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所得格差が子供を下層階級にするのか

2006年02月27日 22時04分37秒 | 教育問題
非難轟々ということになるかもしれないが、率直に書くことにする(コメントスクラムはやめてね、笑)。

前にも書いたのだが(格差社会5)、格差、格差ってのが本当に疑問だ。


よく聞くのは、親の所得格差が子供の教育格差に繋がっていて、しかも、「下層階級」の子供は既に諦めてしまって学業を頑張ろうと思わないそうだ。希望を失っている、ということも同じなんだと。親が金持ちじゃなけりゃ、「行きたい学校にも行けず」、ありとあらゆる「競争が不平等」で、「機会も不平等、結果も不平等」で、子供は勉強の出来ない子になってしまい、まともな仕事にも就けないようになってしまうんだそうだ。貧乏人は貧乏人のまま、世代を超えて階層固定されるんだって。そう言えば、内閣府の報告にはニートも低所得層が増加している、とか書かれてたしな。


じゃあ、そういうことを言う大学教授は、どうしたらいいと思ってるんだ?どうやって解決するのか言ってみてくれ。本当の根本的解決策はあるんだろう?現実には実施できないとしても、元々の「理想の答え」というのがあって、その通りやったら解決できるんでしょ?現実的な解決としては次善策を目指すか、それに極力近づけるような政策を考えればいい。是非とも「理想の答え」を聞かせてくれ。そして、それができた時の世の中を想像してみてくれ。全員が高給取りになってるのか?(爆)

希望格差も所得格差も無くなっているから、全員勉強が出来るようになるし、医者・弁護士とか大企業とかのような現在の「勝ち組」と言われるような仕事に就いている人しか存在しなくなって、全員が金持ちの安定した豊かな生活が約束されるんでしょ?その「理想の方法」を実行できたとしたら。安い給料の仕事に就く人達が誰もいなくなるから、外国人のメイドとか労働者だらけになってしまうな(笑)。


勉強が出来ることがそんなに偉いのか?給料が高けりゃ、立派な人間なのか?大学教授さまは偉いから、「貧乏人というのがまたバカな貧乏人を生み出す」とか思っているんだろう?「勉強だけが人生じゃない」って言ったりするのは、下層階級の貧乏でバカな子供だけだってんだろ?格差がそういう子供を生み出すと言いたいんだろ?一体何なんだ。そんなことが幸せなのか?


既に他界した有名な一流企業の創業者は、奥さん以外にも何人も女性がいて、認知した何人かの子供達に遺産相続をしたそうですよ(数億円も貰えたそうだから、全然下層階級じゃないですね。さぞ、誰しも羨む幸福だろうよ)。そういうのが「本当に立派な人だ」と思っているなら、そういう人生を目指せばいいでしょう。何億だか、数百億だかの遺産を残せるような企業創業者にしたって、立派な行いばかりなんかじゃないんですよ。

それとも普通に表現してみましょうか?「愛人が何人もいるような大金持ち」というのが立派な社会人であり、「配偶者以外に子供を何人も産ませる」というのが、立派な大人になる、ってことですか?(爆)

もしも、そういうのが正しい、っていう学者がいたら是非会ってみたいね。そういう大金持ちが何故非難されないかと言えば、社会的な地位と金があるからだ。それだけだろ。金のない「怪しげな教祖」や「ジゴロ気取り」が何人もの女性に子供を産ませると、逮捕されたりしてしまうこともあるけど(笑)。こういう大金持ちで一流企業を創業した人間は、貧乏だが真面目で道徳的な人間よりも偉い、って言ってみろよ。後者のような人間は、「所詮”下層”階級であり、その子供も下層階級になりがちだ」って言ってみろ。学者たちがこれを宣言できるのなら、下層とか格差というものの意味が、私にも少し理解出来るかもしれないな。


格差を謳ってる学者は何を平等と考えてるのか分らない。所得格差が子供の能力を変えるのか?私立中学に行く子と行けない子には格差があるのか?そういう意味?学習塾に行ける子と行けない子も?家庭教師の付けられる子と付けられない子も?じゃあ、どうしろと?貧乏人を根絶しろとでも?クソみたいな塾に通い、私立中学だかを受験して合格して、その後も大学受験して、そういう道を多くの連中が進んで、中にはクソみたいな末路を辿る人もいるんではないですか?


子供に大金をかけられることが幸せだなんて思っているんだったら、そりゃ大間違いだ。子供の人生にそれが最も大切だ、と思っているんなら、全然違うと思うよ。勉強の成績は、格差のせいなんかじゃない、って(笑)。別な教育の問題だろ。公立の学校だけしかなくたって、ちゃんと教育はできるはずだろう。家庭教育の質にも違いがあると思うし。今なんて、工夫すれば色々方法はある。たとえ貧乏でも、何か方法を探せるはずだ。そういうことにこそ意味がある、ってもんだろ。


デフレの影響を受けて失業率は増加した。これは個人の能力や考え方には無関係なことだ。確かに仕事に就けないことの理由の一つではあるかもしれないが、現実には多くの若者が就職して、数はずっと減ったがそれでも官僚も誕生しているし、大企業にも就職してるし、「勝ち組」とかもてはやされる人々も実際にいるじゃないですか。そういうのを目指したい人たちは、その競争に敗れたんですからしょうがないですよね。別な道を探すことがあってもいいでしょ。大工になったって、左官屋になったっていいではありませんか。


有名私立みたいないい学校(笑)に入れないのは、「機会が不平等」だからですか?実力を見る試験の成績ではなくて?それとも、貧乏人は金がないので有名私立には入れないから、これも不平等だと?私立というのは、元来金持ちだけを相手にするサービスなんだから、それでいいでしょ。わざわざ大金払ってまで行きたい奴らだけが行けばいいじゃないですか。そういう学校に行った人々は全員幸せになっているんですか?皆いい会社に入ったり、素晴らしい人生を送れたりしているんですか?(笑)貧乏人は知恵と度胸で勝負、でいいではないですか。ないものねだりをしても仕方がないでしょ。親が「あれはウチでは買えないんだよ」というものが世の中に沢山あって当然だっての。もしも初めから下層階級と認定されているんだったら、もっと「落ちていくリスク」が少なくて有利かもよ?どうせ下からの出発なんだったら、それでいいではないですか。


塾もなければ私立もない所なんて、全国には沢山あると思いますよ。東京の平均給与よりはるかに安いところなんて沢山ありますよ。確かに給料は安いかもしれないし、携帯電話を持っている中学生もかなり少ないかもしれないが、そういう地域の人々は下層階級で固定されて不幸せな人生をみんな送っているとでも言うんですか?いいじゃないですか、塾や私立学校に行けなくたって。主に大都市圏での問題なんじゃないの?田舎もそうなの?


そもそも教育を研究している学者たちが間違えてきたから、今のような惨状を産んだのではないのか?教育とはこうしていくべきだ、ということって、人間の営みなんだからそんなに直ぐに変わったりはしないと思うけど。
当然ながら、学校の教科書の範囲とか内容は色々変化はあると思うが、そんなことは根本的な問題ではない。親が「教えること」ってそんなに大きく変わるのか?動物は大体一緒だろ?人間様だけがそんなに違うの?


人間が生きていく上で教しえられるべきことは、そんなにしょっちゅう変わるものではないと思うけど。根本を変える連中ってのは、大体大間違いを犯してきたんだろうな、と思う。ギリシャ哲学の時代と現代とで、人間の根本的生き方は変わってないように思えるけどね。「このように生きるべき」ということは、大体同じだろ?殺戮しまくるのが、素晴らしい生き方だ、とかって言われてたのか?他人を騙して陥れたりすることがいいと言われてたのか?違うでしょ。ならば、教える方だって昔と同じく教えるんじゃないのか?根本を見失うと、時代に流されたりして、その時々に間違いを犯すのさ。特に大間違いを犯しやすいのは本当のバカではなくて、むしろ「浅知恵」をつけている連中さ。タダの頭でっかちの、クソ知識を詰め込んでる連中さ。書物などに書いてあるものとか、情報をよく取り入れたりするのが、逆に間違いの元になってしまうのさ。戦前を思い浮かべればわかるだろう?どういう連中が先導して、間違えた方向に突き進んだのか。


今は生き方を教えないで、教科書に書いてあることばかり教えようとするし、子供にもそれを要求する。バカな親は、テストの点数が良ければ「いい子」だと思っている。受験に合格したら「いい子」だと思ったりするんですよ。そんな訳はないんですよ。それは単なる付録に過ぎない。


だが、学者も一緒になって、こういう生き方を推奨している。教育投資に金をかけるのが良くて(=教育にはお金を沢山かけるべき)、貧乏人にはそれが出来ないから下層階級を固定化させてダメなんだ、意欲も希望もないんだ、ということですな。

貧乏なりに、できることをやればいいじゃないか。それの何が悪いというのだ。




金利復活のカウントダウン

2006年02月26日 18時10分05秒 | 経済関連
今は与謝野さんが政府側の支援部隊となって「政府・日銀の一致」を必死に説いて回っているのですけれども、”日銀派”である与謝野さんの言い分ですので、経済学風に言うと「割り引いて」受け止める必要がありそうです(笑)。プレミアムが乗っているんですよ、と。笑ってる場合ぢゃないですよね。失礼。


このままの勢いで行けば、ライジング(竹中・中川)チームは後退せざるを得ず、経済政策では”財政一派”に一本取られてしまう。これが果たして阻止出来るかどうかで、次の政権での主導権争いを占う意味合いも出てくる。ライジングチームの後退が明らかとなれば、財政一派の方が優勢となり、日銀は間違いなく総裁選直前にゼロ金利を解除することに踏み切るだろう。次の政権を誰が獲っても、直前に変えておけば「問題なし」ということを含みにしていると思う。その時までは、与謝野さんが大臣だし。竹中大臣の処遇問題というものも絡むので、日銀はその前に「一仕事しておきたい」と考えたとしても不思議ではない。


財政一派は仮に総裁を出せなくても、実質的に重要な大臣ポストをエサにして総裁選の選挙協力をするくらいは出来るはずでしょうしね。中川さんの影響力が結構大きいとしても、竹中さんを重要ポストに残せるほどの力を発揮できるかは疑問だと思うね。党役員は無いとして、経済財政相か財務大臣あたりのポストを用意するとなれば、これは結構難しいと思うね。次に誰がなるかは、重要な意味があるんだろうけど。


量的緩和が決定されたのは、小泉政権誕生直前でした(01年3月)。つまり、日銀としては多分体質的に「見通し」重視なので(笑)、現政権での形があるうちで、政府内に日銀派が確実に存在している方が都合がいい。かつ、政府側の誰もやる気があんまりなくて(政権終末時期ですから小難しいことは関知したがらないし、次の総裁選びに皆の意識が集中しているので)、強い反対論の出難い時期がいいと考えるハズです。万が一、ライジングチームの強烈な巻き返しに遭ってしまっては、「ゼロ金利解除」という目的は果たせなくなるかもしれないし。総裁に誰が登場してくるか分らず、(与謝野さんのような)日銀派の援護射撃を受けられるかどうかも不明、となればそういう「不確実性」(笑)を排除したいと考えるのは必定ではないかな、と。


谷垣くんとか財務省は、現在の「日銀派との共闘路線」という疑念を持たれたことを”躍起になって”否定したいのか(実際どうなのかは知りませんが)、デフレの認識と「解除は慎重に」という通り一遍の答えをしていた。単なるポーズかな?と思ったのですが。


そうなると、日銀としては金利を復活させるまでに毎月約5兆円程度当座預金残高を減らして行くとして、30兆円超から約6兆円までとなれば、約5ヶ月間かかる。9月に総裁選挙で、日銀決定と総裁選挙はどちらが日程的に早いのか分りませんが、多分日銀の方ではないかと思いますので9月に金利復活としたら、4月には量的緩和解除となってしまいます。そこから約5ヶ月かけて、元の水準まで減らしていく、と。


普通に考えて、景気後退局面というのは必ずやってきます。そして、今の景気回復傾向は戦後最長ペースとか言うらしいが、秋まで持続したとすれば新記録な訳で、そこから更に1年も2年も拡大が続くと考えることの方が難しいと思うけど。すなわち、日銀が金利復活をさせようとする頃には、景気後退開始局面がすぐそこに来ている、ということですね。一気には落ちていかないのでしょうけど。後退していく場面なのに、わざわざ「引き締め」を敢行しよう、ってんですから。00年の時と全く同じ失敗を繰り返す、ってことです。日銀は景気拡大はこれからも更に長く続くと真剣に思っているのかもしれない。まさに「上がり続けると信じる株」みたいなもんですか。



吉川vs権丈??

2006年02月25日 23時59分55秒 | 社会保障問題
我が家では朝日新聞をとっていないので普段は読むことはありませんが、吉川先生と権丈先生の討論が出ていたそうです。「namiメモ」さんの記事(namiメモ -  人口減で経済どうなる(朝日新聞))で知りました。両者の主張の違いが出ていて、吉川先生はどちらかと言えば「持続可能」という観点に重きがあって、それはそうなのですが、国民が考えて決めることだと思いました。「何を優先したいか」「何を最も求めるか」という部分では、国民の意思をまずは知るべきであろうな、と。


吉川先生はまるで会社の備品供給担当者(実際には見たこともないので全く知らないんですけれど)のようです(笑)。

ヒラ「ボールペンが直ぐになくなるから、買って欲しいんですが」
担当「使い過ぎです。買うお金には限りがあるので、使わないように」
ヒラ「でも、無いと困ります」
担当「少なくしか使っていない部署もありますので」
ヒラ「でも・・・、困るんですけど」
担当「自力でお願いします」
ヒラ「えーっ!?自分で買うんですか?」
担当「そうです。ない袖は振れないですから」
ヒラ「ある程度、支給してもらわないと足りないのですが」
担当「自分の好きな形のボールペンを選択出来ないですよ」
ヒラ「自由なものよりも、きちんと支給された方がいいのですが・・・」
担当「それなら来年にはもっと減らすことになりますよ」
ヒラ「・・・・・・」

ちょっと(いや、かなりかな?)無理なたとえですが、こんな感じですね(笑)

nami-aさんは「非モテの牙城、はてな」と仰っていますが、実際もそうなのでしょうか(笑)。

ご指摘のように、この前の諮問会議ではグローバル戦略関係で呼ばれていた伊藤元重先生が「婚姻20組のうち1組の割合が国際結婚です」と紹介しており、奥田さんも前から「海外の労働力導入」を主張していたので、確かに非モテ解消(男性の生涯未婚率が12%超とか言われるご時世ですので・・・)には一つの解決策でもあります。男性の方が毎年多く生まれているのですし・・・。微妙な問題ですね。


吉川先生は拙ブログ記事に最近登場回数が増えました。平ちゃんを含めた「慶応連合」が反旗を翻す、ということでもないんでしょうけれど(笑)。
何というか、面白いですね。



荒川さん金メダルおめでとう記念

2006年02月24日 21時51分18秒 | 経済関連
今日の話題は何と言っても、荒川さんの金メダルでしょう。おめでとうございます、と言ってあげたい。日本でのメダル期待が高まっていたので、プレッシャーがあったと思いますが、立派だと思いますね。村主さんも惜しかったですね。何でもいいからメダルを取らせてあげたかった。ミキティは・・・若いですからチャンスはきっとあるでしょう。荒川さんと同様に、また頑張ればいいと思います。


五輪のフィギュアスケートにはあまり記憶がないんですが(ジャネット・リンくらい?古!)、何故かアイスホッケーの鮮烈な記憶があります。長野の前の時、アイスホッケーの決勝に日系カナダ人が出場していて、カナダチームのエースだったので覚えている。当時、彼はまだ20歳前の若者でした。


名はポール・カリヤと言います。大学で大活躍したのでドラフト1巡目で指名され、新人としては破格の待遇でNHL入りが決まっていました。彼はカナダチームのエースとして期待されて五輪出場を果たし、五輪後にはプロへの道が決まっていたんですね。

私がアイスホッケーを観てたのは決勝戦だけで、どういうわけか夜中に放送しているのを偶然観ていました。普段はアイスホッケーなんて観ないんですけど。それに、カナダチームがそれまでどんな戦いをしてきたかとか、他の有名な選手とかは全く知らないんですが、日系人というだけでカリヤを応援することにしたんですね。で、決勝の相手はスウェーデンだった。いつもはロシア、チェコとかアメリカあたりが強豪だろうと思うけど(最近だと、どこが強いかはよく知らんけど)。その年はたまたま快進撃を続けたんでしょうね、スウェーデンは。


実際に試合の方はどうなのかというと、決勝戦に相応しく非常にスリリングな試合で、パワープレーも息詰まる攻防が繰り広げられ、兎に角ハラハラしながら観てました。でも、2対2のまま延長でも決着が着かず、ペナルティショット戦に突入したんですね。これはサッカーのPK戦と非常によく似ています。5人ずつが交互にシュートをするんですね。基本的な仕組みはサッカーのPKと同じ要領です。大きな違いというのは、アイスホッケーの場合には、ハーフライン辺りからシュート側の選手はゴールに向かってスケーティングしながら近づいていくのです(バックは出来ないと思いますけど)。ですので、どのようなタイミングでシュートしてくるか分らないのと、互いに動いている為に非常に駆け引きが重要なのです。ゆっくりゴールギリギリまで近づいて、連続フェイントのような感じでキーパーをかわしてシュートする時もあれば、早いスケーティングで一気に近づき強烈シュートの時もあるし、ペナルティショット戦だけ観ていてもかなり楽しめます。サッカーのPKよりはポイントが入りにくいので、キーパーよりも圧倒的に有利かというと、そうでもないんですよね、アイスホッケーって。


で、カナダチームのエースだったカリヤは、最後に登場してきたんではなかったかな?5人目だったはずです。スウェーデンの1ポイントリードで迎えた5人目だったかも。カリヤはここで絶対に決めなければならなかった。しかし、外したんですよね。若きエースに託された最後の1ポイントだったのです。かなりのプレッシャーだったのでしょう。彼の失敗によってスウェーデンの優勝が決まってしまいました。

カリヤはチームの負けを自ら決定してしまったのでした。茫然自失の彼の横では、金メダルを決めたスウェーデンチームの歓喜爆発で、対照的な彼らの姿に涙しました。むしろ負けたカリヤの方に、凄く感動したのでした。

随分と昔の話です。


それと今年の場合は、カーリング人気が高まってきたということのようですが、世の中の人々はきっとすぐに冷めると思うけど。今年の健闘というのは確かにあるのですが、かつて長野オリンピックの時に一世を風靡したことを覚えている人はそんなに多くはないかも。

「二十歳のスキッパー」敦賀君の最後の一投。涙のアメリカ戦でした。敦賀君はカーリング王国の常呂町出身です。あの時だって、カーリングと常呂の名前は全国に知られることになりましたよね?そうでもなかったのかな?なので、今回のカーリング人気も直ぐに冷めていき、次のオリンピックでは前回がどうであったか、とかは殆どが忘れ去られていると思う。


正確ではないかもしれませんが、予選最終戦での対アメリカ戦だったと思います。これに勝てば決勝進出だったのですが、残念ながら負けてしまったと記憶しています。スキッパー敦賀君は最終ゲームの最後の一投(本当に最後の最後)で自分としては最高のショットに成功しました。敦賀君は自分の投げた後で、「これで勝った」と自信を持って思っていたと、試合後に語っていたはずです。しかし、アメリカチームの最後の一投はそれを上回る奇跡のショットでした。アメリカチームのキャプテンがこの絶体絶命の状況を変えるスーパーショットを成功させ、奇跡の逆転(中心からの距離が僅か数センチの違いだったと思う)を果たしてしまったのです。この瞬間、若きスキッパーは泣き崩れて、氷上から動けませんでした。


敦賀君の最後の一投は、本当に勝利を確信するような素晴らしいショットでした。完璧でした。誰もが日本の勝利を信じました。しかし、アメリカチームのスキッパーは、針の穴を通すような難しいコースと、勝つにはあまりに難しい微妙なスピードを要求されたにも関わらず、凄まじいプレッシャーと闘いながら、敦賀君のジッと見つめる前でそれを成功させてしまいました。そのスキッパーは、敦賀君とは2倍以上の歳の差があるような老練なプレーヤーでした(多分40歳代だったと思います)。そこに狙う、ということさえも、普通には発見できないような難しいショットだったのです・・・。

こうして、敦賀君の「涙の最終戦」が私の記憶の中に刻まれることとなりました。


ふと気付いたのですが、カリヤも敦賀君も、どちらも負けたんですよね。敗北した側が強く印象に残り、長く記憶に留まるというのも何だか不思議ですね。しかも、どちらの競技も「あんまり真剣に応援してない」という程度であったのに(ゴメンね)。




札割れの謎に迫る(+懺悔の告白後)

2006年02月23日 22時16分40秒 | 経済関連
国債の買いオペで未達(約700億円)となり、札割れは96年以来だそうです。これも微妙すぎる。同じ日に総裁とか局長発言が相次いで、「解除は当然」という状況証拠を積み上げていっている感じがしますね。陰謀論的には「ヤラセなんでないの?」というところでしょうか。実際の所は判りませんが、昨年後半から「量的緩和解除」の示唆を出し続けて、日銀と一味であるところの民間銀行等金融機関には「国債保有高を調整しといてくれ」という、暗黙のサインであったのかな?

NIKKEI NET:経済ニュース

NIKKEI NET:主要ニュース

(一部抜粋)
日銀の福井俊彦総裁は23日の参院財政金融委員会で、量的緩和策の解除について「金融市場において、ある程度織り込みが進んでいる。市場の消化の仕方は我々の考えている方向性とかなり平仄(ひょうそく)が合った状況だ」と述べた。そのうえで、「条件を満たせば直ちに解除したい」と述べ、消費者物価指数(CPI)が安定的にプラスに推移するなどの条件が満たされれば、量的緩和を解除する姿勢を改めて強調した。


それから、これも。

NIKKEI NET:経済ニュース

(一部抜粋)
日銀の中曽宏金融市場局長は23日、東京都内で講演し、量的緩和解除後の当座預金残高について「必要準備額の6兆円程度まで下がっていく」と述べた。解除後の金融調節は「(現在の当座預金残高から)短期金利を中心としたものに変わっていく」との見解も示した。
中曽局長は「消費者物価指数はプラスになってきた」としたうえで、量的緩和の解除の可能性が「2006年度にかけて高まっていく」との認識を示した。



国債というのは非常に複雑な仕組みとなっていて、所謂「シ団」(要するに日銀応援団みたいなものですかい?それとも大蔵一派か?)が構成されており、民間金融機関とはいうものの、かなり日銀サイドとの密接な関係があると思われますね(あくまで想像ですけど)。で、今月初旬には、銀行などの国債保有高が100兆円を切ったという報道が出てましたね。あれほどみんな「国債投資」が好きだったのに、これは一体どうしちゃったの?と。よい見方をすれば、貸出に回ってきて「景気回復」と伴に資金需要が増えているんだ、ってなことですが、そんなに言う程は増えていませんね。ようやく貸出増加率が前年比でプラスになってきた、という程度でしょう。マネーサプライがそんなに大きな伸びを示していないのですし。せいぜい2%弱程度でございましょう。というと、銀行は国債投資を減らして、一体全体どこにお金を振り向けたのか?


恐らく「公的資金返済」でしょうな。これに相当額の資金が振り向けられているのではなかろうか、と思いますね。調べてないから分らないですが。銀行にあった余ってるキャッシュは、これまで国債投資に回していたんだけれども、その一部を返済に繰り上げしてきたんでしょう。なので、国債の買い資金は減ってもよさそうで、その分の持ち高も減るというのは自然な感じだな。民間企業の資金需要がそんなに旺盛とも見えないですね。金利上昇局面では国債価格の下落となってしまう為に、あんまり大量に保有していて評価損を抱えるというのもマズイでしょうから、日銀サイドから「シグナル」を送れば、ちょっと買い控えておきましょう、ということになるかもしれませんね。


ただ、国債発行額自体が減ってる訳では無いので、誰かが買っているハズです。国債は何処に消えてしまったのか?銀行に変わる買い主体とはどこなのか?えーと、まずは個人向けですね。これは結構売りに出されているように思います。現在の3%程度の保有比率からもうちょっと増やそう、ということかもしれないですね。「国債買いませんか」という証券会社のダイレクトメールが送られてくるが、これはイランな。前にも書いたけど。これはどうでもいいですが、増えてるとすればまずは個人でしょうね。それから、財投資金の引き上げ期限が確か07年ですので、郵貯とかは国債を買うしかないかもね。他の債券も多少はあるだろうが、巨額資金だけに振り向け先がないですよね。貸出する訳でもないですし。ですので、ついつい買ってしまうでしょう。公的年金の運用先もそうですね。とりあえず買うしかない。満期まで持っていれば、損する訳でもないし。あくまで素人考えなんですが。財投資金は郵貯に数十兆円規模で残っていたハズで、それを財投債やら国債に置換しなけりゃならないのは、結構大変ですよね。買い資金の規模もデカイですからね。


そういう訳で国債需給がちょっぴりタイトになっていた、ということでしょうか?それと、アレですね、2008年問題と言われていた国債償還の集中というやつですが、これはね、もう大丈夫なんですよ、皆さん。112兆円程度の発行で済みそうなんですよ、確か。平ちゃんのツッコミ食らった余波で「国債買入償却」を決定した財務省であったが、どうもクサイのですな(笑)。


札割れ自体は日銀が財政一派と”協調介入”という訳でもないんでしょうが、「自作自演なんじゃね?」ということもやろうと思えば可能ですね。それは買入償却額は17兆円(だったか?12兆円だったか)という相当デカイ規模で、「08年に償還されるヤツ」を財務省が買い集めるはずなら、需給が締まるということもあるだろうな、と。買い時期は財務省が好きなときでいいんだろうし(でも、06年度じゃないとダメなのかも)。それに財務省が買い集める、ということをみんな知っているハズで、先回りして仕込んでいるかもしれないですよね?財務省が買うと、残期間が2年以下の国債は市場からかなり消える訳です。もしも毎月1兆円以上の規模で吸収される、となれば、それなりに影響があると思いますね。近年FB(+TBも)の発行残高規模が100兆円以上、とか言われてるが(CP市場よりもデカイらしい)、短期国債市場での「買い」が活発になっても良さそうかな、と。残り期間が同じであれば、利回りは同じくらいになるハズですよね?違うのかな。


ということで、民間銀行には保有高を調整させるように「指導」(誘導?)し、財務省の買入償却がらみでの仕込みとか、財投資金引き上げとか、そういうのが影響すると分っていれば、札割れを意図的に狙うことも出来たような気がするけど。どうなんでしょ?

こりゃあ、余りにナガイ系?陰謀ネタを好みすぎましたね。でも、余りにタイミング良すぎじゃないですか?マジで。総裁発言とか。
まるで、ピンポイントで狙ってたみたいなタイミングですもん。



それから突然なんですが、今まで隠してきたことがあります。
懺悔の告白です。
昨年の郵政民営化問題ですけれど、もう過ぎたので言ってしまおうと思います。
どうぞご寛容にお願い致します。

財政投融資資金の問題を書いていたんですが、実は調べていくうちに気付いたことがありました。それは財務省が郵政公社に「財投資金を貸し付けている」ということです。これは初めのうちは知らなかったのですが、財務諸表などを見ていくうちに気付きました。
財投資金(所謂預託金)を全て引き上げて、仮に国債運用に切り替わったとして、郵政公社が失う収入というのは約2兆円とかの規模になるということを書いていました(郵政の人件費の出所)。


しかし、旧大蔵省時代からの巨額の資金貸付という形を取っていて(元々は約50兆円くらいだったと思う)、その利払いは財務省に入ることになっているんだろう。財務省がそのヒモを握って離さないということでしょう。でも公社になってからは、経営が苦しいので減額されたんだと思いますが、約38兆円弱程度は残っていた。これはどういうことかと言うと、財投資金を供給していた郵政はそれぞれの財投先から利払いを受けるのですが、その内財務省が貸している分はそちらに利払い費用が移転される、ということになります。なので、財投の大半が国債に置き換わってからも財務省に利払いを続けると、郵政公社は苦しくなるだけなのです。同時に減額して解消しないとダメですね。


しばらくしてから気付いたので、黙っていました。ゴメンナサイ。これを言ってしまうと、郵政民営化には不利に働くと思ったので。財務省のカラクリというのは、得てしてこういうようなものなのだろうけど、ちょっとズルイですよね。郵政公社には金利の低い国債で運用させておいて、財務省にはその倍近くの利率で利払いをさせる、というのはどう考えても卑怯な方法なんですよね。


そういう訳で、申し訳ございませんでした。正直に言わなかったことをお詫び致します。ご容赦の程、お願い申し上げます。



経産官僚ブログの炎上

2006年02月23日 01時44分01秒 | おかしいぞ
ここ暫く、所謂「コメントスクラム」でブログの閉鎖というのはなくなったのかと思っておりましたが、未だにあるんですね。小倉弁護士の出番でしょうか(多分知らないかな?)。

それは関係ないですが、「PSE法」に関連して、かなりのコメントが殺到したようですね(千以上?)。


経済産業省の方のブログであったようですが、運悪くそのかたは少し前まで「環境省」でお仕事をされていたようです。経済産業省の官僚ということだけで悪者代表のように非難され、閉鎖に追い込まれるというのも酷い話ではあります。そのかたが法を変えられる訳でもなく、施行を止められる訳でもないのに。既に法が成立しているから、どんなに非難して個人ブログにコメントを書き連ねても、全くの無効であるのに。2月に始めたばかりのブログで、いきなりの強烈体験をすることになってしまったようです。まさにタイミングが悪かったとしか言いようがないですね。同情することくらいしか、私には出来ないんですが。


こういう事例を見るのは、やはり悲しいですね。そういうことをわざわざやってしまうことで、ネット言論の信頼性に傷がつくだけです。「サイバー・デモクラシー」の道のりは険しい、ということでしょうか。

(閉鎖したブログは示さない方がいいと思いまして、書いていません)



平ちゃんと洋ちゃんの議論(追記後)

2006年02月22日 17時37分54秒 | 経済関連
今日は党首討論が主な話題となろうが、民主党の弱体ぶりが曝け出されるだけであろう。まだ見てないから判らんけど。まあ、こんな話題は捨て置いて、諮問会議の議事録の方が大事ですので、そちらを読んでみました。

第3回議事録


与謝野さんを始め、財政一派の人々が「単純な試算」ということで、削らなければならない支出の大きさは「何と、20兆円!」にもなると、大々的に数字を出してきた訳ですね。これは「経費削減だけでは、間に合わない」=「増税しよう(必須ですよ)」という意味である。なるほど、そうですね。全く仰る通りでございます。私の(思い込みと独断で勝手に)提唱している方法では、消費税を上げるかわりに、保険料徴収を止めるというもので、結果的には増税効果が出てくる可能性が高いわけですし(きっと企業負担は多くなる)。財政再建というテーマがある限り、ある程度のスピード感を持って取り組まないと海外からの信用にも影響してくる可能性がありますからね。このままの増大傾向を放置する訳には参りません。ただ、財政再建策だけに目を奪われてしまいますと、今までの「政策デフレ」圧力と同様に、経済全体への悪影響というか、これぞ正しく副作用というものも顕在化してくる訳ですから、何といってもバランスが大切です。前にもちょっと書いたのだが、鋭い嗅覚というか天性の勝負勘を持つ小泉さんが「消費税増税はまだ早い」と明言して、経済全体への「心理的な悪化」というものを封じ込めたことは、ズバリ正しかったと思いますね。


時間が取れたので、追加しました。

一応原文をご自身でお読み下さった方がいいと思いますが、やり取りの一部をピックアップすると、次のような部分がありました。

竹中「(略)いずれにしても、この要対応額という概念は小泉改革を御破算にして、それからどれだけ対応額が必要かということを計算しているという問題点が第一点、それと、成長率が違うと数字も根本的に違ってくるので、その複数のケースの議論をするべきと、その2点は申し上げておきたい。」

小泉「私も説明を聞いてよくわからない。竹中議員がわからなくて、私がわからなくて、一般国民がわかるだろうか。専門家はわかるだろう。一般会計でどの程度削減しなければならないかを出してほしい。社会保障費は、一般会計で今年20兆円ぐらいだろう。公共投資も7兆円台だろう。国と地方を合わせたものなら、国と地方がどうなるのかというぐらいを出してほしい。その方がわかりやすいので、お願いする。」

吉川「竹中議員からお話があったので、その点だけ簡単にご説明する。20兆円という数字はどのようにして出てきたかということだが、これは『改革と展望』を基にしており、竹中議員が経済財政政策担当大臣をされていたときのシミュレーションなどでも、非改革ケースというのはほとんど似た形でやっていたと思う。(中略)このシミュレーションで最終的にどこまで抑えなければならないかという抑えるべき目標水準は、表現ぶりはともかく、同じになるということだ。竹中議員が2番目に言われた、成長率によって数字が変わってくるのではないかということは、そのとおりである。今回は機械的な試算なので、2011年時点では、『改革と展望』の参考試算に基づいて、名目成長率は3.2%としている。ただし、4%の名目成長率についても試算はしてもらっている。3.2%名目成長率というのは、実質成長率1.7%、インフレ率1.5%を足したものだが、仮にインフレ率が1.5%ではなくて2.3%で4%成長ということになると、2011年時点での要対応額は20兆円ではなくて19兆円となる。したがって、数字が根本的に違っているわけではなく、むしろ基本的なストーリーは、それほど変わらないのではないかと考える。」

(中略)
竹中「いずれにしても、これは問題意識を共有する、クリアなイメージを作るものにはなっていない。我々に対しても今のような説明をしないとわからない形になっている。今後はそういう協議を是非お願いしたい。」

小泉「この資料を基にして、経済学を勉強していない一般国民も常識でわかるような、書き言葉ではなく話し言葉で「こういうことです」という講演をしてくれないか。私はその講演録を読む。その方がわかりやすい。それを是非お願いする。」


こういったやり取りがあったわけであります。今回の説明・配布資料には、この民間議員からのペーパーが示されておらず、与謝野大臣の記者会見での説明だけですので、正確には判りません。ただ言えることは、将来見通しで今までと同じ規模の財政支出をするとして、名目値は増えていくのと利払いも増えていくので、それをまかなうのには20兆円くらいは必要になるであろう、ということですね。平ちゃんがかつて内閣府から出していた資料とほぼ同じ水準であると吉川先生は仰っておられるので、要するに「自分の作ってた数字でしょ」と切り返されたわけですね(皮肉まじりかな?)。平ちゃんは「数字を出す前に、予め検討させてほしい」ということを事務方にお願いしていたようですが、内閣府官僚たちから「仕返し」をされた?ということでしょうか。平ちゃんに「マクロ分析くらいやっとけ」(竹中大臣の要望)と言われたのが、よっぽど恨みを買ったということでしょうか(そんなわけないか、笑)。それはいいのですが、なんてったって竹中・中川路線の掲げる重要政策がありますからね。それは・・・アレですね。


今年の流行語大賞へのノミネートが狙えるキーワードがあります。
『The Economist』誌編集長のビル・エモット氏の著書で、昨年末から話題となりましたね(そういえば、退任報道がありましたね)。『The sun also rises』(日はまた昇る)です(バブル期には「日はまた沈む」で名を馳せたそうですけれども)。昨年の日米首脳会談でもブッシュ大統領に小泉さんが「サンライズ」とかって(「あれ、英語でなんて言うんだっけ?」とか何とかも言ってた)、使っていました。そうです、「rising」(ライジング)ですね。竹中・中川一派は「上げ潮政策」― rising tide policy ―を掲げています。日いずる国~日ノ本であるところの「ニッポン」ということで、「the Land fo the Rising Sun」に引っ掛けたエモット氏のタイトルと同じ意味合いだろうと思いますね。外人の(米国人の経済学者と新聞か何かに出てたように思う)指南役が付いているからでしょう。ですので、今年のキーワードとしては、「ライジング」を挙げたいですね。これ、今のところイチ押しです。


吉川先生は押し出しは強くはないが、大変冷静に経済・財政を見ていると思います。資料に挙げた対談もとても面白くて、政治学者の飯尾先生(よくメディアにも登場しますね)に経済学の基礎を講義しています(笑)。内容的には言い尽くされた事柄ばかりですが、重要なことは総括的な部分で「共通の理解」は出来ている、と認識していることですね。

第6回「財政再建やデフレ脱却などマクロ経済管理とミクロ面での構造改革とを両立させる選択肢」


是非とも中身をお読み頂きたいと思いますけれども、一部分だけですが、印象的な部分をピックアップしてみましょう。


「一方で、日本経済、変化の方向はともかく、水準としては天井よりも低い。経済学者、エコノミストの言葉遣いで言えば、GDPギャップがある。これは明らかに需要不足を示している。私自身はこの立場に立ち、需要不足だと考えております。
需要不足があると、もし構造改革というのが純粋なサプライサイドのポリシーだとすると、的外れだということになる。なぜなら、それは天井を上げることでしょう。現実が天井より低いところにあるときに天井を上げても意味はない。それは、GDPギャップを広げるだけで、現状をよくすることにはならないのではないかということになる。天井と現実が合っていて、その天井があまりに低いというのが問題だというのであれば、サプライサイドを強くして天井を高くするのは大いに意味があるわけですが、天井よりもずっと低いところにいるときに天井を上げても意味がない。
天井を上げるようなことは的外れじゃないかという論者の代表選手は、たとえば海外ではポール・クルーグマンです。日本でも、ケインズ派の人たちの中には、そういうことを言う人はかなりいます。財政積極論者の人は、当然このような考えを持っています。ただ、需要が足りないというのはその通りなんだけれども、持続的な需要と場当たり的な需要というのを、分けるのが一番大事ではないかというのが、私の持論です。」

「私は何よりも需要創出型の規制改革というのが、今一番大事だと思います。本当の意味での弱者を、社会の合意を得た上で支えるのは当然のことだと思いますけれども、そのためにいくらお金がかかるかという問題があります。弱者というのが、ただ口実になっているケースもあるわけです。」

「まず第1に政府は、見通しをちゃんと言ってないじゃないかと民間の方がおっしゃることがあるんですが、それはそうではなくて政府としても、「改革と展望」というもので完全に明らかにしているんです。今後5年、それからもう少し長期の10年を考えて、日本経済はどういうふうに成長していくか、財政がどういうふうに推移するかということを明確に数字で出しているわけです。ところが、どういうわけかこれもあまり読まれません。政府としては、日本経済の中期的な展望を示しているわけです。外れる、当たるということとは別にして少なくとも明らかにしていることは間違いないんですよ。」

「デフレというのは、インフレもそうですが、貨幣的な現象だという言い方をよく経済学者やエコノミストはします。物の値段なのだから、貨幣、マネーに関係したことだろうと。ということは、それをつかさどる、あるいはコントロールする金融政策によって最終的に決まってくる問題だということになる。したがって、この問題に対する責任は、日本銀行が第一義的に負うべきだという議論があります。それで、日銀に対して、インフレターゲットを掲げて、もっと果敢に金融を緩和しろという話をするわけです。」

「ベースマネーは30%増えていますね。しかし、市中の預金を中心とした、いわゆるマネーサプライ、これはM2+CDというんですが、それが大体3%ぐらいの伸びでしょうか。さらに銀行の貸し出しになるとマイナス2~3%のマイナス成長です。
現在の日本は、そういう姿なんですよ。日銀流の言い方では、ベースマネーの30%増というのは、これはまさにextraordinary(並外れた)だということになる。アクセルは目いっぱい踏んでいる。だけど、トランスミッションがいかれている。トランスミッションというのは市中銀行。それはなぜか。理由は不良債権だ。こういう話ですね。これが日銀のスタンスでしょう。」

(飯尾先生の質問、「確認しますが、デフレは解決すべき問題なんですよね」に対して)
「それは経済学者、エコノミスト、全員一致しています。中にはユニクロ現象とかいって、物価が下がるのはいいことだと言う人もいますが、それは個別の価格の話です。メーカーが頑張ってくれてパソコンの値段が下がるのはいいことですよ。それはいいことなんだけれども、一般的な物価水準が下がるデフレはそれとは別です。デフレがトラブルだということでは、経済学者は全員一致しています。
ちなみに、これがトラブルだということを経済学の歴史の中で、非常に強く言った経済学者はアーヴィング・フィッシャーです。フィッシャーはアメリカの大不況で、自分も財産を失ったのですが、資本主義経済というのは、振り子のように、安定化の機能を持っているんだけれども、それが壊れてしまうことがある。その条件は2つあって、好況のときに企業が過大な債務を負うこと。その後にデフレが来ること。この2つが重なると、資本主義の安定化機能が壊れてしまうと言いました。 」


こういう具合でして、ライジングチーム(竹中・中川一派)と特別な政策的対立を際立たせる訳でもないのですが、何故か最近は平ちゃんとの折り合いが・・・気まずく?なっている訳ですね。平ちゃんにとっては、事務方への不満というものがあって(総務省の大臣なんだから、内閣府へはあまり口出しできないのではないかと普通思うけれどね)、「(出す前に)オレにも見せろ」ということを要求するのですけれど、言うことを聞いてくれない(笑)から、勢い民間議員たちや与謝野さんとか(+谷垣くんも?かな)の財政一派への不満に置き換わってしまっているかもしれませんね。


諮問会議内での「経済学の授業」(by 小泉総理)を細かくやって対立することよりも、政治的な成功を目指すべきで、平ちゃんの戦術は悪いと言わねばならないでしょう。それは(長いので略して)「ライジング政策」をダーンとぶち上げて独り舞台を演出するよりも、共通の「目指すべき地点」というものを明確にしていくことの方が重要であろうと思いますね。それにコンセンサスが得られていれば、残るは政策手段とか優先順位の問題で、本質的な違いというものを減らせますよね。

例えば、
・絶対にデフレを終息させ、逆戻りさせない
・名目成長率は中期的には3.5%前後(±0.5くらい?)
・プライマリーバランスをゼロ近傍にする2012年前後以降には4%を基準にする
(「日本21世紀ビジョン」でも12年までは”3%台半ば”、13~20年では”4%以上”を想定している)

ということでもいいのではないかと思いますね。これらは、既に出来上がっているものですし、特別な反対論なんてある訳ないんですから。自らが決めたものですし。諮問会議にもこのビジョンは上がってきて、みんなで数字も見てたハズですね。一緒に答申したんですから、今更「前には知らなかった」とか「そんな積もりで同意したわけではない」なんて無責任なことが出てくることもない訳ですし。皆も大体同じ考えなんだ、ということを、もう一度確認した方がいいですよ。平ちゃんも、吉川・本間両先生も(笑)。


あとは、需要創出型の改革を考えていってもらえれば。雇用の問題についても、そういう意味合いですよね。

去年書いた記事ですけれども、挙げておきたいと思います。

経済学は難しい9

発散を防ぐ基本的な方法というのは、同じようなものですよね、きっと。


全く無関係ですが、yahooの新たなカテゴリーに「政治」というのが出来て、一般国民が行政の情報にアクセスしやすいページ(「みんなの政治」というタイトル)が出来ました。これはとても良い試みだと思います。議員検索とか、法案の情報なども出ていて、普通の人達が関心を持ちやすい感じになっています。今後、こうした「入り口」があることで、行政とか政治への理解が進むことを期待したいですね。



仕事の経験と教育

2006年02月20日 20時35分35秒 | 教育問題
私は「釣り」には全く興味がないのだが(子供の頃、ちょこっとやってみただけ)、多くの大人たちの心を掴んでいたりする不思議な趣味である。この楽しみが私には判らないので、悲しむべきことなんだろうけど、好きな人にとっては「どうしてなのかな?」と思うに違いない。釣りがいいとか悪いとかそういうことではなくて、熱中している人たちはきっと色々な工夫をしたり、本を読んだりして研究したり、実践的な経験を積んだりしていることだろう。それは強要されるものでもなく、自ら進んでそういうことをやるだろう。


とある釣りの好きな人がいるとして、その人は一度も釣りに行ったことがなく、本とかの知識だけしかなく、実際の竿を扱ったこともないが、「釣り」に関する知識だけは凄く詳しいとしよう。どれほど他の人よりも知識が優れていたとしても、この人は果たして「釣り」を人に教えたり出来るのだろうか?この人は、全くの実体験がないけれども、新たな擬餌を考え付いたり、うまい誘き寄せ方法を思いついたり出来るのだろうか?このような仮定は果たして意味があるのかどうか、判らないのであるが。


私は教育とかの専門的な考えや理論を知っている訳ではありません。ですが、著名な大学教授などの言う教育理論というのは、どの程度信頼性のあるものなのか、謎なのです。上の「釣り」の例で言うと、全く「釣り」をやったことがないのに、人に教えられるほど理解出来るものなのだろうか、と。どのくらい一般人のことを理解しているのか、よく判らないのです。


自分が色々な仕事とか作業を実際にやってみると、それまで知らなかったことがたくさんあったりします。先の「釣り」の話でいうところの、頭の中での知識だけ知っていても、実際には役立たないことも多かったりします。いや、知識を知っているかどうか、というレベルではなくて、もっとそれ以前の問題であったりすることが多い、ってことかな。なので、知識を得ることと実際の経験とを組み合わせる方が、上達したり上手くいく方法を考え付いたり出来そうな気がします。子供達に仕事や作業をやらせる、というのは、そういう過程を経験させることで、どういう勉強の仕方がいいのか、どんな知識を得るべきか、今自分の知っている知識を総動員してどのように対処するか、などといった実際的な体験ができるということだと思っています。テストの成績が良いとか悪いとかの話ではなくて、現実の生活に密着した「頭の使い方」だろうな、と思います。仕事をやると、そういう能力獲得に繋がるのではないかと思います。


自分が実際に何かの職業についてから、「学校でもっとこういう勉強をしておけば良かった」などと思うこともたくさん出てきます。自分が学生の時には、そういうことが中々判らないのです。「どうして~を勉強しておかなかったのか」「昔、授業で言ってたような気がするけど、すっかり忘れた」とか、そういう後悔が起こってしまいがちです。なので、自分の若かりし頃の勤勉とは対極にあった姿勢とか、不真面目さを呪うこととなります(笑)。でもこれは、自分が実際に仕事などをしたり、社会的な経験を積んでいくうちに判ることであり、自分で気付かないと勉強する動機とはならないのです。そういう結果になることを予め判っている人が、如何に「若いうちに勉強しておいた方がいいよ」とか、「~~は後々大事だから、よく勉強しなさい」というような暖かいアドバイスをしてくれても、その時の自分にはそれが理解出来ない為に、小言に聞えたり、単に耳が痛かったりするだけで、「どうやったら勉強しなくて済むか」という別な方向に知恵を働かせようとすることになるのです(笑)。でも、ずーっと後になってから、「ああ、こんなのも面白いんだな」ということが実際の体験に裏打ちされた状態で出てきたりするので、特別に他人から「~~を勉強しなさい」などと求められなくても自分で勝手にやろうとするのではないかと思います。「釣り」の話で言うと、学生の頃は「生物」という学問など何の興味も無かったのに、趣味というキッカケで自然に勉強してみたいと思えるようになることもある、ということです。


ですから、学校での職業的な教育というのは、それをやることで特別な職業能力が身について社会に出た時に直ぐに役立つ、とか、そういう即効性のあるものでもないと思いますし、万人が同じようなレベルで職業的な能力を獲得出来る、ということではないと思っています。仮に料理に関する技術を学校で教わったとしても、全員が料理人になる訳ではないのですから。パソコンだとか、経営やらマーケティング等を学習したとしても、みんながそういう分野の仕事に就く訳ではないのですし。そうではなくて、何でもいいと思いますが、現実の「仕事」とか「作業」を通じて、実際に自分の頭と体と少ないなりの知恵を使ったりして、ちょっと苦労しながらやってみることで、「なるほど」とか思えたり、後に自己の発見に繋がることがあるかもしれないし、自分では気付いていなかった意外な向き・不向きが認識出来るかもしれないし、何かの自信形成のキッカケに繋がるかもしれない。そういうことを期待して、職業的な学習というものをやることには意味があるのではないかな、と思っています。


今は学校を卒業してから、そういうことを各個人レベルで行っているような感じで、もう少し準備を早く行う方がいいと思います。仕事は人間を成長させてくれると思います。人間を鍛えてくれたり、育ててくれると思います。


またしても変な言い方かもしれませんが、御容赦を。

学校での勉強というのは、ゴルフで言うと、まずは「公式ルール」を全て頭に叩き込め、というところから始まるのです(笑)。やってみないと面白さも分らないのではないかと思うんですけれど、まず「ルールブック」をマスターしなさいとか言う訳です。仕方なくルールブックをひたすら覚え込もうとする訳ですが、「ウォーターハザード」なんて言われても、すぐに忘れる訳です(因みに私はゴルフを一度もやったことがありません)。それは実感がないからですね。多くの素人ゴルファーを奈落の底に落としているであろう、「池ポチャ」という現実の体験を有していれば二度と忘れることはないでしょう(笑)。そういうものです。でも、学校の勉強の多くは、こうした「ルールブックを読め、覚えろ」ということが殆どであり、体験に基づくことが少ないのですね。なので、ゴルフの楽しさも知らないうちに、「オレは嫌いだ」という風なことになりがちではないかと思いますね。大人だって実際にプレーさせてもらえず、ひたすら「ルールブック」の試験ばかりあったら、多くの人がゴルフを毛嫌いするようになってしまうと思います。大体がそういうようなことなのです。ただひたすら、ルールを覚えることが重視され、せいぜいが頭の中で「仮想プレー」をするくらいのものでしょう。誰もコースには立たずに、先生も一度もプレーしたことがないかもしれないが、それでも生徒には「こうやって打つのが基本だ」などと教えたりするんですから(笑)。


しかもこれには続きがあります。ようやく何とかゴルフの「ルールブック」を覚えたら、次は野球の「ルールブック」が用意されているのです。その次はサッカー、次はテニス・・・と継続される訳ですね。ですので、延々と頭の中だけでの「仮想プレー」ばかりが続くのですね。現実の体験を含むということは、ゴルフを自分でプレーしてみて初めてその楽しさも分るし、逆に難しさとか自分の足りないことも分るし、もっと上手くなりたいと思う人も出てくるかもしれないですよね。思いのほかパッティングが上手な子もいるかもしれません。ルールの筆記テストではよく間違えていた子であっても、凄まじいドライバーショットが打てるかもしれないですよね。そういう単純なことで、何かの自信をつけられるかもしれませんね。でも、学校教育の多くは、そうした体験に基づかない勉強を教えられて、ルールブックのテストの点数が重視されがちだと思うのです。


どんな仕事や作業でもいいので、それらを通じて、「ルールブック」(教科書)には載っていない楽しさとか、実際のプレーに興味を持ってもらえるのであれば、それが望ましいと思いますね。ゴルフは嫌いだけれど、野球は興味が持てる、という人がいたっていいし、別な人はサッカーの方がいい、という人がいるかもしれないですし。いずれは社会に出ると、何かのプレーヤーにならねばならないのですから。で、大抵は「そういえば誤球の場合の罰則ってどうだったかな?打ってしまった相手ボールは打つ前の地点に戻されるんだったか?」などと、昔習ったことも忘れていることがあったりして、「もうちょっと勉強しておけば良かった」などと思ったりする訳ですね(笑)。自分自身で実際にプレーしてみると、「やっぱり、必要だな」と感じるので、誰にも言われなくとも「ルールブック」の勉強をもう一回してみよう、と考えるのではないでしょうか。それも、ゴルフの楽しさに惹かれて、実際にプレーするようになれたからですね。学校での「ルールブック」授業だけであったら、二度と勉強してみようなどとは思わなかったかもしれないですね。


ルールブック以上の楽しさということを学校教育の中で体感できたり、興味のキッカケでもなんでもいいので、そういうことが獲得出来るのであれば、やはりそれが望ましいと考えています。実際に何かの体験を通じて「料理人になりたい」と思う人がいるとして、その人がどういう道を歩むは誰にも分りませんね。でも、そういうキッカケがあればいいのです。すし屋の弟子入りをするかもしれないし、ラーメン屋にフリーターとして勤めるかもしれないし、中華街の店に就職するかもしれない、或いはチェーン店の料理人になるかもしれない。どういう選択をするのかは分らないですが、「料理人」の仲間入りは出来るようになると思いますね。

そういう幾つもの選択肢の中から、「フレンチを極めたい」と思うかもしれないですよね。そうであれば、有名なホテルの厨房に勤め口を探すかもしれないし、そういう所で修行をして将来は料理長になるかもしれません。帝国ホテルの料理長のような立派な人になるかもしれないですしね。そういう料理人となるには、恐らく言語(主にフランス語かな?)も、各国の歴史、文化や宗教に至るまで勉強したりせねばならないでしょう。そうでなければ、レシピが書けないからですね。学生時代にはそんなこととは露知らずに過したかもしれないが、料理という仕事を通じて、再び自分の為に―必要に迫られてということの方が正解かもしれないが―勉強することになるかもしれません。勿論、料理人全部がそうだとは申しませんが、仕事とは、多分そういうものであろうと思います。それを求めていく人、自分で考えて決められる人、そういう人は新たな仕事を作り出せるだろうし、常にチャレンジや勉強が必要になってくるでしょう。これは業種というか、職種にはよらないことだろうと思っています。


ですから、仕事というのはどんな職種であっても、中々奥が深いのです。そういうものを若いうちに多少なりとも体験できて、何かの道筋をちょっと感じ取ることが出来れば、きっと新たな自分の発見に役立つでしょう。そして、将来自らの仕事への「誇り」を持てるようになれるなら、真のプロフェッショナルとして育っていくでしょう。



日銀の言い分

2006年02月19日 16時50分48秒 | 経済関連
かつて日銀はゼロ金利政策を99年2月から実施し、同じ頃に「ITバブル」がスタートしていった。00年4月には株価が一気に急落してしまうのですけれど。で、当時日銀のゼロ金利解除問題が出る前にも、似たような議論が起こっていた。日銀への非難も数多く出されていた。「まだ解除すべきでない」「いや、金利ゼロという異常な姿こそ続けるべきでない」・・・進展のない議論というのは、経済論争の常なのかな?(笑)


ゼロ金利は「デフレ懸念が払拭されるまでは継続していく」と日銀では言っていたようだが、デフレ懸念がなくなったと判断したので00年8月に解除したのだった。この期間には、単に株価が急上昇して(ITバブルですね)、また下がってきていた時であった。CPI が急上昇したのでもなんでもなく、デフレは続いたままであった。なのに、「デフレ懸念はなくなった」という理屈で、ゼロ金利は解除された。人々のインフレ期待が、本当にデフレという深い暗黒から抜け出して、十分なプラスとなってはいなかったのだ。だが、日銀は株価急上昇を見ると、世の中の人々全部が「バブル」に狂っている、と思い込むらしい(笑)。闘牛の牛みたいなもんだな。赤い布を見せられると、著しく興奮して突進するようなものですね。前のバブルが余程のトラウマになっているのかもしれないが、株価上昇には異常に敏感なのだ、日銀は。


因みに株式投資をしている人の方が圧倒的に少なく、投資信託を含めても、全体から見ればそんなに多くはない。株価上昇の恩恵をダイレクトに受けて、消費をもの凄く増やしたりしている人たちはそんなに多くはない。ほんのごく一部だろう。だが、チラッとでもそういう兆候を見ると、バブルだ、インフレ期待だ、とか言うんですよ。そんなんだったら、とっくにITバブルの時にCPI が大幅なプラスになるでしょうが。97年の時みたいな、急上昇になっていましたか?現状のCPI 上昇は、外部的な要因に過ぎない。原油と為替の両方ですよね。なので、全般的にインフレ期待がプラスに転じてきて、将来の期待を織り込んだりしているものではないですよ。仮に円高に戻れば、マイナスに戻るかもしれない、という程度のCPI の回復に過ぎないのです。少なくとも、余りに長く続いた「デフレ」という期待形成との親和性がかなり強化されているので、人々の考え方を変えさせるのには時間がかかるし、プラスが長く続くという長期的基調が出てこないと、早々に解除するというのは全くの論外であろう。せめてCPI が2%を超えるまでは、待つべきである。


薬だって長期間服用を続けると、離脱には注意が必要なのだ。有名なのはステロイド剤だね。急に止めてしまうと、リバウンド現象が起こり、逆に病状が悪化することがある。なので、離脱時には長い時間をかけて、減量していくことになる。そうして、いずれは完全に止めてしまうのであるが、何度も言うように今までの経過から見ればかなり強い「デフレ期待」との親和性(10年くらいに及ぶのだぞ!)なのだから、離脱過程にもそれなりの時間がかかると考えるのが普通だろう。人々の考え方を元に戻すには、CPI のような指標を見るのもそうだけれど、失業率のような現実の実感に近い「体感的」指標も重視するべきだ。


量的緩和策が解除された後は、短期的に見れば金利動向は極めて不安定になるだろう。長期金利も一時的には上昇する可能性があるが、為替の影響とか米国金利動向などにも影響を受けるだろうから、一概には言えないだろうけど。そういう混乱もあることを考えた上で、多少乱高下したとしてもデフレに戻らない程度に、セーフティ・マージンをとるのが普通であろう。今のような高々1%未満の上昇をもって、「デフレは終わった」などと言い、すぐさまボリュームを減らそうとするのは危険だ。


あの時と言い分が同じなのですよ、日銀は。
「デフレ懸念があるうちは、ゼロ金利を続けてきたんだ」って、今と同じことを言っているの。で、「その懸念が後退したから」、「株価だって急上昇したじゃないか」、「景気だって回復しているじゃないか」、「頻繁に札割れしているじゃないか」・・・日銀の言ってることが全部同じなんですよ、あの時と。だが、前は間違えてたんですよ。デフレは終わってなんかいなかった。大間違いの判断をしてしまったんですよ、日銀は。


量的緩和とゼロ金利は違う、とか言うかもしれないが、でもね、姿勢が同じだ、と言っているのですよ。考え方や取り組む姿勢、決意の強さ、そういったものが、何も変わっていなくて、本気で「デフレを終わらせる」「断固デフレをなくす」という姿勢ではない、って言ってるんですよ。


同じ過ちを繰り返すのは、真正の愚か者である。教訓を活かすということが出来ないからである。過去の失敗に、何も学んでいないからである。

日銀は再び同じ道を歩もうとしている。そして、再現ビデオを見るか如くに、同じような過ちを繰り返すのである。

本当のアホじゃ。



ガセネタ騒動

2006年02月18日 19時17分08秒 | 政治って?
国会で小泉さんが「ガセとは・・・・、ネタとは~~」などという答弁をしているのを見て、正直笑えました。あまりに真面目に答えておられたので・・・。失礼しました。笑ったりしてはいけませんね。当事者にとっては真剣な問題ですよね。


それにしても、2チャンネルの掲示板とかの情報力というか、分担作業能力は凄いね。詳しい人達にとってはごく普通に判るのかもしれないが、私には「何のことやら、さっぱり・・・」としか言えないですね。「掘」と「堀」の「出」部分の違いなんて全く知らなかったぞ。普通、区別がつきませんね、こんなの、中々。いやー、勉強になりました。それと、完全犯罪を目指す場合には、筆跡を誤魔化す為にワープロとかパソコンのプリンタなどを使用してはいけない、ということがよく判りました。どういう機種を使っているか、などというのがバレバレなんだね。


でも、「ガセネタ」を本気で国会の攻撃ネタに採用してしまうというのは、民主党自体の末期症状であるな。党首が全然目立たず、むしろ党内非難の的にかけられ、幹事長の鳩ちゃんも大ボケかましてばかりで、こんなんでは「党内規律」が保てる訳がないですな。共産党の方がまだマシ。耐震偽装モノとか、ライブドアものとかで、注目を集めたいとか、いやらしい功名心とか、そういうのを目指していると、こういう風に自分達の足元をすくわれるのだろう。


一般に精神論ではダメだとか言われるが、少なくとも私はそうは思わない。人のことを一生懸命考えたり、本気で思ってくれたりしているということは、案外と相手には伝わると思っている。たとえ成果が不十分であったとしても、努力のあとは分るものだ。頑張ってくれたんだ、ということは感じ取れるはずだ。民主党が何故失敗するかと言えば、そういう真摯な思いが国民に全然伝わってこないからである。そういう視点ではなく、別な方向に行っている。政権を取れないのは、自民党が悪いからだ、民主党が目立たないからだ、国民が判らないからだ、そういう雰囲気を感じますね。それは違いますよ。手柄を求めても手に入りません。いい評価を得ようと思っても、中身が無ければ気付きますよ。国民はそんなにバカではありませんよ。全く違う方向に「逝って」しまっても、国民の誰一人も喜びませんよ。


逮捕議員続出でも、誰も何も責任を取らないし、綱紀粛正を明確に打ち出してもいないし、他の民主党議員たちも真剣に大問題であるとは捉えていない。ありがちなコメント風に言えば、本来「あってはならない」こと(笑)なのであり、事の重大さを誰も感じていないところに民主党の風潮というものが窺い知れるように思う。党内規律さえもきちんと律することが出来ず、人数の少ない議員たちでさえまとめられないのに、国家の運営なんぞ「百万年早いわ!」と言われるのも当然であろう。ライブドア関連の非難をする前に、まずは自分達のことをもう一度真剣に考えるべきだろう。


「武部おろし」如きは、ネタが小さすぎるね。残念だが、民主党は暫くは立ち直れないね。野党がしっかりせにゃならんのに、何処も全然だめじゃないか。ああ、野党じゃないけれど、ちっこい棘みたいな公明党に頑張ってもらうしかない、ってのも、何だかなー。他が全くダメであれば、唯一「チクッ」って自民党に刺せるのは公明党だけになっちゃうじゃないか。こんなんでいいのか?現状のままであれば、ある意味、仕方ないけど。野党は酷すぎるね、本当に。



2相性のデフレ

2006年02月17日 17時44分55秒 | 経済関連
今までデフレのこととか、物価のことについて記事に書いてみて、何となく感じたのがこの「2相性のデフレ」というものです。大まかに言って、前半部分はITバブル崩壊頃あたりまで、それ以降現在までが後半部分です。後半部分は勿論小泉政権による担当ですね。


まず前半部分を見ていきましょう。
デフレのキッカケは94年頃までに遡ります。これは前に書いたように中国の兌換元が廃止される、ということが起こる時期ですね。しかも円高傾向の時期でした。輸入品価格の下落が目に見えて感じられるようになっていきました。価格破壊商法の浸透期ですね。東南アジアへの投資も企業は積極的に行っていきました。中国からの輸入品も急速に増加していきました。企業は東南アジアへの投資を活発化することで、国内投資にはややマイナスに作用したのかもしれませんね。低価格輸入品の影響を受けて、競合国産品は同じような価格競争に晒されていきます。消費者の中には「低価格期待」というものが浸透していくこととなっていったでしょう。その後に海外の中国投資が活発になってきてからは、中国自体にもデフレが見られており(98年~)、主に「供給能力の過剰」という側面もあったのではないか、とも考えられます。


日本では輸入品の価格低下による物価下落圧力があって、95年にはCPIがマイナス(ドル円では円高値をつけた)となりますが、その後には円安方向に為替が戻していったことや、医療・年金等の社会保障分野、携帯電話・インターネットの普及等による通信費増大、というような下支え部分もあって、CPI は微増ながらも回復していったのですね。また、消費税導入に伴う駆け込み需要は97年前半の強い消費に表れたのではないでしょうか。これによってもCPI の急速な回復ということも見られた訳ですが、例の「97年ショック」が起こってしまいます。これ以降、日本経済はデフレの道を歩んで行くことになります。


バブル崩壊後に財政規律はどうであったのか、というと、前に書いたように(経済政策担当の登竜門?)財政出動を求める論調は強かったであったろうし、「景気対策は重要だ」ということを国会議員も世論も「強く」求めていたでしょう。GDP押し上げの為には「真水で10兆円」(乗数効果があるので1兆円の公共投資を増やすと約6~7兆円のGDP押し上げ効果が出る)というような論調があったと思います。また、問題の郵貯ですけれども(郵政と財投と周辺組織の問題)、例の91年頃爆発的に増加した6%の半年複利という定額貯金があった為に、6%の金利負担をまかなう為の「投資先」をどうしても作らざるを得なかった。バブル崩壊後であるのに、この条件に合う安定運用先を探すことは中々難しいと思われ、しかも運用しなければならない資金総額は毎年毎年猛烈な勢いで増加していく訳です。何たって6%半年複利ですから。130兆円程度しかなかった郵貯残高は、新たな預入が全くなかったとしても5年で30兆円以上増加しているのです(満期を迎える00~01年頃には郵貯残高は2倍の約260兆円まで増加してしまいました)。この運用先を探さねばならなかったのです。年金資金についても同じような傾向が出てしまい、「規律」ということで見れば確かに緩んでいたかもしれないが、その一方では運用せざるを得なかったという側面もあったでしょう。


要するに、社会背景には重点的に「景気対策をやれ」という圧力があり、運用資金の膨張ということもあって財政出動は避けがたかった、ということです。ですので、物価下落要因としての財政規律の問題というのは、前半部分では「大きな影響力を持っていた」とも言えないと思いますね。90年代での財政赤字の問題がデフレの根本的な要因ではない、ということです。しかし、金融政策としては、94年あたりからの物価下落環境で金融緩和が遅れてしまい、不十分であったということは言えるかと思います。この時期に政府と日銀が共通課題を強く認識して協調的な政策運営を行っていれば、「97年ショック」を迎えるような事態は避けられたかもしれません。


心理的には98~99年頃というのは猛烈に悪化していった訳ですが(『金融腐食列島』などの映画までありましたね)、それでも一般庶民は意外に打たれ強くて(笑)、99年初め頃からの所謂ITバブルへと進んで行きます。10年前のバブル景気に懲りたはずなのに、それでも「夢よもう一度」的な感じでみんな強気に転じました。この時がデフレ脱却への手がかりであったはずなのですね。政策金利というのは、元々長期的な意味では「景気中立性」を保ちながら決定されるべきものであり、資産価格の―特に株式の―急上昇が「物価高」や期待インフレ率を大幅に押し上げたりすることに直結する訳ではないはずなのです。短期的な変動はあるにせよ、雇用や賃金に波及してくるくらい十分な明るさを取り戻せていたら(当時には全産業で見ても労働生産性の低下が見られた。これは新たな労働力が投入されたからではないかと思う)、デフレの終息を迎えていたかもしれない。


<ちょっと寄り道:失礼な言い方で申し訳ないんですけれど、かつてはパソコンオタクみたいな人々であったのが、特別なスキルとして認知され、しかもコンピューターの「2000年問題」ということが恐れられていて、労働力(何人×時間みたいな指標?だったかな)を遮二無二投入して、いってみれば「人海戦術」でこなすしかない、というような状況はあったように思う。なので、そういったコンピュータ能力に関する労働市場では売り手市場であったろうし、SEの数不足なども盛んに言われたり賃金の高止まり、といったこともあったように思う。>


コンピュータ導入が生産性向上には直ぐに結びついていない、とも言われていた。これは道具に慣れていなかった側面もあるし、それを使いこなすとして、どういった仕事を効率的に行うか、今までにないビジネスはどんなのか、というところには直ぐには辿り着けないのではないか、と思うけど。別にITを導入したからといって、社員の能力が飛躍的にいきなりアップするわけでもないし、労働者の人数を半分に出来るとも限らない訳ですし。でも、求められる労働力というものが出てきて、雇用にもプラスに作用したのであろうな、と思う。新規上場企業も増えたし、雇用創出にも結びついていた可能性はある。しかし、ITバブルはあっさりと崩壊してしまいました。確かにとんでもなく変な株価ということもあったと思いますが、これでデフレが解消されていた訳ではありませんでした。デフレはどこから見ても継続しており、人々の期待形成というのはガンコな「デフレ期待」というものに変わっていた。


そういう状況で、国家財政が好転などしていなかったにも関わらず、大して長期金利の上昇にもならず、(ITバブル期に)円高になることは(それまで同様)確実に起こっても、円安が根付いて通貨安というか購買力平価の大幅な落ち込みともならなかった。けれども、ゼロ金利解除を宣言して、わざわざデフレ悪化を演出してしまいました。


大抵「バブル状態」というのは永続しないと思うよ。何故かと言えば、買い資金が永続的に増大していくハズがないからです。通常、上昇幅に満足した時点では売りに転じることも少なくなく、誰かが「膨大な買い資金」を新たに投入しないと高値を維持したまま売ることは出来ません。一本調子で上げ続けると誰も損することもないでしょうが、いずれは天文学的に大きな資金を必要とするようになるので、永続不可能ですね。よって、放置していても必ず下げに転じます。そして、下げを見た人々が「そろそろ売りなんじゃないか」という弱気優勢になれば、「買い方」よりも「売り方」の方が多くなる為に自動的に値が下がっていくこととなります。なので、特別な手を打つ必要性はなく、中立的な判断で金融政策を行うべきですね。


このようにして前半は終わってしまいました。ゼロ金利解除とITバブル崩壊は同じようにやってきて、結局デフレ脱却チャンスを逃してしまうこととなりました(日経平均が13000円程度まで落ち込んでしまった01年3月に量的緩和政策を決めますが、その後にも下落は続いていき、03年4月には7千円台となってしまいます)。そして、量的緩和決定直後の01年4月に小泉政権が誕生しました。



小泉政権誕生後には言わずと知れた、「痛みに耐える」政治でした。同時にデフレの元凶が不良債権ということであると考えられるようになり、これに対する政策が推進されるようになりました。確かに不良債権問題というのはあったのですが、これだけでデフレが発生するという要因にはなり得ないはずです。当時、僅かな希望が一瞬見えたITブームの崩壊によって、その微かな明るさも潰えてしまい、残されたのは「給与削減」「ボーナスカット」「リストラ」「不景気」・・・という悲惨な将来像だけでした。自信を失った日本人は、将来の期待形成をもっとネガティブなものへと変えていきました。より強固なデフレ期待が形成されていったのでしょう。最悪期はこの後に訪れます。アメリカではITバブル崩壊後でもあり、全世界に衝撃を与えた所謂「9.11」事件の影響もあったし、米国経済の息切れが日本経済にも影を落としました。


そして、財政規律を取り戻す為の政策として、公共投資や社会保障削減、各種保険料値上げや自己負担増、などといった「緊縮財政策」が重視されていきました。これはこれで無意味ではありませんが、一方では経済政策というか現実の経済運営という点においては、問題があった可能性があります。特に雇用問題ということに対しては非常に大きなマイナスを生みました。格差拡大と言われる所以ですね。財政的には中立よりも削減方向に進んだので、物価に対しては下落圧力として作用したでしょう。そして、政府が行った最大の下落要因は内閣府のペーパーなどでも言及されているように、「規制緩和要因」です。これらの施策が物価に対しては相当の下押し要因として作用したのですね。よく例に挙げられるのが、タクシー料金ですね。他にも、それまで勝ち続けてきた通信業界なども規制緩和路線によって料金値下げ圧力が強まりました。また、社会保障関係の削減も同じくデフレ圧力として作用することとなり、医療・介護や年金の下落というものがデフレを助長しました。


これらの政策が全て悪いということではありませんが、財政的な中立を図る努力は必要であったでしょう。それは創業や雇用創出などを強力に行う必要があった、ということです。社会保障政策面でも下支えが必要であったのです(OECDだったか、世銀だったかは、中国のデフレについて社会保障分野の不足を挙げていたように思う)。公的な施策によって、かなりのインパクトを持ってデフレを推進してしまうのであれば、それを緩和する施策も同時に行う必要があった、ということです。何故デフレ期待が中々払拭出来なかったのか、というと、こうした下落要因を政策によって生み出してしまい、その不安を打ち消すような強力な施策というものがなかったからですね。


国債投資への選好というのがどうして起こってしまったか、と言えば、財投からの資金シフトで運用先を失った郵貯や年金資金は国債を買わねばならなかったのと、金融機関の不良債権処理を加速させたことでしょうね。中小企業の恨み節の大合唱となった「貸し剥がし」「貸し渋り」というのも、同じような背景を有していたと言えるでしょう。つまり、諸悪の根源として「デフレの原因は不良債権だ」ということになり、本来的には(資金の)循環不全であったものが、健康部位(=安全資産への逃避、つまりは国債投資)にばかり資金流入を呼び込むという、まさにスティール現象(金融調節の雑感)と同じようなことが起こったのです。循環不全を解消して需要の強い、或いは成長分野に資金流入を図るべきところを、全身的に一気に血管収縮させてしまった(=血管が拡張して血液が滞ってるので、血管を収縮させるとうっ血は減るが、流れる速度が同じ程度なら血流全体も大幅に減る)が為に、虚血部位には血が流れなくなり次々と壊死していったのです。必要部位にも血流が途絶えてしまったのです。これが、不良債権が中々消えなかった(それか、新たに発生させた)理由です。


デフレはこのような経過を辿り、非常に強固なものとなってしまったのですね。


前半では
・低価格輸入品の下落圧力から始まった
・消費税導入後の反動と「97年ショック」の発生
・アジア地域の供給能力の過剰
・日本経済の需要収縮

後半では
・社会保障政策、規制緩和などの「政策デフレ」要因
・財政的な中立を超えた緊縮路線
・それらを打ち消すような政策の失敗(特に雇用政策)
・将来不安・デフレ期待を払拭させる強い決意・アナウンスの不足
・結果的には失望が増強され、株価も下落、期待形成にもマイナスに作用


このようにして現在に至ったのではなかろうか、と思いました。



物価と財政規律(追加後)

2006年02月16日 21時49分13秒 | 経済関連
物価については所謂教科書的なお話の連続になっているので、ちょっとツマラナイ話題だろうと思います。自分の為に書いている部分が多かったりして、多くの皆様にとっては不評であろうと思いますね。でも、もうちょっと物価について書いてみたいと思います。


昨年のいつだったか、福井総裁が「財政規律」ということを厳しく指摘していたことがあって、これはチラッと記事に書きました(経済学は難しい8)。で、日銀の政策が「効果的でなくなる」理由というものには、非常に弛緩した「財政規律」がありました。これはどういうことなのか?しかも物価という部分では、国の台所事情というものがどれ位関係しているのか?この辺りについて書いてみたいと思いますね。


まず以前記事に書いたように、貨幣という側面から見ると、貨幣需要=名目貨幣供給量/物価水準でした。物価自体は貨幣の受給バランスに影響される、ということですね。

貨幣と債券(国債)は表裏一体的なものと考えられており、国債を用いた各種オペが日銀によって行われています。国債は長期金利の指標でもありますね。ですので、非常に重要な意味があります。


財政規律というのは、国債発行が今のような状態となるまで増大してしまう、ということも関連があります。よく言われるのは、バブル崩壊後に「財政規律」が緩み、景気対策との理由を付けられたりして、無軌道な財政支出を行ってたということです。これは郵政問題の検討の中でも記事に書いたりしました。当時は問題があると判っていても、結果的には財政支出をしてしまった訳ですね。


通常は財政破綻危機のような大問題が発生すると、通貨暴落などの経済的混乱が起こってしまうのです。ロシア通貨危機とか、東南アジア通貨危機などはそういう面がありますね。昔の例では、「ポアンカレの奇跡」というものがあった。これらに共通するのは、大体が「財政赤字」(規律の緩み)というものがあって、それに対して通貨が安くなっていき(円であれば円安となってしまうということ)、「これはいかん」と慌てて財政規律を厳しくして財政赤字を減らそうと努力する、ということになるのですね。こういうのが起こりがち、のようです。


日本での状況はどうであったか、というと、97年ショックの後にはLTCM破綻などがあったりして、円安が進みまして1ドル145円程度の為替となった訳ですが、特別な「通貨安」という程のレベルでもないでしょう。その後デフレが継続した訳ですが、この期間中にはITバブル頃に円高値の102円程度をつけた後02年初め頃には135円程度まで円安が進みました。これでも通貨安というほどのレベルではなく、財政規律が緩んでいて、財政赤字が大きくなっていく過程であったのですけれども。この程度の円安ということで、単なる為替変動の範囲とも考えられるかもしれませんね。なので、日本での「財政赤字」というレベルは、他の通貨暴落といったレベルとは大きく異なっていると思われます。


それでも、経済状況の悪化に伴って国債残高はどんどん増えていきました。財政規律を緩めた訳でもなく、むしろ厳しく絞ることを行っていったのに、プライマリーバランスは悪化していったのです。これは税収の落ち込みということもありますし、デフレによる悪影響というものが出たのであろうと思います。本来国債発行残高が増加すると、金利は上昇していっても良さそうなのですが、何故か長期金利は低下していってしまったのです。ゼロ金利政策の影響というものも多少はあるかもしれませんが、短期金利や中期的な金利の影響とは訳が違いますね。長期金利というのは、短期的な政策とか経済情勢には大きな影響を受けにくくなるはずなのです。であれば、ゼロ金利を多少は影響があったとしても、長期金利までがそんなに低下する意味というのは本来なさそうなのですね。でも、どうしたことか、長期金利は低下していったのです。これは長期金利の指標である国債価格(主に10年債の利回り)が、そういう傾向を示していた、ということです。ある意味不思議ですね。


日本での特殊な状況というのは、長期金利の指標である10年債の利回りに現れていると思います。「97年ショック」以降、銀行の国債保有残高は増加していく一方でした。そして、遂には03年6月頃になると「国債バブル」とも言うべき不可思議な現象が見られました。何と、10年債利回りが0.5%を切ってしまったのです。異常な高値を付けていた訳ですね。当時は株価がえらく下がっていた時期でした。企業は現金集めに勤しみ、銀行も集まったお金を貸し出しには回さずに、国債をひたすら買っていった訳です。福井総裁は「長期金利はマーケットが決めることであり、政策として誰かが操作するべきものでない」というような主旨の発言をされていたが、市場判断というのは、たとえ長期金利であっても相対的な判断しか出来ず正しい経済状況を反映するものではない、ということです。普通であれば、自然利子率が長期的な潜在成長率を反映し、それに期待インフレ率とかリスクプレミアムが付加された形で表れてくるものでしょう。しかし、そういったファンダメンタルズにはよらない、まさにいい加減な参照情報(他の人達が国債を買うからウチも買う、みたいな)に左右された「市場判断」というものも現実には出てきているのです。市場判断がいつも望ましい、などとは到底言えないでしょうね。


この僅か3ヶ月後には国債市場では暴落したのですね。何と、1.5%を超える水準まで一気に戻してしまいました。よく「1%も長期金利が一気に上昇したら日本経済は・・・云々、おまけに国家財政は破綻する・・・云々」というようなことが言われていますが、すでに最悪期と思われたデフレ期間において、そうした「長期金利暴騰」という局面を経験している訳ですね。現実に長期金利はたった3ヶ月で3倍になった訳です(笑)。マーケットなんていうのは、そういうレベルであるということですね。「必ずしも信用できない」、と。


ですので、長期金利に関しては結構謎が多いのですね。金融政策の影響を反映すると思われる短・中期金利はまだしも、長期金利は有意な相関があるわけではないのですし。物価(CPI)というのは、期待インフレ率を反映していますから、そうした下落の影響を長期金利までもが受けていたということが有り得るのかもしれませんしね。
これは政策的なことが関係しているのでは、とちょっと思いました。



物価と国債の関係ですけれども、次のような式があると考えられています。

プライマリーバランスの現在割引価値=国債償還額/物価


これは財政の影響を物価が受けてしまう、ということを示しています。しかも財政赤字にも関連しており、「財政規律が云々」と福井総裁に言われるのにはこうした点も影響しているのかもしれませんね。国債償還額は毎年増大してきたのに、物価の変化率がマイナスになるということは、プライマリーバランスの割引現在価値の変化率がそれを超えるマイナスであった、ということでしょうか。

確かに、デフレにはこうした財政の影響というものも関係していた可能性はあると思います。以前に触れた「2相性のデフレ」ということは、この財政政策の関連という意味でもあるのかな、と感じたのです。


これは別に書いてみたいと思います。



話題シリーズ22

2006年02月16日 00時07分41秒 | 社会全般
1)すり替えられた規制緩和

中橋克人さんという方からコメントを頂いた(お金の流通速度)のですが、とても内容の濃いものでしたので、答えられる範囲でお答えをしたいと思います。私には荷が重いと言えるのですが。私は一介のオヤジに過ぎないのですし。私のような「お寒いブログ」には、椿事と言えましょう。これは別にいいのですが、本題に入りたいと思います。


中橋さんの主旨を私の理解として簡単に申し述べますと、次のようなことであると思います。

・現在の規制緩和路線というのは必要なものもあるが、行き過ぎた部分もあって市場競争原理主義的な面が強く出てきており、そこには社会的調整というものも必要である。
・このような路線の推進力は主に官僚への批判であり、官から民へと受け渡される権限はかつては政官業トライアングルを構成していただけの大企業群という「業」に行くに過ぎず、内輪での「官から業」ということでは何の意味もない。


これについては、以前にも記事に多少触れておりますので挙げておきたいと思います。

不正と不公平と「小さな政府」


規制緩和や改革路線というのは、必要な部分もありますが逆に規制強化するべき部分もあります。競争を重視するとしても、郵政民営化の時に盛んに言われた「イコール・フィッティング」という面においては、逆にルールやシステムを強化しなければならない面があると思います。市場競争の機能を効果的に発揮させるにも、望ましい市場形成が出来ないとすれば、不公正な結果を招いてしまう可能性があると思います。ですので、単なる「放漫」とか「まる投げ」ではないようなシステム形成を目指す必要があると思います。そういう意味においては、中橋氏の意見というものに賛同出来ないということではありません。一つ言えることは、昨年の選挙において国民は郵政民営化には賛成という信任を与えたと思いますが、その他の全てについてもそうであるということを示した訳ではありません。国民が新たな政治・統治システムを得る為の意思表示をしたということに意味があったのです。


従いまして、国民が政治の方向性や個別の政策等については意思表示を積極的に行っていくことが求められ、中橋氏の仰るような意見というものも行政は配慮するべきであろうと思います。「改革」自体は必要ですが、何を変えて何を守るのか、という視点が必要になってくると思います。

関連する記事を次に書いてみたいと思います。


2)役人「天下」の天下り

やっぱりそうでしたか、としか言いようがありませんね。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 国家公務員、天下りは2万2千人超…衆院調査

記事より一部抜粋。

独立行政法人や公益法人に天下りした国家公務員が昨年4月の時点で2万2093人にのぼることが15日、衆院の調査でわかった。天下り先の3987法人への補助金交付額は、総額5兆5395億円に達している。調査は昨年10月、民主党議員の要請で衆院調査局が実施した。16省庁が所管する公益法人、独立行政法人や、国から補助金を受けている法人などにおける、国家公務員の出身者数や補助金交付額を調べた。


このような状況ですので、放置する訳にはいきません。これを変えるのはやはり政治的な推進力がなければ難しく、「小さな政府」という意味はここにあります。「改革」という政治力が必要とされる、ということです。

こうした中央の「外側」にある錬金術システムを壊していく必要があると思います。

小泉さんも微妙に関連のある意見を出していたようです。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 改革進めないと経済良くならない…首相が経団連会長に


3)国立がんセンターの独法化

これも改革路線と関連していますが、省庁の考えることというのは如何に抵抗の少ない領域から削っていくか、ということです。そこには将来的な戦略が全くない、としか言いようがありません。これはまさに改革路線の負の部分であると思います。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 国立がんセンター、2010年度に独立行政法人化


21世紀は「ゲノムの世紀」とまで言われ、しかも国家的な戦略分野ということで「バイオ・ゲノム」ということを挙げておきながら、そうした先端研究分野をわざわざ国から切り離そうとする訳です。まさに愚策としか言いようがありません。官僚達にとってセンターというのは、人数が多いし身内の中で切り易い分野という理由に過ぎないのです。何たって技術系ですからね。


アメリカを見たって、これに類する拠点が国立の機関として存在しているのです。NIHも、CDCも、FDAも国立の機関として医療分野の統括をしているのです。敢えて民営にして競争力を殺ぐ必要などないのにも関わらず、日本では国立であることを止めるんだそうです。単なる数合わせの為に。研究開発という部分で見ても、国際的な競争に大きなマイナスとなってしまうでしょう。ただでさえ日本が遅れを取ってきている、という危惧があるのに、です。本気で他国と競争していこうと思うのであれば、人員も資金も重点的に投入する必要があると判っているのに、です。全く愚かとしか思えません。国立大学の独法化という愚策に続いて、またも研究分野での衰退を招く可能性が高くなると思います。


政治的に変な方向に進もうとした時に、何がダメなのかということを、多くの国民が意思表示していくことが必要であると思います。



木村氏問題が予算委で?

2006年02月15日 13時25分17秒 | 社会全般
結構古いネタ(1年以上前だね)ですけれど、finalventさんの記事(finalventの日記)で問題となっていることを知った。馬渕議員はどこかの筋からか仕入れてきたんですね。何だか懐かしいー話題ですね。私がブログを初めてちょっとの頃の話題ですので、自分の記事も相当恥ずかしいような感じです(笑、今もそうだけど)。

近頃は朝日新聞vs木村氏というような構図になっているのかな?先日木村氏が朝日新聞を提訴するとかって報道が出ていたですよね?


asahi.com: 振興銀準備会社側、木村氏金融庁顧問時にコンサル料1億円 - 社会


過去の参考記事:
ネット上の「風説の流布」2
「熱ト」甲子園―沈黙編2


そういえば、当時は「切込隊長」なる人物をよく知らず、何だか判らなかったけれどネット上ではそれなりに盛り上がっていた。結局あれ以来、静かに過ぎていったので、すっかり忘れていました。


当時、私は自分の記事にリンク先を入れられず、どうやって表示するのか知らなかったんですよね。これもどうでもいいんですけれど。なので、昔の記事を見る時には、不便です。何処にその記事が書いてあるのか直ぐには辿り着けない。切込対隊長氏の記事も何処にあるか不明だけど、公開質問状とかがあったよね、確か。


これに馬渕議員も噛んできて、これからどうなっていくんでしょうか?


切込隊長氏がライブドア事件以降、一時期記事更新がなかったので、まさか関係者として(投資事業組合とかの関連?)しょっぴかれて、取調でも受けているんではなかろうか、などという邪推をしてしまったりしてました(ゴメンね)。でも、大丈夫だったようで、切込隊長の匂わせぶりな記事関連では、表沙汰になっていることもいくつかありますよね?どこからそういう情報を仕入れてくるんだろう?謎な人物であることは確かでしょう。「ウーン、マンダム」(再び、ごめんなさい)



金利とインフレ率

2006年02月14日 22時36分03秒 | 経済関連
日銀の考え方というのは、かなり難しいです。しかし、一つ重要なことがわかりました。それは既に出された経済学論争とか、よく出される問題点ということについては、多分日銀側では少なくとも一度は検討課題として取り上げて殆どを網羅している、ということですね。インフレターゲットの問題にしても、かなり早い段階から研究をしていて、それで否定的な見解となっているので、これが何故なのかということは更なる謎となっています。どういう経緯でそのような決定がなされるのか、そういうのが実は不明であるのですね。勿論政策決定会合の議事録公開などで少しは分りますけれども、そういうことではなくて、何か「中心命題」のような、それか伝統の「信念・信条」というような特別な思想というものがあるのではないのかな、とさえ思えることです。これが「謎」という意味です。


散々検討した結果、却下・否定、というような結論を出す訳ですから、よく知らないということでもありませんし、むしろ議論の表も裏も知っていて、尚且つ否定するということは余程特別な理由があるはずなのです。でも、それが何なのか判らない。私のような一般人にとっては、より一層理解が難しいですね。全く予想もつかない。きっと、特殊な知識とか、世間に周知することが憚られるような理由とか、そういうものがあるだろうか。普通に考えて、知らなくて間違うということはまず少ないだろうし、知ってて間違うのだとしたらかなりのバカだし、どっちにしても謎は解けないのです(笑)。


まあ、これは考えても判らないので、放置しておきます。で、金利のことを調べてみましたので、また、自分の理解の範囲で書いてみたいと思います。

基本的な金利式というのは、bewaadさんの記事にも説明があったように、次の「フィッシャー恒等式」というのがあります。

名目金利=自然利子率+期待インフレ率

「フィッシャー効果」(期待インフレ率が変化した時に名目金利が同じだけ変化するので、実質金利が変動しない)というのもあるようですが、実証研究などによって、一般にこれは短期的には成立しない、と考えられているようです(長期間になれば有り得るのかもしれません)。自然利子率というのは、別な言い方では「均衡実質金利」というのもあります。クルーグマンは日本のデフレ期間中においては、自然利子率がマイナスとなっていたのではないか、ということを言っていたようです。すなわち、名目金利がゼロ金利ですので、

0=自然利子率+期待インフレ率

となり、期待インフレ率がプラスの値を取るならば、自然利子率がマイナスとなってしまうということです(でも、デフレ期待ということならば、期待インフレ率がマイナスの値を取り、自然利子率がマイナスとなるとは限らないようにも思えます)。推計では97年ショックの後位から02年初め頃まで自然利子率はマイナスとなっていた、とも言われているようです。


自然利子率は長期的には潜在成長率と近似されており、短期的には潜在成長率と各種の経済ショックによる短期変動の合わさったものとなると考えられています。潜在成長率は技術革新などによる産出量の増加具合を表しており、現実の産出量との差は産出ギャップなどと呼ばれたりします。所謂GDPギャップはこの産出ギャップを代用するものと考えられます。


bewaadさんが説明して下さっていますが、「テイラー・ルール」について、書いておきたいと思います。


「テイラー・ルール」の基本的な形とは次のように表されるそうです。

政策(名目)金利=実質均衡金利+期待インフレ率+WT1×(インフレギャップ)+WT2×(産出量ギャップ)

テイラーは均衡実質金利を2%、潜在成長率を2.2%、WT1=WT2=0.5として決めたようです。この式は最初のフィッシャー恒等式と似ていますが、インフレ率の乖離とGDPギャップを含むものにしているのは、恐らく自然利子率の短期的変動に影響を与える成分としてこれらの追加項を入れた(その影響度は均等ということで0.5)のだろうと思います。長期的に均衡状態で変動やショックが発生しなければ、本来的にはフィッシャー恒等式で表される自然利子率の部分が潜在成長率に置き換わればいいのですし。でも、潜在成長率が判っていても、短期的変動が期待インフレ率に全て出てくるとは限らないのではないかと思いますので。しかも、モデルの前提条件は潜在産出量を求めるのには、価格が完全な伸縮性を持つということが必要です。現実の経済状況とは異なっているのではないかと思われます。そういった意味においても、追加項を入れたんではないのかな、と。テイラーの元々の論文を読んだ訳でもないので、全くいい加減な推測なのですけれど。


日本では別な式を用いていたりするようです。それは日本の潜在成長率の長期的な線形トレンドが見出せないから、ということのようです。米国では潜在成長率は比較的安定した変動で収まっているので、こうしたテイラー・ルールの適用でも問題ない、ということであろうと思われます。日本では、テイラー・ルールの式のうち、均衡実質金利と潜在産出量の部分についてはスムージングを施した(ノイズ除去?というかフィルタリング操作をしているようです)数値を代用して用いている、ということのようです。
また、テイラー・ルールはbackward-looking な決定方法であり、forward-looking なテイラー・ルールというのもあるようです(どんなのかは詳しく判りません)。福井総裁がよくこのforward-lookingと言っていたのを思い出しました。きっと、そういった何かのルールがあるのかもしれません。


このように見ると、日本での問題としては、
・均衡実質金利の決定(各種経済ショックによる短期的変動をうまく反映しているか?)
・期待インフレ率の決定(多分日銀はこれはゼロ、と決めているだろう)
・産出量ギャップを知るための潜在成長率の決定(諮問会議で平ちゃんと与謝野さんの論争でも出た)

という部分ではどのように対処しているか不明です。

また政策担当者たちは、通常正確な統計データが出揃った段階で決定するのではなくて、今、目の前にある「おおよそのデータ」を用いて決定していかねばならないので、正確な統計が出揃ってからの計算結果を用いた判断とは異なる事も起こり得るということになる。つまり、既に結果が出ている長期トレンドを確認して、現時点から過去を振り返ってみた時と、見えない領域である将来時点を考えて判断していく時とは、これもやはり判断が多少異なってしまうこともあるのかもしれない、と思った。別に日銀の肩を持つ訳ではないけれど、幾つかのモデルがあることはあるが、どれも不完全であり、分析も数値も不完全ながらも適用せざるを得ず、たった今持っている情報を元に決めるということになれば、数年後か数十年後になってbackward-lookingでは判ることがあっても、その時点では予測できなかった(判らなかったor 間違えた)こともあるのかもしれない。


たとえそうだとしても、日本が陥ったデフレの罪は大きいであろう。余りにも時間が長すぎた。これは、何ら罪も無い人々の人生が懸かった大問題なのであり、前半部分でのデフレ脱却にしくじったのであれば、せめてその後にチャンスがあったのなら全力でデフレ脱却に賭けるべきであったろう。思想なのか信条なのか判らないが、日銀のツマラナイ意地の為に、それと引き換えに多くの人々は「失業」という代償を押し付けられた。その犠牲は余りに大きかったぞ。多くの国民はこのことを知らないし、私もそんなことは難しいので全く知らなかった。人々から仕事を奪う、ということをやってしまった罪は重い。たとえ既得権者達が少し損をしたとしても、仕事を失う人々がこれほど増えるのを望むという人たちが、圧倒的多数派なのだとは到底考えられないのです。