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首相の靖国参拝違憲判決

2005年09月30日 17時25分48秒 | 法関係
小泉さんは国会答弁で「何故違憲と判断するのか理解に苦しむ」旨、発言したようですね。これも総理としてはいかがなものかと思われます。それは、政教分離原則を侵す可能性が高いという司法判断だと思います。どうしても「それは違憲ではない」という主張を続けるのであれば、最高裁での判断を仰ぐということになると思いますが、国がどのような対応を予定しているのかは不明です。

asahi.com: 「首相の靖国参拝は違憲」大阪高裁判決、賠償は認めず - 社会


裁判所の判断が出されたのですから、「司法判断を十分検討し、今後誤解を招かないように慎重に行動する」とか、「公務との峻別を明確にして、小泉純一郎自身として参拝したい」とか、普通に答えられるでしょう。司法判断について、行政府の長がそれをないがしろにするような発言は控えるべきです。漆間警察庁長官の発言のように、はっきり言えば行政府は司法を「舐めて」いますよ。司法権限は行政府に及ぶ権限なのですから、司法判断が出されたのにもかかわらず、それを無視するような行為や行政権行使は当然否定されるべきではないかと思います。それだけ重い権限が司法にはあるはずです。行政庁の権限行使の歯止めとして司法権限が存在します。行政庁の処分等について違憲性を司法が判断するのですから、その判断は尊重されて当たり前です。この原則が崩されてしまっては、行政庁の勝手な権限行使を止められません。


小泉さんもそういう立場にあることを踏まえて、「理解に苦しむ」などという発言は控えるべきです。タダでさえ日本の司法権は、内閣が最高裁判事の人事権を持つ為に、行政庁寄りの判断が多く行政に対して弱いと思われているのですから。そういう背景も考慮して、司法権に介入の意図がないとしても、総理大臣として慎重な発言が求められることは言うまでもありません。


都道府県知事の持つ都道府県警への予算執行権限やそれに伴う調査権は、司法によって「有効」とされたのですから、いつまでも知事に「会計書類」をマスキングしないと見せられない、などというバカなことは止めるべきです。それが司法判断なのですから。同じように、総理大臣の公務としての靖国参拝は「違憲」なのですよ。そういう司法判断が出されたのですから、それぞれ従わなければなりませんよ。一般人が裁判所判決に背いて勝手な自己解釈に基づいて行為を行うことが許されるますか?普通は有り得ないでしょ?判決に従え、ってことにルールが決められているでしょ?ならば、きちんと司法判断に従うべきです。



話題シリーズ9

2005年09月29日 23時11分49秒 | 社会全般
1)阪神優勝

えらく大騒ぎになったようですね、いつものことながら(笑)。
それにしてもジャイアンツはふがいない。死ぬ気で眼前の胴上げは阻止しなければならなかった。岡田監督は二軍時代から監督としての才能があったのかもしれんな。ジャイアンツの監督も、二軍監督で鍛えてから一軍監督にしたら?

MVPは「アニキ」だろう、やっぱり。今岡も惜しいが、若いしまだチャンスがある。「アニキ」は精神的支柱として大きかっただろう、多分。そういう意味でも金本に決まりだな。後は、JFKの評価も高いだろうけど、MVPはちと厳しいだろう。

井川は後半甘くなったから、日本シリーズが心配だろうな。残り試合で、調整しなおししないと、2戦とも降板する羽目になるだろう。興味ないチームだから、どうでもいいけど。


2)新聞取材

実は「スポーツ報知」の記者さんから取材申し込みがあって、昨日その取材を受けました。わざわざ東京から来てくれて、申し訳なく思いました。私は地方在住ですから、遠い所を来て貰って・・・ご苦労さまでした。

実際に新聞に掲載されるのはいつになるか分かりませんが、阪神優勝の為、延期されるかもしれませんね(笑)。

公募の記事が目に留まったということのようで、恥ずかしながらブログの記事も多少興味を引いて頂けるんだな、と思いました。


3)政治資金

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 旧橋本派の政治資金、15億円が“行方不明”に

先日のタイゾウ君の会見で記者から質問が出ていましたが、「政治とカネ」問題の典型ですね。旧橋本派の使途不明金15億円は、どこかに消えてしまったということのようです。毒まんじゅう村岡さんの裁判でもそうですが、「知らない」「憶えてない」「記憶に無い」「会計担当者しか知らない」という通り一遍の答えで済まされるというのが、収支報告書ということのようです。国民が信頼できる政治からは程遠いですね。

政治資金規正法の話も前に書いた(政治資金規正法はザル法だ)のですけれども、何だか虚しいですね。結局「よく分からなかった」というコメントで済まされるんですから、何の為の法なのかと思いますね。津島さんも、もっとしっかり詫びを入れろよ。こんな責任の取り方が許されるということのようです。

単なる「無責任政治」です。



定率減税廃止論議

2005年09月28日 23時33分55秒 | 経済関連
選挙前からこれは焦点になっていて、何となく財務省サイドや政府税調は「廃止」に傾いていた。与党だって、選挙公示前からきちんと説明するべき、と言った(選挙と政治5)のに、今更「廃止します」じゃ理解を得られんだろ。去年の年金改革の強硬採決みたいなもんだよ。財源も見えてないくせに、改革プランを推し進めた責任はとるべきだ。いつもながら無責任な、「後で国民負担を重くして掠め取る」という改革案では、その場しのぎのいい加減な政策ってことだ。厚生労働省も財務省も、明確な財源も思いつかないくせに、2分の1引き上げを謳ったのだから、責任を取るべきだろ。前から書いているように、財源不足だから増税ってのは、バカでも出来るっての。そんなの、頭を使わなくても誰でも思いつくだろうが。


武部さんも発言の後に、訂正会見まで開いて説明し直したのだから、その責任を負うのが当然です。「19年度を目処に・・・」っていういつもの曖昧な表現なのだから、今年は無理だろ。その前にやれることをまずやって、成果を国民に示してからだな。選挙終了後にいきなり「やっぱり税負担を重くします」なんていうのは、裏切り行為だ。国民を欺いているだけ。とんでもない詭弁を弄するのはいい加減にしたまえ。政府税調の「サラリーマン増税」には反対と言ったけれど、定率減税廃止はそれと違う、なんていう詭弁はやめろ、ということだ。


どうしても財源を必要とするなら、まず特別会計の整理をつけろ。1%で2兆円浮く。定率減税を出すならば、まずそれを上回る成果を出してからだろ?2~5%くらいは削減できるだろ?特別会計の5%をうまく遣り繰りできれば、10兆円を他に回せるだろうが。手分けして、各会計からそれを見つけ出せ、っての。30くらいあるから、一つ当たり平均で1000億円ずつ減らせばいいだろ?それでも3兆円の財源が確保されるだろ。なんでそれくらい出来ないんだ?

「道路財源をやる」って小泉さんは言ったから、それだけで国債整理基金特別会計に5千億円以上回せるだろ?残りは、2兆5千億円だ。可能だろ?与党の国会議員10人一組(閣僚は除いてもいいよ)くらいのチームを作って、一組ずつ特別会計を割り当てて全てチェックさせ、一組が1000億円程度削減すればよい。何の為に、財務省官僚や首相秘書官などを担ぎ出して候補者に擁立したのだ?行政を、そして霞ヶ関を、よく知っている人間だからだろう?何処を削ることができるか、素人などと違って「よく知っている」からなんじゃないのか?


今日の読売朝刊に出てた労働局の不正経理は全国に蔓延していたそうじゃないか。やっぱり厚生労働省は本当に腐りきってるな。思った通り、兵庫だけではなかっただろう?全国どこでもなんですよ、お役所ってのは。本当に腐れ根性が染み付いて、公金を自分の懐に入れる輩が、全国くまなく存在するのですよ。これも言った通りだったでしょ?


で、道路財源で最低5000億円はいけるから、他が少なくても済むぞ?総額の少ない部門もあるだろうから、全部が1千億円は無理かもしれんが。だがね、民間の会計士とか政府に呼ばれるような経営者などがきっちり財政状況を調べれば、無駄がいくらでも出てきても不思議ではないだろうね。労働保険特別会計も、バッサリ行けるだろ?総額も4兆円規模と大きいし、2.5%切れば1千億円だ。倍くらいやっても大丈夫なんじゃないのか?国債整理基金に2千億円上積みして繰入出来るはずだ。これも必ずやれ。何故なら、労働保険を貪り、食い尽くしてきた連中がごっそりいるはずだからだ。それは、労働局の不正を見たって明らかだ。公務員もそうだし、独立行政法人や公益法人に天下った連中も一緒になって、ありとあらゆるタカリを続けてきたのですよ、何十年にも渡って。こういうのを止めさせるために、国民が政治力を与えたのですから、ここにメスを入れ5%くらいは楽にカットできるはずだ。


こうやって、1チームが1千億円ずつ目標を達成すれば、3兆円捻出出来ますから。道路財源だって、入札が2割減少すればもっと余るだろうな。まあ、今はとりあえず5千億円、労働保険で2千億円、行けますから。残りは28チーム合計で、2兆3千億円だよ。かなり楽になったでしょ?平均820億円くらいでも済むんだから。こうやって削るのが先決だっての。そういう結果を出せ。優秀な国会議員さんが10人もいれば、1人80億円くらい見つけりゃ済むんだから。財務省官僚も協力してそれをやれ。何なら、諮問会議の経済学者達に知恵を借りたまえ。財政審も力を貸してあげたまえ。あちこちのありとあらゆる帳簿をひっくり返して、税務署の職員とか検査院職員になったつもりで、穴があくほど調べれば、必ず見つけられる。これくらい出来るだろう?10人以上もいれば。


これで一般会計に手を付けずに一般会計からの繰入を3兆円減らせる。国債償還財源が3兆円分楽になりますから。そういう姿勢でやりたまえ。三位一体も着実に進められれば、そこでも大きく浮かせられるはずだ。まず、こういう努力をするべきだ。抵抗する連中がいれば、全て情報を公開すればいいのです。誰が何に反対してるか。反対意見がまっとうなものであれば、必ず議論になるはずです。国民の意見も分かれるかもしれません。そういう声を聞いて、最終判断をどうするか、政治的な解決策を模索することになるはずです。或いは、審議会等の意見なども聞いた上で、判断するということになるんじゃありませんか?それもやらずに、ただ「国民負担を増やします」じゃ、理解は得られない。



国の債務超過額

2005年09月27日 22時06分01秒 | 経済関連
財務省は連結貸借対照表を発表した。今日の読売朝刊に出ていました。一般会計のみと連結会計での債務超過額が記事になっていました。それによれば、一般会計の債務超過は約289兆円、特別会計等を含めた連結会計では債務超過が約241兆円とのことであった。

これも怪しい評価と言えるだろうな。固定資産が多ければ、評価額が実質的に高く評価されているだろうし、現金化する時に道路とかを買う人は殆どいないしね(笑)。元々談合などでバカ高い金額で取得したものが、実質的な価値はもっと低いに決まっているだろうと思うし。色々なやくざなハコモノも大量にあるだろう。だから、連結会計になれば50兆円もの資産価値が増えることなんて、到底信じられないね。単なる貸借対照表は債務残高に対する恐怖心を多少緩和させる、という「おめでたい効果」があるくらいなものだろう。


前に示した(特殊法人の不良債権額の推測?2)独立行政法人だっていい加減な資産評価だったじゃないか。雇用・能力開発機構の持っていた固定資産、「能力開発・雇用福祉事業資産」は1兆1400億円以上の「評価額」があったんじゃないのか?オイ。なのに、独法化した途端に、エライ目減りの仕方だったのは何故だ?3650億円は何処に消えたのだ?何故資産が大幅に減少したのか?「固定資産」なのに煙に消えたとでも?(爆)人を騙すのは簡単だ。何故なら、こうした特殊法人等は民間なみに会計検査など受けないからだ。一般企業の監査の公正さを問題にすることも分るが、まず公的部門の監査をきっちりやったらどうだ?


今回の財務省の貸借対照表が信用できないのは、こうしたトリックを隠せばいくらでも債務の圧縮が可能だからだ。財務省を責めてるわけではないが、持ってきた数値が各省から提出されたものだろうから、これらを一件ごとに監査などしてないだろう?出された数字を鵜呑みにするだけ。まあ、それはそれで仕方がないのかもしれないが。役所仕事だから。ですが、こうした報道で、「連結資産が840兆円」とあっても、国にそれだけの資産が本当にあるとは思わない方が無難ですね。前にも書いたように、資産を売却する場合には大抵目減りするし、借金返済に専ら役立つのはなんと言っても金融資産です。なので、以前記事に書いたSNAベース(郵政と財投と周辺組織の問題2)で借金を捉える方が現実的だっての。しかも悲しい事に、自治体や特殊法人等への貸付金というのはそれを清算したところで政府には金が戻ってこないだけです。これも結構困るのですね。債務超過の法人を処理すると、国の巨額損失が明らかになるのと、被害額が膨らむことが確定するだけなのですよ。でも清算しなければ、簿価としては国の債権(=国の資産)として保たれている、一応。だが、実質破綻先と同じだけれども。破綻処理せずに、「追い貸」してるのと全く同じ。

大体、そういう予想がつきますね。


なので、「連結で国の債務超過が240兆円に減少して良かったね」などとは思えるはずもなく、普通の感覚では「とっくの昔に倒産してるな」という悲しい認識だけ。財務省は、国会質疑で指摘された「土居・星ペーパー」(参考:特殊法人の不良債権額の推測?)への答えも出してないだろ。財政審もさ、人数ばっかり多くて、無駄に頭数ばかり揃えてないで、まずは特殊法人等の中央省庁部門以外の不良債権額をきっちり計算させてみるとか出来るだろう?建議を出すのは結構だが、基礎的データをまず出して、一部学者達が言ってる財務状況が果たして妥当性が高いのか、検討とか出来るだろう?国会で質問が出された論文なのに、それに満足に答えられないんじゃ、話にならんだろう?何の為に審議会と称して、学者や経営実務のエキスパートやその他財政専門家達がこれほど集まっているんだ?普通、どこの会社だって「数字を出せ、帳簿見せろ」だろ?経営状態を数字で見ないで何で見るんだ?帳簿を見ないでどうするの?財務を扱うってのに、正確な数字なしで、将来の予定とかをどうやって決めるのだ?どういう経営再建計画を出せるというのだ?UFJ銀行の金融庁検査はもっと厳密で厳しかっただろう?なのに、何故公的機関にはそれが同じように出来ないんだ?


今まで、何をやってきたんだ?監査をするべき人間は正しく監査をしてない。一体全体どういうことだ?民間経営者なら、取締役や監事は経営責任や監査責任を問われるだろ?だが、特殊法人等では問われない。監事もごっそり給与や退職金を引き抜いていくだけで、まともな監査なんてやってこなかったんじゃないのか?会計検査院も監督省庁も財務省も、まともに監査してこなかったろう?誰も責任を問われないのが行政なんですよ。こりゃ、楽でしょうがない。帳簿を見なくとも、ハンコだけポンで、それでいいんだそうだ。それが、1500万円位の給料が貰える、高価なハンコなんだそうだ。バカバカしい。


財務省の諸君、今年の初め頃に、国家公務員共済組合連合会について幾つか質問をしたが、途中で答えることを止めてメールを返信してこなくなっただろ?都合の悪い質問には、こちらを無視しただろう?しかも「本省に来い」と言ったな?全国には遠くに住んでいる人も多いのに、皆が本省まで行けるわけないだろ。そうした対応を受けた国民がどういう思いなのか、君らには分るまい。国民をないがしろにする態度や、愚弄している姿勢が滲み出てるぞ。少しは心を入れ替えろ。



財務省は深く反省したまえ。国民の為に仕事をしていない連中が多すぎるんですよ。自分達の為に仕事をやってるんですよ、諸君は。いかにも「国家財政を・・・」って思っている積もりかもしれんが、それは結局自分の為にやっていて、国民のことなんかこれっぽちも考えていないんですよ。国民のことが思い浮かんだりはしないんですよ、君達は。あるのは、目の前にある数字と、「自分の仕事」という感覚だけ。そうじゃなけりゃ、もっとまともな仕事ができたはずだ。


だがな、「天下りを断固なくすな」派の事務次官を筆頭に、君達がしがみついてた「国家公務員共済」は「風前の灯火」になったな。地方公務員共済と統合されるばかりではなく、一元化への軌道にどうやら入ったようだ。残念だったな(笑)。


自らの権益を守ろうとする前に、いかにいい仕事をするか、国の為になる仕事がどうやったら出来るか、よく考えてみるべきだ。仕事で結果を出せ。



日本人を誇りにしてはいけないか―小倉弁護士への反論

2005年09月26日 13時52分43秒 | 俺のそれ
小倉先生からTB頂きました。前に私がTBを送ったのですが、文字化けして(理由は不明です)、その為か削除されてしまいました。なので今回も化けてしまうかもしれません。

参考記事:
日本人を誇りにしてはいけないか
右翼化する時代


小倉先生は次のようなご意見を寄せて下さいました(一部抜粋しました)。
続・○○人であることを誇りに思う人々

「いい国つくろう」とするのであれば、彼らに対し、周辺諸国や国内マイノリティの欠点や問題点を探し回りこれをあげつらって溜飲を下げている暇があったら、具体的に人々をより幸せにする何かを達成するために日々努力し、あるいは大人になったときに具体的に人々をより幸せにする何かを達成することができるよう今のうちからしっかり勉強しなさいと諭すべきなのではないかと思います。ネット上で周辺諸国や国内マイノリティを侮蔑するのに必死な人々は、ひょっとしたら主観的には自らを「愛国者」と位置づけているのかもしれないですが、彼らのそのような行為は「お国のために」何の役にも立っていないのですから(むしろ、民族差別ないし憎悪が広く行われているとして、日本の国際的評価を引き下げることに貢献しているといえるかもしれません。)。


ネット上で一部に散見される攻撃的なコメントや周辺諸国ないし国内マイノリティなどに向けられた侮蔑をなくしていくことに、私もやぶさかではありませんが、具体的に「君達の思想信条は間違っているので、それを改めるように」と啓蒙して回ることは出来ません。また、「○○人であることを誇りに思う」ことに対して、それを誇りに思うことは大きな勘違いであり、そういう思考も止めなさい、とは申せません。それはまるで、「○○人であることを誇りに思う」ことを当然としてそういう思考をしなければならない、と言うことと同じような気もします。


仮にある父親が「わが息子を誇りに思う」という人がいる場合、息子を誇りにしたところで父親が何かを成し遂げたものでもなく父親の能力を担保するものではないし、全くの他人から見れば「何故あんな息子を誇りにするのか」という評価であるかもしれないですが、それでも父親に「息子を誇りにすることを止めなさい」ということを求めることが必要なのでしょうか?例えがややずれてるかもしれませんけれども、他人の「~を誇りに思う」という感情に対して、そういう思考を止めなさい、という要求を出すことは、特別必要なこととも思えません。別に例の父親が息子を誇りに思うことが、父親や息子にとっても、また他人にとっても大きなマイナスを生ずるとも思えません。そのような思考に対して「止めるべき」というのと、「するべき」という要求をすることは、同じなのではないですか?と思うのです。


日本人であることを誇りに思うことは、それ程悪い事なのでしょうか?赤の他人から「その思考を止めるべき」などという教訓を与えられるべき事柄なのでしょうか?少なくとも、私はそうは思いません。誇りに思う人が増えて欲しい、そういう国になって欲しい、と願っています。


小倉先生が前の記事で触れられておられましたが、教育基本法について、その内容に「愛国心」という語句を含むかどうかという問題を取り上げて、そのような条文を入れることに「反対である」という、単に立場の表明であるならば理解は可能です。しかし、単なる個人的感情―「○○人であることを誇りに思う」こと―を、その考えは止めるべきであり右傾化に過ぎない、という総括された結論に疑問を感じるのです。止めるべき、というのは、持つべきというのと同様な強要に過ぎないと思います。


私がコメント欄で述べた次のことについても、現実離れし過ぎとの評価を頂きました。

『日本の文化を大切にする心を知れば、当然異文化に対しても同じように敬意を持って接することができるのではないか、とも考えております。根本にあるのは、他者への尊敬であり、価値観の多様性を認め尊重することだろうと思います。』

私は、家庭教育において本来達成されるべき事柄であると思っておりますが、学校教育の中においても日本の文化について教えたり、異文化に触れたりする機会があるだろうと思いますから、そのような中での教育によって、ある種の「イジメ」と似たような異民族やマイノリティへの侮蔑によって自らの溜飲を下げる行為を減少させられるのではないか、と思っています。私は現実に教育者でもなければ、教育現場をよく知る立場にある訳でもありませんが、学校でのイジメは中々なくならないし、大人社会の中にだって存在するだろうと推測しています。それに加担する人々は、上に述べたような思考を持たないか、あっても認識が非常に希薄であるとか、そういう根本的原因があるのではないだろうか、と考えています。「イジメを根絶しよう」ということで、「イジメはするな」ということをいくら言ってみたところで、加担する人々がいなくなっていないでしょう。それと同じで、「異民族やマイノリティに対して侮蔑を止めろ」と如何に説いて回ったところで、解決には至らないのではないかと思います。


少なくとも、「侮蔑は止めろ」などということは、本来ネット上で赤の他人から教わるべきことでもないでしょうし、「○○人であることを誇りに思う」ことも取り立てて非難するべきことでもないでしょう。ましてや、「○○人であることを誇りに思う」ことを、小倉先生が分類するような理屈だけで議論するというのは、一方的な決め付けに過ぎないと言わざるを得ないでしょう。その分類とは、次のようなものです。

①「惨めな現状から目を背けるための麻薬」
②「何かを指し遂げたことではなく「○○人であること」で誇りを持ててしまう、お手軽な自尊心維持方法」
③「自分の属性が一般に広く侮蔑されている場合に、これに対する精神的な対抗手段として「○○であることを誇りに思う」とあえて表明するということはしばしばありますから、「○○人であることを誇りに思う」としている人々は、「○○人である」ということによって広く一般に侮蔑されているという認識を有しているのかもしれません(これは、「弱者」の側が行うときには有効なのですが、「強者」の側が行うと非常に鼻持ちならないです。)。」


また、政治的な背景から次のようにも述べています。
「これから日本政府が推し進めようとしている新自由主義経済のもとでは、貧富の差が絶望的なまでに拡大し、しかもその貧富の差はほとんどの場合世襲されていくことが予想されます(といいますか、既にかなりそうなっていますね。)から、そういう社会においても貧困層が自尊心を失わないで済むように「日本人であることに誇りを持つ」ことを推奨するというのはあり得る」


小倉先生が仰るように、自分が自分を褒めてあげられる程「俺はこれを成し遂げた」と自己評価したところで、それが何の客観性もなければ、その人の能力や成果を示すことではないことは当然で、全くの他人から見れば、「そんなことを誇ってどうするのか」という程度のものも有り得る訳です。そんなことを他人から評価されたいのでしょうか?「~を誇りに思う」というのは、個人感情の発露であって、特別に他人から「そういう評価はいい」とか「その評価は間違いだ」などと言われる筋合いのものではないでしょう。上の例に挙げた、父親が息子を誇りに思うことだってそうです。そんなことに口出しされるのは、はっきり言えば大きなお世話なのです。


「東大卒を誇りに思う」という人がいたら、それはそれでいいと思いますが、他人から「それを誇るのは鼻持ちならない」とか「そんなことを誇りに思うのは間違い」とか、他人にいちいち言う方がオカシイと思いますが。「警官であることを誇りに思う」と表明したら、「お手軽な自尊心維持方法だね」などと言うのでしょうか?「日本人であることを誇りに思う」とブログに書いたら、「それはあなたが貧困層であり侮蔑される対象だからで、麻薬中毒に過ぎないのです。だから誇るのを止めなさい」などと、その人に向かって説教するのでしょうか?私には、そのような考え方は理解できるものではありません。



北朝鮮の求めるもの

2005年09月25日 16時03分32秒 | 外交問題
タダの「形作り」と思われていますが、六カ国協議には一応の成果が得られたということになっています。米国はそれなりに、北朝鮮も「軽水炉」提供の語句を盛り込むことに成功したと考えているでしょう。日本にとっては、大きな進展ということはなかったものの、家族会の理解が多少は得られるものとなったことで、こちらもそれなりの成果と言えるかもしれません。経済制裁の要求圧力は若干ながら弱められたでしょう。


米国と北朝鮮の言い分は、まるで日本の党首討論の時と非常に似ていました(国会空洞化現象)。それは年金改革に関して、小泉さんが「民主党がテーブルにつけば、一元化・納税者番号導入も検討する可能性はある」と言い、当時の民主党岡田代表は、「一元化・納税者番号導入を認めるならば、席につく」という主張を繰り返したのですが、これと本当に似た状況だな、と思いました。


米国は「核・ミサイル放棄なら、軽水炉提供を考慮してもよい」と言い、北朝鮮は「軽水炉提供なら、核・ミサイル放棄をしてもよい」という主張をしており、この議論は堂々巡りに終わることは、先の党首討論の例でも分る通りです。どちらかが譲歩するか、先決事項を確定しない限り、交渉が進展することは有り得ないのです。米国が北朝鮮の要求を先に呑むことは有り得ないだろうと思います。北朝鮮は、中国の出方を見ながら、米国の主張をかわす方法を新たに考えるか、交渉拒否を続ける道を選択することも可能です。北朝鮮にとっては体制維持が最優先であり、軽水炉を手に入れることの重要性などは低次元の問題だからです。エネルギー供給というのも、別に軽水炉に頼る必要性などある訳でもないでしょう。


北朝鮮の立場に立つとすれば、核ミサイル放棄ということの代わりになる、いわば「人質」が必要なだけです。核兵器を失ったとしても、北朝鮮国内に原子炉が存在するならば、その破壊やメルトダウンは十分な脅迫になり得るからだろうと思います。韓国や中国はえらい迷惑な話でしょうけれども、もしも核ミサイルを放棄して軽水炉を手に入れれば、「どこら辺に建設・設置するか」によって、脅威の程度が変わろうというものです。韓国国境寄りに設置され、万が一原子炉が破壊され放射能の広範な汚染地域ができてしまえば、立入禁止区域が朝鮮半島に誕生するだけです。その時に韓国がどの程度の被害を被るのか、ということだろうと思います。これが中国国境寄りに設置されれば、それはそれで中国が被害を被る立場ということになるかもしれません。つまりは、北朝鮮国内に常時置いてある「人質」みたいなものなのです。北朝鮮の狙いは、多分そういう意味なのではないか、と考えます。


朝鮮半島での軍事的緊張が高まったとして、米国が実際に北朝鮮に対して戦術核兵器を使用するかというと、まずないでしょう。当然核を用いずとも、旧式のガラクタ兵器しか持たない北朝鮮の貧弱な施設・設備では、通常兵器の攻撃でも十分な可能性が高いのではないかと思っています。ただ、北朝鮮のミサイル発射が全弾防げるかどうかは不明ですので、一部戦術ミサイルは発射されてしまうかもしれません。その着弾地点が韓国なのか日本なのかは、はっきりとわかりませんけれども。米国にしてみれば、先制攻撃によってミサイル発射可能地点を破壊できれば、特別核兵器を使用するという作戦を選択することもないのです。極々稀なケースとして、戦術核のオプションは考慮しているのかもしれませんが。


従って、北朝鮮が軽水炉を欲しがるという目的は、ただ一つ、「原子炉」という人質を国内にとっておく、ということ以外に有り得ないだろう、というのが結論です。米国はその目的を知っているでしょうから、先にそれに応じることは有り得ません。また、仮に北朝鮮が核ミサイル放棄に応じたとしても、原子炉提供は六カ国協議の中で「reject」とされる可能性が高いでしょう。よって、米国は北朝鮮の対応には無関係に、「軽水炉提供」という案を採用することは有り得ない、ということです。


北朝鮮は、これを考えれば、核ミサイルを放棄してもしなくとも軽水炉は手に入らないのですから、核ミサイルを放棄することはないでしょう。よって、双方ともに現状からの進展は得られず、北朝鮮が時々「ごねる」、米国や中国が「あやす」、韓国は北朝鮮が暴れたりしないように「何かプレゼントをする」という構図になってしまいます。ロシアは、米国の思惑を外すことが出来れば何でもよく、朝鮮半島や日本の安全保障に関しては、「お前ら、勝手に打ち合え」ってな具合でしょうか。


映画にありがちな緊迫したシーンで言えば、

人質を取った犯人が「アタッシュケースをこちらによこせ!」
ヒーロー刑事が「早まるな、人質を撃ったら、お前は死ぬぞ。まず人質を放せ」
犯人「ケースが先だ!」
刑事「人質が先だ」
犯人「ケースを渡さないと、本当に撃つぞ!」
刑事「撃てるもんなら撃ってみろ。お前を撃ち殺す」
犯人「本気だぞ」
刑事「分った、落ち着け」
犯人「だったら、ケースをよこせ!」
刑事「ケースを渡しても、お前は人質を放さないだろう」
犯人「・・・本当に撃つぞ」
刑事「やれるものなら撃て。その代わりお前は死ぬ」
犯人「ケースをくれたら、解放する」
刑事「人質解放が先だ、放せばケースを渡す」
犯人「先に解放したら、お前は撃ってくるだろ」
刑事「撃たないから、人質を放せ」
犯人「そんなの信じられるか、ケースをよこせ」
刑事「人質を放さないと今度は本当に撃つぞ」
犯人「ふん、撃てるわけない。ケースを渡せ」
・・・・・・

と言う具合に無限に続けられますね。この交渉は、人質(核ミサイル)が先か、アタッシュケース(軽水炉)が先か、というのが問題となり、どちらかが一方の要求を呑まない限り、永遠に終わりがないのです(笑)。刑事(米国)はケースを渡せば、人質と両方を手に入れられる可能性があって応じられないし、犯人(北朝鮮)は人質を放せば、ケースをくれるどころか撃ち殺されるかもしれない、と疑心暗鬼を抱くに決まっていますね。特に米国のような「バイオレンスデカ」は他でも犯人に乱射して犯人射殺を躊躇わない(イラン・イラクを見ればそう思うでしょう)という前科が既にあるわけですから、これを信じろと言われても中々信じられないでしょうけれども。


ということで、睨み合いを当面続けるしかない、という双方とも「すくみ状態」にあると言えるでしょう。北朝鮮が緩やかな体制解除などという道を選択するとは思えませんね。なので、今の所、六カ国協議の枠組みでは、事態の進展はない訳で、唯一残ったのは犯人と刑事を結ぶ、交渉の為の「電話線」という程度でしょうか。とりあえず、どちらも電話を切らないでおこう、という程度の合意しかないでしょう。


日本の立場は微妙でして、刑事と犯人が交渉している合間を縫って、犯人が欲しがる「アタッシュケース」以外の交渉材料を提示しなくてはいけないし、日本としては「拉致被害者」という、刑事と犯人双方の交渉材料とは当面無関係なものを要求しなければならないのですから。上の例で言えば、犯人が隠し持っている「渡したくないもの」を日本に渡せ、と刑事の背後から要求しているようなものです。この交渉を続けることは、結構難しいのです。


解決が難しい問題を後回しにして、北朝鮮の態度を変えさせるには、「罰を与える」か「褒美を与える」のいずれかしかないと思います。どちらの選択肢を用いるか、というのは外交戦略にかかっています。大体「褒美を与える」では効果が期待できないということも予想がつく訳です。もしも、それに応じるとなればとっくに解決しているでしょうね。罰を与えるのは勇気がいるのと、他のメンバー(米中露韓)が嫌な顔をするのが困るところです。ですが、六カ国協議が一定の成果を挙げてしまった後では、恐らく北朝鮮は応じてはこないだろうと思いますね。


なので、「人質」と「アタッシュケース」の膠着状態を見ながら、北朝鮮が交渉から降りそうにならない限り、「拉致問題、人道問題」を”大きな問題”として国際社会にアピールするしかないでしょうね。その為には強い態度でも止むを得ないかな、と。



社会保障改革の文献的考察

2005年09月24日 15時42分59秒 | 社会保障問題
私のような経済素人が、経済学者を3人も擁する経済財政諮問会議に難癖をつけると思われても困るのですが、どうしても基本的考え方に同意できない部分があります。まず年金問題の解決を本格的に考慮するべき、ということを度々申し上げてきましたが、ここを変えなければ税制とも一体的に取り組めないのではないでしょうか。ここを棚上げした状態でありながら、医療費総額のマクロ経済指標導入に意欲を燃やす、というもの納得が行きません。解決するべき道筋は、他にもあると考えるからです。諮問会議や内閣府は十分否定できる論証を行うべきです。これは論理的政策論争ですので、単に抵抗勢力がどうのこうの、という話ではないこともご理解頂けるものと思います。


年金財源を消費税にすることの経済学的評価はどうなのか、というのは、以前にも記事に取り上げました。経済財政諮問会議の基本的考え方は、EBPM(Evidenced based policy making)でありましょうから、政策決定過程の透明性確保と合わせて、政策決定が単なるレントシーカーの影響とか行政サイドの独善的判断ではないことが明示される必要があります。その意味において、社会保障改革についても、政策決定の正当性を担保する基本理論は重要視されるべきです。諮問会議の示した基本方針に対する反論があれば、それについての反証や説得的説明が求められるのは当然であろうかと思います。


年金一元化によって、公務員の特権的受給権や制度間格差はなくなりますし、国民年金未納問題も消滅します。全く年金保険料を払わないで過してきた人々に対する将来時点での生活保護費用支給という代用年金と同等の制度による未納者と既納者との不公平をなくせます。また、未払い保険料回収費用(これは恐らく年間で何十億円かの規模で使われているはずでしょう)も無くすことができます。


紹介記事:
「破局のスパイラル」(追記後)
経済学は難しい9


ここで、上の記事中で紹介した、いくつかの文献を再び挙げてみたいと思います。これらの参考記事を書いた時には、出典を明らかに示していませんでした。何故なら、内閣府の研究所というものがどのような位置付けになっており、何の為の行政機関における研究であるのか、ということを問いたかったからです。行政担当ならば、行政機関内で行われる研究を政策へ反映するという基本的姿勢が求められるのが当然と考えましたし、ましてや行政府の「頭脳」「司令塔」の役割を果たすべく内閣府でありながら、自らの所管である経済社会総合研究所の研究成果を単に放置していることが疑問に思えたのです。そのことについても記事に書いてきました。


①ESRI DPS No.95「年金負担は誰がするべきか?」(島澤、2004)

現行制度での年金受給世代や既に年金負担を行っている世代の効用水準を低下させはするものの、経済活性化と将来世代の効用水準を増加させる、という報告です。つまり、年金財源を消費税に求めた場合には経済拡張的に作用し、既にかなり積みあがった国の債務(将来世代の負担)を考えあわせると、将来世代の年金部分での効用水準増加は世代間のバランスを大きく失するものではないと思われます。

著者も指摘している通り、このシミュレーションはあくまで思考実験的な意味合いということもあって、一概に政策決定の絶対的基準とはなり得ないでしょうけれども、逆に昨年の年金改革案についての政策決定の論拠(何かのpaperでよいでしょう)を明示するか、島澤paperを否定する論拠若しくはこれよりも明らかに有利となるような理論を提示するべきです。そうでなければ、何をもって昨年の年金改革案を決定できたのですか?旧制度を上回る有利な点が理論的に証明されないのに、全くの「勘」で決めたとでも?他のプランを選択しなかった思考過程は、どのような論理性を持っていたのでしょうか?

少なくとも経団連、経済同友会のいずれのシンクタンクのシミュレーションにおいても、一元化及び消費税財源の年金制度を支持する提言が示されているのであるから、これらを否定できる経済学的論拠を提示するのが義務であるし、昨年の年金改革の正当性を証明するべきである。証明出来ないのであれば、年金制度改革へ向けての最善策をevidenceに基づいて検討していくことが行政担当の役割でしょう。


②ESRI DPS No.121「高齢化・社会保障負担とマクロ経済」(長谷川ら、2004)

このpaperは『経済財政白書』にも採用され、掲載されていましたので、お読みになられた方々も多いかもしれません。この中では、社会保障負担の給付・負担を重い場合と、軽減した場合で比較し、両者に10兆円の差が出来るようなモデルでのシミュレーションです。結果としては、軽減策を選択する方が経済拡張的に作用すると考えられ、少子高齢社会への対応としては、給付・負担の軽減を図ることが有利であろうと思われます。白書では、この結果をもって(他の論点も示してはいましたが)「小さな政府」指向の正当性をイメージさせ、尚且つ医療費削減の論拠(年金改革は昨年済んだので、残るは医療費だと)にしようとしたのでしょう。実際に、医療保険についても本シミュレーションにおいては変動要素となっておりますが、これが年金給付・負担を軽減することを上回る効果を持つとも言えないのではないかと思います。

高齢世代への給付は、マクロ的には年金でも医療でもほぼ同等の意味を持つと思われ、単純に医療給付を削減しても若年層の負担軽減にはならないだろうと思います。年金負担の方が金額的にもはるかに重いのですから。医療給付が年金給付を上回る水準というのは、今後25~30年間は訪れることはまずありません。現行制度を維持するシミュレーションでも上回ることがないのですから、改革の重要度・影響は年金の方にあるのです。社会保障給付・負担のセットで考えるべきと思います。


③電力中研 社会経済研究所「国家破綻回避のシナリオ」(服部、2004)

これは前に書いた記事の中でも出典を示していました。このpaperの持続的成長ケースでは、年金給付水準の1割弱を削減すると共に消費税を上げるという条件になっております。給付水準を下げ、負担が徐々に増加させたとしても、経済成長を促進することが出来れば国家財政は持続可能となることが示されております。内需拡大が25年度までに70兆円規模が必要ということも条件となっています。経済財政諮問会議でのご意見のような医療費の総額規制によって、将来時点での医療費を20兆円規模でカットした場合には、大幅な内需抑制要因となって、マクロ経済に大きな影響を及ぼすと考えられます。この危惧を払拭できる理論やevidenceを示すべきです。

医療費の削減は最終的には達成するべきと考えますが(今までに医療制度改革についての記事を書いてきましたのでそちらを参照下さい)、医療制度上の問題点を放置したままでの単なる総額規制は望ましい選択とは思いません。寧ろ、地域間格差を大きくしたり、医療過疎を加速すると思われます。また、市場原理主義的な方向性を絶対的に目指すのであれば、行政からの補助金を全廃するようにしなければ、医療機関ごとに格差を生じ、イコール・フィッティングが達成されているとは言えません。元々公的病院等に大量の補助金や施設整備費等を投入してきて不採算体質を助長し、官業として介入を続けてきたのは行政です。旧国公立病院、大学病院、社会保険関係(労災、年金、共済、旧国鉄、旧電電・・・)の病院等は慢性的な赤字・不採算で、ある種の官業として過去に国民のお金を大量に飲み込んできました。それらへの補助金は当然のことながら全て止めるべきです。行政府がそういった慢性赤字の病院を次から次へと生み出し、そこへ金を流し込んできたのですよ。そういうところに漫然と予算を貼り付け続け、一方では医療費総額規制というのは、明らかにオカシイんですよ。官業を優先的に扱い、政策的に保護しているのと同じです。「民間に出来ることは民間に」「官から民へ」というスローガンは、見せかけだけのニセモノですか?とても困っている地方医療確保などに資金を配分するべきです。


④RIETI DPS 04-J-019「財政問題のストック分析:将来世代の負担の観点から」(高橋、2004)

今まで記事に出していないpaperですけれども、郵政民営化法案作成の基礎を作って名を馳せた財務官僚出身の高橋洋一氏によるものです。当然政府内でも彼の業績や理論には高い信頼性があるものと理解しています。

高橋氏がこのpaperの中で、年金についても触れています。申し上げたいことの一つは、年金のバランスシートを取り上げており、「オープン・グループ基準」では01年度末時点において、厚生年金は552兆円、国民年金は73兆円の積立不足となっていると述べていることです。コトリコフを引いて、日本の年金財政は先進各国との比較においても最悪な状況に属し、世代会計の不均衡是正の為には歳出の26%カットか歳入の16%引き上げが必要と示しています。今の年金制度を継続する限り、たとえ昨年の年金改革で物価スライドを取り入れたとしても、世代会計の不均衡は是正されるはずもなく、国の債務が大幅に積みあがった状態で、この他に年金の積立不足を埋めることなど出来ないのです。また、計算に用いられた出生率が1.34ではなく直近の1.29という数値を用いれば、将来債務は結局増大することになるのです。

04年度の年金改革への評価としては、オープン・グループ基準で809兆円から620兆円に減少し多少の効果を見せていますが、依然対GDP比で120%程度の積立不足となっており、米国の0.4%と比較すれば将来持続可能性について疑問を呈しております。

もう一つは、ストック分析上では「社会保険料」と「税」による本質的な違いがないこと、法的性格も税と違いはない、ということを述べていますので、仮に年金保険料が税に置き換わったとしても問題ない、ということだと理解しています。改革案での運用収益についても3.2%(爆、←私の注です。原文には勿論ありませんよ)という高い水準の予定ですので、これが達成されないと更なる保険料増額や給付引き下げが必要とも述べています。
(預託金が消滅して長期金利以下の運用成績しか出せない連中が、何をボケたことを言うのかと思ってしまいますね。それだけ豪語するなら、まず結果を出せと言いたい。3.2%を達成出来もしないのに、それを改革プランに入れた竹中大臣や経済財政諮問会議の民間議員たちは空いた穴を埋めてくれるのか?誰が責任をとるのだ?予定通りならば毎年6.4兆円の運用収入だが、現実には2兆円以下だろう?医療費削減よりもはるかに大幅な損失だぞ?4兆円以上なんだぞ?この数字の意味が判っているのか)

これでは、04年度の改正が年金問題の解決にはなっていないということになるのではありませんか?高橋氏のあくまで個人的見解であり、彼は信頼に足らない人物ということになれば、彼が策定した郵政民営化プランは信頼が出来ないということになり、逆に彼も郵政民営化プランも信頼できるということであるなら、この年金改革への評価もそれなりに信頼出来る、ということになると思います。このような評価を無視して、政策決定を行うことが正しい選択と言えるのでしょうか?


以上述べた論点①~④に対して、反証なり他の理論なりの正確な説明と、諮問会議の正当性を証明できる論拠の明示が必要ですね。


また、何度も申し上げている通り、医療費総額規制が経済学的な正当性を持つということを経済財政諮問会議は証明するべきです。上に挙げた論点の反証もなければ、政策決定は単なる思い込みとか勘に過ぎない、ということが否定出来ませんね。それはまるで圧勝した議席を背景にした、多数派の横暴と何ら見分けがつきませんよ。それで、経済学者と言えるのでしょうか?



年金一元化を再び取り上げる

2005年09月23日 19時03分15秒 | 社会保障問題
今までにも記事に書いてきましたが、年金一元化によって、全て最低保障の基礎的年金とし、財源を保険料ではなく消費税と企業新税(社会保障税)で賄うものとします。これで財源がカバーされるかどうか考えてみましょう。従来の年金保険料は給与から天引きされなくなりますから、手取り給与自体は増額されることになります。

また、消費税への財源移行では高額商品について高い税率を適用し、食糧品や生活必需品は8%程度を目安としてこれ以上税率を上げないことが望ましいと考えています。処理する方は煩雑だ、とか文句を言うかもしれませんが、できるだけ低所得層への影響を小さくすることを考慮した方がいいと思います。

この方式の利点は、
・高齢者も負担に加わるので、世代間格差を減らせる
・高齢者の就業意欲向上に繋がる可能性
・未納問題や未納徴収に係るコストが削減できる
・企業の不正規雇用が減らせる
・共働き世帯と専業主婦世帯の不公平をなくせる
・制度間格差をなくせる

欠点として考えられるのは、
・低所得層への負担
・段階的消費税が面倒
・企業負担は増加するので業績に影響?
・高齢世帯からの不満?が出る可能性


一応、数字で見てみましょう。公務員共済関係(国・地方・私学)の正確なデータがないので詳細は不明なところがありますが、大筋では3年程度前と変わらないと考え、その頃をデータを元に考えました。


現在の保険料収入ですが、国民年金約2.1兆円、厚生年金約20兆円、共済関係約4.2兆円(今はもうちょっと少なくて、4兆円程度かもしれません、私学は総額が小さく2500億円程度で、影響は小さいと思います)で、合計26.3兆円です。給付は基礎年金12.8兆円、国民年金2兆円、厚生年金22.5兆円、共済関係6兆円で、合計43.3兆円です。このうち共済関係は結果的に国庫から支出していることになります(被雇用者が払った保険料を除いて)。


保険料収入約27兆円が新税と消費税へと移行しますから、それぞれを考えてみましょう。まず、雇用主負担ですが、現在は企業が約10兆円、公務員分が2兆円(国庫から払います)ですが、今後給与総額の7~8%程度を社会保障税として雇用主に負担してもらいます。将来的には9%程度を目処に引き上げます。これは現在の制度で厚生年金の料率が最終的に18.3%まで引き上げられるということが決まっているため、それを考慮すれば雇用主負担は9.15%まで上昇することになるからです。大企業は9%の税率とし、中小企業はそれよりも低い税率(7~8%くらい)が望ましいですね。従来、フリーターやパートなどの分は企業が負担を逃れていたので、その給与分も当然負担して頂くことになります。これによって、企業は雇用者を正規・不正規と区別する必要がなくなります。労働者の能力に見合う賃金総額で雇用契約を締結すれば済む、ということになります(医療保険も将来的には同じ制度にして行く必要があります)。


この新税による雇用主負担は公務員分は2兆円強(現在と概ね同じ規模でしょう)、企業は多分2兆円程度の増額になるのではないかと思います。例えば、フリーターやパートの分は年収100万円の人達が400万人いるとしても2800億円の税収となります(個人は負担がなく、雇用主が負担するだけです)。以前には国と地方分に税額を分割した方が地方財源とできると書きましたが、できればそのような形が望ましいでしょうね。企業誘致には、地方税額を減らせば、誘致がしやすくなりますね。今は、とりあえず置いておくとして、企業負担を2兆円程度上積みします。企業貯蓄は増加してきた一方でしたから、ここらで相応の負担をして頂きます。共産党みたいな言い分かもしれませんが、それくらいは当然と思いますね。ここまでで、企業と公務員の雇用主負担分が14兆円となります(将来的には9%近くになるので、もう少し増加するでしょう)。


残り13兆円を消費税で賄うことになりますので、1%で約2兆円(現在は5%で10.5兆円程度です)とすれば、6.5~7%ということになります。つまり、消費税を平均12%程度まで引き上げる必要があります。これも、先に述べたように最低税率の8%という物品と、高級品に高い税率とすることが望ましいと思いますけれども。それでも最低3%は引き上げられます。今まで保険料を払っていた人々は、使えるお金が増えますから平均購買力がそれほど落ちるとも思われません。また、富の集中している金持ちも、今までは厚生年金の最高等級の保険料を払ったとしても限度がありましたが(年間60万円くらいです)、今後は使えば使うだけ税額は多くなります。消費支出の多い人はそれに見合った税金を払うことになります。これも前に書きました。


これらによって、現在と同じ保険料分は負担出来ます。未納もなくなり、不公平感も減らせます。残りは、国が公務員分の追加費用として払う2兆円、国庫負担額2分の1引き上げ予定の3兆円、現在一般会計から繰入してる6.5兆円、積立金取り崩し6.5兆円、運用収益1.2兆円(この他、未納回収費用や独居老人等の高齢生活保護世帯分の負担が無くなり、戦時恩給受給者には支払わないか減額できる、)の合計で19.2兆円となります。国が負担する純増分としては、国庫負担額3兆円分から生活保護と戦時恩給世帯分を引いた差額分となります(恐らく2兆円以下だろうと思います)。現在は約17兆円ですから、保険料負担をなくして、税方式にしたとしても問題なくカバーされるはずです。問題は、積立金に頼りすぎの面があること(17年度取り崩し額は6兆円以上なので多すぎ)、運用収益が少なすぎること(せめて長期金利を上回る水準が必要)、などですね。いずれ、戦時恩給や公務員追加費用は無くせるようになります。


このほか、確定拠出年金を各個人単位で加入してもらい(この制度自体は公的年金としても宜しいですけれども)、自己責任で頑張って頂きます。余裕がある時には増額したり、積極的な運用方針を選んだりできます。

新制度発足時に20歳の人は、公的年金は将来時点の基礎年金だけですが、これは確保されます。無年金者に生活保護費用を支給することと変わりません。未納を続けて払わない人と、払っても貰う額が同じならば不公平なだけです。あとは、自分の努力次第で老後資金を準備してもらう、ということになるでしょう。


では、制度の途中で切り替わった人達はどうするか?仮に厚生年金加入20年で切り替わった人は、20年間に払い込んだ保険料分を計算して最低保障額に上乗せすることになります。それは、どの位かわかりませんが普通は積立で過ぎた場合と似たような水準となるでしょう。20年平均で月2万円、合計480万円の年金保険料を払い込んだ人は、20年間年率2%程度の積立運用で経過し、その後年率2%の20年定期と同じような経過であった場合の最終総額が幾らになるか、とかでしょうか。計算が面倒ですので、正確には分りませんけれども、ざっと900万円程度でしょうかね。これが上乗せされてきます。月5万円で最低15年間(65歳支給開始なら80歳まで)上乗せされますから、基礎的年金6万円にさらに5万円が上乗せされ、その他に自分が掛けた確定拠出年金分が上乗せされます(この金額は加入年数、金額、運用成績に左右されます)。


このように、制度途中で切り替わっても、払込保険料に応じた上乗せ額を配分することで、不公平は是正されます。勿論昔の水準のような年金額には及ばないかもしれませんが、地道に払う努力をした人が報われる仕組みに変わるし、無年金による生活保護世帯の増加を支える為に、他の国民が苦しむよりもましです。公務員は昔に多く貰ってた人達が多かったので、それと比較すれば不利になりますが、自分が払った分はきちんと増えて返ってくるのですから、丸々損することにはなりません。これらの上乗せ額は、基本的に積立金を取り崩して支給することになります。その為、今のうちから多くの積立金を取り崩すのは大きな問題があり、将来的にはインフレ政策によって、満額受給者の給付水準を10%程度、相対的に減少させる必要があります。また積立金の運用収益の大幅な改善が必要でしょうね。積立金の額と受給資格者達の払込保険料総額のバランスによって、上乗せ支給額が決定されるということになるでしょう。つまり、今まで払った人々に全て還元されるような形になる、ということです。払っていない人達は、勿論貰う権利はありませんよ。


企業は福利厚生で他社との差別化を図ればいいんですよ。前にも書きましたが、近隣の会社同士で自社ビル内に保育業務の委託をして、その費用を一部援助するとか、ボランティア休暇、介護休暇や育児休暇を長く取れるようにするとか、個人の生活スタイルに合わせて自由な組み合わせが選べるような福利厚生も可能だと思います。


医療保険は、主に大企業が作る健保組合の保険料率が8.2%に対して、中小企業や破綻寸前の組合が解散したような企業が多く加入する政府管掌保険は9.3%となっていて、給与水準も福利厚生も充実している大企業が負担額が少なくて、給与水準がそれ程高くない政府管掌が負担額が多いのです。介護保険も同様に健保組合が料率が低くなっているのです。このような格差が既に存在するのですから、大企業にはその分負担を求めることは仕方がないでしょう。



民主党と小沢氏

2005年09月23日 14時07分28秒 | 社会全般
多分男性の一部には、小沢氏への支持が未だに残っているかもしれないな。今回の代表決定に当たっては、副代表を断ったということのようだが、若きリーダーを支えるのには「重し」も必要だろう。特に党内反発を封じ込める為の豪腕は、常に必要だ。「汚れ役」を買って出る人材はいるのか?幹事長となった鳩山さんが優れた能力を発揮出来るのであれば、彼が代表の時にもっとうまくいっただろう。小沢氏が幹部就任を拒否したのは、問題だったのではないかと思う。代表には、ちょっと難しいと思うけれども。

参考記事:
次期首相候補は誰?


小沢氏への期待は、多少なりともあるだろうから、本来的には幹事長とかに就いて支えるのが望ましいと思ったけれども。だが、前原代表との距離をとる、ということのようですね。ならば、裏舞台で求心力を高める役をすることです。小沢氏が泥をかぶり、必死になって代表を支えるならば、「挙党体制」を敷いて政権交代を目指す政策主体の党へと生まれ変われるかもしれない。だが、それぞれが勝手に別方向に歩もうとするならば、党内でさえ満足にまとめられないのに、国政を任せられるはずもないと誰しも考える、ということを認識するべきである。


今後年金改革論議の重要な役割を果たすのが民主党ですから、この問題についてまず頑張って欲しいと思う。


お願いだから、年金改革をやってくれ

2005年09月22日 21時18分42秒 | 社会保障問題
何度も申し上げてきましたが、年金改革をしない限り事態は改善しませんよ。それを認められないのは何故ですか?厚生年金の赤字額は尋常ではありませんよ。国庫負担額と積立金取り崩しで何とか賄っていますが、堪えきれないでしょうね。

17年度予算の一般会計からの歳出は年金分が約6兆2700億円で、今後国庫負担額を2分の1に引き上げるとなれば、今と同じ水準の給付総額だとして約9兆4000億円必要になると予想されます。つまりはあと3兆円以上増額が必要ということになります(私ならばどう捻出するか記事を書きました)。


積立金取り崩しが6兆5300億円、国庫から6兆2700億円(国民年金+厚生年金両方で)入れてるから、年金保険料以外の財源としては(運用益を除いて)12兆8000億円も追加していることになります。この他に、公務員共済の事業主負担と追加費用でざっと4兆円(正確には判りませんけれども、過去の実績ではこれくらいです)の国庫からの支出ということになるのです。


年金給付額は、99年度に39.9兆円だったのが、経年的に着実な増加を続けて、03年度には44.8兆円となった。95年度では34兆円くらいだったのが、10兆円分が増加したのだ。一方、医療費は99年度に26.4兆円だったが、03年度でも26.6兆円となっており、伸びはそれほどないのである。95年度でも25兆円程度である。この経過途中で高齢者の自己負担額増額や、保険本人の2割負担から3割負担に変更されたりしたことが、増加が抑制されてた要因の一つかもしれないけれども。

それと、00年度から介護保険がスタートして、その分がまるまる増加した。これは新規市場だということで、営利集団に貪られたと言ってもいい面がある。00年度当初3.2兆円だったのが、03年度には5.2兆円となった。介護保険料として新たな国民負担を求めたのに、株式会社参入を認めたりした結果、利益を抜かれたのだ。営利企業であるから、当然利益を追求するに決まっているだろうけど。


今の喫緊に取り組むべき問題は、年金改革なのですよ、本当に。現状のままでは、保険料と給付の均衡水準となることは期待出来ないでしょうね。保険料率を上げたのに、保険料収入はどんどん低下しているんですから。小泉政権になって、低下を続けているんですよ。これは国民全体の給与が減ったとか、国民年金未払い者が増加したとか、正規雇用を減らしたとか、そういう色々な要因であると思います。少なくとも、厚生年金の事業主負担は減少しているし、保険料総額は減っているんですよ。おまけに、200兆円以上の積立金の運用益は、くだらない「グリーンピアもの」とかを止めても挽回できるはずもなく、預託金(財投へ回される資金だろう)が無くなって利回りが急激に悪化した。普通、長期運用資金として最低でも2%程度の運用を考えるだろう?(普通は30年とか50年という長期運用を考慮するだろうから、もっと高い運用収益が期待できる)。その水準でも運用収益は4兆円になるはずなのですよ。ところが、役人達は揃いも揃って愚かであった為、高い金利の預託金があった時代にはそれに頼り、貸し付けられた特殊法人は赤字を垂れ流しながら、帳簿上では年金資金の運用収益を付け加えてきたのだ。ところが預託金を無くすということになれば、まともに運用など出来ないし、それに対する対策も考えてこなかったのだ。だから、今は1%以下の運用収益しかない(2兆円以下ということ)。これはバカでも可能な水準である。


このようにして見れば、年金制度自体に大いなる欠陥が存在し、社会保障費の半分以上を占める年金をきちんとすることが最も効果的であり、費用効果も最大に決まっているのです。にもかかわらず、改革を進めようとしないのですよ。国民年金の未納率が36%程度ですから、この制度を止めるだけで保険料収入の半分の効果が得られるはずなのですよ。


現状では基礎年金と生活保護(高齢世帯分、一部医療費・介護費を含むと思う)を合わせて約14.5兆円の給付ですが、2400万人分の基礎年金(月6万円)に振り替えるとするなら、必要額は約17.3兆円です(民主党案のような最低保障が8万円ならば、さらに増加して約23兆円です)。差額は2.8兆円ですが、国庫負担率を2分の1に出来る財源(約3兆円)があるなら、消費税増税をしなくとも可能です。民主党案ならば差額が8兆円強ですから、国庫負担率上げ分を除けば、約5兆円強となって、消費税3%(1%で約2兆円の税収)でまかなうことが出来ます。もしも消費税の3%上げが消費に与えるインパクトが大きい場合には、1%づつ上げて行くことも一つの方法です。


何度も言いましたが、企業はリストラや正規雇用抑制によって社会保障負担を逃れることを続けてきたため、社会保険料収入は連続で低下し続けました。そのような環境を改善する為にも、企業には適正な負担を求めることとします。今後年金保険料率が増加し続けるのですから、正規雇用は負担感が大きくなっていく一方なのですよ。このような雇用環境を抜本的に改善していかない限り、企業は出来るだけ正規雇用を逃れようとするのが普通なのです。その解決方法として、年金一元化は有利だと思います。働く女性についても、折角共働きで頑張っても専業主婦との差が小さくて不利な制度なのですから、個人単位での年金制度に組み替えるのが妥当でしょう。こうした不利が減少するなら、女性の就業にもプラスに働くように思います。


まとまりなく、いきなり終了でゴメンナサイ。

つづく・・・。


提灯解説?某経済評論家の言い分

2005年09月22日 14時19分27秒 | おかしいぞ
何度も取り上げてきた雇用・能力開発機構ですけれども、そこがやっている金融事業みたいなのがあります。それは、有名な財形貯蓄・融資に関する事業です。これも政府系金融機関みたいなものであり、制度趣旨は悪くないと思いますが、官業としての権益の為に利用されるというのが問題です。


昨日偶然昼にテレビを観ていたら某番組には女性経済評論家が出ていて、家計の解説や年金解説などをしていました。この方はよくテレビに出ています。結構有名でしょう。この評論家曰く、「財形融資をもっと使いましょう」と。住宅融資で、民間金利が5年固定で2.4%というのが基準金利で出されていました。財形住宅融資は1.39%だそうです。そーですか。

ところで、どうして同じ官業なのに、住宅金融公庫と同じような住宅融資が別組織・別制度で行われるのか疑問ですね。分ける必要性がないように思います。所管省庁が違えば、真似をして「あっちもやってるから、こっちもやろう」という安易な制度としか思えませんね。融資の焦げ付きだって当然あるし、そのリスクは国民が背負うことになっています。実際、実質破綻債権が60億円とかの規模で存在するだろうと思われます。国民の払った労働保険料はこうして失われていくのだ。


現実は住宅金利が3年固定で1%以下、5年固定でも2%以下の民間金融機関も存在するけれどね。まあいい。それを除いて考えたとしても、「財形貯蓄をしましょう、財形融資を使いましょう」という宣伝をしているのかと思ったよ。昔みたいな金利が高い時代と比べて、運営が苦しくなり、組織存在意義すら怪しくなってきたと思った途端に、「財形頑張ろうキャンペーン」だそうですよ。


年金も労働保険も、同じような仕組みを幾つも作ってきたんだよ。役人どものポストを作り上げる為に。
・国民から金を集める(保険料と称して強制的に)
・積立金をひたすら積み増す
・積立金利息収入で数百億~数兆円が捻出される
・その金を貪る

大体こういうシステムになっていたんだろうよ。かつての金利が高い時代にはこれが面白いようにうまくいった。しかも、給付額は常に少なく済んでいたから剰余も多かっただろう。だが、低金利時代になって積立金利息収入は大幅に低下し、当然運営は行き詰まる。年金は分かり易いかもしれないが、労働保険は判り難かったのだろうと思う。恐らく昔はあったはずの多額の積立金は全て貪り尽くされた挙句に、逆に大幅な累積欠損金を出して、1兆3千億円もの政府出資金を消滅させた組織が、雇用・能力開発機構なのだ。


それと番組中に年金についての解説もしていたな。公務員共済と厚生年金が一元化されれば、サラリーマンが大損する、という話だった。現在と同じ制度のままで統合すれば、厚生年金に不利は存在するが、制度そのものを厚生年金と同じに変えれば国全体での損失は減らすことが出来るはずだ。しかも、到底経済評論家とは思えない説明だった。こいつは、本当に理解しているのか?と思ったぞ。彼女の説明によれば、こうだった。
厚生年金は3人で1人の年金受給者を支え、共済は2人で1人を支えている、と。だから、年金受給者に1万円の年金を支払うと言う場合には、厚生年金なら3人が3333円ずつ保険料を払うことで1万円給付でき、共済なら2人が5000円ずつ払うことで1万円給付できるんだ、と。厚生年金と共済年金が統合すれば、1人当たりの保険料負担額が約3500円で1万円を給付できるので、共済は5千円払っていたものが1500円近く負担軽減になってずるい、と。逆に厚生年金は百円以上増額になってしまう、だから損だと。一元化は良くない、という結論に持って行こうとしているのがアリアリと判ったぞ。


こんなんで、本当に経済評論家なのか?テレビで堂々とウソを並べ立てて、視聴者を騙しているようなものだぞ?それとも霞ヶ関と何かの繋がりでもあるのか?と疑いたくもなる。

公務員が厚生年金の1.5倍もの保険料を払っていると思ってるのか?そんな訳ないだろうが。同じ家族構成、同じ給与ならば、厚生年金も公務員共済もほぼ同額の保険料を払うに決まってるだろうが。本当に知らないのか?公務員だけがそんな不利な制度なわけないだろう(笑)。公務員は職域加算とか称して、数百円多く払うはずだ。せいぜい千円も違わないんじゃないか?(これは恩給制度とかの、昔からの慣例みたいなものじゃないかと思う)。だが、受け取る時には大幅に増額される。それは、国が追加費用として大量に共済に払っているからだ。国と地方公務員に合わせて毎年2兆円以上の追加費用が支払われる。保険料と事業主負担は併せても多分4兆円に届かないだろう。

つまり、厚生年金が1人3333円払っているなら、公務員共済も同じくらい払い、足りない残り1人分は国が払っていることになるのだ。国民が税金で払っているのと同じなんだぞ!しかも受け取る時には、総額で2割増しくらいになり、尚且つ受給権者は配偶者以外に子などが権利を貰えるんだぞ。給付が多すぎて、保険(共済)制度としては既に破綻同然なんだぞ。


こういう仕組みを解説せず、1人当たり5千円必要な共済と一緒になったら厚生年金が被害を受ける、とか出鱈目を言い、一元化は悪い、というお先棒を担ぐというのはどういうことなんだ?国民は既に毎年2兆円以上共済に被害を与えられている、っての。これは国が払うんだから、厚生年金だけの被害がどうのこうのじゃないんだって。テレビでウソぱっちを広めるのはいい加減にして欲しい。評論家ならそれらしく、正しい情報提供をしろよ。


遅ればせながら「女王の教室」最終回

2005年09月21日 22時43分57秒 | 俺のそれ
先日出かけていて観れなかったので、録画しておいた「女王の教室」の最終回を観ました。涙の最終回でしたね。またしても泣いてしまいました。視聴率が25%を超えたという報道がありましたが、ナルホドと思いました。


今回も観た通りの筋ですので、特別に何かを言うべきことはありません。今の時代には、このドラマが持っていた意味が大きかっただろうと思っています。そういう脚本を書いた人(実は誰か知らないのですけれども)は、卓越した発想であったと思います。共感することは多かったです。


前半の回での評判が悪く、各方面から色々と非難が多かったようですが、最後には理解されて良かったですね。私も記事に書いてきたので最後まで観たかったし、スポンサーが途中で降りたりせずに良かったと思います。


後半あたりから制作側の意図が伝わり、最後の高視聴率に繋がったのでしょうね。天海さんは、やはり素敵でした。アクツ先生のイメージがピッタリで、天海さん以外では難しかったかもしれませんね。


続編が検討されている、とのことで、我が家では期待しています。


女王の教室シリーズ:

我が家のブーム
「女王の教室」で泣いてしまう?
「女王の教室」第5回
「女王の教室」第6回
女王の教室(第7回)
「女王の教室」(第8回)
女王の教室(第9回)
「女王の教室」第10回




日本人を誇りにしてはいけないか

2005年09月21日 10時26分26秒 | 教育問題
小倉弁護士の記事(○○人であることを誇りに思う人々)を拝読して、「○○人の誇り」論争について知った。私は既に日本人であることを誇りに思う、と記事にも書いてきたのだが(終わったな、ホリ○モン)、思わぬところで「右傾化」を非難される羽目になった(笑)。正直な気持ちとして、もしも再び生まれてくるとしたら、日本に生まれたいと思っている。それはいけない感情なのだろうか?

「こういう人が大手をふるっている日本は・・・」とまで言われてしまって、何と失敬な、とちょっと思いました(笑)。私は歩いてしまっています、大手をふるって。


日本人であることは何も担保するものではない、ということは理解できる。だが、少なくとも日本人として生まれ、その文化に育まれて生きてきたのであるから、日本人としての誇りを持つことがそれほど問題なのだろうか?オリンピックやワールドカップでは、日本を一生懸命応援するし、勝つと嬉しいけどね、やっぱり。外国に旅したら、堂々と日本人です、と答えるし。少なくとも、中国人とか韓国人といった、よく間違われ易い民族と思われたら、「いいえ、日本人です」と答えるけれど。


「どうせ自分のことを誇りに思うのであれば、自分が他人のため、社会のために、何かを成し遂げたことを誇りに思えばいいと思うのです」とも述べておられるが、それならば別に日本人でなくとも何人でもいい訳です。何処に生まれようと無関係ですね、ということです。


これはあたかも誰の子供として生まれてもよい、ということを言っているようにも感じます。私は自分の両親から生まれたことを恥じたりはしません。勿論大金持ちでもなければ、高学歴でもなかった両親が、世間的に見て「人も羨むような立派な人」という訳でもないですし、はっきり言えば、もっと特別な家庭に生まれていたら違う人生を送れたかもしれません。大会社の御曹司とか(笑)。ですが、自分のルーツは両親を含め、自分の先祖にあることは動かせない事実であり、その生家を誇りに思うことがなければ「自分の血は穢れている」的な、暗鬱な気分しかないように思います。確かに「良家の血筋」を自慢して、それに安住するというのは、個人の能力を示すものでもないのに、おかしな話だろうと思います。ただ、そうであったとしても、自分の先祖、ルーツを否定する気にはなれません。自分を産み育ててくれたことに感謝し、誇りに思うことはあっても、他の文化を持つ家に生まれればよかった、とは思いません。


日本人であることは、自己の選択意思とは無関係なものであり、生家を選べないことと同じです。その誇りを忘れてしまい、文化を否定することは、自分のルーツを捨て去ることと同じだろうと思うのです。過去の歴史が積み上げてきた日本人の文化を捨てることで、礼節も規範意識も倫理観も喪失していくのではないか、という危惧があります。それを体得させる一つの要素が、自分のルーツを大切にする気持ちなのではないか、と感じています。


ナショナリズムに走ることの危険性や排外的思想の先鋭化問題などは、今後解決していくべきことだろうと思いますが、それと、日本人としての誇りは別物なのではないか、と考えております。寧ろ、そういう混同を避ける意味でも、「他人への敬意」「人々への感謝」といった教育をすることが必要なのではないか、と思います。教育に関する記事に何度か書いてきましたが、私は今の時代に欠けているのは、そういう他者への尊敬や両親や先人への感謝の気持ちだろうと感じます。


ですから、たとえ「日本人であることを誇りに思う」という発言をすることで疑惑の目を向けられるとしても、それを改めようとは思いません。少なくとも、誇りに思わない日本人がこれ以上増加しないことを祈るだけです。何たって、「いい国作ろう!」ですから、私の場合には(笑)。単に個人が頑張るなら、「自分で自分を褒められる人になろう!」にタイトルを変えねばなりませんから。



続・当面急ぐ課題

2005年09月21日 01時38分57秒 | 社会全般
特別国会で国民投票法案についての審議を行うという報道があったようだが、早くも数の論理による「勇み足」となるのか。こういう問題がいきなり浮上すると、先の選挙での「ヒトラー論議」や「ポピュリズム論議」を再燃させることになるだろう。国民の憲法改正への関心や優先度はそれこそ「郵政民営化」以下でしかなく(確か4~5%位だろう)、取り立てて今やることでもないし、そもそも慎重な議論が必要な事項である。特別に急ぐ内容でもないのに、数が多い「この4年間でケリをつけよう」などという拙速は避けるべきである。


自民党圧勝に導いた数パーセントの票をもってして「日本全国の愚かな選択」と評していた連中は、「ホレ見たことか」と騒ぎ立てるだろう。今はやるべきことをしっかりやるべきだ。まず国民との約束を果たせ。


特別会計の何をどのように改めるのか(国民年金が悪者か?特殊法人の不良債権額の推測?)。「役人天国」の何処を改革するのか。そうした現実的なプランも示していないのに、何で国民投票に関する議論なんだ?経済財政諮問会議の民間議員たちにしたって、経済学者が2人もいるのであるから、以前に書いた労働保険特別会計の問題(雇用保険は貢物か2特殊法人の不良債権額の推測?2)について、正しく答えろよ。どういう会計操作を行って、政府出資金が減ったのか。カネボウの監査法人の問題どころの騒ぎではないぞ。独立行政法人化したのは、現政権であろう。その説明責任を果たしているのか?何のために経済学者や経営実務家が存在するのだ?財務・会計は専門分野だろう?

政府出資金は、元々国民のお金だ。その貴重な資金が大幅に減ったのであるから、それについて正確な説明をするべきである。それすら行わず、こっそり損失処理をしておきながら、新たに国民のお金をつぎ込み続けるのも異常だし、知らないフリを続けて、今度は憲法改正を目論むなんていうのは、一万年早いぞ。


労働保険は度重なる保険料率アップで、国民から大幅に搾取しているくせに、ドブに捨てる羽目になった国民のお金をどのように戻すのだ?一体、誰が責任をとるのだ?こんなことをこれからも延々と続けるのか。まず、やるべきことをやるのが先決。


ところで、小泉さんは記者から「所謂小泉チルドレンと言われる新人議員の教育が始まりましたが・・・」とか質問を受けて、「そういうことではないです。彼らは子供ではありませんよ、大人ですよ。失礼ですね。立派な大人です」と答えていた。面白すぎて、笑った。狙っていたのなら、役者だなと思った。


当面急ぐ課題

2005年09月20日 13時52分28秒 | 社会全般
自民党は郵政民営化以外の項目について、早期に基本方針を示す必要がある。来年度予算については増額要求が相次いでおり、どこにポイントを置くのか、何を削減していくのか、目標を明示するべきである。また、三位一体の改革が止まったままで、地方の要求にも応えていない。残された時間は少ない。


また、イラクの自衛隊についての派遣延長問題も残されたままではないか。期限前までの行動予定を考えるなら、切羽詰っていると言っても過言ではない。「絶対に延長する」ということを決する時、国民に十分な説明もなしに、議員数で乗り切ろうというのは、絶対に許されないぞ。撤収ということならば、10月から動かねば間に合わないのではないのか?昨年同様に、なし崩し的に延長なんてことは許されないぞ。米国内でさえ撤退論支持が多数派であるのに、日本政府がイラク派遣を維持することにどれ程に意義があるか十分説明できなければならない。イラクの新憲法制定という当面のゴールも近づいてきているのだから、自衛隊は撤退するべき。米国との約束で、安保理常任理事国問題での交渉材料にさえ使えないとなれば、派遣している意味はない。


民主党は昨年末まで、徹底して「派遣延長阻止」と主張していたのであるから、今こそ前原新体制のもとでイラク問題について徹底追及するべきである。しかもおあつらえ向きに、前原くんの最も得意な安全保障・外交分野じゃないか。是非ともイラク問題を取り上げるべきだ。

自衛隊は2年間という実績を作ったことで、十分意義があったと言える。軍事的には、これ以上自衛隊が駐留する価値がないことは明らかであろう。インド洋での支援を続けるなら、それだけで十分である。従って、撤退作戦の開始を命じるべきである。自衛隊だって、延長か撤退かはっきりしないと、作戦なども困るだろうし。正味で、あと2ヶ月くらいしかないんですよ。


追加


基礎年金の国庫負担引き上げについても、税制のどこをどうするか明示しなければならないし、引き上げ幅についても早急に決めなければ、社会保障費の総額が決まらないだろう。

六カ国協議の下らない外交文書(笑)みたいな年金改革をぶち上げたのであるから、とりあえずそれに沿って、政府与党の責任において国庫負担割合について示すべきだ。守れないような改革案は、単なるデタラメに過ぎないし、国庫負担増額の財源についても説明が必要だ。

財源も確保せず、単なる増税案だけを国民に押し付けた挙句に、毎年保険料ばかり上昇していき、役人どもの取り分ばかり増やされるんではたまったものではない。絶対に増税以外の方法で財源を確保せよ。同時に上昇幅について示せ。

17年度予算で何故「千分の11」なのか不明だが、このたった1.1%の数字の由来についても、根拠を提示して欲しいものだ。18年度は千分の12とか言うなよ。それぞれ出す数字には根拠があるんだろう?18年度の幅はいくらなのか、根拠と数字を出せよ。


先日の財務省事務次官発言にしたって、既得権益を守ろうとする姿勢以外のなにものでもないぞ。もしも厚生年金と公務員共済の制度が同じようなものであるなら、「一元化」に反対する訳がない。共済の方が不利であれば、喜んで一元化するに決まっている。ところが、暗に一元化は止めて欲しい、と言う。つまりは、共済の方が明らかに有利であるということを、財務省官僚が知っている(むしろ誰でも知ってる)ので、共済は手をつけないでくれ、ってことだろう。こういうのを、「既得権益にしがみつく」と表現するんじゃないのか?


「官」の改革は、まず財務省からやればよい。その為に、片山議員を誕生させたんじゃないのか?何処に大ナタを振るうべきか、よく知っているはずだ。内部にいても改革は出来ないそうだから、外力を与えて改革したまえ。