いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

総裁選の裏側で

2006年06月29日 22時14分13秒 | 政治って?
そろそろ「熱い」時期が近づいてきていると思います。現在の「経済財政諮問会議」は、従来の役目を終えて一度終局を迎えるでしょう。今までのメンバーは、当然のことながら、その多くがテーブルを去っていくでしょう。


そこで新たな関心が持ち上がってくる訳ですね。「プレ小泉」時代(笑)には有り得なかった、「黒子」専門の指南役―カッコイイ呼び方をすれば「ブレーン」とかってヤツでしょうか―が脚光を浴びることとなったのが、言わずと知れた「竹中大臣」の登場でした。それ以前に「堺屋太一経済企画庁長官」という民間人登用例がありましたが、境屋氏は元通産官僚であり、純粋な学者とは全く違うでしょう。政府中枢に学者が居座って(笑)、与党や国会議員たちとの丁々発止を繰り広げるというのは、昔ならば到底考えられなかったことでありましょう。そういう役割を担ってきた人々は、竹中大臣を筆頭に、本間・吉川両教授であり、何と「3名もの経済学者」が存在したことは驚くべきことでしょう。


こうしたシステムは、色々な軋轢や衝突を生み出しながらも、小泉総理のリーダーシップ=大衆支持という力を背景に、「改革路線」を進めることができました。経済学者3名の政治的なパワーというのは、実際の所「皆無」に等しく、道路公団民営化や年金改革などでは明らかな失敗でありました。党との綱引きでは常に譲歩を強いられ、「改革」とは名ばかりでした。そんな「後退路線」の経済学者3名でしたが、郵政民営化に伴う「解散」によって、遂に新たな一歩を踏み出すことに成功しました。小泉政権圧勝の恩恵を受けて、「官邸」「諮問会議」主導の統治システムを獲得したのです。このことは、経済学者たちが特別に頑張った結果であるとか、何かの大きな功績があった訳ではありません。単なる、「棚ボタ」でした。「3人寄れば文殊の知恵」とは言うものの、経済学者が何人集まっても政治的手段や解決方法など、何一つ思い浮かぶことなどありませんでした。ただ、彼らが本当に協力して知恵を出し合ったりしたことなどないのかもしれず、もしも本気で協力していたならば、もっと早くに良い解決策の一つくらいは出てきたかもしれないし、それを実行できるばかりでなく何かを実現できていたかもしれない(笑)。


それでも、選挙後には諮問会議の面々が夢見ていた(笑)、「政府」としての機能・役割と「政策集団」という新たな地位を手に入れることができたのです。それは、政権末期という非常に短い期間ではありましたが、経済学者たちが最も「仕事がしやすい」と感じたひと時だったことでしょう。しかし、それは長くは続きませんでした。ひょっとすると、これは何かの摂理なのかもしれません。心穏やかに、円滑に物事が進んでいくことは滅多にあることではなく、楽ができる期間というのは大抵は短く終わるものなのです(笑)。


再び、経済学者たちには、いくつかの試練がやってきました。


竹中大臣は、「権力中枢」に限りなく接近したかに思えた時期がありましたが、それはほんの短い間だけでした。今まで彼を毛嫌いしていた人々の鼻を明かすことができたと彼は考えたのですが、自信に満ちた言動と他人をバッサリと切り捨てられるある種の冷淡さは、鋭い刃となってそのまま自らに跳ね返ってきてしまいました。人間とは恐ろしいものです。


本間先生と吉川先生の場合は、今までの苦労が報われたという思いは僅かながらでもあったと思います。特に、これまでことごとく行く手を遮ってきた自民党が、まるでウソのように自ら「後ずさり」をしてくれたことに、感動を覚えたことは間違いないでしょう。あれほど暴れ狂っていた族議員たち(笑)が、借りてきた猫のように大人しいんですから。同じことを百万遍唱えていたのに、全く前進する気配すら見えなかった「政府系金融機関」の統合にしても、自分たちが主役となって思う存分取り組むことができたのですから。あの時初めて、「我々が歩んできた道は正しかったのだ」、「我々は『勝った』んだ」と確信することができたでしょう。しかし、このような「主役」として舞台に立ち続けることは、通常困難なのです。短い期間でしたが、華やいだ気分に浸ることはできたでしょう。


このようにして、3名の経済学者たちは、不思議な体験を経ながら進んできたのですが、その旅も終わりに近づいていることは自覚していることでしょう。自らの役目の終焉が見えてきているはずです。ここから先は、「残された使命」を彼らがどのように考えているか、ということが私の関心事なのです。


以前に、御用学者の「御三家」と私が勝手に名付けたのですが、その系譜がどうなるか、ということですね。勿論、これは自民党総裁選と連動しています。直結と言うべきかもしれません。将軍の跡目争いというのは、これはこれで大変でしょうね。お抱えの御用学者たちも、一部は用済みとして「お暇」を出されるでしょう(笑)。その一方では、新たに政府部内に―特に中枢近くに―登用されるものたちも出てくるでしょう。少なくとも、昔のような「黒子時代は終わった」ので、システムとしては諮問会議の形態が踏襲されるでしょう。総裁に誰がなっても、これは同じだろうと思っています。となれば、どこが重用されるのか?ということですね。


御三家は、「赤門派」「一橋派」「上方派」です。「赤門派」は勿論「東大」閥ですね。「一橋派」はそのまんま「一橋」、「上方派」は阪大です(そういえば、大変不思議なのですが、何故か京大の学者さんは殆ど入ってませんね。何か理由があるんでしょうか?)。財務省寄りの一派は多分「赤門派」優位であり(伝統のなせる技でしょうか)、それへの敵対心というか対抗心として(なのかどうかは知りませんが)一橋・上方連合が対峙する、というようなイメージですね。なので、内閣府とかその他委員等での登用は後者の方がよく見られてきたように思えます。このような勢力地図が書き換えられるのか、というのが一つの焦点ですね。


以前にも妄想記事で触れましたが、平岩研以来の中谷巌氏の系譜を後継者たちに引き継ぐことで、新興勢力である「経済マフィア」たちは実力をつけてきました。政府部内の重要なポストを占有したりするようになりました。更には、諮問会議内に送り込むことに成功したのですから、これは大きな成果であったと思えます。


本間、竹中両議員はそういう流れを引き継いできたものたちの代表格なのです。大田氏や高橋氏もそうですね。特に一橋出身で阪大グループに属している学者たちは、小泉政権時代には大きく飛躍して、勢力拡大となったのではないでしょうか。竹中大臣は大臣就任直前には慶応大教授でしたけれども、一橋出で阪大に行ってたんですよね?


そういう訳で、時期総裁は「どの御用学者」を重用するのか、というのが結構重要になってきます。指南役を定めるということは、特に経済政策においてはかなりの影響度があるのではなかろうか、と思います。さて、時期政権に最も近いのは、どの学閥なのでしょうか?ひょっとして、全く新たに登用されるかもしれませんしね。慶応・早稲田とか、その他ちょっと都会っぽい、洗練されたイメージの私立とか(笑)。実は、私立については、よくわからんのだけど。ああ、でもね、今は早稲田は厳しいね。既に不祥事でイメージダウン中だし、重要ポストには就けられない、って印象が濃いね・・・。そうなると、ハイ、「一つ脱落」ですか。


大チャーンス・・・慶応、とか思ってたりして。本気で狙ってる?現職の教授の人たちも、「ひょっとして、オレんとこに依頼が来たらどうしよう?」とか、ちょっとドキドキしてたりなんかして。所詮、総裁選次第なんですからね。自分の交友関係とか人脈を思い起こせば、直ぐに判るか。なら、ドキドキなんかしないよね。
因みに、阪大・一橋連合は中々強力だよ?赤門派を退けたくらいだからね(笑)。ひょっとして後継候補者を指名してるかもしれんし、案外と色々あるかもよー。


いずれにせよ、筆頭御用学者の争いも、地味ながら、実質的な影響力は大きいと考えていた方がいいと思うね。



早大の混沌

2006年06月28日 22時15分50秒 | 社会全般
先日から研究費の不正疑惑が報道されていた早稲田大学ですけれども、学長選とも重なっていて、内紛の様相を呈しているようですね。

asahicom:流用疑惑、早大大揺れ 教職員が調査報告を批判-社会

(以下に記事より抜粋)


午後6時半すぎから大教室で開かれた集会には、約150人の教職員らが集まった。学部長クラスの幹部教員が次々に登壇し、加藤哲夫・法学学術院長は「民事法学の専門家として、報告書は信じられないほどずさん」と強く批判した。 足立恒雄・理工学術院長は「調査委のメンバー構成の適切さに疑問がある」と指摘し、棚村政行・法学学術院教授も「トップが責任を取らないのはせつなくて悲しい。早稲田の歴史の汚点といえる」と話し、会場は大きな拍手に包まれた。また会場から「総長は責任を下に押しつけている」などの声が相次いだ。

松本教授の疑惑は、国からの研究費の一部1472万円の不正流用など。同大は23日、白井総長らが会見して調査委の中間報告を発表し、その中で04年の内部調査の結果を足立理工学術院長と逢坂哲弥研究推進部長が大学本部に報告しなかったなどと指摘した。 足立、逢坂の両氏はこれに強く反発。「報告は上げていた」などと文書で大学理事会に異議を申し立てた。

一方、文科省は26日、7月に早大に支給される予定の研究費(科学技術振興調整費)約13億円を、不正防止の具体策を大学が示すまで支給を見合わせることを決め、早大に通知した。これに危機感を覚えた教職員らが27日の集会に集まった。




何と言っても、13億円という巨額研究費の支給停止、というのが最も厳しいということなのでしょう(笑)。おまけに、学長選挙ということで、批判や責任追及が行われている面もあるのかもしれませんね。


ところで、早稲田は「学術院」と呼ぶのですね。法学学術院とか、理工学術院とか。これって、「学部」と似たような意味合いなのでしょうか?初めて知りました。歴史的な名称ということなのかな?さすがに伝統校ですね。


しかし、混沌の行方はどうなるのでしょう。「歴史の汚点」は消せるのでしょうか。



好機到来せり!!

2006年06月27日 19時03分41秒 | 社会全般
各員、突撃態勢をとれ!
進軍ラッパを高らかに鳴り響かせよ!

我ら同胞の生き血をすすりし
資本階層の者どもに、
貪婪な金欲と権力の仮面をまといし
搾取階層の者どもに、
狙いを定めよ!


共産党の同志諸君!
社民党でもいいけど、「ミズホたん」とか!

今こそ、民衆の敵を討て!
悪行三昧の限りを尽くせる、
欺瞞に満ちた拝金主義者の秘密結社を、
完全に壊滅し、社会から葬り去るのだ!



うーむ、詩的センスがないので、かなりヘンですね(笑)。ラッパですか?


まあ、何かの活動家とか、左翼運動みたいなのとか、過激な思想家とか、そういうのとは全くの無縁ですので、昔大学の食堂に落ちていたビラとかのマネっぽく書いても、全然ダメですよね(笑)。


こういう煽りはどうでもいいのですけど、「オレキン」(=切込隊長氏のブログのこと、「俺様キングダム」の短縮形)の記事を見て、世の中の不思議さというか、やっぱり「陰謀説」というか、妄想としてあってもよし、ということなんだろうなあ、と思いました(某弁ふうな言い回しでゴメンナサイ)。ヒミツ結社はないかもしれんけど、宮どんのアレに、ウシ○さんとか、平ちゃんとか、元経企庁長官の作家某とか、どういうサークルなのさ!とは思う。

切込隊長BLOG(ブログ) - オリックス事件はリクルート事件以上の衝撃


それに加えて、某「VIPルーム」というのは、何なのさ!!とか。
「アンタ、あの子の何なのさ」じゃないけど(古)。
労働法制の検討に加わってた(審議委員とかのような?)、才女気取り?の方とかは、派遣で稼いだりしてるんじゃないか。「派遣」拡大、労働規制緩和とかの恩恵を、ドンピシャで受けたりなんかしてるんじゃないの?と、反則技の「下衆の勘繰り」をしてみる(笑)。郵政の「社外取」って、何か昔あった某銀行の「社外取ネタ」を髣髴とさせなくもないワケですが、これは別にいいんですけど、サークルメンバーと申しますか、「VIPルーム」で御一緒のまさに「御一行様」メンバーなんですね。そーですか。知らんかった。


私があれほど応援した「郵政民営化」の正体とは、このようなものであったのですか・・・・。こんな形で、「VIPルーム」メンバーに貪られてしまうエサになってしまうんですか?もしも、宮どんとか、ウシ○さんとか、その他大勢の、「VIPルーム」御一行様によって新たな支配、貪りが行われてしまうならば、私は間違っていたのでしょうか?

夢を見たんだね、きっと。
この前の、ブラジル戦の短い時間のように・・・


世の中の構造は、何も変わっちゃいない。
やっぱり、「メンバー」入りしたものたちだけが、その特権と恩恵を受ける権利を有しているんですね。
そうですか。


ところで、全く無関係な話ですけど、福井総裁は「サッサと腹を切れば」良かったのに。きっと、周りの人々からは恨まれてるでしょうね。探られたくない部分にまで人々の目が集まってしまいます。潔く辞任していたら、「延焼」は限定されたかもしれんかった(笑)。


良からぬ勘繰りをされ、痛くない腹まで探られ(中にはイタイ人たちもいるかもしれんが)、サークルメンバーが割り出されたりしだしたもんね。どういう「VIPルーム」だったのか、とか。


世の中にはありがちな、金持ちが道楽ですることに「銀座のママ」とかを作り出す、というのがあるよね。漫画の世界とかでもあるね。パトロンが金を出して、店を持たせてやるんですよね。で、影のオーナーとして実質支配してるんですけど、表向きはママさんがやってる、ってやつね。バブル期頃には、不動産屋さんの成金のオヤジとか、そういうのはよくあったらしいよね。「店を持たせてやる」って殺し文句が。だから、何、ってことでもないけど、店を持たせて、客も自分の会社の取引先とか、色々なツテがあったりなんかして、そういうので引っ張ってくる、ってヤツね。あるね。


サークルメンバーになれば、何処からか金を引っ張ってこれる先さえ「みんなで」見つければいいワケで、「VIPルーム」は一種のサロンというか情報交換の場といいますか、「win-win」を築ける場と化すといいますか、「ウィンウィン」いうのは変な機械だけにしてくれ、とオゲレツ話をぶちかましてしまいますよ。今日は壊れ気味ですので。ああ、「今日も」ですけどね。


初めの方に書いたようにですね、共産党や社民党は死ぬ気でガンバレ。
このネタこそは、大チャンスですよ。
国民に代わって、インナーサークルの連中を炙り出して、正体を暴いちゃって下さいよ。私たち庶民の知らないところで、暗躍していた拝金主義者たちを、白日の下に晒して下さいよ。福井総裁の話ばかりじゃないんですよ。中枢にかなり近い所で、何かの謀議・策略がじっくりと練り込まれていて、うまい汁にありついていた連中がきっといるんですよ。美味すぎて、コクまで出てるんですよ(笑)。


本当のところはどうなのか判らない。壮大な釣りかもしれんし。追い落とし戦術の、ネタの一部かもしれんし。でもね、あやしい。すごーく、アヤスイ。「ミズホたん」(ネットの世界では、何故か「○○たん」と女性の名前が呼ばれたりします。ちょっと不思議です)は、思いっきりガンバレ(笑)。オンナの敵である「VIPルーム」ホステスやら、その他オヤジどもを暴き出せ!てな感じで。



福井日銀総裁の法的責任はどうなのか・2

2006年06月26日 22時12分47秒 | 法関係
ちょっとしつこい感じで申し訳ないのですけど、前の記事(福井日銀総裁の法的責任はどうなのか)に「はなちゃん」さんという方からコメントを頂きましたので、それを再掲致します。


『当事者が、投資ファンドに出資し、有限責任組合員となることは、「投資事業を行う組合契約を締結して、共同して事業の全部または一部を営む」、ことにほかならないことは、「「投資事業有限責任組合契約にかんする法律」の規定から、自然にみちびき出される結論と思われます。したがって、今回の日銀総裁の投資行為(これを就任後も継続してきた行為)が日銀法26条1項4号に違反する可能性は否定できず、単なる金融商品の購入と同視して、簡単に違法性はないと言い切ってしまうべきではないと感じています。』


このように、「日銀法第26条第1項第4号」規定に抵触する可能性があるのではないか、というものです。私は前の記事での検討で、「アドバイザー就任」というのが問題になるのではないだろうか、と考えたのですが、「投資ファンドの性格」ということについては全く考えておりませんでした。そこで、少し検討してみました。


コメントにありましたように、「有限責任組合員」という可能性がある訳ですが、村上ファンドがそうなのか、福井総裁が出資していたファンドが果たしてそうなのか、というところから見てみます。


まず、「投資事業有限責任組合契約に関する法律」(以下、単に「有責法」と略)は、04年からスタートしており、福井総裁が村上ファンドに出資をした時点では、同法は施行されていませんでした。福井総裁が就任した03年から同法施行前までと、04年の同法施行後では多少事情が異なるかもしれません。


では、それ以前にはどのような法律であったかというと、「中小企業等投資事業有限責任組合契約に関する法律」(以下、「中小有責法」と略)という法律であったと思われます。この法律は平成10年(98年)に施行されており、特徴としては上場企業株への投資は対象外となっていることで、所謂中小ベンチャーへの投資を促進するということで整備されたものと思われます。この法律制定に関わっていたのが当時の通産省で、その後経済産業省に変わりましたが、村上氏が「自分もベンチャー投資の法律制定に関わった」とか何とか語っていたのは、この法律のことなのかもしれません(全く違うかもしれませんが。あくまで推測です)。福井総裁が99年に村上ファンドに出資した時点で、村上ファンドがこの枠組みを用いていたのかどうかは不明ですが、恐らく違うと思われます。「上場企業には投資できない」という制限があるためです。


なので、予想されるのは、磯崎氏の記事を参考にするならば、やはり民法を根拠とする「任意組合」ではないかと思われます。私募ファンドの形で組合員を集め、投資組合を組成したのではないでしょうか。この時点での福井総裁の立場としては、組合員ですから「共同事業者」というような立場になるのではないかと思われます。組合の債務に対しては、有責ではなく、「無限責任」だそうです(恐!)。組合に「アドバイザリーボード」を置く、という任意組合や「中小有責法」による組合(所謂ベンチャーファンドとか呼ばれるもの)は珍しくないそうです。後者であれば、無限責任を負う業務執行者(GP)と有限責任を負う出資者(LP)とに分かれているようです。


ところが、一度「キャッシュ・アウト」(by 福井総裁)された時があり、この分配金は単純に「組合の成功報酬としての分配金」なのか、一度組合を解散(清算)して「新たに別な枠組みの組合を立ち上げた」のか、よく判りません。登記とかの記録でも調べるならば、何か判るかもしれませんが、私の調査能力では無理です(笑)。時期としては、01年に242万円が支払われた、という報道でしたので、この時点で何か変更があったのかもしれません。仮に、任意組合から有責組合に変更したとしても、「有責法」ではなく、「中小有責法」の範囲ですよね。


まとめると、

・村上ファンドの組合形式は、当初民法上の「任意組合」で運営し、「中小有責法」規定の組合は組成されていなかったかもしれない

・01年の時点で、組合の解散と新たな組合の立ち上げ(「中小有責法」規定の組合)、ということが行われた可能性がある

・04年の「有責法」施行以降には、任意組合から「有責法」による組合に変更した可能性はある

(もしも、01年時点で「中小有責法」規定の組合が組成されたのであれば、04年以降の法改正で「有責法」規定の組合に自動的に変更されていると思われます)



もう一度、日銀法第26条第1項を見てみましょう。

第26条  日本銀行の役員(参与を除く。以下この条、第三十一条及び第三十二条において同じ。)は、在任中、次に掲げる行為をしてはならない。
一  国会又は地方公共団体の議会の議員その他公選による公職の候補者となること。
二  政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をすること。
三  報酬のある他の職務(役員としての職務の適切な執行に支障がない職務の基準として第三十二条に規定する服務に関する準則で定めたものを満たすものと委員会において認めたものを除く。)に従事すること。
四  営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと。


この4号規定である、「営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと。」に福井総裁の行為が該当しているのかどうか、です。

福井総裁の投資は99年から継続されていたのですが、総裁に就任するのは03年3月以降、ということだそうです。
03年以降に村上ファンドに出資を継続することによって、
①「営利事業」を営むと考えられるか
②「金銭上の利益を目的とする業務」に該当するか

という2点を検討してみます。

まず、推定に過ぎない前提なのですが、03年の総裁就任時点では「中小有責法」に規定される組合であって、04年の「有責法」施行以降は同法規定による組合であったと仮定してみましょう。

「中小有責法」の条文は不明なのですが、現在の「有責法」は検索でき、元々が「中小有責法」をベースにした法律ですので、殆ど同じであろうかと思います。投資対象の制限範囲が取り除かれたのではないのかな、と。そこで、「有責法」の条文を見てみますと、関係する条文を挙げていきたいと思います。


◎第三条  
投資事業有限責任組合契約(以下「組合契約」という。)は、各当事者が出資を行い、共同で次に掲げる事業の全部又は一部を営むことを約することにより、その効力を生ずる。

以下略


この条文によって、「各当事者が出資を行い、事業の全部又は一部を営むことを約す」ということになり、①の「営利事業を営む」と考えるのは妥当であると思います。つまり、「投資事業組合の有限責任組合員は、営利事業を営む者である」ということです。


◎第七条  
組合の業務は、無限責任組合員がこれを執行する。
2  無限責任組合員が数人あるときは、組合の業務の執行は、その過半数をもって決する。
3  組合の常務は、前項の規定にかかわらず、各無限責任組合員が単独でこれを行うことができる。ただし、その終了前に他の無限責任組合員が異議を述べたときは、この限りでない。
4  無限責任組合員が第三条第一項に掲げる事業以外の行為を行った場合は、組合員は、これを追認することができない。無限責任組合員以外の者が同項に掲げる事業以外の行為を行った場合も、同様とする。


この条文では、「業務の執行者が誰なのか」ということで、それは「無限責任組合員」ということです。村上ファンドでいえば、村上氏とかがこの無限責任組合員に該当することになると思います。福井総裁が出資しただけならば(アドバイザリーボードのメンバーを確実に辞めていれば)、②の「利益を目的とする業務」を行ったとは言い難いと思われます。すなわち、「単なる有限責任組合員は業務執行者ではないため、利益目的の業務を行ったことにはならない」と思います。



◎第十一条  各組合員は、やむを得ない場合を除いて、組合を脱退することができない。

◎第十二条  前条に規定する場合のほか、組合員は、次の事由によって脱退する。
一  死亡
二  破産手続開始の決定
三  後見開始の審判を受けたこと。
四  除名


この2つの条文は、「投資を止めることができるのか」という問題に関わってきます。福井総裁は03年の就任以前から出資していたので、途中脱退が行える状態であったかどうか、ということです。第11条によれば、「任意脱退」は原則不可、です。「やむを得ない場合」がどのような事由になるのかは、議論があるかと思います。第12条では、具体的な脱退事由が記載されており、福井総裁の場合に可能であったと思われるのは、4号規定の「除名」だけです。


従って、既に有限責任組合員となっていた場合には、総裁就任が決まった時点で脱退手続が行えたかどうかというと、二つの可能性があったと思われます。一つは、「やむを得ない場合」に該当するもので、恐らく組合の契約約款のようなものの規定によるのではないかと思いますが、定かではありません。もう一つは「除名」で、これも組合の規定があると思われますが、正当事由というのが何なのかは判りません。

よって、「有限責任組合員である場合、任意脱退は制限があり、総裁就任前の脱退は手続上困難と判断される場合も有り得る」ということですね。



今までは、「有責法」の規定による組合、という前提で考えてみましたが、民法上の組合のままであったなら、どうなるでしょうか。

①の「営利事業を営む」ということに該当するかというと、該当するでしょうね。民法第667条には「組合契約は、各当事者が出資をして共同の事業を営むことを約することによって、その効力を生ずる。」とあり、「共同事業者」という立場であることには変わりない、ということだろうと思います。

②の「利益目的の業務」は、民法第670条の「業務執行者が委任されている場合」に該当すると思われ、必ずしも福井総裁が業務執行者であったとは言い切れない(でも、「アドバイザー」は業務執行者に該当するかもしれないが)。

脱退については、「中小有責法」の規定よりも、ややゆるいと思いますが、基本的には組合契約の内容によるのではないかと思います。


任意組合を継続していたとすれば、やり方としては次のパターンも考えられるかも(素人考えなんですけど)。

・まず、民法上の任意組合A(ファンドAと呼ぶことにしよう)をつくる
・途中で「中小有責法」規定の組合B(同、ファンドB)をつくり、ファンドAがファンドBに一部投資する
・続いて「有責法」に変わり、ファンドAは資金の殆どをファンドBに投資する

こうすると、実態としては「ファンドB」1本の場合と同じなのでは。ファンドAは仕組みだけが残っているが、全額ファンドBを買えばそれで済むように思うけどね。これなら、最初の組合設立時点からファンド自体は変わることがないのではないかな。


結論としては、福井総裁の出資が「有責組合」であっても、「民法上の組合」であっても、「営利事業を営む」ということになってしまい、日銀法第26条第1項第4号規定に違反する可能性があるのではないか。


ところで、全く無関係な話なのですけど、「コソコソ書く」つもりではない時でも、TB等を行うと当事者以外の他の方々から「ヤメレ」と制限されたりする実例がありますので、そういう突撃を受けるくらいならTBしないでおこう、とか考える場合もあるのではないか、と思います。



『無法投機』と福井総裁

2006年06月25日 15時59分24秒 | 社会全般
この前からずーっと気になってて、どんなタイトルだったか思い出せなかったのですけど、本を必死で探したら出てきた(笑)。探してる時には中々見つけられず、ふと別な所を見てたりすると案外と出てくるんですよね。


福井総裁はバーゼルに一時国外退避したようですけど(笑)、それも思い出す重要な材料だったんですよね。

『無法投機』は、ポール・アードマン著(森英明=訳)の原題が『THE SET-UP』という本です(平成11年4月1日発行)。新潮文庫なのに、933円もするという高価な文庫本でした。帯には「世の中には、ここまで悪いヤツがいる!」というコピーが踊っています(笑)。


ストーリーは、簡単に言いますと、前FRB議長チャールズ・ブラックがBIS総裁会議出席の為、バーゼルを訪れた(今の福井総裁と全く同じですね)ところ逮捕されるというものです。容疑は「インサイダー取引」です(笑)。不正蓄財が明らかになり、しかも、スイスの隠し口座に大金が発見されるのですね。不正を働く方法というのが、色々と書かれているわけです。ブラックはまさしく「はめられた」のです。悪いヤツは、BIS総裁だったりするんですけどね。ネタバレですけど、物語の途中で犯人はすぐに判明するから、いいんですよ。

本の中身は、特別に「優れた」作品とも言えないかもしれませんが、金融事情などが少し判って面白い。福井総裁のような疑惑が現実に持ち上がるなんて、アードマン自身も思いもよらなかったことでしょう。この作者の経歴には驚かされます。文庫の著者紹介と訳者あとがきによれば、次のような経歴であったそうです。


カナダ生まれでアメリカの大学卒業後、バーゼル大学でドクター取得、その後スイスのサリク銀行で働く。サリク銀行は業績が良かった為、ユナイテッド・カリフォルニア銀行(UCB)が買収することとなり、37歳でスイスUCBの初代頭取に就く。ところが、そこでの失敗が大きかったようだ。ウォール街と銀相場で巨額損失を蒙り、おまけに商品取引主任クメリが行ったココア投機によって5000万ドルの損失を出したという。スイスの銀行の出した損失では最大級ということで、銀行は破産し、その責任を問われて投獄されることになった(具体的な嫌疑で裁判が開かれた、ということはなかったらしい)。で、獄中で書いた本(『十億ドルの賭け』)が米国の探偵作家クラブ最優秀新人賞受賞作となり、作家デビューを果たした。


このような数奇な運命を辿っており、人生何が起こるか判らないものなのですね(笑)。一国の中央銀行総裁のインサイダー取引は、「ネタ」としては結構古い、ということなんでしょうね。


ところで、福井総裁の48時間以内の「辞任」観測という、どこから出たのかわからんような「ネタ」に反応して、結構円安となったみたい。もう、何でもありですか?(笑)このような状況は、「福井総裁ネタ」そのものが市場に予断を与える最大要因になってしまっていて、これで「中立的な金融政策云々」とか言うのも、オカシイよね、って気がする。経済情勢判断がどうだとか、国際的環境がどうだとか、そういうモロモロの要因の市場への影響度よりも、「福井総裁が”辞めない”と、また言った」「いや、”辞めるべきだ論”の方が有識者・メディア・世論では優勢だ」「もしかしたら、電撃辞任があるかもしれん」といった、ワケのわからん不確実性(?)を増大させ、混乱に陥れていることは間違いないでしょうね。このような「福井総裁ネタ」というのは、本来「日本経済の動向」ということとは無関係なはずであるにも関わらず、「福井総裁の存在」自体が、福井総裁の得意な説明風に言えば「ボラティリティを高める要因」そのものになってしまっているんですよね。


ほとぼりが冷めるまで、しばらくは市場が混乱したり、乱高下するのは避けられず、福井総裁の考えとしては『市場の連中は「一体どうなってるの?」と不安ながらも真っ暗闇を突き進めばよし』ってな訳で、残念ながらハズレた人は速攻「逝ってよし」ということでしょうね(笑)。総裁の給料一部返上とか、利益やら元本やらを寄附、どころの話ではないんですよね・・・・きっと。


コメントで頂いた情報については、別な記事で検討したいと思います。



W杯日本戦を総括してみる

2006年06月24日 18時16分34秒 | 俺のそれ
もう色々な意見が出揃っていると思いますが、私の独断と偏見に基づいて、今回の日本のW杯を振り返ってみたいと思う。異論はあると思いますが、一応、「一億総評論家」の一億分の一と考えて頂ければ。

※高原選手のブログは、噂によればコメントスクラム状態らしいのですけど、そういうのは止めるべきですね。いかに罵詈雑言を浴びせても、結果は結果です。


1)監督の問題

これについては、厳しい意見が多いと思う。だが、この4年間は「それなりに結果を出してきた」のであり、予選を勝ち上がった時点では「ジーコ監督にはツキがある」「監督として結果を出した」という肯定的なものが多かったことを思い出すべきだろう。

采配の判断は、疑問点があることは以前から指摘されていたし、そのことを判った上で今まで起用してきたのだから、これは仕方がないと思う。事後に「やっぱり失敗だった」というのは誰でも言えるだろう。

ジーコ監督の出した課題は、次のステップには必要なことなのだと思う。子どもの勉強で例えてみると、次のようなことだと思う。

ある程度基礎的問題が解けるようになった子に、次の段階に進む、ということを考えてみよう。

①問題毎に「解き方」を具体的に教え、その通りやらせる
②基本的な解法を学ばせ、後は自分で考えさせる


①に該当するのが、チーム戦術重視の監督であり、監督の能力が高ければ短期間のうちに「効果」が期待できるだろう。しかし、監督の解法が間違っていたり、適切ではない場合には、うまく結果が出ないこともある。トルシエ監督のようなタイプだろうか。

②に該当するのがジーコ監督で、ある程度「自分の頭で考えろ」ということであり、①の場合に比べると、個々の能力に依存してしまうのだが、何かのキッカケがあると、ぐんぐん成長していく可能性もある。また、「問題解決」に対して、柔軟な対応が可能になるかもしれない。解法の習得は少ないかもしれないが、応用がききやすくなる可能性もある。


ある程度の段階までは、①のようにやるのが効率的だろうと思う。言ってみれば、試験勉強みたいなものだ。テストの対策を立て、有効な解法パターンを覚えて、その通り実行する、ということだ。特に、高校野球のような「限られた時間」という中で「勝てるチーム」を作り、結果を出すことが必要な場合には、①の方法を選択せざるを得ないことが多いだろう。それ故、指導者の影響力が大きく、結果にもそれが反映されていると思う。


一方では、長期的な能力伸長ということを思えば、必ずしも①の方が優れているとも言えないかもしれない。本質的には自分の頭で考え、柔軟に対応できる方が好ましい。解法パターンだけで対応しようとすると、状況の変化があったりした時に、うまく答えを出せないこともあるからだ。日本サッカー全体のレベル向上を考えると、②の方法を咎めることはできないのではないだろうか。ただ、子どもの能力がそこまで達していなかった、と言われればそうなのかもしれないが。


2)敗因は何か

a)コンディショニング:

大きな失敗の一つと私が考えるのが、コレ。ドイツに移動してから、ドイツとのテストマッチくらいまでは、多くの選手がある程度は調整していったのだと思う。なので、仕上がりはそれなりに良かった。故に、ドイツ戦での動きは、悪くなかった。


ところが、その後の暑さによって状況が変わっていったのだと思う。消耗が思いのほか激しかったのだろう。合宿に入ってから「猛練習」というのは、本来的にオカシイ。各選手の調整・疲労回復を最重視するべきであり、試験前の徹夜勉強みたいなのが本当に役立つ訳ではない。せいぜい各選手同士の「呼吸合わせ」というようなことだろう。ドイツ入りしてから、全体的に早く仕上がりすぎて、その後の不調を呼び込むことになったかもしれない。


高校野球でもそういうことはあるように思う。地区予選では強さを発揮して、甲子園出場を決めたとしても、現地入りしてから思うように実力が発揮できなくなることはあるだろう。特に「打線」とか。通常は、各人の好不調の波はバラツキがあり、誰かが不調でも、別な誰かは調子がいい、ということはある。「調子の良い選手」が起用されて試合に出れば良いし、不調の選手が混ざっていたとしても、他の好調の選手がカバーできればそれでいいと思う。


ところが、今回の日本代表は、全体の調子が割りと早くにピークとなってしまい、その後に調子が下降気味になって行った時に本大会となってしまったかもしれない。要するに「打線が湿りだした」時期だった、ということだ。それに加えて、試合中の気温が想像以上にきつかったのではないかと思う。


b)技術面

ブラジル戦では、個人の能力の高さというものが注目された。それは確かにそうだろう。個々の能力を比較すると、スター軍団であるブラジルと、日本とで差があるのは当たり前だ。その比較をすることは、あまりに酷だろう。しかし、サッカーの試合ということで言えば、その差は縮まる。チーム戦というのは、そういうものだと思う。


ブラジルは日本との試合の中で、何か特別な「スーパープレイ」を出した訳ではない。一つひとつを見れば、あくまで基本の積み重ねでしかない。パス、トラップ、ドリブル、それぞれは、普通にプレーされており、超ファインプレーみたいな「有り得なさ」というのが、実はほとんどない。得点された場面でも、あの2点目だけは「真似できねー」というのはあるかもしれないが。結局、パス、トラップという普通のプレーの精度が劣っているということがある。それは、プレッシャーを受けない場面では難なくこなせるのだが、相手ディフェンスがついてくるとミスが多くなる、というものだ。恐らく普段の練習の中でも、あまりに「定型的」な練習に終始してしまうと、相手にも読みやすくなる、ということがあると思う。「練習の為の練習」よりも、常に「実戦を想定した練習」というのが必要になってくるだろう。


差が大きいと思ったのは、ゴール前というか、相手に囲まれた・相手人数が多い状況の中で、どのようにプレーするか、だろう。玉田のゴールは、ボールを持ってない時のプレーで生まれた。そういう工夫が常に求められるのだ。ただ待っているだけでは、チャンスは作れない。ボールを待つ時、或いは、ボールを持ってない時のプレーの質の高さ、そこに緩急・変化がない選手が多かったのではないだろうか。


c)戦術面

日本のチーム力が極端に弱い、ということはないと思う。本当にそうであるなら、予選は勝ち抜けないだろう。アジアカップでも優勝できなかったであろう。「世界レベルでは通じない」とか、「フィジカル面で勝てない」とか、必ずしもそういうこともないと思う。敏捷性とか、工夫によって変えられる余地はあると思う。


日本にとって、初戦が全てであった、というのは、確かにそうだろう。オランダ、イングランド、ポルトガルなどの世界の強豪チームにとってでさえ、初戦というのは難しいのであり、「1-0勝ち」なのだ。フランスやスウェーデンは、引き分け発進だった。ブラジルと同組であることを考えれば、最後のブラジル戦に行くまでに1勝1分が最低条件なのであり、「負けない戦い方」というのが何よりも重要に決まっている。


「後半35分、1点リード」という局面において、どうやって戦うか、攻める場合にはどのような手段を用いるのが望ましいか、といったことは、あくまで確率論的な問題であろう。オーストラリアは、日本のFW陣が「当たっていない」(調子悪い)と判っていたので、「マンマークで抑える」という判断をして、後半に勝負を仕掛けたのだと思う。その読みは当たっていた。DF2人を残して、残りは日本陣内で攻めることに全てを賭けることができた。リスクを高めるが、チャンスも増えるのは当然だ。「初戦負け」は同時に「予選敗退」を意味するくらいの価値があるということを、ヒディンク監督はよく判っていた。それは当たり前なのだけれど。


日本はどんなに「卑怯な勝ち方だ」とか、「セコイやり方」とか言われようとも、勝ちに拘るべきであった。後半に入って、敵FWの高さに何度か苦しみ、その脅威を感じてはいたが、何とかしのいでいた。日本が相手の攻めをはね返した後で、必ず見られるのが、FWに長いボールを入れてみるものの、相手DFと競り合いに負けるとか精度が悪くミスになって相手ボールとなり、アッサリ日本陣内にボールを戻され攻められる、というものだった。小野が投入された後に求められる形は、再三攻めを食らっていた左サイド~中央での守備をまず強化することであり、得点チャンスを産む長いスルーパスを沢山供給することではなかった。日本のDFラインは次第に後退し、パスの出所である選手へのプレスが少なくなり、相手は自由にエリア付近に迫ってくることができるようになっていた。


日本の反撃は縦パスに終始しており、全く工夫がなかった。攻めにもっと時間をかけて、ゆっくり態勢を整えることを考えるべきだったろう。前線ではボールをキープする時間を稼ぐことが最も必要なのであり、確率の低い攻め手(無理気味なパスや苦し紛れに裏に出すロングボールとか)を繰り出すことが重要だった訳ではないのだ。無駄にパスを奪われるか、パスをミスしてしまって、相手にチャンスを与えるというのが多かったと思う。


結局、「勝ちゲームを勝ち切る」ということの難しさ、それが達成できなかったメンタル面での弱さ、そういった部分はあったと思う。それができるチームが「強いチーム」ということなのだろう。チームの仲間を信頼することは大切だ。仲間に託す、ということは、信頼関係によっていると思う。しかし、単にボールを預けて、「あとは任せた」という依存的な関係ではダメなのだ。守備の時にも、「誰かがプレスに行ってくれる」という、安易な他人任せではダメなのだ。「パスを回させられた」というのは、まさしくそういうことで、誰かに回して預けてみても、結局同じように、戻ってきてしまって、何も局面が動いてない、ということになってしまうのだろう。


前半の戦い方をだけを見れば、日本の攻めがある程度通用すると思う。ブラジル戦だけではなく、オーストラリア戦でもそうだった。運動量の問題(後半に入ると疲れるので格段に悪くなる)もあるが、相手が戦い方に馴れるのに多少は時間がかかる、ということだと思う。ブラジルは個々の能力が高いので、途中で「日本のやり方」に適応して、戦い方を変えてくることができたのだろう。


オーストラリアはうまく局面を変えられなかったから、監督が選手起用で「巨神兵」(笑)を投入し、日本側に変化を来たすように仕向けた。局面を打開できない時には、そういった選手起用で強引に変えさせる、ということなんだろうと思う。ひたすらハイボールを入れて、落としたところでうまく競り勝てばチャンスを作れる、という目論見だろうな、と。特に「セットプレー」(の獲得チャンス)を取りにきていたのだと思う。以後、コーナーキックが何度もオーストラリアに行ってたように思う。そういうのをオーストラリアは何度も試みて、その結果、日本はハイボールへの対処に追われ、ドリブルやショートパスに対する守備が甘くなってしまった。オーストラリアの得点は、「長身選手」のヘッドで得点されたわけではないのだ(1点目は川口の飛び出しのミスだったかもしれないが、相手選手がヘディングできたわけではなかったはず)。守備陣の意識が、「ヘッド」にばかり向いてしまっていたのだった。


ブラジルに同点ゴールを決められたのは、これとは逆に足元のボールに注意していて、ドリブルで突破されてはいけないと思い、ヘディングへの注意が抜けていたのだ。数人でロナウドやロナウジーニョを止めに行っていたから、浮き球が左サイド行った時にも、ヘッドで折り返されるとは思っていなかった。なので、ロナウドのヘディングには誰も飛ばず、完全ノーマークシュートを決められた。エリア内にノーマークで行く選手がいることも問題だが、それまでの攻撃パターンにばかり気が行って、他の注意が疎かになった。あの同点ゴールがなければ、後半の戦いは全く違っていただろう。

後半に3得点されたのは、日本側に「やっぱり厳しいかもしれない」「無理かもしれない」というメンタル面での弱さが出たからで、元々のチーム力・技術力の差を正確に示すものではないだろう。モチベーションがひどく低下した状態で、集中力を保ってプレーし続けろ、ということの方が難しいと思う。


サラブレッドにも、先行逃げ切り型とか、追い込み型とか、そういう色々のタイプがあるのだと思う。日本の場合には、先取点をゲットして、後は逃げ切るという戦い方を身に付ける必要があると思う。ブラジルのように、強豪チームになればなるほど試合中に適応してくるから、今度はそれに対応した戦い方が求められると思う。日本の場合だと、うまく先取点を取れたら、後は「日本の良い部分」を多少犠牲にしても、「相手の良いところを潰す」というような戦術も必要なのではないかな、と。


元々得点能力が低いのだし、ワンチャンスを生かして運良く得点できれば、後はしっかり守ってカウンター狙いでいくしかないのでは。地区予選までは「自分のよい所」を生かして勝ち抜けたのだが、それは相手が弱かったから通用したわけで、強い相手になればそううまく行かないこともある。日本は、前半にはうまく敵の隙をついて行けることが多いのだが、ずっと同じようなことを繰り返すので段々相手も馴れてきて、手の内を読まれやすくなり、主導権を奪われるということになってしまっていたのではないか。


野球でも、相手投手の出来が良ければ中々得点できない。ましてや、打線の調子が落ちてきてる時には、なおさらだ。そういう時には、少ないチャンスを活かす攻め方(盗塁、犠打、犠牲フライとか・・・)をする、得点を奪えないのであれば相手にも得点を与えない、というような戦い方が必要になる。それと同じように、攻撃陣の調子が悪くて中々得点できないのであれば、「負けない戦い方」ということも必要になるし、場合によっては守り切る、という考え方も必要だろう。そこへの意思統一ができてないと、オーストラリア戦のようなことが起こってしまうのだと思う。


こうして日本は予選敗退したんじゃないだろうか。




運命のブラジル戦

2006年06月23日 05時05分26秒 | 経済関連
日本は今までで一番良い試合だ。

川口はこれまで同様、よく凌いでいる。
何本か厳しいシュートを食らったが、よく防いだ。

稲本も守備で頑張ってる。
玉田は前回よりもはるかに動きが良くなってる。
巻もまずまずだ。

玉田の豪快な先制ゴール。
逆をついて、狭い方に迷わずシュートしたのが良かった。


しかし、喜びも束の間、終了間際にまさかの同点。
ウーン、悔しい。
あっさり、ヘッドでつながれた。


後半に2点取るしかない!


と思ったら、強烈な逆転ゴールを決められた。
ありゃ、取れないな。


さらに一点取られる・・・・


厳しいな
高原は入った途端に、交代じゃないか、
可哀想というか、彼の悲運を表わしているな。


ボロボロだ。
しかし、実力差もそうだが、2点目を奪われて、「心が折れた」な。


仕方がない、頑張ったよ、日本は。
1点取ってくれて有難う、ということで。
あの中村の1点だけだと、さすがに悲しすぎだからね。



違法販売はどこまで罰するか

2006年06月22日 21時59分53秒 | 法関係
最近、次々とドラッグストアの違法販売が明らかになりました。今まで報道で判明しているのは、イオン、マツキヨ、ダイエー、西友、スギ薬局といった流通チェーン系の大手ドラッグです。このような場合に、違法行為にどの程度まで責任を課すのか、という問題があると思います。


Yahooニュース - 毎日新聞 - <医薬品違法販売>スギ薬局12店舗処方せんなく 中部地方

(記事より一部抜粋)

抗アレルギー性精神安定剤の「アタラックスP」や虫下しの「コンバントリン」など。いずれも昨年4月の薬事法改正で処方せんが必要な薬品に指定されたが、同月から今年3月まで違法に販売していた。医薬品の違法販売はイオンや西友、マツモトキヨシなどで相次いで発覚している。




この問題を考える前に、まず簡単な例を考えてみましょう。

通常、一般個人がネットで薬品を販売した場合、薬事法違反で捕まってしまうでしょう。事実、過去にも逮捕された個人が存在していますね。特に多く見られるのは、向精神薬、睡眠薬や鎮痛薬などであったと記憶しています(そういうものじゃないと需要がないからでしょう。通常のOTC薬であれば、近くのドラッグストアなどで購入できますもんね)。まあ、販売している薬の中身は何でもいいんですが、要は違法販売で「逮捕される」ということです。その販売量には必ずしも比例していないと思います。多く売ると逮捕され、少ないと捕まらない、ということはなくて、量的違いは本来的関係ないはずだろうと思います。


では、大手のドラッグストアが違法販売をしていた場合には、どうでしょうか?上で見たように、一般個人には「刑事罰」が与えられるわけです。でも、法人とか大きな企業であると、刑事罰は免れるでしょうか?普通は、同じであろうと思いますね。杓子定規に法律を適用すると、「違法なものは違法」としか言いようがないのです。


規制の根拠となる薬事法を見てみましょう。
(処方せんの必要な薬品は厚生労働大臣の指定による、ということになっており、その指定は厚生労働省令とか告示であると思いますが、何処に記載されているかはちょっと判りませんでした。「日本薬局方」がそうだとしても、これが厚生労働大臣の指定にあたるかは判りません。)


薬事法  第49条  

薬局開設者又は医薬品の販売業者は、医師、歯科医師又は獣医師から処方せんの交付を受けた者以外の者に対して、正当な理由なく、厚生労働大臣の指定する医薬品を販売し、又は授与してはならない。ただし、薬剤師、薬局開設者、医薬品の製造販売業者、製造業者若しくは販売業者、医師、歯科医師若しくは獣医師又は病院、診療所若しくは飼育動物診療施設の開設者に販売し、又は授与するときは、この限りでない。

2 以下略


この49条規定では、簡潔に言えば、「処方せんの交付を受けた以外の者」に対して、「正当な理由なく、販売又は授与してはならない」ということです。つまり、(厚生労働大臣が指定する)「処方せん医薬品」は、処方せんのある人だけに販売していいですよ、ということです。


今回問題となったのは、「処方せん医薬品」でありながら、「処方せん交付を受けてない者」に販売していた、ということです。この第49条に違反した場合には、次の条文によって罰則が適用されます。


薬事法  第84条

次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
1~12 省略
13 第四十九条第一項の規定に違反した者
14 以下略


このようにして、第49条違反がある場合には第84条第13号が適用となり、「3年以下の懲役、若しくは300万円以下の罰金」(場合により、両方の罰の組み合わせ)の処分を受けることになります。


ここで考えるべき問題としては、今回発覚した大手ドラッグチェーンの薬事法違反に対して、「刑事責任を追及するのが妥当なのか」ということですね。普通に考えれば、「条文通り」でしょう。そうなると、販売した店舗の薬剤師は全員逮捕、ということになってしまいます。他にも、行政責任は問われると思われ、少なくとも行政指導、悪ければ行政処分となってしまうでしょう。さて、悪質度という点ではどうでしょうか?意図的に悪巧みとか、そういうことではないでしょうね。指定区分が変更になり、以前は「処方せん医薬品」でなかったものが、改正で「処方せん医薬品」に指定された為に生じたミス、ということのようですので。


法の適用は、やはり弾力的に運用していくほかなく、四角四面で適用すればよいかというと、そうでもない場合もあるでしょう。だが、最初に例を挙げたように、一般個人が勝手に薬品を売買していたら、果たして刑事罰を与えないで済ませられるのかというと、これはやっぱりダメだろうと思う。危険性が違うと思うので、そういうことも考えて判断するということになるのかな?

今後も、チェーン系のドラッグストアでのミスが出てくる可能性はあるかもしれません。どうやって対策を講じるか、ということも考える必要があるでしょう。


ところで本題とは関係ないのですが、「アタラックスP」など、というような記事が出てましたが、一般人がそんな薬を指定して買いにくるのだろうか?以前に買ったことがあって、その後にも使ってる人がいたとか?それも珍しいようにも思うけどね。有名なカゼ薬とか、そういうのならば判るけど・・・。

「あたぴに、アタP下さい」

とか言わないでしょ?(さむ~、オヤジギャグでごめんなさい)

しかもこの薬は、「抗アレルギー性精神安定剤」と記事には書かれているけど、「抗アレルギー」と「精神安定剤」という全く別な病状に対して用いると思われ、主に「この精神安定剤をくれ」という微妙な?というか割と薬に詳しいマニアな人が買いに行ってたんじゃなかろうか、という勘繰りをしてしまいます。それとも、ドラッグストアの薬剤師さんが「これがオススメです」とか教えたのではないのかな。どちらにしても、ある程度の薬の知識がある人(薬剤師かマニアな人)が選択しないと、「アタラックスP」を買うというところまでは辿り着けないと思うけどね。

あと、「抗アレルギー」を主目的に使うとするなら、相当眠くなってしまい、日中の仕事とか車の運転は困ると思うけど、どうなんでしょ?



話題シリーズ25

2006年06月21日 23時19分19秒 | 社会全般
1)イラク派遣陸自の撤収

重要なニュースでしたのに、触れてませんでした。
まだ帰国してないので、油断できないとは思いますが、それでも、今までに死傷者を出すことなく任務を遂行したことは、何よりも評価に値すると思っています。派遣された自衛官の方々は、本当にご苦労さまでした(以前に、PKOで派遣された文民の人だったか、警察官だったかは、残念ながら殉職されたように記憶しています・・・)。


私自身はもっと早く撤収するべきであったと思っていますが、国際社会の中で「責任を果たす」という姿勢は十分伝わったのではないかと思えます。そして、たとえ防御の為とはいえ、銃弾を撃つという事態も想定されたのですが、それもなく過ぎることができたことは賞賛されていいと思います。傷つけることは、新たな悲しみ、憎しみや報復を生みますから。奇麗事と言われるかもしれませんが、やはり銃器の使用が全くなくイラクに存在し続けたことは、最大の賛辞を送るべきでしょう。その困難さを思えば、自衛隊の意思と勇気を何よりも表わすこととなったように思います。


勿論日本が単独で実行できた訳ではありません。英、蘭、豪との連携・協力の下に可能であったということでしょう。それでも、「新たな支援の形」ということを、自衛隊は示したかもしれません。インドネシアの地震・津波災害やジャワ島での災害に際しても、協力体制をすばやく行うことができるようになったのではないかと思いました(昔は、自衛隊が国外に行くなんて・・・とか、色々)。こうした、「非武力的支援」ということが日本の役割として認められるようになるなら、自衛隊派遣というのが意味のあるものになると思います。


2)牛肉輸入再開

これも色々のカラミの中で決まったのでしょうか。まあ、勘ぐりに過ぎないのですが(笑)。

えーと、米国産牛肉が「コワイ」と思う人は、元々牛肉を食べなければ済みますよ。かつて、狂牛病の存在を知らなかった時代には、何十年か「無関心」というか関係なく食べていたので、それも何だかな、と思ったりもします。昔(輸入自由化以前の時代?)は、牛肉そのものをあまり食べてなかったような気がする。クジラとかが給食には出されたような記憶があるな。あ、単にウチが貧乏だったからかもしれないけど(笑)。


3)デートより残業

ご時世でしょうか(笑)。

Yahooニュース - 時事通信 - 「デートより残業」8割=リストラ不安は後退-新入社員調査

(以下に一部抜粋)

社会経済生産性本部が21日発表した新入社員への意識調査によると、デートよりも残業を選ぶとの回答が80.1%に上った。昨年の78.6%を上回る過去最高となり、厳しい就職戦線を勝ち抜いた新入社員のまじめ人間ぶりの一面をのぞかせた格好だ。不況時ほど仕事優先が増える傾向があるが、生産性本部は「景気がしっかりしているとは思っておらず、会社の都合を優先しなければという意識が強いのでは」と分析している。




まあ、いまどき、彼女が「私と仕事のどっちが大事なの?」というような陳腐な質問を彼氏にはぶつけない、ということかな。あ、彼女とは限らないか。ゴメンなさい。逆もあるね。彼氏が彼女に「オレと仕事のどっちが大事なんだよ」とか、言うこともあるか。でも、少ないと思うけど・・・


そもそも調査対象の新入社員というのが、男女比が昔と違うのかもしれない。すると、女性の回答割合が相対的に増加するので、男性よりも女性の方がデートなんて重視せず仕事優先なのではないかと推測してますが、実際どうなんでしょうね。


4)書評のこと(追加です)

先日の「本のよみうり堂」の書評ですが、再び清家先生が書いておられました。
今回は、小松秀樹著『医療崩壊』でございました。

言葉の往復の中に、心に響くということがあります。



儲かっちゃった?福井総裁

2006年06月20日 21時40分45秒 | 社会全般
福井総裁は「儲けるつもりだったのではない」、「利益は寄附したい」とか言ってたようですので、利益が明らかにされたので、更に世間の風当たりは強まるでしょう。

Yahooニュース - 読売新聞 - 福井総裁の村上F運用益は1231万、元利で2・2倍


うーむ、「国民にはゼロ金利で低利を強いていたくせに、自分の懐にはガッポリかよ」という心情は理解できなくはありませんが、これはあまり公平な評価とは言えないかもしれませんね。


改めて申し上げておきますが、「日銀総裁の立場」ということで考えれば、辞任もやむなし、というのは私の見解です。しかし、それは利益の大きさとかそういったことには無関係ですね。村上Fへの出資が、合法であったにせよ、いらぬ「個人的利殖行為に係る疑念」を多くの国民に抱かせ、国内外のメディアにさえ様々な酷評・論評をされるに至ってしまいました。今後の金融政策において、どのような判断をしたにせよ、予断を与えてしまうことになる可能性が高いでしょう。

仮に「ゼロ金利解除を延期」としても(大方のエコノミストたちは「夏頃」という予想をしているので、それと比較して、という意味で)、「政治的な思惑が働いたからだ」とか、「やっぱりスキャンダルの一件が影響を与えたんだ」とか、思われるでしょう。逆に、予想通りの夏頃に解除に踏み切ると、「スキャンダルを意識して、その打消しの為に意図的に”予想”に合わせたんだ」とか、「デフレ脱却宣言を出したい小泉政権の花道を飾る為に、急所を握られた政府側に協力した結果だ」とか、受け取ることもできてしまいます。そんな訳で、どっちにしても日銀への非難や当てこすりは防げないし、何か決める度に「所詮、あんなことや、こんなことをやるような総裁だからね」という風になってしまうでしょう。なので、福井総裁の辞任回避(普通”留任”と表現するのでしょうか?でも、次の任期で再任ということでもないですし・・・)は、日銀にとって「大きなマイナス」ではあっても、「プラスに働くことは何一つない」と思います。

しかも総裁自ら「(金融政策決定会合は)あくまで合議体であり、金融政策は私1人の意志ではない」と公言しているのですから(確かに仰る通りです、見かけ上は)、福井総裁が辞任したところで「日銀の金融政策能力がダウンすることはない」とか、福井氏以外の人が総裁になったとしても「政策判断が変わることは有り得ない」ということを、肯定しているのと同じであろうと思いますね。「総裁への信頼」というものが、金融政策上では「重要な評価の対象となっていない」と仰っているのと同じようなものです。それ故、自分が辞任する必要などないのだ、ということでしょう。でもそれって、福井氏が辞任しても痛手でもなければ、問題が起こる訳でもない、ということでもあります(笑)。


まあ、この話は別として、「庶民には利息も付けてくれないのに、総裁自身は村上Fのような悪徳拝金主義者からたくさん利益を貰ってたんだ」というような批判は的外れではないかと思われます。

<突然ですが、前にもちょっと書いたけど、「的を得る」「的を射る」論争はどうなんでしょ?未だに、「的を得る」という表記は誤りである、というような意見が時々見られますよね・・・・これはまた別な機会に>


記事によると、99年からの利益は1200万円超ということで、当初の投資額から約2.2倍になっていた、と。儲けそのものは、特別ということでもないと思うけど。これって、特別「グリーンメーラー」的に、ハチャメチャに頑張ったりせんでも、それくらいになっている人たちはごまんといる訳で。注目を集めた無職青年なんて、100万円が50億円だったかでしょ?(笑)
昨年の納税額1位の人は、運用報酬が100億円以上ということで、それまでの成績は数倍どころではなかったんでは?数年間で、10倍とか、もっとだったかもしれないけれど、兎に角すごい成績だったと思う。


要するに、村上Fが「規格外」の儲けを出してたか、というと、そうでもない。悪い方ではないと思うけど。利益率で言うと、私のような素人運用とあまり変わりがない(笑)。昨年書いた記事(チャンスか、罠か?株式相場)でも、ちょっと触れた。


それにね、99年頃から投資するなら、普通に儲かると思うよ。例えば、新日本製鐵ですが、99年に200円で買って、黙って持ってるだけで昨年末までに450円になってるんですから、+250円ということで、2.25倍ですけど(笑)。キャノンでもいいですよ。99年に2800円で買って、ジーッと待ってるだけで昨年末までに7000円になってますから、2.5倍です(笑)。特別な「裏技」とか、「あこぎな商売」とか、「乗っ取りで脅し」とか、そういうことなんてしなくても、普通に資産倍増が起こってしまうのですよ。投資とは、そういうパフォーマンスを狙っているのですから、別に驚くには値しないと思えます。


なので、2.2倍という数字、利益が1200万円超という数字で、「福井総裁は”不当な”利益を獲得したんだ」というような非難は違うと思う。「庶民が苦しんでいるときに、日銀総裁は儲けてウハウハだったんだ」というのも、単なる嫉みというような感情でしかないと思いますね。福井総裁が儲けたから、多くの人々が貧乏で苦しんだ訳でもないのですよ。そんなことは全く関係がないのです。利益が出てたから、儲けを受けたから、それが悪かったのかというと、それはちょっと違うと思う。利益の大きさとかそういう問題ではないでしょ。


ですから、福井総裁の「国民の皆様に納得いただける使い道に振り向けたい」というコメントがあったけれど、これも変な話だと思うけどね。「納得」というような問題ではないでしょ?


更に追加:

今、新しい記事に気付いた。
全く何言ってんの?「運用益があまりに大きかった」って、そりゃさ、投資を知らない人にとってはそうかもしれんが、もっと儲ける個人なんてごっそりいるって。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <日銀総裁投資>1200万円の運用益で、政府も世論を懸念


安倍ちゃんとか、虎之助さんとか、案外と真面目なんだね(笑)。基本的には、「ええーっ??そんなに儲かるのかよ」ということでしょう。有力議員は早くから当選して議員になるため、株式投資の経験なんて、あんまりないからだろうね。

もうちょっと、答えにヒネリが欲しかったぞ。私ならば、次のように答えただろう(前提として、福井総裁を擁護したい場合、ということで)。

「少ないとも言えないが、一般論として、長期投資の場合には思いがけずパフォーマンスが良いこともあるのです。一部上場企業の株式で、株価が2倍とか3倍になっている銘柄も珍しくはありません。投資する場合には、やはり長期投資がオススメなのですね。皆さんも是非そういう投資にチャレンジしてみて下さい」

と、このように、国民にも「株式投資」を奨励しつつ、福井総裁の問題からは答えを遠ざける作戦ですな。因みに、このような回答をした場合、記事にはされないでしょう(笑)。というか、そもそも私には誰も聞いてないし!



「野菜の王様は何か」論争

2006年06月19日 21時26分39秒 | 俺のそれ
これって、昔からの私の持論があるんですけど、聞いてもらえますか?
「何だよ、そりゃ」とか、後で言わないでね。


まず、料理上手な男は羨ましい。というか、私はなれないし、むしろなりたくない(だって、料理そのものが好きじゃないから・・・)のですけど、見ててカッコイイ。
まず、惚れるね(笑)。

ウチの妻は、「料理の上手な旦那さんのお嫁さんは、いいよね~」と前に言ってた。当然私は料理下手なので、「うーん、ああ、そうだね」で誤魔化すだけなのですけど。前に、草刈民代・周防監督夫妻がテレビに出ていて、料理は監督の方が上手らしく、殆ど監督が作っているらしいことを言ってた。一緒に観ていた妻は、「ホラね、料理好きな男の人って、結構いるのよね」とか言うし。

何が「ホラ」じゃ。たった1例を挙げて、「結構いる」と何故判る、とか心の中で思ったが、口には出さず。女性の多くは、自分の知ってる具体的な例を重視するんだ、やっぱり。
自分の妻の1例だけ挙げて、「女性は~」って一般化してますね、私自身(笑)。同じだね。まあ、これは関係ないから、とりあえずいいとして、周防監督は本当にいい旦那さんだな、と心から思いましたよ。


因みに、ブログ世界で見る料理ネタでは、いつもお邪魔しているNagarazokuさんとか、finalventさんとか、料理上手のお手本です。羨ましい限りでございます。


ウチの妻が言うには、平均的に、普通の「女性の料理」(要するに普通の主婦が作る一般家庭の料理)よりも「料理上手の男性」の方が美味しい、ということだ。それは、男性の方が本格派というか凝り性が多いから、というのが「ウチの妻」説らしい(笑)。使う材料とか調味料とか、そういったモロモロで、男性の方が「良いモノ」を使うんだと。へえー、そうなんだ、と何となく納得させられた。


私は料理が詳しく判らないのだが、「特定の考え」だけは持っている。「野菜の王様は何か」という疑問に、昔から考えていたことがあった。元々は、「くだものの王様は何か」だったんだけど。これも、何故そんなことを思いついたか、って?その理由をお話致しましょう。


かつて、遠足に行く時とか、小旅行に行く時には、何故か「バナナ1本」が必須アイテム(笑)だったんですよね。おやつみたいなもんですね。あと、電車に乗っていたりすると、向かいに座ってるお婆さんとかが、必ず「バナナ食べる?」とか言って、分けてくれたんですよね。それは、まあどうでもいいんですけど、バナナを持っているとリュックサックの中とかで潰れてたりするんですよ。あの真っ黒くなった部分が、ベタって。そして臭くなる(笑)。

で、ふと、「最強果物は何かな?」と思って、自分の好みとか、日持ちするとか、器具を使わずに皮を剥いて食べられるとか、持ち運びしやすいとか、そういった条件を考えて、(私の)最強果物=「果物の王様」は「みかん」に決定されたんですよ。正月とかに食べる小さい方の「みかん」ですけどね。

<昔は冬にしか食べられなかった。給食には、夏場に「冷凍ミカン」として出された。あのカチカチに凍ってたヤツです。なつかしー。>


とりあえず、そういう訳で、「みかん」最強、っていうのが私の持論なんですよね。では、野菜はどうなのか?と、これもふと考えたんですよ。するとですね、使われる料理の種類の多さとか、日持ちだとか(これは毎回出てきますが、かなり重要なポイントなんですよね。私は貧乏性なのですぐに傷んでしまうというのが許せないのかも)、ナマで食べられるとか、皮の剥きやすさとか、そういった要素を全て考えるとですね、・・・・決定したんですよ、「野菜の王様」が。私の中での最強野菜=「野菜の王様」は、「玉ねぎ」です。


で、このことを、「実はね・・・」と妻やウチの子に語ったんですよね、かなり前に。すると、どうでしょう!

「よくそんなクダラナイことを考えたりするよね」
と、笑っていましたよ。
なんだよー、折角父親が「野菜の王様は何だと思う?」とか、言ってるのに、「ハァ?」って顔してるんですよ。

だって、「玉ねぎ」最強と思いませんか?マナで食べられるし、皮も剥きやすいですし、常温保存で相当日にちが経っても腐らないし、何と言っても、その汎用性は他の追随を許しませんよ、多分。だって、スープだろうが、タレだろうが、肉料理、魚料理、サラダ、麺類・パスタ、ハンバーグとか親子丼とか餃子とか・・・・思いつかないくらい多くの料理に使われてると思うんですよ。「玉ねぎ」が存在しなければ、料理は大きく変わってたかもしれないんですよ!

そういうことを力説したせいか、家族には不評だった。でも、数年後にウチの子が「パパはみかんと玉ねぎが一番だと思ってるんだよね」とか言ってくれて、「覚えててくれたのかよー」と感激しました。

ああ、別に家族の中では論争でも何でもなかったんですよね。タイトルに論争とか書いてますが、単に、「私の持論」力説ですね。ある意味、迷惑に過ぎないですね、家族にとっては(爆)。


非常に長い前フリでしたが、「野菜の王様は玉ねぎ」ということで。
もしも、チャレンジャーがおられましたら、どうぞどこからでもかかってきて下さい(笑)。
「イモ」「ニンジン」には負けませんよ(笑)。



凡戦だったクロアチア戦

2006年06月19日 01時05分19秒 | 経済関連
引き分け。運が良かった。
PK決められてたら、全てが終わってたね。

予想とは当たらないものですね(笑)。
最悪ではなかったが、ほぼ悪いのと同じでした。
次のブラジル戦に、勝たねばならない・・・
かなり厳しいね。

何度も相手の得点チャンスがあった。入らなかったのは単なるラッキーだろう。
川口は前に続いて、よくやった。


勝負の後半、工夫が全く見られなかった。
特に玉田。
サントスが相当リスクを取って、左サイドで何度も勝負をかけた。ドリブル突破も試みた。
チャンスはそれなりに作ってた。
玉田のポジションも、動きも悪い。


エリア内で立ってる選手は、単に突っ立って見てるか、ノロノロと歩いてる。
何をやってるんだ、と。もっと動けよ。ただ待っててどうすんの。
ボールを動かせる場所を作る訳でもなく、フォローに行く人もいない。


ハイボールはことごとくせり負けてるのに、何でロングボールを放り込むの?
ポストプレーを期待していたのか、何が目的なのか、よくわからん。

何でもない場所で、トラップミス多すぎ。特に高原、玉田。
高原のシュートが殆ど見られなかった。FWが打てなけりゃ、勝てんな。


柳沢の決定的チャンスは・・・もう言うまい。

オーストラリアはブラジル戦にボロ負けしてくれればいいけど。できれば3-0くらいで。まあ、引き分け狙いだろうね、普通は。ガチガチに守って、勝ち点4あれば、最後のクロアチア戦で仮に負けても、大量失点しなけりゃ2位通過できるし。
ブラジルに0-1負けの場合でも、最終クロアチア戦が引き分け(勝ち点4)なら日本より上に行ける可能性大。得失点差が+1だもんね。日本はブラジルに2-0勝ちでやっと得失点差が0だ。

結局、厳しい状況には変わりなし。か。



とりあえず、サッカーの想定を

2006年06月18日 17時36分07秒 | 経済関連
いよいよ本日、一大決戦の日がやってまいりました。まさに、サバイバルマッチ。負けた方が「転落決定」ということですね。


まず、好ましいシナリオから。

便宜的に「シナリオ1」と名付けよう。


では、「シナリオ1」。


日本対クロアチア戦。

前半立ち上がりからクロアチアの猛攻を受けるも、凌ぐ日本。

しかし、前半20分、クロアチアのミドルシュートが日本ゴールを襲い、キーパー川口がなんとか弾くものの、詰めてきた選手に叩き込まれる。日本先制を許す。苦しい展開が予想された・・・。

日本は遮二無二得点を挙げて勝ちに行くしかなくなり、選手が吹っ切れる。
攻撃陣はロングボールを入れるのを止め、細かいパスをつないで、クロアチアゴール前に迫る。しかし、中々シュートにつながらず。イライラが募る・・・


日本がこのまま無得点かと思われた前半40分過ぎ、左サイドからサントスが攻め上がり、中央側に切れ込みながら中村に好パス。中村は左サイドをドリブル突破。ここでDF2人をかわして、再びサントスへ。サントス、シュート狙いのような早いグラウンダーでセンタリング。中央やや右サイド寄りを、走りこんできた高原の右足シュート!と思いきや、クリーンヒットせず、ガシャっと転がり、相手選手の足に当たって跳ね返る・・・・ありゃりゃ、と思ったら、ボールの先に運良く立ってた柳沢が右足でシュート!
で、同点弾が突き刺さる。今大会、敵のゴールネットが初めて「揺れる」(笑)。


こんな得点ありかよ、やや不満げなクロアチア選手。
日本はまたしてもラッキー得点で追いつく。
ガゼン元気になる日本チーム。
ここで、1-1の同点のまま、前半終了。


運命の後半。再びクロアチアの猛攻を受ける。勝負をかけてきた。
しかし、ここで耐える日本。
密かにカウンターを狙っていた。


日本陣内で、クロアチアの長い攻撃は続いていたが、何度目かにはね返した、後半36分、クリアボールは、中田英へ。
そのまま、センターサークル付近までキープ。後ろを全力で走ってきたのは、福西と右サイドの柳沢。ここで、中田は柳沢にパス。右サイドを進む柳沢。しかし、相手DFに阻まれ、中央の福西に戻す。

福西、エリア外だったが、思い切ってシュート。30m弾。しかし、何とバーに当たって、跳ね返る・・・何という不運。

と思ったら、中田英に再び跳ね返ってきて、エリア内で中田キープ。しかし、シュートできず、「ああ、またダメか」と思いかけた時、うまく転ぶ。さすが海外組。演技も大事だ。

日本、PKゲット!


中村が落ち着いて蹴り込み、日本勝ち越し!!
残り時間は、前の試合と似ている「魔のラスト10分」だ。

守りきれるか、日本。
全員守備で、相手の攻撃を何度もはね返す。今度こそ、勝ち切る。
選手の執念が日本を勝利へと導いた。
2-1。
日本勝利。勝ち点3をゲットし、最終戦に望みをつないだ。


ブラジルは順当勝ちを決め、2-0でオーストラリアに勝利。早々に一抜け決定。
クロアチアは最終戦に勝って、1勝2敗の3チーム並びに全てを賭けることとなった。

クロアチアがオーストラリアに勝つ(ともに勝ち点3)と、日本は引き分けで2位になれる(勝ち点4)ので、絶対に負けてはいけないのだ。

ということで、日本チームは最終のブラジル戦を前に、スパイクのポイントを「サーベルタイガー仕様」とか(笑、そんなのないけど、牙のように長いヤツってことで)にして、テレビでアピール。「ロナウジーニョのどこを削るか」特集したりして、ビビらせることに成功。で、ブラジルは1位ほぼ確定なので、無理をせずに主力を温存。あまり勝ちに拘らず。ラッキー日本。ということで、日本は引き分け、0-0のまま。上出来。勝ち点1ゲット。


クロアチアは最後の望み(1勝2敗で並ぶこと)をかけて猛烈に頑張り、オーストラリアに勝利。2-0勝ち。

この結果、日本勝ち点4で、2位通過決定ー!!

望ましい「シナリオ1」はこんな感じ。








一方不幸のシナリオも一応有り得る。あまり考えたくないが。


「シナリオ2」

本日、日本はクロアチアに完敗。2-0負け。以上。

日本の敗退が早々に決まる。最後のブラジル戦は、記念試合的になってしまう。
クロアチアとオーストラリアは最終戦の直接対決に全てがかかり、激戦となる。

日本は主力を温存したブラジルに、それでも勝てず。
あっさり、1-0の完封負け。
今大会での得点は、最初のあの1点のみ。超サミシー。


これはやっぱりイヤだな。
今夜は多分、興奮する人たちが多いと思いますので、あんまり激しくはならないように気をつけて下さいね・・・

祈りは届くでしょうか・・・やっぱり「ガンバレ」としか言いようがないよね。



孤独と『地球最後の男』

2006年06月17日 13時56分47秒 | 俺のそれ
小学校の頃、図書館で借りた。
『地球最後の男』は、かなり衝撃を受けた本だった。

今までに見た作品の中では、「最も悲しい別れ」の私的評価ランキング第一位かも(笑、悲しいのだから「笑い」は変か)。


当時の本の表紙には、手に拳銃(或いはマシンガンだったか?)を構えている実写の外国人(金髪っぽかったような・・・)の男が出ていた。それが誰かは知らない。


詳しい中身は忘れたが、人類は病気に罹り、全部吸血鬼になってしまうという悲劇の物語だ。主人公の男はたった独りで生きていかねばならず、昼間は毎日吸血鬼退治(吸血鬼を探し出して、胸に木の杭を打ち込みに歩いてた。まさに吸血鬼ハンター)に出かけ、夜は吸血鬼たちからの攻撃に備えた家(?、改良を施した要塞のような建物だったか)で引き篭もってたと思う。家の周りじゅうに「ニンニク」ぶら下げとか(確か投石よけの金網で守りながら栽培していたように思うが・・・)、十字架設置だったように思うけど、忘れた。


ともかく、主人公の男は孤独で、周りには吸血鬼だらけ。悲しい毎日を送っていたのだが、ある時、日中に犬に出会うのだ。


日中に歩けるのは「吸血鬼ではない」という証拠。
男は孤独の苦しみから解き放たれた。

犬との出会いを心の底から喜ぶ、男。
しかし・・・


この犬も「病気に冒された」のだった。
犬との別れがやってくるのだ。
孤独から男を救ってくれた、かけがえのない犬だったのに・・・。


これを読んでた時、私は思わず泣いてしまった。
あまりの悲しさに。
その強い印象があった。


孤独はやはり、辛い。



あと、当時、印象深かったのは白土三平氏の『ワタリ』だったかな。『カムイ伝』の強烈な絵もアレ(子ども心に、「リアルな現実」を知らされたように思えた)だったが、『ワタリ』が一番お気に入りで、何度も立ち読みしに行った(昔は漫画は立ち読みし放題だった)。

そんなこともあって、よく「サバイバルちっく」な妄想をしていたように思う(ハッキリ言えば、バカだった)。



福井日銀総裁の法的責任はどうなのか

2006年06月15日 15時10分40秒 | 法関係
現在も色々と物議を醸しているようですが、政府内の見解も色々です。素人が首を突っ込むな、とか言われるかもしれませんが、ちょっと考えてみたいと思います。

まず、私の意見から言えば、即刻辞任するべきでしょう。田中秀臣先生の意見に賛成1票、ですね(笑)。

日銀総裁という「信用」を最も重要とする職務にあって、また、法的に身分保障がなされているということに鑑みれば、一般人の果たすべき説明責任や透明性確保という基準以上に厳格であるのは当然であって、日銀総裁への信用、引いては「日銀の信頼」さえも危うくするという事態にあっては、引責辞任は論を待たないでしょう。それくらいの覚悟は必要なのではないでしょうか。どんなにいい加減な根拠のない疑念であっても辞任せねばならんのか、というような極端な疑問も見受けられますが、そこまでの言いがかり的な疑念というのは一般社会においても少ないと思われますね。辞職に追い込まれた永井議員の「メール疑惑騒動」を見ても、あまりに酷い「ガセネタ」であれば疑念をかけた側にだって何某かの責任を問われることがあるのですから、何でもかんでも「疑念であればよし」といった議論にはならない程度に、バランスは働いていると思いますけど。


感情論としては、とりあえずこれくらいにして、法的責任はどうなのか、ということについて考えてみようと思います。現在のところ、主に「村上ファンドに1千万円出資していたのが問題だ」というような切り口かと思います。もっと一般化して言えば、日銀総裁の個人的利殖行為・活動はどの程度ならば許容されるのか、ということですね。まず、ここから考えるとしましょう。


既に話題に出ていますけれども、「日本銀行員の心得」という規定に違反しているかどうか、ということがあります。「日銀総裁になったら銀行預金口座さえ持てないのか」とか、その他過激・極端な例を想定してみても始まらないと思いますね。

結論から言えば、社会通念上、「問題ない」という許容範囲ならばいいと思えます。具体的にはどうなのか、ということになれば、単なる手続き論ではないかと思えます。即ち、「コンプライアンス会議に諮ればよかった」ということです。


「日本銀行員の心得」には次のように規定されています。

6.私的関係者、職務上の関係者以外の者との行為

(1)職務上の関係者のうち日本銀行員としての身分と無関係に知り合いまたは付き合いを行っている者との間では、相手方と知り合ったり付き合ったりしている経緯や職務上の関係の程度等に鑑み、公正な職務遂行に疑念を抱かれる惧れがないと認められる範囲であれば、3.および5.の規定を適用しない。

(2)職務上の関係者以外の者と接する場合にも、その頻度、場所等または財産上の利益供与もしくは供応接待について、社会通念上相当と認められる程度を超えたと受け止められないようにするなど、世間から疑念を抱かれることのないよう慎重に配慮しなければならない。

7.個人的利殖行為

(1) 職務上知ることができた秘密を利用した個人的利殖行為は、厳に行ってはならない。

(2) 現担当職務と個人的利殖行為との間に直接的な関係がなくとも、過去の職歴や現在の職務上の立場等に照らし、世間から些かなりとも疑念を抱かれることが予想される場合には、そうした個人的利殖行為は慎まなければならない。

 また、疑念を抱かれる利殖行為に該当するか否か判断し得ない場合は、あらかじめ所属長(所属長自身の場合はコンプライアンス会議の審議を経て総裁が役職員の中から定める者)に相談するものとする。


このようになっており、所属長自身の場合に該当すると判断していいと思いますので、総裁自身の利殖行為に関して「些かなりとも疑念を生じる惧れがある」ということが想定されるのであれば、予め「コンプライアンス会議」の審議に附して議事録等に「問題なしと判断した」というような「証拠」を残せば済むことではないかと思えます。このような「慎重な対応」は、世間一般の判断基準によって要求される、ということを「心得」では想定していると思われ、その程度の思慮は「日本銀行員においては可能」ということで、このような心得が規定されていると考えるのが妥当ではないか、と。従って、日銀総裁の個人的利殖行為における身の証の立て方としては、「疑わしきはコンプライアンス会議に諮るべし」ということであり、その注意義務は当然日本銀行員や日銀総裁にあると思います。それを「怠ったのは日銀総裁の過失」と言ってもいいでしょう。

(※ちょっと補足ですが、コンプライアンス会議の審議を経て「相談者を選ぶ」ということになるので、コンプライアンス会議の中で「判断される」ということではないですね。少し勘違いしてました。スミマセン)

◎村上ファンドに出資したことが「心得」に違反するかどうか
出資先がどこであろうと、社会通念上「世間から些かなりとも疑念を抱かれると予想される場合」に相当すると判断することが合理的ではないとはいえないため、「コンプライアンス会議」の審議を経るべきところ、これを怠った日銀総裁には過失が認められる、というべきである。


ただし、「心得」にちょっとくらい反していても、必ずしも引責辞任を問えるほどの過失といえるかどうかは、判断の分かれるところではあるかもしれません。解任に相当する事実があったかどうか、ということも重要です。身分保障のなされている特殊な職務ですので、「意に反して解任される」というのは、法的規定によります。


ところで、「日本銀行員の心得」は法令ではありません。いってみれば、「ガイドライン」のようなものに過ぎないでしょう。根拠法はあくまで「日本銀行法」であり、その第32条規定によるのが「服務に関する準則」で、その下に「日本銀行員の心得」が位置すると思われます。


日本銀行法 
第32条 (服務に関する準則)

日本銀行は、その業務の公共性にかんがみ、その役員及び職員の職務の適切な執行を確保するため、役員及び職員の職務に専念する義務、私企業からの隔離その他の服務に関する準則を定め、これを財務大臣に届け出るとともに、公表しなければならない。これを変更したときも、同様とする。


この規定によって「服務に関する準則」があり、準則第9条に次のように定められています。


第9条  日本銀行の役員及び職員は、中央銀行サービスに対するニーズを把握するとともに、日本銀行の活動について広く国民の理解を得るため、広聴・広報活動に努めなければならない。

2   日本銀行の役員及び職員は、本条第1項の活動も含め、外部との接触に当たっては、常に公私の別を明確にし、特に職務上の関係者との接触に関しては、公正な職務遂行に疑義を招くような行為は厳に慎まなければならない。

3   本条第2項の具体的な運用に関する事項については、総裁が別に定める。


この第3項規定で「総裁が別に定める」としているのが、「日本銀行員の心得」であると考えられます。前述したように、「日本銀行員の心得の7」の規定の「コンプライアンス会議」を経ない個人的利殖行為があったとて、それをもってすぐさま準則第9条違反であると認定することは難しいかもしれません。


◎むしろ、準則第9条違反よりも、第5条違反の方が問題になってくる可能性があります。

「服務に関する準則」
(信用、名誉の保持義務)
第5条  日本銀行の役員及び職員は、日本銀行の信用を傷つけ、名誉を汚すような行為をしてはならない。


これと似たような状況は、企業の従業員就業規則の規定による懲戒処分や解雇事由に該当するかどうか、といった場合でしょうか。「企業の信用を失墜させた」とか「企業の名誉を害した」というのが、具体的にどの範囲・程度なのか、というのは判断が分かれることがあると思われ、準則第5条違反を問う場合でも、具体的にどのような行為がそれに該当したのか、というのは、やや判断が難しいかもしれません。例えば、「村上ファンドへの出資」や「村上氏との個人的な関係」がそれに該当しているか、といった議論が必要になるでしょう。それでも、仮に準則第5条違反であったとしても、解任することはできません。



では、総裁の解任事由とは何か、ということになりますが、それは日本銀行法弟26条規定によります。

(役員の行為制限)
第26条  日本銀行の役員(参与を除く。以下この条、第三十一条及び第三十二条において同じ。)は、在任中、次に掲げる行為をしてはならない。
一  国会又は地方公共団体の議会の議員その他公選による公職の候補者となること。
二  政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をすること。
三  報酬のある他の職務(役員としての職務の適切な執行に支障がない職務の基準として第三十二条に規定する服務に関する準則で定めたものを満たすものと委員会において認めたものを除く。)に従事すること。
四  営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと。

2  日本銀行の役員が国会又は地方公共団体の議会の議員その他公選による公職の候補者となったときは、当該役員は、その役員たる職を辞したものとみなす。


今回の福井総裁の行為であれば、第26条第1項第3号、あるいは第4号規定に抵触するかどうか、です。まず第3号規定から考えてみましょう。


「服務に関する準則」の第7条に具体的な規定があります。

第7条  日本銀行の役員は、在任中、次に揚げる行為をしてはならない。

 一  政策委員会が、以下の基準をすべて満たすと認めた場合を除き、報酬のある他の職務に従事すること。
 但し、政策委員会が、通貨及び金融の調節、信用秩序の維持、国際機関との協力その他の日本銀行の目的を達成するため特に必要と認めた場合は、この限りでない。
  イ  他の職務に従事するため勤務時間をさくこと等により、日本銀行における職務の適切な執行に支障が生じないこと。
  ロ  他の職務に従事することにより、日本銀行における職務の遂行上その能率に悪影響が及ぶような心身の著しい疲労がないこと。
  ハ  日本銀行における職務と従事しようとする他の職務との間に特別な利害関係がなく、又はその発生のおそれがないこと。
  ニ  従事しようとする他の職務が経営上の責任を負うものでないこと。
  ホ  他の職務に従事することが、日本銀行の信用、名誉を毀損するおそれがないこと。

 二  営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと。

2   日本銀行の職員は、総裁の許可を得ることなく、営利を目的とした事業を自ら営み、又は営利を目的とする企業その他の団体の職を兼ねてはならない。



福井総裁の国会答弁の議事録が公開になっていませんので、定かではありませんが、ニュースなどで報道されたことから推測をしていきたいと思います。

まず、村上ファンドにおける「有報酬のアドバイザリー契約」の存在ですけれども、これは民間人時代にはあったかどうかは定かではありません。しかし、アドバイザーという職務であったことは確かであると思います。国会答弁では「総裁就任後には、”報酬のある”アドバイザリー、ああ、アドバイザーという立場ではありません。”アドバイザー”というのは、あくまで無報酬です」というような答え方であったと記憶しています。つまり、福井総裁の答弁では「第26条第1項第3号」規定の「報酬のある他の職務」には該当しない、という意図であろうかと思います。なるほど、「村上ファンド」のアドバイザー就任というのは、第3号規定には抵触していない、と。


では、第4号規定はどうでしょうか。
「営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務を行うこと」に該当するかどうか、ということです。

「『アドバイザー』というポストに就任していた」ということは、国会答弁からも事実であると思われます。また、「報道ステーション」で入手したとされる「村上ファンドの資料」によれば、「日銀総裁就任後の、03年時点で『アドバイザー』には福井氏の名前が記載されていた」ということのようです(これは昨日報道されていました)。


一般に、『アドバイザー』とはのような立場を指すのか?法的解釈は私には判りません。もっと分かり易い例で考えてみましょう。通常の企業で言うと、「相談役」というポストがあります(トヨタ自動車の奥田さんも、相談役になりましたよね?)。有報酬であったり、無報酬の単なる「名誉職」的な場合があったりするかもしれません。実態としてはどちらが多いとかは関係なく、法人にとっての「相談役」とは、会社(法人)の人間か否か、ということが問題です。一般常識的に考えれば、名刺にも法人名は入るし、法人の立場としては「会社の内部の人間」ということであって、報酬の有無には無関係に「会社に在籍している従業員」というのと同じであると思います。つまり、「相談役」というポストが、報酬の有無には無関係に「会社に属している人間、法人の業務に従事する人間」ということです。


では、『アドバイザー』とは如何なる職種なのか?このポストは「法人に属しないのか?」ということです。相談役と同様の判断を行うとすれば、あくまで「法人に属する人間」であり、その他従業員と何も変わらない、というのが「社外から見た」時の判断であろうかと思います。投資ファンドはどういった法的扱いなのかよく知りませんが、もしも法人格が存在するとすれば、『アドバイザー』は紛れもなく「投資ファンド法人」に属する人間であると考えるのではないでしょうか。他にも、例えば公益法人などにおける無報酬の理事やアドバイザーは、法人の有報酬の役員・職員等と同じであると思います。


となれば、福井総裁が「村上ファンド」の『無報酬アドバイザー』であったとしても、「投資ファンド法人に在籍する人」ということになるのではないかと思います。それ故、村上ファンドの資料には、アドバイザーとして福井氏の名前が表記されていたと考えるのが妥当であろうと思います。

残るは、「村上ファンド」という投資法人が行っている業務のうち、『アドバイザー』の従事する業務が「営利事業を営み、その他金銭上の利益を目的とする業務」に該当するか否か、ということになると思います。これは社会通念上、「利益を目的とする業務」に該当すると判断されることが多いと思われます。誰がどう考えたって、そういう判断になると思いますね。

法的な解釈はちょっと正確に判りませんが、一応書いておきたいと思います。
「アドバイザー」というのが、業務なのかどうか、ということについてです。以前に、「医業」の記事(医業と歯科医業)にも書きましたけれども、法学的には色んな見方があって、報酬の有無や反復継続性の問題などがあり解釈は分かれますが、必ずしも報酬の有無とか反復継続性というのが「業」の決定的な要件にならないという解釈もあります。よって、投資法人の中に「名前が残っている」とか「アドバイザーという肩書きが存在する」という時点で、「業務に従事」と判断するのは合理的でないとは言えないのでは、と思います。民間人時代にアドバイザー就任ということであれば、その後、日銀総裁に就任する時点で村上ファンドに「辞任」申し出を自ら行うべきでしょう。


「実質的に業務には従事してなかった」とか、「うっかり忘れていたんだ」とか、そういった言い訳は通用しないことは当然ですよね。法の規定を知らないことは、法的責任を逃れられる理由にはならないんだそうですから。村上ファンド側に「アドバイザー解任」という証拠が残っているとか、福井総裁のもとに「退職願い」とか「辞任願い」とかを村上ファンド側に提出した、というような証拠があるとか(普通は写しとか残さないと思うけどね、笑)、そうでなければ、第4号規定に抵触している可能性が高いと思います。


◎村上ファンドの「アドバイザー就任」が、日銀総裁就任後にも継続されていた場合、「日本銀行法弟26条第1項第4号」(「服務に関する準則」では第7条)規定に抵触する可能性が高く、これは総裁解任事由となる。


これが明らかとなれば、第25条の規定に基づき解任することになります。

日本銀行法
第25条 日本銀行の役員(理事を除く。)は、第二十三条第六項後段に規定する場合又は次の各号のいずれかに該当する場合を除くほか、在任中、その意に反して解任されることがない。
一  破産手続開始の決定を受けたとき。
二  この法律の規定により処罰されたとき。
三  禁錮以上の刑に処せられたとき。
四  心身の故障のため職務を執行することができないと委員会(監事にあっては、委員会及び内閣)により認められたとき。

2  内閣又は財務大臣は、日本銀行の役員が前項各号に掲げる場合のいずれかに該当する場合には、当該役員を解任しなければならない。

3  前項の規定によるほか、理事については、財務大臣は、委員会からその解任の求めがあったときは、当該求めがあった理事を解任することができる。


第25条第1項第2号の「この法律の規定により処罰されたとき」に該当します。処罰は第26条違反の場合、第65条第5号規定により「50万円以下の過料」となります。結局第26条違反があれば、第65条が適用され、自動的に第25条規定は発動されますね。

よって、第25条第2項規定の通り、「内閣又は財務大臣は、当該役員を解任しなければならない」ということになります。


まとめると、福井総裁には、次の3つの問題点が存在する。

①個人的利殖行為に係る疑念を生じせしめ「コンプライアンス会議」に諮るを怠った過失がある
②「服務に関する準則」第5条の信用・名誉の保持規定に反する惧れがある
③日本銀行法第26条第1項第4号規定(利益目的の業務従事)違反の可能性がある