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最低賃金に関する議論~5(中嶋よしふみ氏の場合)

2015年12月31日 13時14分37秒 | 経済関連
久々に中嶋氏を見かけたら、また何か言ってるみたいですね。

>http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimayoshifumi/20151222-00052686/?utm_content=bufferb83c5&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer


ま、デモの主催者に言っているだけなので、当方には無関係なのですがね。以前、訴えられそうになった身としては、関わりたくもないのですが、何も言わないというのも残念な気がするので。記事に書いておきたいと思います。

以前、中嶋氏に問いかけたものの、何ら具体的反論がなかったので、一部再掲しておきますか。当方は、指摘されたからといって、自ら発言をなかったことにするような手を使いませんので。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3b828eef2a27c37c632f5020e04689e7

(一部再掲)

こちらは具体的論拠を提示していますよ。
日本が同様の事態に陥らないと考えるか、と中嶋さんに尋ねているのであるのに、反対派が証明しろ、という返答は見当違いですね。
「日本はアメリカの事例のように違法業者跋扈という事態にはならないだろう、何故なら~」と以下理由を返答すべきところでは、ということです。
その理由が明確に説明できないとすれば、規制緩和の結果「違法業者跋扈という事態」を生じうるということを支持することになり、そのような政策変更が望ましいという意見は傍から見ればおかしいでしょう、という話ですね。


 (中略)
そして、ネット販売が日本よりも進んでいたアメリカにおいては、現実に「偽薬」横行となっているわけで(具体例としてバイアグラを提示している)、それはネット販売と旧来販売方式の比較という点において、ネット販売を増加させた結果生じ得ると推測されるというものである。
そのようなデメリットがある場合には、ネット販売推進で得られる利益と生じる不利益の比較衡量が妥当なはずであろう。つまり、本当に論理的ないし合理的判断を求めるという主張をする人であるなら、得られるであろう利益と生じるであろう不利益を並べて検討するはず。

 (中略)
中嶋さんが立論すべきは、例えば
「日本では違法業者跋扈という事態は生じない、何故なら~」以下
ですね、という話を前の記事で書いたんですよ。


========

今回の中嶋氏の記述は、似てる部分があると思いませんか?(笑)
例えば次の部分。
『上記の通り、自分は前回の記事を否定しかねない不利な情報も自ら紹介しました。建設的な議論を行うには、フェアな立場でメリットとデメリット、両方を並べて検討する必要があるからです。自らの意見を否定する情報や根拠については、本人よりも意見が対立している相手の方が詳しいはずですから、デモを批判する記事がたくさん読まれていると分かった時点でエキタスさんの側が本来提示すべき情報です(なので文章で反論をお願いしました)。異なる意見がぶつかればより良いアイディアが生まれると自分は考えていますので、自分の意見が否定されてもそれはそれで構いません。

主義主張はどんなに偏っても自由ですが今回のデモに欠けているのはそういった謙虚で客観的な姿勢です。自分の意見が中立公正であるとは全く思っていません。偏っている事は重々承知していますが、必ず客観的なデータで意見の裏付けをするように記事を書いています。』

まあ当方の勘違いでしょう(笑)。



12/29>http://twilog.org/valuefp/date-151229

自分が見た限り、確かに社会保障の強化は重要だけど最低賃金の引き上げも実施すべきである、なぜなら、、、というまともな反論は1つもなかった。1つもですよ。
さっきシェアした感情の劣化というのはこう言うことなのかね( ノД`)… 皆日常生活送れてるのか心配なレベルですよ。


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以前、反論できなかったのは、ご自身も、ではないのでしょうか。ま、過去は過去なので、しょうがないか。
自分より弱そうな相手を見つけては、あれこれ赤ペン入れることに長けてる人物にとっては、反論をする対象を選ぶというのは常套手段なのかもしれませんな。



まず、最も根本的な点について、指摘しておきたいと思います。

教科書的記述、マンキュー先生のお説、といったことは、勿論尊重されるべきことです。基礎的な考え方が書かれているから、です。実証研究では、米国において最低賃金が必ずしも教科書に書かれていたような結果をもたらす、というものではないかもしれない、という見解は経済学の世界においては、突飛な話ではなくなっています。
が、これを除いたとしても、重要な視点が欠けているのです。

それは、経済学の教科書的な記述の多くは、正常な反応、というものです。こうすればこうなる、の関係性というのは、結果を予測する上で意味があるでしょうが、正常かどうかは大きな問題なのです。
例えば医学的な基礎知識であっても、生理学のようなものはまず「正常な状態」を基準として結果を知るわけです。健康体なり動物実験なりの反応はこうなる、ということをまず知る、ということです。経済学の教科書はそういうものであり、マンキュー先生の本でも、同じようなものでしょう。
「賃金が上がれば、失業が増える」というのは、そのほんの僅かな断面をまるで絶対的な「公理」が如くに、採用しているものでしょう。

成り手(供給)が少なければ人が集まらないから、賃金を上げざるを得ないということは現実でもよく観察されることです。土建業界が敬遠(新規参入障壁が高い、と考えられているのかもしれないし)されてしまい、募集しても人が来ないとなると賃金は上がります。だからといって、失業率が上昇する、という単純なものではありません。他産業の状況はまた別でしょう。

労働市場は国によって異なる条件なので、現実の結果はどう出てくるのかというのは、一意では決定できないものであろう、というのが拙ブログでの見解です。規制当局が完璧であると、いわゆる脱法的雇用主の企業は存続できないので、労働条件は守られ、人件費は正当なものとできるかもしれない。が、労働規制が守られないと、潜脱を繰り返す企業が現れる。違法薬物のネット販売をする企業と原理は同じなのだ。違法企業には応分のコストを支払わせるか、規制当局の強化という別のコストが発生することになる。失業給付や生活保護を強化する場合には、税や雇用保険負担が増大するという政策コストについて、国民の賛成が必要となる。単純に政策コストだけ考えれば、最低賃金引き上げは目に見える政府のコストは発生しないが雇用主が負担することとなり、税とかが圧迫されないので実現のハードルは高いわけではない。

上限金利規制の場合にも似ているのだ。
学者さんは、「個人のカウンセリングを充実すべき」とかいう意見があったが、借入申込者全員に借入適正試験を実施して免許制にしたりすれば、確かに上限金利を設けなくともいいのかもしれない。これの政策コストがどれほど必要になるのか、というのが問題なのである。多重借入者に面談方式のカウンセリングや指導を実施するというのは、かなりのコストが発生することになるわけだから。


労働者の交渉力が強い国柄と、そうでもない日本では、比較が難しい。人件費上昇率の高い国、通常は高インフレの国とか組合の力の強い国とか中国人みたいにケチで抜け目ない国(あくまで印象です)とか、そういう国と日本は同一の理論を適用するのが難しいように思う。経済学の教科書にはそんなことは書かれていない(笑)。


そして何よりも大問題なのが、デフレ、である。
マンキュー先生をもってしても、日本のデフレを解決できる治療方法は確立できていない。デフレというのは、まるで糖尿病に似ていて、幅広い疾患や症状の原因となってしまうものなのだ。代謝異常、末梢循環異常といったことで多様な症状を呈する。これに近いのがデフレ経済なのである。デフレ下で最低賃金を操作した場合の反応というものについて、世界中の経済学者で明確な答えを持っている人など、恐らく皆無に等しいのではないかと思う。

先にも書いたが、正常な健康体の人の反応と病気の人の生体反応は異なる。いかに生理学の教科書にこう書いてある、といっても、それは病態生理学ではないからだ。日本は、そういう意味において、極めて特殊な環境下にあるということであり、これの理論的帰結を知っている学者さんは恐らく存在しないだろう。


次はちょっと細かい話に。

輸出製造業が円安で得をすることになったが、輸出物価の調節性は鈍く劣っていることが多いと思われる(顧客との契約関係もあって、急には納入価格を変えられないということもあるのかもしれないが、デフレ圧力として作用することとなった)。

>http://www.itochu.co.jp/ja/business/economic_monitor/files/20130514_2013-088_J_ULC.pdf

国内賃金が上昇するなら、製品価格(ドル建て)に転嫁するべきところが、これを据え置くことによりコスト削減の向かう先が、人件費ということになりがちである、ということだ。
経済学の基本的考え方において、価格転嫁されないことは想定されていない。仮想の世界では、きっちり数学的に結果が生じるものだからだ。
仮に、円高により輸出物価が上昇するのであれば販売価格が値上がりする。それは需要を減退させ、価格下落要因として作用することになる。さらに需要量減少により供給が過剰になるから、労働者減少をもたらすことになろう。賃金低下が必然かどうかは別であり、余剰人員は他産業へと移転してゆくこととなる。円高により需要増大となる産業分野が必ず生じるから、である。

ただ現実世界では、これら調節過程が理論値通りに生じるわけではなく、うまくいかない部分は決して少なくない。


デフレ期間であった2000年代では、ULCは低下し続けてきた。賃金低下要因は、物価下落を助長する作用を有していたものと考えられる。

>http://www5.cao.go.jp/keizai3/2012/1222nk/pdf/12-2-3.pdf



拙ブログにおける最低賃金についての考え方は、例えば以下のような記事を書いてきた。最低賃金のシリーズである。

09年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/99e9c190457dba2c705e38e02ca1da5a


経済学の権威的存在のマンキュー教授に対する意見も書いたことがある。
13年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4a179a2882353c1a11bef530d1f50816


最低賃金の持続的引き上げについても、何度も提言してきた。
09年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/24e2e6eca3a4aced413260d90dec6e79


日本における雇用や賃金の調整速度が以前より早くなったということについても、先に示した内閣府の2012年の労働経済白書でも述べられていた。想像していたのと近いイメージだった。

2010年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d24920135c2830d7f0ec3c167a848b35


日本においては、現在のような輸出企業が大儲けし、内需型企業が苦戦を強いられるのだとすると、為替レートと価格(物価や、労働の価格すなわち賃金)がズレており、適正な(理論通りの)価格改定が行われていない、ということを意味するだろう。


日本においては、特に、非製造業での賃金上昇がデフレ脱却と賃金上昇率の抑制の影響が大きいという印象なので、最低賃金引き上げ自体は意味があると考える。


続・日本の電力会社は原発を稼働させる能力に欠ける

2015年12月27日 15時15分14秒 | おかしいぞ
今年5月頃、福島原発事故の疑問点を書いた。高浜原発の裁判で参考になることがあれば、是非役立ててもらえればと思う。

このシリーズ8では、浸水から推測される流入量について、書いている。
タービン建屋地下に90センチくらいまで水が溜まるには、床面積×0.9m分の体積の水が必要なのだ。面積が不明だから何とも言えないが、仮に2500㎡だとざっと2250㎥となり2250トンもの水の流入があったということになるわけだ。本当か?
津波が来て、引いてゆく時間がどの程度か分からないが、水没時間が何十分も続くとは思えない。そんなに内陸側まで津波が到達したとも思えないので。例えば10分間で2000tを超える流入量があった場合、毎分200tもの流入ということになる。
関電の計算結果はどうかな?
これを関電に答えさせるんだ。



福島原発事故を巡る東電の大罪 (シリーズ)

1>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/7f5fc419a026c75825f47e95c8105b79
2>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/2508aec1e0bba5fc3c68253e56b44886
3>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d8cc072a77fccd61cde1b25f927998cf
4>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3de01f221fc6a99c1797f0a2391bfba8
5>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a5b906b58c2493bec4fc834405632255
6>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8e6bb8b445e5c227fd00e12091182e31
7>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ba4630c04acc97b09cdc9b8920f8ccbe
8>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d54d2f1f27bfbefe36a48dc322615ca4
9>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1500a350f073c954433e846ca44ca077
10>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8dbda01b7ca7798af3cdfb88bdf2a5ad
11>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ca6e65701b292447ca588463b2ac9094
12>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/0e58da8584ccd1aeb83325be9c332523


東電は未だに誰も何の責任もとってない。隠蔽したことも罪に問われていないんだ。虚偽報告も罪に問われていないんだぞ。
例えば、1号機の再循環ポンプAとB、この構造を知っている人間が誰かいれば、IC戻り水がB系にのみ接続されていることを検証グループに教えてあげることができ、温度グラフが両方下がっていることの矛盾点を追及できるはずが、誰も言わないからそのまんまで通用してしまっているんだ。


マンションの杭打ちのデータ偽装云々以上に、東電のデータ捏造の方がずっとずっと悪質かつ与える被害も甚大なんだ。それなのに、誰も関心を払わず、追及することもできず、責任も問われないのだぞ。



6/8>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/76a1ce64971ad9268e0e5075da71ac4e

(一部再掲)

誰からも、異議の一つすら出されない、ということは、全部の原発事業者が東電と全く同じだ、ということだ。
そんな低劣な連中には、原発を任せることなどできないと言っているのだよ。

例えば、1号機のICに関する疑問点というのがあった。
全国共通の設備ではないから、大勢が知っているということではないかもしれない。けれども、誰か「精通している人間」が少しは存在していてもおかしくないのではないか?
設備担当の企業とかだって、あるわけだろう?

「IC配管のリークを疑った」「弁の開閉操作を行った、建屋外からの蒸気を見た」
こういった証言が出た時、事情を知る人間ならば、疑問に思って当然なのではないのか?
dPIS(IC配管破断検出器)が存在することを知っているなら、「どうして見なかったのですか?確認しましたか?」ということが一発で思い浮かぶわけだろう?
差圧検出用取出配管があることや、弁開度計やIC水位計が付いていることも、知っていたわけだろう?
弁が開いているかどうか、冷却で水量が減っているかどうか、確認手段があることを知っていたはずだろう?
凝集水戻り配管があって、熱湯が流れていることも当然知ってるだろう?

こんなことは、分かる人間にとっては、初歩的な話であって、「ICが機能しているかどうか」を確かめる方法があるということを、普通に指摘できるであろうに。しかし、これを言った人間がいたか?


報道ベースでも存在しないし、事故調査報告(東電、政府、国会、民間)いずれでもなかったし、学会報告なんかでも確認ができない。
要するに、操作や対処法などの評価が全くできない業界(連中)である、ということだ。
実施した行為が正当だったかどうか、が、専門知識のある原発事業者たちの目から見てでさえ、評価できないということ。


======


当方のような部外者で専門外のド素人が、資料を探し、読んでみて、自分なりに理解したり解釈したりしなけりゃ、判明しないというのはおかしいだろう。知ってる人が誰も事故調に教えないというのは、どういうことだ?

当方がブログ如きに書く以前に、ICにはdPISや弁開度計やIC水位計がついていることなど、簡単に指摘できるだろう?
何の為の専門家なんだ。

で、こういうブログ記事を書いたら書いたで、原子力安全・保安院とか原子力安全委員会等の旧HPを全削除して読めなくされたりするんだぞ?
これが正常な社会か?


死んだフリをしてた原子力ムラは、復活を遂げて、勢力回復を果たし、再稼働を次々とやってきてるんだぞ。
マスコミ支配がこれを手助けしたも同然なんだぞ。事実を伝える場所など、どこにもないんだ。権力を批判できる人々は、大手マスコミには存在できなくなってしまったんだ。

反抗勢力は、醜聞や不祥事で、マスコミを動員してぶっ潰すことができるって寸法だしな。いうことを聞いていれば、ウマい汁を吸わせてやるぜ、逆らえば…分かってるな、という、漫画みたいなベタな手口を使われて、まともな人々は屈服させられ排除されてしまった。


危機的状況は、社会のありとあらゆる場所に及んでいるのである。
ここで戦わずして、いつ戦うというのだ?


高浜原発の再稼働を阻止する抗告で何を主張するか

2015年12月25日 13時07分02秒 | 法関係
昨日の続きです。


福井地裁決定において、福島原発事故の教訓を活かせ、その知見を事故防止策に反映すべし、とされている(引用部は適当に探して下さい)。そうであるなら、前提として、福島原発事故の原因について事業者がこれを熟知し理解しているべき必要がある。これを法廷で事業者に言わせる必要があるのだ。

福井地裁決定では、津波の対策について、踏み込んだ追及をしていないので、そこを攻めるべきと思う。規制委員会の策定した基準の妥当性を争うのは、専門知識の量という点において不利だと思うので、別の攻め手を考えてみた。



◎質問1:福島原発事故は何故起こったのか、簡潔に答えよ。
恐らく、地震動による破壊はなかった、津波被害とそれによる電源喪失と答えるだろう。

◎質問2:津波被害とは、具体的にどういうものか?
押し流される等の破壊、浸水、とか言うことだろう。

◎質問3:津波対策は、津波の最大の高さ以外にはないのか?
福島原発でも事前予想の津波高さはずっと低く見られていたが、それを上回った為に大災害へと繋がった。

◎質問4:仮に津波被害が発生したとしても、重大事故への進展を防止できる対策は何か?
多分、別系統の電源やM/C・P/C代替設備がある、とか言うだろう。


津波対策の不備の可能性を追及できるのは、以下の点である。

ア)津波の破壊力はどのくらいなのか?=事業者はこれに適確に答えられなければならない

福島原発事故では、海水が建屋内に大量に流入した、とされる。
どこが破壊され、どれくらいの流量があるのか、が問題となるのである。従って、その破壊が起こる理由と具体的な破壊力の数値を挙げて答えられなければならない。

破壊の可能性は、例えば、①水圧、②漂流物の衝突、などがある。


イ)建屋に海水浸入の可能性=どこが破壊されうるのか、侵入経路はどうなっているのか

建屋がどれほど頑丈に作られていても、開口部は全く存在しないわけでない。出入口に相当する部分は必ず存在するだろう。それらが前記ア)の破壊力に抗し切れる強度なのかどうか、破壊されたらどの程度の流量が発生するのか、答えられなければならない。


ウ)福島原発事故では、約90cm程度(腰の高さまで)が水没した(故にD/G、直流電源、M/C、P/Cが使用不能となった)と説明された。その流入量は具体的にどれくらいの量なのか?

毎分の流入量、実際に溜まった推定総量、を答える必要がある。これを防げるかこれに匹敵する流入量があったとしても、高浜原発は支障がないことの証明が必要。水密扉があれば、全く水の侵入がないのか、どの程度の水圧に耐えられるのか、通路が水没しても重要設備の部屋が水没を免れれば何ら問題ないのかどうか、誰が扉を閉めるのか、電気的に扉閉鎖が確認できるシステムになっているのかどうか、疑問点は多々ある。


エ)漂着物、砂や泥の流入でも支障なく稼働できるのか

配線・配管類はシールされているから水漏れはない、というようなことらしいが、完全水没しても電気設備の健全性が維持されるのかどうか。水没している場所に降りていって、別の予備設備を繋ぎ込むなどといった矛盾が存在してないのかどうか。弁の開閉操作も、水没地点に影響されないのかどうか。排気塔が津波漂流物の衝突等で破壊されたとしても、問題ないのかどうか。
ショベルカーやクレーン車等が保管してある場所は水没を免れるのかどうか、エンジン等が水に浸かっても問題なく運転ができる状態なのかどうか。
水素ガスタンク車や重油タンク車等は水に浮く可能性が高いと思うが、そういう漂流物が衝突したり水が引いた後に残存して障害物として封鎖していても、問題なく除去できるものなのかどうか。

水没に伴い、真水に浸かっても稼働できる設備であっても、泥や海藻等が付着したり目詰まり等したりしても、問題なく動かせるものなのかどうか。漏電等の発生はどのように防げるのか。本当に完全防水なのかどうか。
流木等が固く嵌ってしまって扉が開けられないとか通行できないといったような事態はないのかどうか。


直流電源や別系統の回路といった代替設備は、災害による水没から完全に独立の設計となっているのかどうか。
福島原発事故では、1号機のコントロール建屋の中央制御室の下に直流電源室があったにも関わらず、これが水没したので照明電源も計測用電源も落ちてしまい、真っ暗でパラメータも何も分からなくなった、ということになっているわけだ。
だとすると、関電の高浜原発や大飯原発においても、同様の配置になっているなら、これが浸水しないという理由が必要だろう。高浜が浸水しないのに、何故福島原発では浸水したのか?
福島原発で水没するのに必要な浸水量は、関電はどう計算しているのか?計算根拠は何か?
東電の説明と整合性があるのかどうか?
この説明を、《事業者自身》にさせるんだ。


関電が説明するのに窮するなら、東電の事故原因の説明が嘘だということが明らかになってゆく。逆に、東電の事故原因の説明通りということであれば、関電の原発の設備類の配置について、問題として残り続けるだろう。



参考:

関電は、事故原因について、以下のように認識している、ということである。

>http://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2011/pdf/1028_1j_03.pdf


6名だけでプラントを制御できると考えているのであれば、その人員で全部できるようになっていることだろう。
さて、本当に全部の作業をたったの6名でこなせるか?



高浜3・4号機仮処分取消の福井地裁決定は重大な欠陥がある

2015年12月24日 20時09分12秒 | 法関係
クリスマスイブだというのに、時間がないので、取り急ぎ。


ニュースなどでも、福井地裁が再稼働停止の仮処分をしていた高浜原発について、前の仮処分を取消す決定を出したと報じられていました。

調べてみると、判決文が公開されていたので、ざっと読んでみました。

>https://dl.dropboxusercontent.com/u/63381864/%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%9B%A3%E5%85%A8%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A/151224/20151224honbun.pdf


220ページを超える膨大な量ですが、要点を平たく言うなら、「示された基準に合格しているんだから、文句言うな、合格は合格だ」ということです。


しかし、福井地裁の林潤裁判長、山口裁判官、中村裁判官の判決には、重大な欠陥があります。
このような人たちが、本当に重大な安全上の問題を判断できるものなのか、大いに疑問があります。


根底から、安全思想と言いますか、事故防止の対策を考える上での常識の欠落があると思います。判決文の特徴的な部分が以下です。
判決文P.149です。


確かに、施設等の耐震安全性が確保され、求められる操作が実施可能であったとしても、危機時における人為的なミス等が生じ、求められる操作に失敗する可能性を否定することはできない。(中略)しかし、人為的なミス等の要因に対しては、最悪の事態を想定して訓練を繰り返すことで安全性を確保するほかないというべきであるが、施設等の耐震安全性自体が確保され、それを危機時に適切に操作するための教育・訓練が適時適切に実施されているのであれば、操作に失敗することを前提にして耐震設計に安全上の欠陥があると評価するのは相当とはいえない。そして、債務者は福島原発事故を踏まえ、最悪の事態を想定した教育・訓練を実施し、今後も適時適切に実施していく予定であることが認められるのであるから、今後上記のような失敗事例を踏まえ、訓練や定期的な検査を継続することが不可欠であることは当然であるが、危機時における人為的なミス等が生じる可能性があることを理由として、本件原発の耐震設計に安全上の欠陥があるということはできない。


そもそも福島原発事故は何故起こったか?
これを事業者にきちんと法廷内で説明させる必要があります。

他社の失敗だから、無関係だということにはなりません。「最新の知見の反映」を満たしていないからです。


少なくとも、「人為的ミスの発生があることを想定して、設計する」というのは、事故防止の基本です。
例えば、鉄道事故を防ぐには、人為的ミスがあるかもしれないから、「ATSを設置する」というのが、設計上の事故防止思想でしょう。旅客機であれば、「TCASを搭載し、これによる回避操作を優先する」というのが、ヒューマン・エラーがあったとしても重大事故を防止できる、という設計思想でしょう。


重大な損害をもたらすからこそ、危機時において「たとえ人為的ミスが発生したとしても、これを防止できる設計・施設・設備等がなければ運転できない」と考えるだけの理由がある、ということです。

福井地裁が言うのは、「事故はあったが、航空機の製造(強度・性能等)基準は満たしているのだから、別にTCASを搭載していない旅客機であろうとも、運航してもかまわないよ」と言うのと同じです。


しかも、今後、「パイロットの訓練する予定だから、運航しちゃってかまわないよ」ということで、パイロットの能力がそれで計れるものでもないのに、パイロットは大丈夫、と好き勝手に断定しているだけです。どこにそんな基準が分かるというのだ?


常識的に考えて、裁判官の言ってることは、普通じゃない。
防止措置が十分だ、と自分の基準で断定するのは、簡単だ。たとえ、それが人間工学だの事故防止対策の基本原則を踏襲していないものであろうとも、だ。


ヒューマンエラーが発生することを前提に設計できない、というのは、これがまさしく福島原発を崩壊に導いた最大要因だということが、まだ裁判官にすら理解されてないのだよ。

こんな連中に、司法審査を任せるという日本の裁判所というのは、どうなっているのだ?



個人的感想を許してもらえるなら、はっきり言って、判決で出した理由は、頭がおかしいとしか思えない。どうして、こんな低レベルなヤツラに委ねなければならないんだ!


※昨日記事タイトルが「福島地裁」となっており、間違えてしまいました。慌てていたので、福井とすべきところ誤ってしましました(まさしくヒューマンエラーの典型、笑)。訂正いたしました。



石原慎太郎都知事の呪い~東京五輪の蜜に群がる連中

2015年12月19日 18時01分35秒 | おかしいぞ
費用が膨らんでいってしまい、6倍の1兆数千億円にも上る、という報道が、東京都民を大きく失望させたようだ。


元から、東京都民の多くは開催を望んでいたわけではなかった。石原慎太郎は、自分がやりたいということで都知事選の公約に掲げてみただけだ。
これに賛成を得られないと、石原都知事は「都民はおかしい」と言ったものだ。


こうなることは、恐らく都民の多くが薄らと知っていたことだろう。きっと、後から金をセビリに来るな、と。


なので、猪瀬知事になるまでは、あまり本気の政策課題ということにはなっていなかったような印象だ。が、安倍総理が自分の宣伝にもなるし、東電の福島原発の後処理の杜撰さを覆い隠すのには、利用するのに丁度よい題材だった、ということだろう。


12年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5f6adc46b53923f0d0475708a13b56d2

13年9月
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/33ba74fd514688e1560bd9e85504d534
>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9cb9139d0724f6e6cc8903e44c354bf3


で、反対を押し切って、大々的に宣伝をやって、総理自らもプレゼンして、金で釣り上げたようなものだな。


そもそもは、失敗に終わった石原の時代にこそ、間違いの種が仕込まれていたわけである。


09年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/39c19686b1cdf654cd2f89a7a010801f

(再掲)


石原本人に「(東京都の)選挙民はオカシイ」と言われてしまうくらいだから、石原を選んでしまったのかもしれんな。成功と呼べるのは「東京マラソン」くらいで、これもボストンマラソンとか、ベルリンマラソンとか、ホノルルマラソンとか、そういう諸外国の真似をしてみただけなんだろうけれどね(笑)。要するに、「ヨソでやっているのが羨ましい」というだけではないか。

この延長線上にあったのがオリンピック招致であり、北京やロンドンが羨ましい、というのと変わりない。幼児が他の子の持ってるおもちゃを欲しがるのとあまり違いはない。石原がやりたいことを、他人の金を盛大に使って実行してみました、というだけだな。で、周りにいる特定の権限行使できる者たちにそのオコボレが分配され、その蜜に外部から群がる業者たちがいた、というようなものではないかな。新銀行東京の失敗というのは、そういう典型例なのではないか。


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そして、東京のインフラ整備という名の蜜に、恩恵を受ける連中が大勢いるんだ、ということさ。13年9月の記事で書いた通りなんだよ。
その典型例が、国立競技場の「べら棒な事業費」である。

まずぶっ壊す。造り直す。
ガッポリ儲かる連中が出てくる。勿論、税金という「他人のカネ」をたくさん使って、だ。


そういう名目でもないと、無駄な支出だから止めてね、と多くの国民に反対されることを分かっていて、けど、「お祭りあるから、これは用意しないと仕方がないよね」ということで、支出を強引に認めさせる、という、昔ながらの戦法だ。


「今度、修学旅行に行くから、新しいボストンバッグを買ってね」とか「新しい靴が必要だ」とか言うのと似た戦法である。
「修学旅行」というビッグイヴェントがあるから、それにかこつけて支出してくれ、とせがむ、の図だ(笑)。


こういう手口は、官僚だろうと誰だろうと、大差ないんだよ。人間なんて、考えることが似たりよったり。超天才みたいな人物じゃないと、こういうもんなんじゃないかね、という話では。


結局、反対多数の都民を尻目に、招致をしてしまって、その石原の呪い効果は今後効いてくるから、カネを散々毟り取られる、ということになるわけだわな。

毒は、じわじわ効いてくる、って寸法なんだな、これが。
恐るべし。


日本の高齢政治家は、もうどうに(((書けない)))


夫婦別姓問題の最高裁判決についての雑感

2015年12月17日 12時33分48秒 | 法関係
まだ判決文を読んでいないので、詳細は分かりません。後日読んでから、追加で記事を書くかもしれません。とりあえず、報道での大雑把な情報から、当方の思うところを書いてみたいと思います。


まず識者の反応みたいなことで言えば、残念というか、最高裁の合憲判断に失望したというような受け止め方が多いように思います。再婚制限の判断に比べてしまうということもあるかと思います。


別姓問題の難しいというか不利になりがちな部分は、自民党のような保守層の現行制度維持派がこの問題以外のことに関して、ネガティブな反応を引き起こしがちということかと思います。
現行制度に賛成している面子をチラっと見れば、「ああ、こういう人たちなんだね」というのが、余計に低評価につながっているのではないかということです。


一方、別姓を法的に認めるべきという進歩派的な方々は、男尊女卑的社会に対し反発もあろうし、女性の立場重視云々といった旧弊打破のイメージがあったりします。

同姓である必然性ということからすると、現実問題としてどうなんだろうな、というのはよく分かりません。ただ、自分が生まれ育ってきた環境下では、同姓が当たり前だった、そういうもんだと思って生きてきた、というなので、良し悪しは別にしてそういう世の中だったんだ、ということです。


恐らく、最高裁としては、社会の重大な要請がある、という状態にはなっていないから、司法が「こうしなさい」と規範を示すべき段階にはない、と考えたものと思います。別姓にするべきだ、という意見が大勢を占めるほどに合意形成が進んできたわけではない、ということかと。
そして、そのような国民の合意形成過程がない現状においては、司法が動かし難い最高裁判例をもって「こうしろ」と言うには至らず、合意形成過程の重要な役割と担うのは「立法府であるべき」(=よく話し合って国会が国民に問題意識を定着させ合意形成をするのが筋だろう、なのでまずは国会でやれ)ということで、結論を急がなかったものと思います。


なので、当方からすると、判決に失望という受け止め方ではなく、別姓問題そのものを「問題だ」と感じている国民はむしろ少数派であって、解決すべき問題なら多様な議論と合意形成過程を必要とするべき「社会的制度・慣習の大きな変更」と考えるのではないかな、と。今回、別姓を合法とするべき、という意見が多数出されてゆくなら、国会での法改正の契機となるのは間違いなく、それからでも「間に合うのではないですか」という判断だったのではないかと思います。
(当方の個人的印象でも、姓名については結構大きい変化だと感じます)


判決がどうという話を離れて、自分の感覚的なことを述べたいと思います。
まず、国民の大多数が姓を名乗るようになったのは、明治維新以降でしょうから、歴史的にどうというのは、まだまだ大したことがないかな、と。昔から姓があった家柄の人々と同じような感じで社会制度ができてきた、というだけでは。

有名な豊臣秀吉が顕著な例ですが、昔は改名なんてよくあって、そんなに重大にしがみつくべきことなのかどうか、というのは何とも言えないかな、と。男だから名前を変えられない、とかっていうのは、ちょっと違うのかもしれないかな、と。それに、婿養子だけでなく、養子を受け入れるのは珍しくもなく、姓が変わった男子は昭和以前には今以上に多かったものと思います。


日本で代々家名を受け継いできた人たちの場合には、結婚というのは女性がその「家」に嫁ぐということで、「イエ」制度が続いてきたという理解です。
この「イエ」制度が不当に女性を縛り苦しめてきたんだ、という見方があるのは分かります。しかし、古い制度が何百年か継続してきたのには、その社会において一定の合理性なり理由なり意味合いというものがあったのではないかなとも思えるわけです。


それは、今で言う所の「法人」格と似た制度である、ということです。法人というのは、例えば会社名がずっと存続し、中の人たちは代が替わればどんどん変わっていきますが、法人名は同じままです。「イエ」の制度は、そうした法人の継続とほぼ似たものではないか、ということです。

織田家という家名があれば、会社名と同じような役割をしており、嫡子は社長交代みたいなものかと。会社でも社長は代々替わりますが、会社は同じく存続します。織田家家臣の○○家老の誰、というのも、△△商事に勤務する総務部長の誰というのも、ほぼ似たようなものではないか、ということです。

そうした○○家、という家名なり姓というのは、法人格と似たもので、社長は1人しか認められないから、次男三男は外のイエに出されていたわけで、男子が改名したり養子に入れば、それでよかったということでしょう。中には家名が断絶するイエもあるし、会社の倒産や法人解散みたいなものと似た状態もあったわけです。

必ずしも現代に適合しているわけではないですが、「イエ」の制度にはそれなりの意義があったものと思います。ただ、一部の人に姓や家があった時と、姓を全員につけるようになった時代では、同じことを拡大適用しただけなのにうまく行かなくなる部分も出てくるかもしれない、ということかと。

そして、子だくさんだった時代と少子高齢化が進んだ時代では、これもまた同じ制度下であっても、うまくいかなくなることだってある、ということでしょう。こうした、「うまくいかなくなる」とか「改善した方がいい」とか「制度を変えるべきだ」という評価や意見は、人によって違いがあるだろう、ということなのだと思えます。


「うまくいかなくなっている」と主張する人々にとってはそうなのかもしれませんが、そう感じないという人も少なくないかもしれません。今のままでいい、とか、今の方がいい、と考える人たちだって、どのくらいいるのか分かりません。100年以上の存続・継続性を考えると、名前を変えて一つに絞った方が有利かもしれません。鈴木と佐藤の父母から子供が1人しか誕生しない場合、どんな名前を引き継ぐのだろうか?
海外では父母の名前を全部受け継いでいることがあって、もの凄く長い名前となっている人もいるから、日本もそうした制度にすべきということなのか?


色々と考えてゆくと、一概にどのような制度が優れているのか、というのは、分かり難いものかもしれません。
ただ、日本には古い時代から、氏姓を長期に渡り存続させてきた仕組みがあって、それは法人の名前を引き継ぐのにも似ており、屋号でも○○組とか○○屋みたいなのが何百年か存在し続けてきた、という実績があるわけです。

今の時代に合わせて変革すべきという面と、旧来の制度の「長く続いてきたこと」を利点として見出し、これを継続する方がよいという面と、様々かもしれないな、と。ひょっとして「うまくいかない」と感じたり考えるのは、ここ20~30年に特徴的な思考法なのかもしれず、100年後の時代にはやっぱりもっと古い時代の制度の方が良かった、と考え方が変わるかもしれないし。

資本主義は悪いんだ、だから、平等にする共産主義の方がいいんだ、という考え方が広まることもあったけれども、実際やってみると事前に考えていたように理想的とかうまく行くとは限らないってこと。社会が制度変更をやってみたら、予想と違ってうまく行かない部分ができたり、思いもよらぬ弊害や欠点を生じたりすることもあって、一時期の考え方だけに縛られてもダメかもしれない、ということはあるよ、と。


なので、議論というのは、多くの人の考えを聞いてみたりしないと、思わぬ結果を招くかもしれず、社会がそれでもなお「変えたい」という合意があって挑戦する決断をするなら、法制度なり社会制度なり新たな慣習としてそれをやってみたらよいのではないか、ということでしょう。


簡単には正解なるものを言うのは困難であり、社会全体が直ちに結論を出すのは難しいものである、ということかな、と。司法にこれを負わせるべきとも言えない、ということだろうと思いました。



輸出企業が経済成長を牽引という幻想

2015年12月09日 11時12分07秒 | 経済関連
GDP速報の上方修正でいかにも上向いているかのような報道が並んでいるが、戦時中の大本営発表に似たものであり、同じような精神性が感じられる。都合の悪い情報は、国民には知らせない、という姿勢ということである。

経済統計すら、大本営発表式に陥っては、日本はこの状況を脱出できる道さえ閉ざされているものと言えよう。まともな運営はできないばかりか、個人の下らない手柄だのミスの取り繕いだのに囚われて、大事な目的を忘れ事態の悪化を招くだけとなろう。


一番重要なことは、現状を正しく認識し、それに対する適確な政策を選択し実行すること、それだけである。悪い状況を誤魔化すことではない。


>http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/gaiyou/pdf/point20151208.pdf


四半期の速報値ばかりに目を奪われている人たちが多いと思うが、確報値についてもよく見るべきである。喩えて言えば、契約獲得が9月だとしても、9月に支払が即実行されているわけでもなく、生産等が9月に行われるとは限らないから、仕事が暇だということはあるわけである。10月以降にならないと、実際の仕事にも売上にも反映されないというものも多々ある、ということだ。


だから、速報値で少々の数字を工夫して、算入時期を前倒しで数値をかさ上げしても、次の期では算入できないから年間では数字は同じである。1つの契約、受注は、1回しか金額に反映されない、ということは同じなのである。


2014年度の確報値は、公的需要が-0.3と大幅にダウン。しかも、その内訳で公的固定資本形成は-2.6と+2.0からの大幅下方修正となっている。これは、公共事業の予算額について、支出をしてないか仕事をしてない段階で統計値にカウントしたりすると、プラスの数字を生み出すことができ、次の期にはそれが消えることになるから大幅にマイナスに戻るということになるわけである。


例えば、金額が1期目+5、2期目+3というのは、実際の執行状況が+1、次期が+7というのが実際であることもある、ということだ。+4の分だけ前の期で多くカウントしてしまえば、次の期はそれが剥落するということになる。合計が+8なのは同じということ。速報値の時、+5の数字を見せられて、実態は+1かもしれない、ということだ。


日本経済がマイナス成長に喘いでいるということは、正しく認識するべきであろう。
輸出が日本経済の牽引役になる、などというのは、時代遅れの幻想である。海外生産に移行しているから、輸出企業が日本経済に貢献できる部分は、かなり少ないと考えるべき。下請け仕事なんかも、特別に増えるわけでもない。


>http://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st/gaiyo2015_4-9.pdf


上半期の比較をすれば、それがよくわかるはずである。
ドルベースの輸出額推移は、日本経済の苦戦の一因が見えるだろう。

(日銀の各年12月の報告省令レートで計算)

年度   上半期輸出額(億ドル)

2011   4260

2012   4071

2013   3603

2014   3323

2015   3147


あの東日本大震災のあった年よりも大幅に少ない。あの悲惨だった09年上半期の3030億ドルと大差ない水準でしかないのである。
円の金額ベースで見ても、あまり意味はない。数量指数は、89.3(世界)と大幅に減少しているのだ。つまり、数が売れてない、ということだ。10%ダウンって、それは大幅に減ったということでしかないわけだ。

勿論、海外生産割合が高いことが影響するだろう。
国内で作って輸出するのではなく、海外で作って海外で売る、そういう方向なのだから、円安効果は大企業の決算報告の円ベースの数値が為替要因で大きくなる、というだけに過ぎない。


そして、その大金を手に入れた大企業が何をしているかと言えば、株主配当を増やすというくらいで、日本経済への貢献度は小さい。特に大問題なのが、子会社の株式配当金なんかが益金不算入みたいな、大企業の持ち株会社優遇の不当な税制だ。法人税の計算に入らない、「利益」として丸儲けになる。それが株式配当金の形で出てゆく。受取手の多くは、従業員なんかではなく、主に海外投資家などだ。


だから、大企業に金を持たせる経済運営そのものが、大失敗につながっているのだということ。
輸出企業がみんな苦戦したからといって、これを毎回毎回優遇してきたんだ。彼らの存在が、日本経済をここまで苦しめることに繋がった、と言っても過言ではない。


為替の調節速度は早いが、賃金や物価の調整速度はそれよりもずっと遅い。
インフレ基調が継続するまで続ける必要があるとしても、今の輸出物価の調整速度では全然追い付かないだろう。国内の賃金が為替レートと同等程度に変動(ドルベースで同じ水準くらい)しない限り、国内物価は中々上昇しない。中国の人件費上昇率を見てないのか?

日本人は、あまりに大人しすぎるのかもしれないな。


それで、大本営発表を「そうですか」と受け入れるのもどうかと思うんだが。



昭和43年最高裁判例を誤用する訟務局

2015年12月06日 18時01分21秒 | 法関係
先日にも指摘したが、国の訴状や釈明を書いた人間たちは、詭弁しか思いつかない程度なのであろうか。根本から間違っているとしか思えない。

争点その4>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6285ad6c968ae5b68fe319db1ccd4eeb


また喩え話で申し訳ないが書いてみる(スマン)。

悪代官:
「お前の娘の首に短刀が突き付けられているだろう?娘の命が惜しいだろう?だったら、てごめにされることを受け入れればいいのだ。わかるだろう?オイ、手下1号、娘の首に刃を押し当ててやんな。ホラホラ、娘の命が危ないぞ~~?」

母親:
「お前のような卑劣な下郎の言いなりになどなるものか。死んでもいやじゃ」

悪代官:
「そんなことを言うていいのか~?娘が苦しんどるぞ?娘の命とお前の体、どちらが大事なんだ~?娘の命がなくなってもいいのか~?んん??グェグゲゲエ」


国の言い分は、まさしくこういうのに匹敵している。
不利益を比較してみよ、と求めているわけだが、娘を人質にして、母親が強姦されるか娘の命かを選ばせるという、比較するべきでないものを比較して選ばせるも同然だということ。これを、不公正と呼ばす何と呼ぶ?

解決策としては、娘の命を危うくしているものは明らかだ。「首に押しあてられた刃」である。これを取り除けば、簡単だ。娘の命は助かる。
そして、母親も強姦を選ぶ必要などない。


普天間周辺が犠牲になるか、辺野古が犠牲になるか、どちらか選べ、という設定自体が不当である。娘の命か、母親の強姦か、の択一と同じようなものだ。

しかも国は、知事には基地の配置などを審査する権限がない、と主張しているのであるから、普天間に置かず辺野古に置いた方がよいなどという比較考量はできない(すべきでない)というも同然であり、矛盾している。


https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=144163

国側の釈明の要旨を読みました。
こんなに、あれこれ主張したかったのであれば、何故聴聞の時に言わなかったのでしょうか?処分をさせてからの代執行でトドメを刺すことを狙っていたからでしょう?聴聞を拒否した挙句、代執行裁判で言うというのは、法の悪用です。


案の定、米軍頼み、ですな。
国側の作戦は、焦点をごまかすこと、何が何でも「米軍基地と日米の条約」という統治行為論の方に話を持っていこう、というものです。

沖縄県側がこれに付き合っても意味はありません。話を散漫にするのは、無駄な官僚の頭数を抱える側の基本戦術です(人海戦術と呼ぶに等しいもの)。下らない作業をいくらでもできるから、です。
(ネットの炎上戦法にも似ている。書き込み集団を持つ側は人海戦術で優位となり、少数者は作業量で追い付けない)


沖縄県の答弁書ではどういう回答をしているのか分かりませんが、県側主張の組み立ての弱点を攻めてきているはずなので、大事な部分を維持するようにお願いしたいです。

まず、国の言う国防上の判断などについてですが、これは覆す論立ては難しいと思います。第三者委員会とか県側主張で、「こんなにたくさん基地があるのに辺野古に置く必要がない」というような米軍基地の是非論は、殆ど効果がないでしょう。



沖縄県側の主張としては、
ア)代執行の請求そのものが、要件を満たさず失当である
イ)憲法94条にいう「財産の管理」権限の行使である

をまず主張するべきと思います。

国は、これらについて、何らの具体的な記述がないので、ここは勝負できるものと思っています。

国は自分たちの得になる領域にしか自説を展開してこないので、そこを主たる争点として戦うのは、得策とは思えません。

原初の承認時点での瑕疵の存在、これについてですが、沖縄県側の取消処分における取消事由となっていますので、そこで示した理由全部の正当性を争うのは非常に厳しいと思います。
米軍基地の配置云々は、国のいう「専権事項*」の主旨は向こうに分があります。原則として知事にその権限がないというのは、覆すのは困難です。環境保護措置についての検討が不十分であった、という点は維持できるかと思います。憲法92条ないし94条規定で「埋立は拒否はできる」、を言うことは可能かと思います。

* 準備書面中で『当該米軍施設及び区域の配置場所を国防上、外交上の見地から辺野古沿岸域とすることは、専ら国によって決定されるべき事項』などと記載


仮の話ですが、取消処分そのものに一部理由の不備を言われてしまったとしても、いったん取り下げて訂正してから改めて取り消すことは可能であるので、国のいう処分が違法であるという説をまずはよく見てみる必要があるかと思います。
なので、県が示した取消理由のうち、失う部分があったとしても、それはやむを得ないと考えておく方が無難だと思います。そこを無用に頑張り過ぎても、裁判での印象が悪くなる可能性があるかと思います。


承認時点での手続上の違法の立論ですが、若干難しいかもしれません。が、
承認後の不当を言うことはできます。後発的瑕疵の存在は示せるかと思います。


◆埋立海域の権利関係について:
・本件海域の独占排他的な米軍の使用権原について存在が証明されてない
・制限海域の設定は平成26年7月の防衛省告示で、埋立申請より後日
・日米合同委員会の合意、決定は26年6月20日以降(国会答弁で19日時点で未定と回答)なので申請時には米軍の使用に供する区域でない
・沖縄返還協定文書の米軍使用条件や範囲にも一致しない

=土地収用法5条に掲げる権利の消滅・制限が合法的に行われた形跡がない


◆承認時点の不当について:(違法、までは言えないかも、若干弱い)
承認以前から、国のいう「米軍施設」の立地自治体である名護市は埋立に反対していた。景観、自然環境、漁業その他産業上の利益の最大享受者である地方公共団体の議会が反対を決議し、首長が反対意見を提出しているのであるから、公共の福祉を害する工事であることは論をまたない。
埋立承認が許されるのは、こうした公共の福祉に反してもなお、優先するべき利益が存在することの証明がなされた場合のみ、である。その証明が不十分であれば、承認の処分は不当というべきである。

=承認の処分は不当であるから、取り消すべき理由がある


◆その他
・変更申請が平成26年12月に行われ承認されたとされるが、先行する埋立承認が取り消されれば変更承認は当然に無効というべき
・本件承認取消処分の提示理由にたとえ不備があっても取消は免れない
・国が法によらない手続で国民の権利を制限したり消滅させるのは許されない


審査事務に誤りがあったのは沖縄県側なんだから、それを処分の名宛人(防衛局)にしわ寄せを持ってこられても困る、という言い分はあり得るでしょう。民間人の場合ですと、行政が賠償義務を負うのかもしれません。


さて、国側の主張点の主要部分は、不利益の比較考量、というものです。
国の主張が不当であることを以下に示します。


国の主張というのは、昭和43年最高裁判例から不利益を盛んに言い募っているものであるが、その論は誤りが多い。

そもそも埋立免許(承認)というのは、今現在は存在していない土地を、水面ないし海面の場所に創出して、その土地を取得させることを許すものである。本質は、土地を取得させることであって、取消処分で生じる不利益というのは土地取得に係るものであり、国のいう米軍施設の配置がどうの移設がどうのというのは、副次的な話である。


国は、全く分かっていないようなので、例示をする。
判例に倣い、農地売買を考えてみよう。甲が乙に農地を売却したが、それを許す処分をした行政に誤りがあって処分が取り消され、乙の農地は甲に戻された。売買契約は無効となった。

さて、乙の受けた損失(不利益)は、売買契約の破棄によるものであり、乙が取得できたであろう土地で3年後には小麦をX万トン生産する予定で、その売却で得られる売上や利益というものを補償すべき損失額に算入できるものなのであろうか?

乙が土地を取得したままにしておけばこれら将来発生するかもしれない利益があり、これを喪失したことについて、取り消した行政庁が5年後、10年後の売上や利益までも賠償対象とするべきものなのか?

国の主張をなぞらえるならば、売買をしてもよい、と行政庁が認めた処分によって、取得された土地から生産された利益が自動的に乙に生じるから、これを賠償すべし、ということになろう。或いは埋立地に年30万台の自動車工場を予定しておれば、その毎年の生産額と販売利益について賠償することを認めよ、ということを国は主張するものだ。


このような主張は妥当とは言えない。
いったんは取得登記まで完了した農地について、処分が取消になって農地売買契約が無効となったのなら、土地取得に係る費用や取消時点で既に作付した農作物分やその他損害賠償は生じるというのが不利益の具体的内容であり、遠い将来時点において土地が生産するであろう農作物の損害を賠償することまで含むものではない。


土地売買の契約破棄によって、もし土地を取得していれば店舗を建設し売上がいくらあるはずだったのだから、これを賠償すべしというような論は成り立たない。また、店舗に丁度良い土地探しに20年費やし、その間の経費がいくらかかったのだから、土地売買契約破棄でそれを弁償せよ、と求めるのも不合理と言える。土地探しに5年か20年か費やしたとしても、そのコストは売買契約破棄時に請求できるものではない。5年だろうと20年だろうと、原則として契約上の同じ違約金しか発生しない。


国の主張の要点はこれらと同列であって、「処分の取消によって生じる不利益」とは、「処分の結果生じた利益が失われる」ことを比較考量の対象とするべきところ、この適用を誤っている。


本件で見れば、埋立予定の土地約160haが取得できなくなるというだけであり、土地は未だ存在せず実質的な埋立作業はなされてないから、海面から生じる利益などあるはずもなく、従って不利益は大きくない。キャンプシュワブは約2063haの面積を有しており、取消で得られなくなる土地は僅か約7.8%に過ぎない。飛行場建設が完全に不可能となったり、設計変更が二度とできない等の証明がないなら、代替手段はあるものと考えられ、その場合、わざわざ公共の福祉に反してまで埋立による土地取得が合理的であるかどうかは、疑問の余地がある。
本件申請以前には、SCC等では当初可撤式滑走路が最終3案に残されたり、2000年代以降も統合案やL字型案など、計画や設計の変遷が多々見られてきた。埋立方式となったのはここ最近のことであり、当初からの日米合意事項でなかったことは明白であって、変更不可能を言う国の主張は信頼性に欠ける。


一方、埋立工事は不可逆の変化を生じ、二度と元に戻すことはできない。このことの不利益は甚大である(自然環境保護政策は、不可逆的変化で失われる利益が甚大なればこそ実施されているものなので、これは当然である)。埋立工事が景観や自然環境の損失、海洋の自由使用を不可能とするなど、公益を害することは明らかである。



また国は、普天間基地についての危険をいうが、これも適用の誤りである。
飛行場の危険は埋立承認取消処分により生じた危険ではないことは明らかであって、これを承認後に獲得した利益(危険の除去)とし、取消により生ずる不利益とすることは不当である。承認後に、普天間基地の危険が承認前に比べて小さくなっていることを示さねば、処分の効果により生じた利益とすることはできない。

例えば、A地で操業中の工場が法の基準を超えて水質汚染をしているところ、B地に埋立地を取得し工場を移転すればA地における汚染が止まり危険が回避される、という論法に匹敵している。B地で埋立免許が得られたからといって、A地の汚染による危険度が軽減されたという利益を生じるはずもなく、埋立免許取消処分により「未だ生じてない利益」が失われる、などという不利益が発生することなど主張できない。工場が移転完了していなければ、汚染による危険の軽減利益をいうことはできない。
そもそも行政が、A地の汚染による危険を十分に認識していながら、法の基準に違反して工場の操業を許しておく不作為にこそ、A地の危険の原因があり、直ちに操業停止を実現する義務があるというべきである。違法操業工場を停止させると返還するよりないので、必然に返還が達成され、工場跡地利用による利益も問題なく進展するだろう。

すなわち、普天間基地でいえば、全面返還が日米合意事項として決定されているものであるから、これが達成できる方が望ましいに決まっている。これを否定するなら、国の論理は破綻している。


次に、国際関係上の点について。

見出し、(2)ア(ア)(3)
国家間の約束事を実現できず、今後の諸外国との外交関係の基礎となるべき、国際社会からの信頼の低下などの我が国が受ける不利益

(※もうちょっと区別しやすい見出しを使うべき。アと(ア)は区別できるが、(1)と(1)は区別できんだろ。大した話ではないけど)

国家間の約束事を実現できないことで信頼低下などの不利益を受ける、という。ならば、例えばキャンプ桑江の返還合意はSACO以来の決定事項である。平成18年5月には全面返還が合意されているにも関わらず、これが未だに達成されていない。38haが返還されてから何年も経っており、しかも近年新たな施設を次々と供給しているものである。残り返還予定の100ha弱は合意が守られていないことは確実である。
それでもなお、米国が信頼低下を招き、例えば日米間の約束事ができなくなったなどという具体的不利益の存在は証明されていない。



沖縄県の負担軽減措置について、埋立地が取得できないと、これができなくなるとも述べる。

(4) 普天間飛行場に比して大幅に規模の縮小した本件代替施設等を辺野古沿岸域に建設するという計画が頓挫することによって、沖縄県の負担軽減を進められなくなる不利益

前記の通り、違法かつ危険な普天間基地を直ちに運用停止し、これを返還するならば、必然的に負担は軽減される。これが不可能であることの理由がない。


経済的損失額云々を言うのも、以前の記事で書いた通りである。承認以前の支出は無駄。承認後の執行額と契約解除による違約金等は損失が発生するであろう。
例えば国立競技場の無駄になった金額とまず比較するべき。



国の主張は、代執行請求を確実に正当化できるものは、何もない。

唯一、米軍が公益なんだ、ということのみだな。



日米地位協定や防衛省告示第123号は海の使用禁止の根拠にならない

2015年12月03日 17時39分48秒 | 法関係
これも何度も指摘してきたのだが、本件裁判では重要点なので、再度書くこととする。

14年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ad570fc023e76f5839c6ecd84e95f995


日本政府が本件制限海域において、常時禁止を法的に実行できるのは漁業の操業のみ、である。漁業等制限法に基づく規制のみ、法的権限を有している。

防衛省告示第122号>http://www.mod.go.jp/j/presiding/pdf/2014/122_0702.pdf


だからこそ、漁業者の邪魔をする=使用権限を侵害する、ということで、補償をするべき義務を負う、ということになっている。なので、地元漁業に同意を取得し、金銭解決を図るということで操業制限をするのを許される。


ところが、海保がやってるのは、漁船操業以外の、民間人の自由使用も全部排除しているのである。そんな権利がどこにあるのか?その法的根拠を言え、と言っているのに、海上保安庁法2条だ、としか答えないわけだ。

防衛省告示第123号>http://www.mod.go.jp/j/presiding/pdf/2014/123_0702.pdf


この告示中、『所有関係』欄は不記載である。
これはどういうことなのか?
国有であれば、常に「国有」と記載される。これが存在しない。それは国有であることを、国自身が法的に認めることができているわけではない、ということだ。いかに公有水面埋立法1条の条文があろうとも、当該制限海域は「国有」とは明記することができない、ということの表れだろう。

告示文言には、
『地位…協定二条の規定により』
とあるが、

日米地位協定の2条には、日本の海洋について日本国政府が日本国民に対し無条件・無限定に自由に提供区域にできる、とする法的根拠を与えてなどいない。

(再掲)
日米地位協定 第2条
>http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/kyoutei/pdfs/02.pdf

1(a) 合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない「施設及び区域」には、当該施設及び区域の運営に必要な現存の設備、備品及び定着物を含む。

(b) 合衆国が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の終了の時に使用している施設及び区域は、両政府が(a)の規定に従つて合意した施設及び区域とみなす。

(以下略)


日米合同委員会は立法機関ではないし、そこでの合意事項が立法措置となるわけでもない。憲法無視、法の秩序無視の政府においては、合同委員会が最高の意思決定機関であると思いあがっているようにしか見えない。
同時に、日米地位協定2条は、防衛大臣に対し、日本の海洋について自由に提供区域として決定できるという裁量権を与えているとする根拠ともなり得ない

日米地位協定第2条の新たな合意文書があるはずだから、本件制限区域に関する協定文書を証拠申請するべき。
そこに記載がなければ、米軍の権利として存在するものではないということになる。米軍の法的権限が米国法による規定であるなら、埋立行為は全部米国基準でのやり直しが求められよう。知事権限など及ぶはずもない。

米軍の権利が存在しないなら、沖縄県が水底調査をすることを誰が拒否できたんだ?
何の法的権限で、サンゴ礁の調査拒否をした?
またしても、捏造の違法行為か?


共同使用するとされた区域について、防衛省の取得要件も満たされていない。
シリーズ記事の「論点4」でも説明したが、再度書くこととする。


防衛省が基地や飛行場等の施設を建設する際には、省内手続きを必要とする。これを規定しているのが、訓令などである。
辺野古で作っているのは、そもそも米軍基地ではない。自衛隊がまず「自衛隊が使用する施設」を自分で作って、この施設は米軍に貸す土地に「くっついているもの」だから、米軍はくっついている施設や定着物など全てを自由に使っていいよ、ということになるわけだ。そうじゃないと、米国議会の予算承認とかが必要になるだろう?要するに、工事は、全部米軍には無関係に、防衛省の事業なんだよ。


すると、自衛隊が施設を作る際には、必ず決まった手続きを経なければならないのだ。


「防衛省における自衛隊施設の取得等に関する訓令」

○第4条
(1)施設とは、自衛隊の用に供する土地、建物、立木その他土地に定着する物件及び土地収用法第5条に掲げる権利をいう。

(2)「施設の取得等」とは、施設の取得並びに土地収用法5条の権利の消滅又は制限、自衛隊の用に供する国有財産の所管換、所属替、用途変更、用途廃止及び処分並びにこれらに伴う補償をいう。



自衛隊が施設を建設する前には、この取得手続を経なければならないはずだ。本件制限海域が、一体どのようにいつ取得されたか、ということが問題なのである。

もし本当に国有財産だと言うなら、所管換になっているだろう。国土交通省から防衛省に変更したか?それとも、財務省から防衛省への変更か?

土地収用法5条の権利の消滅・制限があるなら、その証拠を出せ。土地収用法に基づく「取得等」がなければ、その権利は消滅したりしないし、制限もできないことは明らかである。
告示123号でも、所有関係が「国有」と書けなかったものが、どうやって国有になったのだ?いつから、国有なのだ?


それから、訓令に基づく手続きには、「別紙様式第2」というのがある。基本計画書(6条関係)という文書だ。これは、施設の建設工事などの際に作られる文書のはずである。

この文書には、
・「取得等方法」
・「物件」
・「予算」
・「管轄区分」
という欄がある。

本件制限海域について、それぞれがどのように記載され、どのような手続きを実施されたか、証拠申請して明らかにするべきである。
管轄区分が本当に変更になっているのか?
取得等方法が不記載なら、取得等は実施されてはいないぞ。「土地収用法5条に掲げる権利」は依然として残されている。
取得等要求の機関の長、供用事務担当官の氏名が記載されているだろう。それらの手続きが訓令の定め通りに実行されているか、確認するべきである。


防衛省のデタラメ告示に基づく、海保の水路情報もニセの告示となろう。
臨時制限区域は、臨時であって、常時進入禁止を好き勝手に設定できない。それとも、米軍が設定したのか?
だとすると、米国政府は中国の海洋埋立を非難することなどできまい。


「航行の自由」などという反吐の出るような綺麗事を言う前に、「辺野古沖の自由」をまず認めるべきではないのかね。

沖縄の地域住民にこそ権利が存するのであり、米軍にあるのではないぞ。
安倍政権は、米軍を笠に来て、沖縄の自由を蹂躙してるんだぞ。


中国の南シナ海埋立と辺野古沖の埋立には、無法と暴力という共通点があり、安倍政権も米国政府も批判できる立場になどない、ということは確かである。



※追記(20時ころ):

どうせ役所に証拠を提出しろ、と求めたりすると、たった今、大慌てで作成中です、辻褄を合せるように、いかようにも作れます、くらいの連中だろうから、無駄足に終わるかもしれんな。


東京第五検察審査会の重要な書類とかも同じ。

当時の事務局長が出したとされるらしい、「東五検審第122号及び第123号」は偽文書の疑いがあったが、誰にもどうすることもできなかったわけだよ。

>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/68f7528494813f03323de324ca6070e0


何たる偶然。そう思わんか?
防衛省の告示も、122号と123号だ。

何だってやれる組織なら、それは最強だ。
どのような違法だって問題ない。裁判所さえ操れるなら、な。

検察審査会の審査員の平均年齢が30歳そこそこって、どんだけ偏った構成なんだってのは、常識があるならすぐに分かる。その上、計算間違いでした、って訂正しても、嘘の上塗り状態ならバレバレになって当然なんだよ。


こんなロクでもないことさえ、通用してしまう国なんだから、何が起こっても不思議でも何でもないのかもしれぬ。
他人を陥れる手法にかけては熱心な、狂気の連中が巣食っているわけだから。


異常だ。


行政不服審査法に基づく申立て権と執行停止について(代執行裁判での主張)

2015年12月01日 12時29分42秒 | 法関係
国の機関が申立てを行うのはおかしい、防衛局が申立てをして、審査庁たる国交省(大臣)が裁決や決定を行うのは、内輪でしかないからおかしい、というようなご意見があるのは承知しています。

確かに一理あるかもしれません。
凄い例になりますと、盗人が自分の刑事裁判をやって判決を出すみたいなものだ、くらいのご意見を見かけたようにも思います。そこまで酷いかどうかは別として、審査制度としてどうなのか、本件ではどうなのか、ということを見ていきたいと思います。


1)現行法上、地方防衛局の申立て権は存在する

まず、沖縄防衛局に申立ての権利行使はおかしい、という点についてです。私人とは違うのだから、不服申し立てが認められるべきでない、という主張があるのは分かりますが、その理由とか根拠については説得力に欠けるように思います。

既に述べた通りですが、現行法上でその権利行使が条文において定められている以上、これを「認められない」とするのは、かなり強力な反対論が必要であると思います。シリーズの記事中で「論点9」に示した通り、法律に規定があるものを否定するのは極めて困難であると言わざるを得ません。


争点その2>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/bf7e5efbaafe1bec40232961a216b126


再掲しますと、通称、駐留軍用地特措法、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法」の22条です。

○第二十二条  
収用委員会が第十九条第四項に規定する期間内に裁決をしない場合において、地方防衛局長から行政不服審査法 (昭和三十七年法律第百六十号)第七条 の規定による異議申立てがあつたときは、収用委員会は、同法第五十条第二項 の規定にかかわらず、第十四条の規定により適用される土地収用法第三十九条第一項 の規定による申請に係る事件を防衛大臣に送らなければならない。
(以下略)


『地方防衛局長から行政不服審査法第七条の規定による異議申立てがあつたとき』とはっきり書かれています。これは申立て権があることを示しているわけで、これが違法である違憲である、ということを立証するのは極めて困難です。

そもそもこの条文が違憲立法であることを、どう説明できるのか?
大義名分として、国民の救済制度として設けられているという主旨は分かりますし、その主張自体はおかしいものではないですが、現実と適合していないとしか思えません。行政不服審査制度の全般を相手にして、違憲であることの主張を通すのは無理筋としか思えません。周知の通り、過去に違憲立法の主張が認められた裁判例は極めて少なく、拙ブログの管見では勝てる見込みは皆無に等しいのではないかと思います。


2)申立て者の違いが問題なのではない

国が国に審査請求するのがおかしい、という意見は、そうかなと思えるかもしれませんが、本当にそういう問題なのでしょうか?

例えば、裁判を考えてみましょう。
最高裁長官は内閣が指名するし、裁判官の任命も内閣です。下級裁も最高裁の名簿を内閣が任命します。それに、身分は公務員であるし、内閣の影響から逃れられるわけでもないと言えます。
実際、砂川判決のような例があるわけですから、裁判所だってどうせ政府の味方だ、という見解もあり得るでしょう。
それでは、裁判所が国を審理するのはおかしい、と言いますでしょうか?

国が控訴したら、裁判の請求者は国です。国を裁判所が裁くのが、ルール違反だというようなことを言いますでしょうか?


違いますよね。少なくとも、司法は独立であって、いかに最高裁長官が内閣の指名であろうとも、裁判所が判断することは是とされているわけです。それは、申立人が私人であるか、国であるか、の問題なのでしょうか?


そうではなく、あくまで「審査する立場」の側の問題なんだ、ということではないでしょうか。裁判所が公正中立に判断するという前提があればこそ、国を相手に戦うことができる、ということです。申立てを誰が行ったのか、というのは、大きな問題ではないのではありませんか、ということです。審査請求権が地方防衛局にあったとしても、その審査が公正であれば問題はないはずではないか、ということです。


つまり、裁判所に相当する立場、すなわち、審査を担当する側の問題なんだということです。
行政不服審査法に基づく審査は、審査庁が行うわけですが、その審査庁の判断が裁判所と同等の公正性が確保されていなければならないのです。たとえ行政機関が申立て人であったとしても、審査が適正かつ公正であれば、出される結果は信頼に足るものであるはずです。

行政機関同士の相互監督といいますか、そのような機能は審査制度以外にも存在しています。顕著な例は、会計検査院の検査です。他にも、事業や処分の決定にあたっては、他省庁の大臣意見を求めなければならない、という規定は多数存在します。行政が政府内でいくら検討してみたって、味方するだけだから意味がない、というようなことを言ってしまえば、本件での農水大臣意見照会とか、埋立免許前の国交大臣認可や環境大臣意見などの手続きも不要かつ無意味に帰することになりかねません。

どの程度の監視・牽制機能があるのか、実効性はどうなのか、はおくとして、建前上は省庁間なり行政機関相互において、ある程度の抑制的権限(機能)は働いているものと考えるよりないものと思います。処分庁と審査庁の関係性はこれに類するものと考えます。


3)「執行停止」の何を問題とすべきか

ここまで書いてきたように、行政不服審査法が私人じゃない行政機関の申立てを予定してないからダメなんだ、とか、国が国に申し出すると仲間内をひいきにする結果を出すに決まっているんだ、というような、制度全体を相手に主張しても勝ち目がないのでは、と思うわけです。いくら抽象論を述べても、違憲の立証はハードルが高いでしょう。

そうではなく、「判断をする側」の問題を捉えるべきなのです。裁判であれば、判決(文)ということです。
訴訟制度はおかしいとか、裁判所が国を審理するのはおかしい、などと言わずに、個別の判決について、これを問題とすべき、というのと同じです。


本件審査請求と執行停止の場合で見れば、防衛局に「審査請求権があるのはおかしい」を証明することはかなり困難ですが、「執行停止」の決定は果たして妥当かどうか、を言う方が比較的容易なので、こちらを見るべきということです。


それは、条文なり法が要求する必要条件が「本当に満たされているのか」という点を攻撃するべきということです。この要件を満たしていない場合には、当然にこの決定は不適法となり、決定の効力を失わせるか取り消させる事由となります。

行政不服審査法34条4項にいう要件について、国に対し立証を求めるべし、ということです。条文から、必須要件はこれです。
処分により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要がある

国は「重大な損害がある」こと、「緊急の必要がある」ことは、執行停止決定通知書でも述べていますから、同じ主張をしてくるものと思います。これの妥当性の判断は、早い話が裁判所の判断に依存すると思います。「いやいや重大ではない」といくら反論しても、決定権限を有する行政側が通常は有利です。


残るは、除外規定の3つ(但書)です。

公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、処分の執行若しくは手続の続行ができなくなるおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるとき

普通は、埋立事業そのものは、公共の福祉に「重大な影響を及ぼすおそれ」に該当すると主張するでしょう。この立証は可能です(大規模埋立事業ですので)。
また、「処分の執行ができなくなるおそれ」についても、工事作業を継続されてしまうと埋立地が完成してしまい、「執行ができなくなるおそれ」があると言えます。これを立論できればよい。事実、国は埋立作業を継続すると官房長官会見でも述べていますから、それを証拠とできるでしょう。


従って、主張の仕方としては、防衛局に審査請求の権利があるのは違法・違憲である、というのは困難なので回避した方がよく、大臣の出した執行停止決定は「除外規定のうち2つに該当している、故に執行停止は誤りである」(=執行停止を取り消せ)と主張する方が、勝てるチャンスは出てくると考えます。


得られる効果(執行停止が取り消されること)は同じですが、申立て人が国の行政機関なのでダメなんだ、と言うのを避けて、審査する側が公正にやってないからダメなんだ、という方向に主張を変えるということです。

審査する側が公正にやってないからダメ、と主張する根拠とか理由はなんだろうか?、というと、「不公平じゃないか」という部分が審査庁の決定には存在するはず、ということです。すなわち、「執行停止するなんて、おかしいじゃないか、何故なら……」という説明をするのと同じようなものなのです。審査庁の決定が本当に一分の隙もなく適正であるなら、誰が見ても「執行停止決定もやむを得ないな」と思うはずでしょう?

そうではないのなら、その理由というものがあるはずなのです。そこを衝くべき、と。



※補足ですが(15時頃):

拙ブログでは、執行停止決定はこれが残っている方が得策であると主張してきましたので、執行停止を裁判で取り消させることができるとは考えておりません。ただ、沖縄県側の言い分というか、検討を求めた部分にこの「執行停止」があったようなので(確かに執行停止がなければ工事作業は中断させることができるから)、戦い方をどうするかという点から書いてみました。

あくまで国の主張する「重大な損害」と「緊急性」を完全否認せず残したまま、除外規定での「執行停止決定は不当である」との論に導くべき、ということは変わりません。