いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

近頃・・・余裕がないな

2006年03月30日 23時28分33秒 | 社会全般
時間が取れずに、記事をあんまり書けません。じっくり腰を据えて考える時間も減っています。
気になる出来事はいくつかあるのですが・・・・。


今日は村岡さんの判決が出ましたね。
「涙の無罪」ですと。

これで幕引きというのも、問題ですよね。他の橋本さん、野中さんあたりの責任というのが不明のままですし。政治家の誰も責任を負わずに「自動消滅」では、会計責任者の裁判は一体何だったのか、と思います。検察は次をどうするのでしょうね。



思わずゲロしちゃいました・・・

2006年03月28日 21時13分00秒 | 社会全般
また談合ですか、って感じですね。どこの業界でも常識だったんでしょ?何を今更ってなことなんでしょ?気付くのが遅かったですね、ってなことですかね。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <水門工事談合>「自白」で課徴金減免を初適用 公取委

記事より一部抜粋



立ち入り検査を受けたのは▽石川島播磨重工業(東京都江東区)▽三菱重工業(港区)▽川崎重工業(神戸市)▽三井造船(中央区)▽日立造船(大阪市)などで、昨年の橋梁(きょうりょう)談合事件で公取委から排除勧告を受けた企業も含まれる。いずれも業界団体「水門鉄管協会」(港区)に加盟している。
 関係者によると、各社は国土交通省や農林水産省、地方自治体、独立行政法人・水資源機構などが発注した水門や関連施設の設置・補修工事の入札で、事前に話し合って受注する会社や落札価格を決めていたという。水門は鋼鉄製で、河川から水道や農業・工業用水を取る「取水堰(せき)」の閘門(こうもん)やダムの排水設備、河口や運河への高潮や津波の侵入を防ぐゲートなどに使われていた。入札1件あたりの落札金額は数百万~数億円で、国内の市場規模は約600億~700億円。
 課徴金減免制度は、談合やカルテルなど独禁法違反にかかわった事業者が公取委に「自白」し、資料の提出など調査に協力すると、課徴金が減免されるというもの。今回、同制度に基づき事前申告していた少なくとも1社と、公取委は毎日新聞の取材にいずれも「申告に関することはコメントできない」と回答している。
 水門工事を巡っては、石川島播磨、三菱重工などメーカー37社が「睦水会」という親ぼく組織を結成し、事前に受注予定社を決定し落札価格を決めていたとして、公取委が79年10月に排除勧告している。
 ▽課徴金減免制度 価格カルテルや入札談合など、独占禁止法違反行為を公正取引委員会に自発的に申告した事業者の課徴金を減免する制度。米国、EU、韓国などで既に導入されている。日本では今年1月の独占禁止法改正で導入された。適用対象は公取委への申告順位が先着3社までで、立ち入り検査前の場合、1番目が全額免除、2番目は50%、3番目は30%減額され、立ち入り後は3社とも30%の減額となる。公取委は申告企業名を原則非公表としている。
 ◇他業界にも波及か
 独占禁止法の改正(今年1月)により、談合などを自主申告すれば課徴金が減免される制度が、導入後わずか3カ月で初適用された。「アメとムチ」が明確なのがこの制度の最大の特徴であるため、今回のケースを機に、ほかの業界に申告が波及する可能性もある。
 この制度では、申告の「先着3社」が課徴金の減免対象で、とりわけ、立ち入り検査前に1番目に申告すれば、課徴金の全額と刑事告発が免除される。メリットはそれだけでなく、国土交通省は、同法違反に伴う指名停止期間について、減免対象社は通常の2分の1に短縮する方針を打ち出した。公共事業依存度が高い企業ほど、課徴金や損害賠償の支払い以上に、指名停止による経営上の影響が大きいとされるだけに、この差は大きい。
 一方で、申告しなかったり、先着3社から漏れた企業は、課徴金納付、指名停止などの処分に加え「申告しなかったことにより、損失が増えた」などとして、経営陣が株主代表訴訟を起こされる可能性もある。申告の順番について他社と相談することは認められていないため、他社に先んじて「先着3社」の椅子を獲得するしかないわけだ。




経団連とか経済同友会とかさ、いつも「民間は大変な苦労をして・・・云々」と御高説賜る訳ですが、民間企業のタカリ体質にはなぜ厳しく追及せんのよ。お仲間でしょうよ、皆さんの。行政には「法人税を上げるな」とか「企業負担を増やすな」とか散々批判して言いたい放題なのに、汚いタカリを率先してやっているのは、君達のお仲間ではないですか。国際協力の分野とかでもタカリなんじゃないの?大丈夫ですか?

大体「談合はなくせない」なんてことを奥田さんが言うくらいだからね。ホラ、悪巧みはやっぱり「大企業」だろ?そういうことが出来るのは、「政官」とお付き合いできる「業」しかないもんね。大企業が「うまみ」を吸い上げて、その残りカスを下請けに出してるだけなんだろ?そういうことができるのは、弱小零細なんかじゃないのさ。巨悪は一流の「大企業」にあるんですよ。水戸黄門の構図と何にも違いなんてないんですよ。全然バカになんてできんのですよ。「あれはドラマだからさ」なんて、笑ってられないんですよ。悪代官と廻船問屋等の大店との関係と何ら違いがないんですよ。


よく昔の刑事ドラマなんかでも、犯人が刑事に落とされるんだよね。どんな台詞か思い出せないけど。

「お前、田舎のお袋が泣いてるぞ。今のうちに吐いた方が楽になるぞ」
「他にもやっていたんじゃないのかい?」
「一連の~~事件は、お前さんの仕業じゃないのかい?」
「全部吐いちまって、心を入れ替えて生きればいい」
概ねこんな感じの方向で犯人の取調が行われて、「鬼の○○」と呼ばれるベテラン刑事(時には、「落としの○○」「泣きの○○」とかかもしれないが)がゲロさせるんですな(笑)。

「ううっ、け、刑事さん、あっしがやりました・・・・」と犯人は自供する訳です。
要するに、今回の談合はゲロしてしまったのですね(笑)。

他にも談合に関与しているところがあれば、忠告をしておきましょう。
「今のうちに吐いた方が楽になるぞ」
ああ、制度の性質から、
「先にゲロした方が有利だぞ」
ですね。

これって、まさに「ゲーム理論」を実践しとるね。
最適戦略は「裏切り」ですし。笑


ところで関係ない話ですけれど、公正取引委員会は略称が「公取委」でいいですよね。似てるのが、証券取引等監視委員会ですが、この略称って何て言うんだろ?前に「SEC」と書いてしまったけど、これって日本では違うみたいだし。
公取に倣えば「証取委」ですけど・・・別な記事では「監視委」と書いてみました。新聞などでも略称で書いてるかな?と思って見ていましたが、略称は見かけませんでした。何か簡単な略称が望まれます(いちいち書くのが面倒なので)。公取委みたいな、簡明なのがいいです。公取委は変換も一発ですし。


追加:
ちょっと調べたら、ありました。HPが。

証券取引等監視委員会

略して「SESC」でした。知らんかった。ゴメンね。今後「SESC」と統一して書き、カッコ書きで証券取引等監視委員会と書くことにしたら?分りにくい?

そうだよね、アルファベットの略って結構あるもんね。昔は日経とかに「SCE」って出てたら、「ソニー・コンピュータ・エンターテイメント」だったもんね。今はどうなのか不明だけど。あと、「SIRS」とか。中国で流行した、「恐怖のサーズ」ですな。「SESC」とは見た目で全然違うけど、中には間違う人もいるかも。


ついでに、意外なものも発見!「SEC」ってあったよ。何と独立行政法人の一部門。こんなとこ(分野)にもくまなくあるんだね。
「ソフトエンジニアリングセンター」だと。笑
経済産業省管轄の情報処理推進機構だとさ。チョー怪スイー!

ソフトウェアエンジニアリングセンター

探せば色々見つかるんだね。今度、調べてみるから。今、時間ないし。やっぱり、「SESC」案はダメだわ。「証取委」か「監視委」かどっちかがいいんじゃない?



300円の借金

2006年03月27日 21時45分22秒 | 社会全般
この前、ベンチに座っている若い女性2組がいた(「なんだ、またかよ」と言わないでね。知ってる人は知っている、笑)。どこかの職場の制服を着ており、仕事の休憩時間か何かであったのだろう。丁度私の後方にいて、特に聞き耳をそばだてていた訳ではないが、なんとはなしに話し声が聞えてきた。だって、急に大声だったんだもん。


「えーっ!!今日って土曜日だったんだ。どーしよ」
「ATMは5時までだよ」(「6時」って言ったかも・・・ちょっと不正確)
「今日下ろそうと思ってたのに。帰りのバス代がないかも」
「そーなの?貸してあげようか。いくら?」
「160円。私いま、サイフに100円も入ってないかも」
「帰れないじゃん」
「あ、頑張れば歩いて帰れるから」
「つらいね」
「やっぱ、先輩、お金借りていいですか?」
「いいわよ」
「じゃあ、160円・・・」
「もうちょっと貸そうか?」
「そんな、いいです、・・・でも・・・ああ、やっぱり貸してもらえますか?300円」
「いいよー、本当にそれで足りるの?」
「はい、300円で。大丈夫です。助かります」
・・・・


ところどころ不正確ですけど、だいたいこんな感じだった。少なくとも正しいのは「いま100円もない」のと、「借りたのが300円」です。


思ったのは、例え銀行が休みであろうが、ATMの時間が6時だろうが9時だろうが、コンビニで多分下ろすことはできるはずだろうな、と(提携してないのかも?しれない・・・)。ひょっとして、銀行にも金が入っていないのかもしれないな、と。

それと、現在持っているお金が100円以下、ということに驚きました(まあ、わたくしも学生時代には同じくらい貧乏な時は多々ありました。30円の「パンの耳」しか買えないくらい。笑。前に書いたけど)。多分20歳前後の人だったと思うけど、学生ではなくて仕事(バイトかも)をしている人だった、ということです。本当に若い人たちはカツカツなんだな、と思いました。


で、優しい先輩が貸してあげると言ってくれて、借りるお金が300円という非常に真面目な金額でして、何となく両者はいい人なのかもしれない、と思いました。それは、普通よりも賢くはないかもしれないし、賃金も安い仕事しか就けないかもしれないけれども、狡知に長けてはいなさそう、ということです。普通にバス代とか300円程度のお金を融通しあうのって、何となくホッとしました。特別に今の若い女の子がみんな、お金の為だけに稼ぎのいい風俗だの何だのにすぐ「走る」わけでもないんだなー、って。貸す方(先輩)も、もうちょっと気を回して千円くらいは貸してやれよ、と一瞬考えましたが、バス代ピッタリじゃなくて少しだけ多い300円というところが、双方にとって丁度いいのかもしれませんね(笑)。でも、本当のところはどうなのか、全く分りません。私の得意の推測ですから。


世の中の若者たちには、確かに真面目に働いていてもお金が全然入ってこない人や、一生懸命生きている人はたくさんいるでしょう。そういう人々は必ず救済しなければならないのです。彼らの労働力を不当に搾取してはならないはずなのです。最近の求人の傾向では、大企業を中心に再び人材育成を自前でやって行こう、という機運は生まれつつあると見ています。それは団塊世代の引退ということもあるのだけれど、きっと自らの歩いてきた道を企業経営者たちが思い起こしてみたからではないかと考えています。


現在はたとえどんなに偉い社長とかCEOなのかもしれないが、入社当初からその実力を身に付けていたわけではないのですから。大抵は普通の新入社員と同じように、仕事ができず怒られたり、先輩たちに教えてもらい、ようやく一人前にしてもらったに違いないのです。初めから素晴らしかった人もいるかもしれないが、そんなのはきっと稀だろう。誰でも初めっからうまくできっこないんですよ。そうやって、自分を育ててくれたのは、会社であり、先輩であり、上司やら後輩やら、取引先の人・・・要するに、周りの人間たちです。自分だけの力で大きくなったわけではないのです。そう考えれば、現代の若年層に「即戦力」というのを求めるのは、ちょっと酷なのです。


偉そうにあれこれ言う社長さんだって、案外入ろうと思ってなかった会社に入ってしまい(他が全部落ちたとか断られたとか・・・よくそういうエピソードはありますよね)、その後にたまたま出世した、とか、ありますから。人との偶然の出会いとか、好きな指導者とか、何かそういうキッカケで開花することはあるかもしれないな、と思いますね。そういう過去を思えば、企業が自前で人材を育成するなんていうのは当たり前と思いますね。


企業は社会的活動も重視するようになっているだろうから、一部にはメセナとかもやってると思う。他のプランとしては、人材育成ということで考えると、アメリカみたいに「奨学金」を与える、ということも考えてみてはどうだろうか?勿論、経済的に恵まれない層から選抜するのです。優秀な人材が埋もれているかもしれず、例えば若き研究者を育てる、ということで考えると、企業が大学の学費を出すことで、将来その企業の研究部門に優秀な人材が集まるようになるかもしれませんよね。或いは、将来立派な学者になって賞を獲ったりすると、企業の知名度が上がるかもしれないですよね。それとか、奨学金の選抜に希望者が殺到して、そのこと事態がニュースになって企業の知名度や好感度がアップするかもしれないですし。前にも篤志家のこと(参考記事)を書いたのだけれど、学費を出してあげる、というのは意外と効果が大きいんじゃないのかな、と思うね。


大都会ではない地方こそ、そうした制度をどんどん作って、地域にいい人材を集められるように工夫するべきだと思うね。だって、優秀な人たちは都会の大学に行き、都会の大企業などに就職してしまうからね。そのままそこで居座るのだし。なので、奨学金に当たった人たちは地域に戻ってきて必ず働いてもらう、という制度にしておけばいいのではないかな(もしも、戻ってこなかったら、全額返済してもらえばいい)。本当は、起業をしてもらって大成功してもらうことが一番なのだけれど。雇用も生まれるしね。公共事業の名を借りて、誰も来ない工業団地を大袈裟に造成したりなんかするよりも、いい人材発掘のために学費を出してあげて、地域に定着してもらえる方がよっぽどいいと思うけど。思い切って域外からの人材にも拡張してもいいかもしれない(全国各地で同じような制度が作られてしまっては、差別化が図れないかもしれんな)。


こういった奨学金の獲得競争は厳しくなるだろうし、大学に入ってからの評定で一定水準以下になったら下手すりゃ打ち切りということになれば、すごく真面目に勉強すると思うけどね。アメリカのスポーツ奨学金だって、大体そういう感じですよね?貧困層から這い上がれる、まさにアメリカンドリームを掴めるのは、そうした奨学金制度が影響していると思うね。自分が努力したり頑張れば這い上がれる、と信じるのは、そういう制度的なことがあるのではないのかな。



名目成長率と長期金利・3

2006年03月26日 19時27分06秒 | 経済関連
RIETI なのに、いいのかよ、こんな戯言を言わせといて(笑)。>経済産業省どの

週刊!木村剛 powered by ココログ フィナンシャル i 10年後、3%の黒字目標


まあ、「個人の責任」であって、得意の決まり文句、「あくまで個人に帰属するものであり、経済産業省の見解を示すものでない」ということでしょうけれども。この決まり文句は全ての研究に共通なんだよね、ESRI も日銀研も財政研も。
木村氏の雑誌に寄稿するのは、全くの個人的見解なんだからいいのだろうけど。でもねえ・・・どうなんでしょう?ESRIなのに、個人的見解としては「少子化対策は有り得ねー」という主旨の投稿をするようなものですからねえ(笑)。


記事によると、鶴氏曰く、

『日本を含めた先進諸国の状況をみると1970年代以前では成長率が金利を上回るケースが多いが、金融自由化が進展した80年代以降ではどの国も概ね金利が成長率を上回り、平均してみれば金利・成長率格差はほぼ1~2%の範囲にある。また、実質金利と実質成長率で比較する場合でも、近年では先進国間で3%程度に収斂する傾向がある一方、日本の潜在成長率は1~2%との見方が一般的である。このように考えても、金利・成長率格差は、1~2%の範囲となる。』

という結論を出している訳ですね。

オイオイ、大丈夫なのかよ、経産省の「チーム・+0.5%」は(笑)。
身内からも散々言われとるぞ?

<ところで、最初は名前を見てツルコウかと思いました。昔はイジメに遭ったかもしれないです。って、余計なお世話ですね。ゴメンナサイ、ダジャレ好きなオヤジなもので。本心ではありませんよ。人さまのお名前をこんな風に揶揄してはいけませんね。失礼しました。>


鶴氏の指摘するポイントは
・潜在成長率は1~2%が一般的(=2.2%は無理じゃね?)
・金利成長率格差も1~2%
です。
(因みに「格差」ではなくて「較差」なんじゃないのかな?と思ったけど、偉い人が書いてるのでこのままにしておきます。私もしょちゅう誤字脱字をしてますし。何かの意味があるかもしれないし。格差社会の流れ?とか。)


さすがにRIETI上席研究員だけありますね。ダテに名門のオックスフォード大経済のドクターコースに2度も入学してないですな。
鶴氏の御意見の通りに仮定してみましょう。潜在成長率を真ん中の1.5%、金利成長率格差も真ん中の1.5%、としましょう。物価上昇率は、とりあえず、日銀さんが言うのと経済産業省の想定レンジとから1%と仮定しましょう。

次に、名目成長率=潜在成長率1.5%+物価上昇率1%ですので2.5%となります。長期的には実質成長率の平均が1.5%、名目成長率が2.5%という意味ですね。金利成長率格差が1.5%ですから、名目成長率にこれを加えると、長期的な名目金利は平均で4%(=2.5+1.5)ということになります。すると、名目金利=潜在成長率1.5%+期待インフレ率ですので、名目金利が4%ならば、長期的な期待インフレ率は2.5%となりますね。メデタシ、メデタシ。


鶴氏は日本の期待インフレ率は長期的には2.5%が中心値ということを言っているわけです(レンジで示せば2~3%)。でも、実際の物価上昇率は1%ですね(仮定に過ぎないですが)。えらく開きがあるんだね。まあいいけど。上席研究員が言うんだから、きっと正しいんでしょう。それとも、国債金利は4%なのだが、名目金利は2.5%くらいで(=期待インフレ率が1%)、残りはリスクプレミアムとか?かつてあった「ジャパン・プレミアム」だってそんなになかったけど(笑)。せいぜい0.2%とかの1%未満の水準だったんでないの?


何度も同じような話を書いているが、長期における名目金利と名目成長率の違いって、潜在成長率の違いではないんじゃないですか?期待インフレ率と実際の物価上昇率の違いではないんですか?式を見る限りは、そういう風にしか見えないですけど。諮問会議でも「潜在成長率が・・・」論争をするんだけれども、それは根本的な違いなのでしょうか?


現在の水準(過去1年くらい)で考えると、物価上昇率が仮に0%とみなせば(CPI ではこの前0.5%をつけていたが、直近の一年間ではマイナスかせいぜい頑張ってゼロでしょう。マイナスの物価上昇率であれば潜在成長率はもう少し高い数字となるはずです)、名目成長率=潜在成長率となります。成長率は通年でみれば概ね2%程度でしょうか。しかし、国債指標金利は概ね1.5~1.6%です。これは期待インフレ率がマイナスの値をとっている、ということでしょうか?期待インフレ率=名目金利1.6%-潜在成長率2%=-0.4%となってしまいます。まさに「デフレ期待」ですね。これって、実態に大体即しているのではないかと思えますけど。CPI がゼロを超えてきたのって、ここ数ヶ月だけですし。それまではずーっとマイナスでしたからね。


それとも、GDPデフレーターで見るのと違う、ということでしょうか?物価上昇率は-1~0%くらい?金利の方は期待インフレ率≒CPI として、成長率はGDP統計で見るので物価上昇率=GDPデフレーターということ?つまり、CPI :GDPデフレーターの比で、長期名目金利と名目成長率の比が決定される、ということでしょうか?この較差が1%程度あるということでしょうか?それって、CPI の指数問題に戻ってしまうような気がしますね・・・。バイアスは縮小しているんだ、という日銀の言い分はどうすればいいのでしょう?(笑)
それでも、潜在成長率の違いには無関係ですよね?


まあ、鶴氏がどういった考えなのか不明ですけれども、間違いなく言えることは経済産業省の出してる2.2%という潜在成長率は「甘い、無理だ、出来ない」ということだと思いますね。ライジングチームの2%ですら、非難轟々なのですから(笑)。


最後にもう一度、鶴さんのお言葉を示しておきましょう>経済産業省どの

『もし、金利=成長率のような楽観的前提に固執するような論者がいたとすれば、その人は金利が相対的に高まれば崩壊してしまう「持続性偽装改革」を提案する「形を変えた抵抗勢力」と批判されても仕方ないであろう。起こり得るシナリオよりも一段、慎重なシナリオを前提にすることこそ財政改革の「王道」である。』


ですと。潜在成長率を甘く見んなよ、というのが鶴氏の元々のご主張であろうかと推測しています。だって、文中では潜在成長率の話が取り上げられているからね。上席研究員はやっぱり凄いね(爆)。



若年層の就業問題(追加しました)

2006年03月25日 19時21分58秒 | 社会全般
以前の記事にコメントを頂いていまして、この問題については色々な人の関心が高く、また社会全体としても重要な問題であると思います。

ですので、今までにも随分と書いてきましたが、もう一度自分の考えを整理してみようと思う。


1)よく見られるニート批判、若年層への批判のこと

まず、前提となる認識としては、大半の若者は従来通り就職して、働き生活している、ということ。しかしながら、他の年代の人たちに比べると、フリーターなどの正規雇用ではない割合の人たちが相対的に多く、このままいくと将来時点で社会的に多大なコストを払う結果となるだろう。問題が存在するということは、社会的に共通の認識であると思われる。これに対しては、行政も取り組みを開始しており、施策という面でも不要とは考えられていない。


ニートという括りで批判するな、という意見に対しては理解できる。若年層の就労意欲などの面でも、「今の若いヤツラは・・・」という定型的なレッテルというものへの反発も理解できる。しかし、一般の人々にとっては、「正規に就業している若者」と「ひきこもり」(と従来呼ばれる人々)、「無業者」や「フリーター」の差が生まれた要因の区別はつきにくい、ということはある。これは当事者にしかその個々の事情というものが見えないからだと思われる。「この人は何故働いていないのか」という素朴な疑問について、クリアな答えはない。それは、批判する側の「ひと括り」と同じく、当事者たちにも「ひと括り」の反論というものが存在しないからであろう。「若年無業者=やる気のない若者」と単純には言えない、というのと同じように、「若年無業者=やる気はあるが残念ながら格差社会の悪システムの結果によって虐げられし若者」と単純には言えないと思われる。


「何故働いていないのか」の問いに対して、一様に「本人は何も悪くはないのに、悪しき社会システムのせいだ」という理由で説明することは困難である。では、そこには「どんな違いがあったのか?」という部分が出てくるはずである。それが個々のレベルでの教育であったり、それまでの生き方・過し方であったりするのだと思う。社会システムが違っていた訳でもないにも関わらず、ある人は就職して親に仕送りをしているのに、別な人は部屋に閉じこもったままで何年も過しているとなれば、後者に対して「一生自力で生きて行ってくれ」と多くの人は考えるのではなかろうか。そのような状況の人が存在する理由として、全て「社会システムのせいだ」と断ずることはできるだろうか?


私が「人間力」を肯定する大きな理由としては、教育の影響力が大きいと考えていることと、どのような環境に置かれても自分で考え適応したり行動できたりすることが重要だと考えているからである。また、資源小国としての日本は、人材がなにものにも換え難い最も貴重な資源であると思うからである。当然エリートも必要だと思っている。そのエリートに課せられるのは、「他の人々よりもさらに重い責務」である。


先日のWBCで日本は優勝できたが、これだって一種の「野球エリート」が選抜されてきたからである。長い時間と努力の積み重ねでしか世界に通用する人材を育てることはできない。野球での成功者たち(一般にはメジャーリーガーとかプロ野球選手)は、ほんのごく一部の人たちしかなれない。少年野球から始まって、中学・高校・大学などの野球で鍛えられ、特に選ばれた人だけがプロに進める。もしも野球人口が30人くらいしかいなかったら、小さいころからずーっと専門に練習していけばそこそこの選手にはなれるかもしれないが、今のような何万人という人材の中から競争で選抜されたトップクラスの選手のようにはなれないかもしれない(勿論、稀には天才的な人材も出てくるだろうと思うが)。こうした競争で日本球界全体のレベルアップが図られていなければ、真のエリートは誕生しないのである。そういう選抜システムが長い時間をかけて出来上がってきたからこそ、世界に通用するような選手が育ったのである。これは野球に限らず、他のことも同じだろうと思う。そういう人材を育成していけるような教育は必要であると考えている。このような選抜方式(プロになれる人となれない人がいる=勝ち組・負け組、途中には過酷な競争がある)が悪い、一部の者だけが成功するのはズルイんだ、という考え方の人々は「格差だ」「不平等だ」などと言うかもしれないが。


「定型的なニート批判はするな」というのは正しいかもしれないが、一方では「定型的な擁護はするな」というのも同じではないかと思う。従って、「失業・ニート・フリーター」等を、何でもかんでも「格差のせいだ」「社会システムのせいだ」などと自分以外に理由を求めることには強い違和感を覚える。マクロで見れば結果的にはそうかもしれない。だが、各個人レベルで「今はデフレだから、オレはニートなんだ」なんて、判別可能なのだろうか?

例えばフリーターを200万人集めてきたら、経済環境によって100万人が不本意ながらフリーターとなってしまったかもしれないから、景気が好転すればフリーターから正規の仕事に就けるようになれるとしても、他の100万人は環境が改善してもやっぱりフリーターのまま変わらないのだ。その区分をすることは、個人レベルで見れば容易ではないと思う。自分がどちらの100万人に入るのかさえ不明なことが多いのではないか。当事者たちの多くは「いい会社に入りたい」と願い、「仕方なくフリーターなのだ」と考えていると思う。フリーターを続ける人と正規雇用になる人の違いは、結局何なのか?「何に原因を求める」のだろう?

運?住んでる地域?親の仕事や収入?学歴?
それとも、「人間力」デスカ?(笑)

こういう問いに何かの答えを求めようと思っても、最終的には無意味な論争になるだけかもしれない。


そもそも、生き方の問題なのだから、他人がとやかく言えるものではないだろう。当然、本人の自由だ。しかし、それには制限がある。自由とは、基本的に自分のことには自分で責任を取ってもらう、というのが本当の自由だ。「働かないので貧乏だ」ということも、将来「貯金がなくて、年金もないので貧乏だ」ということも、本来は自分で責任を取れ、ということ。それが受け入れられないならば、働くべきだということ。厳しいことを言うようだが、そうでなければニート対策に予算が何十億円も貼り付けられている一方で、安い賃金でも真面目に働いている大勢の若者たちには予算が与えられていないとなれば、働いている人々から不満が出てくるのは当然であろう。


決め付け的な批判をする側に文句を言うことは無駄ではないが、反論自体がナマヌルイ擁護論でしかない部分もあると思う。「無業者になっているのにはワケがあるんだ!」といくら力説されてみても、社会全体としては「そーでしたか。じゃあ、あとは頑張ってくれ」としか言いようがない。「オレの家が貧乏だったから、私立に行く金が無かったんだ。満足な教育も受けられなかったんだ。それでいい仕事にもありつけないのさ」と事情を聞いたところで、聞かされた方はどうしたらよいか?仕事を提供してあげるのか?行きたい学校に行かせてあげるのか?この辺に難しさがあると思う。「事情はよく分りました。残念でしたね。それで?」という反応だと、どうなのだろう?


勝手な推測になってしまうが、「恵まれない境遇」に何かの支援を求めているということなのではないだろうか。そうでなければ、不遇を問題視する意味があまりないからだ。逆に、事情を聞かされた人間が、「こうやりゃ、仕事にありつけるぞ」とか、「甘えてんだろ」とかのお説教(笑)をしたりすることは、「その批判が間違っているんだよ」と言われるのだから無意味である。であれば、批判する側は「放置」しておけばそれで済むはずであり、別に批判してもしなくても当事者たちは変わることなくそれぞれが「自力で頑張る」だけだろうから、批判するのを止めればそれで済む問題なのではないだろうか。


2)教育について

これは、失業、ニートやフリーター対策ということからは、ある程度距離を置いて考えておく方がよいと思われる。なぜならば、本来教育問題であるものが、格差問題やニート批判問題などに発展していくだけであり、しかもそこには個別の価値観や事例がそれこそ星の数ほど出てきてしまうためだ。そうなると、問題がより複雑化する、ということになってしまう。


教育の問題は単に就業問題ということばかりではないが、将来の職業的な能力にも関連するので誰もが重要性については認識しているだろう。現状では教育制度に多くの不安があると思われ、企業側にも不満に思っていることは少なくないだろう。ただ、実用的な能力ばかりを重視する傾向には注意が必要だろう。実用的な知識というのは、実践の場では思ったほど「役に立たない」ことも多いのである。


実践的・実技的な教育というのは、個人の志向を探ったりするとか、意外な適応性や何かの自信を持たせられるといったことには、意味があるかもしれない。教育学の専門的な評価ではないので、あくまで個人的な思いつきの域を出ないものではあるが。

いずれにしても、現在の教育制度の改革が必要、ということは多くの指摘があるので、今後どのような方法が良いのか具体的な方法が提示されるだろう。


3)社会保障制度

これについても何度も書いてきた。なので、しつこい感じがするかもしれないが。

第一に、現在の労働者の大きな問題は、非正規雇用の労働者は殆どが労働者の権利を守られることがない、ということだ。これは若年労働者に限らない大きな問題である。ここには明らかに「格差」が存在している。パートやフリーターなどの労働者では、長時間勤務も稀ではない。週40時間以上の勤務となっている人も実際に存在している。正規雇用者が40時間で、非正規雇用者も同じくらい勤務しているのに、社会保障も有給休暇も福利厚生も全く違うものとなっているならば、こうした格差は是正されるべきである。企業側はこうした非正規雇用を都合よく利用しているに過ぎないという面がある。年金・健康保険・介護保険・労働保険を意図的に逃れているということでもある。その結果、パート・フリーター等においては年金もなければ雇用保険もない、という状況となっている。まさに「無駄働き」のようなものだ。正規雇用者であれば、どちらの権利も享受できるのに、だ。

こうした企業の「責任逃れ」については、政策的に変えていくべきで、個人個人への支払い義務ではなく、「給与総額」に対して応分の負担を求める、ということが必要と考える。それによって、社会保障負担の上で、企業側は「正規・非正規」の区別の必要がなくなり、労働者の待遇格差は縮小される。勤務時間と給与水準の違い、ということで、「働き方」に幅が出てくるだろうと推測している。つまり、例えば「子育てをしたいから週10時間程度の勤務としたい」という人もいれば、「ダンナの給料が安いので30時間以上働きたい」という人もいるかもしれないし(笑)。一元化された社会保障制度が確立されていることが必要であり、それによって働き方による不平等感はかなり解消されると思う。


4)経済政策

失業率の問題というのは、主に97年以降の変化によってもたらされた。特に若年層へのしわ寄せというのが相当の圧力となってしまった。若年層では10%超にも及ぶ失業率となった。これは経済失政による結果であると言える。殊に「デフレ」という失業を生み出す経済環境においては、若年層に多くの犠牲を強いることとなった。上では若年層には厳しいことを書いたのだが、経済政策に関しては個人でどうこうできる問題ではないのである。犠牲者が誰になるかは不明だが、「犠牲者を大量に出す」ということだけは判っているのである。それが、長く続いたデフレによってもたらされた、強いダメージなのだ。


今後はデフレを脱却して、インフレ傾向になるかもしれないが、低いインフレ率であれば失業率は大きくは改善しない。逆に、物価が上昇することで、仕事に就ける人の数は増やせるのだ。多くのフリーターも救済される可能性が出てくる。ただ、そこで自分が希望する通りに抜け出せるかどうかは、個人レベルの問題となる。何十万人かの求人需要は生まれるかもしれないが、どの人がその「イス」に座れるかは不明なのだ。そこでは競争もあれば、厳しい選別もあるかもしれない。格差の存在がそれを決めるとも言えないのではないだろうか。


5)最後に

こうした背景があるのであるから、日銀や政府は「失業率で~%を目標に改善する」という決意表明くらい必要だろうと思っている。それに日銀は協力するべきなのである。一定水準の物価上昇の効果によって、金融政策の調節性は高まるはずなのだが。利上げによって早期に失業率改善効果の芽を摘み取ろうとしているならば、断固として反対の意を唱えるべきである。非正規雇用の労働者たちが労組を組織して、既得権者である正規雇用者たちとの対決姿勢(いうなれば仕事や賃金の奪い合い)となれば、喜ぶのは企業や日銀である。真に対決するべきは「政策決定者たち」と、制度に便乗して負担を回避している「企業」であることをもう一度確認するべきであろう。


しかしながら、対決といっても、昔のような左翼的運動の延長みたいに、「資本家を糾弾せよ」というような安易な対決姿勢では問題解決からは遠のくだけである。スト突入といった労働争議も、実は自らの首を絞めるだけなのだ。休業等によって失われる利益の分は、回りまわって必ず自らの賃金に跳ね返ってくるからである。無用な紛争コストを減らすように、労使双方が協力することが結果的に得策なのだ、ということに早く気づくべきだろう。

「権利を獲得せよ・権利を守れ」という妥協のない強硬な主張を繰り広げれば、結果として他の労働者たちを排除することになる可能性はある。できるだけ企業は社会全体に対してプラスになるように負担をしていき(従来の正規・非正規に関わらず社会保障負担を行うことで財政貢献に資する)、一方労働者たちの権利を最低限守るべきところは確保し、労働者たちは仕事の質や会社への貢献によって応えることを目指すべきだろう。賃金増加は自分の仕事の内容が良ければ、自ずと増えるはずであろう(と思うけど?どうなんでしょうか・・・)。



名目成長率と長期金利・2

2006年03月24日 21時45分39秒 | 社会全般
昨日の続きですけれども、追加すると言っていたのに実行できませんでした。眠くかったもので・・・失礼しました。


前回での主旨を大体まとめると次のようなことです。
・「日本21世紀ビジョン」をもう一度読め(大体書いてある、笑)
・名目成長率の水準というのは、あくまで平均である
・現時点での低水準からスタートなので、後半は高い水準が必要になる
・「長期金利=名目成長率」の関係で書かれているのが基本パターン

前回は名目成長率の話を中心に書きました。今度は長期金利について書いてみます。


以前にも記事に書いたのですが、「フィッシャー恒等式」を再掲しますと

名目金利=自然利子率+期待インフレ率

です。自然利子率は長期的には「潜在成長率」とほぼ同じです。従って、この潜在成長率の読みがどの程度なのか、ということから見てみましょう。今までの吉川先生と平ちゃんとの論争などから窺えるのは、「諮問会議水準」では約1.7%という認識ですね(日銀はもっと低いのですが)。平ちゃんは2%で、というスタンスです。ここに割り込んできたのが、経済産業省でして、恐らく「チーム+0.5%」でも結成されたんでしょう(笑)。


<ちょっと寄り道:環境省は「チーム・マイナス6%」ですけど(CO2削減の目標が6%だから)。これのパクリでしょう。って、パクッたのは私ですね。因みに「会員ナンバー100番 渡辺満里奈」ですよ、環境省の方は。おにゃんこ時代の番号は知らんけど。恒三さん御贔屓の由美かおるさんは41番ですと。微妙な番号です。切り番でも何でもないけどね。環境省のHPに出てた。>


経済産業省は潜在成長率を2.2%に押し上げよう、って作戦だそうですよ。米国(テイラールール)の2.2%に触発されたとか?急に成長戦略とか言い出すのって、何だかクサイんだよなー。まあ、いい。1.7と2.2%の中間くらいなのが、ライジングチームの2%程度ってことだね。潜在成長率が2%程度であるとした場合には、フィッシャーの式に書くと次のようになります。

名目金利=2+期待インフレ率


日銀が先日量的緩和策を解除した訳ですが、この時の注釈としては大雑把に言うと
)日本では諸外国に比べ、長期的に物価上昇が弱い(=期待インフレ率も小さい)
)長期的な消費者物価上昇率は1%台
)審議委員の想定する安定的なCPI (≒インフレ率)は中心値で約1%

ということが挙げられていました。つまり、過去の長期的な傾向を見れば、期待インフレ率が2%程度に収まる確率が高く、金融政策担当である日銀が「CPI で1%」程度を示しているのですから、ヘタすりゃ「期待インフレ率が1%を超えて行きそうだ」ってな見通しである時には躊躇なく「引き締め」に走る可能性も否定できないわけです。となれば、期待インフレ率が2%を大幅に超えていくことは想定しにくいのではないでしょうか。レンジとして考えてみれば、現時点では右辺の2+2=4というのを大幅に上回る事態というのは想定しにくい、ということです。


<ちょっと寄り道:しつこいようで申し訳ありませんが、本当に日銀のHPがリニューアルされてしまっていた。被害は広範囲に及んでいる(特に日銀批判派?)ようですけれども、私も例に漏れず、「お気に入り」に入れておいたペーパー(心の底から決して「お気に入り」なんかではないのに!)などがマジでネットの闇空間に”逝って”しまって、「大変申し訳ございません」と。怒。何で前と同じURLで残さないの!それとも、ワザと何処かに逝かせたんではないですか?過去のマズイ記事などは、見つからない場所に置いておけ、ってなことで(笑、そりゃ違うか、さすがに)。でもね、「金融政策の枠組み」を新たにするのと、「HPの枠組み」を新たにするのは全然意味が違います、ってば!ああ、恐らく今までは非常にマイナーであった『教えて!にちぎん』コーナーは、少なくとも一部の人々には知名度がアップしたかもしれないですね。良かったですね、にちぎん様。笑>


元の話に戻りますけれども、今の日銀の姿勢からすると期待インフレ率を2%以上に跳ね上げるというのは、これは中々困難であろうな、ということですね。つまり、名目金利は「4%の壁」というのが概ね出てきそうです。国債金利は必ずしも長期金利と同一ではないですし、リスクプレミアムも上乗せされてくるであろう。なので、市場での判断というのが「4%の壁」を楽勝で越えて行ってしまうかもしれないです。この可能性だけはあります。ただ、市場というのは、非常に複雑でして、金利は国内の状況だけを見ている訳でもないですよね。


現在最も大きな影響力を持つのは、日米の金利と為替でありましょう。量的緩和解除前には、「日米金利差が縮小」との思惑から大幅に円高(115円台をつけた)となりました。短期金利を中心に急速な金利上昇が見られたことがキッカケであったかもしれません。いずれにしても、現在の日米長期金利の金利差というのは、日本の約1.6%に対して米国では約4.6%です(ともに10年債指標金利)。つまり金利差は約3%程度となっていて現在の為替水準なのですね。米国の長期金利の長期的トレンドは低下傾向であり、昔は10%超とかもあったのですが、段々落ち着いてきました。大抵の先進国で長期金利は一定水準まで低下してきており、要するに経済発展と長期金利は似ているのですね。発展していけば、概ね長期金利は低下する傾向だということです(勿論色んな影響を受けるので一概には言えませんけれども)。なので、米国長期金利が今後8%とか10%ということは想定しずらく、今後5~10年程度の変動範囲で考えても、5%程度が上限ではないかと思われます。従って、上の制限(米国長期金利)としては5%というのがあって、日本の長期金利が仮に4%となりますと、金利差が1%となってしまいますので、その分の円高が促進される、ということになります。為替は色々な要因で変動しますので、金利水準だけで比較することはできませんが、それでも現在の金利差の3分の1になる、というのは結構なインパクトがあるのではないかと思えます。ですので、日本の金利水準だけがどんどん上がっていく、ということはあまり考えられず、特に現在のようにグローバル化が進展していれば、多国間の影響度というのはそれなりに出てくるはずだろう、と思われます。


これらの要因をまとめると

)期待インフレ率が2%を大幅に超えていくことは、当面難しい
・日銀の姿勢が、すごく厳しいから
・日本の過去からの長期的傾向

)金利差と為替の関係上、日本の金利だけが大幅に上昇するということは想定しにくい
・特にドル円為替が円高となるため、輸出産業の収益減少等が経済成長を減速する


ということです。なので、「期待インフレ率」の部分での論争というのは、あまり意味がないと思いますね。そもそも期待インフレ率での話ではなくて、潜在成長率の部分での話しでありましょうけれども。であれば、潜在成長率を2.2%に引き上げましょう、という二階さんの御提案というのは、他の与謝野さんをはじめ、吉川先生等民間議員たちも「猛反発」するべきですけどね。期待インフレ率が同じであるとしたら、残るは潜在成長率の部分だけなんですから。この数字を1.7と見るか、2と見るか、二階さんの言う2.2と見るかで、違いがある、ということなんですから。


普通に書けば、長期的には

名目成長率=潜在(実質)成長率+物価上昇率

で、物価上昇率は概ね期待インフレ率に近似するでしょう。まあ、CPI とGDPデフレーターを用いると違う数字ではあるかもしれないけれども。長期金利水準の3%と4%の違いを何処に求めているんでしょうか?与謝野さんや吉川先生は。例えば、吉川先生は名目金利を4%と仰っていますので、4=潜在成長率1.7+期待インフレ率?%ということですから、期待インフレ率は何と「2.3%」という数字になってしまうんですけど。これでいいの?日銀派の方は。
でも、名目成長率は3%ですから、3=潜在成長率1.7+物価上昇率1.3%ということなんですよね?物価上昇率と期待インフレ率が常に1%違っていなければならない、ってことですよね?これってかなり難しくないですか?長期金利(国債指標金利)と名目金利は同じではない、ということなのかもしれない(どうなんでしょうか?)。


因みに、経済産業省は、物価上昇率を0.9~1.4という数字にしているようですが、一体全体どういった根拠でこの物価上昇率を出してきたんでしょうね。経済産業省の資料を勉強していないので、分らんけど。潜在成長率を2.2%まで引き上げるという、言ってみれば「強気」の見通しの割りには、物価上昇率のレンジは「弱気」だね(笑)。なんでだろ?これはまあいい。経産省は「名目成長率を道具にすんな」とか、ぬかしているみたいだが、インフレ率は大事なんですよ、ボケカス。これは国民の「誰が犠牲になるべきか」ということでもある。ひどい言い方なんだが。日銀だって、やり方次第でこの犠牲者の層を決められるんですよ。なので、名目成長率、ひいてはインフレ率のレンジには大きな意味があるんですよ。



名目成長率と長期金利

2006年03月23日 22時51分30秒 | 経済関連
これは以前から諮問会議の中で、平ちゃんと与謝野さんや民間議員の方々との論争となっていたのですが、「小泉裁定」によって「複数案を提示」ということで折り合いをつけたようです。論争の種は、名目成長率―長期金利の組み合わせが、4%-4%か、3%-4%か、ということです。まあ、論争してみたところで、中々その通りには行かないことが多いですし、「経済はどうなるかわからん。予想と違うことが多い」と小泉さんが指摘していたようなことはよくある訳です(笑)。なので、無駄なところで火種を作っても意味はないですね。


政府側の姿勢としては、(目に見える)国民負担増を求めるよりも、別な形で織り込むことの方が政策的には成功しやすいのですから、できる限りそういう方法を目指すべきですね。で、増税路線は今の時点では「決めかねる」ということ。これも小泉さんが言ってた通りです。次の政権担当者がキッチリ答えを出すべきです。それまでは、国民にもどういう議論がなされているか、ということを示していくことが必要です。最終的には国民自身がその答えを出さねばならないのですから。


前にも書きましたけれども、もう一度「日本21世紀ビジョン」を確認して下さいね、吉川先生も。与謝野さんは、あの時点では諮問会議に参加していなかった訳ですから止むを得ないとしても、本間・吉川両先生は会議で見てたメンバーなんですから、今更になって「数字が違う」なんてことは言わないようにお願いしますね。この数字を採用できないのであれば、そもそも「ビジョン」なんて出さなければよいのです。当時には、前提としては「長期金利=名目成長率」ということが採用されていますね。他にも一応「長期金利=名目成長率+1%」という場合について、数字自体は検討対象として入れられていますが、基本的なパターンは「長期金利=名目成長率」ということです。まさか、これを見逃していた、ということでしょうか?全部見ていた結果、「長期金利=名目成長率」を、政府の経済政策における長期的な目標(目安?)としていく、という意味ですよね?もしも、これが受け入れ難い、ということであれば、諮問会議のHPに大袈裟なリンクなんて入れなけりゃいいんですよ。「お蔵入り」にでもしたらどうですか?一体、何の為にビジョンを作ったんですか。


大勢学者を集めてきて、あれ程討議を重ねさせて、時間も労力も金もそれなりに投入した挙句に、「数字は見てない」ですか?内閣府は何をやっていたんだ。今更になって、経済政策の基本線が「グラグラ」してどうする?国民には「ウソ」の資料を提示したのですか?

算数の基本的な話で申し訳ないが、ちょっと我慢を。
えー、名目成長率は今年からアクセル全開ですか?06年度の名目成長率は一気に4%狙えるんですか?違うでしょ。06~12年度では概ね”平均が”3%超いくわけでしょ。いきなりデフレが終わって、その途端にCPI が2%とか通年で行くんですか?違うでしょ。06年度は日銀がバカな利上げを全くしないと仮定しても、通年で0.5%程度しかいかないでしょう。1%未満の水準しか達成できないと思うよ。GDPデフレーターではうまくいって0~0.1でしょ?こんなんで名目成長率が3%超えていくのか?(爆)違うでしょ。実質成長率で2%程度、名目でも似たり寄ったりでしょ。

であれば、まず、平均的な成長率からは大きく下回っているんだってば。目標は「3%台半ば」だよ?大雑把に3.5%としたって、06年度は目標から約1.5%下回ってしまうんだっての。これはどういうことか?他の年度でこの足りなかった1.5%を挽回するんでしょうが。つまりどこかの年にこの分が上乗せされる、ってことでしょ。それが”平均”だっての。07~12年度の残り期間に均等に分けるとしても、0.25%上乗せして挽回しないといけないんですってば。結局残り期間の平均が3.75%になる必要がある、ってことでしょ。それが達成できて、「06~12年度の平均が3.5%」って意味なんですよ。あと数年は「アクセル全開」では行けないでしょう?当たり前だっての。デフレ期間に大きな障害が残っているからね。リハビリだって必要になるでしょうが。何度も言うようだけど、離脱期間だって長くなるんだってば。

<ちょっと寄り道:分かり易い例で言うと、仮に自分の利き腕の肘関節を曲げたままがっちり固定して3ヶ月とか一度も動かさないとしたら、関節が再び以前と同じくらい動かせるようになるまでには、数ヶ月かかると思うよ。病気や怪我のない全くの健康な状態でもそうだろう。で、これが半年動かさないとなると、それと同じくらいリハビリにかかり、1年間全く動かさないとすればもう元通りに動かないか、相当長い時間がかかると思うね。>


なので、当面はいきなり名目成長率は上がってこないかもしれない。ならば、その下回った分は他の年度に回るんですってば。全くの仮定で、名目成長率が06年度2%、07年度2.5%、08年度3%となったとしよう。ここまでで目標(3.5%)から下回っている分は「3ポイント」です。これを残りの4年間で挽回しなけりゃならんのですから、09年度から12年度まで同じ成長率として年平均0.75%上乗せが必要なんですってば。ということは、09~12年度は4.25%を達成しなけりゃならんのですよ。これが出来て初めて、「06~12年度は名目成長率が平均3.5%」ということなんですって。何でこんな簡単なことがわからんのかな?で、13年度以降に出てる成長率「4強or4%台半ば」に繋がっていくんでしょうが。4.25%からだもの。そんなに大きなジャンプが必要ではないでしょ?そういう意味で考えられているんでないの?このビジョンは。だからね、名目成長率が3%か、4%か、ということって、話が面倒なんですよ。3%の時もあるよ、そりゃ。12年度までの間には。4%とか4%超の時も同じくありますよ、12年度までには。それでいいではないですか。何が問題なの?


取り急ぎ。後で追加します。



雇用、労働政策とか・・・

2006年03月21日 18時03分17秒 | 社会全般
前の記事(「paperboy」と「待つ人」)にLenazoさんからコメントを頂いたのですが、ちょっとお答えしようと思います。


引用したITmediaの記事では、社長さん自身が「こうしろ」「ああしろ」ということを言ったりしている訳ではありません。単に、インタビューに答えているだけです。自分の経過を語っているだけですね。なので、マネしたくない人は別な生き方をすればいいだけのことです。脱出に成功した人の体験を聞いて、「自分もやってみよう」と思う人が頑張ればいいだけの話ではないでしょうか。社長になってしまった人は、自身の人生の歩みについて口を閉ざすべき、とも言うことはできないでしょう。成功した人が何を言っても無駄、ということであれば、現状を脱出できない人たち同士で「自分は未だにこんなに苦しんでいる」という体験を語り合うというような方法を考えてみるべきかと思います。

元々は、先日書いた新聞配達・新聞奨学生の話(参考記事)とタイミングが合っていたので、取り上げたに過ぎないのですが。


>「待ち組」なる単語・・・

これも、単なる誤解か認識のすれ違いにしか思えません。記事中には何処にも書いていない訳ですし。待っていたのは戸田氏であり、「20年待ち続けた」結果チャンスを掴んだ、ということであって、待っていることを非難しているのと全然違いますよ。戸田氏はフリーターとかニートの代表例でもありませんし。

普通は20年も待つのは苦しいでしょ、そこまで初志貫徹できますか?ってことですね。私ならば待てないと思います。それに、チャンスを待っている間に「何をするか」ということは重要だと思います。前に転職歴が非常に多かった小松左京氏の話も書いたのですけど、意志が強ければずっと後になっても夢を実現している人もいる、ということです。「長く待っていて成功した」事例を出すのも批判に過ぎない、ということであれば、マネしたりせずに、長く待たないで別な仕事に就けばよろしいのではないでしょうか。


>貧困家庭の出身であったり、教育機関の中退歴があったり

ですから、新聞奨学生になるなり、自分で大検の勉強をするなりしたらよろしいのではないでしょうか。仕事をしながらでも、夜の定時制高校もありますよ。paperboyの社長さんの記事で、まさにそういうことが述べられているわけですが。それすら自分でできない、ということであれば、大学等に行けなくても仕方がないのではないでしょうか。貧乏だからといって、全ての道が閉ざされている訳ではないですよ。これも何か「支援をしろ」ということでしょうか?家が貧乏である、という権利をもって「大学に優先的に入学させる」と?


ホワイトカラーの仕事に就きたいということであれば、面接を受けるしかないと思いますが。95年頃に大卒で30万人くらいが就職していますが、2000年以降でもほぼ同じ規模で就職しているようです。社会全体で見て、昔よりホワイトカラーの従事者が減り、ブルーカラーが増えているならば、産業構造の問題であると思いますが、あまり変化がないとすれば昔に比べてホワイトカラーを希望する人が増えて結果的に競争倍率が厳しくなっただけではないでしょうか(むしろ、ブルカラーの減少であると思いますけれど、調べてないので推測です)。例えば、女子アナのポストが少なすぎるので競争が激化したら、「女子アナのイスの数を増やせ」という主張なのでしょうか?ホワイトカラーの勤め口を誰がどうやって供給するか問題があります。日本は製造業が基幹産業であったりしますし。


「誰も余らないように」というのは、現状では無理です。大卒だろうが、大学院卒だろうが、それを理由にして、その人に仕事を供給するなんてことは多分難しいのではないでしょうか。誰かが「大企業」に勤めたら、溢れた人達は他へ回らなければならないのです。自分の同級生が100人で、「大企業組のイス」が30、残り70は「中小企業のイス」だったら、どうするのでしょう?他の同級生は座れなくても、「自分は大企業のイスに座りたい」ということでしょうか。それとも、他の同級生が座れるように、「自分が獲得した大企業のイスを譲る」ということでしょうか。もしも、「大企業のイス」を自分にもよこせ、ということであるなら、他の同級生のイスを奪い取ることと何ら変わりはありません。それか、今座っている人のイスを蹴り飛ばして、自分が座るということに他ならないのではないでしょうか。


仮に大企業のイスを30じゃなくて、50に増やせ(これでも根本的解決にはならないでしょうが)、ということなら、いくつか方法が考えられると思います。現在1人一脚で座っているものを、「6人がけベンチ」にしてそこに「無理やり10人座る」という方法です。今まではゆったり座れたものが、ぎゅうぎゅう詰めになるので居心地は悪くなるし、前から座っている人々からは不満も多く出ますけれども。労働組合が「待遇を改善せよ」と言うのは、こうした「6人がけイス」をもっとゆったり座れるようにしろ、というものです。飛行機のシートで言うと、エコノミー6人分から、スーパーシート6人分にしてくれ、という要求をしている、ということです。多くの労働者は、「10人がけにしよう」ということに賛成なんてしないんですよ。これは制度でも何でもなくて、一般的傾向はそうだろう、ということです。他には、中小企業のイスを20脚分大企業に移すという方法もありますが、これはどこかの大企業が零細・中小企業を大量に買収・合併等を行わない限り無理です。そんなことを政策的に求めることなんて無理でしょうね。なので、大企業のイスを倍に増やせ、とか言ってみたところで、それは普通無理なのです。過去の大半の人々は中小企業のイスに座ってきました。ブルーカラーを望んだりしなくても、そこしか座れなければ多くの人は座ってきたのです。それを受け入れられないのであれば、別な生き方をするしかないと思います。


雇用・労働政策とか、経済政策によって、ターゲットとする全体的な層にアプローチ可能であると思いますけれども、個々の例で見れば、ミクロ的に救済することは困難であることが多いと思います。つまり、1人1人に対応し全員を救済可能とする「政策」というのは、有効なものは中々出てこない、ということです。殆どが現実的に無理だからです。「労働保険のない若年労働者の割合を今の半分にする」という政策を考えることは可能であっても、AさんやBさんをターゲットにして考えることは難しいと思います。同じく、失業率を1%改善させる経済政策は考えられても、「Aさんのお父さん」や「Bさんのお兄ちゃん」の失業を改善させる具体的政策なんて考えられないのです。マクロ的な政策によって(私は社会保障政策や経済政策が有効と考えていますが)、労働環境の整備や基本的権利を守ろうとすることは可能かもしれないですが、「ホワイトカラーの就業を全員可能にしてくれ」という政策は難しい、ということです。


企業が悪い、制度が悪い、採用方法のせいだ、・・・モロモロあると思いますが、不備の多い制度だろうが何だろうが、その同じ悪条件の中、誰かは確実にイスに座っており、女子アナの競争倍率がどれほど高くても現実に女子アナは毎年新採用されているんですよ。最終的には、個々の事例で見てしまえば「自分次第」としか言いようがなく、20年待つ人もいれば、20代で社長になる人もいるのです。いかに文句を言ってみたところで、目の前に「さあどうぞ」とイスが用意されるわけではないのですから。結局、自分自身としては、「じゃあ、どうしたいんですか」ということです。



初代王者の日本

2006年03月21日 15時38分40秒 | 経済関連
とりあえず良かったです。緊張感がかなり違っていた。韓国戦よりも楽に見ることができました。


この前の重圧の中で勝ったことで、随分とタフになったと思います。あの試練を乗り越えることが出来て、今日のような試合運びが出来たんだろうと思います。

初回4点もとれたし。途中一度も逆転されなかったし。
でも1点差まで詰め寄られた時には、ちょっとマズイと思ったけど。
今日はリードが大きかったので、やや気が抜けたような感じのプレーがあった。それでも勝ててしまうんですけど(笑)。


最終回には、審判に注意されてしまって、全世界に恥を晒したりしたけど(笑)
一応国際大会なので、紳士らしく振舞うように心がけましょう。ベンチからはみ出したりしちゃいけないんですよ(笑)。
リーグ戦などの優勝決定直前の状態というのと似ているのですが、国内の試合ではないので・・・


まあ、優勝できて良かったです。五輪では3位でしたし。
ね、前に言っていたように、筋書き通りだったでしょ?(笑)



「paperboy」と「待つ人」

2006年03月20日 21時51分47秒 | 俺のそれ
非常にタイムリーな記事でしたので、ピックアップ。
特に新聞少年のお話だったので(笑)。

ITmedia News:ひきこもりからIT社長に “paperboy”の軌跡 14


ほんのサワリだけ引用すると、このような感じ(是非記事を読んで頂いた方がいいと思います)。


27歳にして売上高8億円のIT企業の社長だが、高校時代はひきこもっていた。大学もあきらめ、サラリーマンになり、ネットで出会った妻と暮らした。つつましく生きていければ、それでいいと思っていた。


1人の人間の、生きてきた軌跡が、記事から窺えます。ニートな方々やひきこもりの方々も、これを読んで明日への糧にして下さればと思いますね。やっぱり、自力で切り拓くしかないんですって。結局はそこに辿り着くと思うけど。


ところで本題とは全く無関係ですけれども、岡田記者の記事は、時々いいのが出ることがありますね。



今日の読売朝刊にもいい記事があったんですよ。前にちょっと紹介した「教育ルネサンス」のコーナーですけれども、そこに出ていたんですよ。映画を見る人ならば大抵は知っている、「字幕 戸田奈津子」って出る、御本人の記事です!


実は今までどんな方なのか全く知りませんでした。今日の記事には写真が出ていて、初めて拝見いたしました。失礼を承知で書いてしまいますが、お歳を知ってビックリ!69歳ですけれど、上品な感じで大変美しい方です。結構衝撃を受けましたね。自分がこれまで映画館で見ていて、「戸田奈津子」さんというお名前は知っていたけれども、そういえば「どんな方なのだろう?」とか一度も考えたこともなかったんですから。でも、名前が出ている時は、「ああ、これも戸田さんね」って、全然知り合いでも何でもないし(当たり前だけど)、御本人のお顔も知らなかったのに、えらく昔から知っている人みたいに思っていた。何が「ああ、戸田さんね」じゃ、ボケ!ってな感じですね。スミマセン。でも、このような方が書いてらしたんだー、って感動しましたよ、本当に。


新聞記事によれば、あの「地獄の黙示録」が戸田さんの出世作だったんですって!へえ~、へえ~。。。
イロコイから投下されるナパーム弾がジャングルを焼き尽くすシーンが代表的ですが、主役の人がチャーリー・シーンのパパでなかったっけ?名前忘れた(「ダジャレ」じゃなくて)。昔、映画予告編の、そのシーンを観てえらく興奮したもんです(私が中学生頃です)。その後、テレビ放映されたのを見ました。印象的な映画ですよね。


ちょっと脱線しましたが、読売新聞の記事には、戸田さんのインタビューで次のような部分がありました。

『日本に10人、しかも男性しかいない、高い壁で囲まれた字幕翻訳の世界。でも、一度もあきらめようと思ったことはなかったですね。映画雑誌やアニメの翻訳などをやりながら、壁の外で20年待ちました。』


えー!?って思いますよね。全然知らなかった。でもね、自分が本当にやりたい、って思っていたとして、20年待てる?普通は難しいよね。意志を貫く、ってことはどういうことなのか、考えさせられました。諦めない、ってことは、貴重なんだなー、って。逆に、それだけ好きじゃないと無理だし、20年待てなかったら、チャンスも掴めなかったかもしれないし。凄いです。でも、誰もが20年待っていても、無理なものは無理なんですよね~。そこら辺で、どのように自分の中で折り合いをつけるか、結構難しいと思いました・・・。


通常は耐えられないような状況を耐え抜いた者たちだけに、チャンスも運も巡ってくるのかもしれないですね。なので、自分の信じる夢がある人は、(例えば)「ニート」で待機するんじゃなくて(笑)、少しでも近づけるような場所や環境に身を置いて、「何かをやりながら」機会を待つということが必要ですね。単に「夢を追いかける」だけじゃ、やっぱりダメなんではないでしょうか。


これからも、戸田奈津子さんの字幕で、映画を楽しませて頂きたいですね。
今度こそ、「ああ、これも戸田さんね」と思っていいかしら(笑)。



韓国戦に勝利~WBC

2006年03月19日 19時43分57秒 | 経済関連
日本の筋書きはやはり出来ていた(笑)。当然のことながら、日本は勝利した。地力に優る日本チーム本来の力が発揮された。


立役者は勿論「上原」であった。息詰まる投手戦をひたすら耐えて投げた。気持ちを入れて投げ込んだ。先日のアメリカ戦での敗戦以降、恐らく彼の中にもやもやしたものがずっと残っていた。本当は疑惑判定云々よりも、自分の失点に大きな後悔が残っていたのだった。「自分が1点取られていなければ・・・」

実は、自分の失投を悔やんでいたのだった。あの一球―――。
ジョーンズに浴びた一発。
「あれさえなければ・・・」
そして「次こそは、この借りを返す」と固く誓っていたのだった。しかし、まさかの韓国戦敗北。潰えかけた準決勝進出――。
このまま終わっては、不完全燃焼のままだったろう。
日本代表という、重い「日の丸」を背負った試合に、何かを残したままになってしまう――。


メキシコ戦では、力で完璧にねじ伏せた、松坂の投球。ストレートで押すという、松坂の最大の良さが出ていた試合。
プレッシャーのかかる韓国戦。渡辺の脅威のサブマリンが見せた、安定した投球。全く打たれる気がしない内容の試合。

どちらも「絶対に失点はしない」という、一球、一球に気持ちのこもった投球だった。
上原は一流のピッチャーだ。
チームの応援しながら、彼らの気迫溢れる投球を見守っていた時に、彼が感じない訳がなかった。
「次は、オレが必ず・・・」強く心に誓っていた。
先発2人の投球を見て、エースと呼ばれる男が思わないはずがなかった。
それこそは、一流の勝負師の証だ。
同じ「日の丸」を背負い、一流であるがゆえに感じるもの――。


祈る思いで、次を信じた。
そして、再びチャンスが巡ってきた。
上原は、もやもやが吹っ切れた。
「借りは必ず返す」



「絶対に失点しない」という強い決意で、集中して投げ続けた。
そして、味方を信じていた。チームを信じていた。
「必ず点を取ってくれる」


前の試合の流れに似ている―イヤな雰囲気が頭をかすめる。
先取点が取れそうで取れない。得点のないまま中盤を過ぎていく――。
しかし、それは観戦者たちの気持ちの弱さに過ぎなかった。
その気迫に応えるかのような、味方打線の奮起。


終盤に入る7回表の攻撃。
4番松中のライト線への打球。遅い足にもかかわらず、迷わず2塁へ。
気迫のヘッドスライディング。
「次へ。次の塁へ。前へ。一つでも前へ」という強い気持ち。
チームに勇気を呼び覚ます。

前の悪夢を引きずる男がここにいた。多村。
アメリカ戦での重大な場面で、送りバントミス。
「自分のせいだ・・・」
敗戦の、強い責任を感じていた。あの失敗が・・・
そして今日、同じように失敗するのでは・・・
あの場面を知る観戦者達はみなそうだった。
その不安は的中した。
やはり同じだった。バントミス。あの日と同じ・・・


この失敗を必ず帳消しにしてやる、とチームメイトたちは思っていた。
今までの敗戦は、”誰か”の責任なんかじゃないんだ、
オレ達全員の、
「日の丸を背負ってるチーム」の責任なんだ。
誰もが判っていた。

調子が悪くて、ヒットが出てなかった(福留)孝介はスタメンを外れた。
予選で唯一のヒットはボテボテの内野安打、たった1本だ。
「チームに迷惑をかけている・・・大ブレーキになってるのはオレだ・・・」
得点の少なさに責任を感じていた。
打撃陣のリーダー的な存在であったからだ。
福留は五輪にも選ばれて、「日の丸」の重みをよく知っていた。
だからこそ、自分の不甲斐なさを申し訳なく思っていた・・・。


あの時テンポよく投げていたのに、再三の審判のイチャモンで、
リズムを完全に崩し同点2ランを浴びた、清水。

完全にフェアなスタートでタッチアップしたにも関わらず、
アウト宣告された、西岡。

先制のホームわずか数メートル手前で足の筋肉がつったようになり、
突然失速して憤死した挙句無念のリタイアとなってしまった、岩村。

守備の良かった、その岩村に代わってサードに入った韓国戦で、
好返球を痛恨の落球で失点につなげてしまった、今江。

韓国戦で好投の先発渡辺の後を引き継いだのに、
2点タイムリーを打たれてしまった、杉内。

あと一つのアウトだったのに、
A・ロッドにサヨナラヒットを打たれた、藤川。

そして、
得点圏にランナーを置きながらセカンドゴロに倒れ、
自分のバッティングでカバーできなかった、イチロー。


みんな悔しい思いが残っていた。
上原、多村や福留ばかりじゃなく、「借りを返したい」と思っている選手ばかりだった。
「このままじゃ、終われない」
みんながそう考えていた。


「動きがあったら、すぐ行くぞ」
恐らく孝介はコーチに呼ばれていただろう。
韓国は右ピッチャーを出してきていた。
多村の送りバント失敗。
「また得点できないだろう・・・」
韓国チームの監督には、心に僅かな慢心が生まれていた。
2度とも勝利したからだ。


前回も日本はそうだった。
チャンスを掴みかけながら、中々得点できない。
そこに左の幸介が告げられた。
「彼は調子が悪いはず・・・、変えずに行こう」
セオリーならば、左ピッチャーを当てても良さそうだった。
今マウンドにいるキム・ビョンヒョンは多村のところで替えたばかりだ・・・
韓国の監督は多分「抑えられる」と思った。
それはチャンスを掴めない日本の勝負弱さと、
バッターボックスにいる「絶不調男」の両方を、瞬時に分析したのだった。
だがそれは、福留の冷静な目と類稀な才能を
過小評価したにすぎなかったと思い知らされるのだ。


バッターボックスに向かった孝介には、焦りはなかった。
案外落ち着いてボールが見えていた。
ベンチにいたおかげで、試合を離れて見ることができた。
それまでの、何とか結果を出さなくちゃ、という逸る気持ちは消えていた。
「打てる球を打つ」
非常にシンプルに考えることができた。
「後ろにつなげば、きっとみんなが何とかしてくれる」
集中することだけを心掛けた。

ピッチャーの手から球が放たれる瞬間が、よく見えていた。
外角ストレートに反応しそうになったが、低めの厳しいコースだったので見逃した。
(あれに手を出していたら、引っ掛けてショートゴロだったろう・・・)
そして3球目の甘い球を逃さずに、
無心で振り抜いた。
バットが手から離れた瞬間には、
手ごたえ十分の感触だけが残っていた。

完璧だった。
まるで、侍が残心を見せたような、美しい形だった。
打った瞬間に入るとわかる、素晴らしい当たりだった。


きっと、相手投手はチェンジアップか沈む球を投げたのだと思う。
しかし、全く落ちずに、棒球みたいに入ってきた。
あの瞬間を打ち損じることなく、
孝介のバットがボールを捕らえたのだった。
鋭く打ち出された打球は、チーム全員の思いを載せて
美しい放物線を描いてスタンドに飛び込んだ。
韓国の野手は見上げただけで、殆ど動かなかった。

ひょっとすると、気負いや焦りがあれば、打ち損じていたかもしれない。
多村が過去の失敗の残像に自分を狂わされて、バントを仕損じたように。


みんなの気持ちを一つにして、「勝とう」という強い気持ちと、
仲間を信じる気持ちがあった。失敗を引きずることもなかった。

バントの為に、打席に入る多村を見て、多くの観衆は、
「ひょっとして、また失敗じゃ・・・??」という「悪い予感」を抱いただろう。
勿論私も例外ではなく、その疑念が湧いてきた。そして、その通りになってしまう。
これまでの戦いであれば、この失敗を悔やんでいただろう。
悪い連鎖をもたらしていたかもしれない。
だが、今日は違った。バントミスを帳消しにする本塁打だった。


孝介のホームランで、相手ピッチャーは酷く動揺した。
小笠原の初球、いきなりぶつける。手に球が引っ掛かってしまっていた。
動揺が手に取るように分った。
それが続いていた為に、里崎の時にワイルドピッチが出てしまう。
2塁に進塁された。
ピッチャー交代のタイミングを完全に逃してしまっていた。
これまでの韓国チームであれば、福留に左投手を投入してきただろう。
里崎、執念のタイムリー2ベース。

韓国は左投手にスイッチ。
だが、日本チームの気持ちが勝っていた。
代打のキャプテン宮本が告げられる。
ここではさすがに韓国も、替えたばかりの左投手から右投手に替えてきた。
しかし、もう勢いを止めることができなくなっていた。
後手に回ったのだ。
意地のタイムリー。誰もが勝利を確信した瞬間だった。
チーム一丸を象徴するかのような1点だった。

続いて、決定的なイチローのタイムリー。
大きな「5点」が入った。素晴らしい集中力を見せた。
打者一巡の猛攻だった。


そして最後は、多村だった。
みんなにお詫びの一打を見せた。
自分の失敗を救ってくれた、チームメイトたちへの感謝の一打だった。
前は、失敗の後の辛い敗戦だったが、
今日は、信じた仲間が自分のミスをカバーしてくれたのだ。


この勝利は、ある意味必然だったかもしれない。
信頼と集中力。
一丸となって戦うことの意味。
「日の丸」の重み。
勝ちへの執念。
日本チームは全てに優っていた。
完勝だった。


本当に素晴らしいゲームだった。



飲み疲れ

2006年03月19日 11時42分00秒 | 俺のそれ
頭がちょっと痛いです。飲みすぎのせいです。歳を取るに連れて、酒に弱くなっています。当たり前なのかもしれないけど。


昨夜は友人たちと長時間飲み続けていましたが、同じ年頃のオヤジが集まるとついつい子どもの教育の話などが出てきます。特に、「塾は行かせるか」「受験をどう考えるか」というようなことで、それぞれの家庭の状況によって全く別の考え方が出てきます。そういう話を聞くと、「結構考えていることが違うんだな~」と思いますね。


多くの家庭では、やっぱり子どもの教育に悩んだり迷ったりするのだな、と思いました。スポーツなどの習い事に関してもそうです。子どもにどの程度「機会を提供するか」「練習を厳しくさせるか」などというところも、中々難しい問題ですよね。


仮に、イチロー親子のように、わが子にかなりの練習を課すというのは、それができる子もいれば嫌いになってしまって逆効果ということもあるかもしれないですし。そこら辺の見極めというのは、難しいですよね。

でも、実際にやるチャンスを持たなければ、子どもが自ら進んでやることも少ないだろうし。そういう場面を親がどの程度提供できるか、というのは親の収入などにも左右されるから、一概には言えないかも。


変な例かもしれないが、バイオリンを子どもがやりたいと言っても、貧乏であればバイオリンなんて買えないし、習わせられないだろう。或いは、子どもが荒川さんの金メダルに感動して、是非自分もフィギュアスケートをやりたいと言っても、それを継続させられる資金がなければ無理だろう。要するにそういうのを親がどのくらい頑張れるか、ということでもある。子どもの才能や興味の方向性とは全く別な問題なのだ。


これに近いことをみんなで話してみたのだが、「これだ」という結論は出なかった。やっぱり親は親なりに、できることを考えて精一杯やる、ということくらいしかないのだろうと思う。



死の淵からの生還

2006年03月17日 20時47分05秒 | 経済関連
本日、アメリカが負けたそうな。で、日本が2位となり、準決勝進出が決まった。ないす、メキシコ!、アミーゴ、メキシコ!(何じゃ、そりゃ)
大ラッキー!!


日本は「疑惑の判定」で、涙をのんだ。

そして、韓国戦での「まさかの敗戦」。
イチローの言葉を借りれば、まさに「屈辱の敗戦」。
野球人生で最大の屈辱とまで言わせた、イチローの気持ちは、日本で応援していた人々にとっても同じであろう。


しかし、やっぱり「お天道様」は見ていた(笑)。
世の中、ズルイことばかりして、うまくいくことはないんですよ。
ズルで米国が勝ち上がることは、
米国審判が許しても、お天道様は許さないんですよ!

日本チームにとって、奇跡のドラマが待っている。


一度は帰国を覚悟した身である。
もう失うものは全て失った。
最大の屈辱も味わった。
米国野球への熱い想いは、疑念と落胆へと変わった。

実は、アジア野球の強さを日韓ともに示すこととなったのだ。
米国野球の神話は完全に崩壊し、かつての強さは幻想に変わった。


日本チームにとっては出来すぎの筋書きだ。
まるで映画のようなストーリーだ。


屈辱的な連敗を喫した韓国戦。
これまでの敗戦を糧に、日本が勝利するのだ。
捨てた命なのだから、怖いものなどない。
誰もが地獄を見た。
そんな境地に辿り着いた日本チームには、本来の強さが取り戻せるだろう。
いつもの力が発揮できれば、必ず勝つはずだ。

そして、次の決勝でも劇的に勝利するのだ。
初代WBC王者として、日本は歴史に名を刻むのである・・・


って、こんなストーリーならばいいんだけど(笑)。
この方が映画風な感じでしょ?通常は、主人公のチームが負けちゃって、一度はどん底に落ちるんだけど、最後には勝つんだよね~。これが本当に現実となるかどうか。



デイトレ部隊が駆逐された?

2006年03月17日 19時11分44秒 | 社会全般
最近時間がある時に場中の様子を見ていたのだが、以前と大きく雰囲気が変わったと思う。それは一体何なのか―?株式市場に変化の兆し・・・?


テレビのようにもったいぶるわけではありませんが、ズバリ申し上げますと、「落ち着いている」ということです。昨年のような、値動きが慌しい感じではなくて、動きがあったとしてもゆっくりと変わっていきます。ジェットコースターのようなのは、見かけませんね。大体見ているのは新興市場ではない銘柄ですけれども、前はもっと激しく値が動いていた印象でした。画面の点滅もかなり少なくなった感じがします。


恐らくデイトレーダーのかなりの連中が、資金を失って退場となってしまったか、持っている資金が大きく減ったか、ではないかと推測しています。これは当然のことながら、「ライブドア事件」の後からそうなっています。これには、どういった関連があるのだろうか・・・?ちょっとした謎ですね。いつもに倣い、私なりの推理をしてみたいと思います(またかよ、いらねーよ、という非難はとりあえず堪えてね)。


まず、ライブドアショックによって大幅な株価下落があった訳ですが、それでも、その後はある程度戻してきていますね。一時は下落前の水準を抜き去っていますし。なので、普通に考えれば、それ程大きく資金を減らすことはないように思えますね。でも、デイトレーダーは以前に比べれば、とても大人しい訳です(笑)。これって一体・・・


①捜査によって煽り系の人々が自粛した?

この可能性はあるかもしれません。掲示板とか見ませんけれども、きっと変な情報とかガンガン流していたような連中は、監視委の存在にビビってしまい、衰退していった?のかもしれません。「ヤバイよ、マジで」とか仲間内で認識されたのかもしれないですし。でも、弱小個人が少数いても、大型株の取引に参入しているプロの連中に資金力で太刀打ちできるとも思えず、激しい資金投入(数億円規模?)をしていた人々が鳴りを潜めているかのようですねえ。


②ライブドア関連銘柄で大きな損失を被った人々が撤退した?

この場合には、結構大きな資金を持つデイトレーダーの大半が、ライブドア関連銘柄を相当仕込んでいなければならないはずで、それって逆に難しいと思うんですけど。デイトレーダーの多くは、「宵越しの株は持たない」はずであり、捜査開始判明時に持っているのがライブドア株などではなく、キャッシュであるはずです(市場が閉まった後で捜査が伝えられたので)。つまりほとんど痛手を被ることはなかったのではないか、とさえ思えますね。これって変ですよね・・・?

株で持っていた人々は、概ね「俄か投資家」であると思われ、一時期の上げで「いい思い」をした人達が多かったのではないかと思いますね(だからこそ保有し続け、買い増ししたりしたんだろうと思います)。それと「ホリエモン」親衛隊的な、熱烈支持者たちも同様に株で持っていたでしょう。だが、そういう投資家たちは、大量に激しい資金投入をしてくる「デイトレーダー」の代表格とも思えないのですね。むしろ、取引資金のさほど多くない、「夢見る人々」ではないかと思いますね。そういう人々がかなりの損失を被って退場したとしても、市場全体から見れば大勢に影響はないでしょう。なので、「デイトレ部隊」の中心的な存在ではなかったんじゃないかと。


③投資事業組合関連?

この辺になると、もう「壮大なる陰謀論」でしかありません。御了承下さいませ(笑)。
匿名の組合で、かなりの投資資金を持っていた組合がいくつもあって、そこら辺の運用部隊が資金を引き揚げたのではないか、という可能性です。ライブドアに捜査が及ぶと、何かの不都合があるとか、余波で何か探られると「痛い」とか、そういう方々ですね。弱小消費者金融の貸付原資となる資金の「出し手」が謎である場合があるように、投資事業組合の資金源が「謎」で、供給元が「ブラック資金」であったりすると、「探られる」ことを怖れて、一気に資金を引き揚げる可能性があるのではなかろうか、ということですね。これは全くの邪推でしかありませんけれども。割と資金規模が大きくて、なおかつ情報交換のルートもそれなりに持ってる連中であれば、市場で「暴れまわる」ことも可能だったのではなかろうか、と。


④捜査の一環で、何人かの個人に捜査の手が及んだ?

これも全くのいい加減な推測ですけれど、大量に資金を持っていたデイトレ部隊の何人かに捜査が及んで、自粛の方向となったのかも?・・・うー、この可能性は非常に薄いな。違法取引が見つかったりしなければ、問題ない訳ですし。一般個人の取調をやったからといって、事件の進展が得られるとも思えないですしね。


⑤金融庁の緊急検査(ネット証券系狙い撃ち)で、架空口座などの摘発が行われた?

これも実際にどうなのか不明ですけれども、怪しげな口座開設者たちの口座が凍結されたり、不透明な資金の出入りのあるものや大量資金でのデイトレが行われた口座などがアゲられたとか?監視委のチェックで、怪しいトレードが軒並み引っ掛かったとか?その口座所有者の個人などに対しても警告が行われたり、とか?これはちょっと有り得そう。誤発注問題についても、金融庁から報告するよう指示が行っていたようですし。

金融庁&監視委検査は拒否できないだろう。証券会社への立入検査は、個人への圧力よりもはるかに容易であると思いますしね。でも、違法性のあるものが発見されなければ、単なるデイトレだけでは引っ掛からないハズですよね。こんなんで、デイトレ部隊が大量に駆逐されるとも思えないのですが・・・??


幾つかの陰謀論(別名「暴論」とも言う、笑)を想定してみましたが、実際どうなんでしょう?でもね、今の市場の動き方は「明らかに」落ち着いていますよ。というか、ほぼ以前に戻ったと言うべきなのかもしれないけど。多少のデイトレ個人はいると思いますが、投入資金の量が明らかに違うと思いますね。「たかが知れてる」という程度です。まあ、全体の流れに「飲み込まれている」規模ではないかと思えますね。相当激しくトレードを繰り返していた連中の多くが、「ライブドア関連銘柄」を相当に抱えていたんでしょうかねえ。気持ち的には判らなくもないですが・・・。ライブドア証券の盛隆と同じく、自分達も一気に「大金を掴んでやれ」と夢見てた人達が、ホリエモンとまさしく一緒に「沈んでいった」ということなのでしょうかねえ。「樹海御一行様」になってしまった人達は本当に可哀想と思いますけど。辛うじて生き延びたデイトレ部隊は、かなり弱体化(資金を失ったから?)したんではないでしょうか?


いずれにしても、昨年かなり市場に蔓延っていた「デイトレ部隊」の中心的存在=主力部隊は、消滅(撤退)したか、何処かに潜伏しているか、大量に資金を失ったかして、市場は沈静化されてきたということだと思う。ここ暫く出来高の低調気味が続いている(というか、これも正常化してきただけなんではないかと思うけど)が、激しいデイトレ部隊の減少を顕著に表していると思いますね。彼らを大量に駆除できた要因とは何だったのでしょうね。


中々興味深い謎です(笑)。
皆さんはいかがでしょうか?同じように感じている方々は、果たしておられるでしょうか・・・?



新聞の特殊指定問題(追記後)

2006年03月16日 21時19分17秒 | 社会全般
今日の読売朝刊に出ていたのだが、現在公取委が検討中の特殊指定解除について、新聞協会が反対の特別決議ということらしい。この問題については、先日当ブログのコメント欄にも書かれておりました。国民にはあまり馴染みのなかった話題で、元々の仕組みをよく知っている人たちはあまりいないのではないかと思いますね。
私もコメントを頂くまでは知らなかったです。
(後半に追記してます)


新聞の「特殊指定」堅持を…新聞協会が特別決議 経済ニュース 経済・マネー YOMIURI ONLINE(読売新聞)


新聞とネットの対立?の頃とか、「フリーペーパー」の話が出てた頃のテーマに戻るのですけれども、もう一度、自分の考えを整理してみよう思う。


1)「新聞」というもの

その存在については、肯定的です。「そんなものの価値や意味などない」という方々は新聞を取らない(或いは購読しなければよい)ので、制度への賛否ということにはあまり関係がないと思われます。新聞を否定的に考える方々の存在や主張は、再販制度・特殊指定への理由とはならないでしょう(NHKの受信料のように、テレビ設置と同時に支払うことを強要されるものとは異なりますし)。個人の自由選択は認められていますね。


2)全国一律の料金設定

「自由でいいじゃないか」という新聞があるとして、仮にとある地方紙が経営努力によって一部70円を達成した、ということがあってもいいと思いますね。これは現在の制度でも可能でしょうし。こうした「低価格の新聞がいい」という人は、例えば全国一般紙を止めて、この低価格地方紙を購読すれば済むことではないかと思います。地域によってはこうした選択が出来ない、というある種の寡占(独占は少ないと思うんですけれど・・・実際のところは判りません)があるのかもしれませんが。


えーと、間違いだったらゴメンナサイ。例えば、ちょっと高い新聞は日経ですよね。一部140円だったと思います。普通の全国紙(読売・朝日・毎日)は120円ですよね?産経新聞だけが普通じゃない、という意味ではなくて(笑)、何故か産経新聞は値段が安く、一部100円なんですよね。私はずーっと知らなかったのですけれど(居住地が地方のためか、産経新聞は非常にマイナーで買う人も少ない)。スポーツ紙も値段の種類がいくつかあり、110円の地方系とか130円の全国系があったりしますね。


新聞の商品構成を考えると、価格には多少のバラツキがあり、経済紙・一般紙・地方紙・スポーツ紙のように種類も分かれているので、選択の余地はそれなりにあるのではと思います。特殊指定の問題というのが、あまりハッキリとは思いつかないのですが、新聞社によって新聞価格を固定されているのが問題だ、ということなのでしょうか。販売店が売価を決めるべき、ということなんでしょうか?うーむ、値下げ余地があるとしても、ここから更に20%削減とかって厳しい感じがしますけれども、出来たとしても20~30円くらいの違い、ってことでしょうか。であれば、敢えて安くする意味があんまり判りませんね。これに目くじら立てる人が多いとも思えず、もしもそうなら購読しない訳ですし。


私も学生の時には、貧乏でしたから新聞なんて取ってなかったですよ。図書館に行けば読めるし。なので、貧乏な人々はそれなりに対応しているだろうな、と思います。価格を一定に維持することが悪い、ということなんでしょうか?でも、仮に沖縄では新聞が離島価格になってしまうので200円もするけれど、東京であれば80円で済む、ってことになったら、これは非常に問題だと思いますね。そういう部分では、全国一律の価格ということには意味があると思いますね。


3)戸別配達

戸配の制度は特に悪い制度と思っていません。朝出かける前に家族が順に読むことが出来るし、朝に新聞を読む程度の時間的余裕を持って起床することにもつながるし(笑)。因みに我が家では、子どもが一番早く新聞を読みます。起きる時間とか、家を出る時間の関係上、そうなっています。たまに私が先に読んでいると、「取られた」とかって、変な言い方ですが新聞の「順番争奪戦」となります。なので、いかに新聞を先に読むかということは、家族内での朝の重要な儀式(笑)となっていますね。面白い記事があれば、「なになにが~なんだってー!」とか教えてくれるし。ですので、出勤前に読めるということは結構大切だと思います。あー、東京のような大都会では通勤時間が2時間以上かかるとかってことも多いから、出勤がもの凄く早いのでそれまでに新聞が配達されていないことがあるのかも。実態は知らないけど。


読売朝刊記事での論者の一人は山本一力氏だったが、昔の新聞配達をしていた時の経験について書いたおられた。非常に共感できるものであった。新聞奨学生をもって特別指定の正当性に直接結びつけることは出来ないが、私自身の経験というのが思い出された。以前にちょっと書いたと思うが(コメント欄だったかな)、私も1年未満の短期間であるが、新聞配達をしたことがある。実際にやってみたことがあれば、多分山本氏の書いていることがよく理解できるんじゃないかと思う。また、大学生の時には、新聞奨学生として住み込みで配達をしていた同級の学生がおり、尊敬の眼差しを送らずにはおれなかった。卒業まで続けるのだから、本当に大変なことだと思っていた。だが当人たちにとっては、大学に行けるのだから当然だ、というような感じであった。


新聞配達の凄いところは、これで大学に行ける、ということだ。親が貧乏でも、新聞奨学生になって大学へ通い、自力で頑張っている人たちは今でもきっといると思う。「機会が不平等だ」とか「所得格差だ」とか御託を並べる前に、自分で「道を切り開け」と言いたいね。新聞奨学生の姿を見たことがあれば、「頑張れば、親が貧乏でも大学へ行ける」と確信できるのではないか。親のせいにするな、彼らを見習え、と言ってあげたいですよ。新聞奨学生という制度は誰が考えたのかは知らないが、社会的には大切な制度だと思う。私の過去の記憶の中では、そういうものです。


新聞の価格競争とは本来独立のことだから、値段が下がればその分だけ「別に奨学金制度にすればよい」という意見もあるのかもしれないが、本当に下がった分から従来通りの奨学金は確保されるだろうか?見ず知らずの他人の為に、学資を出してあげよう、なんて人達がそれほど多いだろうか?悲しい現実だけど、多分凄く少ないと思うよ。もしも、新聞代が安くなったとして、その分を「見ず知らずの他人への奨学金原資」に回すよりも、「わが子の塾代」をアップするとか「別な英会話教室代」に回すとか、そういう方が圧倒的に多いと思うね。となれば、奨学制度そのものが消失するだけに終わり、代替措置なんてできないだろう。その時の理由も、「日本育英会等の奨学金を利用すればよい」とかって言われるだけかもしれない。ちょっと違うんだよね、奨学制度の根本が。


4)新聞社の役割

これは色々と言われているので、専門家のご意見を見ていただければと思いますが、それ以外の部分について考えてみることにします。

第一に新聞に対する信頼性が低下したのではないか、ということがあるかと思います。朝日新聞のNHK問題報道などで見られたようなことですね。言論の質そのものが凋落した、ということです。昔は論壇の主流は新聞人が占めていたのではないか、という印象がありますが、大体みんな小粒になってきたかのような感じがします。昔の有力な(新聞人の)人物というのもよく知らないのですけれども。


文章そのもの、書かれる内容には、何がしかの「哲学」「思想」というものが根底にあって、そういう人間の背景というか記者自身の人生がそこには詰まっていたかもしれない。昔であれば情報取得には限界があったりして、本や新聞でしか情報を取り入れられなかったであろうから、その影響力はかなりあっただろう。新聞の言論は時代の思想を映し出し、社会の底流を形作っていたのではないだろうか。その使命を担っていたのが、新聞人であったのだろう。


しかし、時代の変遷とともに言論の担い手は移っていった。情報源も多様化した。特にテレビを中心とする映像メディアや今のようなネットの比重が高まった。記者そのものの変化もあったろう。言葉は悪いが、「サラリーマン記者化」が進展したのではなかろうか。言論人の最も強い形は、「自分の看板」でものを書くということではないかと思っている。だが、組織に依存し、新聞社の看板で書くということを優先して、そういう記事を積み上げてきてしまった面があるのではないだろうか。そういう意味では、新聞人自体が小粒になってしまったと言えるのかもしれない(笑)。腕一本で勝負する、というような―新聞だから、ペン一本と言うべきか―職人的な、「新聞人」が若い世代から誕生してこなければならないだろう。


今、若手新聞人の中で、論壇にドーンと波紋を投げかけるような言論リーダーは果たして存在するのだろうか?私にはちょっと思い浮かばないのだが、はっきり言えば「年寄り」の書く戯言に対して「物申す」という姿勢の、若手新聞人は誰がいるだろうか?そういうワクワク感がないのかもしれない。よく言えば、スマートになって、仕事を淡々とこなしていく、ということなのかもしれないが、泥臭くてもアクが強くてもいいから、「次はどんな記事を書くのだろう」という期待を持たせるような新聞人を生み出せる「新聞業界」じゃないと、段々つまらなくなるのではないかと思う。誰が書いても同じような記事、似たような言説、埋没した個性、紙面を飾るには弱い印象の「書き手」だ。単なる「ライターさん」ということでなく、自分の看板で書く「言論の担い手」という新聞人が必要なのではないか。


偉そうなことを書いてしまったが、本当の所はよく判らない。例えばナベツネは個人的には嫌いなタイプだが、強い個性がある。言ってることも、ハハーン、と思える。「ナベツネらしいね」と思える面がある、ということだ。彼の「戦争だけは絶対に許してはならない。今のような時代だからこそ、それを後世に伝えなければならない義務が我々(戦争体験世代)にはある」という言説には、かなりの説得力がある。身をもって体験したからこそ言えることもある。その思いは、彼個人の言葉として表現されている。新聞人としては、やはり見るべき部分はあると思うのだ(何度も言うが、私はナベツネのことは好きじゃありませんけど)。


それと、テレビなども同じなのだが、運営状況というのが非常に不透明な部分があったりすることも多く、広告主(スポンサー)との関係とかによって言論の中身が変わってしまっては、公器だの公正な議論だの大義名分を出してきても胡散臭いだけになってしまいます。「ジャーナリズム論」を語る前に、まずやるべきことを行動で示すことも必要だろう。社会に向けて、ある程度の情報公開や説明責任を果たすことも必要だろう。更に、時に非難の対象となる「高すぎる報酬」などということも、是正可能な部分は改善努力が必要となるだろう(これがあることで、既得権を守ろうとしているだけ、というような誤解の原因となる)。


5)フリーライド

「新聞なんかいらない」という主張には、一部「そうなのか」と思える部分もあるが、「ネットで十分」であるとなれば、新聞(通信)社の取材成果をタダで利用することになりますね。私も各紙を取っているわけでもないのに、ネット上にある記事をタダで利用させてもらっています。この辺の問題をどうするか、というのは、難しいですね。取材は誰がするか、ということも関係してきます。


新聞は不要とか言いつつも、否定派の主張には新聞記事の引用などが少なからず見受けられます。なんだ、利用しているんじゃないか、とちょっと思います。極端な想定をすれば、定期購読している人達が、これらフリーライダーの利用分も支払っていることになってしまいます。今後別なビジネスモデルが登場するかもしれないですけれども。