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加藤正夫氏急逝

2004年12月31日 01時18分33秒 | 社会全般
ニュースを知って驚きました。日本棋院理事長の加藤9段が亡くなられたということです。まだ57歳でした。残念です。


私は下手の横好きで、ちょっぴり囲碁を打ちますが、加藤さんは解説とかが好きでした(棋風は真似のできるようなレベルではありませんでした)。
彼は「殺し屋加藤」の異名をとり、プロ同士の対局にもかかわらず大石を討ち取っていました。


囲碁が分からない人には何のことだかわからないと思いますが、ゲームに勝つために相手を降参させる方法としては、最も強烈なのです。
ボクシングで例えれば、KO勝ちのようなものです。

相当力がなければ無理ですし、プロ同士の対戦ではそれ程多くは見られません。ましてや一流同士では実力差は僅差なのですが、その中でのKO勝ちですから本当に凄いのです。


生涯成績は1253勝664敗2分と、勝ち星は歴代2位だそうです。これほど高い勝率の生涯成績というのは驚異的なのではないでしょうか。タイトルは通算47、タイトルホルダーが対戦する挑戦者も超一流の人達ですから、勝率が高いというのはすごいことです。


2年前には23期ぶりに本因坊の座に返り咲いて中年の星となり、「いつまでも強くなれる」とおっしゃっておられました。

ご冥福をお祈り致します。

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ボーリングの結果は?

2004年12月31日 00時24分26秒 | 俺のそれ
溜まっていた用事などがあり、記事が書けず遅れてしまいました。
さて、前に記事に書いたボーリング大会は終わりましたが、その結果は…



もう、散々でした。何と最下位!センスなし。ひどいものでした。
しかも筋肉痛で、腕や腰が痛い。いつも筋肉痛になりますが、年々回復するのが遅くなっています。

罰ゲームでは、変な格好をさせられましたが、仕方が無く指定された通りにしました。
(余りに恥ずかしい内容なので公表できません、悪しからず)



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今日はボーリング

2004年12月29日 17時43分17秒 | 俺のそれ
やっと用事などが終わって、ホッと一息です。これから職場の方々と飲み会&ボーリング大会です。




私は下手くそなのであまり好きではありません。学生時代には15ポンドくらいの玉でしたが、近年は12ポンドくらいしか投げられません。
罰ゲームがあるらしく、私と同じ組になるのを皆恐れています(笑)。



たぶんブービーあたりに収まるような予感です(いつもそこらへんですから、残念!)。


明日は所要で朝から出かけますが、起きられるか心配です。3時くらいまでには家に帰らないと、起きられないかもしれない。妻にはお願いしていますが、寝起きが非常に悪いので・・・



因みに今まで「眠れない」という経験がなく、いつでもどこでも熟睡です。
立ったまま眠ったりできます(すごいでしょ!)。それ故起きるのが苦手なんです。

結果は皆さん気になると思いますが(ウソ)、発表するかどうかは・・・・内緒です。

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救急救命士の気管内挿管事件

2004年12月28日 16時44分54秒 | 法と医療
以前の記事に医業について書いたことがあるが、これに関して書いてみたい。(加筆・修正あり)
医業の考え方については、記事を参考にして下さい。

医業と歯科医業




現在救急救命士はある医療行為を行うことが法令によって認められている。例えば除細動や気管内挿管についても可能(勿論できるのは医師の指示に基づくもの)である。しかし、気管内挿管が認められるようになったのは、ごく最近のことである。除細動については、航空機の客室乗務員も行えるようになったことは割とよく知られているかもしれない。これらは、根本の規定をしている医師法が変わったわけではなく、それ以外に変更があったということです。


2001年11月頃に救急救命士の気管内挿管が違法行為であるとして、問題になったことがありました。主に問題とされたのは秋田県で、数年前から行われていた救急救命士の気管内挿管が刑事責任を問われる可能性がありました(その後、他の都道府県でも広く行われていることが明らかとなりました)。


救急救命士の業務を規定する法令について見ていきましょう。

まず通知があったようです。


(平成三年八月一五日)
(健政発第四九六号)
(各都道府県知事あて厚生省健康政策局長通知) (抜粋です)

第五 救急救命士の業務について
一 救急救命処置のうち、従来、医師等のみができることとされていた医行為の範疇にわたるものについても、救急救命士が診療の補助として行うことができるものとされたこと。
二 救急救命士は、医師の指示の下に救急救命処置を行うものであるが、そのうち、規則第二一条に規定する心肺停止状態の患者に対する次の救急救命処置については、特に医師の具体的な指示の下に行わなければならないものであること。
(1)半自動式除細動器による除細動
(2)厚生大臣の指定する薬剤を用いた静脈路確保のための輸液
(3)厚生大臣の指定する器具による気道確保
なお、(2)の「厚生大臣の指定する薬剤」及び(3)の「厚生大臣の指定する器具」については、別途告示するものであること。


次いで法令を見てみましょう。

救急救命士法

第四十三条  救急救命士は、保健師助産師看護師法 (昭和二十三年法律第二百三号)第三十一条第一項 及び第三十二条 の規定にかかわらず、診療の補助として救急救命処置を行うことを業とすることができる。
2  略

第四十四条  救急救命士は、医師の具体的な指示を受けなければ、厚生労働省令で定める救急救命処置を行ってはならない。


これに基づいて以下の規則があります。


救急救命士法施行規則(厚生労働省令)

第二十一条  法第四十四条第一項 の厚生労働省令で定める救急救命処置は、重度傷病者(その症状が著しく悪化するおそれがあり、又はその生命が危険な状態にある傷病者をいう。以下次条において同じ。)のうち心肺機能停止状態の患者に対するものであって、次に掲げるものとする。
一  削除
二  厚生労働大臣の指定する薬剤を用いた静脈路確保のための輸液
三  厚生労働大臣の指定する器具による気道確保

(法改正によって一は削除された。平成3年の通知に見られるように当初は除細動が書かれていた)


この時の問題は、医師法第17条違反であるということで、これに関わる多くの救急救命士や、彼らが研修をしていた秋田市内などの大きな病院でこれらの指導に携わった医師たちも責任が問われることとなりました。刑事責任はどうなったのか?
正確には分りませんが、おそらく起訴された人はいなかったと思います。

このケースは比較的判断がつきやすかったと思います。それは気管内挿管は厚生労働大臣が指定する器具には入っていなかったのです(主にバッグマスクやエアウェイチューブ類でした。これらは気管の中には入らない器具となっています)。
厚労省告示に規定されていない以上、法令違反は明らかです。しかし、逮捕・起訴とはなりませんでした。これは、数年前から救命救急士養成の観点や救命率向上を図り住民の利益となすために、消防当局が指導病院等と協力体制をつくり取り組んでいたためでしょう。詳細調査においては、当事者は違法性についての意識はあったとされているが、可罰的違法性の阻却と思われ、起訴はなかったと思われます。これを起訴する社会的意義はないと思います。

この後、厚労省の告示が変わり気管内挿管が認められるようになりました。


また、除細動が条文から消された背景は次の通知によると考えられます。
(医師の判断を常に仰ぐ要件をはずしたことが主たる理由かもしれません)


(平成13年12月18日)
(医政医発第123号)
(定期航空協会理事長あて厚生労働省医政局医事課長通知)

航空機内で、乗客が心停止状態に陥った場合において、除細動器による除細動を行う必要が生じる場面が想定されるところ、当該行為は医師又は医師の指示を受けた看護婦若しくは救急救命士により行われることが原則であると解されるものの、ドクターコールを実施してもなお医師等による速やかな対応を得ることが困難な場合等においては、客室乗務員が緊急やむを得ない措置として当該行為を行っても、医師法第17条違反又は保健婦助産婦看護婦法第31条違反を構成しないと考えるが如何。

照会のあった標記の件については、貴見のとおりと思料する。



要は飛行機内で除細動の必要があるときは、客室乗務員が行ってもよく、疑義照会文にあるように「当該行為を行っても、医師法第17条違反又は保健婦助産婦看護婦法第31条違反を構成しない」ということに対しては、「その通り」という回答になっています。

よって、かつては救命救急士法及び関係法令において、最初の通知に書いてあるように「医行為」の範疇にわたるものであった除細動という行為は、指定された要件を満たせば救急救命士の業となしてよく、これは既に「医行為」とは認定されないという見解に変わった、と解釈することができると思われます。
この見解に基づいて上の通知においては、客室乗務員が行っても医師法違反には該当しない、ということになると考えられるのです。


医行為についての判例をもう一度書いておきます。

『医業』とは,医行為を業とすることであり,『医行為』とは,当該行為を行うにあたり,医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼすおそれのある一切の行為である。」

”医師の医学的判断と技術がなければ行ってはいけない行為”という考え方が医行為と言えるので、救急救命士や客室乗務員が行うのではれば、”医行為ではないという考え方に変えた”のであろうと思うのですが。
医師法第17条は、何度も言うようですが何も変わっていないのに、です。法令解釈はこのように後からいくらでも変えようとすれば、可能であると言えるのです。
先日の民主党幹事長氏の言葉を借りるとするならば、「恣意的な法の運用」とも言えるでしょう。
(以前の記事を見て下さい、「連座しない民主党」、カテゴリー:政治って?)


ところが、国会答弁では議員さんやら官僚は適当な答弁をしています。
2002年3月14日の参院予算委員会で、民主党の今井澄議員が質問しております。

今井議員が救急救命士の気管内挿管問題について厚労省坂口大臣に質問しました。大臣は「必要があれば、そのようにやっていく」と答弁しました。また、航空機内での除細動については、同省篠崎医政局長が「これは緊急避難的な行為というようなことで認められているということ」と答弁しています。

この答えは、緊急避難における違法性の阻却という解釈に基づくと思われます。つまり行為そのものは医行為に該当し医師法違反であるが、緊急避難であるため違法性が阻却されるということです。先の裁判所判例に基づいて医師の判断と技術を客室乗務員が持たないため、違法であるという考え方なのであろうと思います。では、救急救命士法はどうなのか。以前は除細動は厚生労働省令で第21条に入れられていた訳で、客室乗務員同様本来違法ではあるがその違法性が阻却されるという事由で救急救命士の業としてよいということなのか?おかしな話だと思う。

局長答弁はかなり曖昧なのです。先の救急救命士法の場合には、業となすわけですから違法でいいはずもなく、緊急避難には該当しないはずです。結局医行為の法解釈が不明確で本人たちですらよく分っていないのです。局長は「こう考える」という視点から答弁されており、他の法令や通知との整合性が保たれているとはいえないのだろうと思うのです。

法務省の古田刑事局長も答弁している。
「人の生命の安全に係わるような問題に付きましては、そういうことも勘案致しまして、それぞれどういうことができるかということを法律でお決めになっておられるかと考える事ができるわけでございまして、基本的には法律が基準になることが間違いないと、考えるわけです」
「人の生命に切迫した危険に晒されていると、そういうときにそれを救うために他に適切な手段がないという場合には、事案によってはいわゆる緊急避難ということで違法性が阻却されることはありうると承知しております。」

結局、法務省は「法律で決められている通り」ということと「違法性の阻却」について理解していると答弁しています(もっと、簡潔に答弁できないものなのかね)。除細動という行為が医行為である、という前提ならば、医師以外の誰が行っても「医師法違反で、緊急避難として違法性が阻却される」という結論になってしまうと思うのです。そんな違法行為を救急救命士の業としておくことが法的に問題ないということなのでしょうか。



このような救命救急士の気管内挿管事件には、ある別な背景があったのです。事件の発端となった別な出来事があったと思われるのです。別の記事に書いてみたいと思います。
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田臥ジャムと契約へ

2004年12月28日 11時53分32秒 | 経済関連
共同通信によれば、米プロバスケットボールの独立リーグ、アメリカン協会(ABA)のロングビーチ・ジャムは田臥勇太(24)と契約したようです。昨季までプレーしていたので、当面はここでオファーを待つことになるようです。


ここで認められる活躍をすれば、またいい話がくるかもしれません。是非とも頑張ってほしいですね。




しかも、ここには日本人プレーヤーが他にもいるそうです。専大出身の中川和之選手という人だそうです。全然知らなかったー。ごめんなさいね。お二人の活躍を期待しています。いい話が両者に来るとなおいいですね~



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財政審のカウンター

2004年12月27日 21時29分18秒 | 経済関連
毎日新聞によると次のように報じられている。




財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の合同会議が27日開かれ、05年度一般会計予算政府案について議論した。予算案に盛り込まれた整備新幹線3区間の新規着工と関西国際空港2期事業について、委員の間から「個別の問題点として非難の種になる。アリの一穴となり、財政健全化に支障をきたす恐れがある」(政府税制調査会会長の石弘光・一橋大学長)など、批判的な意見が相次いだ。

これについて、財務省主計局は(1)整備新幹線は当初の要求計画に比べて経費を削減し、国費投入額を縮小した(2)関空2期事業は大阪(伊丹)空港への国費負担を軽減する「格下げ」を協議する国土交通省との基本合意があり、地元負担もしっかりやってもらう--などと説明した。

財政制度分科会の西室泰三会長(東芝会長)は会見で、「(委員の総意として)予算がついた過程と結果は分かるが、国民の理解を得ていない。国民に対する説明を着実にやらなければ困る」と述べ、事業の必要性や財源問題にについて、今後、政府が国民に説明するよう求めた。

財政審は11月にまとめた05年度予算編成の建議(意見書)の中で、「関空の2本目の滑走路の07年運用開始には慎重であるべきだ」など、不透明な需要予測を理由に2期事業に慎重な対応を求めていた。それだけに整備新幹線と関空という「大型公共事業の象徴的な存在」(財政審委員)の予算化に、委員の間から不満が噴出した格好だ。




以上のように厳しい意見が相次いだ模様。財務省がこの2つを認めたのは確かに失敗であった。省庁だけに象徴には弱かったということか(ツマラナイですね、オヤジなのですみません)。うーん、どの意見もごもっともである。財務省は財政審にかなり「切り込まれた」ようだ。

以前記事に書きました(財務省奮戦記)が、この公共事業を認めたのは合理的反論がうまくできなかったからなのではないかということです。また、財務省は認めるかどうかの岐路に立たされたところがあったのかもしれない。背景を考えてみよう。財政審の建議を反古にしてまで認めざるを得なかった理由。

当時三位一体改革の攻防で、地方6団体が激しく抵抗していた。部分的に地方への大型公共事業を確保し、地方の結束を切り崩すためのエサだったかもしれない。それと、財務省は取引交渉の材料に使い、削減総額の大きい方を選ぼうとした可能性がある。三位一体を貫いた方が得だと判断すれば、多少の譲歩もしかたがなかったということだ。

もう一つ、考えられる理由がある。景気判断との関連だ。定率減税の部分的削減で心理的にかなりの増税感が生じたことは確かで、しかも景気判断は下方修正や慎重な意見が相次いでいた。経済指標は市場予測を下回り、台風や地震被害である程度織り込み済みであったとは言え、心理的にはマイナスが目立った。「踊り場にある」今の景気の腰を折る気か、という非難もある中で、心理的な冷え込みを防ぎ且つ目先の「景気対策」的大型公共事業として考えると・・・何だかありえそうな気もする。ちょっとズルイ作戦だが、後で「景気悪化原因は緊縮財政のせいだ」とか非難される可能性もあるので、「いいえ、大型公共事業を対策として入れてました」と申し開きが可能である。この景気判断に対する考え方はあながち間違いではないかもしれないが、実際の効果のほどはたかが知れてる。

これらの判断を財務省官僚が行ったのか、もっと上のレベルであったのかは謎だ。何故なら、意外にあっさり決まってしまったからだ。読売新聞が「切れ味が鈍った」と書いていたが、案外三位一体改革が決められた時には、決まっていた可能性の方が高いと思う。


財政審の面々は面白くない。それはそうだ。あれほど「慎重に」と建議に書いたのに、財務省は無視した格好で通してしまったからに他ならない。削減を主要命題としているのに、これはいったい全体どういうことなんだ、と。また、2つが認められた報道が(三位一体後)非常に早かったので、財務省はあたかも「無抵抗」で通してしまった印象が否めなかった。これも、非難の要因になっているだろう。蓋を開けてみたら、世論や報道の反発が予想以上に大きかったと感じたことだろう。

政治的な材料となったのか、はたまた総額重視の結果認められたのか・・・真相は分らない。私も前にはこんな風に思っていなくて、単に族議員をはじめ省庁の抵抗が強力だったのだろうと考えていたのだが、あまりにあっけなく決まったことが不自然ではあると思う。裏があっても不思議ではない。やっぱり、政治は複雑です。


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紳助復帰 etc.

2004年12月27日 15時24分30秒 | 社会全般
自粛中だった島田紳助氏の復帰が来年1日からと報じられています。意外に早い復帰となったようです。これについては、また賛否両論のネット上合戦が繰り広げられるかもしれません。私にはあまり興味がないネタなんですが、一応書いてみました。


気になるところは民事の係争が解決したわけではないので、如何なものかとも感じますが、早く決着させたいと会社側が考えたためでしょう。これもまた、非難を浴びる要素でもあると思います。「儲けばかり考える企業だ」みたいにね。




今日の毎日新聞朝刊に、長崎県の小6女児事件で被害者の父親である新聞記者の方が、記事を掲載したそうです。私が以前書いた記事(マスコミの存在意義)にも触れましたが、マスコミの報道姿勢や報道のあり方については、数多くの非難があることも事実であり、当事者となった報道する側の人間が感じる「報道される側」の立場について語っておられる。

これは、両者を知った者だけが感じる、真実の声であると思う。マスコミは幾多の非難を浴びても一向に変わる気配を見せないなら、いずれ信頼を失い非難だけが残されるかもしれない。前のネット上の騒動を見ていて、確かに誹謗中傷も多いが大半は深いところに根ざす不信感に基づくものであると感じたからだ。


私は今でもマスコミの意義を支持してはいるが、同時に非常に危うい信頼になりつつある。今までブログのような手段がなかった時は、ネット上の情報源は信憑性が疑わしいと思っていたが、整然と個人レベルから情報が発信されている現在の状況を見て、幾つかのソースを確認しようとするようになった。しかも情報発信者の所属などが明らかな場合もあり、ネット上の情報は信用度を増しつつあると感じる。

取材する手段を多くの個人は持たないため、マスコミ優位には違いないが、彼らが伝えようとしていること或いは敢えて伝えないこと、という視点から情報を見るようになった。この検証作業は面倒ではあるが、マスコミ情報とネット上の(特にブログの)幾つかの情報を組み合わせることによって、以前に比べて個人でも行い易くなったと思う。

情報の質が変化してきていると感じるし、それによってマスコミの存在意義が問われるならば、マスコミ自身も変革をもとめられていると思う。

それを「見える形」として、マスコミも取り組む必要があるだろう。今年はNHKの問題ばかりではなく、主だったマスコミの虚偽記載などが明るみに出て、「マスコミ不祥事元年」というかオンパレードとでも呼ぶべき状態であった。どこの報道機関も、もう一度自分達の存在意義と何をもって自らを正当となすかということについて考えて欲しい。

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スマトラ地震

2004年12月27日 12時07分14秒 | 外交問題
周辺国の津波被害もひどいようであるが、現地の被害状況もかなり深刻のようです。また、日本人の安否情報はまだ掴めていない部分が多いようです。当面情報確認には、時間がかかりそうですね。外務省は情報収集に当たっているようですが、混乱がひどければ容易に情報が集められる状況ではないかもしれません。


日本政府はスリランカに医療チームの派遣を決めたようであるが、被害国はアジア地域で日本と関係の深い国が殆どである。日本国内は正月にかけて人員体制が厳しい時期ではあるが、政府からの援助活動の申し入れと不明邦人の救出も含めた活動を同時に展開していく必要があるだろう。日本は災害地域に比較的近い先進国であるし、いち早い対応はアジアのリーダー国としての責務でもある。また日本は地震災害時の活動実績があるので、幾つかの班を編成し、要請があれば速やかに現地に入る準備をしておかねばならないだろう。在留邦人の不明者があれば現地で直接情報入手が出来るので、役立つと思うのだが。


おそらく外務省が対策本部を設置したので、幾つかのプランを検討していると思う。人的支援や食料支援なども実際にどのような方法で支援していくか、などを検討していると思う。国際社会の先頭に立って、日本が出来る範囲でいいので支援を行ってほしいと思う。こういう時の対応こそが、国際社会の信任を得られるかの分かれ道だと思う。


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行政に変化の兆し

2004年12月27日 03時27分20秒 | 政治って?
報道によると、新行革大綱が閣議決定されたようである。一面的な判断と言われるかもしれないが、敢えて政府の姿勢は評価したい。自民党内の議論はどのようなものであるかは分らない。だが、一部でも改革が進行したことは、現政府がある意志を持って臨んでいると考えたい。


改革が必要なことは以前から分っていたことであるし、行政担当者ならば「尋常ではない」ということを認識していたであろう。それにもかかわらず、実質的に改革が進んでこなかったのは族議員や各省庁等の組織的抵抗に原因があったかもしれない。


ここに来て、一部政治家の中にも多少意識変化が出始めてきたのかもしれない。勿論全体的な動きとまではいかないが、国家の危機的状況を目の前にして、「本当に何とかしなければいけない」という危機感を持つ人が出始めたということである。また、官僚にも同様に「何とかしよう」と考える人々が出てきていると思う。

今年の予算編成については、厳しい見方が相当あるのは知っているし、私としても到底満足できうるものではない。だが、以前も書きましたが(「財務省奮戦記」)、「変化の兆し」はあると思っている(平ちゃんの景気判断のコメントみたいですが、笑)。その意味においては、評価したいと考えています。


最近記事に出ていることで感じることがある。たとえば防衛庁だが、不正発覚後庁内で管理体制を強化したりしていると思うが、「本当に改めるつもり」があるのか疑問に思っていた。先日の三菱重工をはじめとする関連企業等への行政処分、タイヤ談合疑惑の公取委の排除勧告という報道、これらを合わせてみると、変わろうという意識が芽生えはじめてきたのかもしれない。今のうちに不正や膿は出し切った方がよいと思う(後になればなるほど苦しさが増すのです)。これからは、癒着体質や持ちつ持たれつという姿勢は許される状況ではないということに、初めて気づいたのかもしれない。皆がそういう意識改革を行わなければ、効果的な変革は非常に困難であろう。

また、警察組織もそうである。道警に代表されるように、裏金があるなら今のうちに「自首」して、返還することと組織改革に取り組むべきである。人員拡大が予算で認められたが、現在のままでは現場の士気に悪影響を及ぼすだろう。犯罪に立ち向かう警察組織は元来「鉄の結束」を持つチームであるはずだ。チームの優れているところは、単に人数の多寡によらず力が出せることだと思っている。昔から言われるように1+1が2ではなく、3にも4にもなり得るということだ。「鉄の結束」は隠蔽する時に役立てるのではなく、業務に役立ててほしい。上司が不正や汚いことばかりやっていたら、チームはだらしなくなり「あいつらばかりズルいよな、いい思いしやがって。俺たちも汚れてやるぞ」くらいの屈折した気持ちが出てくるぞ。不祥事の多いところは、組織内にそういう乱れがあるのではないのか。

スポーツでも軍隊でも、規律が乱れていたりフェアではないチームは、何を競わせても弱い。そういう警察にはなってほしくない。多くの警官たちは国民の安全を守るために正義と義務感を持って取り組んでいるはずだ。警察学校に入校するときの、晴れやかなすがすがしい気持ちで取り組めるように、上層部は初心に立ち返ってほしいと思う。


話が逸れてしまったが、新行革大綱では人員削減や効率的配置などが盛り込まれた。大綱素案がどの部署で考えられたのかはわからないが、官僚チームであろうと思う(議員さんはきっと考えられないであろう、細かいことは苦手ですから)。彼らは、現時点で政治的にも認められる範囲内できっと考えたに違いない。国家公務員制度改革は関連法案が見送られたため、表現としては「後退した」との報道もあったが、私はそうは思わない。おそらく、もっと熟慮すべきであるとの認識であろうかと思う(そう期待したい)。

私は国家公務員制度については、「ぷろとたいぷ」のbuuさん(「官僚は制度に負けるのか」シリーズのTBを見て下さい)との意見交換を通じて考えさせられるところがあった。業務の評価システムをどのようにするのかが問題であろうと思う。前任者の仕事やかつてのやり方について、変更しがたいような組織体質であるかもしれない。以前問題があったことを変えていこうとする時に、個人的な落ち度として「昇進にひびく」とか「責任追及」とかが全面にあると、改善していくことに抵抗が生まれたりするのかもしれない。重要な政策を立案したり、行使する権限の重さに比して報酬が少なく、インセンティブの問題ということも理解できうる。事務次官に至る昇進過程で退職してゆく方々が多く存在することも事実であり、それまでの薄給を天下った先で回収してしまうこともよくあることである。どちらかというと、個人の力量というか能力によらずに、既得権益としてこのようなことが起こってしまう構造が問題なのであり、能力を買われて就職した先が関係法人であったということは通常問題となるわけではなく、これに類似させた誤った方式が根付いてしまったのだろう。そして際限なくこれを拡大してきた、その行いが、逆に世間の風当たりを強くしてしまったと言えるかもしれない。


国民の立場から見て、今回の行革大綱は重要なポイントがあったと見ている。目立たないような記述ではあるが、大綱作成チームの改革意識が表れていると受け止めたい(「またいち」幹事長さんは、「人員削減だけ突出させ世論にこびるやり方は容認できない」「年金運用の赤字を積立金で穴埋めするのは断固反対、国民感覚ではまったく理解できず、開いた口がふさがらない」と述べているが、見るべき部分がずれているように思う。単に『反対』の姿勢はやっぱり野党根性が染み付いているのであろうか)。

ポイントの一つは、国民に対する理解を求める姿勢が打ち出されてきたことである。各府省は予算案決定後、取り組み実績を国民に公表することが盛り込まれた。このことは今まで以上に行政に理解を求めるものと考えてよく、情報公開によって省庁は国民の評価を受ける立場に置かれることになるため、間接的にでも改善姿勢と実績が問われるということだ。もう一つは、行政手続法の改正である。政府・各省庁が国民の権利や義務にかかわる政令や省令をつくる際には、必ず国民に意見を求める手続きを踏むようにするというもので、来年の国会提出を予定しているようである。これもまた、国民に理解を深めてもらうため、法令決定の手続き段階で意見聴取を行うというものである。現在もパブリックコメントの受付がなされているが、かなり専門的であったり国民への周知は浸透しておらず効果的ではない面もないわけではないが、さらに拡大して国民の意見を求めるということは、十分評価に値すると思う。これを盛り込んだことは、行政が「国民を意識」して業務に取り組むという意思表示と受け止めたい。

「またいち」さんはこれについてはコメントしていないが、世論にこびる感じは彼のコメントの方にその印象を受けますが…あいた口が塞がらない心境です。ある部分だけ突出させて見ているのは彼であって、報道の見出ししか理解しようとしない姿勢がコメントに出ていると思ってしまいます(真意はわかりかねますが)。


年金運用の穴埋めに関しては、会計上どのように処理しようとしても年金制度の中で処理する以外になく、確かに過去の施策に問題があったことは事実であるし、この責任については議論の余地があるが、敢えて処理に踏み切ったことは準備段階に入ってきたことを示しているのではないかと推測している。準備とは、「年金一元化」のことである。これを見据えての処理ならば、今の段階で行うことは不自然ではないと思う。制度の違う年金を統合するということになれば、会計上の問題は処理しておくのが妥当であろうと思うのだが。債務処理を先延ばしにして、利払いが膨らんだりするのもマイナスだと思う。勿論私は年金や会計のエキスパートではないから、ひょっとして違うのかもしれませんが、見方としては普通なのではないかと。「断固反対、国民感覚で理解不能」とおっしゃるならば、どう処理するか示してほしいものです。


また、長々書いてしまいましたが、少しずつではあるが、行政も変わりつつあるというのが、私の印象です(期待も込めて)。年末に「予兆」ということになれば、来年には相当の変革があるかもしれません。そう信じたい。

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ドンキホーテ社員の悲劇

2004年12月26日 18時44分20秒 | 社会全般
前の記事(記者会見場から退場?)にコメントを頂いたのと、TB頂いた記事を読んだので、問題点を整理してみたい。

現在議論となっていることは、ドンキ社員(以下単に社員と呼ぶ)への対応と、そこから離れて記者会見や記者クラブの意義(若しくは弊害)、行政と報道機関との関係まで広がっている。そのような問題を検討する前に、今回の問題についてある程度の共通認識が必要ではないかと思う。

私がこの出来事を知ったのはあくまで伝聞形式であり、ブログの記事やネット上の報道等の情報のみであるので、正確な情報ではない可能性があるが、概ね正しいと考えている。

事実確認

1)記者会見は消防当局が報道関係者のみを集めて行う意図のものであった
2)事前に「報道関係者以外はいませんか」と当局は確認していた
3)当局は6月に行われた立入検査についての説明をするという趣旨で会見を開いた
4)社員は当該会場内に所属を偽り存在していたが、会場の進行に妨害等の行為はなく、他人に特段の迷惑をかけたわけではない
5)周囲にいた報道関係者が社員に詰問し、所属を明らかにさせた上、他の(火災に関する、或いは本社の)幾つかの質問を浴びせた
6)所有していたメモ破棄、録音消去などを行わせた(当局職員が直接行ったのか、報道関係者が当局に提出したかは不明)
7)社員は本人の意思に反して会場から強制的に退出させられた

疑問点について考えてみます。

a)記者発表は一般的に「一般大衆」への情報提供を目的としているのか

記者発表の目的は、行政側が国民に対して報道機関を通じて情報を提供することを目的としていると私は思っている。行政側が報道機関からの追及や批判の場を目的に設けているなどの他の目的は考えにくい。従って行政側が発表する内容は「一般大衆」である国民が知ることを許容していると考えられ、報道機関が知ることと国民が知ることの違いは存在しない。特別な事件の捜査情報等で重大な損失が考慮されるとか、報道することによって人権を著しく損ねたり公共の利益に反するような情報は、当然選別される必要があると思う。現実にはそのように行われているのではないかと思うが。

このような情報を当事者が聞いていたとしても本来何ら問題がないように思う。行政側が報道関係者にのみ明かしてよい情報提供を行い、一般大衆には提供できない情報を記者会見で発表するのであろうか。勿論、会場に入る時に社員が所属を偽って入り込んだことは非難されるべきと思うが、入場資格が厳密に制限されているような結婚式、パーティ会場や個人的発表会等に潜入していたわけではない。主催者(行政)側が2)のように確認を行ったのは、情報提供に際し効率的かつ運営に支障を来たさない程度に入場に制限を設けたものと思われ、社員がその場に存在することを法的に許容しないという性質の問題ではないように思います。


b)消防当局が行った3)の立入検査は何に該当するか

一般的にみて行政指導に該当するのではないかと思い、前の記事を書いてみたが、当局の正式発表を知っているわけではないので、その場にいた報道関係者ならば質問したか、おそらくすでに知っているのであろう。
もしも、行政指導ではなく、消防法第4条及び5条の規定に基づいて行った処分・命令であるとしたら、改善措置等の命令について公示しなけらばならないことになっています。この為当局の発表内容に差があることなどあり得ず、これについて「情報を隠す」という認識は単なる思いこみではないでしょうか。
また、今後消防当局とドンキが民事裁判になる可能性があるので、社員がいると情報を出せない旨のご意見もあるようですが、これについてもやや疑問があると思います。消防法に基づく処分・命令であろうとも、行政側に異議申し立てが出来るようになっております。消防法第4条及び5条に基づく処分・命令に対してこの決定が不服である時は、行政不服審査法に基づき申し立てを行うことができるのではないでしょうか。決定や命令の誤りがある時には消防法第6条により当該市町村より補償されることになっています。この手続きを経ても尚且つ不服であるときは、提訴(民事訴訟か行政訴訟)ということになるのではないでしょうか。従いまして、損害賠償請求等の裁判を想起して、当事者の存在の有無により発表するべき情報が変更されるという判断は、あまり根拠がないように思います。

むしろ、消防当局が行政指導を行ったときの指導内容と異なり、「実際には指導していない内容」の発表をする畏れはありますが(多分ないでしょうけれども)。その場合にのみ、当事者が存在することで困ると考えるのは当局の方であり、それは虚偽情報を提供することになるのであるから非難されるべきは当局であって社員ではない。情報を隠すことで不利になるのは当局であり(報道関係者から適切な指導であったのか突っ込まれるので)、当事者がその場にいることで情報の質が変わるということは考えにくいでしょう。


c)個人の所有物への直接的な介入は合法か

前の記事にも書きましたが、これは消防当局が行っても記者が行っても、たぶん違法行為ではないでしょうか。何を根拠に個人の所有物を取り上げたり、データ消去や破棄の権利を有しているというのでしょう。誰も疑問に思わなかったのでしょうか?こういうことをその場にいた報道関係者諸氏が当然のことのように考え行動していることが、ひどく「特権階級」的と誤解される要因ではないでしょうか。
本当に「いき過ぎだった」と考えるなら、個人的に反省するんではなくて、取り上げ破棄した人物(当局か報道関係者か知りませんが)の所属とかを報道すべきでしょう(社員は「潜り込んでいた」ということで、所属と年齢が報じられてます。これと同じ扱いでなければ、本来おかしいでしょう)。


その場にいた報道関係者や当局の方々が、圧倒的多数とごく少数(この時は1人)の人数的力関係によって、ネットでも見られる「吊るし上げ」状態を作り出したことは間違いないでしょう(以前記事に書きました、マスコミ批判の感想3、カテゴリー:社会全般)。日本人の特性なのでしょうか?イジメが問題などと言うが、こうした心理が大人も子供も持っていて、それが作用するとどこの場においてもこの現象が起こるのかもしれない。こういうのは群集心理として普通にあるのかな?

話が逸れてしまいましたが、ドンキ社員の排除事件については、そのような行動をとらねば社員も助かったのでしょうが、まさに「飛んで火に入る夏の虫」状態で、不当な扱いを受け、バッシングに晒されたことは否定できないでしょう。

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今日の妻5

2004年12月26日 06時44分57秒 | 俺のそれ
クリスマスを家族と過ごしました。

イブの夜、ウチの子にサンタさんからのプレゼントを机に置きました。
翌朝「今年もまだサンタさんにもらえたんだよ」と喜んでいたが、心の底から本気で信じているのであろうか?去年も今年もそれとなく聞いてみた時には、「信じてる」と言っていたのだが、ひょっとして父親に対する配慮なのか?と思ってしまう。

学校の怖い話とか幽霊ものとかが好きで、心霊現象、超常現象や超能力なども信じているらしい。だが、来春から中学だというのに、我が子ながら内心「これで大丈夫なのか?」と思っているが、まあ何とかなるだろう。

妻は「いいんじゃない」とギター侍みたいなコメントを述べている。先日記事に書きましたが、プレゼント問題は解決しました。先週一緒に買いに行きましたが、今年の予算は財務省よろしく、ズバッと「切り込み」ました(ウソ)。

クリスマスがそれほど好きな訳ではありませんが、子供の誕生日ですからプレゼントは用意します。今年は自分でケーキを作ったようです(勿論妻がほとんど手伝ったと思いますが)。出来栄えは、うーむ、まずまずと言える。でもそれは家族だからそう思うだけかもしれない。他人なら、別な評価かも・・・

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記者会見場から退場?

2004年12月24日 18時58分26秒 | 社会全般
ドンキホーテの火災について、記者会見場に社員がいたことが問題として取り上げられているようなのですが、ちょっと行き過ぎなのではないかと思ってしまいました。そんなに悪い事なのでしょうか?『ガ島通信』さんの記事を読んで、次のブログの記事を知りました(まだURL入れなれていないのでちょっと変ですが、お許しを。下が『ガ島通信』さん)

私がそこにいても「出て行ってくれ」と言う
思い上がりとカン違い。記者って何様?

何の権利があって「出て行け」なのだろう?記者会見は記者以外は認められないのでしょうか?そのような報道協定のような規則があるのでしょうか。会場に記者が入りきれず入場に制限があるとか、警備上の問題とかでなければ、第三者がいてもよいと思うのですが。社員が持っていたメモや録音を消去させたということのようですが、もし報道関係者がこの行為を行ったとしたら、その強制力は何を根拠にしているのでしょう。明らかな人権侵害であると思いますが。たとえその場に入り込んでいることが記者内のルール上問題であるとしても、個人の所有物に明らかな介入が許されるのでしょうか。本当に強制的に排除させなければならないような状況ならば、警察を呼ぶなり正規の手続きに則ってメモや録音を没収すべきでしょう。そんなことが本当に出来るのでしょうか?もし、慣習として行政側と報道側の取り決めがあるとしても、他人の財産等所有物を没収するなどのまるで現行犯逮捕のような法的強制力が一介の民間人である記者連中に認められているとでも言うのでしょうか?社員のメモや録音は違法行為なのですか?

むしろ違法行為はそれらを行った記者であると感じますが。私は法曹関係者ではありませんから、正確には分かりかねますが。もし、社員の方が告訴したら、おられたのは報道関係者の方々ばかりですから、速やかに誰がどのような行為を行ったのか、正義に基づいて報道してくれることでしょう。


消防当局からの公式発表の場に、関係者が居たら発表内容が変わるということなのでしょうか?それならば、報道関係者が当局にきちんと質問すべき問題で、関係者の存在には関係ない問題と思います。


例で考えてみましょう。あくまで仮定ですので。

行政裁判後の行政側(被告側)記者会見で、原告側の人間がいたら、その場から退場を求めるということなのでしょうか?
拉致問題で政府発表がある記者会見場に、被害者家族が居たら発表内容に差ができるし政府に突っ込めないから出て行けと言う?

ちょっとおかしな話ではないでしょうか。


「従前の指導が本当に適切だったか追及する」と「我的因特網留言板」の浜本氏は述べておられる。これは少し誤解があるのではないかと思います。交通事故死が多発している自治体で、行政の指導が悪かったから「死亡事故」が起きたのだと地元警察について追及するのでしょうか?


店側は消防法を遵守する義務が課せられており、消防当局の立入検査については改善措置を命じられていれば、その通りにしなければなりません。もし、それが守られていなければ改善されるまで業務停止等の措置をとることも可能です。これは正規の命令の場合ですが、単に行政指導の場合には指導を遵守するかしないかは店側の判断が関係しています。指導内容に絶対服従を課すことはできません(行政手続法上そのようになっています)。消防当局はもし行政指導後の結果を見ても改善措置がとられていないと判断したら、正規の命令を下し尚且つ措置命令が守られていなければ消防法に基づいて業務停止等を命じることになると思います。


もしも消防当局を追及するとしたら、立入検査を全ての小売店について網羅的に常時行っているかどうかということをでしょうか?それとも消防法に照らして、ドンキホーテの陳列方法が「火災予防や避難の重大な妨げとなり人命に危険」となるかの判断を地元消防当局に聞くということでしょうか?

陳列方法を取り上げるのでしたら、消防法についての解釈となりますから、地元消防当局が認めるならそのようになります。記者が聞こうが誰が聞こうが結果は同じです。この判断の適否については、もっと上部組織(消防庁のような)に疑義照会してみなければ一概に判断ができないかもしれません。地元消防当局の対応に誤りがあると判断されるなら、上部組織からの通達とかが出て初めて効力があると考えられます。上部組織が地元消防当局の判断について異議を述べない限り、地元消防当局の判断は正しいということになるでしょう。現場の解釈を変えさせるには、たぶん行政上の文書が出されることが必要であろうということです。


また、立入検査をなぜもっと頻繁に行わなかったのかということについては、消防当局の過失である可能性がありますが、会計検査院の検査をなぜ全組織・部署に行わないのか、ということについて追及しない理由がわかりません。全部網羅していないのは同じですから。また、全医療機関や全飲食店に保健所が常時立入検査を行わないのは何故かについても追及しない理由がわかりません。また、都道府県警察組織全部に自治体の監査委員が立入検査を行わないことを追及しない理由もわかりません。火災が起こったから、消防当局の行政指導ぶりについて追及するならば、問題が発生しているこれらについても同列に追及の手を緩めることなく、「マスコミの追及」を徹底して行うべきではありませんか?

現実的になかなか全部の検査をカバーすることは容易ではありません。建築基準法に関わる消防当局の立入検査は全件行われていると思いますが。
何かことが起こったら、今までは見て見ぬふりをしていたのに、急に追及するような姿勢に変わるということなのでしょうか。


ちなみにこれらの追及と当事者がそこに存在することと、どのような関係があるのか理解できません。社員の1人や数人がそこにいたとしても、何も違わないように思います。そこにいることで、先の追及に対する回答が変わるということでしょうか?何の理由でしょうか。到底回答が変わることなどないと思います。もし変えるならば、それは説明側の責任です。


行政指導における個別の指導結果等については、一般的に開示される情報なのでしょうか?もし開示できるならば、個別に行政指導の結果についての文書開示請求をされてみてはいかかでしょうか。行政手続法に規定される行政指導は業種に関係なく公開対象となるはずです。銀行等の金融機関の行政指導の文書とかについても同様に個別(金融機関ごと)に公開されるなら、請求されてみてはいかがでしょうか(私は開示されているかわかりませんが、個別の結果はそう開示されないように思いますが、誤りかもしれません)。

(加筆)
行政機関側は、行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならず、また行政指導が当該店舗に対して口頭で行われ特段の文書が存在していなければ、その相手方から規定事項を記載した書面の交付を求められたときは、当該行政指導に携わる者は、行政上特別の支障がない限り、これを交付が義務付けられています(行政手続法第35条)。


私はどちらに組するわけでもありませんが、公平性が保たれている見解ではないと考えてしまいます。単に憤怒のみで「出て行け」などとは言うべきではないし、そのような命令をする権利もなければ正当性もないと思います。また、報道関係者たる者が法令もよく理解せずに、『追及』を大上段に振りかざすべきではないように思います。また、個人の権利侵害にいつも鋭敏なマスコミの方々が、今回のような特定個人の所有物を強制的に処分することが許されると思っているとしたら、空恐ろしい気がします。以前のマスコミ批判については中立的に考えを記事にしたつもりですが、期待が裏切られたように感じます。


「内幕を知っている俺たち」と「部外者であるお前たち」は違う、みたいな感じで論じているところが、さらに違和感を持つのですが(これはあくまで私個人の印象ですが)。

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ブログに出会って…

2004年12月24日 16時40分03秒 | 俺のそれ
今月の22日でブログ開始から2ヶ月が過ぎました。まだまだ未熟者で、自分の言いたいこと・思っていたことを記事にしてきたのですが、色々な方々に読んで頂けて非常に嬉しく思います。また、これまで、私の「寒い」ブログが2度も木村氏のブログでご紹介して頂けたことを光栄に思います。謹んで御礼申し上げます。


今まで、これほどまでに政治や行政について自分の出来事のように感じたことはありませんでした。一連の予算編成過程で、自分の不得意分野については、「メッタ斬り」できませんでした。因みに今年の予算編成のキーワードは「切り込む」だったと思っています(私の勝手な思い込みですが)。

こうして政治や行政を斬りつけていくうちに、その中から少し見えてきたものもありました。やはり「斬るだけではダメなんだ」ということです。単に個人的我がままを表明してもしかたがないし、他の人を説得するに足る論拠を求め、よりよい方法や問題解決に繋がることを探し求めるしかない、と思いました。勿論、全てには考えが及びませが、出来るところを探して斬ってみると、意外なものが出てきたりもしました。

それは1人では難しく、他の方々からのツッコミや、バッシングや(笑)、アドバイスや共感・・・等々とても勉強になりました。また、他の人が書いているすばらしいブログに出会えたり、もの凄い議論や、台風なみの「嵐」も目撃したりしました。

ブログは、私にとってはとても有効な手段となりました。きっと誰かが読んでくれているに違いない、と思ったり、読み手の顔は見えないけれども、このネットの向こう側に是非読んでいてほしいと思う方々に向けて書いたことも多々あります。そんな思いが通じたと今でも信じています(勝手な信じ込みです、笑)。


非力な一国民として、またざっくり斬っていこうと思っています(笑)。しかし、稚拙な内容でもあるため、ちょっと恥ずかしいこともありますが、私利私欲とか自己利益という立場ではなく、無私の立場から無い知恵を絞ってみたいと思っています。皆さんのお力も是非お借りしたいと思っておりますので、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

「三人依れば文殊の知恵」でございますから、やっぱり。


それでは流行に乗って―――
私1人ではいい国作れませんから、ざんね~ん!
「怒りのブログは”怒りのぶどう”がすべってますが誰も気づいてくれない斬り!!」 切腹!

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連座しない民主党

2004年12月24日 13時58分13秒 | 政治って?
「責任をとる」ということは、非常に難しい問題である。時の人、NHKのトップは「恋々とする気はないが、辞めるつもりはない」との意向である。

武士の時代ならば、きっと腹を切ってお詫びするであろう。組織の面子に「泥をぬる」行為は命を賭して恥をすすぐということだ。今は時代が違うから、命までとろうとは言わないが、気持ちとしては「首を差し出す」気構えが必要なのではないか。

どこかのブログか何かでちらっと読んだように思うが、道路公団の藤井総裁の「絶対に辞めない」宣言を髣髴とさせた方々は結構おられたのかもしれない。私も同感だな、と素直に思った。

報道によれば、民主党議員の2人が連座対象となったようである。1人は辞職、1人は係争を選択したようだ。これは非常に違和感がある。人間の考え方には色々あるだろうが、行政や政治に関わる判断は概ね一つであるように思う。今回の司法判断はある基準を示している。勿論この判断が絶対的に正しいかどうかはまだ判らない。だが、政党である民主党は、所属議員のこうした判断の分れをどのように見ているのであろうか。

党としての見解があるのであれば、当然両者同じ道を選択させるように勧告するとか、党の処分を決めるとか、何かのアクションが必要なのではないか。所属議員は政党に「連座」しない、ということのようだ。橋本議員の献金疑惑では、自民党を批判していたのは民主党だ。所属議員が政党に「連座」していないなら、議員個人のみ非難すればよく、所属政党には何も言えまい。

民主党として行政訴訟で決着を図るという考えならば両議員とも係争させるべきであるし、連座を受け入れるならば両者とも辞職勧告とか除名とかの決定を下すべきであろう。政党のとるべき態度としては、あまりにおかしな話だ。

川端幹事長曰く「恣意的な法の運用をただす」ことを理由に、公職選挙法改正案を国会提出したようであるが、法的解釈が単に「恣意的」と思うならば元来の法に誤りがあるわけではないはずで、条文自体が正しいと思うならば改正する必要がなかろう。法的解釈を巡って提訴すべきことなのではありませんか?法とは元来そういう性格のものであって、いくら自分が「こんなことで罪にはならない」と考えたり、そんなこと「知らなかった」と言ってみてもダメなのである。行政法について以前から述べているように、法の解釈や運用というのは適用される側からみると、必ずしも納得できるものばかりではないことを少し考えてみるとよいでしょう。

民主党には最近幻滅させられっぱなしです。こんなに求心力が弱くて、内部の問題もきっちりカタをつけることもできず、党幹部や所属議員さんたちは焦点のずれた見当はずれなことばかり言うし、どうなっているの?大丈夫なの?
早くも昔みたいな野党根性が滲み込んでしまったの?

選挙運動の話に戻りますが、電話作戦は絶対やめてほしい。普段から商品やマンションや塾や「振り込め」詐欺やあれこれ電話がかかってくることに非常に腹立たしく思っています。選挙前にいちいち候補者から電話がきたら、それに輪をかけて酷くなるでしょう。各政党の候補者や、衆参同時選挙の時には、もう誰が誰だか分らないような状態で電話されたらもっと困ります。

発想が愚かしいんですよ、最初から。もっとお金かけないで選挙する方法とか、静かに有権者に理解してもらえる工夫をするとか、討論会を何度も開くとか、考えるべき選挙方法があるでしょう。法制化するなら、勧誘お断り電話番号の登録制を先にしてくれ、っての。アメリカとかにあるでしょ?選挙のお願い電話なんか法制化するよりよっぽど有意義だと思う。投票依頼の電話きたら、その候補者には絶対投票しないぞ!(全員だったら、棄権するしかないってこと?)


敢えて恥を忍んで、辞めずに責任を果たすことも場合によっては必要だが、「恋々とする」人々というのはどれも性状が似たり寄ったりなのか。日本の「桜」はきれいに散るものであるが、散り際の悪いサクラは、見せかけの本物ではないという「サクラ」ということなのだろう。
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医療制度改革6

2004年12月24日 03時05分44秒 | 社会保障問題
前の記事では医師の養成に必要な最低限のコストを確保するというものでした。
次に医療費の手術や処置等、検査、薬剤等の実質的な報酬に関する改革ですね。これをどのように改革すべきかが問題ですね。


まず前提となる考え方を説明します。

現在主な病院では、在院日数を短縮しベッドの回転率を上げるような方向へと変わってきています。それは厚生省(現厚生労働省)の方針で、長期入院を減らすということに沿って改善が試みられるようになってきました。診療報酬についても、昔は入院料に差がなかったのですが、現在では短期の方が高く、長期になるに従い入院料を減額するような仕組みに変わったのです。

また社会的入院と呼ばれていた長期入院を出来るだけ減らし(今は療養型という区分になっていたと思います)、また介護保険制度の導入によりコストの安い施設入所などに移行させるようにしてきました。

こうして長期入院は昔に比べて少なくなってきています。さらに医療機関側の努力もありました。一つは、手術などで体に大きな負担がかかっていたものが、内視鏡技術の進歩などの恩恵もあって、非常に侵襲度(体への負担が少ない)が少ない手術方法が普及したことです(前の記事にも書きましたが、医療過誤の問題となった腹腔鏡手術もその一つです)。これにより回復が早くなり退院が早まったことがあります。もう一つは診療行為の効率化です。

これは「クリティカル・パス」と呼ばれる手法を導入したことが大きな効果をもたらしたと考えられます。例えば胃ガン患者の手術について、入院日から退院日までの行動予定や診療スケジュール、手術後のリハビリまで細かに予定表を作成して、ほぼ定型的にこの予定表に沿って進めてゆくというものです。勿論患者の個人差がありますから、入院後に多少の調整が必要となることもありますが、概ねこの通りに進めていくと効率的に在院日数が短縮されたのです。

厚生労働省としてはこの考え方に必ずしも賛同してはおらず、患者ごとのバリエーションを求めているようですが、臨床をよく知らない人間が考える為なのか単なる無知によるのか分かりません。医療保険制度の根本的方針は「患者ごとに対応するので一様化を認めない」ということのようです。しかし、診療報酬については一部包括化が認められているようですから、部分的には一様化も容認している側面があり、実質的に矛盾があるようです。

クリティカルパスの導入は、在院日数の減少ばかりではなく患者満足度の向上が見られたようです。従って、医療分野の多くの部分で導入可能であり且つ効率化を図るのには適した考え方であると言えるのではないでしょうか。これを拡大して考えてみます。


以上のことを前提として考えてみると、標準化することが効率性や経済性、また患者満足度につながる可能性があると思われます。
よって、まず入院部門ばかりではなく外来部門も標準化を行います。これによって医療サービスの水準もある程度確保されると思われます。

通常、病気があるかその疑いがあって病院へ行きます。その時に診察等によって疑うべき病気がいくつか考えられますから、必要な検査を行い、いくつかの病気の候補を振り落として鑑別します。病気が判明したら(臨床診断がつく)、その治療法のうち現在の症状に合わせまた個人差などのいくつかの要素を考慮して薬剤投与や手術や入院治療…等々が選択、決定されます。これらの過程は分厚いマニュアルとして医学書などが売られています。この全ての過程を標準化するのです。厚生労働省では難病等の研究班が研究成果を公表したりしていますが、診断基準も標準化されていますし、治療法もいくつかのバリエーションがありますが、基本的考え方や治療法は標準化されているといえるでしょう。心電図の自動診断も、ほぼ標準化されたソフトによってあっという間に診断結果が出てきます(健診ではこれにより判定されていると考えられます。間違いや見落としも多少存在するようですが概ね正しい結果が出てくるようです)。


以前から記事に書いているように(「医療制度改革」シリーズを読んで下さい)、医療用統合情報ネットワークが構築されていれば、この標準化はそれ程困難な技術を伴うことはないのではないかとも思っています。主に主訴や症状などが不安定要素となるかもしれませんが、他の客観的データ(検査結果などですね)によって、標準化の区分(または場合分けのある部分)に該当するかが決まれば、それほど大きな治療方針の差が出にくくなるかもしれません(勿論手術するかしないかとかの選択は別に分けておく必要がありますが)。元のソフトを作る時に、治療に対する考え方の違いが出てくるかもしれません。そこについては、各学会を中心に標準化の作業を分担して行うべきでしょう。現時点で、例えば高血圧症の治療については、学会の治療指針のようなものや診断基準などが作成されていますから、実質的に標準化されている部分が多いとも言えるでしょう。

このように標準化された「クリティカルパス」に該当するものがあれば、その費用を支払うことでそれを超える費用については患者ごとの「バリエーション」として個人負担とすることも可能です。「私は標準化された方法以外に別なこの方法を選択したい」という人は、その対価を自己負担するということです。

薬剤についても、ジェネリック薬(後発薬品)がある薬剤はその費用を標準化のベースにすることで、同じ効果のコストの高い他の薬剤を使用した場合には超過分を全額自己負担とするのです。医療機関側は、患者負担が大きくなれば他の病院を選ぶ患者が多くなるかもしれないので、自己負担が少なくなるように必然的に配慮するようになるでしょう。標準化されていない治療法や薬剤を希望する場合には、標準化分の医療費を差し引いてそれ以外の部分について全額自己負担とします。混合診療の形に似ていますね。標準化以外の治療法はあらかじめ決まったパターンを認定しておくことにした方がよいでしょう。この範疇に入らないものについては全額自己負担(いわゆる自由診療です)とします。今の保険制度の複雑な算定方法を簡略化でき、医療費総額の抑制がある程度可能になり、患者は自己負担の制約を受けるものの選択範囲は広がります。

この他、医療機関ごと、または診療科ごとに加算する部分も設けます。現在も特定機能病院など指定を受けている病院は費用が異なっていますね。それに近い考え方です。例えば高度先進医療に該当するような治療を行っている専門的な医療機関については、その診療科に実施実績に応じて加算金を支払います。また心臓バイパス手術や腹腔鏡手術などについても、指導できる専門的医師がいて実施実績があればその実績に応じて加算金を支払います(特定のものについてあらかじめ決めておきます)。このようにすることで、高度な技術をもつ医療機関は有利な面ができますし、そこで修行する医師が存在してもそのコストを捻出できるようになるでしょう。治療成績については公表するような方向がよいと思います。

医療機関の機能の相違についてのコストを、利用者が支払うという考え方をやめるということになります。現在救急指定病院や小児救急等についても補助金の交付があると思いますが、一度補助金についても整理して、医療機関コストは先に述べたような加算金もあわせて適正に分配する必要があると思います。


また、医師が一人とか少数の小規模医療機関は経営的に苦しくなる可能性がありますが、検査等については大きな病院の施設に検査のみの依頼ができるように(初診料とかがなく、単に検査のみ行う)することや(医療情報はネットワークで共有できているので比較的容易であると思います)、標準化コストの患者自己負担率の割引をするとかでしょうか。家庭医的役割としての存在(今のかかりつけ医ですね)を想定するならば、初期診断技術が高ければよく、風邪とか特別高度な治療を必要としないような慢性疾患については大病院に行く必要がないという認識が浸透するように、患者自己負担を減らすことでバランスをとるようにします。

あちこちに検査器機を導入しなければ、一箇所当たりの検査器機の使用回数が増やせるので、医療資源としての無駄が少なくなります。検査技師さんのコストもペイしやすくなるかもしれません。高額な検査器機のコストは先の医療機関コストの補助金によって賄えるようになると思います。


ちょっと複雑な説明となったかもしれません。まずは、標準化をおこなうこと、そしてこれに基づいて診療報酬を支払うことにより、かなりコストの低減が図れると思います。

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